結局私は、その日午後の授業には出席した。
学校生活を謳歌する、という定義はよく分からないが、屋上で寝て過ごすよりは授業に出た方が学生らしい、とあいつがアドバイスをしてきたので、午前中一杯考えた結果、従った。
面倒だが、一理あると思ってしまったのだ。
本当に面倒だったが。
あいつの言葉を信じきっている訳ではない。 ただ、反論する材料が足りなかった。否定しきることが出来なかったのだ。
よくよく考えれば、この呪いには不可解なことが多くある。
呪いとしての効力が強すぎるのだ。
学生として学校に通わなければならない、というだけならまだしも、私を大きく弱体化し、行動範囲を狭め、更には、私が中等部をループすることに違和感を覚えさせないように大きな範囲に渡って記憶操作まで行われている。
ここまで無茶苦茶な上、呪いを解くのに加害者本人がいないとどうしようもない、というのは、あまりに強すぎる。
いくらナギが実力者だとしても、適当にしただけでここまで出来るなら、これは最上級クラスの呪いとして研究されるものだろう。
長い時間を掛けて入念に準備した呪いでないのならば、どんな強い効力の呪いであろうと解くのは意外と簡単、ということはよくあるのだ。
だから、あいつの言うことにとりあえずは従った。
が、とりあえずそうしただけで、今後どうするかはまだはっきり決めていない。
学園生活を謳歌、なんて、具体性のない目標はどうすればいいかも分からんし、もしガキ達とばか騒ぎすることが必要だとしたら、プライドがそれを許すかは微妙だった。
『だからね、ばか騒ぎはしなくてもいいの。でも、お友達くらいは作ったらどうなの』
放課後、さっさと家に帰ろうと歩いている私に、こいつは溜め息混じりにそう声を掛けた。
「ふん。それが必要だとしたら、却下だな。まだ呪いが掛かってた方がましだ。上っ面だけの関係を作ることになんの意味がある」
『エヴァはすぐそう言うのね。意味があるのか、意味があるのか、って。つまらなくない? その生き方』
「悪いが、600年そう生きてきた」
『今更生き方を変えれないって言いたいの?』
「ああ、そうだよ。私はもう、この生き方を変えようとは思ってない」
『……寂しいわ』
声は、泣きそうなほど、沈んでいた。何故、こいつがそんな悲しそうにする必要があるのか、私には全くもって理解出来なかった。
『エヴァ。貴方は勘違いしているわ。自分を変えるのは、いつだって出来るのよ?』
「私が変えようとしてないんだ。余計なお節介をするな」
『……なんだかんだ言っても、まだ子供のままなのね、貴方は』
「……ふん。玉っころ風情が、粋がった口を聞くなよ」
鬱陶しかった。
説教口調で人の生き方に文句をつける奴は、うざったい。普段なら無視してやるのだが、心に直接話し掛けられたら、そういう訳にもいかなかった。
登校地獄よりも、今はこの呪いの方がよっぽど癪に障る。
「……エヴァ。どうしたんだい。何を怒っているんだ?」
学園を出る直前に声を掛けて来たのは、タカミチだった。
私の苛ついた声が聴こえたのか、緊張した表情であった。
『あら、まさか、お友達? 』
(……いや、ただの知り合いだよ)
期待を込めた声に冷たくそう答えていると、無視されたと感じたのか、タカミチは一層表情を強張らせた。
「……何かあったのかい? 」
「なんでもない」
「……そうか。ならいいんだ」
私の言葉をその通りに捉えたかは分からないが、追求する気はないらしい。嫌いじゃない賢さだ。
「そういえば、今日はどうしたんだい」
「何がだ」
「授業に出てきたじゃないか」
「……ああ」
午後の授業は2限あったが、一つはタカミチの担当する英語の授業だったのを思い出す。
「気紛れだよ。別に珍しいことでもあるまい」
今までも、暇潰しに顔を出したことは何度かあった筈だ。
「そうだけど、今日は暇潰しって感じでもなかったからさ」
よく見ている奴だ。
「これからは真面目に学生をしてみようかと思ってな」
「本当かい!?」
あほらしい、と笑いながら、冗談を言ったつもりでいたのに、タカミチは身を乗り出して私の肩を掴んだ。
「なんだ急に! 嘘に決まってるだろう!」
「エヴァ、そう考えるのはとても良いことだと思うよ! いつまでもつまらなそうに学校に通うくらいならば、一度くらいは本気になってみたらいいと、僕は前から思ってたんだ!」
私の話も聴かずに、タカミチは柄になくはしゃぎ出した。ゆさゆさと肩を揺らされて、頭が振り子のようになる。鬱陶しい。
良いこと言うわねこの青年、と笑う声が聞こえるのが、更に私を不快にさせた。
○
『エヴァ、なら、現実的に考えましょうよ』
家に着いた後も、声は私に語り続けた。
『上手くいけば、あと一年半でいいのよ。もし今回がだめでも、次の三年間頑張るだけで、あなたが一生掛かったままかもしれない呪いが解けるわ』
頑張る、なんて言葉を聴いたのは久しぶりだった。
「そもそも、丸々三年間しなくてもいいのか」
『途中からでもいいと思うけど。要するに、錯覚させればいいのよ。呪いを。抽象的な呪いだから、多分いけると思うわ。それなら、やっぱり今から卒業までを頑張った方が短くていいと思うのだけど』
「その内容が問題なんだよ」
『学生達と絡むのが嫌だって言いたいのでしょう? 』
改めて言われると、嫌、というのは少し違う気がする。
確かに良いか嫌かでいえば、嫌なのだが……。
『だったら、利用してやればいいのよ』
「利用?」
『そうよ』
気付けば私は棚の上に置いてある玉に顔を向けていた。私自身の中にこいつの意識はある筈なのだが、元となるものがこの玉だと思うと、不思議な感覚になる。
『少しだけ、友達になるふりをするの。自分が解放されるために学生達と仲良くなったような素振りを見せてやればいいわ。そうしたら、呪いは勘違いして解けるかもしれない』
「……お前、良い奴か悪い奴か、どっちなんだ」
学生を騙して友達になったふりをする、というのは、今まで散々な悪行をしてきた筈なのに、それこそ最も悪である、とまで思ってしまった。純粋な子供を騙すことに躊躇う心が私の中にはまだあったらしい。
「お前はもっと、正義感ぶった奴だと思っていたんだが」
『あら、それは貴方の勝手な印象ね。私は自分のことを良い奴だなんて思ったことないし、悪い奴だとも思ったことはないわ』
「そもそも、友達のふりをする程度でこの呪いは解けるのか」
『何もしないよりは可能性があるわ』
「それはそうだが……」
『何? もしかして気が引ける訳? 闇の福音ともあろうものが、自分のために他者を利用することは出来ないっていうの? 』
「……違うな。気が引ける、というより、気が乗らない、という感情だよ」
『違うの? それ』
「違う」
『そう』
嫌だ、と思っているのではなかった。
私も分かっているのだ。
今後何年間も縛られた人生を送るよりも、たかが数年間を我慢してさっさとここから抜け出した方がいい、ということを。
だがそれでも、その作戦をやろうと思い切るのには至らなかった。
あの騒がしい奴等の輪に入っていく自分が、どうしても想像出来なかった。
今まで私の周りに溢れていた風景と、あの学園の風景は、あまりに違いすぎていたんだよ。
生と死が隣り合い、殺伐とし、混沌としていた私の世界から抜け出して、あの笑顔に溢れた世界に行くのには、恐怖があったのかもしれない。
ダークファンタジーの中にいるキャラクターが子供向けのコミカルな漫画の中に入っていくような不自然さがあると感じていた。
厳つい顔をし大剣を持った大男が、ほわほわと皆が笑い合うような世界に飛び込んでいったら、どうなると思う?
倒すべき敵もいない大男は困惑するだろうし、コミカルな世界は、その男の容姿に初めて恐怖という感情を蔓延させるかもしれない。
そこまでしても、私はここから抜け出したいのか。
自分の気持ちを天秤に乗せた。
呪いに囚われた人生と、未知の世界に飛び込む自分。
ふわふわと揺れるだけで天秤は、動かない。
当たり前だ。重要度を簡単に頭の中で差をつけることが出来るならば、そもそも天秤に乗せて迷うだなんてことすら思わないだろう。
結局は、私の意思という重りがどちらに乗るかを自分で選ばなければならないのだ。
考えるのが面倒になった私は、この日いつもよりずっと早く眠りにつこうとした。
『おやすみなさい。エヴァ』
羽毛で出来た毛布のような声を最後に、私はその日の意識をなくした。
○
翌日の朝も、家を早朝のうちに出た。
あいつに起こされるのは相変わらず不快であったが、静かな朝に外を歩くこと自体は嫌いではなかった。あいつが来てから、日中の活動時間が増えてきているような気もした。
学校も、やはり人影は少ない。
『……それで、決めたの?』
言うまでもなく、今後どうするか、という話であろう。
「……まだだよ」
私は独りで首を振って答えた。
1日寝た程度では、私の覚悟は決まらないようだった。
「お前は妙に私に協力的だよな。何故だ」
こいつにも、納得出来ないことは多くあった。
そもそも、この意思のある呪いの目的はなんなのだろうか。
私が麻帆良に閉じ込められていようとなかろうと、こいつにはどちらでもいい筈だ。いやむしろ、私を宿主として寄生していると考えれば、私の力は弱っちい方が色々と便利な気がする。
『だって、ずっと同じ風景だなんて、つまらないじゃない』
声は、はっきりと芯のある言葉でそう言った。
『私はね、色々な世界が見たいの。人間が作っていく歴史を見ていたいの。だからエヴァにはもっともっと広い活動をしてほしいと思っているわ』
「……それはもしかして、好奇心か?」
『もちろん』
不思議な話だった。
呪い、というものが好奇心を持って存在していることが信じられなかった。
生きていると言っていいのかも分からない存在が、私よりも生き生きとしている。
「……お前が思っているより、人間は大したものじゃないよ」
私は、知っていた。
人間という奴等がどれだけ醜いかを。
そのどす黒い悪意や怨念を間近に受けて私は今まで生きてきていた。だから、こいつのように人に関する興味を今更持てはしなかった。
『あら、私はあなたより人間のことを知っているわよ』
声は穏やかに続けた。
『私はね、あなたより長く生きて、この世界の有り様を見てきたわ。それこそ汚い部分も沢山ね。それでも私は彼等に興味がある』
そういえば、そうだ。こいつは、私よりも年寄りなんだ。
思えば、自分より長く生きてきた奴に会うのは、本当に久しぶりであった。
教室に入ると、また一人の生徒がいた。昨日あった奴と同じであった。
『吉野あきほちゃんよ』
(知ってるよ)
私が名前を忘れてると思ったのか、声は図々しく教えてきた。忘れかけてはいたが、なんとか私は忘れてなかった。
吉野あきほは、小さい身長で一生懸命に黒板を綺麗にしていた。
「あ、エヴァンジェリンさん」
私に気付いて、少女は此方を向いた。
昨日私に対して感じていた恐怖などはすでになかったようだった。
「おはようございます」
「……ああ、おはよう」
丁寧に下げた頭に対して、私はあいつに身体の自由を奪われる前にしっかりと返した。
「えへへ」
吉野あきほは、照れ臭そうに笑った。何故笑ったのかは分からなかった。
「お前、どうして今日も日直の仕事をしている」
私の記憶が正しければ、日直は1日やったら交代の筈だった。
「え、ええ、と」
吉野あきほは、頬を掻きながらもやんわりとした笑みを崩さなかった。
「実は私ね、日直じゃないんだ」
「……なら、どうして」
「えと、朝のちょっとしたお掃除ってさ、日直の人結構忘れちゃっててさ、それで、先生が困っちゃう時があるから……」
「昨日もか?」
「う、うん」
昨日自分が日直だ、と言ったのは気を使われたくなかったからか、それとも、自分がやっていることをひけらかしたくなかったからなのだろうか。
「だとしても、お前がやる理由がない」
「そうだけど……」
吉野あきほは、ずっと笑みを含んだ表情をしていた。多分、少女の普段は、こうしていつも笑っているのだろう。
しかめっ面なあなたとは正反対よ、と心に声が届く。
「私、あんまり人の困った顔って得意じゃないから。だから、いいの」
「自分が損しても、か?」
「違うよ。自分がしたいから、するんだよ」
えへへ、と吉野あきほは、笑った。
馬鹿な奴だな、と思った。
同時に、強い奴だとも、思った。
今まで録に周りを見ていなかったら、私はクラスにこんな奴がいることを知らなかったのだろう。
「……ふん。なら、せめて文句の一言でも言ってやるんだな。言えないなら私が言ってやる」
「ええ!? い、いいよ、そんなの……」
「遠慮するな。自分のことは自分でやらせないと、お前はいつか紐でも出来てしまうぞ。さぁ、今日の日直は誰だ」
「ひ、ひも? そ、それに、今日の日直は……」
黒板の隅にある、日直の名前が書かれた欄を見る。
そこには、見慣れた名前が書いてあった。
『あなたじゃない』
確かに、エヴァンジェリン、と書かれている。
声はケタケタと笑った。
私は、本の少しだが、恥ずかしいという想いと、申し訳ないという気持ちになる。
「……すまん。私がやる」
今までまともにこんな仕事をしたことはなかったが、流石に目の前の少女に自分の仕事を全て押し付けるという気はなかった。
「え、うん。あの、なら、一緒に、やろ」
「……」
それでも少女は、吉野あきほは、一緒にやろうと言ってくれた。
私は黙ってもう一つの黒板消しを手にとって、黒板に押し当てる。
友達、出来そうね、という声が聴こえた。
まだ私は認めた訳ではない。
吉野あきほを友達とするかも、友達として偽るかも決めていない。
ただ私は、この日初めてクラスの奴と一番長く話した。