瞼の裏側に微かな光量が差していた。
後頭部から足の先まで半身を胃液のような粘着物が包み、鼻の奥をツンとした刺激臭が襲い掛かる。
「―――さん」
指先に感触は無く、この微睡が疲れから来ているため仕方が無いと結論付けた。
「兄さん―――」
聴覚を無遠慮にノックされ続ける。
煩わしいと感じるその暴力は、休む暇さえくれそうには無かった。
「兄さん!」
だから俺は、疲れから来る怠惰感を前面に押し出して疲れているのだと訴えかける。
「少し黙ってくれクイント、俺は今疲れているんだ……」
そう言って瞼を開ければ、目の前に不機嫌を前面に押し出したよく知った顔があった。
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!今どういう状況か分かっているの!?」
「分かっているさ。俺らを追って来た管理局の連中から隠れているところだろう?」
「ところだろう?……じゃ、ありません!もう捕捉されているんですけど!?」
やれやれそんな叫ぶことじゃないだろう。
今俺達がいるのは首都クラナガンの使われなくなった下水道跡地だぞ?
こんな肥溜めみたいなところに、清廉な本局様の使いが来るものか。
だがそんなことを目の前で眉間に皺を寄せているコイツに言っても火に油を注ぐことになるのは、明白だろ?
ならここは、黙って言われた通りに行動してやるのが最適解だろうな。
「ふぅ……、ならすぐに移動を始めよう。こんなくっさい所にいても仕方が無いしな」
「その匂いの元凶に体を浸けて眠っている人に言われたくないんですけど……」
眉間の皺を揉みながら顔を離す我が妹を確認したところで、俺は体を起こした。
すると、まるで下水は俺を逃がさないようにするかのように、ビチャビチャと体に纏わりついては落ちていく。
クイントはそんな俺を見ながら、うぇ~……と、鼻をつまんでいる。
そこまで嫌がる必要は無いだろうに……。
俺はポケットからグローブ型のデバイスを取り出すと、それを腕につける。
「エルピス、体を清潔にしてくれ」
グローブ型のデバイスに赤い線が走ると、一瞬で体全体を清潔な状態にしてしまう。
「いつみても兄さんのエルピスは反則よね……」
「何を言っているんだクイント?」
「なによ……?」
「エルピスが優秀なのではない、俺が優秀なんだ!」
「あ~……はいはい、そうねその通りですよね~……」
「なんだ、俺の事を疑っているのか?」
「べっつに~」
そして先を歩き出すクイントに続き俺も足を動かす。
だが途中で足を止めた。
後方から管理局の追ってが迫っているのがわかったからだ。
「はぁー、ったく……」
だからこの道は塞がらせてもらう。
「IS発動―――、ランブルデトネイター」
俺はエルピスからナイフを一つ取り出し壁に突き刺す。
歩いて数分後、後方から爆音が響いた。
歩いて数分後、何とか追ってを振り切れた俺達は、太陽の光を一身に浴びていた。
「あぁ~ん……、太陽の光が気持ちいい!」
クイントはそう言うと、大きく伸びをした。
その動作のせいだろう。
平均より大きい方に入る胸が強調される。
戦闘タイプのくせして何故女性型なのか。
何故胸を大きくしているのか疑問に思って見ていると、俺の視線に気がついたクイントが体を守るかのように抱きしめた。
「何を見ているのよこのスケベッ!」
顔を赤くして子犬のように吼えるクイントに対し、俺は鼻で笑ってやった。
「ハッ、そんな脂肪の塊に興味はないね。そんなことより、管理局の連中がどうしてクイントを戦闘に不向きな体にしたのか、とそちらが気になってね」
俺がそう言うと、クイントはべーっと舌を出した。
「私は生まれつきこんな体なんです!後から被検体にされたんだから、生まれについては神様に聞いて!」
「神様ねぇ……」
そんな存在がいるなら是非とも聞いてみたいね。
どうして、世界をこんなになるまで放置しておいたのかをね―――
「それよりも、気が付けばクラナガンから大分離れた場所まで歩いてきてしまったみたいだけれど、どうする?」
クイントがそう言ってくるのを片耳に聞きながら、近くの看板に目を通した。
「西部エルセアか……。まだこの辺りは再開発がされてないみたいだな。少し不便だが、ここを少しの間拠点にしよう」
街並みに目を凝らす。
エルセアは管理局地上本部が行っている再開発という名の犯罪率を下げると言う名目の監視しやすい街づくりをまだされていない場所のようだ。
ビル群も民家も、あの不気味なまでに整頓された街並みからは程遠い独自の文化を孕んでいた。
平地に為らされたミッドチルダには珍しい山に、林などの緑も非常に多い。
俺の言葉を聞いたクイントは向日葵のような笑顔で頷いた。
少し歩いた先の林の中に丁度いい感じの一軒家を見つけた。
どうやら長い間放置されていたようで、中はひどい有様であった。
天上には蜘蛛の巣、床はところどころ抜けており、太陽の光が壁の隙間から漏れ出し、室内に舞う大量の誇りを光らせている。
そんな現状を見ても俺はなんとも思うことなく。
室内のおそらくリビングだろう場所にたった一つ残されたソファーにどかりと寝そべる。
それだけで、まるでプールに飛び込んだみたいに埃がソファーから吐き出される。
「ふぁ~……」
そうやって再び眠りにつこうとした俺に対し、クイントが頭を叩いてきた。
「痛い!」
クイントは頬を引くつかせながら、腰に手をやっている。
「どうして兄さんは、そんな場所で寝ることが出来るの?!」
クイントはそう言うと、俺の手を引き無理矢理立たせる。
クイントを見ると、頬を膨らませプンプンと怒っている。
俺はそんなアホ面をしているクイントに対し、頬を押してやった。
その瞬間ぷす~っと情けない音が室内に響いた。
「あっははっははははははは!」
それがあまりにも可笑しくて、俺は腹を抱えて笑い転げた。
苦しい、本当に苦しい。
笑うと言う行動はクイントと出会ってから増えたとは思うが、それにしても今のは最高だ。
理性で止めることが出来ない。
だが、笑い続ける俺に対し鬼の手が乗せられた。
「に・い・さ・ん~~?」
「……ごめんなさい」
あぁそうだったな。
怒ったクイントは本当に怖い。
俺はクイントの気を逸らすために、話題を変えることにした。
「部屋が汚いのが嫌だと言うのなら、俺が綺麗にしてやるよ」
俺はそう言いながら、エルピスを取り出した。
そしてそれを右手に装着しようとしたところで優しくクイントの手が乗せられる。
「これからここに住むことになるのだから、自分達の手で綺麗にしましょう」
「は?何を言っているんだ?これくらいなら俺の力で一瞬だ。そんな無駄な労力必要ないだろ」
そう言って俺は力を行使しようとした。
だが、それはクイントによって阻止された。
「兄さん~?」
「……わかったよ」
「わかればよろしい!」
「はぁ……」
部屋を綺麗にするという無意味無駄な行いは結局夕方までかかってしまった。
「体がいたい、もう動くことすら出来ない……」
俺はそう言いながら、綺麗にされたソファーに寝転がる。
「もぅ、普段から運動しないからそんなことになるのよ?」
クイントはそう言いながら、御盆にコップを乗せて近づいてきた。
手渡されたコップの中を見ると、冷えたお茶が入っているのがわかった。
「金は後どれくらい残っている?」
俺がそう聞くと、クイントは顎に人差し指を当てて思い出すように瞳を上に向ける。
「う~んと、来週までの食費なら確保できてるかな」
「なら、明日からまた始めるか……」
俺がそう言うと、クイントは目に見えて嬉しそうにした。
まったく、コイツはなにがそんなに嬉しいのか。
やってることは、ただの医者の真似事だ。
俺の知識と力があれば、治せないものなんてこの世に存在していない。
そこいらの不治の病なんて片手間で治せる。
それで生活するだけの金が手に入るんだ。
まったくちょろい仕事だよ。
逆に言ってしまえば、その程度のものすら治すことの出来ない今の人間に溜息をつきたくなる。
クイントは善は急げと、鼻歌を歌いながら明日の準備を始めだした。
コイツのこの行動も意味がわからない。
他人なんてのは、とくにふこの時代の人間は救われて当たり前だと勘違いした奴の吹き溜まりだ。
助けてやってその場で感謝しても、次の日には助けられたことすら忘れ、俺達を迫害する。
管理局から逃げる中で学んでいないのか?
ときたま俺はクイントが理解出来なくなる。
コイツはあの場所―――
この世の地獄から連れ出してから変わらずにこんな感じだ。
あれだけの苦痛と凌辱を受けていながら、その博愛精神はどこからくるのか。
まったく理解できない。
俺がそんな風に考えながらクイントを見ているとアイツは何を思ったのか顔を赤くして立ち上がった。
「ちょ、ちょっと外の様子を見てくる。追ってがすぐそこまで来てるかもしれないし!」
捲し立てて出て行ったクイントに対し、俺は溜息をついた。
「外に敵はいないっつうの……」
俺はそう言いながら、空中にいくつものホログラムを浮かばせる。
そこには、今いる場所けではない。
林の外もその外側も、すべて映し出されている。
管理体制は万全だ。
奴らが来たらすぐにわかる。
だから、アイツのあの行動も意味が無い事だ。
ホログラムの一つ一つに目を通していくと、外に出たクイントの姿を見つけた。
クイントは月を見上げると、静かに泣いていた。
俺はそれを見た瞬間に全てのホログラムを消した。
そして状態を起こして部屋を見て回した後、何もないなと思った。
「ふむ……」
「な、なによ……これ……」
部屋に帰って来たクイントは驚きに目を大きくしていた。
それに対し、俺は得意げに胸を張って答えた。
「俺が住むにしてはちと寂しいのでな。家具をすべて揃えて置いた!」
部屋はクイントが出て行ってから一変していた。
何故なら、人が住むのに必要な物は全て揃えておいたからだ。
冷蔵庫にテレビ、空調機にさらにキッチン周りも全て揃えている。
俺の力を使えばこの程度朝飯前だ。
「ふふん!」
さぁクイントよ。
泣いて喜ぶが良い!
だが、クイントは肩を震わせていた。
はははは!
体が震えるレベルで嬉しいか。
そうだろう、そうだろう!
なんて言ったって、俺自らが作ってやったのだ。
嬉しくないはずがない。
クイントは俺にゆっくり近づくと俺の肩に手を乗せた。
「ねぇ兄さん……」
「なんだ妹よ?」
「家具を揃えてくれたのは嬉しいわ。ありがとう……」
「そうだろうそうだろう、もっと俺を誉めろ!」
「でもね兄さん……。この家具達を動かすための電気はどこから用意してるの?」
「そんなもの決まっている。俺達の存在がばれないように、近隣の建物や民家から分けてもらっているんだ!」
「つまり……?」
「つまり、奴らは僅かに上がった電気代を馬鹿だから気が付かずに俺達の代わりに支払い続けるということだ!」
どうだ凄いだろう、と胸を張ると俺の肩からミシリとあり得ない音がした。
「に・い・さ・ん~~~ッ!」
怒っている。
クイントは怒っていた。
「何故だ、何故怒る!?」
「そこに座りなさい……」
「何故だ!」
「良いから、座りなさいッ!!」
自分で磨いたピカピカの硬いフローリングに正座をさせられる。
そこから始まるは説教の嵐。
クイントの気が晴れ、説得するまでに三時間を要してしまった。
この思い出はクイントと俺の話し。
ジェイル・スカリエッティと血の繋がっていない妹との今は無い思いでである。