吾輩は夜が好きである。特に理由はない。静まった街を横切ればかすかに美味しそうな香りがするときがあると、ふらふらと人家に入っていきそうになるのである。しかし、吾輩は紳士であるから、そんなことはせぬ。
吾輩が歩くと鈴の音が響く。昨日巫女の買い物になんともなしにぼでぇがーどとして付いていったら無理やり付けられたのである。これが吾輩、自分では外せぬ。だから吾輩は夜の人里で一人演奏するよりほかない。
ちりんちりんと夜空に吸い込まれていくような音であるな。ふむ、なかなかどうして。いやいや吾輩はただ無理やり付けられただけで気に入っているわけではない。断じてこのようなお洒落はこうはな吾輩には似合わぬ。
人里を歩いていると前からマントを付けた赤髪の少女が歩いてくる。吾輩はこういった時に挨拶は欠かさぬ。にゃあと鳴いてお辞儀をする。これがまなぁという物であるな。相手は吾輩の毅然とした態度にひるんだようで、手加減してやるべきであったかも知れぬ。
「わ、なんだネコか。なんだか新しい鈴をつけているわね。きらきらしている」
そうであろう。
いやいや、吾輩は気に入っているわけではない。鈴など付けていては綺麗な音が、いやいや首に巻かれて迷惑をしているのである。しかし、巫女も吾輩にいつも煮干しをくれるから、仕方なく付けているのである。
「うりうり」
吾輩の心情を介さない赤髪の少女がしゃがんで頭を撫でてくると、吾輩は眼を瞑って応じてやるのだ。夜道で出会ったのも何かの縁であろう。ここはじゃれついてくる少女と遊ぶのもやぶさかではない。
ごろり、ごろごろ。
「お腹? お腹がいいのかしら?」
赤髪は吾輩が寝転がると直ぐにお腹を撫でてくるのである。む、むむむ。この状態で顔を触ろうとするでない。吾輩は躾けの為に顔に延ばされた指をパンチで落とすのである。
「ふふ、あはは」
なんか笑っているのである。まあ、笑うのはいいことだから良しとしよう。この少女も夜中に歩いているのなどおそらく寂しかったに違いない。吾輩はそのあたりもしっかりとわかっているのである。それが大人の吾輩である。
そう思っていると少女が首を傾けて覗き込んで来るのだ。むむう、そんなに角度を付けて覗き込んだら痛いのではないだろうか。吾輩もなんとなく首を傾げてしまう。と、思っていると少女の首が落ち、落ちたのである!
「あ、しまった」
ころころ転がる生首が喋っておる、妖怪の類だったようであるな。吾輩は最初から分かっておった。残されたからだがのそのそと生首を追っていく、吾輩は一人寝転がっている。
★
珍しいものを見れるものだ。昔はあんなものは見れなんだ。いや、吾輩は昔など覚えてはおらぬ。だが、木の股から生まれたでもなし。きっとどこかに思い出を落としてきてしまったのであろう。
ふむ、どうやれば拾えるのであるか。思い出の拾い方は博識な吾輩にもとんと見当がつかぬ。今度巫女にも尋ねてみたいところであるが、にゃあと鳴いても巫女はたまにだけ「にゃあ」と返すだけでこみゅにけーしょんが取れぬ。
そう深い思索をしながら吾輩はお寺にやってきたのであるが、本堂に今日は用事はないのである。それにもう皆が寝ているであろう。
たまに髪の色が妙な女性から色々と食べ物を分けてもらえるものだ。勘違いしてはならぬ。吾輩も蝉の抜け殻などを持ってきてはお返しをしておる。そのたびに頭を撫でてくれるのが中々に良い。
さて、裏手に回れば広いお墓である。四角の墓石が並ぶ、その間を吾輩は歩く。お供え物などが置いてあるが吾輩はそれに手を付けたりはせぬ。それが誇り高き吾輩のまなぁという物であるな。
「あ、猫だ。にゃあにゃあ」
にゃあ。
変な羽根を生やした黒髪の少女が通り過ぎて行ったのである。しかし、スカートが短いのである。あれはいかぬと巫女が言っておった。吾輩もそれには同感である。こけたら怪我をするではないか。うむ、よく考えればあれも妖やもしれぬ。まあ、少女である。鬼や天狗やぬえのような大妖怪ではあるまい。
吾輩はきょろきょろとあたりを見回すのである。墓石をそれぞれ物色する。何を隠そうこう顔を付けるとひんやりして気もちいのである。暑い夜には墓で寝るのが良い。偶に傘を持った声の大きな青髪がいると、うるさくて寝れぬが吾輩は大人であるから何も言わぬ。
「なんだお前はー?」
にゃあ。後ろを振り向けば何だか妙な格好をした少女が立って居る。頭に紫に星マークの帽子を被っておるのはいいとしても額にお札のような物を付けているのだ。どう見ても普通ではないのである。
「くえるのかー? もぐもぐ」
むむ、吾輩を食らう気であるか。そうはさせぬ、吾輩は体を伸ばして強力に威嚇する。なーご、なぁああご。
どうだまいったか。
「やるってのかぁ。もぐもぐ」
相手も両手を前に突き出した格好で構えておる。なかなかやるやもしれぬ。この勝負先が見えぬのである。それにしてもこの少女さっきからゴマ団子を口に入れて喋っているのである。口からぼろぼろ胡麻を落としているのでわかるのだ。
それはお供え物に違いないのである。吾輩が後で、いやいやお供え物に手を出すとは不届き千万であるな。吾輩とその少女は一歩も引かずににらみ合うのである。
「我々は崇高な霊廟を守るために生み出された戦士だぁ。ここからたーちーさーれぇぇ」
なあぁああご!
「なんて言っているのかわからないけど。ちーかーよーるーなー」
ふぎゃあぁ!
「にゃあー!」
にゃああ!
「にゃぁあああ!」
にゃああああ!
自分でやっておいて訳が分からぬ。巫女やふとにも吾輩はこみゅにけーしょんはできぬがこの娘にはなおさらできぬ。年頃の少女が口からゴマを落としながらしゃべるのも承服できぬ。
しかし食われるわけにはいかぬ。吾輩はまだ生きていなければいけぬのだ。
「こうなったらぁ。実力行使だぁ!」
ばっと少女が飛びかかって来るのである。中々に早いが吾輩には遅い。ぱっと避けて、墓石に激突する少女を横目で見るのだ。がこんばきん、頭から墓石に突っ込んで変な音がしているのである。
だ、大丈夫であろうか。ちょっと心配なのである。吾輩は紳士であるから敵とはいえ情けもかける。こういうのを敵にヤマメを送るというのである。
お尻を突き出した変な格好で少女が倒れている。
動かぬ。頭に貼ってあった妙な札も地面に落ちているのだ。
大丈夫であるか? 大丈夫であるか? 吾輩周りをちりんちりん動き回るのである。こういう時には焦ってはいかぬ。落ち着かなくてはいかぬ。むむ。にゃあにゃあ。
「……ぇ」
少女が動いているのである。良かったのである。良かったのである。むくりと起き上がってお尻を地面に付けたまま空を見上げているのだ。
「う、ぇえええん」
泣きだした。これはいかぬ。ほれほれ、尻尾であるぞ。肉球もあるのである。
「……ぇええん」
ぽろぽろ大粒の涙を流してやまぬ。吾輩は困った。お腹を見せても反応すらせぬ。何かないのであろうか、は。気が付いてしまったのである。しかしこれは、いやいや少女を泣かせていては吾輩は表を歩けぬ。
吾輩は少女の膝に載る。爪をたててはいかぬ。胸元に手をおいて身体を伸ばし、頬を嘗める。涙で潤んだ眼がこちらを見たのである。
吾輩はちりんちりんと首元で輝く鈴を何度かならす。れでぃに渡せるものはこれしかないのである。泣き止んでくれねば困る。
空を見れば満月が大きい。巫女へなんと言い訳をするべきであろう。