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2174年に行われた、今となっては、失敗技術と呼ばれる技術を実証するための実験が空けた希望の無いパンドラの箱。
運命の2200年より前に発生した人類初の位相融合は別位相に繁栄する怪物たちを私達の位相に呼び込んだ。
それらが異界存在。全く異なる地球で育まれた別系統の生態系で生きる異形の生命体たち。
そいつらは人類文明は徹底的に破壊し、生息圏へと変貌させた。
人類は勿論抵抗したけれど、それでも抗し切れなくて。
私達の
結局そんな世界で生まれ落ちた私の根底にあったのは、恐怖だったのだろう。
私は異界存在が恐ろしくて、怖くて、死んでしまいたいくらいで。
暗い、暗い部屋の隅で蹲って、ずっと、ずっと怯えていた。
まるで小さな子供のように。
だから、勉強した。
だから、異界存在を追い出す方法を求めた。
あの
世界諸国は着実に迫りくる終末へ向けて、対策を必死になってしていたけど、これといった決定打は生まれなかった。
位相閉鎖核作戦、自律型ロボット兵器群の開発、
枚挙にいともがないその試みたちはどれも人類の希望にはなれず、人類の滅亡を遅らせるだけにとどまった。
別に、人間の反抗が進んでいなかったというわけではない。
メキシコシティ奪還作戦、地中海作戦、アメリカ決戦、その他幾つもの必死の軍事行動の結果、多大な犠牲を払いながらも取り戻せた世界があった。
でも、それでも。
取り戻した世界は再び奪われ、また命は失われた。何度人類が異界存在を退けても、異界存在は人類の反抗を踏みつぶす。
人類の努力を無為なものにして、異界存在は決して侵略の勢いを落すことなく私達を侵食した。
人口は減り続け、成果の出ない戦いに人々は心の底では不安を感じ、終わりの見えない戦いに人類は確実に力を失っていった。
だから、私は――
――■■■■を殺してでも、生きたかった。
いつの間にか、そんな風に思っていた。
24
川藤早苗。
異界存在研究機関所長ラッセル・アダムズが連れてきた、彼の後継たる女子大学院生だった。
肩にかかるほどで切りそろえられた黒い髪、やや低めの身長の彼女は、ネイシャ宅を取り囲む森の中で銀の人形たちに女王の如く囲まれながらそこにいる。
白衣を身に纏うのは、過去を受け継ぐ者としての矜持の表れか。潔癖の白が妙に目に痛かった。
彼女は異界存在研究機関の正式な研究員ではない。彼女はたかだか連れて来られた女子大学院生である。この事実は不動だ。
ただそれでも、計画派の末席に座す少女である事実は揺るがない。
彼女は敵だ。
かつては手を取り合った先輩後輩だったかもしれない。
だが、今は相容れぬ思想を掲げる敵同士。互いに殺し合うだけの理由が二人にはある。
「…………ちぃっ!」
アイギスを解いたシンは大きく舌打ちをした。
エロースが記憶を取り戻し、同行者となった直後に早苗が襲撃してくるこの展開は、シンが想定する中でも最悪と言って良い。
(ようやくエロースが記憶を取り戻したばかりだって言うのにな……!)
エロースには過去のことについて整理をするための時間が必要だった。今よりも遥かに発達した文明や異族ではない別の異形との戦闘、自分たちの正体。記憶を取り戻すことで、今まで信じていた常識が悉く破壊された。それだけでも事情を呑み込むことは難しいにも関わらず、エロースには忘れていた親友のこともある。気持ちの整理という点では、破壊された常識なんかより思い出した親友についての方が時間が必要だった。
だというのに、この展開は、この瞬間は、エロースの最も柔らかい所にある傷を深く抉っている。
こんな再会誰も望んじゃいなかった。
シンとしては自分が密かに彼女を撃破した後、エロースの所に連れて行こうと、そんな考えもあったのだ。そうすれば、最低最悪の構図の完成だけは確実に防げる。
親友同士で殺し合うなんて目も当てられない悲劇は生まれなかった。
「二頭を走らせ、さっさと逃げろ!此処は俺が引き受けるっ」
シンは馬車から飛び降りた。再度アイギスを形成し、拳銃を右手に握りなおす。
やる気満々な彼に、焦った様子でオティヌスは言った。
「ちょ、ちょっと、流石に一人じゃ無理でしょ!さっきの攻撃覚えてないの!」
「だからこそだ!アレを防げるのは俺しかいない。いくら卓越したキラープリンセスの身体能力とはいえ、銃弾の速さには負けるっ。この戦場は俺の領分だ。戦力的にも、抱えている過去から考えてもだ!」
「だけど、圧倒的に手数不足だよっ。銀色の人形が何なのか私には全然わからない!でも、あれ一体居れば此処にいる四人を手間なく虐殺できることくらいはわかってる!シンが防御手段を持っているのはさっきのを見ればわかるけど、このままだと確実に手数によって磨り潰されるに決まってる!」
オティヌスの指摘は的確だった。
思わずシンは鼻白む。
流石は軍神でもあるオーディンに名を連ねるキラープリンセスか。普段は活発な少女にしか見えないが、やはり戦闘時には抜け目ない。
確かにオティヌスの指摘は事実であった。シンのアイギスはM細胞で構築したシンの左腕から形成される生物兵器であるため、ただ削りとられるだけの無機的な武器とは違い持続的な修復が可能だ。削られた分だけ再生する機能がある。だが、それも無限ではない。これはブラフマーストラβと同じだ。再生する際に消費するシンの体力にアイギスの再生機能は制限される。
つまりは彼のアイギスは、手数さえあれば押し切れる。
そう、例えば十以上のマシンガンによる掃射とか。
「確かに分が悪いといえば、分が悪い。それは否定しない。だが、こちらにも切札がある。あれらがあるのはわかってたんだ。考えなしに敵対するほど俺は馬鹿じゃない」
シンは腰に提げたポーチを叩く。
散々レーヴァテインにも言ってきたが、こちらには秘策がある。友が遺した自律型ロボット兵器群に対する絶対のジョーカーが。
「だから、さっさと行ってくれ。庇いながら叩けるほど俺は強くない。命の方については心配しなくても良い。この体は死ににくい。
「で、でもっ――レーヴァテインはどう思うの!?」
言葉に困ったオティヌスはレーヴァテインの意見を仰ぐ。自分よりシンとの付き合いが長く、明らかにシンの事情を知っているだろう彼女の意見を仰ぎたい。
するといつの間にか起きていたレーヴァテインが、
「別にその男の判断は妥当だと思うけど」
と顔色も変えずに宣った。
「キラープリンセスでは自律型ロボット兵器群――銀の人形には勝てないわ。相対しても蜂の巣にされて死ぬだけでしょうね。だったらさっさと撤退するべきよ。邪魔にならない内にね」
レーヴァテインはつらつらとそう言う。
オティヌスは一瞬食い下がろうとしたが、込み上げる言葉を呑み込むように喉を脈動させて、シンを見据える。
「わかったよ。心情的には納得できないけど、戦略的に必要なら仕方ないね。これ以上言っても我儘になるだろうしさ。でもさ、逃げて追撃とか来ない?」
「大丈夫だ。アイツはキラープリンセスには手を出さないし、出せない。少なくともさっき俺達が受けた攻撃はしてこないだろう」
「わかった。だったらさっさと行くよ。気を付けてね」
「言われずとも――頼んだ、アルスウィズにアルスヴァグ。彼女達を送り届けてくれ」
シンが二頭の頭を撫でてやると、ヒヒンと二頭が嘶いた。馬屋の店主の言った通りこの二頭は賢い。心配はいらないだろうと思う。
オティヌスが手綱を引いた。
それに応じて二頭が動き出す。
こうして先輩と後輩、二人の戦場が始動する。
かと思われた。
「早苗ちゃん!」
しかし、忘れてはならない。
此処にはもう一つの繋がりがあることを。
キラープリンセス、エロース。
川藤早苗の親友だった少女。
「どうして――」
馬車を止めてなんて、彼女は言わない。
過去を知るが故、自律型ロボット兵器群とキラープリンセスとの相性の悪さは自覚している。戦おうなんて思わない。
それでも、ただ一つだけ問いたいことがあった。
「どうして
エロースには分からなかった。
シンから過去の顛末を聞かされた時、彼女は違和感を覚えていた。
どうにも自身が知る川藤早苗と位相融合直前の川藤早苗の人間像が合致しない。
エロースの知る早苗は前向きで少々強引な所があるけれど憎めない、そんな少女だった。少なくとも楽園計画何てわけのわからないものに手を出す人間ではない。
そんな彼女が何故、何故楽園計画なんてものに手を出したのか。
その理由が分からない。
だから、
「答えてください!早苗ちゃんの理由を!」
エロースは叫ぶ。
これまで届かなかった分の思いを含めて。
そして。
若干の間を置いて、川藤早苗の口が言葉を紡いだ。
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「――――誰?」
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比喩抜きで、呼吸が止まった。
シンと、そしてエロースは言葉を失い、忘我する。
やがて怒りで震える声でシンは言った。
「おい、ふざけてんのか?」
シンは平然と立つ後輩を睨む。
だって覚えていないなんて、有り得ないのだ。貴重な休日にテーマパークに一緒に生き、さらには二週間たっぷりその話題をシンにしゃべり続けた早苗がエロースのことを忘れることなど。
絶対に。
だけど、それでも彼女は小首をかしげていた。
まるで、本当にエロースのことなど記憶にないように。
「お前、本当に良い加減にしろよ。本気で言っているのか?」
「本気も何も。事実として私は知りませんし。私には現在も過去もキラープリンセスの知り合いなどいないはずですが。むしろ先輩がどうして怒っているのかがわかりません。そこのオリジナルが一体なんだと言うんです?」
彼女が欲した疑問はあまりにも非現実的過ぎた。
まるで昨日まで続いていた当り前のものが、突然今日になって無くなったかのようなそんな信じがたさが胸の内にわだかまる。
何が一体どうなって、どうしてこんなことになっている。
理解が追い付かない。いっそ荒唐無稽な笑えない冗談だと言ってくれた方がまだ納得がいく。
「そ、んな……っ」
エロースが崩れ落ちる音をシンは聞いた。
記憶を取り戻す前から朧気ながらに覚えていた親友。ようやく全てを思い出し、再出発という時に、最悪の現実が牙を剥いた。
エロースにとっては気を失いかねないほどの衝撃だろう。
何せ位相融合の影響で記憶を失ってもなお記憶が残る親友だ。そんな親友が、過去の記憶を失っていないはずの親友が自分自身のことを忘れていると言うのだから。
あの温かな思い出は嘘だったのか。忘れてしまえるほどにくだらないものだったのか。
であれば、そんなものを縋っていた自分は一体何だと言うのか。
心の淵に沸く、疑問と惨めさ。
しかし、シンは聞いた。
「くだらない。だったら思い出させれば良いだけじゃないですか」
エロースの力強い言葉を。
「忘れているなら、何かしらの理由があるはずです。だったらその理由を見つけ出して、解決すれば良いだけのこと。足を止める必要なんてない。諦めてる時間なんかない」
そうだ。
非情な現実を前に膝を折る必要なんてない。まだ歩み続ける足は砕かれてはいない。不可能だと証明されたわけじゃない。
だったら膝をついて、涙を流すには速すぎる。
「シンさん。お願いがあります」
「なんだ?」
「どんな手を使ってでもあそこにいる馬鹿な私の親友の目を覚まさせてください。私の代わりに、いますぐ」
堂々としたエロースの宣告。
それに答えるようにシンは口の端を広げ凄絶に笑うと、こう言った。
「ぶん殴ってでも、思い出させるさ。必ずな」
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嫌に風がないくせに太陽だけは燦々と輝く日だ、とシンは苦々しく思う。そのせいで、周りを囲む木々のざわめきは聞こえず、静寂が彼の耳を覆っていた。
沈黙が故の耳鳴りが、彼の耳に鋭く刺さる。
陽気な天気と張り詰めた緊張感のアンバランスさが、シンに不快感を催させる。
じゃりじゃり、と自分が等間隔で鳴らす足音が、これから始まる戦いへのゴングのように思えた。
「悪い待たせたか」
そうして、シンは後輩と相対する。
左腕を不自然に蠢動させながら、彼は木々に遮られない位置に立ち、彼女を睨み付ける。
既にキラープリンセスを乗せる馬車は去った。もうシンの気を逸らすものはない。
「いえ、お気になさらず。
「本当に覚えていないのか?よりにもよって彼女を」
「ええ、まったく。これっぽちも」
「維持派は記憶が継続してると思ってたんだがな」
「勿論継続していますよ」
「継続してないから、そう言ってるんだよ。馬鹿」
シンがそう吐き棄てるも、早苗は首を傾げるだけだ。
ほんとの本当に、心の底から何を言っているのか分かっていない様子であった。
何故だ。何故だ。何故なんだ。
忘れるなんて有り得ない。覚えてないなんて嘘としか思えない。
あんなに仲が良かったのに。
貴重な休日を二人で遠出をして過ごすほどの親友だったはずなのに。
あまりに楽しすぎて、たかだか研究所の先輩ごときにべらべらお土産話を聞かせるほど大好きだったはずなのに。
どうして――
「――どうして忘れてしまってるんだよ…」
心が痛かった。怒りを滲ませていたはずの言葉も、無自覚の内に萎む。
シンは当事者ではない。たかだか仲の良い先輩風情だ。そんな人間に言葉を挟む権利なんてないのかもしれないかった。
それでもシンは、口を閉じたままではいられなかった。
「まだお前の友達は生きてるじゃないか……」
奇しくも昨日のエロースと同じだった。
早苗は――結果的にではあるが――シンの傷を深く抉っている。
だって、だってだ。
まだエロースは失われていない。息を吸って、二つの足で立って、辛いことがありながら、それでも笑って生きている。
親友が生きていることが、どれほど幸福であるのか彼女は分かっているのだろうか。
本音を言えば、シンは早苗とエロースが羨ましい。
なにせシンの仲間はもういない。誰一人として、生きてはいない。
〈運命の輪〉、
あの時シンは仲間たちの思いを受けて生き残った。そう言ってしまえば、聞こえは良い。
けれど、シンはあの時のことをこう思っている。
あの時、自分は逃げたのだ、と。
仲間を見捨てて、みっともなく敗走した。そういう風にしか、シンは過去を振り返れない。
シンの特別性である左腕とCMCシステム、そして左目の人工知能〈ana〉。これらをフルに活用すれば、ボロボロになりながらも仲間たち全員で窮地を脱し、今も笑い合えていたんじゃないかとそう思わずにはいられないのだ。
まったく後悔だけがついて回る。取り返せない過去は呪いとして罪人の背中にへばりつく。
シンは早苗に言った。
憔悴した声で、こい願うように。
「なぁ、早苗、思い出せ……どうしてそんなことになってるんだ…」
「そう言われましても、私自身にもよくわかりませんし。というか私からすれば、先輩は訳のわからないことを喚く頭のおかしい人ですからね。ご自分の客観視は出来ていますか?」
けれど、早苗は容赦なくシンの言葉を切り捨てる。
当然か。証明不可能、共有できない事実なんて結局の所妄想としか思われないのだから。
早苗がエロースを忘れてしまっていては、通じるはずもない。
彼女は淡々と告げる。
「良いから始めましょうか。私も先輩を殺した後、やらなければならないことがありますし」
「畜生、やっぱりこうなるのか」
「何を今更。先輩とてそのつもりだったでしょう?」
「その通りだが、避けたい構図ではあったんだ。特にエロースが記憶を取り戻した直後だからな」
「タイミングの問題ですか…」
「大切だぞ、タイミング。それが悪ければ、物事の良し悪しは二転三転する」
左腕の黒がシンの前面を塞ぎ、ライオットシールドのように展開された。
対して、早苗は何の動きを見せずにただその場に佇むだけだ。
「言っておくが、遠慮はいらないからな」
「何故私が手を抜く前提で話してるんですか……。先輩、まだ意識が現実に追いついてないですよね?言葉の端々から私を舐め切った態度が滲み出てますよ」
「御託は良いから、さっさと自律型ロボット兵器群を動かせ」
「散々御託を並び立てたのは先輩でしょ……」
「お前が原因ではあるがな」
早苗は呆れた様子を隠さずに、溜息を吐いた。それから僅かな怒りを込めた目で彼を見る。
先程のやりとり。あれはかつての焼き直しだ。それも
シンからすれば、この再現はちょっとした仕返しだ。勿論過去の分と今日の苛立ちを含めた分のである。ちょっとは胸がせいせいした。
「ちっ―――はぁ、もう良いです。というかなんで無駄話してるんでしょうね、私達」
「お前が自律型ロボット兵器群を動かさないからじゃないか?」
「先輩が向かってこないからですよ」
そして、彼女は言葉を切って
シンは腰を落として、アイギスを構えた。
来る。二二〇〇年の科学技術の結晶が暴力となって、たった一人の青年に牙を剥く。
「ああ、ところで自律型ロボット兵器群は使いませんよ」
「……だったら何を使う気だ?」
シンが疑問を飛ばした先、早苗が息を吸った。
そして。
その小さな唇を綻ばせる。
「
それは奇しくも
『音声照合完了しました。堆積術式群、解放します』
ポーン、と柔らかく、しかしシンにとっては不気味極まりない電子音が鳴った。
(魔術か……っ!)
刹那の思考。
異変は直後に来た。
ざわざわ、と何かがこすれる音がする。
(……木葉……の音?)
森の木々がざわめいている。
「な、にが…っ?」
「先輩はもう此処にいる時点で終わっているんですよ」
戸惑うシンを前に早苗は淡々とそう言った。
横に切った左腕を指揮者のように降り、何処までも冷たい瞳を向けてこう告げる。
「さようなら、先輩。きっとこの結末が私にとっても、先輩にとっても幸福なことです」
判断の時間なぞなかった。
起きたことはただ一つ。
だから、事実だけを簡潔に告げよう。
森がシンを叩きつぶしたのである。