突然家の壁を突き破った幾本もの魔法の矢は、そのまま私達に向かってきて、部屋にある机や皿を次々と切り裂いた。
戸棚のガラスが割れる音や木製の本棚が崩れていく音が響く。裂けた人形から飛び出る綿がふわふわと舞う様子は、高速で突き進む矢と対照的に見えた。ズドドド、と低く鈍い音を立てて突き刺さる矢の一本一本が間違いなく高威力であり、それはつまり、放ったものの実力の高さが知れた。
速度を増し連写される矢は、中々に打ち止む気配がなかった。30秒近く撃ち続けられた矢は、無慈悲に私の家を滅茶苦茶にしていく。木屑や綿が捲き上り、ガラスが床中に散らばる。やっと止んだ攻撃の跡を見れば、形あるものは見るも無残な姿となっていて、横から貫かれた家自体も元の姿の片鱗はなかった。
そして、放たれた魔法の中心に居たはずの私は、無傷だった。
気付けば私の前には分厚い三重もの障壁が作られていたのだ。未だに私を抱き抱えていた雪姫は、大丈夫?、と余裕を感じる声で話しかけてきた。どうやらこの障壁は彼女の仕業らしい。
私は礼を言う前に、雪姫の腕の中にいる自分を恥ずかしく思って、もういいだろ離せ、と無理矢理離れた。
そして、矢が撃ち込まれた方向へと目をやる。
家の壁に空いた大きな穴の先には、1人の壮年の男が立っていた。
見たことのある顔だった。
黒いローブを羽織り短めの杖を手にしているその男は、あきほが入院していた病院ですれ違った奴だった。
『叔父が名の売れた魔法使いで……』
脳裏に、あきほの声が聞こえた気がした。いつか彼女がそう言ったことを思い出し、私はそいつの顔を見た瞬間に、彼の目的を理解した。
目に怒りの炎を宿し、禍々しくも悲しげなオーラを纏う姿を見れば、すぐに分かるのだ。
何度も、何度も向けられたその視線は、悲しいほどに見覚えのあるものであった。
「……随分と、野蛮な挨拶だな」
壁の穴から外に出て、私は男に話しかける。
男は私の顔を確認した後、あまりにも大きな歯軋りを鳴らした。怒りを抑えきれないようで、顔の筋肉がプルプルと震えている。杖を持つ手を前にして、男は私に訪ねる。
「……エヴァンジェリン A・K マクダウェルで間違いないようだな」
「そうだ。だとしたらなんだ。貴様のような魔法使いが、この私に何の用だ」
「……私の姪のことは、分かるだろう」
ああ、分かる。分かるとも。
このタイミングで私の前に現れるということは、つまりは、そういうことなのだろう。
暫くは平和なこの街にいたとしても、その視線だけは忘れることはなかった。業火の炎を背後に宿し、ただ一つの目的で私の前に現れたものは、どれだけ私が巨悪としても、どれだけ私が残虐だとしても、絶対に諦めることなく向かってくる。
どんな理由だろうと、仲間が殺されて身内が殺されてやってきたものは、そんな眼をして、私に殺意の言葉を向けるのだ。
「私は! 貴様が呪い殺したあきほの叔父だっ‼︎」
杖の先端が強い光を放つ。
無詠唱で唱えられつつも、重く鋭い光の矢が私に光速で向かってくる。
そしてそれはまた、突如私の前に現れた障壁によって弾かれていた。
「エヴァ」
無防備に前に出た私を叱咤するような口調で、雪姫は私の名を呼んだ。
「雪姫、お前は何もするな。黙ってろ」
「……黙ってろって、貴女穴だらけにされちゃうわよ」
「頼む。任せてくれ」
雪姫はそれ以上返事をしなかった。
私は一歩前に出て、更にその男に近付いた。
男は引く様子を見せることなく、激しい鼻息を尚荒くした。
「何故だ! 何故あきほに近付いたっ! あの子に魔法の才能など無い! 闘う力などない! そんな子をどうして死に追いやったのだ!!」
杖の先端が顔の前に置かれた。
興奮で大量に発汗し、額には幾つもの筋を作る男の怒りは間違いなく本物だった。
彼の中では、私はあきほを殺した人物となっている。
そう思われることについて、怨みはなかった。
私の存在は、きっとあきほの兄からこの男に伝わっているのだろう。あきほが死ぬ少し前から彼女と関わり出した悪名高い魔女。家や病院にも顔を出して、彼女に近付いていた。それだけで、疑われるには十分すぎる。それだけのことを、私はしてきている。
濡れ衣だと叫ぶことに何の意味もないことを、私は経験として知っていた。
「あの子は……っ! 優しい子だった! 闘えなくても! 魔法なんて使えなくても、良かったんだ! 幸せに、幸せにさえなってくれれば良かったのに……」
彼の怒号とは反対に、私は嬉しく感じていた。
魔法使いの家系で魔法が使えないものは、古くから差別され、辛い想いをして生きていくことが多い。
そんな中でも、彼女は確かに愛されていたのだ。優しさで溢れていた彼女は、家族に愛され、友人に愛されていた。闘う力だけが強さだと教えられることなく、周りを笑顔にして、育てられてきたのだ。
そう感じられる彼の怒りが、私には嬉しかった。
彼女は、私と違い、真っ当に生きていたのだと実感できたのだから。
「――くくく。何故、だと? 」
私が悪意に満ちた声を出すと、彼の杖を持つ手の力が強くなったのが分かった。
「理由など、あいつの血が美味そうだったから。それ以外にはない。あいつがどんな奴だったかなんて、私に関係ないんだよ」
「っ貴様ぁ!!!」
彼の身体から溢れるように湧き上がった魔力は一気に杖に込められ、私の目の前で爆発寸前まで膨れ上がった。風圧で髪が揺れ流れるが、私は気にすることなく彼の顔を見続けた。
そして、ゼロ距離で放たれた魔法は、大きな光となって爆発した。
○
また、私の身体には一切の傷がなかった。
それどころか、いつのまにか私はあの場所を移動し、林の中にいる。
雪姫に抱えられて、だ。
「……何もするなと言った筈だ」
「言われたけど、私は従うとは言ってないわよ」
そう言って雪姫は私を下ろした。男の切り裂くような叫び声が離れたところから聞こえた。どうやら消えた私を探しているようだ。これだけ声が聞こえるということはそう離れた距離にいる訳ではないらしい。
「……どういうつもりなの?」
雪姫が真剣な表情で訪ねてきた。
「死ぬ気だったの? 」
「ふん。不死の吸血鬼だから、あんなもんでは死なん」
雪姫は、私をじっと見つめている。怒る訳でも、責める訳でもなく、ただ、私の意思を問おうと見ている。
「……復讐者ってのは、簡単には止まらないんだよ。特にああいう、自分が死んでもいいと思ってる輩は、殺すか、本当に死ぬかまで一生付きまとってくる」
「だから、死ぬ気だったの?」
「死んだふりだよ。一旦灰にでもなっておけば勝手に満足するだろ」
「嘘よ」
雪姫は、さっきと変わらない瞳のまま、淡々とそう言った。
「貴女、自分が今吸血鬼として弱っているの分かっているでしょう? 麻帆良に閉じ込められ、満足に血も吸えてない貴女が、粉微塵になるまで攻撃されたら生き返れる保証なんてないのよ。それくらい、貴女が一番分かっているでしょう?」
「……」
私は雪姫の言葉に応えることなく、服に付いた泥を静かに払う。
「今まで復讐者と会ったとき、殺してきたのでしょう? なら、あれも殺せばいいじゃない」
「駄目だ! 」
咄嗟に声が出た。私はそんな自分にも苛つきながらも、雪姫に向かい合うのを止めなかった。
「……あいつの家族を殺すのは、なしだ」
「そう。なら逃げるしかないわね」
雪姫は、そう言って私の手をおもむろに握ってきた。
「とりあえず街に出ましょう。それで、タカミチとかいう青年か妖怪みたいな学園長に話をして彼を止めてもらいましょうか。それでも彼がまだ襲って来るなら、その時また何か考えましょ」
私が返事をする前に雪姫は既に走り出していて、私は引っ張られる。
「一つ言っておくけど、どんな道になろうと貴女が死ぬのは、なしよ」
「……どうしてお前が決める」
「私がそう思ったからよ」
私と同じ長い金髪をはためかせながら、彼女は私の手を離さずに走り続けた。
○
裸足で走り続けているのに、足に痛みを感じなかった。なんとなく、足元に魔力を感じる。おそらく雪姫が何かしらの補助をしてくれているのだろう。
先程の障壁も、私を助けた時のスピードも、並みのものではない。今まで機会がなかったため知らなかったが、どうやら雪姫はかなり出来る存在であるようだった。長く存在する彼女にそんな力が宿っていたとしても、特に不思議には思わなかった。
高速で木々の間を抜けながら、いつも通る、街に抜けるための道に出る場所へとたどり着いた。
後は学園までいくだけなのだが、そこで雪姫の動きは急に止まった。
「……どうした」
「やられたわ」
そう言いながら、彼女が手を前に出すと、空間に波紋が広がっていった。
「結界か」
「ええ。彼、やっぱり中々やるようね。呪符式で、しかも高価なものね。壊すのは難解で、面倒な作りになってるわ」
陰陽術である呪符を使った結果は、その符を剥がして解くのが一般的である。そしてそれは基本四方に置かれていて、探すのに手間が掛かる。
「……半球に作ってあるみたいね。この林ごと、すっぽり囲まれてる」
目を瞑りながら、手で結界の感触を確かめつつ雪姫はそう言った。
自分ごと私を閉じ込める東洋の結界。
それは、あの男の覚悟を示したものであった。西洋の彼がそれに手を出し、真相の吸血鬼である私と一緒に籠るということは、どうあっても決着をつける気であったのだろう。
「……呪符の場所は分かったわ。ただ――」
「解きに行かせると思ったか」
背後からする声に振り向けば、そこには男がいた。男はすぐに火の中級魔法を放つ。
無詠唱でありながらも魔力の篭った巨大な業火の玉は直線で私達に向かってきた。
すぐに雪姫が前に出て、障壁を貼った。火球は弾け火の粉が舞う。地面に落ちた小枝に飛んだ火が、小さく弾けるような音を立てながら燃えている。
ちっ、と男が舌を打った
「……ねぇ、貴方」
雪姫が男に声を掛ける。男は雪姫に警戒しながらも、その杖を私へと向けたままであった。
「あきほちゃんの死は、エヴァのせいではないわ。あれは、どうしようもないものよ」
「嘘をつくな! 」
地面で燃えた火の粉が、雑草や落ち葉を伝って、少しずつ大きくなっている。煙が緩やかに昇り始め、鼻に焦げた匂いを感じた。
「あんな、あんな突然、亡くなることがあるか! その前まで、笑ってたんだぞ! 」
男は瞬きもせずに、怒りの表情のまま涙を流し始めている。
「赤子の頃から、知ってるんだ! よく泣き、よく笑う子だった! あの子がいれば、誰もが笑顔でいれた! それなのに、こいつが、こいつさえいなければっ!」
「……分かるわ。彼女は、とてもいい子だった。でも、死とは、そういうものよ。平等で、理不尽なの」
「黙れ!」
再び彼の杖から魔法が飛び出す。
それはさっきと変わらずに障壁によって防がれている。燃え移る炎は、彼の周りにも到達している。それなのに、男は暑そうな素振りを全く見せない。
「雪姫、もういい」
「エヴァ、次は貴女が黙っていなさい」
雪姫は、横目で私を睨みつけるようにしながらそう言った。
「死を悲しむ気持ちは分かる。誰かにぶつけないと、どうしようもない気持ちをどうにも出来ないのも分かる。悲しみを、怒りや恨みに変換しないと自分が保っていられないほどおかしくなるのも分かる。でもね、それは貴方の都合なのよ。同情はするけど、私は私の大事なものを譲る気はないの。貴方のためにこれ以上の傷をつけさせるつもりはないの。だから、引いてくれないかしら」
「黙れぇえ!」
男に雪姫の言葉が届く様子はなく、男はひたすらに魔法だけを打ち続けていた。どれだけ防がれても、魔法を放つことをやめない。林に溢れた緑が次々と炎に塗れていき、次第に黒煙までもが私たちの周りを囲む。
息をするのが苦しくても、魔力が尽きそうで苦しくても、男は一心不乱に魔法を放ち続けた。
私は、雪姫の説得が無駄であることが分かっていた。激情に駆られた人間は、決して言葉などでは止まることは出来ないのだ。視野が狭まり、一つのことを為すことしか考えられないのだ。
だから、彼が止まるには、私が死ぬか、彼が死ぬかしかない。
私は、死ぬ気などはない。
これは本心であり、例えあきほの叔父であっても、あの男のために自分の命を散らすつもりなどはなかった。
ただ、分からなかったのだ。
殺さずに、殺されずに男を止める方法が。
例えここで彼の意識を刈り取ろうが、きっと結果は変わらない。タカミチに言っても爺に言っても、この男は絶対にまた私の元に現れる。復讐の意識とは、誰かの説得では止まらないのだ。
だから、私はさっき彼の魔法を受けようとしてしまった。分からないままに、何か答えがあるかもと、思ってしまっただけなのだ。
しかし、今はとてもそうは思えなかった。
私の前にでて、魔法を受け止め続けてくれる雪姫を見て、私は何故か心が熱くなるようなものを感じていた。
雪姫の背中は、どうしようもないくらいに頼もしくて、私はただただ見惚れてしまっていた。
そして、気付いてしまった。
段々と、彼女の姿が薄まってきているということに。