千雨さんは、そこまで語ると一度小さく息を吐いた。顔を上げれば円のように丸く並んで座っている僕らが皆彼女に注目している。そのことを不意に恥ずかしく思ったのか、みるみると顔が朱色に染まっていった。
「……まぁ、その後もなんやかんやあってだな」
「うんうん」
「私とエヴァはそこそこ仲良くなって」
「それでそれで」
「……今でもたまに遊ぶくらいの仲になりましたとさ」
「……うん?」
千雨さんがぶっきらぼうにそう言い切った所で、話を訊いていた僕たちは顔を見合わせた。
「終わりだよ」
「えーーっ! なんか最後すんごい雑じゃなかった!?」
「うち、もっと千雨ちゃんの話聞きたいわー」
「確かに、話の終わりとしては特にオチもなく中途半端だと……」
「うるせぇなぁ! 喋り続けるのって結構大変なんだぞ!エヴァ、なんか飲み物ないか?」
明日菜さん達の抗議を無視して、もうカラカラだ、と手を喉で抑えながら千雨さんがぐったりとした顔をする。唯一椅子に座って訊いていたエヴァンジェリンさんが、あっちの冷蔵庫から勝手に持ってこい、と言ったので、彼女は歩いていってしまった。
空は暗いが、真上に浮かぶ満月の光が僕達を照らす。周りには洋風でお洒落な外灯もいくつか建っているけれど、強い月灯りはそれにも優っていて、夜とは思えない明るさがあった。
だけど、遠くを見るとどんどん光が届かなくなっていて、漆黒が僕達に迫って来ているように感じる。それが怖かったからかは分からないけれど、僕の肌は一瞬ぶるりと揺れた。
「なんだ坊や、寒いのか」
「いえ、そういう訳では……」
「ふん。いいからこれでも羽織っておけ。体調を崩される方がうざい」
そう言って、エヴァンジェリンさんはどこから出したのかローブを一枚僕に投げた。ばさり、とちょうど肩にかかったそれを受け取る。暖かかった。さっき感じた恐怖が一気になくなった気がした。
「……ありがとうございます」
「エヴァちゃん、やっさしー」
「茶化すな。お前らも風邪を引く前に使え。いらん奴は捨てて置いていいぞ」
エヴァンジェリンさんはまた手品のようにローブを人数分取り出し、宙に舞わせた。ばさばさと鳥が羽ばたくような音と共にそれぞれの手にローブが渡り、口々にお礼を言っていた。
「エヴァ、私のは」
「ふん」
「うわとと、乱暴だな私には!」
「貰えるだけありがたく思え」
ペットボトル片手に戻ってきた千雨さんもローブを受け取る。季節は夏であったけど夜が深くなったからか、皆多少なりとも気温の低下は感じていたようで、ありがたそうにそれを羽織っていった。
「エヴァンジェリンさん、たまにこう優しい時がありますね」
「ゆ、夕映、失礼だよぅ」
「確かに、私が昔聞いていた噂とは大きく異なります」
「刹那さんまで……」
僕が聞いていた話とも大きく違う。真祖の吸血鬼、闇の福音、他にも様々な呼び名があって、全てが恐怖を煽るようなものであったのに、実際はとてもそんな風には見えない。
麻帆良に来た当時、クラスメイトに彼女がいると聞いた時にはもうどうしようもないくらい困惑したものだ。カモ君からは逃げ出すことをオススメされ、僕も一瞬本気で考えてしまったくらいだ。
しかし学園長やタカミチからは、むしろ困った時は彼女を頼れと言われ、そして実際に、彼女にはとても助けてもらっている。
噂が彼女を大袈裟に言っていただけなのか、それとも、彼女が何かを切っ掛けに変わったのか。
僕が月灯りで照らされる彼女の綺麗な顔をじっと見つめていると、どうした、と訪ねられたので、思わず顔を逸らして、何でもないです、と答えた。
「千雨、もう語る気はないのか」
眼鏡を上げながら千雨さんは答える。
「悪いがパスだ。疲れた。コスプレ分の仕事はしたぞ」
「短い気ぃするけどなぁ」
「聴衆はこう言ってるが」
「木乃香頼むもう勘弁してくれ」
「んー。せっちゃんはどう思う?」
「ま、まぁ千雨さんも疲れてるようですし、とりあえず休んでもらってもいいんじゃないですか?」
「じゃあまたエヴァちゃんが語ってよ!」
明日菜さんがエヴァンジェリンさんにぐっと顔を痩せるので、エヴァンジェリンさんはその顔を掌で抑えた。
「一々近いんだお前は。それにまだ飽きんのか」
「飽きる訳ないじゃない! エヴァちゃんって結構ミステリアスだから凄い気になるのよ。お世話になってるし! ネギもそうよね!」
明日菜さんが急に僕に振る。勿論僕も彼女と同じ気持ちだ。エヴァンジェリンさんの話をもっと聞きたかった。
「……あの、聞きたいんですけど」
「なんだ」
「今のエヴァンジェリンさんがいるのは、やっぱり雪姫さんのおかげなんでしょうか」
「……さぁな。あいつがいなくても、あいつと会わなくても、意外と私はこうしてお前らと関わっていたかもしれんぞ」
「じゃあ、雪姫さんが来てからの時間は、学校生活は、どうでしたか?」
彼女がまだ麻帆良中学に通っているということは、登校地獄の呪いは解けていないということになる。だとすると、話の通りなら彼女は去年の三年間を学生として過ごせなかったと呪いに判断されたことになる。
そんな時間は、彼女にとってどうだったんだろうか。
「ふふ」
エヴァンジェリンさんは、俯いて静かに笑い声を漏らした。
「……楽しかった」
顔を上げたエヴァンジェリンさんの笑顔は、今まで僕が見たことのない表情であった。顔一面に満悦らしい笑みが浮かべられていて、本当に幸せを芯から感じているようなその笑顔は、見る人の心すら癒すものだった。
みんなが息を呑んで彼女に注目した。
クラスメイトではあるけれど、普段冷静な彼女がそんな風に笑う顔があるだなんて、想像していなかったのだろう。
「あいつと過ごした日々は、最初こそ苛々したけれど、今思えば楽しかったよ」
満月を背にそう語る彼女は、幻想的にすら思えた。普通の学生らしく過去を思い出し、楽しかったと言えるエヴァンジェリンさんを見て、良かったと思った。
彼女の人生は辛い時間も多かっただろうけど、それでも幸せに語れる時間が確かにあるのだと思うと、僕も救われた気持ちになった。
「や、やっぱりもっと聞きたいです。僕、エヴァンジェリンさんのこともっと知りたいです」
「なっ……!」
おおー、という声が周りから上がる。何人かは顔を赤くしていて、ネギ君やるなぁ、という木乃香さんの声が聞こえた。
「お前、よくそんな台詞を素で言えるな。いつか刺されても知らんぞ」
「え、何がですか?」
「……いや、いい。自分で気付かぬならいつか勝手に刺されればいいんだ」
諦めたようにエヴァンジェリンさんが言うけれど、僕にはよく意味が分からなかった。
「しかし、面倒だな」
「でも、中途半端に終わられると気になって仕方がないです。雪姫さんがどうなってしまうのかも分からないままですし」
「え、なに。雪姫さんどうかしちゃうの?」
「うち明日菜はただ純粋に聞いとればええと思うんよ」
「え、なにそれ。余計気になっちゃうんだけど!」
明日菜さんは、エヴァンジェリンさんの話を今と繋げずに物語のような話として聞いているのだろう。よく言えば入り込んでいるということだ。
だけど、彼女以外の人はほとんど気付いている。
雪姫さんは、現時点ではいない存在なのだと。
どうやってエヴァンジェリンさんにやる気を出させるものか、と皆が悩んでいる時に、明日菜さんは唐突に言い出した。
「てか私思うんだけどさ」
「どうしたんですか明日菜さん急に」
「その人見たことないから分からんないけど、雪姫って名前エヴァちゃんにもぴったりよね」
「……? どういう意味ですか? 」
「え、なんか肌白いし、雪とか似合いそうじゃない? それで金髪ロングでお姫様っぽいし」
「それは流石に安直かと……」
「……ククク。クハハ」
明日菜さんがどうでもいいような話をしたところで、エヴァンジェリンさんは不意に笑い出した。
「そうか、ぴったりか」
どこか機嫌が良さそう笑うエヴァンジェリンさんの横で、千雨さんも微笑んで地べたに座る。
「まぁいい。続きはまた私が語ろう」
「ほ、ほんと!?」
「ああ、最初に坊やに語り出したのは私だしな。最後までいこう。喋らすのだから、しっかり聞いていけよ?」
繋ぎの話なので短いです。申し訳ありません。
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