大陸沿岸部に存在する城塞都市フォルトゥナ。
周囲の国々とは距離を置くこの街では、他の文化とは全く異なる独自宗教が信仰されていた。魔剣教団と呼ばれるその信仰組織は、かつて人々のために戦ってきたとされる悪魔の魔剣士スパーダを神と崇め、それ以外の悪魔を排除することを教義としている。
魔剣教団に属する青年、ネロはある日から突如として右腕が変わってしまった。その身に宿した力は神をも超える――悪魔の力――
「何だここは?」
目に映る光景にネロは呆然とそう呟いた。彼が立つ地はフォルトゥナとは全く違う別の地。石畳で作られた大通り、レンガの建造物、至る所に建てたれた商人の店。
そして街を歩くのは老若男女様々だが、見た事のない生物がネロに警戒心を持たせる。荷車を引くのは馬よりも大きなトカゲ。右へ左へ首を振れば、人間とは違う種族が二足歩行で闊歩している。
爬虫類、獣、鳥類などなど。
「どうなってる、フォルトゥナじゃないのか!? 地獄門の残骸を処理してたら、どうしてこうなってる!」
怒鳴るネロだが声は空へと消えるばかり。幸いにも‘右腕‘にはグローブを嵌めており、誰かにばれる事はない。レッドクイーンとブルーローズも魔剣教団の紋章が描かれたアタッシュケースに入れており、ネロはそれを右手に持っている。
「とにかく動いてみるか。まさかこんな所が魔界だなんて言うんじゃねぇだろうな」
アタッシュケースを片手に動き出すネロは街を歩き出す。一八〇センチを超える身長に銀の髪の毛は人の目を引いた。好奇の目を向けられながらも大通りから歩き出すネロ、その彼を影から見つめる少女が一人。
「ンッフフ! 珍しい成りをしてる男、って事はあの荷物も珍しい物って事だ。たった1個宝石を盗んだだけじゃ心許ないし、もう一仕事行きますか!」
口元に笑みを浮かべながら影から飛び出す少女は人混みの中を駆け抜ける。
セミロングの金髪を風で揺らし、何年も着古し埃に汚れた服を来て、少女は獲物を射程圏内に収めるとまたも笑みを浮かべちらりと八重歯を覗かせた。
音もなく忍び寄る少女の存在にネロは気付く事ができない。瞬時に少女は巨大なアタッシュケースの取手を奪い取った。
「も~らいッ、そしてさら――」
「さらば」と言おうとした瞬間、少女の体は地面に引っ張られる。正確には奪ったアタッシュケースに引っ張られ、10歩と歩かぬ内に動けなくなってしまう。
掴んだ筈のアタッシュケースは石畳の地面の上に付いていた。
「重てぇ! 何だこれ、見掛け倒しかと思ったら本当に重いぞ! 両手使っても動かせねぇ!」
取手を両手に握り、小さな体で全体重を掛けてようやく数ミリ動く程度。何度か繰り返してる内に額には汗が滲む始末。
そんな事をしてる間に本来の持ち主であるネロはすぐ傍にまでやって来た。
「俺の物盗むだなんて良い度胸してるな。オイ、クソガキ!」
「お前、この中に一体何を入れてるんだ? 岩運ぶみたいに動かねぇぞ」
「教えてやる義理はないね」
ネロは少女が苦労してようやく数ミリ動かしたアタッシュケースを右腕だけで簡単に持ち上げた。そして見下ろす視線は子どもに向けるモノとは思えぬ程に鋭い。
「まぁ、簡単に取り返せた訳だけど。只で済むと思ってるんじゃねぇだろうな?」
「あ……アハハ……逃げろッ!」
「待ちやがれ!」
逃げる少女を走って追い掛けるネロ。けれども小柄な少女は人の間を縫うようにして簡単に抜けて行く。
一方でネロは多少強引に人の肩にぶつかりながらでも逃げる少女の背中を追う。それでも次第に見える背中は小さくなっていく。
「クソッ、このままじゃ追い付けない。アレやるか……」
ネロはアタッシュケースを左手に持ち帰るとグローブの嵌められた右手をレンガで作られた建造物の屋根に向かって伸ばした。するとどうだろう、彼の体は何かに引っ張られるようにして大きく飛び上がる。
風になびく黒いロングコート。一瞬の内に屋根まで飛んで来たネロはそのまま右足で蹴ると向きを変えてもう1度右腕を伸ばした。またも何かに引っ張られるようにして彼の体は飛んで行く。
少女は逃げながらも振り返りざまにその光景を目にしており、思わず思いの丈を叫ぶ。
「なんじゃそりゃ! アイツ、呪術師だったのか? だとしてもそこまでして追い掛けて来るかよ」
「もう`手の届く距離`まで来たぜ」
「冗談、まだ三メートル以上離れてる」
走る少女はそのまま狭い狭い路地裏へと進路を変え、小柄な体型と身軽さを駆使して更に速度を上げる。
目の前には三人の男がたむろって居たが、少女は一切気にせずジャンプすると男の頭部を踏み台にして飛び越えていく。
「ガァッ、何しやがる!」
「悪ぃ、後から来るソイツ頼んだ!」
一言だけ言い残すと少女の姿は遠くへと消えて行く。その頃ネロは路地裏の入り口に辿り着き、広い肩幅が壁に当たらないようにして走っていると三人の男と遭遇した。
男達の見た目はみすぼらしく、穴の空いた服に泥に汚れたズボン。一人は大柄、一人は細身、一人は子ども。
「チッ、逃がしたか」
「逃がしたか、じゃねぇよ! テメェのせいで俺は頭踏み付けられたんだぞ!」
細身の男は前に出ると鋭い視線をネロに向けてメンチを切る。けれどもネロにとって只のチンピラなど造作も無い相手。この程度の事でビビる事など絶対にない。
「だったら何だ? 文句があるならあのガキに言ってこい」
「今の俺は気が立ってるんだ。グダグダ抜かすならぶっ殺すぞッ!」
「ぶっ殺す……ねぇ。殺せるモンなら殺してみな」
苛立つ細身の男を冷めた目で見るネロ。男はその態度を受けて額に青筋を立て、懐から銀色に輝くナイフを取り出した。
一触即発、空気の流れる音さえも敏感に感じ取る。
敵意をむき出しにしてナイフを構える男に、それでもネロは危機意識を感じおらずさっさと終わらせようと足を1歩踏み出した。
すると突然、背後から可憐な少女の声が路地裏に響き渡る。
「それ以上の狼藉は許さないわ!」
チンピラ三人が視線を向け、ネロが振り返った先、路地裏の入り口には1人の少女が立って居た。
腰まで届きそうな長い髪の毛はネロと同じ銀色。白いコートを身に纏い、まだ10代と思われる少女からは高貴さが伝わって来る。
「なんだぁ? 俺は今気が立ってるって言ってるだろ! お前も殺されたいのか!」
「アナタ方に殺されるつもりはありません。でも、そっちがそうすると言うのなら私も少しは抵抗しますよ?」
「よぉし、だったらテメェから血まみれにしてやるよッ!」
ナイフを持つ男はネロを後回しにして女の方ヘ向かおうとする。が、攻撃するかに思われた男を大柄の男が背後から取り押さえた。邪魔された事に苛立ち、更に暴れる細身の男だが、大柄の男はそれでも彼を押さえ付ける。
「何してんだよ、オイ! 邪魔すんな!」
「落ち着け、良いか落ち着け? あの女の服、もっと良く見てみろ」
「服だと?」
「そうだ服だ。コートでも良い。何が見える?」
三人の男が向ける視線、ネロもソレに合わせて少女の服を見た。チンピラ達とは違い、その白い生地はシミひとつなく、その外観から質の良さを感じさせる。コートの袖の部分には刺繍が象ってあり、鷹のような紋章が描かれていた。
ネロは紋章を見ても何1つとして反応を示さないが、細身の男は見た瞬間に顔を青ざめている。途端に口もガタガタと震えだし、握るナイフを素早く懐に戻すと弁明を始めた。
「待て、し、知らなかったんだ。さっきの事は謝る。いや、謝ります! だから見逃して下さい!」
「そう、話が早くて助かったわ。でもアレだけは見逃せません。すぐに返すと言うのなら見逃します」
「返す? 返すって何をだ?」
「とぼけるつもり? 私から盗んだモノを返して下さい。これ以上とぼけると言うのなら、実力行使に出るしかありませんが?」
諭すように話し掛ける少女だが、その言葉には怒気が孕む。鋭い視線を向けて差し伸べられる手。けれどもソレは彼らに向けられたモノではなく、目には見えない何かが向けられている事に全員が気が付いていた。
「待ってくれ待ってくれ待ってください! 俺達は何も盗んでない、本当だ! 盗んだって言うなら……そうだ、さっきの女だ!」
「さっきの女?」
「そうだ、あの速さならもう通りを三つは抜けてる。追い掛けるなら急いだ方が良い」
小さな顎に手を当てる少女は数秒考えると、細身の男の言葉に納得して差し向ける手を下ろした。
「わかりました。アナタの話を信用しましょう」
「だったら――」
「ですがこの状況、見過ごす訳にはいかないの。一人を相手に三人ですか」
安堵の表情を浮かべた男だが、次の時にはまた表情が曇る。けれどもそれ以上に、ネロは無視されたまま訳のわからない話をされる事に嫌気が差した。
「オイ、話はもう終わりか? 嬢ちゃんはさっきのクソガキを追い掛けてるんだろ? だったらさっさと行けよ」
「で、ですがアナタは――」
「こんなチンピラに俺が負けるかよ。ほら、どうした? 俺の事をぶっ殺すんじゃなかったのか?」
ここまで来てネロの事を庇おうとする少女に呆れながらも、まだ目の前に居る3人の男に向かって挑発する。
少女の事を相手にせずとも良くなった事の現れか、細身の男はまたナイフを取り出し、その鋭い切っ先をネロに突き付けた。
「あぁ、そうだよ。ぶっ殺してやるよッ!」
ナイフを突き付け、そしてがむしゃらに突っ込んで来る相手。魔剣教団で訓練を積み、そして天性の才能を持つネロにとって、この程度の男に負ける可能性など皆無。
半身を反らすだけで簡単に攻撃を避け、突き出される右腕を空いた右手で掴み、そして捻り上げる。
「イデデデデッ!」
「おととい来な」
痛みに耐え切れずにナイフを落としてしまい、大柄の男に目掛けてそのまま突き返されてしまう。
「ぐあぁっ!? あ、アイツ強い」
「さっさとずらかるぞ!」
細身の男を抱いて大柄の男は一目散に逃げ出して行く。だが1人、子どもだけは納得がいかない様子でネロの事を睨みつけ、そして落ちたナイフを拾うとまた策もなしに突っ込んで来る。
「俺達の事を舐めるんじゃねぇ! お前なんか――」
全て言い終わる前に右足が顔面にクリーンヒット、子どもの体は空に飛び上がり逃げ出した二人に真上から落下して行った。
事もなく三人を撃退したネロ、少女はその手腕に息を呑む。
「ちょっとやり過ぎたか? まぁ大丈夫だろ」
「お強いのですね」
「あんな奴らに手間取ってたら生き残れねぇよ。それより俺に用はないんだろ? さっさと行けよ」
「そうでした。では、また機会があればお会いしましょう」
お辞儀をする少女はそう言うとネロの隣を歩いて行く。通り過ぎる瞬間、少女は視線をネロが握るアタッシュケースに書かれた紋章に向けた。
(見た事のない紋章。只の模様? それにあの銀髪、まさかね……)
少女は疑問に思いながらも本来の目的である徽章を取り戻す為に歩を進める。一方、1人になったネロはもう1度だけ周囲を見渡した。
中世のヨーロッパにタイムスリップしたかのような建造物の数々。フォルトゥナにも昔からの建造物は数多く残っているが、それでも電気や水道などのライフラインは全ての地区で完備されている。
娯楽品も島の外へ出れば買う事ができたし、ネロも音楽プレイヤーやヘッドフォンを使ったりしていた。
けれどもこの土地ではそう言った近代技術が全く見当たらない。
井戸で水を汲み薪で火を作り見た事のない生物が荷馬車を運んでいる。
「タイムスリップしたにしては変だよな。魔界……とも思えない。取り敢えず適当に歩くか。帰る方法を探さないとな」
アタッシュケースを右手にネロは人混みに混じって進み始めた。帰る手掛かりが簡単に見つかる事はなかったが、短い時間ではあるがこの土地の事は少しずつわかり始める。
まず1つ目が言葉。相手が何を喋っているのか理解できるし、自分の言葉を相手も理解する事ができる。今までに出会った人とも問題なく会話する事ができたのでそこは心配しなくても良い。
次に文字。街を歩いていればそこかしこに看板を見る事ができる。看板には当然文字が書かれているが、そのどれもが象形文字のような形をしており全く読み解く事ができない。
そして最後に通貨。フォルトゥナではドル通貨が基本だった故にネロの財布にもドル紙幣と硬貨しか入ってない。
「にしても何にも食ってないから腹減ったぜ。ドルで買えるとも思えねぇけど、ダメ元で行ってみるか」
ロングコートのポケットから通貨を数枚握ると最初に目に付いた売店へ足を運んだ。陳列された商品を見てみるとリンゴやオレンジなどフルーツが大量に置かれている。
「食い物は普通なのかよ。増々訳がわからねぇ」
「らっしゃい、兄ちゃん! 何にする? 今日は市場から取り寄せたばかりだからな。どれも鮮度が良い!」
「悪いんだけどよ、オッサン。これで買う事できるか?」
威勢良く話し掛けてくる店主に申し訳なさそうに右手を差し出すネロ。グローブの嵌められた手の平には銀色の一〇セント硬貨が四枚。
初めて見る硬貨を店主はマジマジと眺め、唸り声を上げながら腕を組む。
「う~ん、見た事のないコインだな。銀貨とは違うようだし」
「だろうな」
「ウチは物々交換はやってないんだよ。他所も同じだ」
「ならどこか換金できるような所はあるか?」
「それならロム爺の所に行けば良い」
「ロム爺?」
「まぁ外から来た兄ちゃんは知らないか。貧民街の1番奥に屋敷を構えてる。まぁ、ボロっちいけどな。そこに行けば金に変えてくれるよ」
「そうか、助かった。所で貧民街って……」
「あぁ、悪い。西の方角、あっちに向かって真っ直ぐ進めば着くよ」
店主は貧民街の方向に指を指すとネロもその方向を見た。一〇セント通貨をロングコートのポケットに戻すとロム爺なる人物の元に向かって歩きだした。
以前に書いた短編を長編に切り替えた作品です。
あまり書き溜めていないのですぐに更新が追い付かなくなると思いますが、楽しんで読んでいただけると嬉しいです。
どのようなご意見、ご感動でもお待ちしております。