エヴァンジェリンと呪いの玉   作:ぽぽぽ

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第20話

 

「雪姫、お前……」

 

 火球を、剣の形をした焔を、魔法の矢を、次々と繰り出される男の全力の魔法を、涼しい顔をして雪姫は防ぐ。すらりとした長身から流れるように泳ぐ金髪は跳ねた泥で汚れても尚美しく、余裕すら見えるその横顔は他者に安心感を与えるものである筈だ。だが、私はそんな気持ちにはなれなかった。どうみても、雪姫の存在は見間違えこともなく薄まっている。

 魔法を一つ受け止めるたびに、ぱしん、とそれを弾く音がして、同時にまた一つ雪姫の姿が淡くなっていく気がする。

 

 脳裏に、金色の玉の姿が浮かんだ。絶対的な魔法防御で守られていたそれが、少しずつひび割れていくイメージが鮮明に映る。

 

「……おい」

 

「――大丈夫よ。貴女には傷一つ、つけさせないわ」

 

 何事もないかのように穏やかに笑う雪姫。白い頬が透明に近づき、向こうの景色が仄かに見える。

 

 

 

 ――何が、大丈夫、なのだろうか。

 

 

 

「……お前、透けてるぞ……」

 

「あら、そう」

 

「……消えかかってる」

 

「……そうね」

 

 背中に、手を伸ばす。指先に、つん、と感触があった。

 まだ、触れる。まだ、そこにいる。

 

「……もういい」

 

 震えた声が、絞り出すかのように口から出た。

 声が小さかったからか、雪姫はなんの反応もしない。そのまま男の攻撃に対して障壁を貼り続けていた。

 

「もうやめろ‼︎」

 

 雪姫の服を背中から思いっきり引っ張り、体勢を崩させた。結果、男の攻撃から目を背ける形になったが、障壁は解いてないようで、こちらに攻撃が届くことはなかった。

 

「何するのよ。危ないじゃない」

 

 土だらけの地面に膝をつき、私と目線を合わせた雪姫は口を尖らせながらそう言った。

 私はすぐに雪姫の襟元を掴み上げる。

 障壁から破裂音が響いているが、私はそれに負けないほどの声を出していた。

 

「お前、死ぬ気なのか!? 」

 

「……」

 

「私にはあんなことを言っておいて!自分は私を守って死のうだなんて考えてるのか!?」

 

 雪姫は、私の目を見て少し時間を置いた後に、笑って言う。

 

「そうよ」

 

「巫山戯るな! 」

 

 襟元を掴んだ拳に力が入る。喉を押しつけるようにしたが、雪姫は苦しそうにもしなかった。

 

「何故貴様がそこまでする!? 取り憑いただけの私なんかの為に、どうして命を捨てようとしている!? 」

 

「言ったでしょう? 私が、そうしたいからよ」

 

 私は、自分でも信じられないほどの感情の昂りを感じていた。それは、雪姫の勝手な行動に対する怒りなのか。それとも、消え行く彼女への失望なのか。また別の想いなのか。はっきりはしないが、心臓が早鐘のようになっているのは確かだった。

 

「……いい。お前が消えるくらいなら、やる」

 

「やるって、なにを?」

 

「あの男を殺す」

 

 雪姫から手を離し、立ち上がった私は彼女が張った障壁の外に出ようとする。

 

「……出来るの?」

 

「この程度のピンチ、幾度乗り越えて来たか。魔法がなくても、吸血鬼としての力が薄くても、私は長い経験で学んで来た技がある」

 

 実際にその自信はあった。激昂しただ無闇に魔法を連射しているだけの奴に、今の状態でも劣る気はしなかった。

 

「そうじゃないわ」

 

 雪姫は、未だに透けた体のまま、私に言う。

 

「本当に、あきほちゃんの家族を殺すことが出来るの?」

 

「……っ」

 

 あきほの顔が浮かぶ。

 優しい彼女は、自分の家族を失ったらどう思うだろうか。私に叔父を殺されたと聞いた彼女は、どんな心境になるのだろうか。彼女の家族は、あきほとあの男を同時に失うと、どれだけ悲観に暮れることになるのだろうか。

 

 いや、関係ない。もうあきほはいないのだ。いない奴に気を使って、どうして私が危機に陥る必要がある。

 死とは、無だ。

 あの世に消えた魂に対して神経を使うのは間違っている。彼女が死んだ後のすべての行動は彼女には関係なく、私は私の為に生きていくべきなのだ。

 分かっている。頭の中ではそう理解している。

 なのに。それなのに。私の足は前にも進もうとする気すらなかった。

 

 

「…………出来ない」

 

 

 私は、力を入れていた両手をだらんと垂らしてしまう。

 どうしてこんな私になってしまったのだろう。昔の私なら、雪姫に遠慮することも、殺すことに躊躇うこともなかったはずなのに。人を殺すなんて簡単なことなのに。

 心も体も弱くなった自分が、嫌になる。冷徹な頃の私になりたい。そう思ってるのに、そう思えない。

 

「本当に、優しい子ね」

 

 雪姫が私を抱きしめた。甘い香りと柔らかい感触がする。

 何故か、とても懐かしい感覚がした。胸の奥が暖かくなり、涙腺が緩まる。

 

「……雪姫、よく考えろ。お前が消えても、今の状況は変わらない。私を守るものが消えて、私かあいつが死ぬだけだ」

 

「……」

 

 雪姫は何も答えない。

 私は唇を一度噛み締めた。

 そして、雪姫の背中に手を回した。

 半透明な彼女は、まだ温かみがある。

 喉奥に、今まで長い間溜め込んでいた感情が一気にこみ上げてきた。何百年もの間、ずっとずっと、我慢していた想いが爆発するかのように溢れ出そうになった。私はそれを辛うじて抑えるのに必死になった。

 

 誤魔化すように、雪姫を抱きしめる手の力を強める。

 雪姫も、私を強く抱きしめてくれた。

 それがまた、私の感情を昂らせる。

 

「……どうすればいいか、分からない」

 

「うん」

 

 弱々しく出た言葉は、まるで自分の言葉じゃないみたいだった。震えた声はあまりに弱っちくて、いつもみたいな強い口調に戻したくても、心は全く言うことを聞かない。

 

「殺したくない。でも、お前には消えて欲しくない」

 

「うん」

 

 忘れられない。失いたくない。雪姫が起こしてくれた朝を。作ってくれた飯の匂いを。おやすみと言ってくれた声を。いってらっしゃいと、手を振ってくれた笑顔を。

 

 この感情は、きっとそういうことなんだろう。

 私は、自分が思ったよりもずっと雪姫に依存していて、ずっと雪姫が好きだったんだ。

 

 そして、なによりも。

 

 

 

 

「寂しい」

 

 

 

 

 心から、振り絞った声だった。

 一人で生きるようになってから。吸血鬼となってから。

 ずっと。ずっと胸の片隅に常にあった想いだった。

 荒れた大地で独り夜を過ごした時も。不気味な森で独り野宿した時も。たった独りで宿に泊まった時でさえも。私は何年も、何年もそう思っていたのだ。

 

 だから、誰かと過ごしたこの数ヶ月は私にとって夢のようで。

 楽しくて、嬉しくて。だから。だから。

 

 

 

 

「いなくなったら、寂しいよ……」

 

 

 

 

 

 

 ぎゅぅと抱く力を更に強めて、雪姫の胸に顔を埋める。こんな顔は見られたくない。私ではない。目元が湿り気を帯びた気がするのだが、雪姫の服に擦り付けて必死になかったことにしようとする。

 

 

「……いいえ、いいえ」

 

 

 雪姫は、私の頭をさらりと撫でた。心地がいい。心地が良すぎて、泣いてしまいそうだ。

 

「……エヴァ。貴女は言ったわよね。復讐を止める方法は、貴女が死ぬか彼が死ぬかだけである、と。でも、そうじゃないわ」

 

 雪姫は、もう一度私を撫でてから、抱きついている私の頭を少し後ろに下げた。

 雪姫と目が合う。今にも声を上げて泣き出しそうな私の顔を見て、雪姫は穏やかに笑みを浮かべていた。

 

「もう一つある。復讐を止めるには、復讐の原因となったことを、無かったことにするのよ」

 

「……それは、どういう――」

 

 雪姫に更に魔力が漲る。同時に、雪姫の体がまた薄まる。それでもやっぱり雪姫は笑顔を崩さない。

 

「あきほちゃんの死を、無かったことにするのよ」

 

 信じられないほどの魔力が彼女を中心に渦巻いていく。雪姫の封印を初めて解いた時を思い出すほど、強い力が彼女から溢れていた。

 

「馬鹿な! そんなこと出来るはずがない! 」

 

「いいえ、出来るわ。言ったでしょう? 私は呪い(まじない)によって生まれた存在。誰かが強く願ったのなら、それを叶えることだった出来る」

 

「……あっ」

 

 思い出す。いつか雪姫が語っていた自分の出生の話を。彼女は、誰かの願いを叶えることが出来ると、そう言っていた。

 そして、私はあきほの前で一つ願った。私があきほに語った言葉が、嘘にならないようにと。

 雪姫は、今その願いを叶えようとしているのだ。

 自分の身を犠牲にして。

 

「やめろ! お前が消えてあきほが生き返ったとして、あきほが喜ぶと思うか!? そんなこと、あいつが望んでいると思うか!?」

 

「ふふふ。何度も言わせないで。私は自分勝手なの。あきほちゃんを生き返らせたい。そう思ったから、そうする。後のことは、貴女がフォローしといて」

 

「……勝手すぎる」

 

 人としてのルールなどを私に押し付けてくるくせに、自分だけは好き勝手にしようとする。本当に、自己中心的だ。

 

「……あきほだけじゃない。私だって、寂しい」

 

 私はもう、虚勢を張ったりすることをすっかりやめていた。声は震えるし涙は出る。途轍もなく軟弱な姿であったが、私は雪姫にそれを見せることに抵抗がなかった。

 

「お前、言ったじゃないか。私が死ぬまで一緒にいるって。ずっと、同じものを見ていてくれるって。嘘だったのか」

 

「……そうね。貴女には、悪いと思ってる」

 

 雪姫は、私を抱く力を少し強めてくれた。

 

「私ね、貴女のこと、知っていたのよ。ずっと」

 

「……それは、私が悪の吸血鬼だから?」

 

「違うわ。貴女が、エヴァンジェリン ・A・K・マクダウェルだからよ」

 

 意味が分からず、私は雪姫の顔をじっと見た。私の幻覚で映した姿を模倣している筈なのに、目元の優しさがどう見ても私とは違うことにやっと気付く。私には、こんな優しそうな表情は出来ない。

 

「もともと私は、赤ん坊の誕生を願った末に生まれた存在。だから、親の子に想う気持ちは、全て私に伝わってくる。勿論、貴女の母親の想いも」

 

 

 また一つ、彼女が消え行く。もう、止められそうにない。伴流する魔力と比例して、彼女は消えていく。

 

 

「貴女の人生は、他の人とは少し違えど、母親は、間違いなく貴女を想って産んだ。赤ちゃんの貴女の小さな手足をどんな高級な宝石よりも大切に扱い、愛していた」

 

 

 色が薄まり、金色の髪はすでに透明になっている。でも、まだ彼女の暖かさだけが残っているので、私はそれを逃がさないようにただ抱きしめる。

 

 

「そして、言っていたわ。雪の日に、キャッキャと喜ぶ貴女を見て、同じような雪の日に産まれた貴女を思い出して」

 

 

 誰かにこんなに長くくっ付いていたのは、きっと初めてだ。こんな暖かさを感じていられるのは、きっともうない。私はもっと力を強める。

 

 

 

「雪のように白い肌。姫のように美しい我が子。どうか、どうか幸せに」

 

 

「……それで、お前は」

 

 雪姫は柄にもなく少し恥ずかしくなったのか、白い頬を朱色に染めて頬を掻いた。

 

「そう、雪姫と名乗ったの。貴女と同じ姿なら、そう名乗るべきだと思ったから」

 

 また、雪姫の姿が薄まる。

 もうじき彼女は消えるのだろう。私はそれを止められない。どれだけ強く雪姫を抱きしめても、もう雪姫を繋ぎとめれるとは思えなかった。

 

「そうね。最後に言いたいことがあるわ」

 

 雪姫は真剣な表情で私を見つめた。

 

「人にはしっかりと挨拶するのよ。損はないんだから。それと、夜更かしし過ぎてはだめ。肌に良くないわ。後で後悔するんだから。あと、自分の恋愛観を偉そうに人に語っては駄目よ。そういう女は嫌われるんだから。変な男には気をつけるのよ。外見よりも、中身を重視するのよ。でも、外見を疎かにしている男性は論外だからね。それと……」

 

「……最後に何の話をしてるんだよ」

 

 思わず、笑ってしまった。

 自分が消えるというのに、何を言っているんだろう。

 

「――元気で」

 

 雪姫は、本当にゆっくりと、私の頬を静かに撫でる。

 

「いなくなっても、私は貴女の中に、ずっといるから」

 

「雪姫」

 

「ずっと、見てるから」

 

「雪姫ぇ」

 

「貴女とずっと一緒にいると言ったのは、嘘じゃないから」

 

「ゆきひめぇ……」

 

 最後に思いっきり抱きついた。溢れ出る涙を拭くこともせず、小さな自分の身体を、全力で彼女に押し付ける。

 暖かい感触を忘れないために。彼女の存在を忘れないために。

 

「楽しかったわ。またね、キティ」

 

 雪姫は、私の額に柔らかくキスをして、そして、すっと、その姿を消した。

 

 

 

 ○

 

 

 

 同時に、世界が一瞬で白色に染まる。

 全てを飲み込んだその白色の世界の果てに、雪姫と狐と蝙蝠の姿があった。

 彼女はそれらを全部引き連れて、世界の奥へと消えていった。


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