prologue
――おはようございます。
――……ああ…おはよう。
――ご気分は如何でしょうか?
――最悪だ。
――どのような感じでしょうか?
――酩酊感がひどい。寝落ちしたときに無理な体勢で寝て起きた時みたいな感じがする。
――正常な反応です。長期のコールドスリープによる影響でしょう。
――俺はどのくらい眠っていた?
――単純な時間の積み重ねですと現在は西暦五千四百七十六年七月十四日午前三時十四分五十六秒になります。
――二千二百年から三千年も眠っていたのか。
――お入りになった時は時間設定などしている暇はありませんでしたし。
――よくも無事だったな、俺。
――特殊な体であることが幸いしたようですね。通常の人間なら百年も過ぎていたら肉体が壊死していました。
――コールドスリープだって万能じゃない。結局科学技術は二十世紀のSFの実現には至らなかったんだっけか。嘆いてたな、古流映画愛好家が。
――当時の状況もあるでしょう。二千百九十五年からは生物関係や兵器開発の研究が主流でしたから。
――そう言われると納得ができるか。でだ、世界はどうなった?
――〈運命の輪〉は回り、輪は軸から外れ、何処かへ行ってしまいました。まわりくどい説明ですが、ようするに失敗、です。
――ちっくしょう!あと一歩だったのにッ……っつ、ぐぁっ!
――感情を高ぶらせますと筋肉が硬直します。長い眠りから冷めた直後の急激な筋肉の動きに激痛が走るのは当然でしょう。
――っつ。で、よくもまぁ、研究所が残っていたな。位相融合なんて起きちまったら地球規模どころか宇宙規模の災害だってのに。というかどうやってコールドスリープを保った?予備電源を使ったとしても三千年も持たないだろうに。
――不条理が働いたようです。〈運命の輪〉が回ったせいで発生した微風のようなものでしょう。電力の方は失敗技術を用いました。
――元凶に守られ、天敵に救われ、宿敵に助けられるとはな。皮肉が過ぎる。
――今の世界は隣接していた位相の影響が強いです。前時代――西暦二千二百年とは大きく様相を変えています。
――
――消滅しました。
――そこだけ成功したのか。守るものを犠牲にして……。ところで現在研究所はどういった体制を取っている。
――電力は自然エネルギーで得ています。設備はスペース・ジェネレーション社製コールドスリープ装置〈
――このコールドスリープ装置、不謹慎な名前だな、おい。
――どういたしますか?
――そうだな…。全システムを起動準備状態に、そしてこの棺桶を解放を。
コールドスリープ装置の内側にあるモニターにそう打ち込むと、ぶしゅぅ、という炭酸飲料の缶を開けたときのような気の抜けた音を出して氷棺の封印が解かれる。
モニターの打ち込み方式は、モニターに映るキーボードを目が追うのを内蔵カメラが撮影して反映させるというものであり、青年の体は一度も動いていない。
青年が文字で会話していたのは研究所のシステムを一括統括している人工知能〈
コールドスリープ装置は扉が開いた所で、次の動きへとシフトする。
青年が寝転がっているベッドが使用者を激しく刺激しないようにゆっくりと動きだす。ベッドが青年の上半身を持ち上げるようにして傾いていき、設定角度六十度まで傾くと、今度は下半身部が動きだす。最後には車椅子となった。因みに全自動である。
この機構は異界存在によって滅ぼされた少子高齢化大国である日本が作りだした介護ベッドのものだ。開発当時、ベッドから車椅子に変化する動画が日本の有名動画投稿サイトでは『凄過ぎワロスwwww』『ロボットの時代来たー\(^_^)/』『トランスフォーマーかよwwwww』といったコメントで弾幕が張られたとか、いないとか。
そもそもなぜコールドスリープ装置にこの機構が利用されているのかというと、これが元々惑星探査のためのものであったからだ。長時間無重力下で過ごすと筋肉が衰えていく。他惑星の重力下で活動するにはいささか筋力が心許ないだろうということらしい。介護関連の技術がコールドスリープ装置だけでなく惑星探査のための装置には利用されている。
さてそんな変身ベッド、いや車椅子に支えられた男は痛みに悶えていた。
「いてっ、いてっ、いてぇぇぇぇっ!」
今まで凍っていたおかげで痛感覚がマヒしていたが、解凍され時間が経ったおかげで正常に戻った。なので活動を開始していた内臓を動かす筋肉の動きにも反応してしまうわけで。極微細な動きにも痛みを感じてしまうのであった。
『耐えてください。じきに痛みもなくなるでしょう』
研究所内にアナウンスが機械的な女声で響く。〈adma〉が流した音声である。
悶える男を無視して機械たちは淡々と動き始める。約三千年間眠り続けていた研究所は静かに稼働しはじめた。久しぶりに聞く機械音を懐かしむ余裕もなく、男は自動車椅子によって休憩室へと運ばれた。
「ふぃ~、やっとこさ落ち着いて来た」
『お茶をどうぞ』
「サンキュ」
天井から伸びるマニピュレーターを動かして〈adma〉が注いだ麦茶を青年は躊躇いなく飲み込んだ。すると…
「ぬおぉぉぉっ!」
痛い!胃が超絶痛い!
体内に入ってきた異物の処理という当り前のどうさに、三千年という空白が激痛を与える。
「お前、分っててやってるだろっ」
『貴方がお気づきにならないことを推測に入れてませんでした。てっきり承知されてるかと』
「…ぜぇ…ぜぇ…ぜぇ………今度は回復が早かったな……ようやく体が目覚めたか」
『とりあえずもう一杯』
「うん、ありがと」
呼吸を整えてもう一杯。今度は大丈夫だった。
久しぶりの飲み物は美味かった。
『何かおあがりになりますか?レーションもありますし、インスタントのものなら私でも作れますが』
「いや、後にする。正直腹減ってないし……それよりブラインド開けてくれるか?外の様子が気になる」
『承りました』
青年が注文すると忠実な人工知能は、すぐに窓をふさぐブラインドを開けた。
閉ざされた世界に太陽の光が降り注ぐ。
青年の目が太陽光の眩しさにくらんだが、それも一瞬のことだった。
「うわぁ」
思わず感嘆の声が漏れる。
窓の外に広がっていたのは一面の森。青年が生きていた頃は南半球の土地はすべて開発されてしまい、アマゾンの広大な熱帯雨林や東南アジアの森林、おおよそ豊な自然という言葉で分類できるものは全て失われてしまっていた。写真でしか残っていない風景に青年は感動を抑えきれない。
「すげえなぁ。こんな光景を見れるなんて」
『二千二百年ころは研究所は氷の大地ですし、生きている植物といえばコケとか背丈の低い雑草くらいでしたものね』
「あの光景も嫌いじゃなかったけど、一面の森って奴も悪くないなあ」
『ま、実際の所はこれも〈運命の輪〉が回った結果なのですが』
「感動に水を差すなよ。空気よもうぜ」
『私は人工知能ですので』
しれっとそう宣った。
空いたコップを〈adma〉のマニピュレーターに渡して、青年は休憩室を後にした。
〈adma〉が尋ねる。
『いかがなさいますか?』
「とりあえず〈FDF〉の所いって左眼の回収だ。どこら辺にあったっけ?入る前はごたごたしてたから、適当に放り投げたんだよな」
青年は所在なさげに閉じた左眼のまぶたを開けたり、閉めたりする。
まぶたの奥にあるのは空洞。そこには本来あるべき眼球が収まっていない。以前に彼は左眼を負傷し、それ以来義眼にしているのだ。
『監視カメラの映像だと装置のすぐ近くに落ちていますね』
「そんじゃ、拾ってくか」
リハビリを兼ねて、車椅子を手で動かす。
やってみると、結構疲れた。
「やっぱ、人間は足で歩くのが一番だな」
そんな当たり前のことに気づかされる。足の不自由な人は毎日を過ごすだけでも大変な苦労をしているのだと、知識でなく、経験としても知った。
寝起き(それも三千年からのコールドスリープからの)には辛い運動をして、先ほどの部屋に戻ってきた。今考えると、最初から取っておけばよかった話である。二度手間であった。
青年はキョロキョロと部屋を見渡してから、お目当てのものを見つける。
「お、あった、あった」
義眼とは思えない生々しい眼球が床に転がっていた。事情を知らない者が見たら、ぎょとしていただろう光景だ。
そいつを拾って共同洗面所へと移動。
「えっと、こいつを洗って」
洗面台で消毒液を使い綺麗にしてから、左眼の空洞に埋め込んだ。
この時眼球からこめかみにかけて埋め込んである極小コンピューターと義眼の結合部を合致させる。
かちっ、と言う気持ちの良い音がした。
「ぽちっとな」
二千二百年から二世紀と四半世紀くらい前のアニメの決め台詞と共にこめかみにある手応えを押す。それと同時に青年は両目を閉じる。
『システム起動。問題を検索中……異常なし。コンピューターとの同期中……完了。〈
暗闇に文字が浮かぶ。目で言うならば、角膜に当たる部分に文字が浮かぶ。
詳しいことは青年にも詳しい原理はわからないのだが、角膜を覆う涙液に電離したイオンを利用して文字を形作っているらしい。この義眼の製作者は天才と呼ばれた友人なので凡人、ましてや〈愚者〉というレッテルを貼られた青年にはわかるはずもない。
『おはようございます。お目覚めになられたようですね』
「ああ、おはよう。そっちも無事でなによりだ。俺もお前も研究所も三千年間よくもってたと思うよ」
『おそらく〈運命の輪〉の影響でしょう』
「また、それか。何かしらの不条理が働いたってことだよな」
『ええ、〈運命の輪〉が人の手でも起こせるようなことしかできないことは考えにくいでしょう。特に貴方方、〈運命の輪〉に巻き込まれなかった
「癪だな」
『同意見です』
二人(?)して舌打ちをする。〈ana〉は顔文字で出した。
「でも、命あるだけましなのか?一体この世界がどんな世界なのか?彼女たちはどうなったのか?〈運命の輪〉はまだ存在するのか?」
『それをこれから調べに行くのでしょうに。それに、今は貴方が目覚めたことには何か意味があるはずです』
「オカルティックだな、人工知能の癖に」
『無根拠の言じゃないですよーだ。それに人工知能だからってオカルトを言っちゃいけないなんて偏見です、ジェンダーです』
「ジェンダーは男女に対する偏見だ。ゆめゆめ間違えるな、性別不詳」
『ぶー、ぶー』
顔文字と共に言葉で文句を訴える人工知能。
〈adma〉と違い茶目っ気があるのは、作った天才の遊び心だ。曰く『無表情系女子が時々だす人間味とか萌えるだろ、萌えるだろ!』、とのことだった。
人工知能の言語プログラムには多くの容量が割かれている。青年としてはもっと有用なことに容量を割いて欲しかった。いや、これはこれで青年は好きなのだが。
『それでは何を始めましょうか?この世界について調べる、彼女達がどうなったのか、計画派がどうなったのか。調べることはたくさんありますが』
人工知能が冷静にやるべきことをリストアップしていく。けれど、青年は選択肢にないことを答えた。
「とりあえずは敗戦処理…かな」
真っ先にやることがこれだった。
いや、やらなければならないこと、の方が正しかった。
青年は左目だけを閉じたまま、車椅子をとある一室へと動かす。
過去の終わりにして、
『そうでしたね。先を見るよりも後ろを振り返らなければなりませんでした』
〈ana〉が言葉を打ち込む。
『戦友を弔わなければ……なりませんね』
「………うん」
青年と〈ana〉の間で交わされる言葉は少ない。〈adma〉もアナウンスで話しかけることはない。
段々とその場所へと近づいてく。
近かづけば、近づくほどにかつての惨状が、内部抗争の爪痕が激しくなっていく。
最初は壁や床の弾痕だった。
けれど惨劇の痕跡が死体へと変わるのに時間は掛からなかった。
地面に崩れ落ちている白衣を来た死体たち。青年が眠る前共に戦った戦友たち。そして彼が死に追いやった人たち。
死体は腐っていなかった。不条理が働いた結果に違いない。おかげで誰が誰だか判別ができた。
「国際連合異界存在研究機関所属研究員、〈死神〉のヴァロヴォア・チェルニコフ」
「同じく、〈恋人〉のイリーリャ・チェルニコフ」
「同じく、〈審判〉の
「同じく、〈世界〉のマック・フューリー」
続けざまに倒れている四人。
勝てる確率が低い闘争に青年を信じてついてきてくれた大切な親友たち。
青年が逃げるために最後まで戦ってくれた戦友。
冷たくなった彼らが目の前にいる。
『大丈夫ですか?』
「ん、何が?」
『いえ、辛いなら、泣いたほうがよろしいかと』
「……俺は……泣くことなんてできないよ」
『それは長い時間が感情を風化させてしまったからですか?』
人工知能の見当はずれの答えに青年は苦笑で返しながらこう思う。
泣くわけにはいかない。
彼は託されたから。
人類の未来を、彼女達の行く末を、倒れていった親友の思いを。
だから青年は涙を流すわけにはいかない。立ち止まって、めそめそと泣いていることなんてできない。
親友が命を引き換えに繋いでくれた命と託した思いを台無しにするわけにはいかない。
思いを噛みしめて、宿敵の元へと急ぐ。
扉を開いたその先には。
「……ない」
目的地としていた部屋はなかった。
あったのは虚空だけで、青年の目の前に広がるのは豊かな自然のみ。
青年は研究所を統括する人工知能に呼びかける。
「〈adma〉!部屋は俺が眠っている間に崩れ落ちたとかじゃないよな」
『はい。ここらから先の区画は崩壊したのではなく、切り分けられるようにして消滅しています。いや、消滅ではなく、正真正銘切り分けられたと表現したほうが適切です』
「やっぱりそう簡単にはいかないか。すぐに壊しておしまいだと楽だったんだが…」
つまるところ、まだ敵は生きているということだ。
あれだけのことをしておいて、〈運命の輪〉を回しておいて、まだのうのうと生きている。
なくなっている区画は敵が活動を主としていた区画だ。研究結果は敵の手元にあるし、強力な戦力も敵の手にある。
「戦局は厳しいな」
『けれど、戦うのでしょう?』
「ああ、その通りだ」
声に厚みが増す。
車椅子から青年は二つの足で立ち上がる。
覚悟は決めた。
もう後ろは振り返らない。
〈運命の輪〉を巡る戦いを再び開始する。
「国際連合異界存在研究機システム管理用人工知能〈adma〉に通達!全システムを即時起動!この世界にあるだろうインターネットを探し、できるならハッキングを!隠蔽処理はしっかりな!」
『インターネットがあるのでしょうか?』
「あるさ。人間ってのは欲深いからな。一度甘い蜜をすえば、何度でも吸いたがる。蜜が吸えないならともかく、吸えるなら絶対に吸う。〈世界〉の奴が開発したハッキング用プログラムがあるだろ。それを使っておくと良い」
『わかりました。貴方はどうするのですか?』
「まずは遺体を埋葬する。その後にドローンを飛ばして、周囲や地形の調査。とにもかくにも、埋葬が終わったら俺も情報を集めることに専念する」
『了解しました』
ぷつりとアナウンスが切れた途端に、研究所が唸り声を上げる。二千二百年の遺物が再び息をし始めた。
『私は一体何をすればよろしいですか?』
〈ana〉が文字を映す。
「お前にはドローンに乗ってもらって、オリジナルを探してもらうことになる」
『すでに計画派に確保されていると思いますが』
「一応調べておく。正直俺一人だけで計画派に勝てるかどうかわからないから」
『もうすでに弱気になっておられるのですか?』
「すまん。情けないよな」
『いえ、そのようなことは思いませんよ。無理はしないでください』
「無理なんかしてないさ」
『じゃあ、見栄を張っている?』
「ご名答」
くくくっ、と卑屈に青年は笑う。
戦士の笑いとは程遠いが、青年にとってはぴったりな笑い方だと彼は心の中で自嘲した。
青年はひとまず遺体を運ぼうと〈世界〉と〈審判〉の二人を肩で担ぎ、外へとつながる通路を進む。
『遺体を運ぶのに自律行動ロボットを使えばよろしかったのに』
「それはできない、〈ana〉。彼らの重さは俺が背負わなければならない十字架の重さだ。背負う十字架は多いけど、実感できる重さは少ない。せめて友人たちの十字架は背負いたいんだ」
『そういうものなのですか?』
「そういうものなの」
『そうなのですか、記録して起きます。それとCMCシステムは既に起動しています。我が主――』
「すまない、もうその名前で呼ばないでくれ」
『では、なんとお呼びすればよろしいでしょうか?』
戦争のためにやらなければならないことは多い。だから、青年はちっぽけなことから始めることにした。
弱気な自分を置いていくために。失敗した過去の自分と決別するために。
自らを表す名前を捨てさり、今の彼を指し示す的確な名前を静かに宣誓する。
「―――シン。そう呼んでくれ」
words
・青年はコールドスリープから目を覚ました。
・青年が眠ったのは二千二百年のことだった。
・〈運命の輪〉が回った結果、位相融合という宇宙規模の災害が発生した。
・異界存在なる者がいて、青年や友人たちはそれを研究する〈国際連合異界存在研究機関〉に所属していた。
・宇宙関連の技術には介護関係の技術が用いられている。
・日本は異界存在によって滅ぼされた。
・研究所の管理のための人工知能は〈adma〉。
・青年は〈維持派〉なるグループに所属し、〈維持派〉は〈運命の輪〉が回ることを止められなかった。なお〈運命の輪〉を回したのは計画派。
・青年の左目は義眼。〈ana〉という人工知能が搭載。
・彼女達は一体誰のことを指すのか?
・青年の目覚めによって再び戦争は開始した。
・青年はシンと名乗った。