曰く、『奇襲』とは、規模などによって4つのパターンに分けられるのだという。
ざっくりと言えば小部隊による奇襲攻撃、大規模部隊による奇襲作戦、国家間戦争における奇襲開戦。
そして第一次大戦の戦車や毒ガスといった類の、未知の技術によるわからん殺し的奇襲ということらしい。
それぞれについて、やれハンニバルはどうのだとか島津の釣りのぶせがどうのとかいう話を期待されても、あいにくと俺には答えようがない。そういう話は菰田とか習志野あたりが生き生きと薫陶を垂れてくれることだろう。俺の領分じゃない。
曰く、小部隊による奇襲攻撃はせいぜい数十秒の混乱しか望めない。
大事なのは、さっきまでの打ち合わせの最後に樋浦が付け加えたその言葉が、たった今俺の胃に尋常ならざるストレスを与えているということである。
カサカサの唇を湿らせ、焦げ臭い空気を吸い込みながら、横を走る那須川へと合図を出す。
「那須川、合わせろ!」
「オッケッケ!」
那須川が足を止めた気配を確認し、ダッシュの勢いを殺しながら前方の標的へと意識を集中させる。
『胴体を狙って、矢を放つ』
思考を受け取った身体が最適化された行動を即座に実行していく。
身体が右に開き、背筋がぴしりと伸びて足が肩幅に間隔を取りスタンスを形成し、木矢を番えた弦をきりりと引き絞る。
さっきからずっと嫌な緊張で背中はじっとりと汗ばんでいるし、心臓はバクバクと早鐘を打っているが、身体の方は俺のヘタレた心情とは裏腹にきっちりと仕事をこなそうとしている。便利なシステムもあったものだ。
『胴体を狙って、矢を放つ』
欲を出すならヘッドショットを決めたいところだが、未熟な使い手である俺では『流れに乗せた』攻撃であってもそれは確実とは言い難い。よって、狙いは胴体。確実に狙って、目標の動きを止める!
「ふっ!」
風を切るひょうという静音を伴い、放った矢は吸い込まれるように一直線に標的へと命中した。
『■■■!?』
ガッチャ! 俺は心中でガッツポーズを決めた。
期待通り、無防備な背中を射抜かれ、標的の『盾持ち』がよろめく。
すぐさま攻撃された方角、すなわちこちらの方を振り向こうとするが所詮は雑魚亡者。奴がこちらの姿を捉えるより、那須川の魔法の方がはるかに速い。
「へいりっひ!」
『■■■……!』
魔術師の初歩呪文、『ソウルの矢』。涼やかな飛翔音と共に、青い尾を引く魔術の矢が強かに標的を穿つ。
俺と那須川のふたり分の狙撃を受けた『盾持ち』が低い断末魔を上げて倒れ伏す横を、樋浦は猛然と突き進む。
「フッ……!」
お仲間が排除されたことを察知したもう一体の盾持ちが迎撃態勢を取ろうとするも、残念ながら時既に遅し。すれ違いざまに斬り捨て一閃、崩れ落ちるもう一体の『盾持ち』には目もくれずに、樋浦は休みなく指示を出し続ける。
「次! 城壁の陰に退避だ! ドラゴンブレスが来るぞ!」
先に目的地へと到達し手招きしている樋浦の元へ、那須川は軽やかにひょいひょいと、俺は不格好なハードル走さながらにどたどたと、倒れ伏す『盾持ち』の亡骸を飛び越えながら急ぐ。どうにかこうにか石壁の陰に滑り込んで間もなく、俺の背後をとんでもない熱量が奔り抜けていった。同時、肉と鉄が焼ける金臭い匂いがむっと立ち込める。
「うおおっ! あっつ!?」
「ヒャアすっげ! マジウルトラホットドラゴンブレス! 直撃したらガチで死ぬんじゃないのコレー!」
「そうならない為に作戦を立てたんだろうが。テンション上げるのは勝手だがしくじるなよお前ら。ドラゴンより先にオレがしばき倒してやる」
そりゃ大変だ。正直ドラゴンよりもよっぽどそっちの方が恐ろしい。
ドラゴンブレスがはるか後方、先ほどまで俺たちが潜んでいた城楼のあたりまで到達したのを確認した樋浦は、最後にもう一度城壁の陰から様子を窺った後で最後の指令を下した。
「よし、今だ! 走れ走れ走れ!」
「ヘヘイヘイヘーーイ!」
「いいいぃぃい!」
先頭を樋浦、殿を俺、そして真ん中に那須川を入れた隊列で、死に物狂いで城壁下の回廊を駆ける。
未だ足元には龍が吐き散らした炎がチリチリと燻り、哀れファイヤーの憂き目に遭った亡者共の亡骸(?)が鼻を突く香ばしい臭いを発している有様。なんという地獄絵図。心がすごい勢いで荒みそうな世紀末的光景だ。
前を走っている那須川が城壁の方を見上げ、うげえとカエルの潰れたような悲鳴をあげる。
「ちょ、やばいやばい、来る! ドラゴンブレス来る!」
「おいおい間に合わないぞ……!」
南無三! つられて見上げれば、そこには通路を一掃射終えて、再度ブレスを放射する態勢に入ったドラゴンの姿。その照準が向けられているのは疑いようもなく俺たち。そして最悪なことに、このままではカバーポイントまでのあと一歩が間に合わない!
「クソが……! 仕方ない、オレの陰に入れ!」
「おい那須川! 頼むからもうちょっと詰めてくれ! はみ出る! 俺はみ出るから!」
「ぐええあつくるしー! むさいんだけどー!」
歯噛みした樋浦がわずかの逡巡もなく対応策を打ち出し、それを聞いた俺と那須川がぎゃあぎゃあと喚いている間に、ドラゴンブレスが俺たち目掛けて殺到する。
「グッ……、ウウウッ……!」
身を呈して灼熱の息吹の防波堤となっている樋浦が、ギリギリと歯を食いしばり苦悶の声を洩らす。いくら盾があるとは言え、あのブレスを真正面から受け止めようなどと、とてもじゃないが正気の沙汰ではない。樋浦の苦痛の壮絶さは俺の想像など及びもつかない境地にあるに違いない。
「っ……、樋浦ぁ……!」
「ユウ……!」
踏ん張りながらも竜の炎の大出力にざりざりと押し流されていく樋浦の背中を、俺と那須川とで後ろから懸命に支える。間近で鉄が焼ける金臭い匂いが容赦なく鼻腔を突き、支えとなるために樋浦の鎧と接している俺の肩は文字通りの焼け付く痛みを激しく伝えてくる。途方もない熱気で目も開けられないし、灼熱の空気は呼吸すらも許してくれない。火事で死ぬのだけは絶対にごめんだと、酸欠気味のぼんやりした頭で考えながら、ただただ必死に倒れまいと足を踏ん張った。
そして、無限に続くのではないかと思われた地獄の時間は、なんの前触れもなくいきなり終わりを迎えた。
ふっと前方からのベクトルが消え失せ、全身の力を振り絞っていた俺は向けていた力の行き場を失って思いっきりつんのめった。あたりに充満していた熱気が和らいでいたこと、そしていつの間にか呼吸も出来るようになっていたことに気づいたのは、その後だった。
「フゥー……、クソッタレ……」
「樋浦!? 大丈夫か、おい!」
恐るべき執念とタフネスで最後まで盾の役割を全うし切った樋浦が、重苦しく息を吐き出しながら膝から崩れ落ちた。俺が肩を貸そうとすると、煩そうにそれをはねのけて咳き込む。
「バカ野郎、早く行け。次のブレスが、来るぞ……」
「いや、お前……」
「佐渡くん、早く!」
頭上を仰いだ那須川が、ちらと樋浦の方を見遣ってから俺を振り返った。那須川の強い眼差しとかち合ったことで、俺はやっと決心をつけることが出来た。
そうだ、なにを心配することがある。那須川に保証されるまでもない、出来ないことは決して言わないのが樋浦という男なのだ。
「さっさと追いつけよ! 最後の関門はお前が居ないと無理くさいんだからな!」
言い捨て、先を駆ける那須川に続く。そう、ドラゴンブレスはあくまで難関のひとつでしかない。高い高い壁には違いないが、あくまで壁のひとつなのだ。
回廊を抜け、ゴールである城楼の前の渡広場に至るため階段を駆け上る俺の視界に、”奴”の姿が飛び込んできた。
物々しい鎧に身を固め仰々しいカイトシールドと直剣を一分の隙もなく装備し、赤いマントを翻す堂々たる立ち姿の騎士。
俺たちが攻略しているこの場所、『ロスリックの高壁』と同じ名を冠した敵、『ロスリック騎士』だ。
そしてまずいことに、こちらが向こうを視認したと同時に、向こうもこちらの姿を捉えたようだ。近眼で耳の遠い雑魚亡者は誤魔化せても、奴さんはそう甘くはないらしい。こちらが迎撃態勢に入るより先んじて、逆に騎士の方から距離を詰めに来やがった!
「ちっ……!」
止まっていては間に合わないと反射的に走りながら一矢を放ったが、集中が足りなかったせいで十分な威力を出すことができなかった。乾いた音を立て、無情にも矢は鎧に弾かれてしまう。
(この距離じゃ弓は使えない……!)
迫り来るロスリック騎士に対するため『盗人の短刀』を抜いたが、正直敵う気がまったくしない。三人で城楼を突破する前段階として、下調べの偵察であの騎士がどれだけ動けるのかは既に確認済みだ。その剣速、馬力、盾による防御。すべてにおいてあの騎士は樋浦と互角、あるいはそれ以上の水準の戦闘能力を備えているのである。
情けないのは百も承知で敢えて言わせて欲しい。俺が奴とつばぜり合ったところで、おそらく五秒と持たないことだろう!
どうする、切り抜けるには、どうするのが正解だ!?
「ちょおっと、肩、借りるよっと!」
「え、おおっ!?」
焦りに固まる俺の真横を、涼やかな風が吹き抜けた。 いたずらっぽい声に振り返ろうとした俺の左肩に、とんっ、と小さく重さが乗る。なんだと確かめている間もなく、すぐに重さはふわりと掻き消えた。
「はいやーっ!」
宙を舞うローブがはためいて、薄曇りの空に浮かぶ雲よりもより白い軌跡を描く。
魔術師、空を飛ぶ。 俺の肩を踏み台にして、那須川は高く高くハイジャンプを決めていた。
「ひゅう……!」
『――■■!』
接敵寸前の緊張感を一瞬忘れ、俺とロスリック騎士はふたり揃って間抜け面を晒し、空高く駆け上がった那須川の姿にすっかり魅せられてしまっていた。
K点越えの大曲芸を決めてのけた那須川はあっという間にロスリック騎士の頭上を飛び越え、いや、飛び越しながら構えていた杖をかざし、
「へい、りっひ……!」
空中で詠唱を完成させ、騎士のドタマ目掛けて上空から彗星の如く『ソウルの矢』を撃ち込みせしめた。まったくの意中外から飛来した矢に打ち据えられ、すっかり那須川の術中に嵌りきった騎士の上体が大きく傾ぐ。
「ナイス那須川!」
そして、騎士よりも少しだけ遅れてマジックから覚めた俺も、慌てて追撃に入る。
那須川が鮮やかに作り出した千載一遇の好機をふいにするわけにはいかない。集中し、手足に命令を伝達させる。
(『後ろに素早く回り込み、隙を突く』!)
指示に従った身体が、素早く処理を遂行する。最小限の体重移動と足捌きでするりと騎士の背後へクイックステップを決め、無防備な背中へと渾身の一撃をお見舞いする!
「ふぅっ……!」
『■■■!?』
呼吸、溜め、体重の乗り方。すべてが充実した、我ながら最高の手応えだ。
致命的な一撃をもたらした『盗人の短刀』を引き抜きがてら、樋浦が灰の審判者相手にやっていたのを見様見真似で、ロスリック騎士の背中を乱暴に蹴り飛ばす。無作法極まるムーブにちょっとだけアヤシイ高揚を覚えながら、すぐさま足蹴にした騎士へと追い打ちを掛けようとして、いや待てよと俺は足を止めた。
いくら物覚えの悪い俺でも、さすがに短期間にこう何度も同じケースに出くわしたなら学習のひとつもするというものだ。
『……■■■、■■!』
「うおっ、やっぱり……」
体勢を崩されながらも、騎士は直剣を横薙ぎに振るって追い打ちを刈り取りに来た。あのまま一歩進んでいたらバッサリいかれていたところだったが、俺にも少しはそこらへんが分かってきたらしい。
曰く、相手の攻撃を空振りさせてからこちらは攻撃に移るべし。樋浦の教えどおり、騎士の斬撃の終わり際を狙って俺はトドメの一撃を与えるべく距離を詰めた。
が、しかし、その必要はなかったようだ。
「フンッ……!」
『■■■……、■■……』
直剣を振り上げる体勢のまま固まり、胸の中心からロングソードの刃を生やしたロスリック騎士は、短く低い断末魔を上げながら前のめりにつんのめって絶命した。騎士の亡骸をまたぎながらロングソードを適当に払って腰の鞘へと戻し、こちらへとのっそりと歩を進めてくる樋浦へと那須川が労いの言葉をかける。
「おっつおっつー。見事にオイシイところ持ってきやがったねー」
「なに言ってやがる、MVPは間違いなくお前の方だ。あんな雑技団まがいの動きをするような魔術師は、古今東西探してもどこにもいやしないだろうよ」
賞賛半分呆れ半分で樋浦が鼻を鳴らし、那須川はそれを見てますます気を良くする。腰に両手を当てて、得意満面で胸を張って一堂をぐるりと見回す。
「ふっふっふー、見ましたか! あの華麗な那須川マジックを! これからはあのジャンプを『ナスカワスペシャル』と名付けようと思うんだけど、どう思う?」
「35点」
「10点」
「ひっでえ」
彼女のためを思って率直に伝えてあげた俺と疲れ顔で吐き捨てた樋浦へと、足元の小石を蹴っ飛ばす那須川。
これが映画なら、誰かひとりがメンバーの顔を見回しながらくつくつ笑い、やがてみんなでそれに釣られて笑い合って「生きててよかった」なんて噛み締め合いながら分かち合うところなのだろうが、あいにくと俺たちにそんな小粋な小芝居を打っている余裕はなかった。
「……しんど」
「それ」
「ああ」
ウィットの欠片もないやり取りを最後に、崩れ落ちるようにへたり込んだ俺たちはしばしの間、無言の小休止に入った。
――――――――――――――――――――――――――――
「なあ、樋浦」
地面に縦置きした矢筒から矢を一本引き抜きながら、樋浦の方をちらと見遣る。
「なんだ」
奴の方はと言うと、相変わらず『遠眼鏡』を覗き込んだままでこちらを一瞥もしない。聞いているんだかいないのだか分からないおざなりな返事に、しかし怒る気力さえ湧かず、俺は粛々と自分の仕事をこなす。
『ロングボウ』に矢を番え、目標をしっかりと見据え、『頭部分を狙って矢を放つ』と念じる。
これでもう……、あれ、何回目だっけかな? ともかくさっきからずっと繰り返し続けているルーチンを惰性で実行する。
十分に集中が定まったところで(この『集中が定まる』という感覚も、どうにも妙な感じだ。なにせ、こうして俺の内心は集中もへったくれもない雑念だらけの体たらくでありながら、身体の方だけは勝手に呼吸を調整して射撃の構えを取るのだから。つくづく、便利なシステムだ)引き絞った弦を放つ。
ひょうと風切り音が響き、ひと呼吸置いて後、はるか遠くで、射抜かれた刺激に反応して大騒ぎしながら身をよじったドラゴンが、件のドラゴンブレスを回廊に向かってひとしきりぶちまけている。
はじめこそ背筋が凍るような畏怖すら覚えたそんなファンタジーここに極まれりな光景も、こうして数えるのも億劫になるほど見せられてはもはや感動もへちまもない。ただ、図体の立派なトカゲが口からでろでろと炎を垂れ流しているだけでしかない。慣れとは恐ろしいものだ。
「弾着」
「よーんじゅうはーち」
そうか、48本目だった。
『遠眼鏡』で矢の到達成果を確認した樋浦が平坦な声で言い、胡座の中心に矢筒を抱えた那須川が間延びした声でだるそうにカウントを取る。
那須川が支えている矢筒から49本目を抜き、『ロングボウ』に番え、目標を視界に入れて、頭部分を狙って矢を放つ。
「弾着」
「あふ、よんじゅきゅーう」
樋浦が無感動な調子で報告し、那須川があくびを噛み殺しながらカウントする。
矢筒から50本目を抜き、つがえ、放つ。
弾着。ごじゅう。抜いて、放つ。弾着。ごじゅういち。抜いて、放つ。弾着。
抜いて、放つ……、抜いて、抜いて、あれ?
「佐渡?」
「ん……、あ」
訝しげな目つきで樋浦が俺を見上げていた。そこでようやく俺は、自分が矢も持っていない空っぽの手で弦を引いていたことに気がついた。
矢筒を抱えた那須川は「ンフッ、フフッ」と気色悪いテンションでツボに入っているし、呆れ顔の樋浦は大儀そうに腰を上げたかと思ったらノーモーションでローキックを入れてきやがった。それを見た那須川がさらに笑い出す。バツが悪くなった俺は、不愉快な流れを断ち切るついでにさっき言いかけてやめた話を切り出すことにした。
「その、なんだ。良かったのか、あれで」
「なにがだ」
歯切れの悪い俺の言い様に、樋浦は眉根を寄せてこちらの顔をずいと覗き込んできた。奴にはそのつもりはないのだろうが、なんだか詰問されているような気分になってしまう。なんとなく樋浦の視線から目をそらしてしまいながら、俺はこれまで胸の内で引っかかっていたことを思い切って吐き出してみた。
「みんなのこと、残してきて良かったのかよ」
足元で胡座をかいたままの那須川はしつこく笑い続けていたのをやめ、樋浦は右の目をすっと細めて首を傾げながら逆に問い返してきた。
「お前はどう思う。残してきたのは間違いだったと思うか」
「まさか」
我ながらスッカスカな会話だ。質問を質問で返す樋浦も樋浦だし、聞いておきながら対案もない俺も俺だ。
「現状、戦闘を経験しているメンバーで残ったのはオレと佐渡だけだ」
腕を束ねて俺の顔から遠く城壁の竜の方へと視線を移し、樋浦は話を続ける。
「福嶋や尾形は腕も立つだろうが、あいつらまで連れて出たら戦えない奴らを守る人間が居なくなる。祭祀場が安全地帯だというのは念入りに確認したが、それでも万が一ってことがある。言うまでもなく、闇雲に動いて全員が消耗するのは言語道断。だからオレたちが先遣隊を務めることにしたんだろうが」
「わかってる、わかってるって。そういうことを言いたかったんじゃなくてな」
顔は竜の方を向けたまま、目線だけこちらに寄越して樋浦は言葉を切った。「じゃあなにが言いたいんだ」とは催促してこなかった。奴も内心では、俺と同じことを考えているのだろう。
「みんながどーかはともかく、ささちゃんは置いてきて正解でしょ。今は、そっとしておいてあげた方がいいよ」
「そうだよな。そうするしか、ないよな」
物憂げに言う那須川に、思わず食い気味で俺は追従した。顔色こそ変わらなかったが、樋浦はわずかに目を伏せる。
あの後、灰の審判者――奴は『グンダ』という名前だったらしい。あの大男の遺した『ソウル』に情報が刻まれていたのを、那須川が読み取って教えてくれた――を倒したことで奴が背後に守護していた門扉が開かれたことで、クラスの皆は興奮冷めやらぬ様子で我先にと門の奥を目指して進んでいった。
『待ってくれ、笹井』
そんな中、広場を通り過ぎて行く一団のうち、呼び止められた副委員長が歩みを止めてこちらを振り返った。
笹井のことを呼び止めた樋浦は、あちこちが痛ましく損壊した鎧のせいでやや歩きづらそうにしながらも、しっかりとした足取りで彼女の前まで歩み寄ると静かに頭を下げた。
『すまなかった』
それだけ言って、樋浦は顔を上げようとしなかった。きっと、笹井に良いと言われるまでそうするつもりだったんだろう。目の前で頭を下げている樋浦の姿をじっと十秒ほど見つめた後、彼女は言った。
『樋浦くん、顔を上げて』
笹井に促されたことで、樋浦はようやく下げ続けていた頭を戻した。もう広場には俺と那須川、樋浦に笹井、それと『委員長』、笹井に付き添っていた彼女と仲の良い女子であるアレクサンドラと辺見が出口の門扉近くで遠巻きに心配そうな表情でこちらを見守っているだけで、あとはもうみんなとっくに出て行ってしまっていた。がらんとした広場に、笹井の言葉がいやによく通って響いた。
『あなたのせいじゃないから、気にしないで』
それだけ言って、笹井は樋浦へと笑ってみせた。
立ち尽くしていた樋浦は、彼女が広場を出て行くまでその背を見送ってから、目を閉じて横たわっている委員長を背中に背負った。俺も那須川も、何も言えずに樋浦の後に続いて広場から出た。
その後、道を進んだ先にあった『火継ぎの祭祀場』を探索し、そこがどうやら安全地帯らしいということを確認した俺たちは、クラスの皆には「ここで待っているように」と頼んだ上で、祭祀場に存在した篝火からこの『ロスリックの高壁』まで跳んで来たというわけだ。
「オレが居ない方が彼女の精神衛生上、都合がいいだろう。いや、都合がいい話をしてるのはオレの方なんだが」
祭祀場を出ようと決めた時と同じことを言いながら、樋浦は自嘲するように頬を歪めた。
とんでもない、都合のいいことをやっているのは俺の方だし、タチが悪いのだって俺の方だ。 あの時、彼女に頭を下げたのは樋浦だけだった。もちろん、俺にだって責任の一端があるのだから、俺が笹井に謝らなくていい道理があるはずがない。ただ、情けないことに、俺にはそれが出来なかった。
気にしないでと言って、彼女は笑った。その笑顔が、あまりにもひどかった。
笹井が委員長のことをどう思っているかなんて、委員長以外でクラスに知らない奴はひとりも居ない。俺や樋浦は彼女から責められるべきだったし、笹井には間違いなくその資格があった。けれども笹井はきっと、それを自分自身に許せなかったんだろう。
あの決壊する寸前の笑顔を前にして、俺は臆病にも何も言えなくなってしまった。何にも動じることのない樋浦をして、やはりあの笹井の一件は相当に堪えたのだろう。だから俺と樋浦は半ば逃げるように祭祀場を後にし、そうする必要も責任もないのに、那須川は俺たちについてきてくれたのだ。
「射てよ、佐渡。まだ矢は残ってるぞ」
「ん、ああ」
「はい、おかわり」
樋浦に促され、俺は那須川が手渡してきた矢を『ロングボウ』に番えた。
『ロングボウ』に矢を番え、目標をしっかりと見据え、『頭部分を狙って矢を放つ』と念じる。
ひょうと風を切り、矢は遠く火を吐くトカゲへと命中する。流れ作業で矢筒から次弾を引き抜こうとして、俺はふと目の前の光景がおかしなことになっているのに気がついた。
「……お、おお?」
『■■――! ■■――■、■■■――!!』
遥か遠く、城壁に我が物顔でのさばっていた竜が、大きく大きく翼を広げていた。
のっそりと身を起こしたドラゴンは、ひとしきり吠え散らかしたと思ったら、そのままばさりばさりと翼をはためかせ、根城にしていた城壁を悠々と後にしてしまった。
なんてことだ、まさか本当に上手くいくとは。
『弓矢で射ち続ければ、あそこから追い払えるかもしれない』と、最初に樋浦がそう言った時は正直欠片も信じてはいなかった。だって、このスケール差だぜ? やっこさんからしたら、俺の矢なんぞ精々が一寸法師の針みたいなもんだろう。あ、一寸法師なら通用してもおかしくはないのか。いや、だとしても、あの冗談みたいな大きさのドラゴンを、俺が?
「おいおい、マジかよ」
「……弾着」
「ンフッ、ごじゅうにー」
満足そうに『遠眼鏡』から目を外しながら樋浦が最後の状況報告を出し、喉の奥で笑いながら那須川がラストカウントを取った。
「成果を持ち帰る。それだけだ」
「うん?」
俺の肩を裏拳で軽く小突きながら、樋浦は言う。
「それだけが、オレたちに許されたことだと考えよう。今は、そうやって進むしかない」
「……都合のいい話だな。それでいいのかよ」
「いくないけど、いーんじゃない?」
ずいぶん軽くなってしまった矢筒をこちらに突き返しながら、那須川が眉を弓にして笑んだ。
そうだ、これで良いわけがない。俺がたとえここであの龍を退けたところで、それで委員長が帰ってくるわけじゃない。俺たちが探索を進めて何かを得たところで、それで笹井の心が晴れるだなんて、この場の誰もそんな虫の良いことは考えちゃいないだろう。
でも、だとしたらいったい何が正解だっていうんだ? 結局、何をどう言い繕ったところでそれは都合のいい解釈でしかない。委員長の意志を俺たちが手前勝手に汲み取ろうとすること自体が間違いなのだから、やっぱり俺たちは都合良く解釈していくしかないのだ。
「どうする? 一旦、祭祀場に戻って矢を補充した方がいいんじゃないか?」
「いや、もう少しだけ進んでみよう。那須川?」
「うん、魔法はだいじょーぶ。遠距離は私が受け持つよ」
いくないけど、いい。そんな風に、今は進むしかないんだろう。
立ち止まっているのは耐えられないし、戻るのも気まずいしな。
――――――――――――――――――――――――――――
「読めない? どういうこったよ?」
検分をふたりに任せて周囲を警戒していた俺は、那須川の言葉の意味が分からずに反射的に聞き返す。
那須川はうーーむと唸りながら、『魔術師の杖』の先端で地面に描かれた『それを』トントンと叩いた。
「他の文字は読めるんだけどねー、なんていうか、これは無理っぽい。無理ってゆーか、不可能?」
「不可能ってーと……、もうちょっと俺にも分かるように言ってくれないか?」
「……壊れてるんだよ」
那須川の言葉を引き継いで、地面に刻まれて光を放つ文字列、サインを睨みつけながら樋浦は言った。
「このサインは、壊れている。いや、壊されている、のか? どういう仕組みなのか分からないが、読み取りが出来ないようになってやがる。長さから見るにおそらく固有名詞だろう程度のことしかオレにも分からない。ともかく、これは読めないんだ」
文字列が壊れている、だって?
那須川と樋浦の後ろから地面のそれを覗き込みながら、俺は樋浦の言わんとしていることを理解しようとした。
今さらだが、この世界の文字は日本語表記ではない。何語なのかは分からないが、少なくとも俺はこれまでに一度も拝んだことがないような文字だ。ついでに言うと、言語の方もどうやら日本語ではないらしい。なにやら持って回った言い回しになってしまったが、それというのも、読むことは出来ないが聞くことの方は俺にも出来るのだ。『火継ぎの祭祀場』に居たこの世界の住人の何人かと会話をしてみて分かったのは、「言語は分からないものの、何を言いたいのかは理解できる」というなんとも奇妙な事実であった。
そしてこれまた奇妙かつ面白くないことに、クラスの中でもこの読み書きの能力については差が生じていることが判明した。具体的に言うと、俺や福嶋、安藤あたりはこの世界の文字を読むことが出来ず、樋浦や那須川、それに武智や習志野といった面子はスラスラと苦もなく読みこなすことが出来ている。要は、成績優秀で頭の良い連中は読めて、赤点常連のお馬鹿さんには読めないということだ。なんとも不愉快な話である。
話を戻そう。ともかく、どれだけにらめっこを続けても俺の目にはぐにゃぐにゃした幾何学模様でしかない地面のそれが、どうやら樋浦や那須川には違った様子で見えているらしい。
「で、どうするんだよ。向こうは見るからにボスが待ち構えてそうな雰囲気で、本来ならこのサインは俺たちの手助けをしてくれる協力者を呼んでくれるシロモノなんだろ? それが壊れてるとなると、ちょっと厄介なことになるんじゃないか?」
「そこが悩みどころだ。原則を信用するなら白のサインは協力者で赤のサインは敵対者ということらしいんだが、まずそもそもこのサインは色が違う」
そうだな、赤でもなければ白でもない。誰がどう見てもこれは黄色、もっと言うと黄金色だ。
「加えて、サインが破損していて召喚相手の名前が読めない。これはもっとも、読めたところでオレたちにはそいつが何者なのかを判断することは難しいだろう。あまり問題にはならないが、胡散臭いことに変わりはない」
「うーん、せめてその壊れているっていうのが俺にもちょっとは理解できればなぁ。なにがなんだかさっぱりなんだよ俺には」
「ともかく、少し考える時間をくれ。こいつをどうするか、ここではっきりさせておきたい」
そうやって俺と樋浦とが言い合っていると、チャウチャウの如くしかめっ面をしてうーんうーんと唸り続けていた那須川が、ぎりぎり俺の耳に届くか届かないかくらいの声量でぼそりと一言つぶやいたのが耳に入ってきた。
「……どぅーいっと」
「ん?」
どうやら思索に没頭し始めた樋浦には聞こえなかったらしく、俺ひとりだけが那須川のつぶやきに反応していた。
そういう那須川も膝を抱えてサインをツンツンと突っついているだけで、完全に自分の世界に入り込んでしまっている。結果的にハブりの憂き目にあった俺は、所在なく突っ立って見張りの真似事の続きをするしかなくなった。しかし、十秒も経たないうちにまた那須川がブツブツ言い始めたので、俺は那須川の隣にしゃがみこんで耳をそばだててみることにした。
「じゃすつ、どぅーいっと」
「いや、ジャス……、なんて?」
ジャスドゥ、とはなんだろう? ノアの双子……、はジャスデロか。
よりしっかり聞き取ろうと俺が距離を詰めた瞬間、いきなりがばと立ち上がったかと思いきや、那須川は杖をサインに向けると癇癪でも起こしたように大声をあげた。
「なせばなる! なさねばならぬ、っつってんだよ! ヒャア召喚だあ!」
「うるさっ!? んだよいきなり!」
キンキンする耳を塞いで抗議の声をあげた俺は、目の前で何が起こっているのかを理解して、全身の血がサッと引いていくのを感じた。
サインが、光を発している。うすぼんやりとした淡い光を放っていただけのサインが、今やまばゆい金色の光で燦然と輝く太陽のようだ。
え、まさかこいつ、やりやがったのか? やってしまいやがったのか?
「なんだ!? 何をした那須川!」
流石に騒ぎを聞きつけたのだろう。思索を中断した樋浦がアホみたいに固まっている俺を足蹴で押し退けながら那須川に詰め寄った。
不動明王もかくやのおっかない形相で肉薄してきた樋浦に、那須川はだだっ子のように手をブンブン振り回してまくし立てる。
「うるせー! 私はなー、目の前にボタンがあったら押したくなるサガなんだよ! ロープがゆらゆらしてたら引っ張りたくなるし、ねこじゃらしがじゃらじゃらしてたら飛びつきたくなるんだよ! おわかり!? ワカリティ!?」
「TPOを弁えろこのアンポンタン! お前、この……、この……、バカァ!」
イライラのあまり語彙力を失いながら、樋浦は目元を抑えて天を仰ぐ。那須川は「カモン、カモン!」と勇ましくシャドーボクシングを始めるし、いよいよ場の収拾がつかなくなってきた。いかん、これはいかん。せめて俺だけでも冷静にならなくては。
那須川が強引にサインを起動してしまったことで、あとどれくらいかかるかは分からないが、とにかくここには何者かが『召喚』されてしまう。それが話が通じる相手だったらよし、協力を申し出る。もしそうでなかったら、そうでなかったら……、どうしたらいいんだ?
そんなこんなで一向に冷静さを取り戻せないまま俺があたふたしている内に、ついに地獄の釜が開く時が来てしまった。
黄金の輝きが渦を巻き、揺らぐ光が像を結んで立ち昇る。
「――フッ、ヌウン!」
その瞬間をいったいどう言い表したものか、俺の美的感覚ではどうにも上手い表現が浮かびそうもない。なんというか、もう色々と限界だった。
幸い、俺の至らなさを見事に補う形で、那須川が極めて率直な解答を提示してくれた。
「……Y?」
そう、一言で言うなら、『Y』。金色の、『Y』だった。
光の中から気合の篭った渾身のポーズを決めて現れたのは、全身が黄金色に輝く珍妙な格好の騎士だった。
鎧の胸元にはなんともアバンギャルドなタッチの太陽の意匠を抱き、トップには赤い羽飾りのついたバケツヘルムを被った騎士が、高々と両腕を天に掲げてY字ポーズを決めて現れたのだ。
ビシリとポーズが決まったことで満足したのか、バケツ頭の騎士は余韻をじっくり噛み締めるように残心を解きながら俺たちひとりひとりの顔を見渡すと、首を傾げながら不思議そうに問うてきた。
「ム、貴公ら……、もしや以前に、どこかで会ったことがあるだろうか?」
「いや、どう考えても初対面です」
「そうだったか、それは失礼した。なにやら懐かしい雰囲気を感じたような気がしないでもなかったからな。許せ許せ、ウワッハッハ!」
「いや、あなたみたいなインパクトの塊、一度会ったら一生忘れないと思います」
「黙れ那須川。あー、おほん。オレたちは、協力者を求めてサインを頼った者だ。召喚に応じていただき、感謝する」
「気にすることはない。あのサインは太陽のサイン。俺たち『太陽の戦士』の力を必要とするすべての仲間のために輝く、神と太陽の光ゆえな。助けに応じることに否などあるはずもなかろうさ」
深みのある声で力強く語りながら、バケツ頭の騎士は鎧の胸元をどんと叩いてみせた。ナリこそけったいではあるものの、どうやらこうして話をしている限りの印象では見た目ほど怪しい人間というわけではないらしい。
「かたじけない。オレは樋浦。こっちの気の抜けた面をした男が佐渡で、この落ち着きのないちまい生き物が那須川だ」
「どうも、気の抜けた面の佐渡です。よろしく」
「はいはーい! 落ち着きのないちまい生き物こと那須川でーす! それとユウは後で覚えとけよ」
「ウム、ウム、よろしくな諸君」
俺たちひとりひとりとがっしりと握手を交わしながら、バケツ頭の騎士は感慨深げに何度もうんうんと頷いていた。こういう仕草をする奴を、俺はよく知っている。自分が他者の助けとなることを心の底から願うような、底なしのお人好しの仕草だ。この乾ききった世界でまさかそんな奴に出会えるとは思ってもみなかった俺は、なんだかほろ苦い気分で胸がいっぱいになった。
「申し遅れた。俺の名前は……、あー、名前は……」
なぜか妙なタイミングで間を持たせたバケツ頭の騎士は、腕組みをしてムムムと唸ってから、まるでその場でハッと思い出したかのようにやや走り気味の口調で自己紹介をした。
「ソラール。太陽の戦士、ソラールという。この巡り合わせに感謝しよう、太陽万歳!」