わがはいは、わがはいである   作:ほりぃー

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おんせんはしずかにはいるべきなのである

 吾輩は月夜が好きだ。涼しい風と、鈴虫の声を聞きながらぶらぶらと歩き回ることはなかなかにご機嫌なのである。

 空に浮かんだ大きな満月に吾輩はにゃあと挨拶をしておく。長い付き合いである。なんといっても吾輩が生まれた時からずっとお月様とは知り合いなのである。ただ、向こうから話しかけてきたことはないのが少し寂しいことである。

 

 吾輩はいろんなところを知っている。

ねこじゃらしの多く生える場所も、またたびのよく取れる場所も吾輩以上に知っておる者はおらぬと自負しているところだ。少し前に巫女が後をつけてきたのでお月様の良く見える場所に連れて行ったこともあるのである。

 

今日の腹は膨れている。ひょんなことで人里でご馳走になったのである。いずれはネズミでも取ってお礼に行かねばならぬ。しかし、ただでありついたわけではないのだ。人間の子供とてらこやで遊んでやったのである。吾輩は子供の面倒を見る程度はやぶさかではない。

そこにいた少し大きな人間の女性にいろいろと貰ったのである。周りからは先生と言われたのである。ふむ、吾輩も子供達に遊び方を教えたせんせいでないだろうか、それならば吾輩も少しそう呼ばれたいものである。

 

吾輩はそんなことを思いながら蛍の道を歩いていくのだ。夏は森が明るくてなかなかに歩きやすい。緑色のに光るあの虫を捕ることは勘弁している理由でもあるのだ。吾輩は一人である。いやお月様と二人であるか。

 最近見つけた良い場所がある。

 森の奥に進んで、山に向かって歩いていくと川があるのである。そこには何故か暖かいお湯の出る場所があるのである。吾輩、綺麗好きとはいえ水は多少冷たく苦手であるからよくそこで身体を洗いに行くのである。

 やはり毛のめんてなんすはたいせつであるのだ。それにその場所は吾輩以外に知っておる者はおらぬ。少し前に山の中にか、かん……かんけっつぇんせんたーなるものが出来たときくらいからお湯がでるようになったのである。

 少し名前が違っているかもしれぬ。しかし、吾輩とて度忘れはある。

 

 森を抜けると水の流れる音がしてくるのである。山から下りてきた川である。

 吾輩ざあっと流れていく川を見ながら歩くのが好きである。少しだけ水しぶきが舞い上がって顔にかかってくるのも中々に涼しいのであるが、冬場はいかぬ。

 そのまま河原を砂利を踏みしめながら歩くのであるが、足元が固いのである。歩きやすいのであるが、あとあと足が疲れてしまうのである。

 

 しかし、吾輩は知っておるのである。お湯に足を付けておけば明日には肉球が良い具合になるのである。これが生きる知恵と吾輩自負しておる。

 

 岩をしゅったと昇り、上り。吾輩は進んでいくのである。空を見上げれば星が流れるようである。天の川と人間は言っておるようで星の川とは吾輩も泳いでみたいものだ。どんな魚がおるのであろうか。ヤマメがおれば文句はないのである。

 

 湯気が立っておる。ついたのである。てんねんぶろというやつであるな。今度巫女を連れてきてもいいかもしれぬ。いや、教えてしまえば吾輩以外も知ることになる。迷うところだ。

 岩と岩の隙間に満々と張られたお湯は少し深い。吾輩は前足を半分だけ入れてみるが、底には着かぬ。

 横に小川を見ながら暖かい湯気に当たっていると吾輩はごろりと横になる。意識的にしたわけではない。ただ、河原の石が暖められてごろごろしていると何とも言えぬ。吾輩は空で遊んでいる星を見上げながら、ゆうがなりらっくすをしてみるのである。

 おお、浅いお湯だまりがあるではないか。吾輩は思わずそこにのそのそ入ってみる。吾輩の体を半分にも満たぬ深さであるから、ううむ。

 

 ううむ。

 ちゃぷちゃぷ、くしくし。ふぁあ。ごろごろ。

 は!? 吾輩今は我を忘れておったところである。不覚である。こんなところを誰かに視られよう物ならば末代までの恥であるな。

 

「気持ちいいですか?」

 

 ふゅぎゃああぁ。

 吾輩飛び上がってしまったのである。それに今の声は、アレである。違う。違うのだ。みれば吾輩のすぐ横に顔がある。このお湯だまり、すぐ横に人が入れるくらいのてんねんの湯船があるのだ。そこに先客がおったとは、吾輩も今日は不覚が多い。

 

 吾輩に話しかけてきたのはどうやら女子(おなご) であるようだ。おお、瞳が紅いのである。ふむ。吾輩の姿が其処に映っておる。なかなか、はんさむではないか。

 その女子は珍しい髪の色をしているのだ。紫の髪がしっとり濡れておる。ううむ。どうやら吾輩が来るずっと前からりらっくすしていたようであるな。小さな敗北感があるのである。

 

「…………」

 

 この女子、動かぬ。うっすらと笑いながら吾輩をじっと見ておる。こやつできる。両方の肘をつきながらそこに顔を載せてじっと見てくる。持久戦というものであるな。吾輩も負けてはおられぬ。

 

「たまたま見つけた温泉でたまたま出会うのも一つの偶然でしょうか。偶然と言えば最近地震は起こっていませんが猫は地震の時にはどこにいるのですか?」

 

 ん? と言う感じで顔を傾ける女子。吾輩もつられて首を傾げてしまったのである。それに気をよくしたのかこの女子はにっこりと笑っているのである。むむ。よくわからぬ。だがまあ笑うことはいいことである。

 ここは吾輩がおとなの対応をせねばならぬ。先に入られてしまったことは寛大に許すのである。だがしかし、この女子吾輩の前足を掴んでぷにぷにと肉球を触るのはいただけぬ。しかし、この女子は肌も命と聞く。前に見たゆでたまごのような肌をひっかくのは気が引けるのである。

 

 終わらぬ。さっきからずっと吾輩と女子は手と手を取り合って握手を続けておる。たまに顎を撫でてくるのでそれは、まあ許してもよいのだが、女子が少し大きく動くたびにその体がお湯を弾いて顔にかかる。

 しかし、文句は言わぬ。吾輩は紳士であるからして、耐えて耐え抜くのである。吾輩は肉球を掴まれながらそっぽを向いておるかのようなくーるな顔をしなくてはならぬ。これも一つのマナーである。

 

「知らぬような顔ですね……」

 

 女子は少し不満のようであるが吾輩とて子供ではない。引っ張られてもはしゃぐことはできぬ。いや、引っ張るでない。そっちは深いから行ってはならぬ。この女子は吾輩をお湯の中に引きずり込む気であるな。

 ちょっとこの女子の顔がにやけているのは気のせいなのであろうか。

 それならばこちらとて考えがあるのである。吾輩は、こと何かしらの駆け引きが得意の得意なのである。こういう場合は押して駄目なら引いてみろと、今日会ったてらこやで聞いておいたのである。

 吾輩は後ろ脚に力を入れて、女子に飛びつく。水しぶきを上げて女子が驚いているのである。吾輩をお湯の中に引きこんで驚かせようとするなど百年くらい早いような気がするのである。

逆に飛びかかって女子の肩に両の前足を掛け、そこから頭のてっぺんまで登って行くつもり、なのであるがこの女子肌が滑る。肩に前足を掛けたままのぼれぬ。ふぬ。むむむ。だんだんと体が下がっていくのだ。

 

後ろ脚をばだばださせて上を見れば、女子がニコニコしながら見下ろしているのである。無様な吾輩を笑っているのであろう。肩から前足が抜けていく。やられっぱなしで悔しいとしか思えぬ。

 女子の首元に噛みやすそうな骨があるのだ。甘噛みしておどろ、滑るのである。もういかぬが最後に一矢を報いるのだ。

 

「ひゃ、さこつをな、なめ」

 

 どぼん。ばしゃん。吾輩は沈んだ。

 

 

 


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