1『カラの財布と消えたクラスメート(上)』
たとえ友人が相手でも、どう声を掛けたらいいものか分からなくなる時がある。
「ごきげんよう」
昼食時に気まぐれを起こし、キョーコは学食へ向かった。
T女学院には学食があり、ガラス張りの一角からそこそこ整備された雑木林が見える。久しぶりに一人でぼんやりご飯を食べるのもいいか、と思ったのだ。
「そっちは、ごきげん……よくなさそうだね」
大混雑の学食で、なぜかその一角だけがガラ空きだった。こりゃラッキーと座ってみると向かいには二階堂アンリがむっつりと座っている。空席の原因が彼女であることは明らかだった。
「笑いたいなら笑ったらいかがですか」
すぐ否定したいところだが、言葉が詰まった。
初対面からアンリに話しかけがたい雰囲気があることは感じていた。それは仏蘭西人形じみた整った容姿だったり、奇奇怪怪なお嬢様言葉もどきだったり。T女学院に転校すると聞いたときは馴染むのに苦労しそうだなぁ、とキョーコは思ったものだった。
「ケガしたの、それ?」
しかし、今日は一段と話しかけがたく、その原因はまったく別のところにあった。
◆◆◆
『わたしはカミナリ』
第二章・私はアマノジャク
◆◆◆
「えぇ。寮の階段から転げ落ちまして。首を」
ふんと顔を背けようとして、アンリは表情を歪めた。
「痛ーーこれじゃあイヌネコですわね」
どんな落ち方をしたらそうなるのか分からなかった。
アンリの細首には包帯が巻かれ、固定用のギプスがはめられていた。そのギプスが、なんというか一回り二回り大きいのだ。彼女が言うとおり動物の治療に使う保護具ーーエリザベスカラーが想起させられた。
「あ、キョーコ先輩だ」
聞き覚えのある声にキョーコが振り返ると、ごった返した学食の人ごみを縫って、陸上部の後輩たちがやってくる。
「部長、一緒に食べていいですか?」
「ダメです」
誰よりも何よりも早く、アンリが冷淡に言い放った。
「えっ」
「ダメったらダメです」
獣のように眼光鋭くアンリが睨みつけると、彼女達はトレーを持ったまま後ずさった。
「みんなとご飯食べようよ?」
「大勢で騒ぐのは好きではありませんの」
「わたしも邪魔?」
「キョーコ様は別です」
「分かった。みんな、おいで」
「いや、わたくしは……」
若干警戒の色を見せながら近づいてくる後輩達に、キョーコはアンリを示して見せる。当の本人は未だガルガルと威嚇しているのだが、それを無視してキョーコは後輩達を席に座らせた。
「この子、二階堂アンリちゃん。ほんのちょっと前に転校してきたんだけど、まだ日本に不慣れなんだって」
「いえ、わたくし生まれも育ちも日本で」
「だからさっきみたいに言葉遣い間違っちゃうこともあって。ほら、緊張してるでしょ。目つき悪いからよく誤解されちゃって大変なんだ」
「誤解じゃありません。誤解じゃ」
「とにかく、仲良くしてあげてくれないかな」
アンリの言葉をことごとく遮ってキョーコが微笑みかける頃には、すでに後輩達の好奇心は最高潮に達しようとしていた。
「二階堂さんって呼んでいい?」
「……お好きなようになさってください」
観念したようにアンリが口を開いた。
「趣味は?」
「寝ること」
「好きなものは?」
「かんぴょう巻き」
「どんな音楽聴いてるの?」
「落語とか」
「どこの国から来たの?」
「いや、だから、わたくしは日本で」
「アンリちゃん、イギリスだっけ?」
何とか馴染ませようとキョーコも必死だった。箸を握り締める手に尋常ではない力が篭っている。プラスチックの箸が砕けそうだ。
「日本語はどこで習ったの?」
「だからにほ…………いえ。イギリスですわ」
「すごー!」
「異文化ー!!」
子供にもみくちゃにされる犬のような顔で、アンリがこの世の終わりのようなため息をつく。恨みがましい視線はずっとキョーコに向けられていた。キョーコはそれを極力視界に入れないようにして「いただきます」とカラ揚げを口に運ぶのだった。
◆◆◆
「殺す気ですか」
げっそりやつれたアンリが昼食にありついたのは、昼休みも半分を切った頃だった。
「大げさだなぁ。友達できてよかったじゃんかぁ」
「いりません。トモダチなんて。疲れるだけですわ」
言って、アンリは陸上部の生徒達に脇目を振る。
質問するだけ質問すると、彼女達は勝手に盛り上がってアンリを置いてきぼりにして想像を膨らませていった。今、彼女達は悪名高きイギリスの料理の話できゃあきゃあ騒いでいる。アンリが純日本産女子だとも知らずに。
「誰にも相手にされないで一人でいるのって、辛いよ」
キョーコは苦笑する。
「皆さんはそうかもしれませんわね。ですがわたくし、そこまで軟弱でなくってよ」
「そういえば二階堂さん、部活入るの?」
「えぇ。取り敢えず内申のためにも。剣術をやるので、剣道部があればと思ったのですが……どうやら廃部の憂き目にあったようで」
アンリは心底残念そうだった。
キョーコは想像してみる。板敷きの道場で道着に身を包んだアンリが竹刀や木刀を握る姿。ミスマッチと思いきや、その凛とした雰囲気と言うか、立ち姿と言うかは、なんとなくしっくり来る。そう、アンリには大きな刃物がよく似合う。何故か。
「だったら陸上部はどう!?」
後輩の一人に脊髄反射のような速さで聞き返されて、アンリは思わずのけぞった。
「陸上部? キョーコ様といっしょの?」
「うん。二階堂さんスポーツ得意そうだし。ね、部長?」
「だーかーら。もう部長じゃないってば」
キョーコの笑顔が引きつった。微笑ましい会話のはずが、イヤな方向に流れてきているような気がしてならなかった。
「だって、ねぇ」
「まぁ、ねぇ」
後輩達は意味ありげな視線を交し合う。
「チヅルちゃん、苦戦してる?」
「てゆーか、苦戦してるのは私たちですよ」
「あの人命令ばっかで。なんだかコンピューターみたいなんですよねぇ」
「まぁ生徒会長もやってるからあんな感じになるのかなー」
「マシーン会長?」
「ウケる」
「あのさ、みんな」
後輩の口さがなさに流石に待ったをかけようとキョーコが口を開いたときだった。
「おなか一杯になっちゃいましたわ」食べ始めたばかりだというのにアンリは立ち上がる。後輩達が引き止める声を無視しながらキョーコの隣までやってくると、
「だから人に関わるのは嫌いなのです」
と、囁いて。
「躾がなっていませんわね」
人と人の間をするする縫って消えていく背中に、キョーコは返す言葉が無い。チヅルが悪く言われるのは、満足に引き継ぎもしてやれなかった自分のせいだという後ろめたさがずっとあったからだ。
「――――ノジャク様ってのが旧校舎に居て、どんな願いでもかなえてくれるんだって」
「なんか、ウソくさくない?」
「でも会ったっていう子沢山いるし。今日、行ってみる?」
後輩達の話題は既に別のものへと移っていた。
アンリからイギリスへ。イギリスからチヅルへ。チヅルから今度は旧校舎の某へ。きっとあと十分もすれば彼女達はアンリのことを忘れてしまうのではないか。そんなことをキョーコは漠と考えた。
「あれ」
旧校舎といえば、自分も何かを忘れているような気がした。
キョーコはテーブルの木目をなぞりながら記憶を遡る。旧校舎、弁当、少女……鬼……?
「せーんぱい、なんか、呼んでますよ」
気付いて顔を上げると、後輩達の視線がキョーコに注がれていた。ぼんやりしている間に何かがあったらしい。
――――返しお呼び出し致します。三年A組の鳴無響子さん。三年A組の鳴無響子さん。至急職員室まで――――
何が、と聞く前に天の声が答えた。割れたスピーカーの音声は間違いなくキョーコの名を呼んでいた。至急、と付けられると途端に雲行きが怪しくなってくる。
「じゃ、じゃあ行って来るよっ。あと、もしチヅルちゃんのことで何かあったら、スバルちゃんに伝えておいてくれるかなっ!」
「あ、ぶちょー……」
さっさと弁当を片付けて席を立ったキョーコに、後輩の言葉は届かなかった。
「スバルさんのこと知らないんだね、キョーコ先輩」
「うん」
◆◆◆
職員室。
好きで入り浸る生徒はいないだろう。
白抜きの文字がどこか威圧的に見下ろしてくるプレートの下でキョーコは息を整え、何でもどんとこいやと覚悟を固める。
「たのも……失礼しまーす」
十数分後。
すっかり意気消沈して出てきたキョーコは、絶望の面持ちで手元の通達を読み返した。
「どうしよ」
どうしようもない。
キョーコの頭がすぐに結論をはじき出した。
◆◆◆
蒸し暑い。
空気が淀んでいる。
勇儀がタオルで汗を拭った。
「こりゃあ何のマネだい、風間っつぁん」
「すぐ説明する」
下宿屋の食堂に集められた面々は蒸し暑さにあえいだ。厳めしい顔でマジックを掴んだ風間と、壁に張られた模造紙。窓には暗幕が垂らされ、いくつかの卓上灯が黄色い照明で室内を照らしている。扇風機がうなりを上げているが、焼け石に水だ。
「えー。宴会じゃないのかよう」
そもそも呼ばれてもいない萃香が不満の声を上げる。風間が舌打ちだけで返答した。
「じゃあ主役も帰ってきたし、ボチボチ始めるか」
キィと音を立てて風間が照明のひとつを向けた先で、キョーコが眩しさに目を細めた。
「主役って、わたしですか?」
「そう。これから俺たちはキョーコちゃん、ひいてはこの下宿屋早稲川荘きっての大問題について作戦会議を行いたいと思う」
「わたしの……問題?」
そう言われてもキョーコには思い当たる節が無い。
いや、思い当たる節が多すぎてもはや何が何だかよく分からないのが現状なのだった。固唾をミヨシが注いでくれた麦茶と一緒に飲み下して、彼女は風間の次の言葉を待った。
「今日から早稲川荘第1食堂は、」
「いや、食堂いっこしか無いじゃないか」
勇儀の的確なツッコミを黙殺して風間は模造紙をびしばしと叩いた。暗幕の隙間から差し込む光にホコリが舞う。いい加減全員がこの暑苦しい環境とノリに辟易していた。
「『鳴無響子ちゃん素寒貧大脱出作戦』本部としまーす」
「へ?」
「あん?」
「うわー」
それぞれがそれぞれの反応でもってキョーコと風間を見比べた。
「はい」
「はい、キョーコちゃん」
「スカンピンってなんですか」
「いい質問だな。それはな、キョーコちゃんがホームレスもびっくりのド貧乏ってことだよ」
う、とキョーコが呻く。
「あぁ、やっぱりそうなんだ」
萃香の「やっぱり」が更に追い討ちをかける。
胃のあたりを押さえてうずくまっていくキョーコなどお構いなしで、風間は模造紙に『キョーコちゃん=ビンボー』と書き殴る。
「キョーコちゃん、カバンの中の物、出しな」
俯いたキョーコが震える手で掴み出した通知書を勇儀と萃香が奪い取る。軽く青味を帯びた白い用紙には公益財団法人何々と物々しい名前が印字されている。「重要」の赤字が目に痛い。
「えー、っと。すぽおつってのは何だい」
「そんなことも知らないのか勇儀。競技のことさ」
「奨学金……はカネくれるんだろ、要するに。でも奨めるって何を奨めてるんだい」
「そりゃあスポーツを勧めるんだろうさ」
「うち、きり……打ち切りぃ?」
ここの反応は、キョーコが書類に目を通したときとまったく同じだった。
「うわ。これマズイんじゃないかい」
「……やっぱり?」
大ピンチであること以上の理解をキョーコの脳が拒んでいた。おかげで午後の授業はいつも以上に手につかず、居眠りにすら身が入らない始末だったのだ。
「かざま、さん。どこでこの話を……」
「とあるスジ。おっさんは顔が広いんだ。と、まぁ、そんなことは置いといて、だ」
改めて、風間は模造紙を見つめる。
「T女の学費諸々は年二回、春と秋の支払いだ。つまり夏休みが終わるまでにウン十万を稼がなきゃキョーコちゃんは大変なことになる」
「ふーん。大変なことって?」
完全に他人事といった風で萃香が問うた。実際他人事であるが。
「最悪退学だな。中卒おめでと、キョーコちゃん」
――うぎゃあああああ。
ついに悲鳴を上げてキョーコが床の上にひっくり返った。座布団を顔に押し当てたっきり動かなくなった彼女を放置して、尚も作戦会議は続く。
「要するにだ。あたしたちで頭を捻って金儲けしようってことだろう?」
「んー、まぁ言葉は選んで欲しかったが、ゆっぴーの言うとおりだな。んじゃ皆の衆、早速意見出してくれ」
ミヨシが、すうっと手を上げる。
「はいお月謝全額カット来ました。どうだい、キョーコちゃん」
「ダメです、それは。ダメです……よいこ的に……でも今月の支払いは、ちょっと待って欲しいです……」
すっと手を下ろしたミヨシが、すっと頷いた。
「はいはいはいはいはい」
「はいチビ」
「チビ言うな。風間、お前こないだお馬さんで大分稼いだんだってねぇ」
「……お前も大概知ってるのな」
あるスジからな、と萃香は風間の真似をしてみせる。
「だからさ。あげろってワケじゃないよ。でも金が浮いてんならちょこーっと貸して、ちょこーっと待ってあげたら?」
「…………まぁ、俺もやぶさかじゃあないがな。あ?」
床を見ると、座布団を被ったままのキョーコがしきりにハンドサインを送っている。
「何? エックス? 違う? ダメ?」
座布団人間がこくこくと頷いた。
「風間さんはお友達です」
「あ、ここ喋るんだ」
「お友達とお金の貸し借りだけはできません。やったら終わりです。あとよいこ的にもアウトです」
「その言葉は嬉しいけどなあ」
月謝カット。足長おっさん。窃盗。
次々と模造紙の上にアイディアが書き込まれては×マークで塗りつぶされていく。それからもぽつぽつと手は挙がったが、どれもよいこ的にダメと判断され、×の海に沈んでいった。
「んお」
出るものも出尽くし、沈黙が訪れた頃になって、ようやく勇儀が手を挙げた。
「ほい、ゆっぴー」
「酒かっくらって寝る。で忘れる」
「まぁ……確かに……オトナとしてはそれが一番いいような気がしてきた……」
ってそうじゃねえだろ。
風間がノリツッコミをすると、すっかり出来上がった萃香が手を叩いて笑う。
勇儀のいらへといい。このやたらと作りこまれた会場も含めて、皆結局キョーコをおもちゃにしているだけなのかもしれない。
「あうう」
頼もしいと思いきやの公開処刑である。座布団を被ったままキョーコがごろごろと床を転げた。
「あー、つまりさ、道徳的にも法的にも「よいこ的」にも胸張れる方法でカネ用意すりゃあいいんだろ?」
見るに見かねてか、それとも百万年に一回の良心がまた起こったのか。それは定かではないが、キョーコの座布団を引っぺがしながら勇儀が口を開いた。
「でもそんな方法がどこにある」
「働きゃいいだろ。真っ当に」
その瞬間を狙ったかのようにキョーコの顔面から座布団が剥がれた。
「あぁ」
全員、目から鱗といった様子だった。
「その手があったか」
むしろ真人間なら一番にそのアイディアが浮かぶ筈なのだが。
ようやく立ち直り始めたキョーコは体を起こして、全員の顔を異星人でも見るかのように見渡した。
「どうだい、キョーコちゃんは」
「は、はい。夜なら。あと、脱兎珈琲にいかない日もまだまだありますので」
「よーし。そうと決まれば職探しだ。だいたい三人くらいで働けばイケるだろ」
「え?」
風間は確かに三人、と言った。
「俺とゆっぴー、んでキョーコちゃん。みんなで稼いだ方が貯まりが早いだろ?」
「い、いやいやいや、そんなお金、受け取れませんよ」
「困っている人を見捨てないのがよいこじゃないのか?」
それを持ち出されては、キョーコに断ることはできない。
「……ゆーぎも、それでいいの?」
「あたしゃどこまでもキョーコに付き合うって決めたからねえ」
「うん……ありがとうございます」
頭をわしゃわしゃ掻いて、勇儀は落ち着き無く室内を歩き回った。おそらく照れているのだろう。
「にしても仕事なんてすぐに見つかるもんかねぇ」
ケータイ片手にメモ帳をパラパラめくり始めた風間に勇儀は耳打ちした。
「心配すんなって。おっちゃんは顔が広いんだ」
早速どこかへと電話を掛けに出て行った風間の背中を見送りつつ、勇儀はなんだか不安になってくるのだった。