東方project × ONE PIECE ~狂気の吸血鬼と鮮血の記憶~ 作:すずひら
前回のまとめ
・鴉天狗の射命丸文、姫海棠はたての誕生
・ミンク族、トンタッタ族の誕生
濡れ羽色というのはこういう色を言うのだろう。
ただの黒ではない、光の反射でふとした拍子にどこか青にも紫にも緑にも見える色。
全てを吸い込みそうなほどに黒く、しかしどこか透明感があるその色。
そんな色の美しい黒髪と存在感のある大きな黒翼をもつ彼女に、私は一目で恋に落ちた。
いや、この気持ちは恋なのかどうか、自分でもわからないのだけど。
なにせいままで私ときたら恋などしたことがない。
仲間はいるけど、私は珍しい純白の毛並みと特殊な力、そしてなにより泳げないという一族の者にあるまじき欠点のせいで親しい者は、いなかったから。
私は彼女の何に惹かれたのだろう。
容姿ではない、私が初めて彼女を見たのは後ろ姿で、それだけで十分だったから。
声音ではない、私は彼女の透き通るような声やこちらをからかう明るい声を聞く前にはすでに惹かれていたから。
ならばやはり、あの翼、真っ白な私とは正反対の漆黒の翼。
あれが私の心を掴んで離さないのだ。
★
私は、“ミンクの里”に生まれた、狼族のミンクだった。
ミンク族はどの種族同士でも子を為すことができ、子の種族は両親のどちらか、もしくはその先祖と同じになる。
そのため多くのミンク族は自由につがいを作り子をなすのだけど、私たち狼族だけは少し特殊だ。
狼族は基本的に狼族としかつがいを作らず、仲間内での結束が非常に強い。
私は、そんな中に生まれた。
私たちの一族が誇る
私の父様は茶褐色、母様は黒っぽい灰色の美しい毛並みをもっていた。
ところが、そんな二人から生まれた私はなぜだか真っ白い毛並みだった。
白っぽい灰色の毛並みを持つ狼族ならばまだそこまで珍しくはないのだけど、誰にも踏み荒らされていない新雪の降り積もる雪原のような、輝く白銀の毛並みは、いささか以上に異端だった。
私自身はこの白銀の
あまりにも周囲とかけ離れ悪目立ちする私のこの
だから私は小さな頃から、狼族の集落から少し離れた場所に一人で暮らしていた。
両親の家で過ごした記憶がないから、私も覚えていない本当に小さな頃のことだ。
加えて、私がおかしいところはそれだけではなかった。
何度か死にかけ、やっとのことで独り暮らしを始めた頃から、気が付けば私には不思議な力が備わっていた。
周囲に避けられていた私はそれが自分だけの特殊な力だとはなかなか気づけなかったけれど、その力の特殊さを知った時には私はすでに周囲から“
私に備わっていたのは、遠見の力。
もともとミンク族には目がよい者が多いけれど、私の“それ”はそんなレベルではない。
『千里先まで見通す程度の能力』
私はその気になればミンクの里の外に広がる世界すら見ることができた。
千里とは言うけれど実際の距離ではなく単にとても遠くまで見える、といった程度のニュアンスだ。
私自身どれくらい遠くまで見えるのかは知らない。
さらに、私の眼は物理的な障害を苦にせず全てを見通すことができた。
例えば、四方を壁に囲まれた場所でも中を覗き見ることができるし、体の中を透かして血液の流れを見ることだってできる。
この時点で里の者は私に隠し事をできなくなったようなものだ。
他人が隠しているものを、見せたくないものを、覗き見てしまうことができる私の眼は、疎まれ、恐れられた。
そして極め付きに、私は泳げなかった。
狼族に限った話ではなく、イヌ科のミンクに泳げぬ者など居ない。
だというのに私は、足がつくような浅瀬でも水に浸かっただけで力が抜け、溺れることしかできなかった。
本当に小さい頃、二歳にも満たぬ時分には泳げたような気もする。
だけどたぶんそれは記憶違いだろうと自分で思ってしまうほどには、私には泳ぎの才能がなかった。
悔し涙を流し、猛特訓したこともある。
だけども、川や海どころかお風呂で溺れて死にかけた。
溺れると力が抜け、目が見えなくなる。
どうあがいても、犬かきすらできないという現実を突きつけられた。
こんな私だったから周囲からは忌避され、狼族の伝統である五歳の“名付けの儀”も参加させてはもらえなかった。
だから私は小さな頃から名前のない“白銀の悪魔”として狼族の集落から少し離れた場所に一人で暮らしていた。
私に近づかなかった周りの者を恨んだことがないと言えば嘘になる。
ただ、雪に覆われて食べるものがなくなる厳しい冬にはいくらかの食料を分けてもらえた。
なにより血の気の多い狼族のこと、私を殺そうとしなかっただけで彼らは十分すぎるほど私に優しいと言えた。
だから私が恨んだのは、私自身。
おかしな眼も、泳げぬ体も、嫌になった。
いつしか、あれほど誇らしく思っていた白銀の毛並みさえも、憎しみの対象になった。
この呪われた目を抉り取ろうか、泳げぬ無様な四肢を切り落とそうか、異端の白き全身の毛を刈ってしまおうかと、何度考えただろう。
幾度も考えしかし実行しなかったのは、ひとえに私の体が父様と母様からもらったものだからだ。
言葉を交わしたことさえほとんどない二人だけれど、それでも私が自分自身を傷つけるのは、私を産んでくれた親への裏切りに思えてためらわれた。
そうして、一人里の外で暮らすことに慣れ、十二の夏を迎えたある日のこと。
その日、私は狩りを終えて家の前で道具の手入れを行っていた。
すると突然、バサッ、という音がして、黒い何かが空から舞い降りてきた。
まず感じたのは、不覚をとったという苦い思いと焦燥感だった。
特殊な眼を持ち嗅覚も聴覚も人並み以上に優れている私が全く気が付かず、至近距離までの接近を許してしまったのだから。
私はとっさに武器を手に取り振り向き、――運命に出会った。
視界いっぱいに飛び込んできた漆黒の翼。
濡れ羽色をした透き通るような羽。
一目見て、吸い込まれた。
「あやややや、私の家が……?」
その言葉を聞いて、ハッと我に返る。
完全に心を奪われていたことを自覚して、羞恥に顔が熱くなった。
「な、何者だ!」
私の家に自分から近づこうなどという者はミンク族の中にはいない。
里を守る精鋭や、やんちゃ盛りのいたずら小僧ですら、私のことを見ると怯えるのだ。
だからこの得体のしれぬ見事な翼を持つ者は、ミンクの里の敵である可能性が一番高かった。
「おや、その服……? 私の方こそあなたに誰なのか聞きたいところですが……まぁいいでしょう! 私です。清く正しい射命丸です!」
「は、はぁ」
翼の持ち主は、くるりとこちらを振り返って、そう言った。
美しい女性だった。
年は若く、私とそう変わらないように見える。
服装は見慣れないものだけど、とても上等なものだということは分かる。
丸い小さな帽子を頭に載せ白くふわふわの飾りを揺らしているのを、ついつい目で追ってしまった。
射命丸というらしいその人は見慣れない種族だった。
背の翼は鳥のもの、鴉の羽のように見えるが、ミンク族には鳥の特徴を持つ者はいない。
鳥は地上での縄張り争いに負けて空に逃げ、ミンク族になれなかった脆弱者というのが、私たちの認識。
私も、羽毛を持つから食いこそしないが、囀ることしかできない鳥のことはどうでもいいものとして見下している。
だというのに、射命丸というこの女性の持つ魅力は何なのだろう。
「それで、あなたのお名前は?」
「う、あ……」
射命丸は名乗ったままの勢いで、にこやかに私にそう問いかけた。
それで私はと言えば――馬鹿みたいに固まったままだった。
だって、仕方ないじゃないか。
物心ついたときにはすでに親とも離れ、里の者ともほとんど交流を持たなかった生活を続けてきたのだ。
たまに触れ合うときも大概はこちらを疎ましく思うか恐れるか、泳げないことを狼族の恥だと蔑むか、そんな程度のものだ。
だから私は彼女の、輝くような笑顔を、好意を、向けられるのが初めてだったから、慣れなくて、気が動転、体の奥が熱い、なにを考えているのか、彼女の顔から目が離せなくて。
「えっと、大丈夫ですか? 自分の名前言えます?」
なにか、言い返したかった。
でも、私には名乗る名がなくて。
彼女に名乗れる名がないことが、急にとても恥ずかしいことのように思えてきてしまった。
自分で名付ければよかったじゃないか。
“名付けの儀”なんて無視して、適当な名前を付けておけば今こんなにも焦らなくて済んだのに――。
私は自分でも何を考えているのかよくわからないまま、ただ本能に突き動かされて、意地だけでこう言い放った。
「き、貴様に名乗る名などない!」
言い放ってから、しまったと思った。
あんなにも素敵な好意にあふれた笑顔を向けてくれた以上、彼女はきっと敵じゃない。
それなのに、酷い口の利き方をしてしまった。
彼女はこちらの
礼儀も何もなってない。
「あやややや、なんとも厳しい対応ですねぇ」
だけれど彼女は私の冷たい対応を悪く思った様子もなく、からからと笑うだけだった。
……もしかしたら彼女はとてもいい人なのかもしれない。
嫌な目も罵る言葉も向けてこないし、こんな私に笑顔と優しい対応をしてくれるし……うん、きっとそうだ。
「しかしですね、私の記憶違いでなければ、ここは私の家のはずなんですけど。勝手に居ついているあなたはどちらの泥棒犬なんでしょう? その服も私の服ではありませんか?」
「え?」
私の家が、この人のもの?
確かにこの家は私が建てた家じゃない。
小さい頃、両親に疎まれて狼族の集落の中に居場所がなくなって、どうしてもお腹がすいて食べ物を探しに集落の外に出た。
何日か森を彷徨って、魔獣に追いかけられて、ああもうだめだと思ったとき、この家を見つけた。
大きさはそれほどでもなくて、一人か二人が暮らすのがちょうどいいくらい。
結構古びているけれど造りはしっかりしていて雨漏りなどもない。
中には調度品の類はほとんどなくて、本棚と衣装箱、机と寝具があるだけ。
衣装箱の中には私の体にぴったりな服が数着入っていた。
そして隣接した小屋には狩りや漁のための道具があって保存食が大量に保管されてもいた。
気が付けばいつの間にか魔獣はいなくなっていた。
食べ物、服、居場所……その家には私が必要としているものがすべてあった。
だから私は、この家は私のために集落の人が建てたものだと思っていた。
誰もこの家のことについて触れないのは、集落で嫌われている私に表立って生活の支援ができないからだろうって。
それがまさか、この人の家だったなんて。
私は急に怖くなった。
もう十年以上もの間勝手に住み着いて、保存食はすべて食べてしまったし道具もいくつか壊してしまった。
家の中は私の好きなように弄ってしまったし、今着てる服だってこの家にあったものだ。
知らなかった、なんて言い訳は通用しないだろう。
でも私はなにより、こんな私に好意を向けてくれている彼女に、嫌われたくなかった。
「あ、あの、ごめんなさいっ!」
私はすぐさま、謝罪の姿勢をとった。
両手を前に投げ出し、両膝と額を地につける。
顔を伏せ牙を隠し、掌は開き上に向け爪があなたを害することはないという意思表示。
目をつむり耳と尾を伏せ、如何様な処罰も受けると示す。
このまま殺されても文句は言えない……いや、言わない。
私が今まで生きてこられたのは、この家に助けられたからだ。
食べるもの、生きていくのに必要なものはすべてこの家から与えてもらった。
でもそれ以上に、集落に居場所のなかった私にとってこの家は帰る場所を、居てもいい場所を私に与えてくれた。
正直にいえば、子供心に一人でいるのはとても寂しかったんだ、辛かったんだ。
たぶん、あのままどこともなくふらふらと彷徨ってその日その日を森で寝る生活を続けていたら、魔獣に食われるか、心が折れて死んでしまっていたと思う。
そうならなかったのはこの人の家があったから。
だから、私の命はこの人のもの。
邪魔だと言われて殺されても、まぁちょっと残念だけど、仕方ないのかなって思う。
「え、ちょ、そこで謝るの――ってかそれミンク族の“捨命隷従の礼”じゃ……ああもう、頭を上げなさい!」
「けど……」
「しかしも案山子もありませんよ! だいたいそのミンク族の土下座は名前が私に似ているので好きではないのです」
仕方がないので言われた通り顔を上げると、射命丸様は苦々しいというか、どこか呆れたような顔をしていた。
「とりあえず話を聞きましょう。お茶くらいは出してくれるでしょうね?」
射命丸様は半眼になり、そう言ってあごをしゃくった。
確かに射命丸様を家の前でいつまでも待たせるのなどもってのほかだった。
お茶はあまりよいものは持っていないけれど、いつも飲んでいる薬草茶ならある。
「はい、すぐに!」
★
久しぶりに生まれ故郷に帰ってきた。
何年ぶりだろう、少なくとももう十年は帰っていない。
しかし、鴉天狗は妖怪の一種で寿命が長い(お母さ……フランさんにもわからないらしい)から、数十年ごとにでも里帰りをする私はむしろマメな方だと思う。
はたてなんてミンク族の里を出たっきり一度も戻ってないらしいし。
トンタッタ族のことを私に押し付けておいて、結局自分でもたいしてミンク族の世話などしていないのだ。
それはさておき私はと言えば、ミンクの里への里帰りはそれなりに楽しみだったりする。
小さいときからずっと見守ってきたし、獣人ということで鴉天狗の自分と多少親近感もある。
まぁ、鳥のミンク族はいないので彼らからしたら私は異物でしかなく、人前に姿を現しにくいのが残念だけど。
里の上空をぐるりと一周して特に異常がないことと里の発展具合を確認し、隠れ家の前に降り立つ。
しかし、そこで異常に気が付いた。
見た目が少々変わっているし、軒先に野菜が吊るされていたりと生活感がある。
「あやややや、私の家が……?」
「な、何者だ!」
少しだけ驚いた。
振り返れば、そこにいたのは白き狼――のミンク族の少女。
いや、元の色は白なのだろうけど、薄汚れていて茶色い。
髪はぼさぼさ、毛並みも汚れて乱れていておよそ
「おや、その服……?」
そんな浮浪者のような恰好をしているのになぜか服だけは綺麗で清潔感が――ってあれ私の服だわ。
小さい頃に私が着ていた、フランさんからもらった服だ。
あれは妖力で作られていて汚れを付着させない魔法もかかっているからきれいなのは納得できる。
しかしなぜ。
この家は一般人が近づけないようにとフランさんが結界を張ってくれていたはずなんだけど……。
少女は手に大剣と盾を持ち、生気がなくほの
俯きがちでわからなかったけど、やたらと目つきが剣呑だ。
まぁまずは友好的に出るべきか。
「私の方こそあなたに誰なのか聞きたいところですが……まぁいいでしょう! 私です。清く正しい射命丸です!」
「は、はぁ」
狼の少女は困惑したような声を上げた。
こうやってこちらのペースに巻き込んで主導権を握るのがいつもの私のやり方。
もちろん、営業スマイルも忘れない。
「それで、あなたのお名前は?」
「う、あ……」
ところが、少女の反応はこちらの予期していたものとは異なった。
耳はピーンと立って緊張し、口をもごもごと開閉させ、顔は赤くなっているように見える。
なんだろう、人見知りか?
「えっと、大丈夫ですか? 自分の名前言えます?」
言ってから、少し煽るような言い方になってしまったのを後悔した。
純粋な心配だったんだけど、私はどうもこういう言い方をしてしまう癖がある。
いつもはまぁそれも個性と割り切っているけれど、人見知りかもしれない気の弱そうな少女を相手にはまずかったかもしれない。
「き、貴様に名乗る名などない!」
おや、また予想した反応と違う。
随分と鋭い目つきで睨まれた。
なんだろう、この子の性格がいまいち読めない。
「あやややや、なんとも厳しい対応ですねぇ」
異邦人の私を警戒しての行動だろうか。
ならば、互いの立ち位置をはっきりさせて上下関係を叩き込むか。
一応里からすれば私も不法侵入者だけど、そこは勢いでごまかしてしまおう。
「しかしですね、私の記憶違いでなければ、ここは私の家のはずなんですけど。勝手に居ついているあなたはどちらの泥棒犬なんでしょう? その服も私の服ではありませんか?」
「え?」
少女は剣呑な昏い目から一転、きょとんとした丸い瞳ででこちらを見た。
まぁ長いこと家を空けていたし、こちらが突然現れて家主だと名乗っても効果は薄いか。
なにか家主の証明になるようなもの持ってたかな。
私がそんなことを考えていると、少女の顔色が次第に変化していった。
見てわかるほどに青褪め、目はせわしなく泳ぎ焦燥に駆られている。
なんだ、なんでこんな急激な反応を?
「あ、あの、ごめんなさいっ!」
「え、ちょ、そこで謝るの……」
だめだ、この子が何考えているのか本気で分からない。
さっきの威勢のよさはなんだったんだ。
しかも、ただ口頭で謝るだけにとどまらず、突然地に膝をついて土下座をし始めた。
気が弱いなら責められてこの反応もわかるけど、そうなるとさっき言い返してきたのは本当になんだったのかっていう。
「ってかそれミンク族の“捨命隷従の礼”じゃ……ああもう、頭を上げなさい!」
「けど……」
「しかしも案山子もありませんよ! だいたいそのミンク族の土下座は名前が私に似ているので好きではないのです」
驚いた、まさかこんなところで“捨命隷従の礼”を見ることになるとは。
両手を前に投げ出し、両膝と額を地につける最上級の謝罪の姿勢。
牙、爪、目、耳、尾とミンク族にとっての武器を放棄し、如何なる処罰も受けると示すもの。
その名の通り命を相手に捧げる礼で、この場で殺されることはおろか、私が命じればこの先の一生を私に仕えて過ごす奴隷のような立場になることも拒否できない。
全ての誇りと自死の権利すらを捨てさせる、自殺よりも重い礼だ。
ああもう、心臓に悪い。
こいつ、この礼の意味ほんとにちゃんとわかってやっているんだろうか。
ほんとに何考えてんだかわからない。
……ひとまず、空気を変えたい。
「とりあえず話を聞きましょう。お茶くらいは出してくれるでしょうね?」
「はい、すぐに!」
私がそう言うと、彼女は大剣と盾を放置して走って家の中へと戻っていった。
片づけておこうかと手に取ると、大剣と盾は融合するように一つになり、一振りの刀へと形を変えた。
とりあえずそのまま家の隣の物置小屋に立てかけておく。
懐かしいな。
これは私が小さい頃に美鈴さんに剣術を教えられた時に使っていたものだ。
持ち主の魂を模した形状に変化する剣で、私の場合は“刀”だった。
昔はよくわかっていなかったけれど、風を操り、如何なるしがらみにも囚われない鴉天狗の身としては、鋭く何よりも疾く、全てを一振りで断ち切る刀というのはまさにその通りだったんだなと感心してしまう。
まぁここ百年ほどは刀なんて握っていないけれど。
だいたいのことは羽団扇でなんとかなるし、代わりにペンを握っているというのもある。
ペンは剣よりも強し、ってね。
「さてと、いったいどういうことなのか」
里帰り早々に気が重くなる事態だが、とりあえず事情を知らなければならない。
この家の持ち主としても、一人の新聞記者としても。
「お邪魔しますよ」
声をかけて家に入る。
自分の家にお邪魔しますと言うのはなんだか奇妙な感覚だ。
家の内装も結構様変わりしていた。
私はたまに来ては数日から数週ほど滞在するだけだったのでこの家の内装は最低限の物だけを置いた殺風景なものだった。
ところが、今は随分と生活感にあふれている。
また手作りの物が多いようで、家具や小物なんかは歪だったり不格好だ。
「あの、少し待って」
少女はかまどで火を熾しているところだった。
そういえばお茶を出せと言ったっけ。
別になくてもかまわないけど、まぁ用意してくれるというならありがたく頂こう。
「ええ、構いませんよ。しかし、その汚れた状態でお茶を淹れてもらうのはあまり気が進みませんね。手くらい洗ったらどうですか?」
「あ、その、ごめんなさい、すぐに洗ってくるっ」
そう言って少女は外へ駆け出して行った。
すぐそこに水甕があるのに……まぁ泥汚れを落とすなら外の方がいいか、近くに川もあったはずだし。
それにしても警戒心がないというか、もし私が家主を騙った泥棒ならどうするんでしょうね。
性格が読めないこともそうだけど、情緒不安定というかなんだか見ていて心配になる子だ。
ややあって少女が戻ってきた……が、多少マシになったかという程度でまだ薄汚れている。
服を脱いで全身水浴びをするというわけにもいかないし、石鹸の類を持って出たようにも見えなかったから当然なところもあるが。
まぁ私はそこまで潔癖症というわけでもないし、おかしなものを口にしたところで体を壊すような軟弱な鴉天狗でもないから言わないでおく。
「あの……どうぞ」
少女は沸かした湯で茶を淹れ、私の座るテーブルに置いた。
そして、一つしかない椅子に座るかどうか迷っている。
まぁ私は空気椅子をしているので困惑も仕方ないか。
足一本でしゃがみその上に胡坐をかくように座るこの姿勢を私は勝手に“天狗座り”と呼んでいる。
まぁ私しかやっているのを見たことはないけれど、これが案外落ち着くのだ。
頬杖もつけば数日くらいはこの姿勢でも全く疲れない。
その前に飽きるだろうけど。
「どうぞ、座ってください。それでは話を聞かせてもらいましょうか」
逡巡していた少女だが、私の言葉に素直に従い席に着き、これまでの経緯を話し始めた。
なんだかやけに従順になっている。
捨命隷従の礼、あれは本気だったとでもいうのだろうか。
私が死ねと言ったら本当に死にそうで、うかうか軽口も叩けやしない。
★
「はぁ……まさしく一匹狼というわけですか」
すっかり温くなってしまったお茶をすする。
ぐ……とんでもなく苦い。
普通のお茶じゃなく薬草茶か、健康志向でなによりで。
……私は今ひっじょーに苦々しい顔をしているだろう。
これはなにも薬草茶のせいではなく、少女から聞かされた話がとんでもなく重いものだったからだ。
記者の習い性で手帳にメモを取っていたのに、途中で手を動かすのをやめたほどに。
少女――名はない。
名を付けられる前に親に捨てられたそうだ。
ミンク族は良くも悪くもその
それはそうあれかし、とフランさんが作ったのだから当然のこと。
しかし、この少女は特異な毛を持ち同胞から異端視された。
普通ならばそのまま野垂れ死んだことだろう。
ところが偶然にも私の隠れ家を発見してしまった!
きっとその時、こいつは本当に死にかけ、動く死体のような状態だったはずだ。
なにせこの家の周囲には“生者の通過を許さない結界”が張られているのだから。
あろうことかこいつは偶然にも結界をすり抜け、そのままこの家の住人として登録されてしまったのだ。
そして、特殊な眼とやらはおそらく悪魔の実。
泳げないというのにも合致する。
これは推測だけど、この家の食糧庫でそれとは知らず食べたんじゃないだろうか。
この家はフラン様が魔法をかけたり私がちょくちょく訪れたりと、普通の場所より妖力は溜まりやすいし、自然発生した可能性は十分にある。
で、そのまま今日まで生きてきたわけだ。
……これを他の里の住人から見たらどうなるか。
幼少期に捨てた異端の赤子。
すぐに魔獣の餌にでもなると思っていたところなぜか生き延びている。
後をつけてみても森の中で忽然と消える。
いつしかすべてを見通す目を手に入れていた。
狼族ならできて当たり前の泳ぎができなくなっている。
うん、これ完全に悪魔に呪われたとか思ってるわ。
しかも悪魔の実が関係してるからあながち間違いでもないのが笑えない。
そして、あろうことかこいつは今まで受けてきた迫害について何も気づいちゃいない。
冬にもらったという食料だってたぶん生贄代わりのお供え物かなんかだろうし。
話を聞いているだけの私でもイライラしてくる扱いなのに、こいつときたらとんだお花畑だ。
……いや、そうならざるを得なかったのか。
気づいてしまえば心が折れるから、無意識に目をそらしているのか。
その代わりとでもいうように、銀色の毛はくすみ、その瞳は混沌を煮詰めたかのように昏く濁っている。
自分に自信がない、どころか全く価値を認めていない。
壊れかけの一匹狼。
あーもう、なんでこんな暗い話を聞かなきゃならないの。
私はもっと笑えるような話が好きなんだけどなぁ。
「とりあえず、事情は分かりました。勝手に家に入ったことも物を使ったことも何も咎めはしませんよ」
「え、射命丸様? しかし……」
「だーかーらー、しかしも案山子もありません! 口答えしない!」
「は、はいっ!」
反射的に返事をしたものの、まだ納得がいっていない目だ。
自分が犯した罪に対して、罰を求めている。
ああもう、こんな話を聞かされて辛く当たれるとでも思っているのか。
……まぁできるのが問題なんだけど。
「……では、罰を与えます。これから先この家の管理を住み込みで行うこと。それと、私は数日ここに滞在するので、その間私の身の回りの世話をすること。いいですね?」
「はいっ! ……ん、あれ?」
少女は罰にもなってない罰で混乱している。
なにせいままで自分がやってきたことをそのまま続けるだけなのだから。
まぁ、このまま流れで押し切ってしまおう。
「では改めまして、私は射命丸文。しがない新聞記者の鴉天狗ですよ。どうぞよろしく、私の召使いさん?」
そう言って営業スマイルでにっこりと笑う。
召使い扱いでどんな反応をするかなと思っていると、少女は見てわかるほどに赤面した。
押し切られたことに怒ったのか?
それにしては尻尾がせわしなくぶんぶんと横に振られていて、やはりイマイチ何を考えているのかわからない。
近頃接する相手は皆、私に嫌悪の感情しか向けてこなかったから……何を考えているのかわからないこの子の相手は逆にやりにくい。
嫌いって言うほど知っているわけでもないけど。
なんというか、私はこの白狼が――苦手、かもしれない。
狼族のミンク
原作にはまだ狼はいなかったような。
色々捏造です、いたらごめんなさい。
月夜の戦闘力はミンク族の中でも最強。
迫害もみじ
なんでこうなったんだろう、気づいたら迫害されていた。
結構心を病んでしまっている。
もみじもみもみ。
捨命隷従の礼
いわゆる五体投地に似た土下座。
お腹を見せて寝転がる犬の、俗に言う“服従のポーズ”と迷ったんですが。
足一本でしゃがみその上に胡坐をかくように座る姿勢
東方緋想天の文のしゃがみモーションのこと。
かわいい。
生来の人を食った態度のせいで好意に鈍い鈍感系な鴉天狗と自分に価値を認められない盲目的な壊れかけの白狼の話。
なんだけど駆け足すぎて文の性格とか普段の行動とか描写できなくてもやっとする。
でもこれ以上話数をかけるとまた原作が遠のくから泣く泣くカット……。
早く原作にたどり着きたいけどたどり着いたら終わるからなんとも悩ましい。
一応二人とも結構な重要人物(になる予定)なので長い目で見てくださいな。