ファントムオブキル―浄罪の大罪人―   作:三水レイシャ

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今回読みにくいかもしれません。最後の方が少々描写少な目ですが、そういう表現ということでご理解いただきたいです。


ep.06 止まない雨は……

12

「あ~~も~嫌だ~」

「うるさい、マック。そもそもお前が言いだしたことだろう」

 コンピューターが並ぶ薬品臭い研究室。本棚には『異界存在の生態レポート』『対異界存在兵士の活動期間について』『M細胞の細胞同化の過程』『対異界存在兵器の開発に対する生物工学的アプローチの検討案』等々小難しい題名でラベリングされたファイルが所狭しと並んでいる。部屋を快適な温度に保つエアコンは静かな駆動音を立てて業務を果たしていた。無機質な白色の灯りは部屋を一様に照らし、部屋全体を均等な明るさをもたらしている。

 最適な環境を保つ研究室にて、二人の青年が分厚い本を前にして頭を捻っていた。

 不満そうに口を尖らせて、椅子にやる気なさげに体を預けている金髪碧眼の青年の名前はマック・フューリー。二千二百年という世紀末かつ終末期世界に誕生した時代の麒麟児。三年前、齢十九歳にして国際連合異界存在研究機関になんのコネもなく、彼自身の力だけでやってきたまごうことなき天才だ。

 文句を垂れ始めた友人に険しい目つきを向けているのがシン――正確には未来においてシンと名乗ることとなる青年だ。青年も若いが、別にマック同様天才というわけではない。この研究所に配属されるはずだった養父が研究していた分野を引き継いでいるのが彼しか生き残っていなかったので、仕方なく彼が養父のポストに就くことになったのだ。彼がこの研究所にやってくるのにあたっては、仕掛けはなくとも種もコネもある。彼は優秀ではあるが、凡才でしかない。この場にいるのは偶然と幸運が重なった結果だ。

 さて、そんな天才と優秀であるが凡才という二人の凸凹コンビがどんな本を前にして頭を捻っているのかと問われれば、その答えは意外や意外、難解な研究レポートではなく『人名辞典』だった。しかし、それだけではない。彼らの周囲にはライトノベルや文庫本などが無作為に散らばっている。研究職に就いている二人として考えると首を傾げざるを得ない状況ではあるが、彼らのもう一つの肩書を知れば納得のいく光景であった。

 対異界存在兵士担当のカウンセラー。それが二人が持つもう一つの顔であった。ともあれ、二人の活動はカウンセラーの業務内容の範疇の外のものを行ったりしているのだが。それは別の機会に話すべきことである。

 さて、遅くなったが彼らがやっていることを明示するとしよう。きっかけは天才マックのとある提案だった。

「彼女たちに名前を付けよう!」

 同名個体ごとに彼女達は同じ遺伝子を共有し外見上全く差異がなく、性格も似通っている。個々を判別するのが難しい。よって名前を与えられず、誕生当時に記憶している神話上の武器の名前と八ケタの番号によって軍のネットワークバンクに登録され識別される。そこで天才が言うわけだ「冷たい番号じゃなくて、ちゃんとした名前をつけてやろう」と。

 そして、場面は冒頭に戻る。

 簡潔に言おう。言い出しっぺのマック、飽きる。

 シンは不満そうに言う。

「第一なんで彼女達に『お前ら一人一人に個別の名前を付けてやるっ!フハハハハッ!』とか宣言しちゃうんだよ。人間の場合だって被ってない名前はないだろうに」

「いいじゃんかよー。可愛い女の子たちの前ではかっこつけたくなるんだよー」

「加減を考えろ。この大天才(おおばかやろう)

 手近にあったライトノベルをマックに投げつける。綺麗な弧を描き頭に直撃。ナイスヒット。着弾と同時に「ぐへぇっ」という情けない声をマックが漏らす。

 シンが自分のライトノベルを投げたことにマックはぶつくさ文句を言いつつも、投げられたライトノベルを見て怒る。

「って、これ『境界線上のホライゾン』じゃん!名作を侮辱するなっ!」

「そっちに怒るのかよ!もはやライトとは言えないほど厚いライトノベルを投げつけられたことじゃねえのか!あと、それになったのは偶々だからな、他意はない!名作を投げたことは謝罪します。申し訳ございませんでした」

「それでよし」

「何お前が偉そうにしてんだ。元はと言えばお前が原因だろうが」

 今度はファイルを投げつける。顔にクリーンヒット。ギャグ漫画よろしく顔にファイルがめり込んだ。

「きゅ~」

 そう言ってマックが床に倒れ込むのを尻目に彼は人名辞典をペラペラと捲る。といっても人名辞典を捲っても既に全ての名前を付けてしまったのでこの行為に意味はない。

「彼女達がどれくらいの人数いると思ってる?一つの個体につき、一万人のクローンが誕生してるんだぞ。総勢だと何十万だ。何十万の名前を用意できると本気で思ってるのか?」

「でも名前を付けるのは止めないんだろ?」

「あんなに期待した顔を見たら、前言撤回なんて言えるわけないだろ」

 そうぶっきらぼうにシンが言うと途端にマックがニヤニヤと気持ちの悪い顔で笑いだす。

「なんだよ」

「なんだかんだで彼女達のこと愛しるんだなぁって」

「阿呆、俺は義理を通しているだけだ」

「あらぁ?じゃあ、この前アイツの胸で泣いてたのは一体なんだのかしらぁ?」

「……………」

「ぎゃぁぁぁっ!無言でこっちにこないで!左腕を持ち上げないでぇぇぇっ!」

 調子に乗った天才にお灸をすえてやる。

 こんな調子の二人でも親友同士なのだから、世の中わからないものである。

「で、ライトノベルからも人名辞典からも全部名前を取ったけどどうすんだ?」

 この場にライトノベルがあるのは彼らが読んだからではない。ライトノベルのキャラクターから名前を取ろうという話になったからである。例えば先程の『境界線上のホライゾン』のキャラクターから名前を取ると『ホライゾン・アリアダスト』を『ホライゾン』と『アリアダスト』でわけて二人に命名するといった具合に。ただ全てのキャラクターからとれるというわけではなく、名前として適切ではない名前は却下した。のだが――

「とりあえず使って来なかった、キャラクター名を――」

「却下」

 窮地に陥ったマックが禁を解こうとするのでシンは即座に切り捨てる。

「いいじゃんかー、もうそうするしかないじゃーん」

「ふざけるな。『とある魔術の禁書目録』の『沈利(しずり)』とか『物語シリーズ』の『伊豆湖(いづこ)』は今の時代でも名前としては浮くんだよ。日本の記憶を持つ彼女達の命名が追い付いてないからって、今後の彼女達の人生で生きにくくなるような名前はつけないってことにしただろう」

「じゃあ、関連する神話や伝承から取る」

「悪くはないが、喧嘩にならないか?同個体内で。『マリア』って名前をキリスト教系のロンギヌスに着けるとすると聖母の名前だから、下手をすると嫉妬とかしそうだが」

「それくらいは個体の性格毎で判断してつけていくしかないな。ロンギヌスは大丈夫だろうけど、ケラウノスに『ゼウス』とかつけると面倒そうだ」

「まず『ゼウス』を女の子の名前に採用しないけどな」

 ギリシャ神話一の浮気親父の名前が欲しい奴なんていないだろう、とシンはぼやく。

 さて、神や伝承の名前を付けるとしてもやはり数が足りない。他にも対案を考える必要がある。

「お前はなんかないのか?名前を付ける方法」

「そうだな…」

 机上のパソコンを操作して、モニターに映るとある一個体の同じ顔の対異界存在兵士の写真をスクロールしていく。マウスを動かしながらシンは言う。

「安直ではあるが、同一個体内でも存在する身体的特徴の差異を示す単語を一部の文字でアナグラムしたりするのはどうだ?」

 薄いピンク色の長髪に、自信なさげな垂れ目そしてほんのり赤みがかった瞳の少女の顔写真がモニターに映っている。個体分類は〈Mystolitin(ミストルティン)〉。

 延々と続く同じ顔の少女の写真の中でシンは一人の写真でマウスの動きを止める。

 そして言った。

 

そばかす(freckles)―――フェレス(feres)

 

13

 聞き覚えのあるキラープリンセスの恐々とした声にシンは顔を上げた。

「こんな雨の中……蹲っていたら…風邪を…引いてしまい…ますよ…?」

 低めの身長、薄いピンク色の長髪、自信なさげな赤みを帯びた垂れ目、そしてそばかす。彼女は傘の中に彼を入れるようにしてくれていた。

「フェレス……?」

「いえ……わたしは…ミストルティン……です」

 どうやら付けた名前はすっかり忘れてしまっているようだった。シンとマックの苦労が浮かばれない。

「どうして…こんな…所に…?」

「どうして、か。そうさなぁ、有り体言うならば、現実に打ちのめされていた、かなぁ」

「はぁ……現実…」

 あまり得心いかない様子でフェレス――いやミストルティンが頷いた。初対面の人間に突然そんなこと言われてしまったら、戸惑うしかないだろう。彼女の感情は理にかなっている。

 ともあれシンにだって聞きたいことはあるので彼はミストルティンに問う。

「お前こそどうしてここに?」

「えっと…あの…実はマスターと……わかれてしまって……探している内に…道に迷ってしまって…」

 それで…、とミストルティンは言葉を止めたが、言わんとしていることはわかる。となると一つ疑問が浮かぶ。

「なんでこんな路地裏に?大通りを探した方がいいんじゃないか?」

「あ…それは…」

 口ごもって彼女は頭を抑える。さすがのシンもどういう意味を含めているのかわからない。

「どういうこと?」

「帽子を…なくして…しまったんです……変装用の……」

「変装は帽子だけでいいのか?」

「は…い……人間が…キラープリンセスを見分けるのは…イミテーションが同じ場所にいるときか……もしくは髪の色ですから…帽子をかぶっていれば……大抵隠しおおせるのです……」

「ああ、なるほど」

「……?」

 シンの返答に今度はミストルティンが頭を傾げる番だった。

 シンは街に来て以来ずっと疑問に思っていたことがある。何故街に入った時、門番に渡されたボロ布でレーヴァテインを――拙くはあるが――変装させていたのに忌避の目を向けられたのか、ということである。ようやく納得がいった。あの時は体だけをボロ布で包んでいるだけで、髪は露出していた。故にあの反応。蔑姫主義に基づいた嫌な視線だというわけだ。

(それにしても、髪か)

 盲点だった、と思う。マナ、中世ヨーロッパ風の街並み、異族(モンスター)などなど。まるで異世界系ライトノベルにシンが入りこんだようであったが、この世界はまごうことなき現実であり、過去から連綿と続く現在なのだ。なので人間はライトノベルで登場するような奇抜な髪色を持つものはいない。黒、金、茶、赤、といったありきたりの髪色しかない。対照的にキラープリンセスたちは、今も昔も色鮮やかな髪を持っている。例えばギリシャ神話の主神ゼウスの雷霆の名を冠するケラウノスの髪は青、アーサー王伝説に登場する最強の騎士が持つ剣の名を持つアロンダイトは薄ピンク色だったりと髪色は特殊だ。レーヴァテインの銀髪も持っている人間はいるだろうが、人間の場合はどらかというとプラチナ・ブロンドというように白に近い金髪と表現した方が適切だろう。レーヴァテインほど真正の意味での銀髪を持つ人間はいない。そういう理由で髪を露出していた彼女は目立ち、キラープリンセスと認識されたに違いない。

 帽子を買っとかないとなぁ、とシンは淡々と思う。そして、少し落ち着きを取り戻した自分がいることに気づく。ミストルティンが登場したのが大きいのかもしれない。守るべきものが近くにいるというのは大切なことである。

 とりあえずシンは立つ。いつまでもここで蹲っているわけにはいかない。

 気合を入れるために両手で頬を叩いてから、ミストルティンに向き合う。

「じゃあ、行こうか」

「え……?何処に…?」

「何処にって、そりゃあお前の奏官の所にさ。きっと心配してるだろうからね」

「いいんですか…?私…キラープリンセス…ですよ?」

「別に構わんさ。私自身レーヴァテインを雇っているからね。蔑姫主義なんてくだらんものに染まり切ってないよ、私は」

「えっと…でも…」

「早くしないとおいてくぞー」

「あっ…待って…ください…っ」

 ミストルティンは決して他人に何かを要求することはない。他人との関わりを拒む彼女は誰かを頼るということをしない。だから、此方が強引に引っ張っていく必要がある。シンとしてはミストルティンに人間的成長をして欲しいと思う所でもあるのであった。彼女の意志をくみ取って行動してくれるような人間は少ないのだから。

(ま、私が介入するべきことでもないか…)

 もしミストルティンがシンの旗下にあるのなら別だが、彼女は今彼女の奏官の元に身を寄せている。ならば当人たちで話し合った方が良い。

 少し先を行くシンをミストルティンが追いかける形で歩き出す。

 後ろを行く彼女は懸命に傘に彼を入れようとするが、如何せん身長差があって難しい。うーん、うーんと背伸びしするが、中々上手くいかない。

 そして、

「あっ」

 伸ばした傘の端がシンの顔に直撃する。

「へぶっ」

 予期せぬ事態にシンも虚を突かれ、素っ頓狂な声を出してしまった。

「ごめんなさいっ、ごめんなさいっ、ごめんなさいっ、ごめんなさいっ……」

 顔を真っ青にして必死に謝りまくるミストルティン。

「そんなに謝らなくてもいいけども…」

「ごめんなさいっ、ごめんなさいっ、ごめんなさいっ、ごめんなさいっ……」

「いや、だから謝らなくてもいいって」

「ごめんなさいっ、ごめんなさいっ、ごめんなさいっ、ごめんなさいっ……」

「おーい、聞いてるー、ミストルティンさーん」

 ミストルティンの謝罪タイムが終わるまでしばらくかかった。

 

 

「本当に……ごめんなさい」

「だから、そんなに謝らなくていいからね。たかが傘があたった程度じゃん」

 完全に意気消沈してしまったミストルティンを慰めながら路地裏を行く。結局傘はシンが持ち、ミストルティンと相合傘をすることになった。

 傘が当たったのは善意から来る行動の結果起きてしまった事故なので、シンには彼女を責めることができない。むしろあんなに謝られるとシンの方が申し訳なくなってくる。

 とりあえず話題を変えよう、と思う。 

「…お前の奏官は一体どんな奴なんだ?」

「私…の…マスターですか?」

「うん、どういう人間なのかなぁって。生憎と私は奏官という人種に会ったことがなくてね。個人的に興味がある」

「そう……ですね…」

 ミストルティンはしばし考えこむと口を開く。

「マスターはキラープリンセス(わたしたち)のことを『妹』って呼んでくれるんです。本当は、きっと、キラープリンセスの方が年齢は上なんだろうけど、マスターは『私がみんなを守るッス』とか言って『妹』呼びを止めなくて。みんなで、マスターは守られてなさいって言ってるんですけどね。それでも私はなんだかんだで嬉しくて。だってキラープリンセスは本当の意味での家族と呼べる存在はいないじゃないですか。だから家族っていう温かい関係に憧れていたりもして。時々人間が羨ましくなるんです。人間はキラープリンセス(わたしたち)には出来ないこと、手に入らないことを出来たり、手に入れたりできるんですから。でも、マスターのおかげで私は毎日楽しく過ごしています。家族はいなくても家族のような仲間がいる。姉妹はいなくても姉妹同然の人がいる。同じ血が通っていなくてもいいんです。本当に大切なのは血じゃなくて、想いだと私は考えています。例え私の隊の関係を偽物で価値のない物だと断じる人がいても、この信念だけは揺るがない。気が弱い私でも、そこだけは譲りません。えっと、つまり、私が言いたいのは、私のマスターは最高のマスターだと言うことですっ!」

 全てを言いきって「ごめんなさい……一人で……ベラベラ…」とミストルティンが小さく謝罪した。

 対してシンはまるで彼女の不安を払拭するように微笑んで、

「そうか」

 ただそれだけ言って、静かに彼女の頭に手を乗せた。

「―――えっと?」

 やや間を置いて彼女は状況を把握し、顔を赤くして首を傾げた。

 戸惑うミストルティンを傍目に、シンは自身の胸の内に温かな灯が宿っていることを感じていた。

 ただただこう思う。よかった、と。

 ミストルティンというキラープリンセスは非常に怯臆な性格だ。他人を恐れ、自分自身に自信がなく、物陰さえあれば一目を避けて隠れようとする。胸を張って自分の言葉を言うなんてことはほぼない。言葉に詰まることなんてざらだ。

 けれど、マスターのことを語る彼女は違った。

 声を弾ませて、笑顔を浮かべて、溌溂と喋る彼女に恐怖なんてなかった。今の彼女は(さが)であり、記憶から来る根源的恐怖を払拭するほど素晴らしい物に出会えた。そういうことなのだろう。

 だからこそシンは思う。よかった、と。良い人の元に行きつくことができたことに、心の底からほっとしている。

「……よかった」

「えっと…あの……そろそろ手を離していただけると……」

「ん?ああ、すまない」

 ミストルティンに言われてシンは彼女の頭から手を放した。ちょっとデリカシーがなかったか。

 昔のようにしてしまうのは意識的に自粛するべきだ。そこに寂しさを感じてしまうのは自我(エゴ)だろう。

 それでも感情は完全に押し殺すことはできなくて、シンが少々気落ちしているとミストルティンが――シンの心情を察しているわけではないだろうが――口を開いた。

「で…でも……なんだか……懐かしい…気が…します………何…で……でしょう……ね?」

 しばし思考が止まる。ふっ、と息を吐く。

「そうか」

 自分がどんな顔をしているのか。想像することは難しくなかった。

 

 さてほんわかしてるとこに水を差すようで悪いけど、そういえば二人は迷子じゃなかったっけ?

 

「うーむ、わからん」

「……何処なん…でしょうね?」

 相変わらず雨は降り続けていた。一向に止む気配はない。

 二人は路地裏を歩き回っていたが、どうにもミストルティンのマスターがいるという宿泊施設区にたどり着けない。ここかと思えば商業区、ここかと思えば畜産区。行けども、行けども見当違いな所ばかり。

 もとよりシンがミストルティンを案内するということ自体無理がある。かたや今日街に来たばかりの旅人、かたや迷子になっているキラープリンセス。どうやって目的地に辿り着けばいいと言うのだ。理論の破綻も甚だしい。前提条件が十分でない以上、解が導き出されることはない。

(まぁ、解を導き出せる条件がないわけじゃないけど)

 どうにかできる手段がないわけではない。けれど内容が内容だけに、うーん、と頭を抱えてしまう。シンとしては全然構わないのだけれど、ミストルティンが拒否しそうではある。いや、でも、大通りの状態を鑑みるに大丈夫か………?

 逡巡。

 決断。

「大通りに出よう」

「えっ……でも……私……」

 キラープリンセスだから大通りなんて出てしまったら髪を隠せていない以上拙いことでは、と告げようとするミストルティンを遮ってシンが語りだす。

「大丈夫だ。雨で人は少なくなっている。たぶんそんなにはいない。傘って結構高級品だろ?」

「は……はい……一応……旅をする人は……持っていますが……」

「とはいえ、持っているからといって頻繁に使いたくはない。何故なら消耗するから」

「では……頻繁に買い……替え…ること……はでき……ないから……」

「たとえ傘を持っていても、無駄に使いたくはない。旅をしているわけでもないし、ここには雨を凌げる宿がある。それに多くの店が閉めている以上いくら傘を持っていたって急ぎの用事でもなければ、外には出ない筈」

「けど……そんな拙い憶測で……人が……いないと……決め……付けるのは」

「いない、じゃなくて、少ない、な。多少は見られても仕方がないさ。どの穴に剣を差し込めば黒ひげを飛ばせるか、なんてことを延々とやってるよりはマシなはずだ」

 シンの提案にミストルティンはすぐに踏ん切りがつかず、しばし決断に時間を要した。

 ミストルティンが決断した後、多少予防線を張ってから、シンの見覚えのある大通りを探し、出る。

「ちっ」

 出た瞬間思わず舌打ちをする。ミストルティンが怯えるように肩を震わせた。元来の臆病さ故の反射行動だろうから、シンは気にしない。彼女に落ち度がないことは彼女自身が一番わかっている。

 舌打ちをしたのは単純で、人が予想よりも多かったからである。当てが外れてしまった。物語の主人公のように、何事も予想通りとはいかないようだ。

 予防線――彼女の髪を束ねさせて、傘はミストルティンだけが入るようにして深く差すことで特徴となる髪を隠させた。彼女の低い身長も相まって、覗き込みさえしなければ髪が見えることはないはずだ。しかし万一のこともある。もしばれてしまったら、向けられるのはあの吐き気を催す気持ちの悪い視線だ。

(何度も向けられたくないよな、あんなの)

 昼に身を以て体感しているためによくわかる。アレは嫌なものだ。

 シンはミストルティンに早く抜けるように指示をする。彼女はそれに従う。

 雨が降り注ぐ大通り。即席の主従が人の目から逃げるように行く。

 肌に当たる雨粒の勢いが弱くなっていることをシンは気付いた

 

 幸いにもミストルティンに気づく人間はいなかった。都合よくいったことにシンは胸を撫でおろす。

 宿が並ぶ宿泊施設区に二人は無事到着。彼女のマスターが泊まっている宿はすぐに発見できた。なぜなら彼女のマスターがそわそわと宿の前でしていたからだ。

 意外にもマスターは女だった。これは女性差別をしているわけでなく、単純に奏官の男女比が男に偏っていることからのシンの感想だ。「キラープリンセスは女性のみであるから陰陽の関係でしばってるのかもな」などとシンは思ったものだが、その推測が外れていることは言うまでもない。この世界においてあらゆるオカルトは消されているのだから。

 閑話休題。

 ミストルティンのマスターである少女の傍らには二人の武装を外したキラープリンセスが。

 一人はアイムール。髪は暗めの紅色。白のトップスの上に紫色のラインが入った黒色の、皮のような質感でありながら柔らかそうな感じのある服を着ている。無表情で目先が鋭いために、初対面だと恐ろしさを与えるものの、根は悪い娘ではない。まぁ、扱いには難しい所があるが。

 二人目はパラケルスス。赤みががかった茶髪を持つ身長低めの少女。胸元には赤い宝石が付いたリボン、緑色の服とダークブラウンのミニスカートというシンプルな恰好をしている。無口で人あたりは悪いが、性根は悪い娘ではない。まぁ、協調性には欠ける所があるが。

「……中々個性が強い隊だな」

 アイムール、パラケルスス、ミストルティン。なかなかに個性的なメンバーがそろっている。シンの声の引き攣り具合を察して、「ははは」と乾いた笑い声を上げるミストルティン。

 ミストルティンがマスターに向かって走っていく。

「マ…マスター…!」

「あっ、良かったッス、ミストルティン!やっと、見つけたッスよ。もう迷子になっちゃだめじゃないッスか!」

「ごめん……なさ…い」

「いいんスよ。『妹』が無事で良かったッス。それに私の方にも非はあるッスからね。私もごめんなさいッス」

「で…でもっ」

「はいはい、もうこの話は終わりにするッスよ。喧嘩両成敗、お互い様ってことッス。それよりも道中何かなかったッスか?変な目とか向けられなかったッスか?見たところ変装用の帽子がなくなっているみたいだし」

「いえ……えっと…あそこにいる人…のおかげで…ここ……まで来れ……ました」

 ミストルティンが言うと、マスターがミストルティン越しにシンの方を見る。

 目が合ってシンが一礼。対してマスターはシンの方にやってきた。

 お礼でも言われるかと思ったが、違った。こんなことを言い出す。

「アンタ、内の妹に変なことしてないッスよね」

 いきなり疑われた。しかも睨み付けられながら。ミストルティンが「マスター!」と抗議する。

「いきなり失礼だな。まぁ、ミストルティンのことを心配するのはよくわかるが」

「いいから答えるッス。ミストルティンは自分から見知らぬ奴と関わるタイプじゃないッス。もしかしてアンタがミストルティンを内の隊から別れさせたんじゃないスか」

「おいおい、変な誤解は止めてくれ。偶々路地裏で会ったんだよ。傘がなかった私に親切にしてくれたんだ」

 実際は違うが、真実をぼかして伝える。完全に間違っているというわけではないので、気も病まない。

 シンは当たり障りのない返事を返したつもりであったが、それでもマスターは「あーだこーだ」言い続ける。結局、当事者であるミストルティンと見かねたパラケルススの仲裁が入り、この場は落ち着いた。

 シンとマスターの間に和解はなかった。ミストルティンがお詫びとお礼を言い、パラケルススがマスターを力で無理矢理下げさせて、この一件は終わった。

 そして別れ際。シンは聞きたいことがあって、宿に入ろうとしたマスターに声を掛ける。

「なぁ、お前」

「なんスか?」

「お前はキラープリンセスのことをどう思ってるんだ。蔑姫主義に憑りつかれているみたいだが、お前はどうなんだ?」

 シンは問う。一拍。そして回答。

「そんなの愛してるに決まってるじゃないスか」

 空白。空隙。

 マスターが立ち去る。その背中を再び呼び止める。

「おい!」

「うっとうしいッスねっ、謝らないッスか――」

「――ありがとな。愛してくれて」

 マスターが振り返る。

 けれど、もう既にシンの姿はない。あるのは太陽に照らされた道だけだ。

 取り残された奏官の少女は「何なんスか一体…」と、歩いていく青年の背中を見ながら呟いた。

 

  

 この世界は彼女たちにとって残酷で、底なしの悪意に塗れていて、目も当てられないほどに醜悪だ。

 けれど希望はある。その希望は弱くて、今にも暗闇に塗りつぶされてしまいそうな小さな光かもしれない。闇を照らせるほどの強い力を持っていないのかもしれない。

 だとしても充分だ。

 青年は今一度立ち上がる。折れた心を再び奮い立たせる。

「雨が止んだか」

 止まない雨はない。雲はいつか晴れ、光が差す。

 青年は心温かに、太陽に照らされた街へと歩き出すのだった。  




words

止まない雨はない。雨が降れば、太陽が照るときもある。世界はそのように変化し、人もまた同じ。

願いがあるならば、その足で濡れた大地を踏みしめて道を作り出すしかない。

その最初の一歩を踏み出すことを青年は決意した。
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