エヴァンジェリンと呪いの玉   作:ぽぽぽ

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第4話

 

 

 それから私は、毎日学校に行った。

 いや、今までも確かに学校には行っていたのだが、授業など碌に出てはいなかった。その日からは全ての授業に出席していたのだ。そういう意味では、まともに学校に通い始めた、ということなんだろう。

 

 昼休み、屋上で寝転びながら、これくらいで呪いは満足してくれるのか、と訪ねたら、声は、全然駄目よ、と穏やかに返事をした。

 見上げた空は明るかった。雲は疎らに泳ぎ、太陽は容赦なく大地を照らす。ずっと座り続けたからか体には妙な疲労感があった。慣れないことをしているというのも、この疲労の原因であるのだろう。

 

 

『授業に出ても、あなたぼーっとしてるだけじゃない』

 

「どんな顔をしていればいいのか今一分からん」

 

 ただじっと座ってるというのは退屈であった。だからと言って聞いたことあるような話を今更真剣に聴くのは馬鹿らしく思って出来なかった。

 

『まぁでも、それもいいのかもしれないわね』

 

「何がだ」

 

『授業中ただぼーっとして過ごすだなんて、いかにも学生らしいもの』

 

 ふふ、と爽やかに笑いながら声は言った。冷えたレモン水のように落ち着いたこの声は、私の中にさっと流れていく。

 絶対に本人には言わないが、私はこの声の質は嫌いではなかった。

 

「青空を見ながらこうして話すことも青春っぽい、などと言い出すんじゃないだろうな」

 

『私とじゃなくて、お友達と話していればそうだったかもね』

 

 

 それはそうか。

 少なくとも、自分の内面に潜む呪いと会話をするような学生が世の中にあり溢れているとは到底思えない。

 

 

 しかし、声の語る学生のイメージというものは未だに理解出来なかった。そもそも、こいつも学校など通った経験がないのだろうに、なんの知識を元にして話しているのだろう。

 

 

「大体な、学生らしい、という判断は何によって行われてるんだ」

 

『そりゃもう、登校地獄の呪いによってよ』

 

「……なんだ、まるで登校地獄にも意思があるみたいな言い方だな」

 

『あるわよ、意思』

 

 私が怪訝な顔をすると、声は、言ってなかったかしら、ととぼけた風に言った。

 

『私、エヴァの中に入ってからずっと登校地獄に話し掛けてるのよ? 全然会話にならないけど、登校地獄が貴女の学生生活をちゃんと見たがってるのは分かったわ』

 

 呪い同士で話をする、というのはあまりにシュールな場面だと思った。そもそも、こいつはそういう呪いだと受け止めていたが、他の呪いにも意識があるだなんて思いもしなかった。

 

 声は私に説明をするように語りかけた。

 

『私ほど自意識のある呪いは他にはいないわよ。私は別格。普通の呪いは勿論しゃべったりする訳じゃないわ。ただ、何て言うのかしら。赤ん坊と会話しているみたいな感じよ。声は聞こえないけどその表情や仕草で気持ちを察するみたいな』

 

「ほーん……」

 

『気の抜けた返事ね。本当に聞いているの?』

 

「聞いているさ」

 

 実際に、興味深い話だった。呪いというものがそのような形で人の中に残っているとは知らなかったのだ。

 

 長いこと生きていてもまだ知らぬことがあるのだ。そう思うと、何となく嬉しい気持ちになってしまう。未知というのは誰にとっても好物であるのだろう。

 

 

「表情がある、というのは比喩か? 登校地獄に姿があるというのか」

 

『あるわよ。姿。イメージ、というか意識的なものだけれどね』

 

「……ちなみに、登校地獄はどんな姿をしている」

 

『……んー。これは、狐、かしらね。貴女の中で、律儀にお座りしているわ』

 

 

 校庭からは、学生達の騒ぐ声がずっと聞こえていた。

 

 休み時間だというのに昼練習などといって部活動を励むものもいれば、単純に遊んでいるだけのものもいるのだろう。

 元気なものだ、と私はその声を耳にしながら目を瞑る。

 

 

 

「……狐、か」

 

『狐、嫌いかしら』

 

「いや、もし人の姿でもしているものなら何とかして殴ってやろうと思ったんだがな」

 

 流石に動物の姿をしているものを殴り付けるというのは、抵抗があった。これが魔物っぽくあるのならばまた話は別なのだが、狐と言われては手を挙げようとする気すら失せてしまう。

 

 

 野蛮ねぇ、という声を最後にして、私は眠りについた。

 

 

 

 

 ○

 

 

 

 

 

 午後の授業も適当に座ってるだけで過ごした。

 私がただ座っているということだけで、視線を向けてくる生徒が未だにいる。教師すらも、私が席についていることが意外らしくて、いちいち驚いた表情をするのはうざったかった。

 他の奴らからしたら、不登校の生徒が突然学校に来た、という感覚なのだろうか。それか不良生徒がいきなり真面目になった、とでも思っているのだろう。

 

 今まで誰よりもこの学校に通って来ているのは私なんだぞ、と自傷ぎみに笑ってしまいそうになる。

 

 

 放課後、教師の連絡事項も終わり、さっさと席を立ち上がると、ゆっくりと私に近付いてくるものがいた。

 

 

 

 

「あ、あの。エヴァンジェリンさん」

 

「……どうした、吉野あきほ」

 

 吉野あきほは、指をもじもじとしながら私に話し掛けてきた。

 緊張した顔で上目遣いしてじっと見てくる。

 

「……あの、あのね。今日ね、もしエヴァンジェリンさんが良ければね、一緒に帰らないかなぁ、なんて」

 

「……何故だ」

 

 私が理由を訊くと、吉野あきほは両手を前に出して細かく振った。

 

「と、特に用事があるわけじゃないの。ただ、あの。私、エヴァンジェリンさんとお話がしたいなぁって、思って」

 

 

 

 よく、分からなかった。

 理由もないのに二人で帰って、何を話すと言うのだ。

 

 

「……悪いな。今日は予定があるんだ」

 

「え、あ、うん。そ、そうなんだ……。なら、仕方ないね……」

 

 吉野あきほは、明らかに落胆した様子で、悲しそうにした。そこまでして私と一緒に帰りたかったというのか。

 

 しかし、用事があるのは、本当だった。

 声が、『一緒に帰ってあげなさいよ』、などと言わないのは、私に予定があることを分かっているからなのだろう。

 

 

「……じゃあな」

 

 私が鞄を持って教室を出ようとしたところで、吉野あきほは私の袖をちょんと摘まんだ。

 

「う、うん……。またね。エヴァンジェリンさん。また、だよ? 」

 

 私は、彼女を一瞥し、おう、とぶっきらぼうに返事をしてから、今度こそ教室を出た。

 

 

 

 

 ○

 

 

 

 

 

 

 

「何のようだ、じじい」

 

「ほっほ。機嫌が悪そうじゃの、エヴァ」

 

「うるさい。早く用件を言え」

 

 

 学園長室に呼び出された私は、目の前の老人を睨み付けるようにしながら言った。

 ふぉっふぉ、と爺は自身の髭を弄っている。目元が隠れるほどの眉毛も禿げ上がった頭皮も爺が高齢者であることを表している筈なのだが、老人とは思えないほどの明るさを持った奴だった。

 

『この人がここの長なのね』

 

  (ああ)

 

『個性的ね』

 

 恐らく、長く延びた後頭部を見てそう言ったのだろう。見慣れた私から見ても、奴の頭はどうかしてる、と思っている。

 

『あの頭って、髪の毛生えてる時ってどうなってたのかしら』

 

  (知るか。想像させるな。気持ちが悪い)

 

『若い頃の写真を見てみたいわね』

 

  (見たいものか。しかし、禿の方が似合いそうな頭とは中々気の毒だな)

 

 

「……エヴァ? 失礼なこと考えとらんか? 」

 

 

 何でもない、と私は冷静に首を振っておいた。

 

 

 

 

「用というほどではないのじゃがの……」

 

 爺は私を怪しげに見ながらも、とりあえず話を続けようとした。

 

 

 

「お主、最近何かあったのか? 」

 

 何かあったと訊かれれば、それはあった。

 例えば、変な玉っころに呪われ付きまとわれたり、だ。

 だが爺が聞きたいのは恐らくそういうことではなくて、最近まともに学校に通っているのは何故だ、ということなのだろう。

 

 素直に答えてもいいのだろうか、と一瞬考えたが、やめた。

 もしこいつが私を学園に繋いでいるのが利としているのならば、私を簡単に逃がす筈がないのだから。

 

「どうしてそんなことを聞く」

 

 とりあえず、はぐらかすようにそう答えておく。

 

「色んな者から話を聞くのじゃよ。お主の様子が変だ、とな。何やら、授業をサボることなく出席しているのじゃろう」

 

 

 

 この学園には、魔法を知るものが多い。

 それは世界樹というばかでかい魔法樹を街の真ん中に飼っているのが原因なのだろうが、おかげで私へ関心を持っている教師は多く存在していた。

 

 勿論、よい意味の関心ではない。

 

 

 闇の福音、不死の吸血鬼。

 私の悪行はお伽噺レベルで奴らの中では語られている。だとしたら、そんな私の動向を気にする奴がいるのは当然だろう。

 もう大したことをする魔力もない私を気にしてどうするんだ、と思いながらも私は今までその視線を受け止めてきた。

 

 

「ふん。それのどこが変なことなんだ。学生として当たり前だろうが」

 

 

 先日タカミチに言ったように、冗談らしく、馬鹿にしたようにそう言っておく。

 

 いかにも、裏には他の企みがあるんだぞ、という含みをした言い方のつもりだった。

 

 私がまともに学校に通うと思うか、と意味を込めたつもりだった。

 

 

 ……だというのに、学園長の返事もやはり私の思惑とは違うものだった。

 

 

「ふぉっふぉっふぉ。ふざけていたとしても、まさかお主からそんな答えを聞くときが来るとはの。どんな心変わりかのぅ」

 

 

 爺の表情は、穏やかだった。

 何故か嬉しそうに目尻を下げていて、私はどうしてこいつがそんな顔をするのか、よく分からなかった。

 

 

「……おい。結局お前は何が聞きたいんだ」

 

「いや、確認じゃよ。エヴァがどういう気持ちでおるのか、というな」

 

 

 爺の落ち着いた声は、いつも私に話すものとは違っていた。

 

 

「会議でも話題になるんじゃよ、お主のことは。闇の福音の様子が変だ、何か企んでいるぞ、とな」

 

「……」

 

 

 爺の瞳が、眉毛の底からそっと見える。日本人らしい黒い瞳は、狡猾な彼をそんな風には思わせない光をもっていた。私には見慣れない瞳だった。

 

 

「タカミチ君は、必死に否定しておったよ。お主がまともに学校にいることの何が変なのか。今までエヴァがこの学園に何かしたか、とな」

 

「あの、馬鹿が……」

 

 

 何故か、私が恥ずかしい気分になる。

 

 あいつは一体何を熱くなっているんだ。

 大体、他の奴らの前で私の味方をしたら白い目で見られることくらい、分かっているだろうに。

 

 

 

 爺は、ゆっくりと椅子から立ち上がった。

 静かに近づいてきて、私の前に立つ。

 

 

 何だよ、と私が不審げに睨んでも、爺は笑っていた。まるで、孫を見つめるような目付きだったのが、癪に触る。

 

 

 

「……今までは、儂もお主をそういう風に見たことはなかった。だが、お主がその気なら話は別じゃよ。儂は、この学園の生徒の味方じゃ。だから、何か困ったことがあったらいいに来なさい」

 

 

 それは、爺が初めて私にした、教師としての発言だった。

 爺だと言えども、当然私よりは背が高い。

 だが、そういう意味ではなくて、この時何故か、爺が一回り大きな存在に思えてしまえた。

 

 

 

 

「……っは。今更貴様らなんかに、頼むことはない」

 

 

 アホらしい、と思った。

 私の方が、ずっと年上だぞ。

 何故お前らに教師面されねばならない、と思った。

 

 でも、爺はそれでも穏やかに笑いながら自分の髭を触っていた。素直じゃない不良生徒を相手にしたときの教師のような態度であった。

 

 

「そうかのう」

 

「そうだ。もういいか、私は帰るぞ」

 

「ではまたの、エヴァ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ○

 

 

 

 

 

『好かれてるのね』

 

「はぁ?」

 

 家に帰り鞄をベッドに放り投げた直後に、声は私にそう話し掛けてきた。

 

 ぼふり、と鞄がベッドの上で跳ねる。私はそのままソファーに向かって勢いよく腰を下ろした。

 部屋のライトがやけに目に染みる。すぐにでも眠ってしまいたいほど疲れていた。今日は特に慣れない体験をしたような気がした。

 

 

 

『皆が貴女に協力的よ』

 

「……ふん。あほだよあいつらは」

 

 

 私の学生生活に協力的で、何になるというのだ。

 奴らには何のメリットもない。吉野あきほも一緒だ。

 私なんかと仲良くなったところで、奴にいいことなんてひとつもあるまい。

 

 

 そのままソファーに横になって、私は目を閉じた。

 制服が皺になるか、と考えたが、すぐにどうでもよくなった。身なりにはそれなりに気を使う方だが、家にいる間はまた別だ。

 

 

 

『……貴女は、何に怯えているの』

 

 

 声は、慎重な口調で私にそう訪ねた。

 

 

 そうか、こいつからしたら、私は怯えているように見えるのか。

 

 

 

 私は、小馬鹿にするように鼻で笑う。

 的外れ、とも言えない意見だった。流石に私の中にいるだけある。

 

 

 

「……意味がないんだよ。仲が良くなろうが、優しくされようが、縁も何も、すべてがいらないんだ」

 

 

 今更こいつに虚勢を張ろうとする気はなかった。弱々しく、自分が嫌いになりそうな考えだが、どうせ私の中にいるこいつにはいつかばれる。ならば偽るだけ体力の無駄だということだ。

 私は横たわりながら、ひっそりと本心を語ろうとしていた。

 

 

 

 

『……また意味? 』

 

「だって、そうだろう?」

 

 

 それは。

 私の諦めの言葉だった。

 

 

 

 

「どうせすべてはいつか灰になって空を飛ぶ」

 

 

 

 

 

 

 どんなものも、私より先に消えて、死んで、空を舞っていく。

 仲良くなろうが、優しくされようが、全てが灰になる。

 遠い昔に親切にしてくれた人も、私を愛そうとしてくれた人も、皆が死んだ。

 

 今はもうその人を覚えている人はいなくて、世界では最初からいないことになっていて、私の中にうっすらと残像があるだけだ。その像も、年が経つ度にどんどんと消えていく。

 私の中にしかいないのに、それすらなくなってしまったら、それはもう最初から存在していないのと同じだ。

 

 ナギほどの強力な存在なら、ずっと私に残ってくれるかと思ったが、何のこともない。例え奴でも結局は消えるのだ。

 

 

 この世界に残されていくのは、ずっと、自分一人だけだ。

 

 

 

 

「だから、意味がないと言っているんだ。」

 

 

 私の心は、もう、冷えきっているのだ。

 他の奴らに優しくされても、心が苛つきざわつくだけだ。

 冷たい世界で、氷に埋め尽くされた世界で、私は独りで立っていくのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

『……それもまた、貴女に掛かった呪いなのね』

 

 

 

 

 

 声は、静かにそう告げた。

 

 

 

 それから、ゆっくりとまた言葉を紡ぐ。

 

 その言葉は、私の頬を撫でるかのように、優しく、柔らかく、告げた。

 

 何もいない筈なのに、目の前には、笑った女性の顔がある気がした。

 

 

 

 

 

『私がいるわよ』

 

 

「……なに? 」

 

『一緒に、覚えてあげる。これからあること、私の中にも残してあげる。そしたら、一人じゃないわ』

 

「……お前、だって」

 

『私は、貴女が死ぬまでしなないわよ』

 

 

 声は、また笑った。

 私はいつの間にか、天井に向かって手を伸ばしていた。

 誰もいない空間にある筈の手が、何かに掴まれているような気がした。

 

 

 

 

 

『二人の中に残ればそれはただの記憶じゃなくて、思い出になるわよ。これから先起こること、私と貴女の間に残していきましょう。そうしたら、全てが無駄じゃないと、思えるかもしれないわね』

 

 

 

 

 凍える冬の世界で、その言葉が、熱を持っているように感じた。

 

 大した仲でもなく、人でもない奴の言葉だ。

 

 

 でも、その声が、私にとってたった一つの救いになる気がしたんだ。

 

 

 

 

 

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