ファントムオブキル―浄罪の大罪人―   作:三水レイシャ

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ep.08 その笑顔の裏には

16

 夕食はラーメンにする。宿に戻ってきたレーヴァテインの契約者たる男は寝覚めの彼女にそう言いうと、深いフード付きの服に着替えさせて彼女を街に連れ出した。

 「下手に高いものを振る舞うよりも、親しみやすい味がいいだろう」と言ってレーヴァテインが連れてこられたそこは、こじんまりしていて、良く言えば古臭い、悪く言えばボロ屋と呼ぶべき外装をしていた。看板の文字は風雨にさらされたせいかほとんどかすれ、かろうじて読める程度で、本当に営業しているのだろうかと思わせるほどに杜撰な管理だった。

 木製の引き戸を開けると、濃厚なスープの匂いが鼻腔を満たす。気難しそうな店主が短く「らっしゃい」というと、若い店員が二人を席に案内した。店内には多くの客がおり、大半は男性客。女性客もちらほらいるが、片手で数えることができるほどだ。この店は酒を提供していないらしく、賑やかではあったがうるさくはない。昼間の人混みを想像していたレーヴァテインは――表情には出さないが――ほっとする。

 人が多い中でもキラープリンセスが入ってきたことに騒ぎが発生しないのは、深いフードを被って特徴的な銀色の髪を隠しているためである。当然の事ながらスリロスも置いてきている。フードは故意に外そうとしなければ大丈夫だろうし、下手なことをしなければ、深いフードを被った人物がキラープリンセスであるとバレることはないだろう。店内に入った時は、フードを被る珍妙な客に対する好奇の視線が向けられていたが、次第にそれも消えていき、二人に注目する人間はもういない。

 案内してくれた店員に男は豚骨ラーメン、レーヴァテインは醤油ラーメンを注文すると、男は今日何をしてきたかについて逐一報告してきた。

 無論レーヴァテインは聞く気などないので、男の報告に冷たく返す。

 

 馬の名前はアールヴァグとアルスウィズ―――なんでそんな覚えにくい名前にしたのよ。

 カルロ・ボンビエリとマイア・ガレットという奏官と親交を深めた―――別にどうでもいいし。

 マイア・ガレットは結構面倒な女だった―――あ、そ。

 変装用にフード付きの服を買ってきました―――早く私の元の服返して。 

 あと、一万体の異族がやってきている―――ずずずずー。

 

 こんな具合に適当にレーヴァテインはあしらっていた。徹底的に冷たい態度に男はわざとらしく落ち込んだ。演技であることはバレバレなのに、どうしてそんなことをするのだろうか、と彼女は疑問に思う。

(ま…でも…何かあった…ようね…)

 出会った時から、空洞のような空々しさをレーヴァテインに感じさせる男であったが、今はほんの少しだけ重みのようなものがあるように感じる。

 何か嬉しいことでもあったのだろうか?口から出てくる言葉は喜色ばんでいる。心なしか表情が明るく見えるのも、気のせいではないと思う。とにかく何かしらの変化はあった。

 

 でも、まぁ、そんなこと、どうでも良い(・・・・・・)

 

 どうせ、すぐ別れる相手なのだ。目の前の男が何にほだされたかなど関係ないし、興味など微塵も湧かない。人のことなど対岸の火事でしかない………………。

 ………………。

 ちょっと待て、目の前の男は何て言った?やたらと軽い調子であったが、重大なことを言わなかったか?

「…………は?」

「だから一万体の異族が来襲しているそうだ」

 絶句。レーヴァテインにはそれしかできなかった。

 レーヴァテインが唖然とする姿を見て、対面の男が「流石に驚いただろ?」と何故か得意げに言う。その顔がムカついたので、奴のチャーシューを奪ってやった。

「ああっ!最後に食べようとしてたのにっ!」

 そんな殺生な、などと嘆いていたが、知ったことか。むしろ清々しい。爽やかな風が胸の内で吹き渡っている心地すらする。痛快だ。

 戦利品を咀嚼しながら現実を咀嚼する。

 一万体の異族の襲撃。そんな天変地異など聞いたことがない。そもそも異族が百体以上いることでさえ、異常事態なのだ。一万体などという卒倒ものの数字など信じられない。

 馬鹿げている、その一言に尽きる。

 一体どうしてこうなったのやら?一万なんて数そうそうお目にかかれるものではない。この街の人間は甚だ運が良いようだ。

 勿論、皮肉であるが。

 まったく面倒なことになった。折角面倒な奴と手を切れると思ったのに、面倒ごとが次々と舞い込んで来る。目の前の男が厄を引き込んでいるんじゃないか?そう思うと腹が立って来る。

 「あれ?これスープを通した間接キスじゃね?」とかキモイことを宣う馬鹿のメンマを全部強奪し、一口で食いきって鬱憤を晴らすことにする。

「メンマまでとるなぁぁっ!」

 目の前の男は懇願するが、届き入れるはずもなく。迷いなくメンマを口に頬ぼった。コリコリとした歯ごたえが堪らない。この食感は他の食べ物と似ていない独特のものだ。噛むごとに強くなる味わいにに思わず頰が緩む。

 なお、「めんまぁ…ちゃぁしゅぅ……グスッ…」とか言っている馬鹿は放っておく。

「それで、一体いつ異族たちは来襲するの?」

「私に対するフォローはないのな……って、睨むな睨むな…」

「いいから早く」

「五日後だってよ。まだ公には発表されていないが、明日には発表するらしい」

「かなり近い。参戦人数はどれくらいなの?」

「参戦するマスターは八十一人、キラープリンセスの数は二百五十一人だ」

「……厳しい」

「けど、考えうる限りの最悪な事態じゃないのは救いだな」

「どういうこと?」

「つまりだな――」

 男が言うには、一万体の異族の来襲とはいっても一万体の異族が同時期にやってくるそうだが、同時にはやってこないらしい。

 いまいち意味を理解できないので男に問い正すと、こう答えた。

「一万体というのはこの街に向かってきている異族の総数だ。こいつらは群れを形成し、コルテにやってきているわけだが、この群れの密度にはムラがある。一万を大グループとすると、数百単位での小グループが間隔を開けているんだ。だから同時ではなく、同時期。一万体の全てがやって来るには、同時というには時間的幅があるってことだな」

 なるほど、男の説明を聞くと余裕があるように一瞬思える。一万体という数が一度に襲来しないことがマシながする。

 でも――

「最悪よりほんのちょっとマシ、ってくらいね」

 キラープリンセスには断ち切ることのできない性がある。

それは暴走(・・)。キラープリンセスの狂暴化。これは戦いが長期化すればするほどキラープリンセスの暴走の発生率は上がっていく。

 今回は異族との戦闘が断続的になるので、戦闘を交替制にしておけば多少はマシとも言えなくもないが、やはり焼石に水だと思われる。

 レーヴァテインには、殺戮の快楽に溺れずに、元の精神を保ったまま戦いを切り抜けられるキラープリンセスがいるように思えない。

「どうにもきな臭い」

 棘のあるレーヴァテインの呟きに目の前の男が反応した。

「どうしてそう思う?」

「あまりにも無謀すぎる。異族の数に対してキラープリンセス側の戦力が圧倒的に足りてない。それに作戦の詰が甘すぎる」

「作戦の詰が甘い?」

 今度はシンが尋ねる番だった。

 この男はこの男で、何やら別の視点で、今回の事件を考察している様子ではあったが、作戦の機微と言ったことにはどうにも鈍いらしい。

「もし教会がこれほどの数の異族を討伐したいなら、挟撃を仕掛けるのが得策のはず」

「コルテ側と異族の背中側ってことか?」

「できれば四方向で囲みたい。そうすれば上手く戦力の分散ができるし、場所を選べばただの平地でしかない冥花繁殖帯なんかよりもっと戦いやすい地形を選べるかもしれない」

「確かにな。でも、どうして奏官側から何も意見が出なかった?異族との戦闘になれている彼らは作戦に対して何も口を出さなかったぞ」

「多分、だけど、理由は二つ」

 コップの中の水を飲み干す。

「一つ目は既に賽は投げられているから。既に集めてしまった以上作戦の変更はできない。ここら辺にいる奏官を片っ端から集めてきたって話だし、きっとさらに集めようと思っても時間がかかる。多少の変更はともかく作戦の大きな変更はまず無理。教会が予定した作戦のまま、討伐戦は行われると思う」

「なるほどね。だからカルロさんは何も言わなかったのか。やたら渋い顔をしていると思ったら……」

「そして二つ目は――」

 レーヴァテインの赤い目が射貫くように細まった。

「――教会の反感を買うことを恐れたか……」

 目の前の男が露骨に嫌な顔をする。

「教会の力は絶大。下手に陰口を叩くと、居るんだか居ないんだかわからない黒奏官に処分されるって話もあるくらい」

「え、何それ怖い。どんな都市伝説だよ」

「黒奏官がなくても、キラープリンセス(わたしたち)を統率してる時点で十分脅威なのだから、教会と対立するなんて馬鹿でもしない――――あ、でも、ここに教会と対立する大馬鹿野郎が此処にいたっけ」

「だからなぁ、私についてきた方がお前にとっても絶対良いんだって」

「はいはい」

 ぐだぐだ言い続ける大馬鹿野郎を、ラーメンを食べる片手間にあしらう。

 すくなくとも教会と対立するような奴と行動を取るような愚行を犯せるはずがない。レーヴァテインは契約で主従関係にあるわけではないので、男に従う義理もない。それに、もし主従関係にあっても、レーヴァテインは叛意を持つ奏官を教会に引き渡すことを決断しただろう。

 非情なことをしてでも敵対を避けなければいけないほど、教会の軍事力や影響力というのは恐ろしい。

 反乱分子の烙印を押されたら、末路は死だ。そこに救いはない。

(この男も引き渡すべきかしら)

 そんな考えが思い浮かんだが、すぐに振り払う。ここで関係を切ってしまえば、火の粉が降りかかることもないのだし、そこまで潔癖になる必要もあるまい。同名キラープリンセスは同じ顔なんだし、この男に組していたレーヴァテインが特定されることなどないだろう。

 レーヴァテインは小さくため息を吐いてから言う。

「きっと、教会はこの街を守る気なんてない。元々潰す気」

「しかし、メリットはなんだ?何故街を潰そうとする。意味がないだろう」

「私に聞かれても困る。ただ、真偽は定かじゃないけど、王族が人口調整を行っているって噂話もあるんだし、そこ関連だったりして。ていうか貴方の方は貴方の方はどうなの、何かないの?」

「そうだな。私が裏にある目的と見当をつけているのは、街の消滅じゃない」

 男はそう言うと、人差し指をレーヴァテインの方に向けた。

「目的は君たちだ」

「何を言っているの?」

「暴走だよ」

 暴走。キラープリンセスの自我亡失現象。獣のように暴力を振るう化け物と成り果てる事実上の死。

 だが、そんなものに何の意味がある?

 レーヴァテインには何を根拠に推論を立てたのかがわからなかった。

「お前と出会う前、私はキラープリンセスの暴走と遭遇したことがある」

「――っ!」

「その時は、まぁ、調整(チューニング)で直したんだけど」

 調整(チューニング)……?

 聞き慣れない単語に首を傾げたが、すぐさま「ああ、あれ」と今まで行われた謎技術に思い至った。

「え、あれってそういう効果だったの?」

「元々暴走鎮圧用のコードなんだ」

「じゃあ、なんで私にしてきたの。暴走なんかしてないし」

「いや、マナとかいう不純物があったから、除去したかったんだ」

「はぁ、何言って――いや、やっぱりいい」

 言っていることが意味不明なのは今更だ。説明する気もないようだし、追及しても時間の無駄となる。

 話を戻そう。

「で、目的がキラープリンセス(わたしたち)の暴走っていうのはどういうこと?」

「過去も現在もだけど、暴走状態にあるキラープリンセスは普段よりも過剰にエネルギーが供給されている。つまり暴走状態のキラープリンセスは破裂寸前の水風船って所かな。奴らの目的はその溢れんばかりのエネルギーだ――」

(どうしよ、言ってることがさっぱりわからない)

 色々つらつらと理論(?)を並び立てるものの、レーヴァテインにはさっぱりだ。サイボウブンレツとかコウエネルギーなんたらケツゴウとか言ってるが、未知の単語が多すぎて会話についていけない。

 かろうじて理解できたのは、キラープリンセスの暴走が目的ではないかという推測と、暴走時のキラープリンセスは多量のエネルギーが生成されている状態であるという事実だけだった。

 とりあえず難しい話はわからなくて良いので、レーヴァテインは会話を先に進める。思えば、教会の目的などどうでも良いことだった。

 もっと建設的な話をしよう。

「…教会の目的はどうでも良くて――――今回の討伐戦で一つ聞きたいことがあるんだけど」

「おっ、ああ、すまない。訳がわからなかったよな。それで、聞きたいことって?」

「向かってくる異族の中に使徒はいるの?」

「―――使徒……?」

 あれ?何この反応?

 男は眉を顰めて、不思議そうに首を傾げた。

「は?だから使徒よ、使徒」

「教会でも出ていたけど、使徒ってなんだ?」

 今度はレーヴァテインが眉を顰める番だった。

 え?だから何言ってるの?常識でしょ、常識。

「あの、ふざけてるの?使徒っていったら、使徒でしょう?」

「すまない。本当にわからないんだ」

「嘘……だって使徒よ、使徒」

「異族と使徒って何か違うのか」

「違うっ!」

「説明頼む」

 素直に頭を下げてきた。

 はぁぁぁ、と大きくため息を吐いて、レーヴァテインは口を開く。

 曰く、使徒とは異族と同じ白の異形でありながら、桁違いの戦闘力を持つ者である。

 曰く、使徒とは捕食本能だけの異族とは異なり、明確なる殺意を持つ敵である。

 曰く、使徒とは知能を持ち、異族を率いる統率者である。

 総括するに、使徒とは異族の上位存在だ。代表例は四本腕の怪力〈ミノタウロス〉やマナ弾を操るカラスのしゃれこうべ〈クロウエル〉だ。使徒がいる群れといない群れとでは、群れ全体の戦闘能力が違う。奏官がキラープリンセスの能力を引き上げるように、使徒はただの獣である異族を戦士にする。

 今回の討伐任務において、使徒がいるかいないかで討伐難易度は雲泥の差だ。

「で、結局どうなの?いるの?」

「教会側の調査では、今の所、見つかっていないそうだ」

 今の所、ね。

 不穏な言葉にレーヴァテインは一層眉の皺を深めた。「そんなに険しい顔してると、綺麗な顔が台無しだぞ」という阿保のラーメンの器と自分の空っぽの器を取り換える。

「おい」

 無視。

 ずずず~、という音が口を閉じた二人の間に空しく響く。

「……ごちそうさま」

「食べ足りないなら、替え玉できるぞ」

「替え…玉…?」

「おかわりのことだよ」

「する」

「即答………ほんとお前って自分の欲求に素直だよな」

「……悪い?」

「いや、全然。むしろ、そっちの方が可愛いから気にならない」

 浮ついた事を笑いながら平然と言った。でも、まぁ、レーヴァテインは相手にしない。別に喜ぶようなことでもない。

 無視をしてやると露骨に男が残念そうな顔をする。なるほど、邪険にするより、無視した方が効果的だったか。

 男が店員を呼ぶ。が、生憎立て込んでいるようで答える店員が誰一人としていなかった。直接カウンターの方に出向こうと男が立ち上がると、ズボンのポケットから何かが零れ落ちた。

(……何…これ?)

 それは奇妙な物体だった。 

 原形を留めていない、元は立方体だと窺える立方体の箱。まるで無理矢理押しつぶされたかのようなそれは、金属でもガラスでもない、見たことのない素材で出来ているようだった。破壊されたせいで歪んだ面からは、赤や青といった色とりどりの何かに包まれた金属が飛び出している。

 気になったので拾ってみた。

 おそらく元々は何かの付属部品だったのだろうか。とある一面は力づくで引き剥がしたような破壊痕がある。中を覗いでみると、意外にも中はスカスカで、裏面を這うようにして紋様やら部品が接着されていた。

(……一体何なの?)

 何なの、というのは目の前の部品にたいする疑問でもあり、また同時にあの男がどうやって部品をはぎ取ったのかという謎を一口で表したものだった。

 その断面は工具かなにかで切り取ったようなものではない。人が何かを切り出したときのそれよりも、むしろ異族が人の骨を引きちぎったときの方に似ている。

 となると、あの男は男自身の力だけでこの立方体を大本から引きちぎったのだ。

 では、何処に金属を引きちぎるような力があるのだろうか?

 男はただの人間だ。少なくともレーヴァテインはそう判断している。少しばかり体の動かし方が特殊なような気もしたが、ただそれだけだ。それは戦闘において役立つようなものであって、万力のような力を出すためのものではない。とはいえ、守られるだけの人間が何故戦うための技能を身に着けているのかは聊か疑問ではある。ま、レーヴァテインは深くは考えないのだが。

 やや気になるのは、包帯によって隠された左腕か。包帯の下が一体どんな風になっているのかは、皆目見当がつかない。いつぞや聞いた時は、茶化されてうやむやになってしまった。

 確実に何かがある。きっと隠したいことの一つなのだろう。あの左腕の真相は。

 ならば、レーヴァテインは考えることを止める。あの男が話したくないことならば、追及しても無駄だろうし、レーヴァテインから聞くようなこともしない。相手がべらべら垂れ流すならともかく、レーヴァテインから聞くようなことはしない。

 相手の内へと踏み込むことはせず、己に踏み込まれることを是としない。

 レーヴァテインとはそういう少女だ。あれこれ相手のことを詮索するのは彼女のポリシーに反する。

 らしくない。故に思考を止める。

 男が麺の入った丼を持って戻ってきた。渡された丼を受け取って、レーヴァテインは謎の機械部品を男に渡した。

「……これ、落としてた」

「ん?ああ、悪い、ありがとう」

 男はそれを受け取って、ポケットにしまった。

 箸を手に取り、レーヴァテインはラーメンをすする。

 それにしても、このラーメンなる食物は大変美味だ。レーヴァテインは自分を認識してから(・・・・・・・・・)ずっと野良のキラープリンセスであったため、食べたことがあるのは野生の果実や動物の肉くらい。キラープリンセスとしての類まれなる身体能力と劣化しない武器(スリロス)があるために、行商人の護衛を買って出て、時折塩を得たことがあるけれど、希少なものなので一度の調理でふんだんに使うことが出来なかった。ラーメンのように、いくつもの調味料をふんだんに使った食べ物は初めてだった。

「おいしいか?」

 ニマニマと笑いながら男が尋ねてくる。

「……おいしい」

「そうか」

 顔がムカつくので嫌そうに答えたが、男は歯牙にもかけず満足そうに笑う。

 ――そういう所が困るんだけど……

 冷たくあしらっているのに構ってくる図々しさ。酷く邪険にしているのに懐いてくる理解不能の思考回路。

 この男を相手にしていると心がかき乱される。どれほど敵意を向けようとも行動を共にしようとする奇妙さが故にだ。感情がまとまらず、このラーメンのスープに浮かぶ油のようにぷかぷかとあてもなく漂っている。

 レーヴァテインはもやもやとした感情から目を背けるようにして、これまでとは真逆の方向性の話題を振った。

「……それにしても意外ね。貴方は私が戦うことに反対すると思っていたけど」

「あ、うん。本当は止めたいけどね、こんな無謀な戦い。きっと最後に立っているのはレーヴァテインだけだろうから、お前に全ての負担が回って来る」

 でも、と。男は寂しそうに、悲しそうに、それでいて悔恨の念に堪えているような複雑な笑みを浮かべて男は言葉を続ける。

「レーヴァテインは行くんだろ?私がどれほど頼んでも、お前は戦場に行くんだろ?」

 その問いは、やはり悲痛に見ていていた。

「どうして――」

 言いかけて、思いとどまる。

 男が何を抱えているのか。どんなものを背負っているのか。

 全くわからない。いつもへらへらとしていて、無邪気にレーヴァテインに構ってくる子供のような男を、一体何がここまで苦しませるのか。

 レーヴァテインは知らない。少しは気になったりもする。

 けれど、やはり、レーヴァテインは聞かないのだ。

 他人の内側には踏み込まない。

 それが彼女の信条なのだから。

 故にレーヴァテインは、単純にその問いにだけ答えた。

「……もちろん行くわよ。それがキラープリンセス(わたしたち)の存在理由なんだから」

「だよな……そうだよな……」

 男は考えこむように俯くと、再び顔を上げて、やはりあの笑顔を浮かべるのだった。悲しくて、悲しくて、悲しくて。こらえきれない悲しみに、それでも固く蓋をして必死に隠している。そんな笑顔を。

「本当は戦って欲しくないんだ。キラープリンセスはもう十分戦った。人類がしなければならない戦いを請け負ってきた」

「…………」

「今すぐにでも、どんな手段を使っても、レーヴァテインを引き留めたい」

「…………」

「でも、それは出来ない。キラープリンセスの権利を踏みにじり続けた人類が、現在において、昔よりもある意味では遥かに縛る物がなくなった世界で、レーヴァテインの意志をないがしろにすることなんてできないよ」

「…………」

「キラープリンセスにはできる限り自由に、納得できる生き方をしてもらいたいから」

「…………そう」

 レーヴァテインはそう一言と呟いた。

 正直な所、レーヴァテインには男が言っていることを正確に理解できたわけではない。相変わらずわからない所もあるし、男の言っていることに意見したいこともある。

 でも、踏み込めない(・・・・・・)

 だって、そんな笑顔を浮かべられてしまったら、そんな蛮行できるわけがないじゃない。

 まるで罅が入ったガラスのように、今にも壊れそうでバラバラに砕け散ってしまいそうな、脆くて儚い笑顔。

 壊してしまう最後の一押しをすることなんて、できない。

「………ラーメン、おいしいわ」

 どうしてだろう、店内は他人の声に満ちているというのに。

 ずずずー、というラーメンを啜る音がレーヴァテインの耳朶に残る。

 

17

 レーヴァテインとラーメンを食べに行った翌朝。昇ったばかりの朝日が街を照らす中、シンは一人馬車をは走らせる。門に続く大通りを進むが、誰一人として道を行くものはいない。未だ街は微睡みに沈んでいる。だからこそ彼はこの時間に動きだしたのだ。

 シンは御者を雇っていなかったが、何の問題もない。彼自身が操縦すれば良いのだから。

 異界存在が現れて以来自動車といった乗り物は民間人の手に渡ることはなくなり、それらのほとんどが官営もしくは軍の所有物となった。結果人々の移動手段として用いられたのが馬である。位相融合が起こってしまう前の世界は、立ち並ぶ高層ビルの間を馬たちが駆け抜けるという、最先端の中に近代が存在するなんとも珍妙な世界であったのだ。

 シンが馬の扱い方を習得したのは研究所に入る前のこと。養父に科学を教わりながら、生活費を稼ぐためにタクシーのような商売をしていた。そのため彼は馬の扱いに関しては――実に以外なことだが――中々の腕を持っているのだった。

 まさかあの時身に着けた技術が、こんな所で役に立つなんて想像もしていなかったのだが。

「芸は身を助けるとはよく言ったものだ」

『知りませんでした。馬車を操縦できるなんて』

 〈ana(アナ)〉が文字を写す。 

 既に〈ana〉は起動してある。これから始めることには〈ana〉の補助が必要だ。

「研究所に入ってからは、馬車を操縦する機会なんてなかったからな。記録にないのも無理はない」

『私が出来てから研究所から出ませんでしたものね。所長からは有給を取るようにと言われていたのに』

「あの二人がいたから、別に退屈はしなかったし、ストレスもなかった。外にでる必要性を感じない行動を起こすのは無駄だ」

『そういう無駄が人間らしさだと思うのですがね』

 〈ana〉が嘆息が聞こえてきそうな文を映しだす。

 『無駄』が多い人工知能である〈ana〉が言うと説得力がある言葉だった。

ふと『無駄のない人間は機械と変わらない。故に無駄な行為を許さず、社会に有益なことにのみ人を酷使する我が国の社会は人間を機械化するための工場だ』と、あの哲学者の言葉をシンは思い出すのだった。

「俺からすれば、他の人間は無駄が多すぎる。もう少し無駄を削っても良いと思う」

『正直貴方の人間の理想像とは、役割の与えられた小説の人物のようなものでしょう?感情すらも筋道のままに発露させるような人間像が貴方のそれです』

「いや、流石にそんな価値観を持っているつもりはないんだが…」

 シンは心外だと一瞬怒りを覚えたが、理論武装の人工知能に指摘されると自信がなくなってしまった。

 自分が一番自分のことを理解していないし、身近にあるものこそ最も気付きにくい。青い鳥の話は幸福だけではなく、ありとあらゆることに通じているような気がするシンであった。

『だからこそ貴方はキラープリンセスのことが好きなんですよね』

「全く関係ないぞ。あとキラープリンセスのことは好意よりも保護対象としての認識が強い」

『ただ一人を除いて?』

「うるさい。あと、厳密に言うと三人だ」

『でも頭抜けて特別なのは一人なんですよね』

「…………」

『あの……無言のまま私の電源切ろうとしないでください』

 少々頭に血が上ってしまい我を忘れかけていた。シン自身気づかない内に、左のこめかみに人差指を当てていた。

 一応は沈黙した〈ana〉を渋々許してやる。消してしまってもまた点け直せばよいので、大層なことではないのだが。

「くだらないことを言ってないで、さっさと仕事の準備をしろ」

『はいはい、わかっていますよ―――ふふふ」

「なんだよ」

 唐突に笑い始めた人口知能。あまりにも脈絡もない言葉に、とうとう壊れたのか、とシンは眉を顰めた。

『今壊れたとか思っていますでしょう?』

「何故分かった。いつのまにか読心術のソフトでもインストールしてたのか」

『言われなくてもわかります。何年貴方と戦ってきていると思っているんですか?』

「すくなくとも一年は経ってない」

『以外と短いですよね。私たちの関係って』

「で、なんなんだ一体」

『えー、なんかつめたくないですかー』

「いいか言え」

『つーめーたーいー』

「………」

『すみません、調子に乗り過ぎました』

 おっと気づかないうちに、また指がボタンを押しそうになっていた。

 そっと左の人差し指を右手で諌める。

「で、一体なんなんだ?もう慈悲はないぞ」

『つれないですね――まぁ、いいですけど。別に深い意味はありません。ただ昔の貴方に戻ったようで少し安心しただけです』

 昔に戻ったか…。

 〈ana〉の言葉を噛みしめる。

 その言葉は少々違う。昔になど戻っていない。

 今はただひたすらに自身を塗り替えているだけだ。ひたすらペンキを塗り付けて、塗り付けて、塗り付けて。本物の自分自身を見えなくしているだけなのだ。

 だから何も変わっていない。〈愚者〉の名の通り、愚かしさのままひたすらに、偽物を演じ続ける。

 くくくっ。

 卑屈な笑いがこみ上げる。

『どうかしましたか?』

「いいや、なんでもない」

 頭を振りながら、馬を静かに走らせる。

 こんなもの気に掛けられるものではない。

 〈愚者〉と呼ばれた男が、本当に〈愚者〉だったというだけの話なのだから。

 シンはもう一度卑屈に笑った。

『それにしても良かったのですか?レーヴァテインを置いてきてしまって』

 〈ana〉が場の空気が悪くなったのを感じたのか、気を使って話題を変える。

 今シンの隣には相棒たるレーヴァテインの姿はない。コルテの街に一万体の異族が迫っていることから、契約期間は引き延ばされた。なのでシンとレーヴァテインが行動を共にしてもおかしくはないのだが、どうしてか彼は彼女を連れてはいない。

 シンは今、単独行動をしている。

「これからすることを考えると彼女を連れていくのは気が進まない。記憶が戻って『暴走』されても敵わないからな」

『まぁ、そうですけど……その時は調整(チューニング)すればよろしいのでは?』

戦闘中(・・・)には不可能だ。いくら異族が異界存在の劣化版だとしても、隙を見せられない」

簡易調整(インスタント)の常時発動では間に合いませんか?』

「クローンはともかく彼女は駄目だ。火種を潰したとはいえ、万が一にも彼女が暴走してしまったら、どうなるかは未知数。不確定要素が強い以上、彼女を戦力として投入できない」

『しかし、合流してしまった場合はどうするのです?コード275489の使用回数は限られますし、貴方一人では一万体の討伐なんて不可能ですよ』

「それは……運が味方してくれるのを信じるしかない。記憶の復活による情報過多の末の暴走(・・・・・・・・・・・・・・・・・)。討伐時間を減らせば、俺が振るう過去に触れる機会が少なくなるから、頑張るしかないな」

『私の推測ではコード2754389の弾数を鑑みるに、貴方の単独撃破数は三千程度ですが』

「ならば四千を討伐してみせる。何、メキシコシティ奪還作戦よりはマシだろう」

『あー、あれはひどかったですね』

 できれば二度と経験したくない戦いだ。今でも思い出すたびに、顔をしかめてしまう。

 今回の戦いは苦しいものではあるが、あの地獄よりは遥かにマシと思えるだけ、シンは他の奏官を比べると気持ちが楽なのかもしれない。

 門の前に来ると、十字架の意匠が施さた白い豪奢な馬車とすれ違った。

 おそらく教会が保有する馬車だろう。となると、新しい奏官が連れてこられたのだろう。いかにもな格式ばった馬車で連れて来られたことから、余程の重要人物だと思われる。きっと今回の戦いでは有用な戦力として働いてくれるだろう。

 教会の馬車と入れ違いに、門番の前に馬車を止める。

 老門番はこんな朝早くから街を出るシンに訝し気な視線を向けながらも、コルテの街にやってきた時と同じく三十ゼニ―を支払うと彼を通してくれた。

 

 

 こうしてシンはコルテの街から出立した。以降、彼の姿を見た人物はいない。

 次に彼が人々の前に姿を見せるのは、四日後つまりコルテ大規模討伐戦、その終盤のこととなる。

 




words
コルテ大規模討伐戦の概要①(②は次話にて)
・参加奏官は81人、キラープリンセスは251人。
・一万体の異族が来ると言っても一度に全てが来るのではなく、数百単位の小さな群れが順番にやって来る。
・使徒は現段階では確認されていない。
・レーヴァテインは今回の作戦は詰めが甘いといい、シンは教会の目的がキラープリンセスの暴走にあると言った。

・シンは何かの部品を持っており、レーヴァテインの推測によると何処からか無理やり引きちぎったのではないかということ。
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