左京区、貴船。
ここは、市街地から離れた川沿いに位置するため、この時期になると多くの観光客が避暑に訪れる。
そして、周辺には数多くの宿屋が存在する。
その中の一つ、『宿泊処はらだ』。
江戸時代から続く由緒ある旅館で、家族経営ながら本館と別館を有している。
普段の客の入りは6割程度だが、ここ数日は9割を超える大盛況ぶりを見せている。
なぜなら、"別館に幽霊が出現する"という噂が流れ、物珍しさで訪れる客や、その情報の真相を確かめようとするメディア関係者が、続々と押し寄せたからである。
困惑した旅館側もそれに対応するために、3階の一番奥、最も目撃情報のあった部屋を封鎖した。
「うーん…。うちが賑わうのはいいんだけど、どうしてまた幽霊なんかねぇ…。」
旅館の女将である原田敏江は、首を捻りながら考える。
『宿泊処はらだ』では、殺人事件や客の自殺はもちろん、今まで一度も事件らしいことは起きてないのだ。
では、なぜ"幽霊を見た"などという情報が、何の変哲もない旅館から出たのか。
その理由は実に簡単。
この旅館には、
旅館の後継ぎである原田将吾は、別館裏にある祠に来ていた。
「ここが例の祠かぁ?随分と寂れているなぁ…。ホントにここに巻物なんてあんのかよ…。」
祠は木製で、いくつもの蔦や苔が周囲を覆っていた。
彼は、鍵も掛かっていない戸を開けると、手探りで中を探した。
「まぁ、
独り言をブツブツと呟きながら、ようやく目的の物を見つけた。
将吾が手にしていたのは、両の掌に収まるほどの巻物。
長い間放置されていたせいか、結んである紐からして劣化している。
「…とまぁ、手にしたわけだが、ホントに
紐を解いて中身を見ると、そこには古語で書かれた文章があった。
「えーっと…、よくわかんねぇや。とりあえず、家に帰って解読だなぁ…。」
家に持ち帰って辞書で調べて見ると、そこには次のようなことが書かれていた。
『汝、望み叶えたければ、我、その術教えん。
一、汝、贄を捧げよ。野山の獣が好まし。
二、汝、配陣せよ。
三、汝、祝詞を詠唱せよ。
以上を以って、契約は成立す。』
「贄…?獣かぁ…。裏山に罠でも仕掛けたらかかるかなぁ…。」
倉庫に駆除用の罠があったことを思い出した彼は、早速仕掛けることにした。
実際、罠の効果はあったらしく、将吾は贄とする野兎を手に入れていた。
「で、次は…、贄の首を落とし、腑を出して、血で陣を書く、かぁ…。うわぁ、やりたくねぇ…。」
と言いつつも、その作業を器用にこなしていく。
「そして最後は…、詠唱か。えっと、確か…。」
懐から例の巻物を取り出し、確認する。
「満たせ、満たせ、満たして、満たせ…、あれ?繰り返すのって4回だっけ?まぁいいや。そして…。」
「
「ナントカの輪より来たれ、ナントカの守り手よ!」
しかし、辺りは依然として闇に覆われ、静寂が時を支配していた。
「ホントにこんなんで良いのかぁ?特に何もないみたいだけど…。」
将吾がそう呟いたその時、異変は起きた。
部屋の中央部の闇が、
"それ"は、だんだんと密度を増し、次第に人の姿を成していった。
魔術師でなくとも分かる、異常なほどの魔力量。
一般人の彼でも、その違和感は確かに感じ取れた。
「お、おい…、いったい何が起こっているんだ…?」
将吾が得体の知れないものに不安を抱いている間も、"それ"は肥大し続けた。
やがて、"それ"が収束し、急激に膨張して破裂した。
あふれ出た魔力が、部屋を飲み込んだ。
「え、ちょ…、これ…。」
そんな断末魔を残して、彼は意識を失った。
やがて、全てが平穏になると、そこには一人の少女が”降臨”していた。
十二単を着込み、地面まで届きそうな黒髪を持った、上品な顔立ちの人物。
彼女は部屋を一瞥すると、床で倒れている少年に目をつけた。
「くはは。嗤わせるな、人間。
そう言うと、彼女はその少年に手をかざした。
瞬間、少年がバネ仕掛けのように跳ね上がる。
「がふっ…⁉︎あれ、俺は何を…?」
数刻ぶりの目覚めを迎えた彼を待っていたのは、明らかな"非日常"だった。
少年が意識を取り戻したのを見て、少女は告げる。
「妾はバーサーカー。狂戦士の器を以って顕現せし英霊だ。汝が妾の陛下なりし者か?」
目の前の状況が理解出来ない。
そこにあるのは、"未知"に対する原初の反応。
もしくは、生命の本能。
すなわち、"恐怖"。
頭の中にあるのは一つだけ。
この瘴気から逃れること。
しかし、身体が動かない。
金縛りというヤツだろうか。
だとすれば、後に待ち構えるのは、
—喰われる。
ただ、それだけ。
「あ、あぁ…、く、来るなぁ!こ、これ以上近づいたら、俺は、お、おまえを殺すからな‼︎」
将吾はパニックに陥っていた。
咄嗟にナイフを掴んだものの、眼前の"少女"への恐怖が拭えなかった。
一方のバーサーカーはというと、
「は。汝は二度も妾を嗤わすのか。面白い。その身体、八つ裂きにして喰うてやろうかと思うたが、生きながらに妾の糧となってもらうかの?」
彼に歩み寄る。
「やめっ、やめろぉ‼︎あ、触るな、触る…、あがっ⁉︎」
そして、頭を鷲掴みにすると、己が体内に取り込んでしまった。
「…ふぅ。では、ちと世話になるぞ、陛下よ。」
それが数日前に起こったこと。
以来、このバーサーカーは暇さえあれば、宿泊客の生気を自らの瘴気に変換している。
しかし、さすがの彼女でも、この繁盛ぶりは想像出来なかったらしく、戸惑っている。
「むぅ…、妾とて、常に冷酷ではない。時には、このような陽のモノを受け容れる度量ぐらいはある。しかし、しかしだ。なんだ、この客の入りようは⁉︎妾は見世物ではない!このままここに居ては、魔力喰いも満足に出来ん‼︎ …仕方あるまい。ここを捨て、街に降りるとしよう。幸いにも、妾も陛下も聖杯を求める身。くははは!今こそ、妾の力を刮目せよ‼︎この"新皇"が直々に出向いてくれようぞ!」
そう言うと、彼女は『宿泊処はらだ』を後にし、京の街に飛び去っていった。
そして、この瞬間に、バーサーカーの参戦が確定したのだった。