16
「……あのさ」
レーヴァテインは苛立ちを隠さずに溜息を吐いた。
現時刻はレーヴァテインの見立てではおそらく日付が変わるころだ。日はとうの昔に落ちて、夜闇が世界を支配する。ただでさえ不気味なのに、住民の大半が死にゴーストタウンと化したキエム村の荒んだ様子がさらに不気味さを盛り上げていた。
明りといえば、契約者の男が持つ小さな懐中電灯と無数の頼りない星明りだけ。足元がややおぼつかない。レーヴァテインは男の後ろにくっついて歩いていくしかないのだった。
眠っていたレーヴァテインはこの男に連れ出された。一日中陣取っていた木の上で寝入っていたところを無理矢理起こされてだ。そんなの誰だって不機嫌になる。むしろ不機嫌にならない方がおかしいだろう。私は間違っていない。
拒否をすることもできた。面倒だから、眠いから、と断ることもできたのだ。けれど、そうしなかったのはこれからの反計画派活動に関係があると言われたから。命に関わることとなっては、無視をすることもできなかった。
だが。
「……どーしてこんな時間に行動しないくちゃならないわけ」
そうなのだ。用事があるなら、日が昇っている内に声を掛けてくれれば良い話なのだ。だというのに、何故わざわざ深夜に声を掛けたのか。昼ならば、まだ多少は――一ミリくらいは――不快ではなかっただろう。
「やることがやることだからな。一目は避けたい」
「……何するつもり?」
「墓荒らしだ」
「……………………は?」
「そんな怒りを滲みだされても…」
「……いや…ほんと…何するつもりなの……」
「別におかしなことじゃない。ただの死体検分だ」
「……そういう問題じゃないでしょ」
はぁ、これだから科学者は。
レーヴァテインはそう口にする代わりに、大きなため息を吐いた。男が繕うように「いや俺だって不味いことくらいはわかってるぞ」と反駁する。だったら止めなさいよ、とレーヴァテインは言いたい。
流石はというべきか。変人だらけの国際連合異界存在研究機関メンバーでもM細胞の移植を実行する指折りの異常者。自分自身で不味いと思いながら、それでも必要だから躊躇いなく実行するという精神からして常人の感覚から外れている。
「……ほんと変な奴」
「ん?何か言ったか?」
「……なんでもない」
言った所で無駄でしょうね、とレーヴァテインは男に対して諦めを得ていた。何を言った所で、この男は立ち止まらない。目標のためにひたすら馬鹿の一つ覚えのように直進し続ける。この男はそんな愚か者の一人だ。
どうしようもない人間だとレーヴァテインは呆れかえる。走って、走って、走り切って、その果てにあるのが破滅だったらどうするのだろうか。恐れを知らない男の様に彼女は憐みすら覚えていた。この男は道の先に崖があると知っていても走り続ける。破滅を確信していても止まらない、止まれない。目的のためなら命すら投げ捨てる。そんな危うさが見え隠れしていた。
レーヴァテインは男が命を顧みず馬鹿なことをするような力づくで止めようと思っている。ただ決して情がワイたからではない。
ただ。
(……なんとなく頭の奥がチリチリしてるのよね)
あの時、つまり計画派のアンナと対峙した時、レーヴァテインは過去の記憶を取り戻した。けれども、彼女は全ての記憶を取り戻したわけではない。
『どうか、幸せに。レーヴァちゃん』
この声の主をレーヴァテインは未だ思い出せずにいる。
そして、蛮勇の男を見ていると未覚醒の記憶領域が疼くのだ。おそらく声の主もまた、この男と同じく勇敢と蛮勇を履き違えたような人物なのだろう。霧がかった記憶なので確かなことは言えない。だが、記憶が刺激されているということはこの推測は正しいのだ。
(……ま…別にどうでも良いことだけど〉
レーヴァテインは頭の微痛と共に振ってわいた疑問を振り払った。過去に執着なんてない。思い出せないなら、思い出せないままで良い、とレーヴァテインは思う。
「……ねぇ」
と気分の切り替えとしてレーヴァテインは言葉を作った。
「……夕食がトウモロコシばっかなのはなんでだったの?」
「どうした、急に?」
「……別に良いでしょ……ただの暇つぶし……こっちは夜中に起こされて不機嫌なの……貴方と話していても全然楽しくないけど…話さないよりはマシ…」
「あ、おう。自覚はしてるが、指摘されると辛いな」
何やら男が狼狽えているようだが、レーヴァテインにとってはどうでも良いことだ。つまりは、いつも通りに無視案件。だって気にかけてもどうしようもないし。
レーヴァテインは見つけた小石を蹴り上げて男の背中に当てて、
「……で…どうしてなの?正直…結構びっくりしてたんだけど」
「そうなのか?全然そうは見えなかったぞ」
「……顔には出さないようにしてるのよ」
「感情は表情に出した方が魅力的なのに」
蹴った。
「ぎゃぁぁぁっ!」
「……うるさい…近所迷惑」
「レーヴァテインが原因だろ!―――あっ、待って、ちょっとヤバいかも」
「……大丈夫よ……ちゃんと手加減はしたから…背骨は折れてないでしょ」
「折れてなくてもダメージは十分大きいんだよ………!」
地面でのたうち回っている男がなんか喚いている。ギャーギャー、うるさい。
はぁ、と一つため息を吐く。
「なんで蔑んだ目を向けられないといけないんだ……」
「いや、普通だし」
「……マジトーン………………!」
そこらの加減はわかってるのね、と男の理解度を確認しつつ、
「……帰って良い?」
短く問うた。
「ごめん」
「……美味しい料理を要求する」
「了解。善処します」
「……善処?」
「確実に提供させていただきます」
ならば、良い。
逆方向に向けた足先を戻して、男が二重の意味で立ち上がるのを待つ。
「―――――――――まだ?」
「いつになく容赦ないな」
「……自業自得」
「流石に過剰じゃないか」
認めたら負けじゃないかしら。
そう思うので、何も考えないことにする。
ややあって、男が立ち上がった。
そして。
「トウモロコシしか取り扱っていない行商人から買い取った」
「……答えるのね」
「お前が聞いたんだろう……!」
「……話の流れ的に不自然でしょ」
「まぁ、確かにな」
「……でも…明らかに過剰な量だったわよ」
「あの行商人にマナのことを聞こうと思ったら、交換条件として村で捌くつもりだった量を買わされた」
「……人の足元見てるわね」
「ああ、全くだ」
男はそう忌々し気に吐き棄てる。よっぽど頭に来ているらしい。
しかし、男は「ただ」と付け加えると感動を込めてこう言った。
「でも、美味しかったよなぁ」
これにはレーヴァテインも同意だ。
あのトウモロコシは甘味が強く、粒一つ一つがまるで採りたてのように瑞々しかった。行商で何日も経っているとは考えられないほどに。冷凍保存技術が確立していていない天上世界でどうやってあれほどの鮮度を保ったのだろうか。そう疑問を持たざるを得ないほど、新鮮なトウモロコシだったのだ。
「……位相融合前でもあんな美味しいトウモロコシ食べたことない」
「味に関しては位相融合前からの引継ぎだからわかるが、鮮度の保ち方が不明だ。冷凍保存でも採れたての鮮度は保てないぞ」
「……天上世界独特の保存方法かしらね」
「つまりマナを使っている、ということか?」
「……それはない」
「どうしてだ?」
「……私が野良時代、行商人の護衛をしていたのは言ったわよね」
「ああ、コルテで言ってたな」
「……彼らがマナを使ってるなんて話聞いたことがない」
より詳しく言えば、鮮度が良すぎる商品が流通しているという話を聞いたことがない、だ。
もし今日のトウモロコシのように異様な鮮度を保った商品があれば、必ず噂になるはずだ。なにせ、ここは科学技術が確立していない、過去の歴史上では産業革命前の科学技術しかない天上世界だ。食物の保存方法などたかが知れている。行商で売られている野菜など、過去においては屑野菜として捨てられてしまうようなものばかり。そんな中、過去においても類を見ない鮮度を持つ野菜が売られていたら、話題にならないほうが奇妙というものだ。
どんな保存方法なのか、一体誰が使っているのか、そんな話が行商人たちの間で広がっているだろう。マナを使っているとなれば、猶更人の興味を引く。なにせ、マナを扱えるのはキラープリンセスと異族だけ。人が扱えたならば、革新的な技術進歩だ。噂どころかラグナロク教会が出張って、権力を振りかざした調査に出ているに違いない。
「……どんな方法であれ…あれほどの鮮度を保つ技術を私は聞いたことがない」
「なるほどな」
「……まぁ…最近生み出されたばっかの可能性もあるけど」
オティヌスの方が詳しいでしょうね、と付け加え、レーヴァテインはそっと男に近づき、すれ違いざまに懐中電灯をすり取った。
深い理由は特にない。ただ男の後ろを歩くのが、鬱陶しくなっただけである。
「………レーヴァテイン」
「……何?別に私が持ってても良いでしょ」
「いや、そうじゃなくて」
「……何よ?」
「急に近づかないでくれ、心臓に悪い」
「はぁ?」
わけのわからないことを言う男だ。
力が及ばない身でありながら、キラープリンセスと共に前線で戦っているくせに、何の敵意もないゆっくりとした動作にどうして驚くのだろうか。
レーヴァテインはそう疑問に思ったが、この男が妙な反応をするのは今に始まったことではないので、直ぐにその疑問を捨て去った。
レーヴァテインが先を行く。男は静かに彼女の後ろに着いて来た。特に懐中電灯を取り戻すつもりはないらしい。さっさと帰って寝たいレーヴァテインとしては、不毛なやりとりをしなく済むので、ありがたいことだった。
「……で…莫大な量のトウモロコシと交換で…何か有用な情報は得られたの?」
「ああ、一応な。晶化病が人為的に引き起こされている可能性が最有力となった」
「……そう…計画派?」
「それが
「……どういうことよ?」
奇妙な物言いだった。
それではまるで、計画派以外の組織が暗躍しているかのような……?
「とりあえず墓地に来てくれ。話はそれからだ」
こんな夜中に一体何をしているんだろう、とレーヴァテインは心底そう思った。
目の前にはひたすら穴を掘る男。レーヴァテインは死んだ魚のような目で彼の作業を眺めながら、彼を懐中電灯で照らしていた。いや、ほんとに何しているんだろうか。必要といえど、どうして墓荒らしの共犯者にならなきゃいけないのだろう。
「…………はぁ」
もう数えるのも嫌になるくらい吐いた溜息。レーヴァテイン自身「……くどいわね」と思っているが、自然と出てしまうのだからしょうがない。
そして、そんな溜息が止まらない現状に対しても彼女は溜息を吐いてしまった。
もうどうしようもない、とレーヴァテインは諦める。
「溜息を吐くと、幸せが逃げると言うが」
「……幸せなんて無い」
「随分と悲観的だ」
「……別に…現実を言ってるだけよ」
「現実はお前が言うように、冷たいだけのものじゃない」
「……そうかしら?」
「願いが叶ったら、世界がバラ色に見えないか?お前には、何か願いはないのか?」
「……さっさと寝させて」
「…………承った」
男の動きが二倍速になった。一応こんな時間に起こしたことを悪いとは思っているらしい。伝わってくるM波の感覚的に男のそこかしこのM細胞筋肉質が活発になっている。是非とも頑張って欲しい。
(……M細胞と言えば)
ふとレーヴァテインは疑問に思った。
この男はM細胞を何処まで操作出来ているのだろうか?
「ねぇ、一つ聞きたいんだけど」
「どうした?」
「貴方が移植したM細胞。何処まで貴方の制御下にあるの?」
「そうだな」
穴を掘り終わった男が中から女の死体を取り出した。
埋葬用シャベルに体を預けながら、
「およそ八十パーセントと言った所だ」
「結構制御下に置いているのね」
「意外か?俺は活性状態にあるM細胞を右腕を両足、胴体の筋肉部に、欠損した左腕をM細胞製の筋肉に置き換えた。神経系との接続も抜かりない。戦闘用に調整しているからな、自前の体として扱えないと。まぁ、ちょっとばかり暴走する時もあるけどな」
「……そ…」
レーヴァテインは薄く反応を返す。話を聞きたがったのは彼女だが、もう話を掘り下げる気はなかったので、会話を切り上げる。
墓から取り出された女の死体に視線を移して言う。
「……で…この死体がどうしたの?」
「胸部に明りを当ててみろ」
言われた通りに、懐中電灯の光を当てる。
女の胸部はそれなりに青い結晶に侵されていた。四肢からマナ結晶化していく晶化病の症状通りに、腕の根元付近からマナ結晶化が酷くなっている。乳房の上部あたりは未だ結晶化されておらず、色の悪い腐肉が露わになっている。
しかし、レーヴァテインが凝視するのはとある一点だ。
胸の中心からやや左、つまり心臓があるはずの部分を。
彼女は沸き立つ腐臭に眉を顰めて、疑問を投げ掛ける。
「心臓が……ない?」
レーヴァテインの視線の先。女の胸部は、ぽっかり、と球形に抉り出された跡がある。
しゃがみ込んで、えぐり取られた跡をよく観察する。滑らかな切断面から判断するに、刃渡り十センチほどのナイフで心臓付近の体組織を丸ごと抉り取られたようだ。
「なんでこんなことになってるの?」
「わからない。だが、この墓地にある遺体のほとんどが、心臓を抉り取られている」
「私に見せたかったのが、これ?」
「ああ、そうだ」
そうして男は次々と遺体を掘り出した。およそ三十人。腐敗の進み具合、マナ結晶の侵食度、何れも違いはあれど、皆一様に心臓が抉り出されている。
「どれも同じ切口ね」
つまりは、同一犯ということだ。それが個人か、組織かはわからないが。少なくとも死体の心臓を盗み取る猟奇的趣味の持ち主がいるのは確かなことらしい。
異様な流れになってきた。元々反教会ということで不穏な空気ではあったが、毛色が違う。例えるならば、独裁政府に抗うレジスタンス映画かと思いきや突然スプラッタ映画に切り替わったといった所だ。
男は懐から紙束を取り出して、それを見ながら語り始める。
「キエム村支部教会の祀官が残した資料から判断するに、心臓が抉られた死体はどれも一週間前までに埋葬された死体だ。年齢、性別、身長、体重、いずれも共通点はなし。埋葬された日付だけだ。あとは俺が見る限り共通点はない」
「一週間前から今日までに埋葬された死体については?」
「数自体は少ないが、それらは手つかずだ。晶化病で心臓までマナ結晶化している死体も、そうでない死体も含めてな」
「となると、一週間前に訪れた何者かが死体の心臓を抜き出したって考えたほうが良さそうね」
だけど、
「それがどうしたって言うの?」
シンから提示された情報を前にして、レーヴァテインはこう思う。
(わざわざ気にする必要なんてないじゃない)
死体の心臓が根こそぎ抉り取られているのは不気味だ。それは認めよう。だけど、ただ不気味なだけだ。天上世界で起きた猟奇的事件の一つでしかない。それが反
疑問に思っていることが顔に出ていたのか、男がレーヴァテインにこう言った。
「忘れたか?コルテ大規模討伐戦の忘れ物、アンナの否定を」
アンナ。アンナ・エフェンベルグ。ラグナロク教会の中枢、教皇庁にいる枢機卿の内の一人。そして、計画派メンバー。
シンに言われてレーヴァテインは追憶する。
全てが終わったあの時、あの女とあった消化不良の一幕を。
●
天上世界に七つある巨大な街の一つ、コルテ。
それは異族の大襲来という未曾有の危機を乗り切った後、核兵器によって木端微塵に吹き飛んだ。
首謀者はラグナロク教会枢機卿、あるいは計画派の一人アンナ・エフェンベルグ。
対するは銀の戦姫と黒腕の愚者。
愚者は言った、宣言した。
この天上世界を人とキラープリンセスが平和に暮らせる世界に作り替える、と。
「ふふ」
アンナは笑う。蠱惑的に、男は破滅させる魔性の笑みを浮かべて嗤う。
シンは余裕を見せる魔女に苛立ちを覚えながら、一つ問うべきことを問うた。
「何故祀官を殺した?」
それはトナティウ逃亡と同時に起きた一つの殺人。シンには未だこの事件の真相が見えていなかった。
トナティウ自身に理由はない。であれば、偏見があるように見えるかもしれないが、第一容疑者は自然とアンナに決定される。コルテ爆発などというな蛮行に手を染める人物だ。まだ何か隠しているだろう、とそう思っていた。
思っていたのだが。
「はい?」
アンナが首を傾げていた。それも忌々しい魔性の笑みが消え、本当に訳がわからないと言った風情でだ。
「何の話ですか?」
これには疑問を投げかけたシンも心底驚いた。
「違うのか?」
「まさか。というよりいつ死んだんです?異族が襲来するまでは生きてましたよね?」
疑問を作るアンナに嘘の色はない。本当に、心の底から訳が分からないと言った様子で聞いてくる。
「トナティウが逃亡すると同時に、何者かによって祀官が殺されていたんだ」
「……ほう、それはなんとも珍妙な。というより、トナティウ犯人で決定でしょう」
「トナティウ側の理由がないだろう。何故殺す?」
「逃亡を止められたから?」
「キラープリンセスが居れば、戦闘にすらならない。八つ当たりのような殺人なんてする必要などない」
反逆者の意見を聞いて、アンナはしばらくの間思案する。そして、何かを思いついたように、ポツリと彼女は呟いた。
「であれば、彼が未確定の〈魔術師〉ですか。なるほど、思わぬ僥倖ですね」
アンナが再び魔性の笑みを浮かべる。獲物を見つけた肉食獣のように、子供を見つけた悪い魔女のように、彼女は体の芯から怖気が走るような微笑みを顔に貼り付ける。
「〈魔術師〉……?」
聞き慣れない言葉に、今度はシンが首を傾げる番だった。
「そのアルカナに対応する研究員は誰もいないはずだ!〈女帝〉!〈魔術師〉とは誰のことだ!」
シンは叫び、問うた。だが、アンナは何も答えない。ただ見下すように微笑むだけだ。
彼女は彼の全てを無視して、蕩けるような声でこう言った。
「さようなら、最愛にして、最大ではない私の宿敵。私のために生きあがいてくださいね」
●
追憶終了。
あの忌々しい女の顔を思い出して、込み上げてくる苦い物をレーヴァテインは飲み込んだ。その上で、思い出すべき重要点を記憶から抽出する。
「〈魔術師〉……」
この男の〈愚者〉、アンナの〈女帝〉のように大アルカナで示された何者か。
あの時の男の狼狽ぶりを見るに、
「過去において、〈魔術師〉は使われていなかったのね」
「ああ、その通りだ。全ての大アルカナが使用されるには、大アルカナで渾名を吐ける対象の数も少なかったからな」
つまり〈魔術師〉とは天上世界に来てから、位相融合後に使用された大アルカナということだ。
それが示すことはいくつかある。
だが、アンナが〈魔術師〉と断じた状況から判断するに、〈魔術師〉とは計画派にとっては不都合な存在であることは安易に想像できる。
「〈魔術師〉が差す組織もしくは個人は、私達とは別口の反教会派ということ?」
「可能性としてはあり得る」
シンは躊躇いなく断言した。だが、レーヴァテインはこう思う。
「それと心臓抜き取り事件が何の関係があるの?」
反教会派組織があるかもしれない。
とある村で死体から心臓が抜き取られている。
この二つの事実に関連性が微塵も感じられない。
もしかして、と思うが、有り得ないだろうと切り捨てる。流石にこれをするのは馬鹿すぎる。ただ男がこう言うということは、いや、まさか、ねぇ……
しかし、男は言った、言いやがった。
「心臓の抜き取りは、もしかしたら反教会派の人間によるものかもしれない」
この時のレーヴァテインの心境は想像に難くない。
最早呆れすら通りこしていた。この短い間だけで躊躇いなく出来た溜息すらでやしない。
真っ白。初期化されたコンピューターのように思考が真っ白になっていた。
いやはや、まさかここまで馬鹿とは。どうやらこの男の馬鹿さを理解してきれていなかったらしい。こんな非論理的な推測をする人間だったとは知らなかった。というより、今まではちゃんと論理だてていたのに、どうして今回だけこんなことをやらかすのだろうか。
ややあって、ようやくレーヴァテインは絞り出した。
「……はぁ」
「なんで溜息を吐く…」
「いや、吐くわよ。流石に飛躍のしすぎ。なんで死体の心臓と反教会組織が繋がるの?」
「だよなぁ……」
ちょっと。
「間違ってると思ってるのに言ったの?」
「いや、可能性はある。少なくとも、零ではない」
「言って見なさいよ」
レーヴァテインが許可を出すと、男は、ああ、と首肯して、
「俺が根拠とするのは、死体の心臓を抉りだすことの異常性だ。少なくとも、これは尋常の行動ではない」
「まぁ、そうね。墓荒らしをするのも尋常じゃないけど」
「それには触れないでくれ。というより、どうして俺を攻撃する」
「妄言のために深夜に連れまわされたのか、と一層苛ついているのよ」
「平常運転だな。まぁ、安心するが」
「良いからさっさと先を言いなさい」
レーヴァテインは先を促す。
「さて、死体の心臓収集が尋常ではないことは先にも言った通りだ。過去も現在も、前線に立っていたレーヴァテインなら分かると思うが、死体というのは見るだけでも相当の心的ストレスになる。一度埋葬された腐りかけの死体なんて猶更触れたくないだろう。だというのに、心臓を抉った人物は約三十回同じ動作を繰り返している。明らかにまともな人間ができることじゃない。もし可能な人間がいるならば、それは三種類の人間だ。一つ、猟奇的趣味の持ち主。二つ、医療関係者。三つ、心臓を抜き取ることを苦にしないほどの目的を持つ人物だ」
「二つを外した理由を聞いていいかしら?」
「猟奇的の持ち主を外したのは簡単だ。そんな思考の持ち主が居れば、教会が把握しているだろう。指名手配とかしてるだろうな。聖宣書にも死者を辱めるのは禁ずると書いている。もしいたら、教会が許しておかないだろう。そして、キエム村の医療関係者は二週間前に晶化病で死亡していると教会の記録に残っている。一週間前までに埋葬された死体の心臓の回収は不可能だ。そもそも医療関係者が心臓を抜き出す理由もないだろうと俺は思うぞ」
まぁ、その通りね、とレーヴァテインは男の意見に概ね同意する。
なるほど確かに、それなりに筋が通っている。男が、三種類目の人物――それに反教会派が該当するかは判然としないが――に絞る道理も理解できた。
ただレーヴァテインの意見としては猟奇的趣味の持ち主ばかりは完全に否定しきれない。
「猟奇的趣味の可能性を否定するのは早計よ。まだ見つかってない可能性がある。これが初犯だとも言えるんだから、簡単に切り捨てないほうが良い」
それに。
「計画派の仕業ってことは考えられないの?晶化病は計画派が引き起こしている可能性が高いんでしょ。真っ先にそれを疑うべきだと思うけど」
「いいや、それはない」
「なんでよ?」
「教会だったら心臓じゃなくて、体ごと持っていけば良い話だからだ。奇病を治すために特例として死体を調査するとか言って、権力を行使すれば死体を掘り返して心臓を抉りだすなんて手間をする必要はない。それに晶化病の性質上、計画派が欲しいのはマナに関するデータだろう。マナに侵されていない心臓を持ち出す理由が不明だ」
確かに男の言う通りだ。こそこそ隠れて死体の心臓を抉るなんてやり方を教会が執る理由がない。晶化病の静謐を考えると心臓よりも体を調べた方が、計画派にとっては意味のある調査になるだろう。
であれば、話を大筋に戻すべきだ。つまりは、心臓を抜き出したのは一体誰なのか?その議論へとである。
「結論だけ言うわ」
レーヴァテインは最初に宣言する。
「心臓を抜き取った犯人が反教会組織である可能性は限りなく低い」
レーヴァテインの否定に男はただ確認をするように頷くだけだった。
「根拠薄弱すぎる。そもそも何故反教会組織が心臓を欲しがるの?どうしたって理由がない。キラープリセスを味方につけていたら結晶化したマナを有効活用できるでしょうけど、抜き取られた心臓はマナ結晶化していないものばかりなんでしょ。腐りかけの心臓を一体どうするというのよ。反教会組織に属する人間たちは、貴方の言う三種類目の人間、つまり強い目的を持つ人間に該当するのでしょうけど、いくら目的がある彼らでも理由がなければ動かないわよね。だったら反教会組織による犯行である線は限りなくゼロよ」
レーヴァテインが最も推すのは、やはり猟奇的趣味の持ち主だ。最近頭角を現し、未だに教会に見つかっていないと考えれば納得がいく。理由のない反教会組織よりは遥かに可能性が高いとレーヴァテインは踏んでいる。
ただ彼女はこうも思っていた。
(反教会組織はきっと存在するんでしょうね)
教会のやり方を良くなく思う人間も少なくない。反逆を目論むレジスタンスが居てもおかしくない、というよりいない方がおかしい。世界の舵取りに百パーセントの同意を得られることは決してないのだから。反対勢力がいない方が不自然というものだ。
そして、レーヴァテインはトナティウが反教会組織の一員であることをほぼ確信している。何を目的にコルテに来たのかはわからない。けれど、彼は祀官は殺した。その動機には怒りや恨みといったドス黒い感情が流れているようにレーヴァテインには思える。
「反教会組織の存在は私も否定しない。それでも、心臓の抜き取りについては彼らは関わっていないと思う。少なくとも私は納得ができないし、話を聞いた誰もがそう言うでしょうね。貴方の論理は乱暴すぎる。強引すぎるのよ」
「そうか。もしかしたらと思ったのだがな」
もしかしたらじゃないわよ、まったく。
「……もう帰って良い?眠たいんだけど」
「ああ、構わない。付き合ってくれてありがとう。だけど―――」
「……だけど…何?」
「これだけは覚えていて欲しい。俺達以外にも教会に抗う者たちがこの世界には居て、そして俺達は彼らの思いを踏みにじってでも計画派を止めなければならないということを」
words
・キエム村の死体は心臓が抉り出されていた。彼らはシン一行が村に来てから、一週間前までに埋葬された死体である。
・シンは反教会組織の犯行を疑うが、レーヴァテインが唱えた猟奇的趣味の持ち主による犯行であると二人の結論は落ち着いた。
・しかし反教会組織の存在もまた、肯定される。
・コルテ戦後で遭遇したアンナ・エフェンベルグとの語らいで、〈魔術師〉という新しい大アルカナで指す存在がいることが発覚。〈魔術師〉は反教会組織である。