01
ガタゴト。ガタゴト。
柵すら設置されていない、申し訳程度に舗装された悪路の山道を登る一つの馬車があった。
御者席に座るのは一人の橙髪の少女。上は胸当てのみを着て、その上に朱色の改造着物を、下は健康的な肌色の太腿を露出させたショートパンツを履いている見た目十代中頃の少女だ。
少女の隣にはボロ布に覆われた何かがあり、馬車の車輪が小石を踏み進む度に小さく跳ね上がったりしている。時々落ちそうになるそれを、少女は御者席に戻しつつ彼女は馬を歩かせていた。
「ふ~ん~ふ~ふ~ん~♪」
空は澄み渡っている。柔らかな風が頬を撫で、髪を撫でるそよ風が心地良い。
穏やかな旅路の中で少女は道中気の向くままに、心の往くままに鼻歌を歌う。
少女にとって歌はもう一つの目と言っても良い。
言葉に乗った思いを読み解き、歌詞を通して書き手の見た未体験の世界を少女は見ているのだ。
少女と歌の始まりは、住処にしていた森の泉で星空を見上げた時のふとした気づきであった。
かつて少女はこう感じたのだ。世界は狭い、と。
この世界は確かに広い。星が満たす天蓋の下に世界は雄大に広がっている。けれども、少女が知ることが出来る世界なんてたかがしれている。きっとこの両掌で掬えるほどの世界しか知ることが出来ないのだろう、と少女は掬った泉の水に星空を映して思ったのだ。
この現実は、少女からしてみれば、とても窮屈なことだった。
もっと多くの物を見て、多くのことを知りたい。
そんな自身の根源から溢れ出る願いを少女は持っている。そのため、彼女にはこの窮屈な世界が息苦しくて堪らない。何故私が掬い取られた世界に甘んじなければならないのか?そんな憤りが彼女の心に宿る。
その翌朝のことだ。少女は外の世界に旅に出た。胸にあるのは怒りと少しばかりの焦燥、まだ見ぬ世界に対する大きな期待。森の外が生き抜くいことは知っている。でも、そんなことは覚悟の上だ。全てを承知の上で、少女は何もないけれど温かな暮らしを捨てて、寒風吹きすさぶ変動の世界へと脚を踏み出した。
随分長い時を旅した。
途中立ち寄った村では追い出されたり、色々辛いこともあったけれど、それでも少女は世界を楽しんだ。
遥か高く聳える山々。切り立った崖から流れ落ちる巨大な滝。何重にも架かる虹。
そのどれもが心を揺さぶられるほどの美しさを持っていた。目を輝かせるほどの価値があった。
でも、少女は気付いてしまう。
何も変わっていない、と。
確かに旅を出ることで、かつてよりは広い世界を知ることが出来た。それでも、知ることできる範囲の世界は少女が歩ける範囲までだ。これでは森に居た頃と変わらない。歩き回る舞台が変わったというだけで、結局は自身が掬い取れる狭い世界であることには違いない。
少女が知りたい世界はそんなものではないのだ。始まりの景色、星の天蓋の下で広がる雄大な世界を少女は知りたい。
柄にもなく難しいことを考える日々が続いた。輝いて見えた世界も、その輝きがくすんで見えて、心の躍動は喪失してしまっていた。
そんな鬱屈とした気分のまま立ち寄った村で、歌と出会った。
衝撃的な出会いだった。歌の衝撃は闇夜を切り裂く雷光が如く少女の暗い気持ちを切り裂き、そのまま少女の体を貫ぬいた。
気づけば、体が動いていた。
歌い手の青年の両手を掴み、頼み込んだのだ。歌を教えて欲しい、と。
突然の申し出に戸惑う青年であったが、少女の熱心な懇願に彼は応えた。少女の本質を知り、それでもなお、親切に彼は少女に歌を教えてくれた。
こうして、少女は歌を知り、歌の奥深さに魅せられて、歌の中に世界を見た。
彼女が目で、耳で、鼻で、舌で、肌で感じられる世界よりもずっと広く、深い世界。少女がずっと求め続けた星の天蓋の下の雄大な世界だ。
まぁ、歌で見ているとは言っても、今度は歌の世界を実際に知りたいという新たな欲望が生まれているので、彼女は定住せず今でも旅を続けているのだが。
彼女自身のルーツを考えれば、次々と知識欲が生まれるのは当然と言えば当然であった。
鼻歌を歌う少女が操る馬車が折り返しを通り過ぎ、下り坂に差し掛かる。
すると、見えた。
少女の、いや少女達の目的地が。
少女はボロ布を叩く。
「シン!キエム村が見えてきたよ!」
02
(随分懐かしい夢を見たな……)
そう追想した。
少々手荒い目覚ましに、シンは目を覚ます。
かなりの悪路で、固い御者席の木版の上ではまともに睡眠をとれたとは言えず、シンは未だ引きずる疲労感と倦怠感を感じていた。まだ寝ていたい気持ちがあるが、彼はその欲望を振り切る。ごわごわとしたボロ布を取り払って、彼は身を起こした。
「おはよう、シン。よく眠れた?」
明るい声で問いかけてくるのはキラープリンセス、オティヌスだ。コルテ大規模討伐戦の後に出会い、行動を共にしている。
シンはため息を吐いて、
「よく眠れたような顔してる?」
「全然」
「……だよね」
極めて無駄な問答だった。シンの不機嫌そうな顔に、オティヌスは誤魔化すように苦笑する。
シンが凝った肩や固まった腰をほぐす。体を目一杯伸ばし、少しでも体の怠さを取り除こうと努力する。漏れ出る欠伸を噛み殺して、彼は〈女帝〉と別れてからのことを思い出した。
計画派の一員、〈女帝〉アンナ・エフェンベルグは言うだけ言って、魔術によって姿を消した。
ひとまずの脅威は去り、計画派からの一時的な不戦協定を無理矢理結ばされたとはいえ、現在進行形で危機は続いている。
コルテでは核爆発が起きたのだ。であれば、次に来るのは放射性降下物、いわゆる死の灰だ。無数の塵が不可視の毒を放ちながら満身創痍の戦士たちを静かに襲いくる。
この危険性を知っているのは過去の遺物であるシンと記憶を取り戻したレーヴァテインだけだ。ただ、二人とて余裕があるわけではない。シンはブラフマーストラβの無理な乱用で、レーヴァテインは長時間の高速戦闘で、互いに疲労が頂点に達している。他人のことを気にかけるほどの余裕も、気力すら残っていない。
シンはアンナによって眠らされた四人のキラープリンセスをCMCシステムコードの一つで無理矢理覚醒させ、
アンナは去り際に「核爆弾の後処理なら私の術式で処理してますから問題ありませんよ」と宣っていたが、あの女は実験のために街一つ吹き飛ばすような奴らの一員である。信用などできるはずがない。
そうして、一応の警告と責任を果たした後に、彼は左腕が欠損した状態でレーヴァテインに肩を貸し、事前に待機させていた馬車に辿り着いた。異族は人間しか襲わないために、馬だけならば異族は素通りする。例え、異族の大群が迫っていようとも、馬たちは何も損ねることなく無事であった。
レーヴァテインは既に気絶するように眠ってしまっていた。シンは、自身が寝床にしていた藁のベッドに彼女を寝転がらせて、自身は御者台に乗り込む。そして、朦朧とした意識のまま馬を走らせて街道に出る。それからは、シンもとうとう限界を迎えて気を失った。
しばらく馬だけで歩いていると。
「ちょっと、ちょっと!どうしたの!」
女の声が聞こえた。
億劫そうにシンは瞼を開ける。
この時、シンもレーヴァテインも過度の疲労が祟って高熱を発していた。
レーヴァテインはシンの捨身とも言える献身的な看護を受けていたが、やはり同様に重病人の看病では焼石に水。献身的な看護、とは言うものの十分なそれでは勿論ない。
正直、二人は死に掛けていた。まともな治療具もなく、薬もなく、近場に村はなかったので屋根や壁がある場所で休むこともできない。病状が悪化するのは必然であった。
そんな時だったのだ。救いの女神が現れたのは。
「うわっ、凄い熱!待ってて、直ぐに薬を飲ませてあげるから!」
オティヌス、という名のキラープリンセスだ。
偶然シンの馬車と遭遇した彼女は御者席に倒れこみ、顔色を悪くしているシンのただならぬ様子を見て声を掛けてくれたのだった。
「彼女を優先してくれ」
「いや、キミの方が重病だから!って、何その真っ黒な腕!しかも半分ないじゃん!」
以降はオティヌスがシンとレーヴァテインの治療をした。
ただし、オティヌスは治療の対価を求めた。彼女とて、旅をする身。貴重な薬を分け与えたのだから、当然のことであった。内容はシン達の旅に彼女を同行させること。シンは一度躊躇したが、思えば計画派とは信頼できる不戦協定を結んでいるので、顕著な危険はないと判断し、その申し出を受け入れた。
その後はオティヌスが馬の手綱を握り、シンとレーヴァテインは万全の治療を受けることが出来たのだった。
そして時間軸は現在に戻る。
オティヌスの治療のおかげで、二人はすっかり元気。体調は万全。三途の川の彼岸で義父が手を振っているのが見えたシンからしたら、オティヌス様々なのであった。
「にしても、災難だったね」
「何が?」
「コルテ大規模討伐戦」
ピタリ、とシンの動きが止まる。
「アタシも異族たちが変な動きしてるなー、とは思ってたんだけど、嫌な予感がしたから追わなくってさ。見て見ぬふりをしちゃったんだよね」
道中、シンとオティヌスは見た。
異族によって荒らされた村々を。
一万体の異族の襲来。未曾有の危機に対応するために、周辺地域の教会所属キラープリンセスたちはコルテにかき集められた。
しかし、ここで一つ決定的な問題が発生する。
コルテ周辺部の居住地域は守られない。
たった五秒で言い切れる当り前の現実だ。
シン達が見たのはその結末である。
無惨に破壊された家屋。踏みつぶされた農作物。そして、食い散らかされた人の残骸。
地面に沁み込んだ赤は殺された人々の最後の断末魔を記録しているかのようであった。
怨嗟、無念、残念。
そんな負の想念渦巻く惨劇の終着点を彼らはいくつも通り過ぎてきた。
「きっとラグナロク教会がどうにかしてくれる、って思ってたんだ……」
コルテに集まった奏官もキラープリンセスも、一万体の異族襲来の知らせを受けた時はこの事実に気づいていた。コルテ以外に住む人々は脅威にさらされていると分かっていた。
それでも、彼らは見逃した。絶対多数を救うために。
奏官たちとて全てを救いたかったに違いない。
けれども、事実として奏官たちが犠牲を肯定した。つまり一万体の異族とはそれほどまでの脅威であったのだ。
別行動をとっていたシンもまた同様であった。
彼は可能な範囲で村人たちのコルテへの避難を支援した。やれることといったら、異族が避難方向に現れないように討伐もしくは誘導を行うことだけだが、一定の効果は確かにあったようだった。コルテに避難
けれども、それだけだ。全ての人間を救えたわけではない。通り過ぎた場所には避難途中で壊滅したと思われる人々の残骸がいくつもあった。失われた命は確かにあったのだ。
「だからさ、この結末を目にして、キミから顛末を聞いて、『あの時助けに行っていれば』って後悔してるんだ……」
オティヌスは手を差し伸べなかった。伸ばせる手があったのに、彼女は手を伸ばすことを放棄した。そのことが彼女の心に酷く重くのしかかる。
後悔は無意味だ。そんなことは分かっている。けれども、そんな行く当てのない思いを抱いしまうのは割り切れないからだ。
「きっと私が居れば救えた命があったんじゃないかなぁ、って思っちゃうんだよね」
キラープリンセスは異族を倒せる力がある。力を持ちながら、守らないのは怠慢だ。
不穏な空気を感じ取って立ち去った。あの時は自分の決断が正しかったと信じている、けれども今はそう断言できる自信がオティヌスにはなかった。
薄暗い感情を胸の内に宿しているオティヌス。そんな彼女の影を断ち切るように愚者の青年は言う。
「それは間違いだぞ、オティヌス」
「………えっ…?」
「人々を守れたかもしれないのに、守らなかった。そのことに負い目を感じる必要がないと言っているんだ」
「……どういうこと……」
「睨むなよ。別に人が死ねば良いって言っているわけじゃない。俺が言っているのは、教会に所属していないキラープリンセスが人を守る義務はないってことだよ」
キラープリンセスは確かに異族を討伐し得る力を持っている。しかし、それが全てのキラープリンセスが異族から人を守る義務を負うこととイコールではない。
「教会に所属しているキラープリンセスだったなら、話は別だろう。教会に所属し、働きの対価を得ている以上は教会が定める義務を果たさなければならない。当然のことだ。だが、オティヌス、野良であるお前ならば違う。お前は教会に所属していない。正当な対価を得ていない。ならば、お前が義務を負う道理は存在しないだろう」
「でも、私は力を持ってる!だったら、力を持っていない人々を守るのが当然じゃないの!?」
「かもしれない。往々にして、強者が弱者を救うのは当たり前のことなのかもしれない」
シンはオティヌスの主張を肯定した。その上で、
「だが、今回に限り俺はその当然を否定するぞ」
「……どうして?」
「他人を助けるということは、助ける側に余裕がなければならないからだ。もし、お前が人々を救ったとして、お前が生き残る余裕があるのか?」
「そ…れは……」
オティヌスは確信が持てなった。
もし仮に村人たちの護衛を買って出たとして、異族から人々を守ったとして、果たして自分は生き残れたのか、と。
普段の数十体規模ならば、生き残れただろう。討伐は出来なくとも囮になって村人たちから引き離し、異族を巻くことも出来たはずだ。けれど、今回は一万体だ。無論、一万体全てを相手にするわけではない。けれど、相手にする数は格段に多くなるはずだ。一つの群れを相手して、逃げた先にまた群れ、さらに逃げた先に群れ、群れ、群れ。戦闘をかぎつけた周囲の異族は引きつけられて、さらに異族は増えていく。
果たしてオティヌスは生き残れるのだろうか?
「もし、自分の命を度外視で誰かを救おうとしているならば、それは偽善だ。絶命必死のボランティアなんて、やって良いものじゃない。何処ぞの正義の味方志望じゃないんだ。そこまで致命的な歪みを持っているほど、キラープリンセスは壊れていないだろう?」
「それは…そうだけどっ…でもっ」
オティヌスは消しきれない心の痛みのままにシンに噛み付く。
「そんな論理なんかで心の棘が抜けるとでも!心は単純なものなんかじゃない!後悔なんて、どんな正論を叩きつけられたって消え去るものなんかじゃない!」
まるでぶん殴るかのような勢い。いや、実際オティヌスは殴りかかりそうだった。
この男は人の心を愚弄した。
よりにもよって、誰かを守りたいという願いを無視する形で。
オティヌスは思わず殺気立つ。けれど、シンは気にする様子もなく、変わらぬ調子で言葉を続けていた。
「俺は自由に動ける立場にいた。やりようによっては全ての村人たちを救うことが出来たかもしれない。だから、全ての罪は力の足りなかった俺にある。責任は当事者である俺が全て負うべきだ。お前が自分の命を優先したことを後悔する必要なんて、どこにもないんだよ」
つまり、シンははこう言っているのだ。
俺は村人たちを守りきれなかった。失敗したのは俺だ。全ての責任は俺が負う。だから、お前は自分の決断を否定しなくても良い、と。
そして、その言葉の別側面は、もし辛くなったらシンを言い訳にして良いってことだ。罪悪感に押し潰されそうになったら、シンに責任を押し付けて罪悪感から逃げても良いってことだ。
でも、それは。
(間違ってる)
シンが偽善だと断じるのも分かるし、オティヌスの後悔はきっと世界に対する甘えなのだろう。けれど、頭で理解していても、そう簡単に割り切れる彼女ではなかった。
だから、シンが用意してくれたのは、オティヌスが後悔に雁字搦めになって立ち止まらないようにするための逃げ道だ。あるいは、呪いを押し付ける人柱か。とにもかくにも、彼は彼女に都合の良い存在になってくれたわけだ。
コイツが悪い、というわかりやすい非難の対象に。
シンを声を上げて非難出来たら、どれだけ楽だろう。胸の裡に凝り固まる暗い感情を彼に向けてぶちまけることができたら、きっと気も楽になるに違いない。
けれど、それは決定的に間違っている。
オティヌスの後悔はオティヌスが自分で折り合いをつけるべきものだ。自分勝手なこの気持ちを解消するために、誰かを悪者にして良いはずがない。
「ごめん」
「何故謝るんだ?お前の後悔は真っ当なものであり、お前の願いや感情をないがしろにして記号として扱ったのは俺の落ち度だ。俺に怒りをぶつけるのは当然のことじゃないか?」
「わざとやったんでしょ」
おそらくは、シンは最初にオティヌスの注意を向けるため、わざと彼女を怒らせるように話を切りだしたのだ。怒りで暗い気持ちを晴らし、淀んだ思考回路を再度活発にする。そうして、彼は彼女が自発的に、身の安全のために人を見捨てたというエゴイズムを肯定するように誘導した。
「どうしてそんなことを?」
オティヌスはシンに聞いた。
「後悔のあまり、思いつめ過ぎて欲しくなかった」
シンは何処か遠い所を見るような瞳をして続ける。
「これは大方のキラープリンセスに言えることだが、生まれながらの性質として君たちは善性が過ぎる。まるで真っ白な絵の具だ。だからほんの少しでも黒が混じると、君たちは簡単に壊れる。そんなお前たちを多く見てきた。その結末もな。だから道徳上の悪であっても、生きるための善を許容する心を持つようにして欲しかった。さっきのは俺を糾弾の対象とすることで、お前が抱える負の感情を解消しつつ、前例を作りたかったんだ。自身の生存を肯定し、人を見捨てる悪性を受け入れたという前例をな」
人を守るな、と言っているわけじゃないが、シンは最後に付け加えた。
シンの言いたいことはオティヌスにもわかる。というよりも、他のキラープリンセスを見ていると良く思っていことだった。まさか自分もそう指摘されるとは思わなかったが、今回に関しては自分もその枠組みに入っているように思えた。
しかし、シンの言葉を思い返すとこうもオティヌスは思う。
「もう少し上手いやり方もあったでしょ」
なんだかベクトルがマイナス方向なのである。なんというか、温かみがない。全体的に冷たい。感情の足し算引き算をしているようなやり方なのだ。
「もっと前向きな方法を思いつかなかったの?」
「俺としては最善手だがな」
「だったら捻くれすぎ」
「そうか?まぁ、後悔するな、とか俺が他人に言ってる時点で滑稽か」
くくっ、とシンは卑屈に笑う。
「でも、そっか、そこまでキミが言うなら、アタシも頑張ってみるよ。この後悔との上手な折り合いの付け方ってやつを探してみる」
「いや、それじゃ、良くないわけだが」
「キミを悪者にするよりはずっと良いよ」
「論点はそこじゃないんだけどな――まぁ、良いか。最悪を回避できれば、それで」
『誰かのために』ではなく、『自分のために』という所が重要な所なのだが、蒸し返しても仕方がない。シンは小さくため息を吐いて、肩を落とす。
その時。
「イテっ!」
シンの後頭部に何かが投げつけられた。
「……うるさい」
背後を振り返ると、眠たげなレーヴァテインが紅の瞳に確かな苛立ちを湛えてシンを睨む。
「たはは、ごめんごめん」
ふん、と鼻を鳴らしてレーヴァテインは再び目を閉じる。もう一寝入り…というわけにはいかないだろうが、静かに体を休めたいらしい。
オティヌスは声を細めて言った。
「もっと強く出てもいいんじゃないの。キミ、彼女に甘すぎるんじゃない?」
「彼女にコルテで負担を掛けすぎちゃったからねぇ。多少のお願いは聞いてあげたいんだ」
はぁ、とシンの答えにオティヌスは呆れを隠さずため息を吐く。
オティヌスからすると、シンのレーヴァテインの扱いは、いっそ病的なほどに丁重に思えて仕方がない。
まるで罪滅ぼしをしているみたい。そんな印象をオティヌスは感じていた。
03
さて、それではほったらかしの話題に触れていこう。
シンとオティヌスが向かう先。山道を下って少し行くと、そこには村がある。
キエム村。コルテから一つ山を越えた森林地帯にある中規模の村だ。何も特別性のないありふれた村である。農民たちが畑を耕し、子供を育て、そして異族の恐怖に怯えながら細々と生きる。そんな天上世界でのありふれた生活がそこにはある。
過去の遺物が向かう行先としては特別性にかけるかもしれない。
けれども、場所に用はない。用があるのはそこにいる彼女だ。
個体名はエロース。
レーヴァテインに次ぐ二人目のオリジナルがキエム村にいる。
そして、だからこそ。
(あんな夢を見たのかもしれないな)
シンは見ていた夢の内容を思い出す。夢に出てきた彼女はエロースと深いつながりがあった。
自分を慕ってくれていた後輩。とはいっても、世話を焼いた、とシンは言わない。彼と彼女は先輩後輩という上下関係ではなくむしろ対等な間柄であった。
始めに声を掛けたのは後輩のほうであった。理由は同郷出身であるからという些事だ。しかし、話しかけやすいというわけではなく、ただ単純に珍しいという意味で。とても些細なきっかけであり、研究分野が違うこともあってあまり顔を合わせることもないので、縁は簡単に切れてしまいそうではあった。けれでも、そうならなかったのは二人を繋ぐ共通点が存在したからである。
その共通点とはキラープリンセス。後輩はシンやマックのようにキラープリンセスのカウンセラーをしていたわけではないが、彼女たちとも仲が良かった。
殊更に、仲が良かったのはオリジナルのエロースだ。エロースが製造され、研究所での肉体調整期間に友情を深めたらしく、エロースが研究所を出たあとも通信端末で連絡を取り合っていたようであった。二人の都合があえば、後輩がエロースの派遣先に赴き、近場の大都市へ遊びに行っていた。その時の土産話を耳にタコができるほどにシンは聞かされていたことも覚えている。
土産話をしている嬉しそうな後輩を、マックや始まりのキラープリンセス、李勝利、チェルニコフ兄妹―――つまりはいずれ維持派となる面々と微笑ましく思っていた。向けられる生温かい視線に気づき、彼女が頬を膨らませて怒るまでがワンセット。研究所で繰り広げられる日常の一幕だった。
そう、一幕であったのだ。
計画派による
あの温かい世界は、もう遠い。
郷愁。
そんな言葉がシンの脳裏にふと思い浮かぶ。
まったく甘いことだ、とシンは「くくっ」と笑いながら自嘲する。
あの後輩は計画派に所属している。再び世界を破壊する可能性がある以上、最悪殺してでも止める必要がある。後ろ髪を引かれてどうするというのだ。
「はぁ……」
「どうしたの?急にため息なんかついて」
「いや、中々に私は度し難いと思ってね」
「はい?」
オティヌスはキョトンとする。そんな彼女に気にするなとシンは手を振り、前を向く。
すると。
「なんだ…?」
森の中から土埃がうっすらと上がっている。
「誰かが異族と戦ってる!」
弓のキラープリンセスで、目が良いオティヌスが叫んだ。
「――あっ、ちょっと、シン!」
愚者はオティヌスの静止を振り切って跳び出す。
柵の無い山道から。
つまり切り立った崖からだ。
words
・コルテの戦乱後、危機に陥っていたシンとレーヴァテインをオティヌスは助けた。その礼としてオティヌスはシン達の馬車に乗り、同行している。
・アンナは魔術によって瞬間移動が可能。
・核爆弾の使用後、発生した放射性降下物をアンナは自身の術式でどうにかするつもりだったらしい。けれど、シンはその可能性を否定した。
・コルテを救う裏で、キラープリンセスが撤退したことで周囲の村は異族の暴威にさらされていた。
・シンは出来る範囲で人々は助けていた。その功績はコルテに避難できた人々の数が教会の予測より多かったことが証明している。
・オティヌスは異族の不審な動きを警戒し、関わらなかった。故に、自分が関わっていれば救えた命があったのでは、と後悔をする。
・シンはオティヌスは諭す。オティヌスは理解はしたが、納得は出来ておらず。自分の気持ちに折り合いをつけようと決意する。
・シンはキラープリンセスに『自身の命を優先すること』を肯定して欲しかった。
・シンが向かう先はキエム村。そこにいるエロースが二人目のオリジナルキラープリンセスだ。
・シンは何者かの交戦を前にして、崖から飛び出した。