メメン・ト・モリ
人は死んだらどうなるのだろう。
おぎゃあと息を吸い込んだその時から、息が止まるその瞬間まで。人はその答え合わせをするために生きている。
人が死んだらどうなるのか。誰も知らない。誰も分からない。死ななければ、分からない。
「……さみい」
アノール・ロンド。切りつけるような尖風と浅く積もった白い雪に覆われたうすら寂しいこの場所が、かつては太陽の王族が住まう城だったなんて、信じる奴がどれほど居るだろう。威光も、栄華も、ここにはなにひとつ残っていない。ここは静まり返って冷え切った墓場、もしくは霊安室だ。
正面の大門に続く幅広で大仰な階段のあちこちには、うち棄てられた銀の甲冑がまるで波打ち際の漂流ゴミのような有様で散乱している。歩きながらうっかりなにか蹴飛ばしてしまい、なんとはなしに見てみたそれは銀騎士の兜だった。ちょうど上顎と下顎の間、まさしく口をずっぱりと裂かれたような切断面に怖気が走る。
俺がこれから対決しなければならないのは、こんな殺し方が出来る奴だ。物理的な可能不可能の問題じゃない、この残酷を容易く許容できるようなメンタルの持ち主と、これから相争わなければならないのだ。
果たして、奴はそこに居た。
世界のすべてを見下して、すべてがくだらないとでも言いたげな舐め腐った面構えで、いつもどおりの不敵なスタンスでそこに居た。
「よお、遅かったな。佐渡」
片頬杖を突きながら、樋浦は階段の天辺から俺を見下ろしていた。ふた振りの大剣によって標本のように串刺しにされた銀騎士の骸に腰掛け、駅前の待ち合わせに遅れてきたのを咎める時となんら変わりないような気安い調子で口火を切る。
「ま、ここまで来れたってだけでも大したもんか。叩き起こした巨人どもに、聖女サマとそのお守りの騎士。つらぬきの騎士、クソ忌々しいメフィストフェレス。それにバカで能無しな烏合の連中。守りに手ェ抜いたつもりはなかったんだけどな」
「そーだな、俺ひとりじゃ無理だったろうさ。あいにくお前と違って、俺には友達がちょっとばかり多かったらしい」
「獣狩りの狂った神父に、無駄に声のデカい太陽の戦士。塔の騎士に長弓、それとあの薄汚い沈黙の長も、か……。モテる男は辛いなあ、この節操なしのタマ無し野郎が。どこでそんなに引っかけてきた?」
「俺がモテたわけじゃねえ。みんな、お前のやらかそうとしてることに文句があるんだよ。他人様の世界を引っ掻き回して、挙げ句の果てに勝手に火ぃつけてはいサヨウナラ? お前こそ何様になったつもりなんだよ」
「あーつまんねえつまんねえ。つまんねえよお前。そのセリフ、暗記でもしてきたのかよ。違うだろ? そうじゃねえだろ佐渡。もっと他に言うことがあんだろ、おい」
イラついたように足を踏み鳴らす樋浦だったが、「まあいいか」と不意にピタリと貧乏ゆすりを止めると、指を三本立て、こちらへと差し出して見せた。
「3分だ」
「あ?」
「タイムリミットだよ。ざっと3分以内にオレを殺して、那須川から『王の薪』を引き剥がす。それさえクリアすれば、晴れてお前はお姫様を救った英雄サマってわけだ」
まァ、させねえけどな。
銀騎士の亡骸から大剣を抜き放ち、のっそりと立ち上がる樋浦。赤熱と深紫の炎を纏う、『罪』と『裁き』の大剣。法王サリヴァーンの得物を奴は手にしているとソラールは言っていたが、あれがそうなのだろう。なぜだろう、今日のあいつの笑い顔は妙に腹が立つ。そんな大層なオモチャをぶら下げて、お前は裁判官にでもなったつもりなのか?
この世界が終わる際も際、お前の望みを台無しにする最後の機会に現れたのがこの俺だというのに、お前の綽々は腹が立つほどいつもと変わりがない。
俺が底抜けにどうしようもない、救いようがない無能で。だからこそお前の思惑を止められるただひとり、たったひとりの癌細胞であることは、お前がいちばん骨身に沁みているはずなのに。
この期に及んでも、お前はどうしてこんなにいつもどおりなんだ?
「来いよ、佐渡。オンナ救って世界滅ぼすんだろう? オレを殺して、32人全員皆殺しにするんだろう? な?」
「……樋浦。ひとつ、聞かせてくれ」
「なんだよ。それ、今じゃなきゃダメか?」
ラスボスごっこの邪魔をされたからか、片眉を上げ反対側の目を眇めて樋浦は俺を睨めつけた。
そうだな、たしかに今、このタイミングで聞くようなことじゃないかもしれない。でも、すごく大事なことなんだ。
俺たちには義務がある。彼や彼女、彼らの屍の上に立っている俺たちは、それから目を逸らしてはダメなんだ。きっと樋浦、お前だって忘れてはいないはずだ。忘れないまま、分かっていながらこの道を選んだお前の答えを問い質さなくてはならない。
俺たちは、なぜ。どうして。
「なんで、人を殺しちゃいけないんだろうな」
「は?」
思い返せば、これが3回目だった。
ほんの一瞬、たった数瞬だけ、樋浦は本当に純粋に驚かされたような顔をしていた、ように見えた。
奴に一泡吹かせてやろうという下心が、まったく俺になかったのかと言われればそれは嘘になるだろう。動揺を引き出したかったのかもしれないし、狼狽を期待したのかもしれない。だが、ここまでの反応を拝むことになろうなどと、夢にも思わなかった。
あまりにも毒気のない、心の底からの素直な驚きのよう。
悪い冗談のようにミスマッチなその色は、しかし俺が面食らっている一瞬の内に、樋浦の顔面から痕跡も残さずに消え失せていた。次の瞬間には、奴はいつもどおりのどこにも隙の生じる余地のない樋浦へと立ち戻ってしまっていた。
「……ったくよ。ずいぶん前、いや、そうでもねえのか。まあとにかく、やけに古臭い話を持ち出してきたな」
「そうだな、そんなに前でもないはずなのに、どうも昔話をしてるような気分になっちまう」
古臭いわけじゃなく、青臭いだけ。昔話ではないが、心情的にはだいぶ手の届かないところまで行ってしまった話題だ。
あの時も、めいめいに悩みながら皆は様々な答えを出した。
「うーん、命は失ったら二度と取り返しがつかないから?」
誰にでも思いつきそうなことを心にもなく言いながら、彼女は小首を傾げた。
「それじゃ不十分だろう。ならば仮に取り返しが効くとしたら、殺人は罪じゃなくなるのか? 死んだ人間が生き返れば、人殺しは許されるとでも?」
人を人とも思わないきっぱりとした語調で、誰にでも思いつきそうなことをお前は問い返した。
「おぞましくて口にするのもはばかられるけど、罪の重さは今より確実に軽くなるだろうね。傷害罪になるのかな、その場合は?」
場違いに生真面目に考え込みながら、冗談じみたことをあくまで真剣に彼は語った。
「はは、なんだか字面と響きだけは平和だね。死んでも生き返れる世界、だなんて」
場違いに爽やかに笑いながら、冗談じみたことをどこまでも冗談のように彼は語った。
何もかもが変わってしまった今、もう一度同じことを訊ねたならとそんなことを考えたが、それはあまりにも意味のない仮定だろう。
あの時の俺たちはまだ、なにも分かっていやしなかった。今はどうだろう? あの時よりは分かってきたのかもしれないが、きっとその分かり方もどこかがかけ違えて破綻してしまっている。綺麗事をバカにするのが賢くなるなんて嘯くには、俺たちはあまりにもあらゆることを蔑ろにしすぎた。
「それで、今のお前はなんて答えんだよ」
「オレが知るか。ただ、お前は殺す。お前は殺してもいい奴だと、オレが決めたからな」
思わず、自分でも驚くほどに大きな溜め息がこぼれてしまった。
呆れたことに、お前は事此処に至ってもまるで変節出来なかったらしい。バカは死ぬまでなんとやらと言うが、どうやら天才というのは死んでも手の施しようのないタチの悪い病気だったようだ。
俺は腹を決めることにした。これ以上は、本当に時間の無駄でしかない。
ガスコイン神父、アルフレッドとウーラン、ユルトに、そしてソラール。
こんな俺に、傲慢にも級友たちの、そして世界の救世主を気取ろうとする俺のワガママに。
賭けてくれた彼らの意思を無為にすることだけはあってはならない。
「じゃあ、”ゆく”か。樋浦」
『盗人の短刀』を左に、『深みのバトルアクス』を右に抜き放ち、俺は階段の残りを一気に駆け上がっていった。
気分はすっかり、処刑台を登っていく死刑囚のようだ。
「あぁ、”ゆこう”。佐渡」
『罪の大剣』を左に、『裁きの大剣』を右に垂らし、樋浦は構えすら取らずに悠然と立ちふさがった。
きっとお前は、処刑人にでもなった気分でいるんだろう。
なぁ、樋浦。本当は、もうひとつ聞きたいことがあったんだ。
聞かなかった理由は、答えがじきに分かってしまうからだ。
「死ねよ、樋浦――!」
「殺してやるよ、佐渡――!」
人は死んだら、どうなるんだろう。
俺かお前、どちらか一方はこれから確実に死ぬ。死んだ方が答えを知ることが出来る。
だから、樋浦。頼んだぜ?
「お前が答えを、教えてくれよ」