その声は、何処からとも無く響いた。
バターを熱したフライパンで溶かし込む様に、じわりと沈み込み広がる様に、空間内を満たした。
だが、その粘性を持った音を振り払ったのは、光に飲まれようとしている、クイントだった。
「ぼ、僕……?危ないから……私から……離れて……」
まるでマジックかのように、瞬きの間に姿を現した子供、その子供は気だるげにクイントを見上げている。
その瞳は黄金色に輝き、光と闇の中で輝きの線を生んでいた。
唇が三日月に歪む。
「お前なぁ……、せっかく俺が逃がしてやったのに、何こんなところで馬鹿やってんだよ……」
三日月の口から零れ落ちたのは嘲笑。
その笑みは子供がして良いような表情では無かった。
唯我独尊を体現したような立ち姿、背筋が自然と伸びてしまいそうな威圧感、その存在はクイントにとってひどく懐かしいものであった。
―――のだが
「僕……?お願いだから言うことを聞いて……ね……?」
「はぁ……」
クイントを中心として暴風が巻き上がる。
だが、その子供は―――、止まりはしない。
「まだ俺のISの効果は持続しているか。ならば後天的な付与術式か―――いや、これはリカバリーか。……ったく」
子供は一歩近づく。
魔力の風がその身を切り裂こうが、胸を張り真っすぐに愚直なまでに突き進む。
そして、その右手を、等々届かせた。
「今となっちゃ、これは不要だ。よかったなクイント、お前はまだ―――、生きて良いんだ」
そして子供の右手に虫が集る様にして姿を現した歯車を模した魔法陣がクイントを貫いた。
管理局本局の白く長い廊下、足元を照らす白光が自身の影を霞めていく。
「ティアナ―――」
ティアナが顔を上げればそこには八神はやてがいた。
「なんとかこっちは、助力を乞うことが出来た。シャマルの方も話が纏まり次第こちらに向かうとのことや」
なんとかうまく話が纏まった。
八神はやてはそう考えていた。
ティーノの処遇、さらには今後の在り方、それらは八神はやてが望んだ通りに向かう手筈となった。
つまりは、ティアナとティーノを引き離すことなく。
今まで通りの生活を約束させることに成功したのだ。
だが、ティアナの顔はすぐれない。
いつもの正義感が表面に現れたかのようなキリッとした眉は今では情けなくハの字となってしまっている。
嫌、それどころか疲労の色が色濃く顔に出ていた。
はやてには、ティアナがどうしてそうなってしまったのか見当はついていた。
だからだ。
はやては、ティアナを抱きしめた。
「どうやった?」
優しく語りかける。
急かすでもなく、黙らせるでもなく、先を促した。
「……こちらも、怖いくらいにうまく纏まりました。本当に、よかった……」
「うん」
「でも、私は、あの子の母親なのに……」
「うん」
ティアナがはやての胸元に顔を埋めて来た。
それは、甘えを知らずに育ったティアナの成長のあかしでもあった。
だから、はやては優しく母親のように丁寧に、ティアナを抱きしめ返しその頭を撫でてやる。
「私はッ!!……あの子が、どれだけ苦しんでいたのか知っていたのに!それなのにッ……でもッ……私は、それでもっ」
「分かるよ、ティアナ……その気持ちは、私にも痛いほどわかる」
ティアナは恥も外聞もなく泣き叫んだ。
今までの苦労がその小さな背中から次々と溢れ出してくる。
はやては、その苦しみその物事、ティアナを抱きしめ続けた。
歯車の形をした魔法陣から紅い光が伸びる。
それは一つ一つが糸の様に細く長い、それらが群れを成し腕となってクイントの体を貫いた。
「がぁ……」
その衝撃は、クイントの体内から暴風の源を抉り出した。
だが、クイントはその衝撃に耐えることが出来なかった。
倒れ来るクイントを子供は抱きとめる。
そして、一度だけ優しくクイントを抱きしめると、後方に放り投げた。
「クイント!」
放り投げられた先、そこには未だに尻餅をついた状態のゲンヤがいた。
ゲンヤは放物線を描き飛んでくるクイントを抱きとめる。
「クイント、おいクイント!」
ゲンヤはクイントの名を叫び肩を揺する。
「う、うっく……」
その時、クイントの口から苦悶の声が聞こえた。
ゲンヤはそれを確認すると、万感の想いを込めて、力強く抱きしめる。
やっと、やっと手に戻すことが出来た温もりがそこにはあった。
その様子を眺めていた子供は、ポツリと漏らした。
「……見つけることが出来たんだな」
右手の先には、暴れ回る諸悪の原因。
今だに、逃れようとでも言うのか、爆発的に魔力の奔流を吹き出す。
それは、赤い宝石。
レリックであった。
子供はそれを掲げる。
「ここじゃ、ちと場所が悪い……飛ぶか」
その瞬間、子供は先程と同様、まるで霧の様にレリック事、姿を消した。
「ティーノ!!」
誰かが、その子供の名を叫んだ。
音が死んだ。
そう表現したくなるほどにの無音。
今し方の騒ぎが全てうそで有るかのような静謐。
まず、叫んだのはリインだった。
「ティーノ!」
今すぐにでも駆け出そうとしたリインを、ザフィーラが止める。
「どこに行こうと言うのだ?」
「そんなの!そんなことッ!!」
「落ち着け!!」
強制的にリインを黙らせたザフィーラは、ゲンヤの下に歩みを進める。
そこには、目を覚ましたギンガとスバルもいた。
「お前達はすぐにクイントを病院に連れていけ」
「でも、ティーノは……」
「なに、気にするな」
ザフィーラはそう言うと、ゲンヤ達に背を向けた。
「アレは我らが対処する」
そこには、守護騎士達が立っていた。
今し方目にした光景は、到底信じられるモノでは無かった。
雰囲気のみで言えば、アレはもはやティーノでは無く。
ジェイル・スカリエッティのものであった。
それでも、連れ戻す。
いかに不可能であろうとも、困難であろうとも、為せと言うなら成してみよう。
なにより、我らが主がそう望んでいる。
ザフィーラ達はサポート担当のシャマルがいない以上それを三人に分担するために、各々並列思考を重ねていく。
そして、見つけた。
「捕えた」
ザフィーラ達は転送の準備に入る。
その時、オルランドに肩を貸しながら、転送魔法陣の内部にリインも入り込んで来た。
ザフィーラ達の眼がリインとオルランドに突き刺さる。
その目が語っていた。
今のお前では、足手まといになると―――
だが、リイン達は折れなかった。
折れる訳にはいかなかった。
「私はまだ、アイツに借りを返していないのでね……」
オルランドが痛む体に鞭を撃って答える。
その隣で震えていたリインは、その瞳に力の光を宿しザフィーラ達の瞳を射貫く。
「私は……私は、ティーノのお姉ちゃんです!」
その言葉に最初に噴き出したのはヴィータであった。
「なんだそりゃ?」
シグナムは、リインの肩からオルランドを受け取る。
「では、お前も転送の準備を手伝ってくれ」
そしてザフィーラは、リインの頭を大きな手で一撫でした。
「……では行くか。蒼天の騎士よ」
その言葉に目を開いたリインは、顔に笑みを浮かべた。
「はい!」
皆がそんなリインを見て思った。
もう、この子は大丈夫だと―――。
そして、リイン達は空間を飛翔する。
救うべき者が待つその地に向けて。
リイン達が飛んだ先は、さほど離れた場所ではなかった。
そこは、今までいた場所の直上の樹海の中であった。
風の臭い、土の感触、光の加減からそれを判断する。
だが、何かが違っていた。
穴倉の中に入るまで感じていた感触とこの場所が同一でないと、第六感が告げてくる。
だが、転送先の計算式、その前段階としてのティーノの索敵では、ここだと告げていた。
ならば、何が違うのか。
その答えはすぐ真上にあった。
「な、なんだ……アレは……?」
オルランドが驚愕に瞳を開く。
それに続くようにして、各々が顔を上げた。
そして、見つけた。
見てしまった。
世の理から外れた法、それが与える影響から、森から息吹が消えていた。
そう、空には―――
紅い星が我らを見下ろしていた。