太陽のサインの先の空間は、ロスリック高壁の外側に通じているようだった。
役割でいうと、”虎口”という場所がそれに当たるらしい。海外のみならず日本の城についても疎い俺に樋浦が教えてくれた。ざっと70メートルほど前方に物々しい大門が見え、わずかに開いた門扉の隙間からは外界からのものであろう光が薄く差し込んでいる。左右をぐるりと石壁で囲まれた袋小路という状況でその先に光が差しているというのはなんとも出来すぎたシチュエーションのようにも思えるが、俺たちに出来るのはおっかなびっくり進むことだけだ。
「ねー、ソラールさん。聞いてもいいかな?」
「さんは要らないぞ、若き不死の少女よ。どうかしたか?」
樋浦と共にポイントマンを務めるソラールへと那須川が気安く声をかけ、ソラールの方も砕けた調子で応じる。
「じゃあ、ソラール? あそこの入口にあった『太陽のサイン』を書いたのって、ソラールなんだよね。ってゆーことはあれって、ここじゃないロスリックのこの場所で、ソラールがサインを書いたってこと? 合ってる?」
那須川が訊ねた内容は、俺も少し気になっていたことだった。
召喚サインを蝋石で記すことで霊体となって他世界に渡ることが出来、サインを頼ることで他世界の者に助けを請うことが出来る。祭祀場に居たあやしい婆さんから蝋石を求めた時にそのように説明されたものの、いまいち俺はピンと来ていなかった。
特に、”別世界”というのがいちばん分からない。文字通り、俺たちが居た世界とこのロスリックという世界を指してのことなのか、あるいはパラレルワールド、平行世界、そういうSF的概念で言う別の世界なのか。召喚という魔法(と言っていいのかは、これもよく分からない。那須川曰く、この世界の”魔法”と”奇跡”とは別種のシステムであるらしい。俺にはやはり理解できていない)の仕組みが明らかでない状態でそれを使うというのは、正直あまり心臓にはよろしくないのだ。
「ウム、およそ、そういう理解で合っているぞ。俺には俺の世界があり、貴公らには貴公らの世界がある。こうして霊体として召喚されたのを見るに、どうやら貴公らと俺の世界とは重なり合ってはいないようだ」
「世界が、重なる?」
興味をそそられたのか、樋浦も前方への警戒は緩めずに視線だけちらと横を行くソラールへと向ける。バケツヘルムのおとがいのあたりを撫ぜながら、ソラールは遠いどこかを懐かしむような調子で語った。
「ここは、まったくおかしなところだ。時の流れや地理は言うに及ばず、枝分かれした可能性、もしくはまったく法理までもが異なる世界に至るまで、すべてがゆらぎ、ずれている。霊体として召喚されるということは、ずれを渡りゆらぎを越えるということなのさ」
「ゆらぎ、ずれている、か。なあ樋浦、もしかして……」
「オレたちが陥っている状況に、なにかしら関係がある。ほぼ間違いないだろうな」
話しながら、気づけばエリアの中央付近を既に通り過ぎてしまっていた。話に少し熱中しすぎていたようだ、いかんいかん。しかし、未だに状況にはなんの変化もない。このエリアへ侵入する前段階でソラールが話したような事態に発展する様子は、今のところ微塵も感じられない。
「なあソラール。あんた、別の世界のこの場所から召喚されたって言ってたよな。もしかして、あんたの世界とここじゃ、同じイベントが起きるとは限らないんじゃないか?」
「イベント、というのはよく分からんが。しかし、若き不死よ、油断は禁物だぞ。冷たき外征騎士は、たしかにこの場に潜んでいる。我らがこの場から抜け出すことを、必ず阻みに来るだろう」
ソラールの言葉に気負ったところはなかったが、しかし微塵も油断は感じられなかった。これがいわゆる、死線に身を置く者の心構え、というやつなのだろうか。忠告に従い、審判者グンダと対峙した時のことを今一度思い起こしながら、俺は『盗人の短刀』の柄を改めてしっかりと握り直した。
ほどなくして、俺たちはついにエリアの最終点、大門扉の前まで到着した。ただでさけ大仰で重苦しい扉のあちこちには蔦が絡みつき、半端に開いている扉を無理矢理縛り付ける形で封が施してある。明白に、あからさまに俺たちを先へと進ませまいという意図を感じさせるようだ。
「いちおう、開ける方法がないかどうか調べてみる。ソラール、佐渡、警戒を頼む。那須川はオレを手伝ってくれ」
慎重に扉を観察していた樋浦は、少し考えてから『ロングソード』の切っ先で絡みつく蔦の一部をゆっくりと突き刺した。
「「「「……!」」」」
瞬間、全員が知覚した。
来る。
空気が急速に冷却され、肌が粟立つ。極低温の吠え声が、空間を震わす。湧き出した幽暗から、巨鎧の獣が這いずり出す。
「あれが……!」
「そうだ。あれこそが、冷たき谷より来る外征騎士。法王の眼を与えられた獣の騎士」
奴が現れたことで荒れ始めた低温の大気に顔を顰めながら、樋浦が俺たちの最前列へと進み出で、『太陽の盾』と『太陽の直剣』を豪快に撃ち合わせて樋浦と肩を並べたソラールが、厳かに眼前の敵を呼ばわる。ローブの襟元をかき合わせた那須川は『魔術師の杖』をかざし、俺は『盗人の短刀』を鞘へと戻して矢筒から一本の矢を引き抜く。
そして、冷たい獣は高々と戦鎚を打ち鳴らす。
『――――■■■、■■■■!!』
かかってこいと、そう言わんばかりに。すべて氷漬け、打ち砕くと嘯くように。戦端を開く号砲のように、『冷たい谷のボルド』は凍気を激しく炸裂させた。
「行くぞ! 作戦通り、ソラールは俺に続いてくれ! 佐渡と那須川は距離を維持して撃ち続けろ!」
「応!」
「オッケッケ!」
「了解!」
ブリーフィングに従って、俺たちはそれぞれの位置についた。
構成はエリアに入った時と同じ、前衛を樋浦とソラールが務め、その後ろに俺と那須川が陣取るフォーメーション。俺と那須川はそれぞれ散開してボルドを狙い、遠距離組の射線を遮らず、かつボルドが俺たちふたりへと接近するのを阻害するように樋浦とソラールが立ち回る手筈だ。
「ヌン!」
「オオッ!」
ボルドが振るう大鎚の横殴りを『太陽の盾』で力強くソラールが受け、生じた隙に樋浦が仕掛ける。混戦が始まったのを見届けた俺は、背負っていた『ロングボウ』を抜き放ち木矢を番えた。見れば反対側の地点では、ちょうど俺と同じように射線を確保した那須川が詠唱を終えたところだった。
「へいりっひ!」
「そら!」
木とソウルのふたつの矢が風を裂き、巨躯の外征騎士へと吸い込まれるように着弾する。ボルドの様子はと言うと、大して堪えた様子もなく眼前の前衛ふたりへとバカでかいメイスをぶん回し続けている。見た目通りの耐久力、大仰な鎧は見掛け倒しではないということらしい。舌打ちしつつ、次の矢を番えて射線を確認する。
『■■■■――!』
「太陽よ!」
射線の先では、ソラールと外征騎士ボルドが一進一退の攻防を繰り広げていた。
彼の頼もしい立ち振る舞いは、やはり実力の裏打ちであったらしい。巨躯から生み出される圧倒的なトルクを振るうボルドに対し、ソラールは冷静に間合いを計り、時に盾でいなし、時にステップで回避し的確にメイスをやり過ごす。そして、ただ躱すだけには留まらない。
『■■■、■■!』
「ヌウッ!?」
空を震わす衝撃が、俺の立っている辺りにまで伝播する。ボルドの膂力に力負けすることなく倔強に踏ん張り、ソラールは真正面から大鎚を盾でガッチリと受け止めた。
『■■、■■……!』
「ワッハッハ、なんたる剛力、なんたる重さか! 流石はイルシールが誇る外征騎士、荒ぶ吹雪が如き一撃よ。だが……!」
石畳を割り沈み込むソラールの脚が、鎚の威力の凄まじさを如実に物語っている。ヘビープレッシャーにソラールの足元からは蜘蛛の巣状に裂罅が走り、石畳ごとバケツヘルムが沈み込む。あわやこれまでかと肝を冷やした次の瞬間、
「ぬああ!」
『■■――、■■■!?』
気合裂帛、なんとソラールはボルドの大鎚を力技で押し返してしまった。あえて力比べの均衡を自分から崩し、生じた間隙に乗じて瞬く間にパワーゲームを制したのだと俺が気づいた時には、既にソラールの横打ちと突きの二連撃がボルドへと炸裂した後だった。
「つ、つええな、あのバケツヘルム。正直、召喚した時の主にポーズがアレで期待値が怪しかったけど、メチャメチャ頼りになるじゃねえか」
「てゆーか、もしかしなくてもユウより強くない? ソラールって」
「フン、少なくとも経験値はオレより段違いだろう。立ち回りに余裕が有る、躊躇もない」
頼りになる太陽戦士様の勇姿に俺は脱帽しきり、那須川は意地の悪い顔で樋浦を煽り、とてつもなく不本意そうではあるものの樋浦もその奮闘ぶりを捻くれ気味に賞賛する。正味、このまま見届け人をやっているだけで趨勢は決してしまいそうな雰囲気ではあるが、それではあまりにもダサすぎて誰にも顔向けが出来ない。
「このまま畳み掛ける! 佐渡、那須川、奴さんにキツいのをお見舞いしてやれ!」
「言われなくても! そら、食らっとけ!」
「■■――!」
俺は『ロングボウ』の”戦技”――これを実行するには、通常の「流れに乗った」行動よりもさらに大きく集中力と気力を要する。端的に言えば、必殺技のようなものだ――である、「強射」を発動する。平常の射撃よりもさらに大きく弦を引き絞り、限界まで溜めたところで、リリース。ぶおう、とパワフルな風切り音を伴い、木矢がボルドの鎧に深く突き刺さる。
「へいへーい、りっひぃ!」
「■――■!」
通常より長い詠唱を終え、那須川は「ソウルの矢」の上位魔術、「ソウルの太矢」を放った。水色の尾を曳く流星はその名に偽りなく、平常の魔矢よりも口径と速度を増強させてボルドのフェイスプレートを手酷く撃ち抜いていく。
「ラアアッ!」
「■■、■――■!?」
トドメとばかりに、樋浦の連斬が打ち込まれた。水平斬り釣瓶打ち四連、大きく引いた左半身の溜めを一息に炸裂させたスティンガー式のスタブで、ボルドの上体が大きく傾ぐ。
かなり打点は稼いだ。負傷らしい負傷も誰ひとり受けていない。事前のプランが上首尾で運び、期待通りの成果を挙げた。
正直、これで決した、そう思った。勝ちを確信した、そう言ってもいいだろう。
甘い、まったくもって甘かった。油断するなと、ソラールはきちんと忠告していた。
俺は、審判者での敗北からなにも学べていなかったのだろうか。
「――■■■■、■■■■■!!」
大鎚を激しく打ち鳴らし、冷たい獣はウォークライのブリザードを荒れ狂わせた。
冷たい谷から這い出た暗いソウルが、大豪雪の瘴気を運ぶ。
なにも済んではいない、なにひとつ終わってはいない。
我が戦いは、我が外征はこれからである、と。