ファントムオブキル―浄罪の大罪人―   作:三水レイシャ

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ep.05 弱者の悲劇と強者の嘆願

13

「お願いします!一度だけで良いんです!おばあちゃんに会ってください!」

 とある一軒家の扉の前でエロースは柄にもない大きな声で訴え掛けていた。

 平時穏やかな彼女ではあるが、今この時だけはその在り方を捨てていた。

 訴える彼女の表情は複雑だ。激しく怒っているようにも、酷く悲しんでいるようにも、溢れそうな憎しみを堪えているようにも見える。おおよそエロースには似つかわしくない表情だ。けれども、幾つもの激情が入り混じる複雑な感情を抱くのも、エロースというキラープリンセスらしさと言えた。

 彼女が抱く激情。それは彼女の優しさからくる感情なのだから。

 だが、そんな当り前の優しさは時として排斥される異物となる。

 例えば、極寒の雪山で遭難してしまった時。

 例えば、食料が数少ないまま何処とも知れぬ無人島に漂着してしまった時。

 例えば、流行り病によって荒んでしまった村にいる時。

 異常の下において『当り前』の感情は容易に踏みつぶされる。

 殊更、当り前の日常の中で『当り前』の人間として生きている者によって。

 『当り前』の人間として生きる者は脆い。異常においては『当り前』をどうでも良いもののように手放す。

 当然だ。『当り前』の人間として生きる者はただ常識や法律といった外部の規則に沿って生きているだけでしかないのだから。

 彼らの裡には信念はない。

 彼らの裡には矜持がない。

 思考放棄の果て、『当り前』を甘受する彼らは機械のように第三者によって入力された指令に従って生きているだけに過ぎない。

 忘れるな。

 『当り前』とは決して軽い称号ではない。

 社会と向き合い、人と向き合い、自己と向き合い、悩み、苦しみ、決意してようやく手に入れることが出来る称号だ。

 安易なレッテルづけに流されるな。

 わかりやすい標識に惑わされるな。

 誰もが通る舗装された道路ではなく、未開拓の悪路を力強く踏みしめろ。

 『当り前』とは甘受するものではい。

 泥臭く足掻き、その果て獲得するものだ。

 『当り前』の理由を知り、意味をしり、これを行使する。

 そうして、ようやく人間は『当り前』の人間になることが出来るのだ。

 しかし、この現実に気づかない者もいる。

 特に神の威を借る教会が強い力を持つ天上世界では多いだろう。

 絶対的な免罪符()を前に人間の無垢なる邪悪は発露する。

 そう、今この時のように。

「うるさい!キル姫!さっさと村から出ていけ!」

 罵声と共に勢いよく家の扉が開かれる。

 出てきたのは中年の男だ。日々の農作業で鍛えられた筋肉のついた腕と少しくたびれた服、天上世界における平均的な成人男性と言えよう。頬はやせこけており憔悴している様子だった。晶化病の影響だ。教会が流した大悪魔というデマに心底怯えているに違いない。

 やつれた男はやや虚勢を張るような声色で怒鳴り散らす。

「毎日、毎日、毎日、毎日、毎日!家の前に来ては同じことばっかり言いやがって!いい加減にしてくれ!」

「だったらおばあちゃんに会ってください。そうすれば、私はもう二度と此処に来ません」

「だ、誰が会うか!大悪魔を呼び寄せた魔女なんかに会うわけないだろ!」

「なっ、魔女って…ふざけないでください!貴女はおばあちゃんの息子(・・・・・・・・・)でしょう!?」

 いつになくエロースは強い口調で言い放った。

 男は一瞬顔を強張らせたが、怒りで恐怖を無理矢理呑み込んで、半ばやけっぱちになりながらエロースに反駁する。

「親とか子供とか関係ねえ!あの女のせいで俺達がどれほどの迷惑を被っていると思っている!村の奴からは化け物の家族扱いされて、食べ物の配給は嫌がらせで減らされるはで、散々な目に遭っているんだ!あんな奴、居なくなった方が良かったんだ!」

 男の言葉に、とうとうエロースの中で何かがぷつんと切れた。

「貴方は…どれだけ…っ!」

 エロースが前に一歩踏み出した。

 男に掴みかかろうとしたその瞬間。

「そこまでにしておけ、エロース」

 エロースの肩を掴む者がいた。

「キルオーダーに抵触するぞ」

 シンだ。

 

14

(まったくらしいといえばらしいし、らしくないといえばらしくないな) 

 シンは内心で苦笑しながら、熱くなっているエロースを引き留めた。

 今回の件に対してエロースが何かしら動きを見せることは予想できたが、まさか絶対遵守のキルオーダーを破りかねない勢いで感情的に動くとは思わなかった。

 過去において、エロースという個体は軍人やキラープリンセスの心身問わずケアをしていた。彼女達の献身的な働きは高く評価され、彼女達には国連の表彰状が授与されている。こうしたエロースの働きのおかげで、異界存在を倒すだけの恐ろしい兵士というイメージをキラープリンセスから払拭させ、人々に受け入れられ安くなったという副次効果も生み出していた。

 こうした経緯もあって社会的には献身的なナースといった印象を持たれていたエロースではあるが、彼女を身近にする人間の意見はそれとは異なる。

 彼らは彼女たちをこう評する。

 恋愛問題の天才的な解決者だ、と。

 彼女達が最も得意としかつ好んでいたのは恋愛関係の相談である。エロースの由来を考えれば、当然と言えば当然だ。エロースはギリシアの恋愛の神。やはり彼女達の感情の一番の琴線は恋愛感情にある。エロースが怒る例の一つは浮気。男女関係なく、浮気した人物には激怒していたとシンは風の噂で耳にしていた。

 つまり何が言いたいかと言えば、エロースが激怒するのは恋愛関係についてであり、人間関係全般ではないということだ。

 だから、シンはエロースが具体的な行動を起こすとは思っていなかったわけだが。

 現実はエロースが殴りかかるほど怒り狂っているわけで……。

 さっきもシンが止めていなかったら、エロースは男を殴り飛ばしていただろう。

「落ち着け」

「シンさん…」

「流石にやりすぎだ」

「だけどっ!」

「エロース」

「~~~~~っ!」

 エロースはシンの手を振り払い、キッ、と彼を睨む。

 けれど、シンはエロースを意に介さず、男に目を向けた。

「カートライトさん」

「な、なんだよ」

「エロースの非礼を謝ります」

「そ、そうか…奏官だったらソイツのことしっかり管理しておけよなっ。お前がたるんでるから、こいつが調子に乗るんだ!」

「調子に乗る、か」

 シンは言葉に含みを持たせながら、

「それはお前もそうだろう」

「はぁ!?何を言ってやがる。俺はコイツに迷惑かけられて……」

「貴方は親を見捨てた。その事実は俺からすれば、調子に乗ってると言うのに十分なのだが」  

 実の所、シンはシンで男に苛立ちを覚えていた。エロースほどではないにしろ怒ってはいる。コルテ大規模討伐戦後に現れた宿敵アンナにすぐさま発砲したからわかるように、彼は激情型の人間だ。口ぶりほど理性的な人間ではない。

 ただ、事情が事情なだけにシンは彼に同情している。だから男を強く糾弾できないし、エロースの肩も持てない。

 シンにできるのは、二人の仲裁役になることくらいだ。

 対して男は、どうやら調子に乗ってる発言がよっぽど癪に障ったらしく、怒気を込めた目で唾を飛ばしながらがなり立て始めた。

「ふっざけんな!あの魔女さえいなければ、村が荒廃することもなかった、俺達が迫害されることもなかった!アイツさえ、居なければ!誰もが平和に生きていられたんだよ!」

 男の言葉は言いがかりにも等しい。けれども、一定の同情の余地がある。

 全ての元凶は権威を持っていることに無自覚な教会の決めつけ、ひいては人々が持つ当り前の弱さだ。男もまたそういったものの被害者であると言える。

 シンが男を糾弾できないのもこの一点だ。

 彼と彼の家族が被害にあっている事実を無視して、彼を糾弾するのは理不尽だ。

 シンは人間の弱さを理解している。彼はそれを否定できない。

 シンが人間の弱さを前にそれでも怒りを露わにする時は、彼が抱えたものを害された時である。 

 しかし。

 理屈はそうであっても、感情は別だ。若干の苛立ちを得ているのをシンは自覚している。

 だから、努めて平静を装いながら言った。

 

「頭を冷やして、自分のしたことをよく考えろ」

 

 

 事の中心にいるのは一人の人物だ。

 ネイシャ・カートライト。

 キエム村最初の晶化病発症者。

 さて、ここで一つの疑問が生まれる。

 歩行困難な状況に陥った、もっと言えば独力で生きることが出来ないような老婆が何故村の外れにすんでいるのか?

 指摘されれば、至極当然とも呼べる疑問。

 解答は人間の無自覚の悪意に塗れていた。

 ラグナロク教会と村人たちはこう決定したのだ。

『ネイシャが一番最初に発症した。ならば、その女が悪魔を呼び寄せた魔女である。晶化病を治めるために、村から魔女を追放しよう』

 つまり、迷信に溺れた人々は何の罪もない病人に存在しない罪を見出して見殺しにするつもりだった。

 彼らは共に支え合い、同じ時を過ごした隣人を保身のために手放したのだ。

 ああ、そうだとも。

 結局は過去も現在も変わらない。

 ありふれた、それこそ道の脇に生えている雑草のように。

 二千二百年以上続く人類史の中のよくある悲劇であった。

 

 

 シンは気まずさを得ていた。

 無理矢理連れ出したエロースが見たこともないほどに不機嫌だからだ。

「どう、して…?」

 噴火寸前の火山のような声が彼女の口から絞り出た。

「どうして止めたんですか……」

「止めなければ、お前は彼を殴っていただろう。キラープリンセスの暴力を見逃せるはずがない。もし、あそこで暴力を振るっていたら、お前は粛清対象だぞ」

「それでも……!」

「お前だけの問題じゃない。全てのキラープリンセスのイメージダウンに繋がる。キラープリンセスの社会的地位が更に下がることになる」

「だけど……!」

「それに、殴った所であの男の答えは変わらないと思うぞ。殴るのはお前が気持ちよくなりたいだけの自己満足だ」

「だから、何だって言うんですかぁ!」

 声を荒げたエロースが一歩シンへと詰め寄った。

「貴方は彼がやったことを許して良いものだと思っているんですか!家族を、自分を生んだ母親を見殺しにしたんですよ!守るならければいけない人を犠牲にして、自らの保身に走った!許せるとお思いですか!ええ、そうですとも、私は彼が憎い!自己満足で結構です!私は彼を許さない、絶対に!どうして見捨てられるんですか!どうして切り捨てられるんですか!彼だけじゃない、そもそも村の人はどうしてお祖母ちゃんを見捨てるんです!?こんなのあんまりじゃないですか!」

 エロースは涙していた。

 激昂。

 まさしくそう形容される叫びにシンは意外を得た。過去においてエロースが怒りを声を上げて露わにしたことがあっただろうか?少なくとも、シンはその事実を知らない。だがシンが知らなかっただけで、エロースはこの熱を持っていたに違いない。この熱、つまりは誰かのための激情を。異界存在との戦いの中で発揮される機会がなかっただけだ。

 エロースに悲しみを共有できる人と怒りを素直に露わにする余裕が出来たことを嬉しく思いながら、シンはエロースの怒りに対する解答を述べ始めた。

「キラープリンセスはさ、純粋すぎるんだよな」

「だから、どうしたって言うんですかぁ」

「だからなんだよ。お前たちには躊躇いがない、迷いがない。キラープリンセスはいつだって自分に正直だ。透明なガラスのようなんだよ、どこまでも。だから、迷いながら生きる、くすんだガラスのような人間とは共感できない場面が少なくない。そして、今がその場面だ」

 キラープリンセスは人間と違って強い(・・)。とはいえ、その強さは心の防壁の強度についてではない。同調圧力を物ともせず、どんな状況でだって自分自身を貫く。そんな強さだ。レーヴァテインだったらどんなに非難の目を向けられたってめんどくさそうにするし、オティヌスだったらどんなに悲痛な状況においても明るさを発揮する。個性を貫くのがキラープリンセスという少女たちの在り方である。

 たが、時に彼女達の強さは軋轢を生むことになる。強いが故に、彼女らは人間の迷いや葛藤に共感できない時があるのだ。

 キラープリンセスの強さはシンが言う所の過剰な純粋さ、より装飾なく言えば単純さだ。彼女達には彼女達(・・・)しかない。性格の可能性とも言うべきものが存在しないのだ。生まれながらにして完成形のキラープリンセスは生まれもった性格が変容する可能性が限りなく低い。精神的安定ではなく、固定的精神。それがキラープリンセスの強さの根底にある。

 生物学的には違う生物なのだから同調しろというのは理不尽だよなぁ、とシンは思う。だから、

「人間の弱さを理解して欲しいと言うのは人間(俺たち)の傲慢か?」

「いいえ、そんなことはないと思いますよぅ。理解をして欲しいと、分り合いたいと手を差し伸べてくれるならば、その手を取らないのはキラープリンセス(わたしたち)の怠惰です」

「だったら言葉を交わさないか。互いが理解し合えるように何度でも、何度でもだ。互いが互いの言い分を吐き出すだけなら、一生決着はつかないだろう」

 そうやって人間はいくつもの『違い』を乗り越え、そして前へと進んでいく。

 きっと言葉を交わし、理解しあう姿勢があれば『違い』ですらも『違い』でなくなるのだ。

 『違い』を認め合い、尊重し合うことができれば、

「『違い』を『個性』にすることは出来る、とかつて哲学者が言っていたな」

 簡単な問題ではない。事実、西暦二二〇〇年まで生きてきた人間が解決できていなかった。『違い』とは自分との異質さであり、その異質さを否定するのは生物としては当然のことなのかもしれない。

 けれど。

 人間とキラープリンセス(自分達)には言葉がある。互いのことを伝え合う媒体がある。

 であれば、出来るはずだ。『違い』を乗り越え、互いの『個性』の境界線上に立つことを。

 必要なのはほんの少しの優しさ。難しいことを考える必要はない。手を取り合う心さえあれば、きっと。

「私は間違っているんでしょうか?」

 ポツリ、とエロースは呟いた。

 ずぶ濡れの子犬の鳴き声を彷彿とさせるほどの弱々しさを持った響きだった。

 シンは浅く息を吸い、

「ああ、間違っている」

 エロースを否定した。だが、彼はこうも続けた。

 

「でも正しくもある。結局俺達は現実の中で、正しさと間違いの葛藤に苛まれながら生きてくしかないんだろうな」

 

15

 教会の調査で危険とされた湖に到着した。湖はキエム村の東端に位置し、その大きさは村二つ分程度の大きさはある。晶化病が流行する前は、豊かな漁場として村人たちに重宝されていたとラグナロク教会の調査記録に記されていた。

 エロースとは既に別行動を取っている。彼女は一度おばあちゃんの家に戻ると言って、去って行った。多分、真っ直ぐ帰ったわけではないだろう。大方目尻の赤みが消えるまで、一人で森を散策しているといった所か。彼女の白い肌に赤味は良く目立つ。ネイシャに心配を掛けたくないエロースはきっと泣いたことを隠したいと思っているはずだ。

 エロースがネイシャの家に戻る頃には、もう頭も冷えて普段通りの彼女だ。これ以上荒れるようであったらかつてのようにカウンセリングが必要だが、彼女ならば一人でも大丈夫だとシンは信頼している。彼女は他人の心情にはよく気が付くが、反面自分自身の感情に対しては無頓着な面があった。だから、第三者が指摘して挙げなければならない。シンが彼女を諭した以上、自分自身を見つめなおさないなんてことはない。時間を置けば、冷静さを取り戻しているだろう。

 そう物思いに耽りながら、シンは湖を眺めた。

 凪の時間だ。湖にはさざ波一つない。ただ穏やかな水面が広がっている。

 しかし、そんな牧歌的な風景を台無しにする青く光る異物があった。それも一つや、二つではない。数十のそれが湖面を漂っている。

「浮かんでいるのは結晶化したマナで死んだ魚だな」

『水鳥もちらほら浮かんでいますね。どうやら結晶化部分が少ない死骸が浮かんでいるようですよ』

「にしても、匂いが酷い。腐敗が進んでいて、もう原形を留めていないのもあるぞ」

 湖はさながら腐ったスープであった。動物の死骸がでろでろに腐り果てているためである。腐肉や腐液が湖に溶けだして、この世に顕現してならない魔境を作り出していた。

「なんか化粧が剥がれた女性みたいな…」

『化粧に失敗した女性の方が正しいでしょう』

「ああ、確かに」

 まぁ、それはそれとして。

『晶化病は沈黙の春ですか』

「もしくは水俣病やイタイイタイ病の同類だな」

 シンは顔をしかめる。

 生物濃縮という概念がある。化学物質は肉体から排出されにくいため、食物連鎖の過程で上位捕食者になればなるほど生物内の化学物質量が増えていくという現象。レイチェル・カーソンが『沈黙の春』で生物濃縮による環境被害を訴えたことで有名になった環境問題だ。

 晶化病の発症プロセスがその生物濃縮そのものなのだ。

 マナを体内に含んだ魚を鳥や人が何度も食べ、限界値まで溜め込んだマナが体内で結晶化し、死に至る。それが晶化病という流行り病の正体だ。

「木や作物がマナ結晶となっていたのはなんでだろうな?」

『木の方はともかくとして、作物に関しては湖の水を農業に利用したからでしょう』

「となると、晶化病の潜在期間は一月、二月のレベルじゃないぞ。年単位だ」

『天上世界特有の病として捉えるべきでしょうか?』

「だとしたら、政府やら教会やらで前例が共有されていないとおかしくないか。悪魔の仕業とするのにも、対応が杜撰すぎる。もっと事務処理的にネイシャさんを追放しているはずだ。今回は異常な熱狂の果てに行われている。調査に当たった教会が晶化病を知っていたようには思えない」

『だとしたら、やっぱり計画派でしょうか?』

「いや、流石に早計だろう。今回が初めてのケースなのかもしれないし」

『本当に、そうお思いで?』

「今回は決め手となるものがないからな。推測に推測を重ねて、砂の城を築き上げるような愚か者にはなりたくないんだよ」

 コルテの時見たくわかりやすい異常が存在すればシンも計画派の仕業だと断定できるのだが、如何せん晶化病に関しては曖昧な情報が多すぎる。特にシン達はマナの性質を何一つ把握できていないということが大きな壁となっている。ある特定地域にマナが集積するのは果たして自然なことなのか。それがわからないことには、シンも晶化病が人為的な病だと判断することはできなかった。

「誰か天上世界を広く見聞している人間から話を聞ければ、ある程度は――」

 その条件に当てはまる人間を思い浮かべて。

「あっ」

 一人いた。

 

「あん?一体何の話が聞きたいんだ」

 教会で出会った行商人の巨漢。

 街から街、村から村を練り歩く彼ならば色々詳しいだろう、とあたりを着けたからだった。

「マナについて聞きたいんです。この村で起きているように、マナが一つの場所に異常集積するのかということについて貴方の意見が聞きたくて」

「まぁ、構わないが、一つ条件がある」

「何ですか?」

「情報を売ってやるから、代わりにお前はトウモロコシを買ってくれ」

「どれくらいですか?」

「ここで捌くつもりだった分だ」

「うわぁ」

 人の足元を見たあくどい商売だ。

 シンは渋い顔をして舌打ちをしたが、巨漢に譲歩する気はないらしい。二ヤ二ヤと笑って、試すように、あるいは馬鹿にしたようにシンを――身長の関係で――上から見下ろしている。

「それが出来ないなら、情報は売ってやらんぞ。出来るか?」

「手持ちには余裕があるので大丈夫ですよ」

「それじゃあ、交渉成立だ。いやぁ~、助かったぜ。今手持ちが厳しくてな」

 巨漢はホクホク顔でそういうと、布の屋根と壁が付いた高そうな荷車に入っていった。

「ウィツとセン、此処で捌くつもりだった分の商品を運んでくれ」

「は、はいっ、わかり、ましたっ」

「んー、りょーかーい」

 荷車から商品が入った袋を持った二人の少女が現れた。一人は落ち着きがなく何かに怯えるように目をあちこちに巡らせ、もう一人は感情の読めない表情でぼーっと突っ立っている。両者に共通しているのは褐色肌を持っていることくらいだ。

「どこにはこべばいいのー」

「村外れの一軒家までお願い」

「りょーかーい。ところでー、ますたーははこばないのー」

「俺はそこの見習い奏官と話があるんだよ」

「むー、それはふこーへー。ますたーもはこぶべきー。ちからしごとはおとこのしごとー」

「駄目、だよっ、ウィツちゃ、ん。マスターだっ、て、忙し、いん、だか、ら」

「頼むぜ、セン。ウィツが仕事をさぼらねえように見張っててくれ」

「は、はいっ。誠心誠意頑張らせていただきましゅっ!」

 センと呼ばれた少女は噛んでしまったのが恥ずかしかったのだろう。顔を真っ赤にして走り去ってしまった。方向はネイシャの家がある方へ走っているので、引き留める必要はなさそうだった。

 巨漢は気まずそうに頭を掻いてから、

「…………じゃあ、ウィツ、行ってこい」

「ぐー」

「寝るな、アホ!」

「いたーい」

 むー、と不満そうにウィツが頬を膨らませたが、結局渋々と言った様子で出発して行った。ふらふらとするウィツ。シンはちゃんと届けているか不安になったが、途中で冷静になったセンが戻って来てウィツの手を引いたため胸を撫でおろした。

「中々個性的な二人ですね」

「まぁ、な。頼りになる奴らではあるんだが、何処か抜けてんだ」

 巨漢が諦めたように笑っている辺り、手を焼いていることが伺える。けれども、決して嫌っているわけではなく、世話のかかる子供を持つ父親のような愛情を二人に向けているようであった。

 さて、個性的な二人が出てきたことで話が逸れたが、本題はマナについての意見を貰うことだ。

「それで、教えてくれるんですよね。大枚叩いたんですから、さっさと教えてください」

「わかった、わかった。最初に断っておくが、俺は学者先生じゃない。だから、俺の言ってることは確かなものじゃないぞ、それでも良いのか?」

「構いませんとも。エロースには答えられないだろう答えを俺は貴方に求める」

「そうかい?じゃあ、俺も真摯に答えるしかないな。お前は上客だしよ」

 巨漢が似合わないウィンクする。

 そうさえたのはお前だろう、と思ったがシンは彼に何を言っても無駄な気がした。ほんの少しの間の付き合いだったが、この男の図太さが常人のそれではないことくらいはシンにも分かる。

「まず初めにマナってのは基本見えねえ。触れることもできねーし、食べることもできないし、マナが物質に干渉することもない。でもこの世界のそこら中に確かに存在している不思議な物質だ」

 イメージとしては水に溶けた塩に近い。天上世界が水で、塩がマナだ。世界中のマナ濃度は均等で、一定の場所に集中的に集まるようなことはない。

「マナが一部に収束するのは、使徒やキラープリンセスがマナを集めるときくらいだ。それ以外にマナが収束することなどはまず有り得ないな」

「一つの場所に異常に集まるという話は聞いたことありませんか?」

「天上世界のあちこちを巡っているが、そんな話は一度も聞いたことがねえな」

「昔話や伝承でも良いんです。それっぽい話はありませんか?」

「うーん、まったくないな」

 巨漢はうんうん唸って考えこんでくれてたが、やはり思いつかないようだった。

 ただ、と男は付け加えた。

「俺たちはな、湖から流れている川を沿って下流からやってきたんだ。けどな、晶化病なんて珍妙な病気は流行っていなかったぞ」

 それはつまり。

「湖でマナがせき止められている?」

「ああ、おそらくな」

「でも別に不思議なことじゃないか。マナが流れがない湖で沈殿したということも考えられるのだし」

「いや、ちょっと待て。それはおかしいぞ」

 巨漢の静止に、シンは首を傾げる。

「よく考えてみろ。そもそも何故マナが物質として振る舞っている?」

「それは前例のない異常が湖で発生しているからでしょう」

「ああ、その通りだ。だがな、マナはどこまで言ってもマナなんだ」

「どういうことですか?」

「例え物質になったとしても、マナは水中に均等に溶け込んでなくちゃおかしいんだよ。下流にも物質化したマナが流れだして、晶化病はもっと広い地域で流行ってなくちゃ不自然なんだ」

 彼が言っていることは小学生でも知っているような常識だった。

 液体に溶けた物質の濃度は均一。シンは科学者が見落としてはならない基礎中の基礎を見落としていたのだ。

(何を焦ってるんだか)

 内心そう自嘲したのを隠しつつ、シンは巨漢の言葉を聞いた。

 

「今回の晶化病はどーにもきなクセー。人為的な意図を感じるぞ」

 




words
・ネイシャは最初の晶化病発症者として、村から追放されていた。
・エロースはネイシャの息子にネイシャに会うよう頼み込みが断られ、激怒。シンの介入によって事なきを得る。
・シンはマナの情報を得るために、巨漢から大量のトウモロコシを買い取った。人数が多いのでどうにかなると楽観しているが、果たして……
・晶化病は人為的に引き起こされている可能性が高まった。
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