「あきほちゃん今日もお休みだねぇ」
昼飯時、箸の先を口にパクリとつけたまま、ゆみがしみじみと言った。
窓からポツポツと雨が当たる音がする。暑さはまだ衰えず、しかし湿気だけは強くて、もわりと嫌な空気が世界を覆っているように感じる天気だった。ゆみは雨がとても嫌いならしく、そのせいかいつもの喧しさも今日は相当控えめになっている。
「あきほ、最近はずっと調子が良さそうだったのに」
箸を咥えるな、とゆみに注意をしたむつみが、少し目線を下げて心配する口調で言った。
相変わらず二人は私の側で勝手に飯を食べている。そして、いつもならあきほも一緒にいる筈なのだが、姿がない。この日で学校を休んでから3日目になる。
「最近?」
「去年はもっと頻繁に休んでいた。あきほは元々身体が弱くて、病気にかかりやすく、かかると長いらしい」
知らなかった。
私と会ってからは体調が悪そうな素振りを見せたことがない。
(心配ね)
雪姫が、ぼそりと私の中で呟く。私は弁当に入っている卵焼きを掴んで口に入れた。
「あいつが寮生活じゃないのは、それが理由なのか?」
「本人からは直接聞いたことはないけれど、多分そうだろうね」
「……あきほちゃん、よく聞いてきたもんね。寮生活ってどんな感じなのって。多分、みんなと生活してみたかっただろうなー」
自分が身体が弱いから。よく病気になってきっと周りに迷惑をかけるから。寮より実家から通うことを選ぶ。寮で暮らすことが憧れだとしても。
自分より他人を気にするあいつなら、そう考えてしまうのだろう。本当に損な性格だと思う。
「それじゃさ! お見舞い行こうよお見舞い!」
良いこと思い付いた!、と誰が見てもそんな心の声が漏れてると分かる表情で、ゆみは大きな声を出した。
どう、と続けて私達に自分の意見の肯定を求めてくる。
「私は構わないけれど、迷惑じゃないだろうか」
「分かんないけどさ! どうせ溜まったプリントは届けに行くし、その時にお家の人に体調聞いて、大丈夫そうならお顔ぐらい見に行こうよ!」
無理矢理家に押し入るくらいしか考えられない脳だと思っていたが、流石に病人のことは思いやれるらしい。少しだけゆみを見直した。
「エヴァンジェリンさんは今日の予定あるかい?」
「……今日はないな」
(いつもでしょ)
細かくツッコミを入れてくる雪姫のことは無視する。
「っそれじゃあさ!」
「待て。勝手に決めるな」
私がいつのまにか立ち上がりノリノリになっているゆみに制止をかける。
すると、ゆみは一気に不安げな表情に変わる。
むつみも、私の言葉を静かに待っていた。
「……そもそもお前ら、あきほの家を知っているのか? もし知らんならタカミチに聞くでもしてーー」
「っうん!うん! そうだよね! 私らも知らないから、せんせに聞きにいかなきゃね! 」
「急になんなんだお前は」
突然また元気になったゆみが、私の両手をがしりと掴みぶんぶんと上下に振る。せっかく雨でしおらしくなっていたのに、結局いつもと同じように鬱陶しかった。
「……ちゃんと心配してくれてるんだな」
「……心配というか、こいつを止めれる奴がいなくなるのが困るだけだ」
ぶんぶん振り回される手はもうゆみの思うがままにさせておいて、ほんのり笑って呟くむつみに、私は顔を向けないでそう返した。
(本当に素直じゃないわねぇ。どう見ても気にしてるじゃない)
(うるさい! )
その後、ゆみは私を引っ張るようにして立ち上がらせて、高畑のいる職員室へと無理矢理私を連れて言った。
○
「……吉野さんの家の住所?」
「はいっ!」
ゆみは私の手を握ったまま廊下を全速力で駆け抜け、注意する教師から逃げるために階段をいくつも上下し、ずいぶん遠回りしてやっとついた職員室でもまったく疲れを見せずに、タカミチへしっかりと質問した。
対称的に、振り回された私はひどく疲れた顔でそこにいた。体力的にというより、周りの人になんだこいつらと思われながら学校中を駆け回るのは、精神的にくる。
「えと、エヴァ、大丈夫かい? 」
「き、気にするな」
そ、そう、とタカミチは私とあきほの組み合わせを交互に見てから不思議そうに言う。
「一応聞くけど、どうして吉野さんの住所を?」
「はい!先生!それはあきほちゃんちにお見舞いに行くためです!」
「……っ、どうしてお前はそういつも無意味に大声なんだ」
右耳を塞ぎながら、私はゆみを睨みつけるようにして言う。
「……それは、エヴァも一緒にかい?」
「勿論でございます!」
「なんだ、悪いのか?」
「いや、いい。うん。是非。是非行くべきだ」
何故か嬉しそうな顔をした高畑が、ちょっと待ってねと机からファイルを取り出して、その中にある紙を見ながら、メモ用紙につらつらと住所を書き出した。
「はい、ここが吉野さんの住所だね。吉野さんによろしくね。家の人に迷惑をかけてはいけないよ?」
「はい、せんせい!!」
またアホみたいに声を出したゆみのせいで、耳がキンと響く。それから目的を達成したと昂ぶったゆみは勢いよく部屋を出て行き、廊下から別の教師の怒声が聞こえた。きっと走るなと怒られたのだろう。
私は一度ため息をついてから、次はゆっくりと部屋を出て行こうとすると、タカミチに呼び止められた。
「エヴァ、知っているかもしれないけど、吉野さんは……」
「関係者なんだろう? 本人から聞いたぞ」
「……うん。昔は結構な家柄だったらしい」
「だからなんだ」
「……いや。なんでもないよ。それじゃ気をつけて」
深みのある言い方をしたタカミチに適当に返事をして、私は今度こそ職員室を後にした。
○
放課後になると、私達は荷物を持ったまま学校の外に出ていた。
それぞれの持つ傘の上に雨が当たる。中学生といえどもゆみもむつみも女子らしく色のついた可愛らしい傘を差していた。
ゆみはいちいちケータイのナビで場所を確認しながら歩いていて、私達を先導してくれている。
「エヴァンジェリンさん、聞きたかったんだが」
雨音に負けない程度の少し大きな声を出して、むつみが私に訪ねる。なんだ、と訊くと、どうしてか彼女は少し気恥ずかしそうにした。
「あの、もしかして、高畑先生とお付き合いしているのか?」
「っへ⁉︎」
「ぶふっ!」
(あらあら)
思わず吹き出して、ついでに雨で足が滑って転びそうになる。ゆみも一瞬で私達の方を振り返り、パシャパシャと水溜りを踏みつけつつ一気に詰め寄ってきた。
「ほ、ほんと!? エヴァと先生て、そ、そういうご関係でありましたの⁈」
(私も全く気付かなかったわ)
「そんな訳あるか!」
混乱して顔を赤くしながら訳の分からない喋り方になっているゆみと、ふざけて話に乗ってくる雪姫に私は本気で否定する。
「どうしてそんな発想になったんだ!?」
「だ、だって、エヴァンジェリンさん。先生のことを名前で呼んでいただろう? タカミチって……。だから、深い仲なのかなと……」
妙にもじもじとしながら、むつみは似合わない様子で未だに恥ずかしそうに言った。いや、似合わないというのは間違っている。いくら大人びていると言っても彼女はまだ子供なのだ。そういう話で顔を赤くするのは実に子供らしい。
「あいつとは昔からの知り合いなんだ。だからその頃からの呼び方をしているだけだ」
「昔って、エヴァンジェリンさんが小さい頃からってことかい?」
「まぁ、そうだ」
本当は、あいつが小さい頃から、なのだが、説明が面倒なのでそういうことにしておく。
「うーん本当かなあー。あやしいなぁー」
「くだらない話をしてないでさっさとあきほの家に迎え。もう近くなんだろ」
私が二人を置いてさっさと進もうとすると、待ってー、と声を掛けて二人が追いついてくる。
「あ、エヴァ、そこ! その家だよ!」
ゆみが指差す家の表札を見れば、そこには確かに、吉野、と書かれている。住宅街に建つ、大きな特徴のない二階建ての家であったが、玄関や庭が小綺麗にされており、よく手入れされている家だということはわかる。
「ピンポーン」
ドアの横にあるインターホンを見つけたゆみは、掛け声とともにすぐさまボタンを押した。
「躊躇いとか準備とか全くないんだなお前は」
「え? だってどうせいつか押すのに躊躇う必要なくない?」
(正論ね)
「こういうところを私はゆみの凄いところだと思う」
少し待っていると、足音が家から聞こえてきて、すぐにドアが開いた。
「はい……どちらさまですか?」
出てきたのは、二十歳ほどの青年であった。短い短髪は爽やかで、青いTシャツにジーンズを着ただけであったが、スリムな身体をしているからかよく似合って見える。
「こんにちは! 私達、あきほちゃんのクラスメイトです!」
「ああ、あきほの」
青年は頬を緩めた。くしゃりと寄った皺からは子供らしさも出ていて、モテそうな男だな、と私は思った。同時に、目元があきほに似てると感じた。きっと彼がいつかあきほが言っていた兄なのだろう。
「あきほ、調子はどうですか」
「今は大分良くなってきたよ。そうだ、上がっていくかい? 顔を見てあげたら、きっとあいつも喜ぶよ」
「いいんですか!」
「ああ」
優しい笑顔で青年は私達を招き入れてくれた。兄妹とはやはり似るものなのだな、と思いながら私も彼女達に続いて家の中に入れてもらおうとする。
「……君、ちょっといいかい?」
二人の後を付いて行こうとした私は、靴を脱いだところで青年に声を掛けられた。
「……君も、あきほの友達なのかい」
そう訪ねる彼の声は、少し震えているように感じた。
恐怖、不安、心配、そんな感情が混じり合ったような瞳をしていた。それは、私には見慣れたものだった。何百年と、向けられ続けたものだ。
魔法使いの家系というからには、彼は私のことを知っているのだろう。悪評しかない者がいきなり家にやってきたら、誰だってそんな反応をする。
彼は、私が怖いんだ。
「……はい」
私は帰った方がいいかもな。辛うじて答えながらそう思った。
タカミチが何を言わんとしていたかはよく分かる。分かっていた。
それでも私はここまで来た。他人の目や評価を今更気にする私ではない。やりたいようにやる、というのは私の中の一つの理念ですらあった。
しかし、あきほの家族にまで心配をかけるようならば、私は。
「……そうか。わざわざあいつのために来てくれて、ありがとう」
青年は、ぎこちない笑顔を向けて、私にそう言った。
予想外のことで、私は目を丸くしてしまう。
自然な笑顔ではないけれども、彼は恐怖に打ち勝とうとしていた。私を、あきほの友達であると信用してくれていた。
(素敵な人ね)
彼にあきほの部屋へと案内されながら、私は雪姫に、ああ、と返事をした。
○
青年があきほを呼びかけながらドアをノックすると、なにー、気の抜けた声が聞こえた。家族の前では気を許していると分かる声で、ゆみとむつみが少し笑っていた。
友達が来たぞ、といいながら青年がドアを開けた瞬間、まずゆみが飛び込むようして部屋へと駆けていく。
「あきほちゃーーん!」
「っえ!? みんなどうしたの……ってうわ!」
「心配したよーー!」
「う、うん。ありがとう」
抱きつくように飛び込んで来たゆみをあきほは困った顔をしながら受け止めていた。
「離れろあほ」
私はあきほから引き離すようにゆみの首根っこを掴んで後ろに引いた。
「ゆみ、病人の前だぞ」
「あ、うんそうだね! あきほちゃんごめん!」
「ううん、全然大丈夫だよ」
ベッドに座っているあきほは少しやつれていたが、顔色は悪くないように見える。
ガチャ、とドアの閉まる音がした。後ろを見ると青年の姿はない。気を利かせて私達だけにしてくれたらしい。
「みんな、わざわざ来てくれたの?」
「ああ、調子はどうだい」
「うん。今はいいみたい」
「なんの病気なんだ」
「お医者さんに診てもらっても、いつもよく分からないの。急に体調が悪くなっちゃって……。でも、もう大丈夫だよ。みんな来てくれてありがとう」
「いつから学校に来れそうなんだ」
「今は熱も下がってるし、調子良ければ明日には行けると思うよ」
「おおーよかったーー!」
ゆみが大袈裟に喜んでまたあきほに抱きつこうとしたので、私は制服の襟を掴んで後ろに倒す。
ぐわぁ、と転がるゆみを見てあきほはクスクスと笑った。
「エヴァンジェリンさん。学校はどう?」
「別にいつもと変わらん」
「あ、そういえばあきほちゃん知ってた?エヴァと先生付き合ってるって」
「っえ⁈」
「さっきなに聞いてたんだお前は!違うからな!」
「あきほ。さっきの人はあきほのお兄さんか?」
「うん。今日は大学の講義はないみたいで、ずっとついててくれたの」
「イケメンだったねぇ!!」
「そうなのかな。ずっと一緒だとあんまり分からないの」
「う、うん。イケメン……だった。」
「あれ、むっつん惚れた!?」
「惚れてない!かっこいいと思っただけだ!」
そうやって、本当にどうでもいい話をしていた。
3人は笑ったり騒いだりしながら、中学生らしく和気藹々と盛り上がっていた。
気付けば、私もその輪の中に、入っていたのかもしれない。
○
話に夢中になっていたせいで、私達は時間の感覚が分からなかった。途中であきほの兄が声を掛けてくれてやっと夕方が過ぎ去ろうとしていることに気付き、私達はあきほの家を後にした。
ゆみとむつみとは途中で別れ、私は自分の家へと一人で向かっていく。
まだ、雨は降っていた。
日中よりもさらに強い雨となっていて、雲の色も真っ黒に見える。車道を走る車はタイヤから飛沫を上げていて、それを掛からないように帰るのは難しかった。
(……雪姫、どうかしたのか?さっきから黙って、あきほとも喋ってなかったが)
遠くで雷も鳴った。風も強まり、ザザァと感情のこもらない音が常に耳に残る。
(エヴァ、話があるの)
それでも、雪姫の声だけはしっかりと響く。雨も風も雷も関係なく、直接心に伝わる声は、私に間違いなく届いている。
(……なんだ)
(あきほちゃんのことだけど)
いつになく、真剣な声だった。
思わず私は立ち止まってしまう。
目の前に、雪姫の姿が現れた。
傘も差さず、ひたすらに雨に濡れている。風で揺れる金色の髪も、この時だけはとても綺麗には見えない。
水の粒が流れる彼女の顔は、はっきりした芯がありながら、悔しさでそれが崩れそうな、曖昧な表情であった。
「彼女、もう長くないわ。きっと、あと数日も生きてられない」