薪となりて、灰へと還る   作:ネイキッド無駄八

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ザ・ファースト・ブラッド

 聞くに耐えないおぞましい吠え声をあげながら、そいつは這い出てきた。

 まるで、”膿”だ。

 ぬらぬらとツヤを放つその体表は、あらゆる怨嗟、妬み嫉みに憤激に嗜虐、あらゆる人の悪性の吹き溜まりを煮詰めた煮こごりのよう。

 間断なく垂れ流される絶叫は、悲鳴と怒号、嘲笑に侮蔑、あらゆる負の感情をいっしょくたに奏でた不協和音。

 鼻がもげたかと思うほどの凄まじい悪臭は、下水と肥溜めと残飯と腐らせた牛乳とを混ぜ合わせたようだ。

 見るに耐えず、聞くに堪えない。目と耳を塞げども、手が回りきらなかった嗅覚が訴える。

 腹の底からこみ上げてくるのは嘔吐感だけではない。むかむかとしたこの感覚は、信じられないことに義憤だ。

 アレを許してはならない。アレを正さなければならない。弾劾しなければ、吊るし上げなければ、晒し者にしなければならない。ありとあらゆる手段でもってアレを貶めなければならないという、激しい義務感と正義感だ。それこそが世界のために必要な仕打ちだと、叫ぶ俺がどこかに居るのだ。

 こんな存在が許されるのか、こんな醜く爛れた汚物が認められるのか。同じ空気を吸うことすらアレルギーを起こしそうな、拭い難い生理的嫌悪がこれ以上なく雄弁に物語っている。

 あれは、俺だ。

 樋浦であり、委員長だ。那須川であり、菰田であり、安藤や和卿や権藤、認めたくはないが、きっとあの地上の天使のような武智でさえあるだろう。

 誰もが目を背けたい、自分のものではないと否定したい、そんな悪性腫瘍。人類種に寄生した手に負えない癌であると同時に、人類そのものが救いようのない癌であると反証する冷酷な鏡。

 あれは紛れもない、”人の膿”なのだ。

 

『■■■■■■■■■■!!』

 

 などとらしくもなく、余計なことをつらつらと考えていたのがまずかった。

 ”膿”が絶叫し、どす黒い大蛇のような体躯を大きくしならせて尻尾を振りかぶったところまでは、視界が捉えていた。

 

「ぐ、え……?」

 

 自分がなにをされたのか理解するより早く、先に認識したのは自分が宙を舞っているということ。

 遅れて、鈍い痛みが脇腹を中心にじんわりと広がり始め、息を吸おうとしてそれが出来ないことに気づく。

 

「……渡くん!? 」

「余所……るな、委……! ……を視界に……、まで後ろに……るんだ……!」

 

 ふたりがなにかを口々に言い合っているのが断片的にしか聞こえてこない。耳がイカレたのだろうか? なんだか頭もぼんやりして、まともな思考が出来ていない気がする。空気が肺まで来なくて苦しい。全身の感覚が希薄で、息苦しさしか認識できない。地面はどこだ? 俺の身体は今どうなっ

 

「…………あ」

 

 どすん、ずざざっ。そんななにかを引き摺ったような鈍い感覚が、いの一番に来た。

 そして、次の瞬間。

 

「いっ…………!?」

 

 痛い! 痛い痛いいたいイタイ死ぬ死ぬしぬしぬ!!

 唐突に感覚が戻ってきた! そしてなんだこれは!? 痛い! 痛い痛い痛い! なんだこれ!? なんだこれ!?

 色も音も遠ざかったふわふわした世界に、蛇口を全開にしたような勢いで情報が一気に押し寄せてきた。とりあえず痛い! 尋常じゃなく痛い! 打ち上げられた魚のように口をパクパクさせて必死に酸素を取り込む。そのまましばらく無様な呼吸を続けることどれくらいだろうか。体感では永遠のようにも思える拷問のような時間の甲斐あって、絶息からなんとか全力疾走直後くらいの状態まで呼吸が戻ってきた。酸素が身体に入ってきたことで、思考の方も段々調子を回復させてきている。

 

「……っってえええええ、ちくしょお……!」 

 

 ショック死を防ぐために重大な損傷を負った時には一時的に痛覚を遮断するという人体の機能から鑑みるに、俺のダメージは「やや軽めの致命傷」といったところらしい。いやどんだけだよ。言った俺がよく分からん。

 ざっと自己分析した感じ、どうやら辛うじて五体は満足で済んでいるようだが、中身の方まで大事無いかはかなり怪しいといったところか。相変わらず脇腹を中心に筆舌に尽くしがたい激痛が全身を苛んでいるが、これが話に聞く肋骨が折れた痛みというやつなのだろうか? 呼吸をするだけで地獄の苦しみだし、あまりにも痛みが激しすぎて何故だか寒気まで感じてきた。今の時点で既に死ぬほど痛いが、「ほっといたらこのまま本当に死んでしまうのではないか?」という強迫観念に心臓が早鐘を打ち始めている。

 そして、俺がそんな生き地獄に喘いでいる間にも、状況は片時も待ってはくれない。

 

『■■■■――■■■■■■!!』

  

 ばちん、そんな音と共に。

 ”膿”が一際大きく喚き散らかし、そして次の瞬間、その身を大きく膨張させて爆発四散させた。

 痛みに滲んだ不明瞭な俺の視界に映ったのは、まるで支離滅裂で理不尽な光景だった。

 

「なんだ……!?」

 

 ”膿”と正面から相対しつつじりじりと後退していた樋浦が、素早く視線を周囲に巡らせた。委員長の方も動揺を隠せない調子で、狼狽した様子で一歩を後じさる。

 おそらくふたりの位置からは、”膿”が唐突に爆発して視界から消え失せてしまったように見えたのだろう。審判者との距離が俺より近かったふたりには、そこまでしか把握しきれなかったのだ。

 吹き飛ばされたことで”膿”から距離が離れ、結果的に戦場の様子が見渡せる位置に居た俺には事態の全容が辛うじて掴み取れた。

 知らせなくては、ふたりに知らせなければならない。

 

「う、うえ……、ぎぃっ! 上だ、ぁ……! あが……っ」

 

 必死の思いで上体を起こし、どうにかこうにかふたりの所にまで届くだけの声量で知らせることは出来た。その代償に、一瞬意識が断絶しかけるほどに桁外れの激痛が脇腹を駆け巡る。再び絶息しかけながら、俺はすぐに気づいてしまった。

 伝え方を、間違えたと。

 言うべきは、状況そのものではなく、解決策であり事後策だったのだ。

 

『全力でその場から離れろ』

 

 俺はそのように言わなければいけなかったのだと。

 

『――――■■■■■■』

「なっ……!」

「チィッ……!」

 

 まるで、走馬灯でも見せられているかのようだった。目の前の光景が、ひどく緩やかにじりじりと流れ行く。

 膿が、宙を舞っていた。

 どす黒い腐肉がぶよぶよと弛み、宿主であったしろがねの巨鎧はその腐肉の中に胴体の殆どを呑み込まれ、わずかに外にはみ出た手足が糸の切れたマリオネットのように、ぶらんぶらんと無様にばたついている。

 軟性と弾性とを小賢しくも存分に発揮させて、”膿”はその巨体を、瞬間的に目で追うのが困難なほどの速力で一気に跳躍させたのだ。

 スローモーに動く視界の中、人の膿が、まるで悪性の流星のように墜落していく。

 忌々しげに舌打ちしながら、驚きに固まる委員長を樋浦がタックルで以て強引に着弾地点から押しやろうとする。

 俺だけが、動けない。俺の落ち度が生み出した惨事を緩慢と見せつけられながら、俺だけが動けない。

 恐怖に竦んで? さすがにそこまでのチキンじゃない。 

 耐え難き激痛で? それはそうだが、今に限っては少しばかり違う。

 俺の胸に去来したのは、諦観だ。諦めが、俺の動きを止めてしまったのだ。

 俺がこの状況でどう動いたところで、もはやどうにもならない。どうしようもない。そんな腑抜けた感情が、激痛をおして俺に身体を駆動させる気力を奪い去ったのだ。

 ふざけるな、やってもいない内に諦めるだと? それは臆病者以上に救いがたい、卑怯者の行いだ。お前のミスが招いた結果からお前が目を背けてどうするんだ。

 立て。立って、挽回するんだ。出来ることを限界までやれ、手を尽くせ。蹲ってないで行動しろ!

 だが、心と身体を必死で奮い立たせようとする俺に、心のどこかで、冷めた目線のもうひとりの俺が言うのだ。

 ああ、またか、と。

 

『”今回も”、こういう結果に終わるんだな』

 

 樋浦と委員長は、避けきれなかった。

 ドッパアン、そんな音がした。水面に思い切り平手を叩きつけた時のあの音を百倍凶悪にしたような、おそろしい音だった。

 黒い大蛇を象った”膿”が、のっそりと鎌首をもたげる。寡黙な武人であった鎧の中身を占めていた黒膿は、宿主とは対照的にすさまじく五月蝿い奴だった。休みなくシューシューと吠え声をあげ、せわしなく蛇腹をのた打たせる。黒い総体の中、真っ赤な眼窩だけがぬらぬらと気色悪く光を放っていた。

 

「が……、クソッ……」

 

 爆心地近縁の樋浦のダメージは甚大だった。身に纏っていた『騎士の鎧』はあちこちが見るも無残にひしゃげて鉄屑同然の有様で、あれではもはや鎧としての機能を果たすどころか完全なるデッドウェイトでしかない。それでも、樋浦の身体そのものがマッシュポテトの憂き目に遭わずに済んでいるということは、鎧はいちおうはその役割を全うしたということだろう。しかし、負傷の度合いは俺などより遥かに深刻、生きているのが奇跡的なレベルだ。

 

「そんな、樋浦くん」

 

 樋浦の苦肉の策がギリギリで功を奏した結果、俺たち三人の中で最も傷が浅いのは委員長だった。質量爆弾の中心からはどうにか逸れ、脚部が”膿”の触腕部分の下敷きになったという状態が「最軽傷」というのは、なんとも皮肉な話だが。

 

「どうして、僕を。僕よりも、樋浦くんの方が、どうして」

 

 ただ、軽傷で済んだ筈の委員長の表情は、悲壮すぎてとても見ていられる代物ではなかった。

 傷は一番浅い筈なのに、一番辛そうな顔をしていた。

 

『クラスメイトが傷つけられて、それで自分だけ安全圏に居ようなんて恥知らずな真似は僕には出来ない。委員長としての責任以前に、これは人として当然の行いだ』

 

 戦いが始まる前に委員長が言っていたことだ。

 誰かが傷つくくらいなら、自分が傷ついた方がマシ。真面目で高潔な、委員長らしい考え方だ。だけど、樋浦も言ってただろう? 自己犠牲は誰も救わない。その考えで救われるのは自分だけだ。委員長みたいな生真面目な奴がひとりで傷つく、それが自己犠牲なんだよ。

 樋浦は委員長に身を以てそれを示した……、わけでは勿論ないだろう。奴がやったことだって、立派な自己犠牲にほかならない。結果的に、こうして三人が三人残らず死に体の有様だ。どいつもこいつもクソ真面目で、傷だらけで。

 ちくしょう、俺のせいだ。俺ひとりだけが、何を為すこともなくこうしてへたばっているわけだ。こんな滅茶苦茶な話があってたまるか。

 

「委員長……! 早く、そこから、逃げろ……!」

「そう……だ、はや……、グッ……! ア……!」

 

 俺は”膿”からふたりより少しだけ遠い位置に居る。そして、樋浦は既に瀕死だ。ならば、”膿”が次に狙うのは委員長に決まっている。そして実際、事態はそのように運びつつある。

 

『■■■■■■……!』

 

 斧槍を勇壮に振るう鎧姿にはある種美しい彫像のような品位さえあったが、今の蠢く黒蛇の姿からはただただ生理的嫌悪しかこみ上げてこない。今もまた、奴はだらしなく図体を揺らしながらじりじりと委員長へと這いずり寄っていく。鎧が門番としての務めを果たすため、さながら使命の下に俺たちと鉾を交えていたのだとするなら、今のあの”膿”は、完全なる嗜虐の思惑の下に俺たちを甚振ろうとしているに違いない。下品にシューシューと鳴き声を上げながら、こちらの恐怖を煽るように嫌らしく牛歩で歩み寄らんとする奴の歩みが、ひたすらに不愉快だ。

 だからこそ、俺がそんな風に思っていたことを、委員長もまた感じていたのだとしても不思議はなかったのだ。

 

「……いや、逃げないよ、僕は」

 

 自らへと歩みを進める”膿”と真っ向から対峙して、委員長はきっぱりと言い切った。

 表情は相変わらず痛ましげなままだったが、義憤に燃えた目の色は先程までとはまるで別人のようだ。だが、この状況で、委員長ひとりでなにをするつもりだというのだ? 三人でかかって互角だった奴を相手に、ひとりだけでなにが出来るというのか。

 

「なにを考えている……! はやく、この場から離脱し……、ぐぅっ……!?」

「君こそなにを考えているんだ、樋浦くん。優秀な君らしくないじゃないか。どうして僕を助けたんだい? 僕を切り捨てて自分の身を守る方が、よっぽど合理的なのに」

「見くびるな、俺が……、そんな風に、割り切るタチだと……ごほっ、思っていたのか……?」

 

 あくまで忌々しげに悪態をつく樋浦に、委員長の方もあくまで取り合おうとはしない。樋浦の言葉を聞いているのかいないのか、盾を外した左手で触媒――タリスマンを取り出し、その場で瞑目して一言唱える。

 

「――癒しよ」

 

 文言を唱え終えると、委員長の身体を白みがかった微光が包む。静かに光が止むと、委員長は負傷していた筈の脚をまるで何事もなかったかのように動かして樋浦の元へと歩み寄る。

 

「僕は少なくとも、そう思っていた。君はいざとなれば、非情に徹してでも最適解を選ぶ、そういうタイプだと思っていたんだけどな」

「なに……?」

「動かないで」

 

 委員長は懐から瓶詰めをひとつ取り出した。

 この世界で俺が目を覚ましてすぐ、安藤が墓地を徘徊する黒外套にちょっかいを出して負傷した。消毒薬や包帯、どころか絆創膏のひとつすら持ち合わせがなかった俺たちでは、本来なら安藤の怪我をどうすることも叶わなかっただろう。

 だが結果として、奴は無事に一命を取り留めることが出来た。それも、さしたる後遺症も身体への負担もない、実にインスタントで拍子抜けな工程によって。

 篝火――訳も分からずに放り出された奇妙な世界で、寄る辺なき俺たちの寄る辺となった小さな燈火。いったい如何なる法理の元にか、いやおそらく考えるだけ無駄だ。これもこの世界の”常識”というやつなのだろう。ともかくそれに触れることで、真実、魔法のように瞬時にそれも完璧に安藤の負傷は全快されたのだ。

 如何なる負傷も体力の消耗も、ただ暖を取るように手をかざすというその行為だけですべて完膚なきまでに癒し尽くす。そんな魔法の篝火にちろちろと燃え盛るそれを汲み上げて瓶に詰めたもの、それが『エスト瓶』だ。

 負傷した樋浦の側に跪いた委員長が、瓶を樋浦の口元へと宛てがう。瓶の中に収められた生命の火種で、樋浦を回復させようというのだ。

 

「馬鹿……、状況が分からないのか……! いいから早く……!」

「僕はね、樋浦くん。君がやらなかったことをやろうとしているだけなんだ」

「やかましい……! オレはそんなこと、頼んだ覚えはない……!」

「僕が生き残っても、勝ち目はゼロだ。なら、それは避けなければならない。僕では、ダメなんだ」

 

 君でなければ。委員長は決然とした面持ちでそう呟いた。

 もはや抗うだけ無駄と悟ったのか、委員長にされるがまま、樋浦は死ぬほど悔しそうな顔で拳をギリギリと握り締めている。

 その視線の先には、大きく頭部を振りかぶった黒蛇の姿。背を向けている委員長とて、それに気づいていないわけがない。それでも、委員長は回避行動ではなく、樋浦の回復を最優先させた。

 

『■■■■■■■■!!』

「委員長!」

 

 黒蛇の顎門に捕らえられ、身体が天高く掲げられてもなお、委員長は顔色ひとつ変えなかった。

 万力に掛けられているかの如く、ぎしりぎしりと鎧が悲鳴を上げる。恐怖の色ひとつ、後悔の色ひとつ、委員長の目には浮かんでいなかった。

 

「みんなのこと、頼んだよ。樋浦くん、佐渡くん」

 

 それだけ言って、委員長はひっそりと笑んだ。

 あんな笑い方を、俺はこれまでに見たことがなかった。俺の薄っぺらな人生経験では、あの表情を上手く言い表すことは到底出来そうもなかった。それでも敢えて言うのなら、それは。あの笑みは。

 

「ああ、これで」

 

 ぐしゃり。

 人ひとりが噛み砕かれたにしては、ひどくあっさりした音だった。

 高々と擡げられた”膿”の顎から、ばたたと赤黒い血が滴り落ちて石畳にいくらかの血だまりを作る。

 真っ二つになった委員長の身体は地面へ落下することなく、光を結ばなくなった虚像のように何処へかとふっつりと消え失せてしまった。

 呆気なかった。それだけだった。委員長は、消えてしまった。

 

「……そんな」

「クソ……!」

 

 言葉が出てこなかった。人が自分の目の前で死ぬ光景、殺される光景なんて、初めて見た。

 人とは、こんなにあっさりと死んでしまう生き物だったのか。18年生きてきた人間のすべてが、こんなにあっさりと終わらせられてしまうのか。

 これでは、救いがなさすぎる。こんなにあっさりと、こんなに簡単に。

 言うべき言葉が見つからなかった。なにかを訴えたかった。なにかに憤りたかった。

 言葉に、ならない。

 だから、叫んだ。 

 

「…………樋浦ああああああ!!」

 

 掛け値無しに腹から声を出したせいで、またも意識が吹っ飛ぶかと思うほどの激痛が走った。

 だが、それがなんだ。そんなこと、知ったことか。

 

「立てええええ!! へばってんじゃねえぞおおおお!!」

 

 痛みがなんだ。なんだというんだ。

 無我夢中で叫びながら、言うことを聞かない身体を全霊を込めて動かす。

 ついさっきまで俺は、あの”膿”に対して「この世に生かしてはおけない」という強い義憤を感じていた。今だって、それは変わらない。奴を生かしてはおけない。なにがなんでも倒さなくてはならないという気持ちに変わりはない。

 だが、今、俺の胸にあるのは義憤ではない。そんな取り繕ったような、嘘くさい感情ではない。

 これは、仇討ちだ。どうしようもないほどに野蛮で原始的な、報復の意志。

 応報しなければ収まらぬという、本能の叫びだ。

 

「……うるせえな。分かってんだよ、そんなことは」

 

 心底鬱陶しそうに呟きながら、樋浦の奴ものっそりと立ち上がった。自らを睨めつけてくる黒大蛇を正面から見据えて、左手に携えていた『騎士の盾』を無造作に傍らへと放り投げた。

 

「……分かってるってんだよ! そんなことはァァ!!」

 

 石畳に亀裂が走るほどの凄まじい震脚を伴って、樋浦がロングソードを両手に構えた。姿勢を右に開き剣先を角に見立てて相手へと向けた、ドイツ剣術で言うところの「雄牛の構え」で、”膿”へと全速の突貫を仕掛ける。

 

「オオオオオオッ!! ラアアアアアッ!!」

 

 まさしく文字通り猛牛さながらのとんでもない速力で一瞬で間合いを詰めた樋浦は、”膿”が反応する隙を一切与えなかった。

 ほぼ捨て身に近い勢いの加速が余すところなく転化されたカチ上げ式の一撃が、杭打ち機の如く”膿”の顎をブチ抜いた。

 

『■■■■■……!? ■■■■■!!』

「クソッ! クソが! クソが! ガアアアァッ!!」

 

 凶暴な獣のように吠え猛った樋浦は、勢いもそのままに荒れ狂う暴風が如きゼロ距離ラッシュを叩き込み続けた。

 あれはもはや、斬撃と呼べるような上品な次元の代物ではない。相手の身体を徹底的に破壊する暴力、殴りつける暴風雨そのものだ。

 だが、それだけではない。それだけでは、収まらないのだ。

 天才たる奴が行うならば、ただの暴力でさえもそれは徹頭徹尾”昇華”される。

 真に恐ろしきは、あれほどまでに暴性剥き出しの攻撃でありながら、そのすべてが冷静な計算の下に繰り出された緻密なコンビネーションであるということ。

 怒涛の両手横薙ぎ釣瓶打ち四段構え、それらの一発一発がすべて”流れに乗った”一撃であり、さらにはそれらすべて”流れに乗せ”た上で自身の体捌きをも上乗せし、相乗効果的に最終的なダメージの累加を実現させた、俺がどうにかこうにか行った”法理の利用”の上位駆動、云わば”法理の応用”とでも呼ぶべき攻撃なのだ。

 そのインパクトは、先程までの攻防で俺や樋浦、委員長が放ったどの攻撃もまるで比にならない。人間業を越えた凄まじい連撃が炸裂するその度に、比喩でもなんでもなく”膿”の身体が一撃一撃毎に左右に泳ぎ、衝戟に踏ん張りきれずどんどん後退していく。

 

『■■■■■――!』

「しゃらくせェ!」

 

 苦し紛れに迎撃の触腕を振るうも、それすらも樋浦の進撃を止めることは叶わない。

 全身を発条のように伸び上がらせ、渾身の力を込めたカウンターのアッパースイングで以て、樋浦は自らへと振り抜かれた触腕を逆に斬り飛ばしせしめる。

 おぞましい悲鳴を上げる”膿”はよろよろと力無く千鳥足を踏んで後退するが、さすがの樋浦もいい加減気力体力共に限界に達したのか、昇竜斬りの着地をしくじって不格好に尻餅をつく。双方ともに消耗著しく、ついに極限の膠着状態へと陥ったのだ。

 

『■■……■■■…………■■……!』

「はあッ、はあ……、くっ……、はあッ……!」

 

 完全に息が上がった樋浦に対し、奴が叩き込んだ会心の連撃で総身に夥しく傷を負った”膿”もまた、傍目からも明白なほどに虫の息の有様。

 どちらが先に相手へと一撃を加えられるか。もはやそれだけが、勝利への要件だった。

 

「ったく……、つくづく、タフな野郎だ……!」

 

 そして、”膿”の方がわずかに快復が早い!

 ロングソードを杖がわりにどうにか立ち上がろうとする樋浦よりも早く、先に”膿”の方が体勢を立て直した。一歩を進むごとに、身体のあちこちから黒い膿が剥げ落ちる。一歩を踏みしめるごとに、生命が削られていく。あれでは、樋浦にトドメを刺すことが出来ても自壊は免れないだろう。

 なんという執念か。すべての生物に対する妄執に、赤い眼孔がぬらぬらと濡れている。

 

「やらせる……、かよ……!」

 

 俺の位置は、二者からだいぶ離れている。手傷を負った身体では、走って”膿”へと一撃お見舞いすることは厳しいと言わざるを得ない。仮に万全のコンディションで走ることが出来ても、距離を詰める前に樋浦がやられてしまう公算の方が高いだろう。

 だが、やらなければならない。出来るかどうかではない、やらなければならないのだ。

 

「ぎいっ……!? いってえ……、なああぁ……!」

 

 激痛に悲鳴を上げる身体を、”流れに乗せる”ことで無理やり動かす。意志の力で、不可能を可能にする。

 本来なら絶対安静して然るべき負傷なのだろう。肋骨がギリギリと突き刺さる。腕骨がミシミシと軋る。それらすべてを度外視して、己の身体を目的のための手段と化す。

 痛みがなんだ。負傷がなんだ。そんなもの、委員長が感じたであろう痛みに比べればカス同然だ。

 「みんなを頼む」と、委員長は言った。樋浦にだけじゃない、俺の名前を呼んで、委員長は言ったのだ。

 こんな役立たずで良いとこ無しな俺の名前まで、委員長は呼んでくれたのだ。

 チキンで無能な俺にだって、芥子粒くらいのプライドはあるのだから。

 委員長の言葉に報いたいと、思ったのだから!

 

 

「くっ……、おお……、おおおおおおっ!!」

『……■■■、■■■■!!』

 

 

 俺の動作の完成と、”膿”がバルディッシュを突き出すのと、いったいどちらが早かったか。

 あれだけ啖呵を切っておきながら間に合わなかったらどうしようと、今更俺が不安を覚え始めていると。

 

「――お前なら、やってくれると思ってたさ」

 

 こちらとは目を合わせず、片頬を釣り上げて樋浦は俺へと笑ってみせていた。

 本当だぜ? と、ご丁寧にセルフフォローまで入れてくる始末。賭けてもいいが、あれは間違いなく精々が半々程度、もしかすると三割の信用もしていなかったであろう笑い方だ。

 

「るせー。うっかり手元が狂ってお前に当てたりしなかっただけでも幸運に思え、ちくしょう」

「まったくだ。ノーコンでならしたお前らしくもない。ひょっとして、そっちの才能はあったのか?」

 

 断末魔すら上げずに、”膿”はゆっくりと砂の城を崩すように消え去っていった。奇しくもその消え方は委員長のそれに酷似していたが、なんだか嫌な偶然を発見してしまったようだ。

 立て膝の姿勢を維持するのもそろそろ限界だったので、俺は重力に逆らわずに大人しく尻餅をついた。

 構えていた『ショートボウ』も地面へと放り出し、番えていた『木の矢』も取り落とすままに任せた。

 樋浦の言うとおり、もしや弓の才能には期待してもいいのだろうか? いや、どうだかな。俺はただ、”流れに身を任せ”ただけに過ぎない。きっと、俺よりも数段上の使い手がクラスメイトの中に現れるに決まっている。弓道部の尾形あたりが、ウィリアム・テルばりの弓術を見せてくれるに違いない。

 それでも、今はこの付け焼刃の弓が助けになったのだと、少しだけ胸を張りたい。委員長の言葉に報いることが出来たのだと、少しだけ余韻に浸っていたい。

 

「勝ったのか、俺たちは?」

「さて、な。勝ちはしたかもしれないが、失ったものの方がずっと大きい。少なくとも俺たちは、取り返しのつかないことをしでかしてしまったんだ」

 

 淡々と樋浦は言う。奴には珍しい自虐的な言葉だったが、それは虚飾のない厳然たる真実だ。

 

「少なくとも、”こんなもの”では到底割には合わないだろうさ」

 

 掌を太陽に、いや、灰の墓所の曇り空にかざしながら言う樋浦に倣って、俺も己の掌をじっと見つめてみた。

 掌に、いや、掌だけでない。全身に、ちろちろと赤い火の粉がちらついている。なんだか妙に懐かしい感覚が、全身に広がる。

 

「”Bonfire Lit”、か」

 

 物憂げに呟く樋浦の視線の先には、こちらからやや遠く、審判者の広間入口から駆け寄ってくるクラスメイトたちの姿。

 遠巻きからでは興奮冷めやらぬアトモスフィアしか把握できないが、徐々にひとりひとりの表情が見えるまでの距離になって、みんながどんな顔をしているかが分かった。

 沈鬱半々、喜び半々。少しだけ、喜びの方が大きそうだ。

 人並みをかき分けてずんずん進みくる那須川と、”委員長”を背負いながら那須川の後に続く、いつもの引き笑いをほんの少しだけ引っ込めてすまなそうな顔をした菰田は沈鬱の色の方がやや強いか。

 無理からぬ話だろう。こうして委員長の死を目の当たりにした俺や樋浦、そして中でなにが起こったかをなんとなく察しているだろうふたり以外は、本当なら心の底から飛び上がって喜びを露わにしたいに決まっている。俺たちの、そして委員長の手前、不謹慎だということは承知の上だからこそ、あからさまに態度では示さないだけだ。

 

『僕のことは気にしなくていいから、目一杯喜ぶといい』

 

 きっと委員長なら、そんな風に言うのだろう。俺の身勝手な解釈ではない、間違いなく委員長ならそう言うに決まってる。

 生真面目で高潔、自己犠牲を厭わない、あの委員長なら。

 

「おつかれ、ユウ。佐渡くん」

 

 この短い時間の間に、俺は自分の人生経験の浅さを心底思い知った。

 皆の前に進み出た那須川の、笑顔のような泣き出しそうな、そんなくしゃくしゃな表情をいったいどう言い表したものか、またも俺には分からなかったからだ。

 

「みんなに体温が、熱が、戻ったよ」

 

 

 

 このささやかな勝利と大きな犠牲とが、俺たちの第一歩だった。

 そう、これはまだ、ほんのはじまりに過ぎない。

 そして、一歩を踏み出したのは、俺たちだけではなかったのだ。

 あの時の俺たちでは知る由もなかったことだが、俺たちがこの無辺で荒涼とした救いのない世界でようやく一歩を踏み出したとき、既にこのロスリックの地のあちこちで、嵐の兆しは現れ始めていたのだ。

 

「……なんと数奇な巡りあわせであることか。こうしてまた、卿らと見えられようとはな」

「ハッ、べーつにオラ……、私はオマエの面なんぞ二度と拝まずとも結構だったんだけどな、メタス?」

「…………」

「心にもないことを言うなウーラン卿。ほら、『素直になれ』とアルフレッド卿も言っているではないか」

「言ってない! いつもいつもアルが無口なのをいいことにテキトーな通訳してんじゃないよオマエは!」

 

 例えばそれは、ボーレタリアに名高き、伝説の三英雄たち。

 

「臭う、臭うぞ。貴様らから、貴様らからだ。薄汚い獣の、腐りきった獣の臭いだ。堪らぬ、こらえきれぬ、狩らずには、いられない臭いだ……」

「お下がりください、アストラエア様。いと高き御身に下賤の者が触れること、この”暗銀の騎士”の名にかけて、決して許しはしませぬ」

「ガル、ブラムドを収めてください。この方は救いを必要としています。堕ちた身とはいえ私は第六聖女、使命を果たさなくてはなりません」

「……薄汚い売女が、俺に説法でも垂れるつもりか。その生臭い口で教えを説こうなどと、笑い話にもならないな。クハッ、ハハハ……」

「貴様ッ……!」

 

 例えば、血を求め狩りを求めて彷徨う堕ちた神父。神の教えに背き真の救済にその身を捧げた穢れた聖女と、その守護騎士。

 

「いったい今宵は、どんな夢だというのだ。覚めぬ悪夢は散々味わったが、よもや今度は見知らぬ地で目覚めようとは。これもまた、狩りと血の楔の為せる業とでも? 私はいったい、いつになったら解放されるのだろうな」

「……私には、分かりかねます。ですが、私のやることは変わりません。新たな狩人が現れるのを、ゲールマン様と共に待ち続けるだけです」

 

 例えば、夢に囚われた原初の狩人と、灰髪の美しい人形。

 

 俺たちと、俺たちではない異邦人。

 皆が殺し合い、皆が血を流した。それが現実となるのは、暫し先の話だが。

 この呪われた世界と呪われた俺たちに、どうか救いあれと願う。

 願う相手が誰かも分からないが、それでもそうせずには居られないのだから。

 

 

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