エヴァンジェリンと呪いの玉   作:ぽぽぽ

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第13話

 

 

『ねぇ、朝よ』

 

 遠い記憶だ。目の裏にぼんやりとした乳白色の光を感じて、暖かいベッドと毛布の上にいる私が眠たげに薄眼を開ける。

 

『起きて、寝坊助さん』

 

 額にキスされるのをくすぐったく感じながら、頭の頂点から頬へ流れる掌を愛おしく感じながら、私は窓から刺す光に起こされる。

 

『ご飯よ』

 

 幸せだった日々。辛いことがあっても慰めてくれる人がすぐそばにいて、孤独とは無縁だった朝。

 そんな毎日に私はいつも愛おしさを感じながら、眼を開けるのだ。

 起きて最初に見えるのは、いつも同じ顔だったーーー。

 

『キティーーー』

 

 

 

 ○

 

 

 

 

 眼が覚めると、味噌汁の匂いがした。

 トントンと、小刻みに包丁がまな板を叩く音が家に響いている。低く静かな音なのに、何故かそれは耳に残って、しかし決して不快ではなかった。

 頭の中に、雪姫がいる感覚がない。つまり、あいつが料理をしてるということなのだろう。毛布をよけて、一度背伸びをしてから部屋を出てリビングに向かう。

 

「おはよう、エヴァ」

 

 階段を降りる音で気付いたのか、一度私に振り向いて雪姫は挨拶をしてきた。

 ああ、と適当に返事をして、私は席に座る。

 

「今日は早いじゃない」

 

「……目が覚めた」

 

「先に顔洗ってきなさいよ。目やについてるわよ」

 

「ああ」

 

 半分寝ている思考のまま、私は立ち上がってのろのろと洗面所に向かう。水を出して手で掬い、ぴしゃ、と音を立てて顔に当てた。冷たい水が心地よい。何度か繰り返して鏡を見ると、寝癖が跳ねた自分がいる。もう一度欠伸をしてから軽く手櫛で揃えた後に、私はまた席に戻った。

 

 大分頭が冷静になった後、私は雪姫の後ろ姿を見た。どこから出してきてたのかエプロンを着けていて、髪の毛はポニーテールになっている。整えられた金の後ろ髪が動きに合わせて少し揺れていて、馬の尻尾と呼ぶにはあまりに上品な動きだった。

 頬杖をつきながら、私はその揺れを目で追ってしまった。

 

「……何してるんだ」

 

 今更の質問に、雪姫はおたまで味噌汁を掬い口に当てながら答えた。

 

「何って、料理よ。朝ご飯作ってるの」

 

「パンを買い込んであっただろう」

 

「たまにはご飯で朝を迎えたいでしょ?」

 

「食材はどうしたんだ」

 

「この時代って本当便利ね。スーパーってとこ、夜中にも食材を売ってくれるんだから」

 

 他にも、金はどうしたとかエプロンはどこからとか、聞きたいとこは沢山あったが、ふんふんと上機嫌に料理を続ける姿を見るとどうでも良くなって、私は大人しく彼女の料理の完成を待った。

 

 しかし、夜中に買い物に行くということは、夜は私から抜けて一人で活動していたということだ。私の少ない魔力を勝手に使っていることは、寝ていて自覚がないため憤りなどはないのだが、そこまで自律的になれることに驚く。つくづく不思議な存在だと再度思う。

 どこまで遠くに行けるのか、誰かに見られていないのか、という事は気になっても、雪姫が夜な夜な悪さをしているという発想には至らなかった。そんなくだらないことをする奴には思えなかった。

 癪だが、私もこいつのことをある程度分かってきたということなのだろう。

 

「はい、出来たわよ」

 

 両手に皿を持って彼女は此方に向かってきた。右手には焼き魚。左手にはほうれん草のお浸しを手にしている。私の前に次々と料理が運ばれてきて、ひじき煮、大根おろしとしらす、ご飯、味噌汁が置かれて最後となった。

 そしてそれぞれ、2人前ずつある。

 

「お前、食べられないだろう」

 

「ええ。でも、一人で食べるのは寂しいじゃない」

 

「寂しくない。どうするんだそれは」

 

「口に入れて、体の中で消すわ。つまりは食べたふりってことよ。別に捨ててるわけじゃないし、いいでしょう?」

 

 栄養にしていないことと消去することとでは違うのだろうか。

 食事も十分に取れない貧民や、食材の命を大事にするよう声を上げる人にとっては、食料の無駄遣いなどと言って怒るかもしれない。

 しかし私にとっては別にどうでもいいことで、そのことを問い詰める気はなかった。

 

「……お前の分、私の金を使ったのに無駄にするとはな」

 

「ふふ、料理費用よ。それより早く食べましょ。冷めちゃう」

 

「味は分かるのか」

 

「美味しいか不味いかは私には分からないけど、どんな化学物質であるかは判定できる。一応味見して人の好みに合う味付けになっている筈だから不味くはないわよ」

 

「……まぁ、味の文句は食べてからだな」

 

「はいはい、じゃあ、手を合わせて」

 

「……いただきます」

 

 

 

 

 雪姫は慣れないだろう箸も上手に使い、料理を口に運んでいる。誰からみても普通に食事を食べる女性だった。

 私も箸を持ち、適当に摘む。

 久しぶりの和食は、美味かった。

 いや、美味しいだけではない。高級料理店での外食では味わえない、不思議な安心感のある味がした。

 

「どう?」

 

 微笑みながら聞いてくる雪姫に対して、私は、普通だ、と答えた。

 それでも彼女は嬉しそうに笑っていた。

 

 

 

 ○

 

 

 

 飯を食い終わると、雪姫は、洗い物はしておくから着替えてきなさい、と指示してきた。ただしシンクまで持ってこないとやらないというので、私は渋々空になった食器を運んだ。

 彼女がかちゃかちゃと水と洗剤とスポンジで音を奏でているうちに、私は学校へ行く支度をする。

 身形を整え、制服に袖を通し、鞄を持つ。

 なんて学生らしい朝の仕草なのだろう、と私は自分に言った。前まではだらだらと適当に準備するだけで、それもまた学生らしいといえばらしいのだろうが、なんとなく今やっている動きの方が一般的であると思った。

 どうだ、登校地獄よ、私はちゃんと学生してるぞ、と心に問い掛けても答えはこない。

 はぁ、とため息を吐いてから私は玄関で靴を履いた。

 

「もう出るの?」

 

 手を拭きながら、雪姫が外に向かおうとする私の後ろに立った。

 

「家にいてもやることはない。だらだら歩いて向かう」

 

「そう。なら、いってらっしゃい」

 

 

 思わず。

 振り返って雪姫の顔を凝視してしまった。

 

 

「……? ああ、もうちょっと洗い物して、洗濯して掃除して、そしたら私も追いつく、というかあなたの中戻るわよ」

 

 付いて来ないのか、という疑問を持ったと思われたのだろう。雪姫は何事もないかのように、もう一度手を振って、いってらっしゃい、と言った。

 心が波立ち、ざわざわと穏やかに揺れる。動く掌がスローモーションに見えて、雪姫が眩しく見えてしまう。

 かろうじて立ち上がれた私は、遠くに感じたドアノブをおもむろに掴んで、そのまま出て言った。

 

 行ってきます、とは言えなかった。

 

 

 

 

 

 

 久しぶりに雪姫が頭の中にいない状態で、外を歩く。

 あいつが来てからこれまでずっと会話しっぱなしだったので、一人が嫌に落ち着かなかった。

 しかし、さっきの瞬間にあいつが頭にいなくて良かったと心から思った。私自身、自分がどんな感情を抱いたのか処理できていないのに、彼女といたらどうすればいいか分からなかっただろう。

 

 

「お、エヴァじゃねえか。おはよ」

 

「エヴァンジェリンさん、おはよう」

 

 林を抜けて街道に出たところで、たまたまあきほと千雨にあった。二人も登校中だったのだろう。

 おう、とぶっきらぼうに返事をすると、二人は顔を見合わせた。

 

「あの、何かあったの? エヴァンジェリンさん」

 

「……何がだ」

 

「何がって、お前ちょっとにやけてるじゃん」

 

「……っへ?」

 

 慌てて私は自分の頬を触った。にやけているだと。そんな馬鹿な。

 

「ふふ。良いことでもあったの?」

 

「ない! 何もない! にやけてもない!」

 

 二人から顔を逸らして両手で自分の顔を揉む。いつもの冷静沈着でクールな自分になるように引っ張ったりもした。

 何してんだ、と怪訝そうに聞く千雨の声を無視して一心不乱に私は心を落ち着かせた。

 

「そういえば、雪姫さんは今はいないの? 」

 

「ななななんであいつの名前が出るんだ!」

 

「どれだけ動揺してんだよ」

 

 全く落ち着きそうにない私を見て、あきほはくすくすと笑っていた。

 

「多分、いないんだろうなーって思ったの」

 

「あー、だよな。多分、いないよな」

 

 二人とも私との付き合いにも慣れて来たせいで、いつのまにか私の中にあいつがいるかいないかも見て分かるレベルになっていたのか。

 

「……どうしてそう思う」

 

「だって、ね」

 

「いたら、おう、なんて返事許されないだろ」

 

「……」

 

 思い返すと、確かにそうだ。他人からの挨拶に何故か執着する雪姫なら、私がそんな返事をしたなら身体を抑えつけてしっかり挨拶するまで説教を続けるに決まっている。

 しかし、挨拶程度出来なかったくらいであいつがいないからだと見抜かれるのは、半人前と言われているようで癪だった。私一人でもそれくらいはできるに決まっているだろう。

 

 私はゆっくりと彼女達をもう一度見た。

 口をすぼめて、私は小さな声で言う。

 

「……おはよう。あきほ、千雨」

 

「……うん。おはよ」

 

 非常に照れ臭く感じて、私は二人からまたすぐに顔を背けた。

 

「そんで、雪姫さんはどうしたんだ」

 

 そんなに私と居ないことが気になるのか、千雨は再度あいつのことを訊ねてきた。きっと、二人でいない時を見るのが珍しかったからだろう。

 

「見限られたか?」

 

「見限るってなんだ!どうして取り憑かれてる被害者の私があいつにそんな判断されねばならん!」

 

「だっていつ見てもすげえ迷惑かけてるし」

 

「迷惑などっ……」

 

 思い返せば、人型の姿で動けるようになってから、あいつは私の世話を勝手にしていた。風邪を引いた私の看病をして、今日だって頼んでもないのに朝食を作り、部屋の片付けまでしてくれるという。

 

 ……それに、私はあいつには碌に挨拶も返してない。

 おはようも、行ってきますも言ってない。ごちそうさまは、言っただろうか。いつもは誰かに不誠実だと五月蝿いくせに、今日のあいつは怒りもしなかった。

 

 これは、見限られた、ということなのだろうか。

 

「じょ、冗談だよ。そんな深刻な顔すんなって」

 

「だ、誰が深刻な顔などするか! ふ、ふん! あいつがそれで居なくなるなら私としてはラッキーだ! やっと邪魔者がいなくなったと清々する! 」

 

(何が清々するって? )

 

「うぉお!?」

 

 いきなり響く頭の声に、私が仰け反る。その勢いで鞄を落したが、すぐにあきほが拾ってくれた。

 

(あら、千雨ちゃんとあきほちゃんも一緒なの。おはよう、二人とも)

 

 二人は姿ない雪姫から脳内に声を掛けられるのは初めてだったのだろう。少し戸惑った表情をしたが、すぐに声を出しておはようございます、と言っていた。

 

「こ、これは、口に出して喋った方がいいのか? 脳で喋る感じでいいのか?」

 

(皆でいる時は口に出せばいいと思うわ。千雨ちゃんの心の声を周りに響かせるのも出来なくはないけど、少し面倒だし、黙って見つめ合ってるのも変でしょう? )

 

「お、おう」

 

(……でも、こういうテレパシーみたいのに憧れてるならやって見てもいいわよ?)

 

「み、見抜かれてる」

 

 やはり魔法に対する憧れはあったのか、千雨は恥ずかしさで少し頬を赤く染めた。

 

(それで、どうして3人一緒なの?)

 

「私と千雨ちゃんの家ってそんなに離れてないから、たまにこうして一緒になるんです。初等部と中等部も近いし。そしたら、今ちょうどエヴァンジェリンさんにも会って」

 

「なんだ、あきほも寮暮らしじゃなかったのか」

 

「……うん。それより、雪姫さんは今日は姿をみせないんですか?」

 

 一瞬表情に陰りを見せたあきほであったが、まるでそこに触れて欲しくなさそうにすぐ別の話題にしようとした。気にはなったが深く聞くのも嫌なのだろうと私は気にしないふりをした

 

(学校でエヴァの側にずっと私の姿があったら変でしょう?)

 

「なら、実体化して家にいればいいだろう」

 

(嫌よ。貴女から距離が出来るとやっぱりちょっときついもの。それに長い時間は離れてられないわ。実体化は側にいる時が一番いいわね。あと、家に1人なんてつまらないじゃない)

 

 多分、後者の理由の方が大きいんだとすぐにわかった。雪姫は暇なのは好きじゃないのだ。

 

 

 立ち止まって話をしていた私達は、やっと学校に向かい出しのろのろと歩き出した。折角早く家を出たのに、遅刻したら台無しだ。それにあきほのことだから、またどうせ日直紛いのことをやるつもりなので、学校には早めにつきたいだろう。

 

 雪姫も合わせて4人で話しているのに、周りから好奇の目を向けられることはなかった。詳しく会話を聞かなければ3人で会話してるようにしか見えないだろうし、そこまで他人の会話に聞き耳を立てる人もいないということだ。

 

「エヴァのやつ、なんかニヤついたり落ち込んだりしてすげえ情緒不安定だったんすけど、雪姫さんなんか知ってます?」

 

「ち、千雨! 貴様適当なことを言うな! 」

 

(んー。全然心当たりはないのだけれど、どうしたの? エヴァ)

 

「何でもない! 何でもないから気にするな!」

 

(なぁに? 気になるじゃない)

 

「だからなぁ!」

 

 

 

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