「それじゃあ、修学旅行の班決めをはじめます」
僕が口火を切ったことで、教室は俄かにみんながわいわいと歓談する声で賑わい始めた。今のところは「騒がしい」と隣の教室から注意されない程度の賑々しさに、ひとまず時間までは放任で良いだろうと僕は教壇から降りることにした。
僕らの代の修学旅行の行き先は沖縄である。
これはあくまで僕個人の考えなのだが、修学旅行の目的地に沖縄が据えられるというのは世間一般の高校生からしたら比較的レアケースなのではないだろうか。京都の寺社仏閣、東京のディズニーランドあたりがメッカで、沖縄というのはあまり聞かないような気がする。
ちなみに、僕らの高校が代々修学旅行の行き先を沖縄に設定しているかというと、別にそんな話はない。なぜだか唐突に、「沖縄に行こう」とそんな風に目的地が決められたらしい。大方、教師陣の誰かに沖縄を強烈に推した人でも居たのだろう。
そこらの裏事情はともかくとして、これにより生徒の反応は大きく割れることになった。「変わったところに行けて嬉しい」という声が三分の一、あるいは四分の一ほど。夢の国に行きたかった派が半数ほど。金閣寺や五重塔を見たかった派は、五分の一ほどだろうか? そして残りは無党派、すなわち「どうでもいい」派だ。
「まあ、場所はあんまし問題じゃなくね? メンツよメンツ。結局は」
色川くんあたりはそんなことを言っていたけれど、たしかに一理あると思う。どこに行くかではなく、誰と行くか。旅行で大事なのは、案外そこのところなのかもしれない。
僕の席は教室の窓側、後ろから二番目にある。この席はほどよく教壇からは離れており、かつ窓側ということで、クラスメイトの一部は席替えの度に虎視眈々と狙っている人気のポジションだったりする。くじ引きで決まった席であり、別に僕にはこの位置への特段の希望があったわけではない。ただ、実際に座ってみて分かったこととして、たしかにあの席は悪くない。ほとんど教室中が一望できる位置からみんなが普段どんな風に授業を受けているかを観察するのが、最近の密やかな楽しみになりつつあるのだ。
なんとはなしに教室の様子を眺めながら、自分の席へと戻る。菰田くんはまた色川くんたちにいじられているが、まだ止めに入るような段階ではなさそうだ。尾形くんや福嶋くんら体育会系グループは班決めもそこそこにグルメスポットのチェックに余念がない。女子は概ね武智さんを中心に大きなグループを作っており、和卿くんやマドカくんが一部の女子たちから熱烈な勧誘を受けていた。うん、男女仲が良いのは良いことだ。青春青春。
そして、この三人は本当にいつも変わらない。教室の中心から少し離れたところで、三人でのびのびと自分たちの世界を造っている彼ら。
僕が近づいてきたことを察して、読んでいた旅のしおりを傍らに置きながら樋浦くんが顔をこちらへと向けた。
「委員長。班決めに混ざらなくていいのか?」
「そうだね、いい加減にしないとどこも入れなくなりそうだし、ぼちぼち参加するつもりだよ。樋浦くんたちは自主研修でどこを回るとか、もう決めてしまっていたりするのかい?」
なにかと手際のいい彼のことだし、とうにグループ決めのその先、自主研修の計画立案も済ませているのかもしれないと踏んで聞いてみたところ、意外なことに彼はかぶりを振った。
「オレは個人的に見て回りたい所がないでもないが、ふたりがどうかはまだ聞いてない。おい那須川、お前はどうなんだよ」
「私? 私はまずビックサンダーに行きたいかなー。あ、でもでも、スプラッシュも外せないなー。あ、ねえねえ委員長、ホーンテッドマンションってやっぱり本当は残念アトラクションだったりするの? こういうのは行ったことある人に聞かないとわかんないよねーやっぱり」
「那須川さんは夢の国派だったんだね」
那須川さんは僕に向かって、読んでいたガイドブックを開いて見せながらそんな風に尋ねてきた。
樋浦くんの方をちらと窺うと「こいつのことはほっといてくれ」と言いたげな顔をされた。冗談、あるいは当てつけで言っているようには見えなかったけれど、彼女は本気で修学旅行はディズニーランドに行けると思っているのだろうか。とりあえず人の話を聞いて、ひとまず目の前のしおりを読むところから初めて欲しいと思う。ていうか那須川さん、夢の国に行ったことなかったのか。少し意外だ。
「佐渡くんはどう? どこか気になってる場所とかは?」
何をするでもなくぼんやりと窓の外を眺めていた三人組の最後のひとりは、声をかけられたことで初めて僕の方を振り向いた。
彼は即答せず、僕と樋浦くんとの間で視線を少し彷徨わせてから、ゆるりと首を傾げて、
「特にないなぁ。俺はふたりにくっついてくだけだと思う」
相変わらずの主張しないスタイルだ。
彼は、菰田くんのように変におどおどとしているわけでも、マドカくんのように内気気味なわけでもない。彼らのように目立つことを好まないタイプの人間でも、独特の”隠れようとする”空気が伴っているのが常ではあるのだけれど、佐渡くんの場合はそれとも異なる。ただただ、極端に自己主張が薄いのだ。
もちろん本人たちには口が裂けても言えないし、こんな考え自体品が無いというのは重々承知してはいる。おそらくこの先、答えが得られる機会はないであろう質問を、僕は何度目になるか分からないほど飲み下した。
いったい彼のどこが気に入って、樋浦くんは佐渡くんとつるんでいるのだろう?
「それよりな委員長。しつこいようだが、そろそろ班決めに加わった方が良いと思うんだ。早くしないと、どこも満員になるぞ」
「ん、それもそうだね」
実を言うと、僕自身はあまり班決めに興味がなかったりする。
委員としての仕事でクラス内ひいては学年全体との調整に追われていた身としては、ひとまず自分の職務の遂行が手一杯で、自分が楽しむ余裕が二の次になっていた感があったからだろうか。大変だと思わなかったわけではないけど、それはけして苦痛ではなかった。みんなが余計な気兼ねをすることなく存分に羽を伸ばせるようにするのが僕の務めだと理解していたし、自分のしていることが確実に誰かの為になっているという手応えもあった。要は、僕の性分に合っていたのだ。
ただ、いざこうして改めて自分のことを顧みてみると、行きたい場所も一緒に組みたい相手も特に希望が浮かんでこなかった。
いや、どちらかというと、ここで僕が希望を言うことによってせっかく整ったクラスの雰囲気が綻びることを避けたいという気持ちがあった。僕個人の楽しみを優先させるよりも、クラスのみんなの邪魔をしないことの方が良いことに思えたのだ。
誤解の無いように補足すると、僕は別にネガティブな思考でそんな風に考えたわけでは断じてない。先ほども言ったとおり、自分の行動が誰かの為になっているという感覚が、僕は嫌いではなかった。僕の我侭を通すよりも、僕がみんなの邪魔をしないことの方が僕には好ましく思える。それだけの話だ。
「委員長ー、どこも入れそうになかったら私たちのところに来ていいからねー。それでいいでしょ、ユウ?」
「ああ。俺たちが最終防衛ラインだと思ってくれていいから、ここで妥協するよりもまず他に入れそうなグループがないか探してこい……って、ああ。どうも、その心配は要らないらしいな」
「え?」
喋りながらひとりで納得し始めた樋浦くんの様子についていけない僕に、佐渡くんが「ん」と僕の後方を指し示す。
「あ、あのっ、篠部くん。少し、いいかな?」
「どうかしたの、笹井さん?」
振り返ってみればそこには、やけに緊張した面持ちで副委員長の笹井さんが立っていた。わざわざこの場で僕を呼び止めたということは、なにかお任せしていた仕事でトラブルでもあったのだろうか。
「篠部くん、まだどこのグループに入るか決めてないよね? それとも、もしかして那須川さんのところに入れてもらおうとしてた?」
ところが、彼女の口から出たのはまるで予想だにしていない方向の話題だった。彼女までグループ決めの話を持ち出してくるとは、僕はそんなにみんなから見てかわいそうな有様だったのだろうか? 優しいクラスメイトに恵まれて幸せだとは思うけど、大きなお世話すぎないだろうか。ともあれ、たしかにいつまでもふらふらしている訳にもいかないのは事実だ。せっかくだから、この場で樋浦くんたちのグループにご厄介になることに決めてしまうのが良いだろう。
「あー、うん。実は」
「イヤイヤイヤ! そーんなことない! そんなことないよね委員長!」
「えっ」
そう思っていたものだから、僕の発言を遮って那須川さんが突然大声を上げたことに、僕は上手くリアクションを取ることが出来なかった。
あまりにもすごい剣幕だったもので、僕だけでなく佐渡くんや近くの席でひとりでスマホを弄っていた権藤くんも目を白黒させてしまっている。いったい、どうしたというのだろう?
「あの、いや、僕は」
「そんなことないったらないんだよ! だよねユウ!? 佐渡くん!?」
「あー、まぁ、そうだな。ああ、そんなことないぞ、笹井」
「あれ? 君らついさっきまで最終防衛ラインがどうとか言ってなかったっけ?」
佐渡くんは変わらず面食らったままであるものの、なぜだか訳知り顔の樋浦くんも那須川さんの言に乗り始めているし、それを聞いた笹井さんはどういうわけか「そうなんだぁ」と緊張を解いて安堵の表情を浮かべていた。もうなにがなんだかだ。
それから笹井さんは改まったように表情を引き締め、僕の方へ半ピラの用紙を差し出しながらこう言った。
「そのね、篠部くん。よければなんだけど、私たちのグループに入らない?」
「えぇ?」
予想外だった。
まさか、笹井さんまで僕を自分たちのグループへと引き込もうとしているとは。今日の僕はずいぶん人気のようだ。
しかしまさか、だ。僕が気を遣うことはあっても、僕が気を遣われることになろうとは。どうやら、みんなには要らない心配をかけてしまったようだ。これは、由々しき問題である。
「わ、私ね、考えたの! 委員長と副委員長が同じグループなら、連絡とかなにかと都合がいいだろうなって! それで、安藤たちも私たちのグループに入れるの! そうすれば、問題児を見張ることもできるし、一石二鳥でしょ!?」
「あ、あー、なるほど。それはたしかに、いい考えかもね」
僕個人としては、役職持ちを同じグループに入れてしまうと全体の監督には逆に不便だとか、そもそも安藤くんたちは今教室に居ないのに勝手に編入の話をしてしまってもいいものかとか、いろいろ言いたいことはあった。
僕がそれを言わなかったのは、「余計なことを言ったら噛みつくぞ」と言わんばかりの表情の那須川さんや、「しっしっ」と手で追い払うような仕草をこちらにして見せる樋浦くんが視界の隅に映ったというのもある。
けれど、それ以上に、顔を赤くしながらまくし立てる笹井さんを見ていたら、断る気なんて全然起きてこなかった。こんなに一生懸命誘ってくれているのにそれを撥ね退けるだなんて、僕はそこまでSにはなれそうもない。
「……うん、分かった。僕で良ければ、笹井さんのグループに入れてくれないかな」
「もちろん! いいよいいよ! 良くないわけないよ!」
僕に気を遣っているんじゃないかとか、失礼なことを考えていた自分がバカみたいだ。僕がグループに入ることで、彼女が喜んでくれるというなら。うん、それは、僕にとっても嬉しいことだ。
笹井さんから半ピラのメンバー表を受け取って自分の名前を書き込んで、少し考えてから僕は用紙を彼女へとそのまま返した。
「いちおう、安藤くんたちにも確認だけ取っておこうか。この場で勝手に名前を書いちゃうのは、さすがにまずい気がするし」
「ええ? 別にいいんじゃない、安藤たちのことは。むしろ邪魔……、じゃなくて、こっちで名前まで書いちゃっても」
「まあまあ。とりあえず、探すだけ探してみるよ。この時間だと、屋上に居たりしないかな……」
教室の後ろの扉へと向かいながら、僕はLHRが終わるまでのこのあとの時間をどう潰そうか考えていた。
安藤くんたちには悪いけれど、彼らを探しに行くつもりはなかった。まあ、安藤くんもきっと雨宮さんや冷牟田くんとグループを組むつもりだろうし、邪魔するのも忍びない。そういうことにしておこう。
「あ、笹井さん。適当な時間になったらメンバー表は集めておいてくれないかな? 僕らのグループのも、そのまま出しちゃっていいから」
「……! わかった!」
言いたかったことを笹井さんが汲み取ってくれたであろうことを確認し、したり顔でサムズアップしている樋浦くんと那須川さん、そして怪訝な顔でふたりと僕の方を代わる代わる見比べている佐渡くんに軽く笑ってみせてから、僕は教室を後にした。