「凍結中」織斑さん家の奇妙な共同生活。   作:よし

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番外編?2

 

 

 

 

 古美門事務所で一人用のソファーに腰を下ろした黛は新聞に書かれた記事を読みながら不満気だった。

 

「何をお読みになっているんですか、黛先生」

 

 ティースタンドにプチカップケーキやスコーンを盛り付け終えた服部は、テーブルに紅茶とクッキーを置いて、黛に質問した。

 

「これですよ、これ」

 

 黛は持っていた新聞を服部に手渡すと、先ほどまで自分が読んでいた記事を指さした。

 

「企業のセクハラ問題ですか」

 

「最近、多いんですよ。女性の地位が向上したとは言ってもまだまだ待遇には問題があるんです。男女平等には程遠いです」

 

「確かにそうかも知れませんな。おや、これをお書きになった方は……」

 

「はい。女性の人権問題に尽力されてる宇佐美杏子先生です。私がとっても尊敬している人なんです」

 

「それはそれは」

 

「とにかく各企業には上辺だけではなくてちゃんとした対策を取ってもらいたいです」

 

「では黛先生もセクハラのご相談を受けられてはどうですかな? そういった弁護士の方が増えることは世の女性にとって心強いのでは?」

 

「そうしたいんですけど、あの人は絶対に受けませんよ、そんな仕事」

 

 服部は何も言わなかったが黛の言葉に納得したようだった。

 事務所の上からガタンと物音が聞こえた。

 

「ふぁ〜」

 

 あくびをしながら寝癖をつけた古美門が降りてきた。

 

「古美門先生、おはようございます」

 

 古美門に挨拶をした服部は彼の朝食をダイニングテーブルに用意する。

 

「もう11時ですよ。いつまで寝てるんですか」

 

「うるさい。ここは私の事務所だ。よって何時に起きようが私の自由だ。文句があるならクビだ」

 

「規則正しい生活をして営業時刻は守ってください。私だってちゃんと出勤してるんですからね!」

 

「私は美女との夜の営みで忙しいのだ。夜の付き合いどころか、まったく男っ気の無い君と同じにするな、がに股」

 

「なっ! せ、セクハラですよ!」

 

「せぇくぅはぁらぁ? 自意識過剰まで付け加わったか」

 

「訴えますよ!」

 

「やってみたまえ、叩き潰してやろう。服部さぁーん、朝食の前に腰のマッサージをお願いしまーす」

 

「御意」

 

 古美門は腰をくねくねと動かしながら黛がどいたソファーへと倒れこんだ。

 

「ここでしょうかな?」

 

 凝りの度合いを確かめながら腰のツボを丁寧にゆっくりと刺激してゆく。

 

「もう少し上でぇす。……おぉ、そこです、そこ!」

 

「かなり凝っておられますな」

 

「最近は激しかったものでぇうふふふぅ〜」

 

 古美門に勝ち誇った目で見下された黛はやり場のない怒りをどうにか押さえ込んでドカリとソファーに腰を戻した。

 

 ジリリリリン。

 

 電話が鳴る。腰を上げた黛よりも早く服部が受話器を取った。

 

「はい。古美門法律事務所でございます」

 

 事務所にかかってきた電話にもかかわらず当の古美門は高級外車の特集が組まれた雑誌を脚をバタつかせて熟読していた。

 

「古美門先生。お仕事のご依頼です」

 

 ようやく雑誌を畳んで起き上がる古美門。

 

「どんな内容ですか?」

 

「どうもセクハラについてのご相談のようで……」

 

「断ってください興味ありませ……」

 

 その時、古美門の言葉を遮るように黛が服部の手から受話器を奪い取った。

 

「お受けします!」

 

 セクハラの被害を受ける女性を救いたいと考える彼女にしてみれば願ってもないことだった。

 先程の古美門への恨みも幾分かは含まれているかも知れたいが。

 

「受けました」

 

「受けましたじゃなぁーい! 何を勝手なことをしとるんだお前は!」

 

「か弱い人々を救うためです。先生、私とともに正義の弁護士に生まれ変わりましょう!」

 

「クビだー! 今度という今度は絶対に許さん! クビだクビだクビだクビだぁぁー!!」

 

「いいですよ、でもこの件は先生一人でやってくださいね」

 

「バカをぬかせ。君が受けたゴミ案件だ、荷物と一緒に持っていけ」

 

「本当にいいんですかぁ?」

 

「何なんだその態度は、このポンコツがに股ちょうちんパンツのペチャパイ女!」

 

「それは完全にセクハラです!」

 

 彼女は了承だけして服部へ受話器を返した。

 

 ざまあみろ、黛はそう思った。

 

 

「服部さん、クライアントは何て?」

 

 電話を切った服部はなぜだかバツが悪そうにメモを持ってきた。

 

「服部さん?」

 

 黛と古美門にもその空気は伝わったらしく、口げんかを止めて、服部に視線を向けた。

 咳払いをした服部が口を開く。

 

「それがですな。詳しい話をお聞きしたところ、依頼人の方は、どうやら訴えられた方のようでして……」

 

「へ?」

 

 なんとも間抜けな声が漏れた。

 

「ふははははは。内容も聞かずに受けるからだ幼稚園児。それで服部さん、依頼人はどこの誰です? 貧乏人でしたら私は留守です」

 

「宮本ファッションの宮本社長ご本人でした。訴えられた部下の方の代理のようで、古美門先生にぜひとも力になってもらいたいとおっしゃっていましたが」

 

 宮本ファッションといえば日本を代表する巨大アパレル・ファッション企業である。

 その言葉に古美門の脳味噌はフル回転し、ある答えを導き出した。

 

「社長本人が出てくるとは、よほどの逸材か七光りか。よし、受けるぞ、この裁判は金になる。黛君、書類の準備だ。服部さんは再度、宮本社長へ連絡して日程の調節をお願いします」

 

「かしこまりました」

 

 某然と立ち尽くす黛の肩に手をかけた古美門は……

 

「クビは取り消しだ。君には責任を持ってこの件の担当になってもらうからそのつもりで」

 

 弾かれたねうに黛が頭を抱えてしゃがみ込んだ。

 

「こんなはずじゃなかったのにぃ〜」

 

 必然的に目の前の古美門に見下される形となる。

 

「うぅ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうぞ、珈琲でございます。お口にあえばいいのですが」

 

「あ、どうも」

 

「恐縮です」

 

 長ソファーに腰掛けたグレースーツの男性に珈琲を差し出す。

 その横には黒のスーツの青年がキョロキョロと落ち着かずに座っている。青年の名前は近藤泰宏という。

 

 宮本社長は連絡を受けると彼を連れてその日の午後に古美門法律事務所を訪れた。

 

「それでセクハラをしたのは事実なんですか?」

 

 腹を決めた黛だったが、それでも若干不貞腐れているのか、とげとげしい口調で彼らに尋ねた。

 

「もともと彼は別の会社にいたんですが、その才能を見込んでうちにヘッドハンティングしたんです。仕事ぶりも良く優秀な社員だ。……セクハラをするなど信じがたい。私は自分の目を信じます」

 

 形式的に弁解する宮本の話を聞いた黛は近藤に目を向けた。

 

「宮本社長はこうおっしゃっていますが、ご自分ではどう思われますか?」

 

「僕にも心当たりが……」

 

「自覚していないだけかも知れません。思い当たる節はありませんか? どんな小さなことでも結構です」

 

「そう言われてもなぁ……」

 

 近藤は思い当たる節はまったくないらしく愛枚な答えしか返ってこない。

 

 なよなよと頼りない、それが黛の彼に対する第一印象だった。

 

「あ、彼女が書類整理を手伝ったことはありますけど」

 

「それだけですか?」

 

「はい」

 

「分かりました」

 

「あ、他にもあったかなぁ〜」

 

「……近藤さん、はっきりしていただけませんか?」

 

「ん〜。どうだろう? やっぱり分かんない」

 

 やけに軽いノリだ。

 

「じゃあ、やましい考えは無かったんですね?」

 

「……それって咲ちゃんと付き合いたかったとかそう言うこと?」

 

「えぇ……まぁ」

 

「先生さぁ、可愛い子と付き合いたいって思うのは普通でしょ? それをいちいち騒ぐなんて馬鹿げてますよ。うちの会社は恋愛自由だし」

 

 イラつく気持ちを黛は押し殺した。これで仕事をしていなければダメ男の典型例のようである。

 

 一通りの話し合いは終わり、二人が事務所の玄関へと向かう。

 

「古美門先生、我が社は大事な時期です。謝礼の方は十分にお支払いしますので」

 

 社を背負う彼にとって、会社のイメージダウンとせっかく苦労して引き抜いた優秀な人材を潰されることはどうしても防がなければならないのだろう。

 

「心得ています! それではまた」

 

「 はい。よろしくお願いします」

 

 そうして、玄関の扉がバタンと閉まった。

 

「それでどうするんですか?」

 

「どうするもこうするも本人はやっていないと言っているんだ。その方向で進めるに決まっているだろうが」

 

「でも無意識にセクハラをしていた可能性もあります。今回は絶対にそうですよ」

 

「そんな可能性はない。依頼人は勝利を望んでいる」

 

「お言葉ですが!」

 

「あーあーうるさーいうるさーい聞こえなぁーい」

 

「あなたは子供ですか!」

 

 すると察しいい服部が古美門の上着を持ってきた。

 

「……どこに行くんですか?」

 

「相手側の弁護士に会いに行く」

 

「い、今からですか!?」

 

「そうだ。早く支度をしたまえ」

 

 慌てて鞄を手にした黛はすでに扉の向こうへと姿を消した古美門を追いかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こ、ここって……」

 

 宇佐美法律事務所と書かれた看板を見て黛は驚いていた。

 そんな黛を無視して古美門は一人、ズカズカと事務所へ入ってたのだった。

 

 

 

 

「いきなり押しかけてくるだなんて」

 

 いきなり押しかけられたことに呆れながらも事務所の主である宇佐美杏子は古美門と黛にお茶を入れていた。

 

 尊敬する相手を前に、もっと違った形で会いたかったと黛は心の中で涙を流す。

 

「本当にすいません」

 

 頭を下げる黛に対して押しかけた張本人である古美門はといえば、応接用のソファーにふんぞり返り足を組んでいる。

 

 黛は慌てて古美門の足を叩いて崩させた。

 

「申し訳ありませんねぇ。早めにご挨拶をと思いまして。近藤さんの代理人になりました古美門です」

 

 悪びれもせずに古美門は言う。

 

「お噂はかねがね。もう少しでこちらの依頼人の方が来るので手短にお願いします」

 

「それは好都合だぁ。せっかくですからお会いしても?」

 

「お断りします。それを飲んだらお引き取りください」

 

「遅かれ早かれ顔を合わせることになるんですぅ。いいじゃありませんか」

 

「彼女はまだ不安定で、とても相手と会うことはできません」

 

「でぇすぅかぁらぁ、ここにいるのは我々だけです。問題は無いと思いますがー? ねぇ、黛君」

 

「えっ、はい。……あ」

 

 突然話を振られた黛は、反射的に答えてしまった。

 

「…………」

 

「そちらの手間も省けるでしょう?」

 

「分かりました。ですが、彼女の了解を得てからです」

 

「構いませんよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼らの前に現れたのは二人の女性だった。

 

「こちらが依頼人の山田咲さんです」

 

 宇佐美は手で、いかにも大人しそうな黒髪の女性を示した。清楚な雰囲気を漂わせた美人である。しかし残念なことにその美しい顔は垂らした前髪で隠されていた。

 彼女の容姿を一発で見抜いた近藤はよほど女性経験が豊富なのだろう。

 見る目があるのか、だだの女ったらしなのかは分からないが。

 

「そちらの方は?」

 

 案の定、古美門はもう一人の茶髪女性について説明を求めた。こちらも山田咲に負けず劣らずの容姿であるが、その雰囲気は彼女とは真逆だった。

 

 古美門の言葉に宇佐美の説明を待たずに茶髪の女性が口を開く。

 

「私は西口詩織。彼女の付き添いで来ました」

 

「付き添いぃ? 失礼ですがこれは小学生のおままごと遊びではありませんよ?」

 

 鋭い視線が交わる。出会ってかはものの数秒で険悪な空気だ。

 

「わ、私がお願いしたんです。詩織ちゃんは私の幼馴染で……、会社の同僚で……それでそれで、あの……えっと……う、うぅ」

 

「咲! ちょっと咲が泣いちゃったじゃないですか」

 

「なぜ私に言う……」

 

 宇佐美が古美門と西口の中に割って入る。

 

「とにかく、依頼人の要望だったので特別に了承しました」

 

 泣く山田とそれをあやす西口の姿を見て古美門は眉を潜めて大きく息を吐いたのだった。

 

 山田が落ち着いたところで話は本題へと移る。

 

「私たちは近藤泰宏氏との和解を望んでいます」

 

「それは良かった。我々も助かりますー」

 

 どうせそれでは解決しないと考えている古美門は白々しく適当に受け流す。

 

「和解の条件は慰謝料一千万、近藤氏の即時退社です」

 

「近藤さんはセクハラなど身に覚えがないと言っています」

 

「女性を傷つけておいて何を言っているんですか? これでもかなり譲歩しているつもりです」

 

 確かに、最悪の場合、刑事告訴されてもおかしくはないのだ。

 

「具体的に何をされたのかお聞きしてもいいですかねぇ?」

 

 山田に全員の視線が集まった。

 

「は、話しかけられました……」

 

 その答えには古美門も黛も首を傾げてしまう。それのどこが悪いのかと。

 

「他には?」

 

「て、手を……いえ、手が、その……触れて」

 

「山田さん〜? まさかそれがセクハラになると本気で考えてるんですか?」

 

 バン!

 

 机に手を叩きつけた西口が勢い良く立ち上がった。

 

「咲は近藤にセクハラされてたの! 手を触られていたのも、いやらしく話しかけられてたのも、私はこの目でちゃんと見たんです!!」

 

 かなりの剣幕に思わずのけぞる黛。

 

 結局この日は何の進展もないまま話し合いは終わってしまった。

 

 

 

「きゃっ」

 

 帰り際、山田が足をもつれさせ目の前で荷物を盛大にぶちまけた。

 後ろからやってきた黛も慌てて手伝ってやる。

 

「はい」

 

「ど、どうも……」

 

 可愛らしいブックカバーに包まれた文庫本を砂を払ってから彼女に渡した。

 

「そのブックカバー可愛いですね。どこで売ってるんですか? よければ教えてくれませんか」

 

「っ!?」

 

 急にうつむいた山田は黛から一歩後ずさると、そのまま逃げるようにあるきだした。

 何か気に障るようなことを言ったのだろうかと戸惑う黛に西口が声をかけた。

 

「嬉しかったんですよ」

 

 黛と話す西口からは先ほど古美門に向けられた怒気はまったく感じられなかった。

 それが黛には少しばかり疑問だった。

 

「さっきのブックカバーは咲の手作りなんです。……あの子は感情を上手く表に出せないから」

 

「そう……だったんですか」

 

「だから男なんかにいいようにされちゃうのよ」

 

「山田さんのことよくご存知なんですね」

 

「……咲は私の親友ですから」

 

 黛はふと思ったことを聞いてみた。

 

「何か仲良くなったきっかけがあったんですか? 例えば趣味が一緒だったとか!」

 

 山田と西口はほとんど対照的な人間だった。黛がそう聞きたくなるのも無理はないだろう。

 

「友達になるのに何か理由がないとダメなんですか?」

 

「そう言うわけでは……」

 

「じゃあ、私もこれで」

 

 彼女は軽く頭を下げ山田の後を追っていった。

 

 そのやり取りを裏で眺めていた古美門は、黛を残してすたすたと先へ行ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「チーッス。先生、仕事?」

 

 古美門事務所を訪れた加賀蘭丸は軽快に挨拶をすると食事を取るために古美門の隣に腰掛けた。

 

 服部自慢の料理に舌鼓を打ちながら、古美門から仕事の内容を聞く。

 

「じゃあ、俺はその山田咲って子の情報を手に入れればいいの?」

 

 いつもの茶封筒を取り出した古美門は。

 

「それともう幾つか調べて欲しいことがある。細かいことは後で指示する」

 

「了解。服部さん、今日もご馳走様でした!」

 

 料理を平らげた蘭丸は帰り際に服部に声をかける。

 

「いつでもどうぞ」

 

「真知子ちゃん、じゃあねぇ〜」

 

「蘭丸君?」

 

 外回りから戻った黛と入れ違いに蘭丸は帰っていった。

 

「黛先生、ご夕食は?」

 

「あ、いただきます」

 

「本日は、ワールドカップにちなんでシュラスコをご用意しました」

 

「服部さん、ブラジル料理も作れるんですね」

 

「昔、ブラジルで料理人をやっていまして」

 

「いったいレシピのレパートリーはいくつあるんですか」

 

「数えたことはありませんが、ほとんどの国は……」

 

「そ、そんなに?」

 

「はは、たわいもない取り柄でございます」

 

 手際良く大きな肉の塊を切り分ける服部に黛はただただ感心してしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 革張りの高級ソファーに腰を下ろした宇佐美は、注がれた珈琲に口を付けた。

 

 その目の前には三木長一郎が胡散臭い微笑みを浮かべている。その両脇には秘書の沢地と新人弁護士の井出が立っている。

 

「それでお話とは?」

 

「いえ、あなたに協力して差し上げようと思いまして」

 

「協力?」

 

「女性の地位向上のために努力する姿に感銘したしました」

 

「こちらの三木先生は古美門先生のすべてを知り尽くしておられます。きっと心強い味方になってくださりますよ」

 

「自分も全力でサポートします!」

 

「ともに古美門を葬り去りましょう」

 

 珈琲カップをテーブルに戻した宇佐美は三人を流すように見るとバッグを掴んで立ち上がった。

 

「お断りします」

 

「奴を仕込んだのは私だ。私の協力なくして奴には勝てませんよ」

 

「私からすればこの事務所の女性への待遇にもやや問題があります。……お気遣いありがとうございました」

 

 宇佐美は一礼して去っていってしまった。

 

「ちっ、これだから女は……。融通の利かない」

 

「まったくですよ! あの人にはさっさと負けてもらってウチで訴訟を起こしましょう。自分が必ず三木先生に勝利を差し上げます」

 

「……てめぇに何ができるんだ、吉井!!」

 

「い、井出ですぅぅぅ〜!」

 

 三木からクッションを投げつけられた井出は怯えながら所長室から駆け出した。

 

「ふん、役立たずが」

 

「この裁判、どうなるのでしょうね」

 

「まぁ、あの女がどこまでやれるか楽しみだよ」

 

「三木先生」

 

「何かな?」

 

「私も女ですが」

 

「君は特別だよ」

 

 三木は態度を一転させ優しく沢地の美しい手を撫でたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 調停、出頭日。

 

 訴えを起こしてから始めての顔合わせになるはずだったが近藤は仕事のためにここへは来なかった。

 

「それでは調停を始めます。原告側代理人どうぞ」

 

 裁判官が調停の開始を告げる。

 

「はい。こちらの和解条件は慰謝料一千万と近藤氏の即時退社です」

 

 立場の低い女性が勇気を振り絞って行動に出たという点を宇佐美は裁判官に訴えかけた。

 

「被告側代理人、何かあります

か?」

 

「宇佐美弁護士にお聞きしたい。いったい何を証拠に近藤さんが山田さんへセクハラをしたと言うのですか?」

 

「ご本人がそう言っています」

 

「物的証拠は?」

 

「……ありません。こういった事案は証拠が残りにくいので。だから被害が増えているんです」

 

「では、言いがかりと取られても仕方がないですねぇ」

 

「こちらには何人も証人がいるんですよ? それを忘れてもらっては困りますわね」

 

「…………」

 

 平行状態だった会話がそこで途切れた。これは宇佐美の切り札だった。

 

 だが、古美門はニヤリと笑みを浮かべ、動じない。

 

「セクハラしかり、痴漢しかり、男の言い分よりも女の証言が重視され、女が黒だと言えば黒になる。それが一体どれほどの冤罪を招いたことか。普段は男尊女卑だの人権侵害だのと男女の平等を口うるさく訴えるあなた方は、司法の下の女尊男卑には何も言わない、触れようとさえしない。……所詮、あなたが普段からマスコミに語っている反吐が出そうな理想はその程度だ」

 

「暴言ですよ! こちらが嘘をついているとでも言うんですか!?」

 

「それではその証人とやらにぜひ尋問したい。法廷でね」

 

「和解交渉は打ち切りということですね。いいでしょう、裁判で決着をつけましょうか」

 

 その後も古美門と宇佐美の応酬は続き、二人の戦いは法廷へと移ることとなった。

 

 

 

 

 その夜。

 古美門邸宅にて……

 

「結局は裁判になりましたね」

 

「当たり前だ。そもそも和解するつもりなど毛頭ない。声も出せないほど袋叩きにしてくれるわぶははははははは」

 

 あそこまで挑発しておけば相手も出し惜しみはしないだろう。

 

「証言を覆せるんですか?」

 

「覆せなきゃ我々は負ける。この裁判においての鍵だ」

 

 食後のデザートをぱくつく古美門と黛。

 

「え? 本人尋問は……」

 

「そんなものは重要じゃないのだよ」

 

「でも訴えを起こしたのは山田さんですよね。彼女の尋問は必須だと思いますが」

 

「考えてもみたまえ、あんな気の小さい人間に裁判を起こす度胸があると思うかぁ?」

 

「それって誰か他にけしかけた人間がいるってことですか」

 

「問題はそいつが誰なのかということだ」

 

 思い当たる人物は一人だけだ。いや、理由はまったくない。山田咲の親友だからと言うだけである。

 

「まさか西口さんが? いや、でも彼女は山田さんを大切に思っているからこそ」

 

「どうだかなぁ」

 

 自分の考えに信じられないと首を振る黛に、古美門はダイニングテーブルの隅に置かれた蘭丸印の調査資料を手渡した。

 

「読んでみろ」

 

 資料に目を通す黛の顔が、ある一部の記述を見て豹変した。

 

「古美門先生、これって」

 

「つまりそう言うことだ」

 

「…………」

 

「どうした? まさか相手に同情したか」

 

 どうやら図星のようである。黛は目線を泳がせて顔を伏せた。

 

「弱者を助けるのが正義なのだろう? 真実が大事なのだろう? だったら胸を張って近藤を助けようじゃないか。そして少しは世の中を知って成長するといい、身体は大人、中身は子供の迷弁護士……いや、身体も子供かぁ?」

 

 古美門の視線を遮るように黛は自分の胸を隠した。

 

「中身も身体も大人です! このセクハラ上司!」

 

「事実を述べたまでだ。さぁて僕はお風呂に入ってこよーっと」

 

 わははははと高笑いをする古美門は服部から着替えとバスタオルに愛用のアヒルさんを受け取ってバスルームへと向かった。

 

「……この裁判、絶対に勝っちゃいけない気がする」

 

 自分が引き起こしたことを後悔しながら黛は古美門の背中を睨んだ。

 

 

 

 

 

 

 数人の傍聴人が見守る中で公判が始まった。

 宇佐美側の証人が法廷の中央に立つ。

 

「では近藤さんが山田さんに近づいていたのは間違えないんですね?」

 

「はい」

 

「あなたから見て山田さんはどうでしたか?」

 

「顔を俯かせてとても嫌そうでした」

 

「セクハラを受けていたと思いますか?」

 

「はい。間違いありません!」

 

「ありがとうございます。以上です」

 

 宇佐美は古美門を一瞥すると原告側の席へと戻る。

 状況からすれば完全に古美門が不利である。黛の横で近藤はどうすることもできずにただ拳を握った。

 

「黛先生、これってヤバイんじゃないの? リアルにマジでさ」

 

 黛は依頼人の状態を上司に知らせようと目配せするが、古美門はあえてそれを無視した。

 

「被告側代理人」

 

 裁判長の言葉と同時に黛は覚悟を決めるために大きく息を吸って吐き出し、席を立った。

 

「峯岸さん、あなたは山田咲さんが近藤さんからセクハラを受けている現場を目撃されたんですか?」

 

「はい」

 

「それを目撃したとき周りには誰かいましたか?」

 

「えぇ、何人か」

 

「……思い違いの可能性はありませんか?」

 

「まさか。確かに苦痛の表情でした」

 

「あ、そう言えば山田さんにはアダ名があるそうですね。みなさん何と呼んでらっしゃったんですか?」

 

 途端に峯岸の目線が逸らされた。

 

「貞子ちゃん」

 

「……っ」

 

「アダ名は呼ぶ人間と呼ばれる人間の関係を体現します。貞子ちゃんというアダ名の由来は表情が分からなくて不気味だからだそうですね」

 

 人間社会はコミュニティーの中の異質な存在を敬遠し、排除しようとさえする。

 彼女たちにしてみれば山田は十分に異質な存在だった。

 では、なぜ彼女は異質な存在のために証言をしたのか。理由は簡単だ。男への偏見と差別的な意識がそれを上回っただけに過ぎない。

 

 いつも偉そうな顔をしている男が女へちょっかいを出したのが癇に障った。

 いや、そもそも山田のことなどはどうでもよく、ただ男の立場を悪くすることで気分を良くしていただけなのかも知れない。

 

「もう一度だけお聞きします。本当に山田さんの表情が分かったんですか?」

 

「それは……に」

 

「西口さんがそう言ったから?」

 

「…………」

 

「そうですか。では次の証人尋問で彼女に直接尋ねることにします。以上です」

 

 近藤は先ほどまでとは一転して笑顔を浮かべると席へ戻る黛に握手を求めた。

 

 原告席の宇佐美は苛立ちを抑えるように人差し指を噛み、山田は終始俯いたままだった。

 

 次の証人尋問が最終決戦である。

 

「西口詩織、山田咲さんの同僚で友人です」

 

「ここに書かれている証言に間違いはありませんか?」

 

「はい。間違いありません」

 

 裁判長が手元の陳述書を示して内容を確認すると西口はハッキリとそれを肯定した。

 

「分かりました。では被告側代理人、尋問を始めてください」

 

 宇佐美の砦に古美門の砲弾が放たれる。

 

「西口さん、あなたは山田さんの表情が分かるんですか?」

 

「はい」

 

「前髪で顔が隠れているのに?」

 

「咲とは幼稚園からの付き合いです。態度や雰囲気で彼女の気持ちは理解できます」

 

「まさに以心伝心、長い付き合いが築きあげた信頼の賜物ですねぇ」

 

「そうです! 私と咲は大しんゆ……」

 

「気味が悪い」

 

「え?」

 

「顔が見えずに表情が分かるわけがない。あなたが山田咲の気持ちを理解できていたのは、彼女が何も言わなかったから、いや、言えなかったからだ。そんな彼女の無言をあなたは肯定ととり、気持ちを理解したと思い込んでいた。あなたはただ彼女を従わせて喜んでいただけだ」

 

「おっしゃっている意味が分かりません。私は確かに彼女の気持ちを理解できます!」

 

「山田さんは週に2回ほど書類整理の仕事をしていましたが、最近は4回に回数が増えています。……それはなぜなのか? 待っていたんですよ、近藤さんが手伝いに来てくれるのを自分からね」

 

 その場にいた者たちの目が大きく見開かれた。

 

 視線を受けて山田の肩がビクリと震える。

 

「近藤さんは山田さんに対して好意とある種の期待を持って近づいた。これは事実でしょう。しかし、彼女もまた近藤さんへ好意を持っていたと言うことです」

 

「異議あり! すべて憶測です」

 

 怒鳴るように宇佐美が横槍を入れる。

 

「古美門弁護士、何か根拠があっての発言ですか?」

 

「もちろんです! 真相を明らかにするために尋問を続けても?」

 

「……許可します」

 

 裁判長は腕を組み渋々といった感じで尋問を継続させた。

 

「あなたは極度の男性嫌いだそうですね。少しは気が晴れましたか?」

 

「……先ほどから質問の意味が分かりません」

 

「そうですかそうですか。なら、ハッキリと申し上げましょう。自分の憂さ晴らしのために親友をネタに男を陥れた気分はどうですかと聞いているんですよ!」

 

 途端に西口の目がすわり、古美門を睨み返した。

 

「私はね、咲を守るために証言にしてるの! 全部、咲のためなの! 咲は私が守る、絶対にね!」

 

「今から5年ほど前に起きた連続婦女暴行事件。その卑劣な犯行に世間ではかなり騒がれましたねぇ」

 

「あ……」

 

 一瞬、後ずさる西口。

 そんなことはお構いなしに古美門は長机に置かれていた資料を手に取ると彼女の目の前で広げた。

 

「その未遂事件の中にあなたの名前が書かれています」

 

 資料の一部分を指差す。そこには確かに彼女の名前が記されていた。

 

「証人として出廷する以上、この件に触れられることは覚悟の上のはずだ。何をそんなに慄くことがあるんですか?」

 

「…………」

 

「この事件をきっかけにあなたは男性を恐れた。その恐れは次第に怨みへと変わった。そして、自分の人形である山田さんに近づいた近藤さんにそのすべてをぶつけたんじゃありませんか? 山田さんを裁判を起こすように促し、証言を偽証した。だとすれば……」

 

「裁判長、これ以上は!!」

 

「だとすれば近藤さんは加害者ではなく被害者だ!!」

 

「違う……違う違う違う違う!! 私は咲のためにやったんだ! あの子を守るために! 男なんてみんなケダモノよ。私たち女を見下して穢して……ただの醜いケダモノなのよ!!!」

 

 西口は必死な様子で山田へ向きなおった。

 

「ねぇ咲。私、間違ってないよね? 咲は近藤のことが嫌いだったんでしょ? 怖かったんだよね? ……何で何も答えてくれないの? ねぇってば!! 咲はセクハラを受けたんだよね!!?」

 

 山田は肩を震わせて答えない。

 

「いつまでそうやって口をつぐんで人形をやっているつもりだ? 彼女は君の本当の気持ちを知りたがってるぞ。君の……親友が」

 

 親友。

 その単語を聞いて山田の震えがとまった。

 

「……訴えを取り下げます」

 

「咲!?」

 

「山田さん!」

 

 宇佐美と西口は山田の発言に声を荒らげた。

 だが山田の目には確かな光が宿っていることを古美門は確信した。

 

「訴えを取り下げます。本当に申し訳ありませんでした」

 

 山田はもう一度、そう言った。

 静かに、それでいて力強く。

 

 そこに気弱な彼女の面影は無かった。一瞬だけではあったが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 裁判所の廊下を歩く古美門と黛。二人の足取りは対照的だった。

 

「その辛気臭い顔をやめろ」

 

「……これで良かったんでしょうか」

 

「なにぃ?」

 

「二人の友情をめちゃくちゃにしてまで勝たなければいけない意味はあるんでしょうか。和解という手だって……」

 

「裁判はゲームだ。勝者がいれば敗者もいる。負け組のことなどいちいち気にする必要はない。それにだ、罪のない人間を陥れようとした輩を懲らしめた。まさに正義の味方じゃないか」

 

「……でも」

 

「いい加減大人になることだ、ポンコツ貧乳オタマジャクシ」

 

「私は大人です!!」

 

「早くアポトキシンの解毒薬が完成することを祈ってるよ。わははははは!」

 

「この横わけ小僧ー!!」

 

 そこへ一足遅れで法廷から出た宇佐美がやって来た。

 

「古美門弁護士」

 

 古美門は咳払いをして姿勢を正し、黛も会釈をした。

 

「これはこれは。少しは自分の理想の愚かさに気づかれましたか?」

 

「……確かに今回は私の完敗ですわ。でも私は自分の理想を捨てるつもりはありません。次は勝たせていただきます」

 

「では、またいつか法廷でお会いしましょう」

 

 そう言って去ってゆく宇佐美の顔からは清々しさが感じられた。

 

「次は負けちゃうかも知れませんね」

 

「馬鹿馬鹿しい。腹が減った、帰るぞ!」

 

「……はい!」

 

 

 

 

 

 

 数日後、古美門事務所にて。

 突然の来客に古美門と黛は困惑していた。

 

「…………」

 

「……あの、すみませんがどなたですか?」

 

 初対面なわけではない。訪ねてきた人物が自分の知る容姿とまったく違っていたのだ。

 

「や、山田咲です」

 

「で、ですよね……」

 

「イメチェンでもしたのか?」

 

「に、似合いませんか?」

 

 髪をバッサリと切り、茶髪のショートヘアの山田はもじもじと照れくさそうに前髪をいじる。

 

「すっごく綺麗です!!」

 

「あ、ありがとうございます」

 

 山田は、はにかんで笑ってみせた。

 

 話し始めがどもるのは相変わらずであるが、今までの彼女と比べれば十分に変わったといえるだろう。

 

「……まだ近藤さんことを?」

 

「彼のことはもういいんです。それが私のケジメですから」

 

「そうですか。あの……西口さんとは?」

 

 黛の表情が強張る。

 一番触れたくないことだが、聞かなくては気が済まなかった。

 

「彼女なら……」

 

「私が何なの?」

 

 黛が振り返ると廊下には西口の姿かあった。

 

「詩織ちゃんは今まで通り私の幼馴染で大親友です」

 

「ほぉ、その堅い友情を誇って文句の一つでも言いに来たか?」

 

「その通り、と言いたいところだけど違うわ。今日はお礼を言いに来たのよ」

 

「お礼?」

 

「私は咲が大切だった。親友として心から心配してた。これだけは事実だと言わせてちょうだい。だけど、それが一方的な気持ちだって気づかせてくれたのはあなたよ。だから、感謝してるわ」

 

「ふん。ならば次からは間違わないように精々仲良しごっこを続けたまえ」

 

「本当に嫌味な男。……これだから男は嫌いよ」

 

「本当に可愛げのない女だ。これだから女は嫌いなんだ」

 

「ふふ、またね、古美門先生。咲、行こっか」

 

「うん」

 

「では、お見送りいたしましょう」

 

「いえ、見送りは彼女にお願いするわ」

 

 服部の申し出を断った西口は黛に視線を向けた。

 

「え? わ、私ですか?」

 

 黛は突然の指名に戸惑いながらも二人を見送るために玄関まで着いていく。

 

「ねぇ、あなたって古美門先生の彼女なの?」

 

「は?」

 

「どうなのよ」

 

「ち、違いますよ。あんなのぜぇぇったいにあり得ませんから!!」

 

「へぇ、そうなの」

 

 慌てふためく黛を尻目に西口はニヤリと笑った。何処と無く悪い笑みだ。

 

「……あ、あのもしかして」

 

「別に、男も捨てたもんじゃないって思っただけよ」

 

 黛の問いよりも早く西口は玄関の扉を開けて外へ出た。

 

 すると脳内の処理が追いつかず呆然と立ち尽くす黛に今度は山田が顔を赤らめながら囁くように言った。

 

「……自分の意見をはっきり言える人って素敵ですよね」

 

 黛を一人残して扉が閉まった。

 

「……あの二人、絶対に類友だ!!」

 

 二人が立ち去った後、しばらくして我に返った黛の口から出たのはそんな言葉だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 テレビからエンドロールが流れる。

 

 杉山の部屋は珍しく静かだった。

 

「ふぁ〜、寝よう」

 

 テレビの電源を落とした杉山は眠い目をこすりながらベッドへと潜り込んだ。

 部屋の隅には大きな荷物が置かれている。

 

「やっぱりあの横わけ弁護士は好きになれないなぁ」

 

 寝言のようにそう呟いた杉山は、そのまま意識を手放したのだった。

 

 

 

 

 

 明日は臨海学校、当日である。

 

 

 

 

 

 

 

 




お久しぶりでございます。
え〜。まず、更新が遅れたことを深くお詫びいたします!

今回は訳あって番外編とさせていただきました。
羽入君を登場させることができず申し訳ありません。

次回はいよいよ臨海学校。
福音戦はどうなることやら……(汗)w


ではでは〜。
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