「おいおいおいおいやばいぞやばい! 菰田、いい加減ふざけてないで防具着ろって死ぬぞ! 那須川は魔法使いだっけか!? あまり前線に出ずに後ろの方から援護頼むぞ! 委員長はなんだ、伝令? よく分かんないけどとりあえず伝令っぽいなにかでなんとかしてくれ! 樋浦、樋浦! どうすんだこいつ予想よりはるかに危険っぽいんだが! 大丈夫なんだろうな、勝てんだろうなこれ!? ていうか生きて帰れるのか俺たちは!? なあおいなんで俺ひとりだけバカみたいに騒いでるんだ!? みんなどこに行ったんだよ居ないのか!?」
「口より先に身体を動かせーー!!」
樋浦の怒声を背に受けながら、俺は全力で右横へと身体を投げ出した。それと同時に、俺自身の力とは別の作用、つまりは謎の風圧だか爆圧だかによって、俺の身体は想定していたよりもかなり勢いがついた状態で水溜まりへと投げ出される羽目になった。
「っつー、あだだ……。……う、うおおお!?」
そして、おお見よ! つい一秒前まで俺が立っていた地面一帯には、一般的な男子高校生の上半身よりもさらにひと回りほど大きなサイズの物騒な刃渡りを持つ斧槍が深々と突き刺さっているではないか! 岩盤に発破でもかけたかのような先ほどの爆音の正体は、どうやらアレによるものだったらしい。いったいどんな膂力があればあんな芸当が可能なのだろう? あまりの衝撃に、転んで擦りむいた頬の痛みもどこかに吹き飛んでしまったほどだ。
「無事か佐渡! よし大丈夫そうだなさっさと立て! 体勢を立て直さないと次は避けられないぞ!」
俺と鎧の審判者との間に、盾を構えた樋浦が割って入ってきた。樋浦の脇を固めるようにカイトシールドを携えた委員長も俺の前方へと素早く進み出て、スピアの切っ先を巨人目掛けて突きつける。臨戦態勢ばっちりなふたりへと、俺は礼を言う代わりに先ほどから気になっていた疑問をぶつけた。
「那須川と菰田はどこに行ったんだ?」
「分からない。いつの間にか隣から消えていたみたいだ。アレが動き出したあたりで僕はふたりの姿を視界から外していたけど、あの一瞬でこの広場から走り去ったなんていくらなんでも無理がありすぎる」
「物理法則を無視した方法でこの空間から追い出されたとでも? 空恐ろしい話だが、今回ばかりはありがたい話かもしれないな」
ありがたい。その含みのある言い方に、いよいよ事態がのっぴきならないところまで来てしまったことが改めて思い知らされる。
地面を食い破り深く深く沈み込んだ斧槍。あれを、菰田や那須川が食らってしまったなら。樋浦はそんなことを考えたのかもしれない。ああ、それは大変だ。それはまずいだろう。
一瞬だけ視線を背後にやってみる。そして、俺たちが通ってきた入口が厚い霧のような壁で塞がれているのを確認したことで、俺はようやく少しだけ頭を冷やせたような気がした。
これで俺たちに逃げ場はないが、同時に誰もここには入ってこれなくなったというわけだ。
「樋浦、作戦は?」
「一人がアレの注意を引いて、残り二人が死角から攻撃。それしか無いだろうな」
「そりゃいい、分かりやすくて最高だ。ところで樋浦、『言うは易し、行うは難し』ってありがたい言葉を知ってるか?」
「お前こそいい加減腹を括れ。易かろうが難かろうが、やれなきゃここで全員お陀仏だ」
分かってる、分かってるさ。それくらい重々承知だ。もはや勝てる勝てないを議論する段階に話はない。
あの剛力無双の巨鎧を、あの人知を越えた怪物を、この場で俺たちだけでなんとかしなくてはならない。
やるか、もしくはやるか。そのどちらかしか道はないのだ。
「やることは分かったし、異論はない。けど樋浦くん、佐渡くんが言うとおり、その作戦だと囮役の負担が大きすぎるんじゃないか?」
委員長は慎重な顔で樋浦を窺う。そう、なにも俺がごねたのは臆病風に吹かれたからだけではない。正味、樋浦の打ち出した作戦はあまりに博打性が高すぎる。あの恐ろしい斧槍を相手取って大立ち回りを演じる? 賭けてもいいが、俺なぞ10秒も持たないだろう。
委員長の懸念に対し、樋浦は間髪入れずにきっぱりと答えた。
「囮はオレがやる。ここはオレが引き受けるのが筋だ」
「正気かよ。そんな重い鎧着てちゃ、ジャッキーだってスタントしくじるぞ」
「お前の防具は軽装すぎて掠るだけで致命傷になりかねないし、委員長もきっとこんな荒事の経験は無いだろう。それともなにか、お前が代わりに『シャンハイナイト』でも見せつけてくれると?」
なるほど、返す言葉もない。俺のような大根よりも樋浦の方がよほどハマり役というわけだ。荒事の経験と来たら、この場でいちばん動けそうな奴は樋浦を置いて他には居るまい。自分自身まで戦力のひとつとしてあくまでも公平に計上する樋浦の顔からは、些かの怯えも躊躇も見出せない。その冷静さは毎度頼もしいことこの上ないが、いったいこいつの正気はどこにあるのだろう。
「そら来たぞ。委員長、佐渡、準備はいいな?」
額を突き合わせて話し合う俺たちに向かって、一分の隙も見当たらない磐石の足運びでこちらへと歩を進める、斧槍携えた灰の審判者。
封印から目覚めた時は錆び付いた機械が無理に駆動しているような無様な有様だったというのに、今やその所作は一流の武人さながらの、ある種の気品すら感ぜられるほど。長大な斧槍を持て余した様子も、物々しい鋼鉄の鎧に引き摺られる雰囲気もない。一歩ずつこちらとの間合いを縮めるその足取りが、質量を持った死そのもののようだ。
「ああ、こっちはいつでもいけるよ」
「俺はちっとも良くないけどな。けどいいぜ、さっさとやってくれ」
俺の理性が、再三の疑問をこれまでとは比べ物にならないほどに強く発令する。
果たして、俺たちはアレを相手に勝利を収めることが本当に可能なのだろうか?
どころか、アレを相手にして、俺たちは生き残ることが出来るのだろうか?
「よし……、行くぞ!」
ええい、ままよ。
号令一下、樋浦の合図で俺たちは迅速に散開した。樋浦は盾を正面に構えたまま、直線距離でしろがねの鎧目掛けて猛ダッシュ。委員長は樋浦から見て左側、張り出した大樹の根が絡みついた壁側に向かって大回りで鎧の右横を取る位置へと走る。それらを視界に収めながら、俺は自分のポジションを定める。
「オオオッ!」
鎧の審判者の注意は、猛々しく吠えながら最短距離でまっすぐ突撃してくる樋浦へと注がれている。
俺は樋浦を軸に委員長とは線対称の方向、鎧の左側へと大回り気味に全速力で駆ける。奴の携える恐ろしいスケールの斧槍の側を、勇気が許す限りのギリギリまで距離を縮めた大回りで、駆ける。
日頃の運動不足が祟ったか、それとも視界にちらつく斧槍への恐怖か、妙に足がもつれ気味だ。冗談じゃない、ここでコケたらあの巨鎧より先に樋浦に殺されかねない。まだだ、もっと速く、もっと距離が必要だ。鎧の左横をさらに通り過ぎ、そのまま5メートルほど駆け抜けたところで、俺は頃合いと判断した。
速度を緩めつつ制動を掛け、そのまま180度の方向転換を決めながら、1メートル弱だけおまけに距離を稼ぐ。うむ、我ながら上々な首尾だ。
(どんな時でも、チェック・シックスってな)
樋浦が正面、委員長が右側面、そして俺は奴の背後。即席包囲網の出来上がりだ。
それにしても、大した距離は走っていないというのに、早速膝がガクガクと笑い始めている。自衛隊の訓練じゃあるまいし、鎧や武器なんて身につけて動き回ったのはこれが初めてであるからある意味当然といえば当然の反応であるが、どうやら本気で運動不足を憂慮した方がいいのかもしれない。
(それにしても、なぁ……)
視界に収めるは堂々たるしろがねの巨躯、そのおそろしく幅広な背中。その圧力はまさしく尋常ではない。どれだけ足音を殺して近づいたとしても、即座にこちらへと振り向いて斧槍を叩き込んできそうだ。これと正面から対峙している樋浦のクソ度胸には本当に舌を巻く。
適材適所、なるほどたしかにその通りだ。俺には正面からの囮役など逆立ちしても出来っこない。足が竦んでいる間にハエのように叩き潰されるのが関の山だろう。ならばこそ、ビビリはビビリなりにやることをやる他ない。
どう見ても通常の人類規格ではない寒々とした輝きを放つしろがねの背と、手の中の短刀とを見比べる。バタフライが可愛く見えるような物騒な刃渡りの『盗人の短刀』だが、果たしてこいつであの鎧にどこまで傷をつけられるのかは甚だ疑問だ。樋浦のロングソードならいざ知らず、あの鎧の材質が塩化ビニルでもない限り、インパクトの瞬間にこちらがポッキリいくのではなかろうか。
加えて言うなら、俺は切り裂きジャックでもなんでもない、どこにでも転がっているような一介の男子高校生に過ぎない。ナイフの扱いに関して心得があるどころか、包丁よりも長い刃物なんて久しく手に取ったことがないほどだ。
『いいか、コツは”身を任せる”ことだ』
数刻前、樋浦から賜ったアドバイスが脳裏をよぎる。
身を任せる、ねぇ。
樋浦の言葉を反芻しながら、俺は短刀の柄をぐっと両手で握り込む。樋浦が注意を引き受けているおかげで、鎧の審判者はこちらの姿を視界に入れていない。アレと真正面から対峙していたらと考えるだけで逃げたくなるが、背中を向けている今ならなんとかいけそうだ。
よし、やるぞ。やってやるぞ。
一世一代の覚悟で己を奮い立たせ、俺は半ばヤケクソ気味に脚へと全速力を叩き込む。
(身を任せる、身を任せる)
言うまでもないことだが、俺に怪物退治のスキルなど当然あるはずもない。というより、そんな経験のある人間など居るはずがない。
ドラゴンが実在すればいいと、そう願う奴は居るだろう。剣を執って戦いたいと本気で考えている人間も、ひょっとしたら世界のどこかには居るのかもしれない。
それらの願いの根底にあるのは、絶対的な「ファンタジーの非実在」という大前提としての常識だ。
剣も魔法もモンスターも、実在しないと分かっているからこそ「もしも」と人は願う。
いま俺が目の当たりにしているこれが現実なのか、それとも最高に生々しい夢なのかはひとまず置いておくとしても、黒いボロをまとったあの骸骨や眼前の鎧の審判者は、俺の常識の埒外に存在するイレギュラーであるという事実に揺ぎはない。常識外の相手に対するに、俺がこれまで培ってきた常識はおそらく役には立つまい。郷に入りてはなんとやらと、要はそういうことだ。
(身を任せる、身を任せる、身を任せる……)
なるだけ余計なことは考えず、身体から余分な力を抜いておけというのが樋浦の言だったが、生憎となんのことかさっぱりだ。
身体の力を抜け? 抜いたらどうやって身体を動かせばいいんだ?
こちとら万年帰宅部、言うまでもなく武道にはとんと縁がないし、運動神経もいい方ではない。明鏡止水のめの字も知らない俺には、心を無になどというご大層な真似は出来っこない。出来っこないので、せめて、ひとつのことだけを考え続けて頭をいっぱいにしていく。
(身を任せる身を任せる身を任せる、身を任せる……!)
まるで子供のおつかいだが、行為としては似たり寄ったりなのが最高に皮肉だ。
流れに身を任せる。指示は一瞬、後は流れに身を任せさえすれば、それでいい。
(走って、斬る。走って、飛びかかって、斬る!)
思考に引っ張られ、身体が”流れ”に乗る。
まるで、回路を切り替えて、違う誰かに身体を明け渡したような感覚だ。
闇雲にめちゃくちゃだった足運びが、無駄のない踏み込みへと変わる。徒競走のバトンのように無造作に握り締めていた短刀の柄が適度な間隔の握りに持ち替わり、フリーだった左手が柄頭近くに添えられる。
まるで手練のナイフ使いにでもなった気分だ。俺の知らない、経験したことのない動作。それをさも手馴れたがごとく、常識であるかのごとく、俺の身体が実行する。
気づけば、鎧の審判者はもう目前。身体は走る動作を終え、次の挙動へと淀みなく移行する。
一歩目でほんの僅かに身をかがめつつ勢いをつけ、二歩目で思い切り踏み切って、跳躍。工程のすべてにおいて失速は無し。ダッシュで蓄積した速力を余さず跳躍に転化させ、アクションは最終工程へ。
「……らああぁっ!」
いちおうそれっぽく掛け声らしいなにかを発声してみたが、どうやら自己満足以下の大した意味もない行動だったようだ。
すべては、結果が明快に示している。疑う余地はどこにもない。
全体重プラス助走からの跳躍を乗せた渾身の一撃は、鎧の審判者の背に深々と根元まで食い込んでいる。短刀の刃は折れも欠けもせず、堅固な鎧に弾かれることもなく、しっかりと審判者の肉体へと深々と……、待てよ、肉だと?
(なんだ、この手応え?)
それは、なんとも珍妙で気味の悪い感覚だった。
インパクトの瞬間には間違いなく鎧と短刀とが耳を覆いたくなるような壮絶な金属音を発し、手首が砕けたかと思うほどの衝撃が跳ね返ってきた。しかし、腕に伝わって来る感触はすぐにまったくの別物へと変わってしまったのだ。
硬さから、柔らかさ。金属でもなければ鉱石でもないし、もっと言えば、無機物の類でさえない。
最初は、引き締まった肉かと思った。例えて言うなら、そう、身の引き締まった鶏胸肉だ。短刀の刃から感じる手応えは、ぎっしりと身の詰まった肉を切りつけた感覚に近かった。
しかし、肉にしてはなにかがおかしい。少なくとも、"人の肉"を切った手応えではない。
肉よりもずっと弾力に富み、より瑞々しい。オノマトペで表すなら、ずちゅりと、そういう音がしそうな手応えだ。
思い当たるような可能性を強いて挙げるとするならば、これは。
(ゴム質……、いや、ゲル?)
想像した瞬間、怖気が走った。さっきまでは神秘的な畏怖をすら感じていた眼前の鎧が、急に得体の知れないおぞましい代物に思えてならない。
このしろがねの鎧の中に詰まっているのは、いったいなんなんだ?
「オラアッ!」
「はっ!」
樋浦と委員長の声が耳に飛び込んできたことで、俺はようやく現実へと引き戻された。
そうだ、今は悠長に考え事をしている場合ではない。俺は俺の役割を果たさなくては。
突き立ったままの短刀を取っ掛りに逆上がりの要領で下半身を跳ね上げ、
「よっ、とお……!」
両足をドロップキック気味に鎧の審判者の背中へと叩き込み、その反動で短刀を引っこ抜く勢いでバク宙を決めて着地。まるで軽業師だ。本当にどうなってんだ俺の身体。着地の姿勢から立ち上がった俺は巨鎧から距離を取り、戦場をざっと俯瞰してみる。
すると、おや。これはどうしたことだろう?
「オオオッ!」
驚くべきことに、樋浦はあの鎧の審判者を相手取り、なおかつ一歩も退かぬ立ち合いを繰り広げているではないか。
烈空一過、今もまた大きく振りかぶられた審判者の斧槍が轟音を伴って振り抜かれると、それをダッキング気味に躱しつつ自身は距離を詰め、
「ッ、オラァ!」
踏み込みを乗せた右撃ちの水平斬りで、鎧の審判者の胴元へとロングソードを打ち込みせしめた。距離の開いたこちらまで届くような快音が響き、仰け反らないまでも僅かに苦悶するように、巨鎧の動きが数瞬鈍った。
なんと堂に入った動きだろう。もしやあいつは過去に剣を片手に魔物と戦ったことでもあるのだろうかと、知らない人間が目にしたらそんな風に疑いたくなるだろう身のこなしだ。
(しかしまぁ、それもあながち嘘でもない、のか)
つくづく、手馴れてやがる。
しかし、俺の驚きはそれだけではなかった。
「はっ!」
樋浦の奮戦ぶりには流石に一歩譲るものの、委員長の方も俺の予想を遥かに上回る戦いぶりだ。
常に巨鎧から一定の安全マージンを確保した位置に陣取り、隙が生まれるや否や逃さずにそこへスピアを突き込む。
『……!』
「すまない委員長、助かる!」
それに釣られる形で、審判者の攻撃の矛先が樋浦から委員長へと変わる。
仕返しとばかりに直線軌道でぶち込まれた斧槍を、やや危なかっしく左のカイトシールドを使って逸らし受け流す。ぎこちないながらも、しかし挙動自体は冷静に実行された手堅い防御だ。
こうして委員長が慎重な防戦を行っている間に、樋浦が調息を完了させて体勢を立て直すというパターンがここに生まれる。
あのデカブツを相手にチャンチャンバラバラを繰り広げる樋浦のパフォーマンスは相当だが、それに追従しかつ動きを阻害することなく援護を成立させている委員長もかなりのやり手だ。まさかとは思うが、あの委員長にも、もしやこういった修羅場の経験でもあるのだろうか? 人は見掛けに拠らないとはよく言ったものだ。
(にしても、な)
俺は知らず、自分が片頬で気の抜けた苦笑めいたなにかを浮かべていたことに気がついた。
樋浦はおよそあらゆる物事において優秀な、自他ともに認める”天才”だ。頭の回転が速く、強堅な肉体を持つ。大抵のことを人並みよりはるかに上手く、そつなくこなせる。言葉にすればあっさりしたものだが、あれほど”完成された”人間を俺は他に知らない。
この右も左も分からないファンタジックな環境にいち早く順応し、”戦い方”を見出してすぐさま体得したのもあいつだ。一切の誇張抜きで、樋浦が居なかったらクラス一同まとめて一瞬で野垂れ死にしていたに違いなかろう。
『ユウはね、不完全燃焼なんだよ。いっつもつまんなそうにしてるでしょ』
いつだったか、那須川がそんなことを言っていた。那須川が言わんとすることを俺がある程度まで理解出来たのは、それからずいぶん後になってからだった。俺が鈍いというのもあるが、比較的よくつるむ方である俺でさえしばらく気付けなかったほどだ。果たしてクラスメイトのうちでいったい何人が、それに気づいているだろうか。
しかし、目の前のアイツを見ていれば、俺でなくてもはっきりと分かるだろう。
「合わせてくれ、委員長!」
「分かった!」
コンディションを整えた樋浦が一歩を踏み出すのに合わせて、委員長がポジションをやや左へと移した。
「せいっ!」
移動と同時に、委員長は審判者が突き出した斧槍へとカイトシールドを力強く打ち付けた。それまで行ってきた受け流しの防御よりも乱暴な、"逸らし"ではなく"弾き"、パリィの一手だ。
『……!?』
結果、斧槍はガクンと大きく軌道を狂わせ、審判者は体勢を大きく泳がせた。
そこに、一分の無駄もないタイミングで樋浦が仕掛ける。委員長が空けた分のスペースへと瞬時に滑り込み、
「食らいやがれッ……!」
半身を反らすほどに大きく引き絞られた溜めから、抉り込むような急角度で渾身の突きが放たれた。肉を深々と穿つえげつない音がこっちまで聞こえてくる。俺の短刀の一撃がお遊戯に思えてくるような凄絶な一撃だ。
「どうだよ、ちっとは堪えたか、デカブツが」
『…………!!』
巨鎧を足蹴にしながら、突き立ったロングソードを樋浦は荒々しく引き抜いた。打ち合わせなしのぶっつけ本番だとは到底思えないような完璧なコンビネーションアタックに、上体をくの字に折った審判者がたまらずにたたらを踏んで後退する。
那須川の言を借りるなら、”不完全燃焼の天才”。それが樋浦という男だ。大抵のことは単独でこなせる上に、むしろ他人と組むというのはあいつにとっては殆ど枷にしかならない。そういう奴なのだ、あいつは。
そんな奴にとって、自分が他人に合わせてやるということはあっても、その逆というのは滅多に成立し得ないレアケースなのである。
事実、最初に樋浦が俺たちに提示した作戦では、樋浦ひとりが囮を引き受ける手筈だった。それが、樋浦と委員長がふたりで分散してターゲットを取る方策へと、実に自然に転換している。奴にとっておそらく、これは嬉しい誤算なのだろう。
(楽しそうな顔しやがって……、状況分かってんのかよあいつ)
足を引っ張らない他人と組むこと。そしてなにより、剣を片手に魔物とヤットウという正気の沙汰ではないこの状況。こんな機会も経験も、俺たちが知る”常識”のどこにも存在し得ない。この世界での”戦い方”をあっさりと見出した樋浦にしても、それは無論のこと例外ではないのだ。
ぎらぎらと充溢したその瞳の輝きが物語る。
遊び古した玩具に飽きた子供が喜ぶのは、新しい玩具を与えられた瞬間に他ならない。
溌剌と振るい、活達と暴れまわる我らが天才児。
誰が見ても明らかなほどに、樋浦は今を楽しんでいた。
『……■■、■■……、■■……!!』
そして、樋浦の会心の一撃が流れを変えた。ついに戦闘に転換の兆しが顕れたのだ。
ふたりの猛攻をその身に受けた鎧の審判者が、鎧の胸元を抑えて苦しみもがき始める。人語として成立していない不明瞭な呻き声を上げ、あの威容がついに膝を屈したのだ。
「これは、やったのか?」
委員長が肩で息を吐きながら、疑問符付きで呟く。
「さあてね! あと、委員長! その台詞は俗に言う、フラグってやつだ! やめといた方がいい!」
「えっ? フラグ? 僕はなにか、まずいことを言ってしまったのか!?」
「余計なことを言うな佐渡。お前の台詞の方がよっぽどフラグだ」
ふたりから距離が離れていた俺がやや声を張り気味に放った戯言に、委員長は焦ったように生真面目なレスを返し、樋浦は吐き捨てるように一蹴した。うう、しいません。
軽口もそこそこに、俺たちは鎧の審判者の様子をやや遠巻きから観察する。
『■■……! ■■■■……!』
先ほどまではこちらの斬撃をものともせずに、まるで意志持つ彫刻かと錯覚させるほどに小動もせずに斧槍を振り回していた審判者。それがここに来て唐突に悶え苦しんでいる姿には、正直かなり不気味なものがある。
卑近な喩えで本当になんだが、清純派で売っていた芸能人の、裏で行っていた下衆な所業がすっぱ抜かれたのを見た気分とでも言えば良いのだろうか? なにやら、見てはいけないものを見せられている気分だ。
「樋浦くん、これはチャンスなんじゃないか? 今のうちに畳み掛けるべきなのでは?」
「オレも賛成だが、どうも様子が妙だ。下手に仕掛けるのは危険かもしれない」
「どうせならこのまんまポックリ逝ってくれれば、それが一番いいん、だけど……、な……?」
俺の発言の終わり際、まるで俺の言葉がトリガーにでもなったかのような嫌なタイミングで、”それ”は起こった。
『………………』
審判者が、動きを止めた。
痛苦に歪められたような呻きも、惨痛に藻掻くような挙動も。
まるで一時停止でも掛けたかのように、一切の動きをぴたりと止めたのだ。
「…………?」
「…………!」
「な、なぁ、これ……」
委員長は訝るように目を細め、樋浦は瞠目して武器を構え、そして俺は間抜けに独り言を漏らしていた。
反応はそれぞれではあったが、おそらく、この場の三人がまったく同じことを考えている。
本当に、やばい。
この世界に来てから起こったなによりも、次の瞬間に起こることはやばい。
凍りついた時の中で、俺たちは同じ感覚を、一切の齟齬のない凶兆を共有していただろう。
――これは、死んだな。
予測でもなければ、予知でもない。
事実としての、厳然たる事実としての”死”を、決定されてしまったのだ。
『■■、■■……!! ■■■■■■■■!!!!』
叫びと共に、膿は弾けた。