わたしはカミナリ   作:おぴゃん

14 / 26
2『カラの財布と消えたクラスメート(下)』

 投光器の投げかける光の中を砂塵が舞い、重機が鋼鉄の体で地面を蹂躙する。機関銃の発砲音のごとき重音をBGMに、上腕二頭筋に玉のような汗を浮かべた男達が統制の取れた動きで行き交う。ここは紛れも無く戦場だった。

 

「風間の兄ちゃんよぉ」

 

 ブーツの足音を響かせながらやってきた一人の男を迎えるように、砂塵のカーテンがさっと開いた。

 ヘルメットの下は鬼もかくやという獰猛な顔。鋭い眼光で彼の見つめる先には二人の新兵がいた。ひとりは健康そうだがやや小柄。もう一人はがっしりした体つきであるものの、隻腕隻眼であった。二人とも女性である。

 

「こりゃ何かの冗談か?」

 

 地獄の鬼にすごまれても、風間は涼しい顔のまま重機にもたれてタバコをふかす余裕を見せる。

 

「俺が自分のツラ潰すようなマネすると思うのかい?」

「ふん。おいそこの。オトナシ、キョーコ、って読むのか。お前さんだ」

「ひゃいっ」

 

 いくらなんでもそりゃビビり過ぎだろうというくらい、キョーコが地面から飛び上がった。

 

「歳は?」

「じゅ、じゅうはちです」

「部活は?」

「陸上部、やってました」

「ふん。体力はありそうだな」

 

 現場で面接と聞いていたが、正に現場とは。

 予め送った履歴書の内容確認のようなものだったが鬼軍曹、もとい現場監督の放つプレッシャーを受けて、本物の鬼であるキョーコの首筋を滝のように汗が流れ落ちていく。

 

「大体分かった。じゃあ最後に念押しするけどよ」

 

 ヘルメットの下の眼光が一段鋭くなる。

 

「嬢ちゃん、T女の生徒じゃねえよな?」

「は、はぁーー」

 

(違う違う。違うって言え)

 

 風間が口パクで伝えてくる。

 それは分かっている。そのために普段着られないとっておきの普段着で来たのだ。

 しかし悲しいかな、キョーコは虫も殺せぬよいこ筆頭である。たった一言ウソを吐かせるために、ほんの数分前まで風間の演技指導を受けていたくらいだ。

 

「ちが」

「違うのかい」

「あ、いえ」

「どっちだよ。えぇ?」

 

 とんだ見ものである。必死に笑いを堪えながら、あるいはヒヤヒヤしつつ、勇儀と風間はキョーコの頑張りを見守ることに努める。

 

「ち、違いますぅ。わたしぃ、西校の生徒でぇす」

 

 指導が最悪の形で発揮された。

 キョーコが妙に上ずった声で彼女なりの西校生を演じた瞬間、隣で勇儀が小さく噴き出したのが分かった。その後も肩がぷるぷると震えている。風間も唇を噛みしめながら、鳩尾の辺りの肉をねじり上げて笑いを消そうと必死である。

 

「あ、あの」

 

 あぁ、やんぬるかな。必死に弁解を図ろうとするキョーコの前で、男はヘルメットを脱ぐと禿頭をぽりぽりと掻いた。

 

「ま、いいや。面倒だけ起こさなきゃ」

 

 予想に反して、彼はすんなりとキョーコのウソを受け入れることにしたらしい。

 

「合格だ。そっちのねえちゃんもな」

「大丈夫だって。こいつら馬力が凄いんだ」

「馬力でもなんでも良いけどよ、こないだの洪水でこっちはてんやわんやなんだ。なんかヘマしたら即刻クビだからな」

「あいあい。じゃ、後でな」

「ったく。さっさと着替えて作業にかかりやがれ。今も時給払ってんだからな」

 

 鬼よりもよっぽど鬼めいた現場監督がのしのし歩いていく姿を見送って、ようやくキョーコは肩の力が抜けるのを感じた。

 

「いやー、立派な大根だったねぇ」

「キョーコちゃんにしては頑張ったけど、酷かったな」

 

 キョーコも酔狂でやっているわけではない。

 T女学院はとにかくおカタい学校である。ごく一部の例外を除いてバイトは禁止。その例外であるキョーコがスバルの店で働いていいよと言われた時でさえ正式に許可が下りるまで半月以上待たされたのだ。それに今は時間が無い。

 

「あああ、ウソついちゃったよぉお。しかも二つもおぉ」

 

 割り切ってこの場に臨んだとはいえ、よいこにはダメージが大きいイベントだった。ビルの壁に頭をごん、とぶつけるキョーコを捨て置いて、勇儀たちは行ってしまう。

 

「あ、キョーコちゃんはこっちじゃなくてね」

 

 追ってきたキョーコを、風間は回れ右させる。

 

「あっち。あそこ、見える?」

 

 風間の指差す方向にはただ、混沌があった。

 そこはとりわけ喧しく、熱気に満ちていた。赤鬼のような顔色と肉体を誇る男達が瓦礫を満載した麻袋を肩に背負ってはトラックに積み込んでいく。古代エジプトのピラミッド建設と説明されてもまったく違和感が無い。

 

「俺は一般人。ゆっぴーは怪我人。だからノーマルコース」

 

 一方風間が親指でしゃくった場所では例の麻袋に瓦礫を詰める作業が行われていた。これはこれで重労働なのだろうが、カオスゾーンを見た後ではお花摘みにも等しくキョーコの目に映る。

 

「でもキョーコちゃんスーパーパワーあるからさ。ハードコースで申請しといた」

「え、ちょ、勝手に何してくれるんですか」

「ハードはいいよー。一晩でイイ靴買えちゃうからね。おっちゃんもう少し若かったら一緒に行くんだけどなー」

 

 風間はキョーコのツボを心得ている。

 

「靴……服……!」

 

 見る見る間に目の色を変えたキョーコが、蜜に釣られる蝶のごとくふらふらと砂塵の中に消えていく。これから行われることを考えると、灯に集う蛾に例えたほうが的確かもしれないが。

 

「わっかりやす」

「キョーコちゃん、休日も制服かジャージだからなぁ」

 

 キョーコが悪いのではない。貧乏が悪いのだ。

 しみじみとしながら支給の作業着に着替えを済ませて合流した二人は、さっそく掘り返された瓦礫の山を崩しにかかった。暫らくした頃、風間はうけけと笑い声を洩らした。

 

「なんだいなんだい。気色悪い笑いしやがって」 

「いや。おっちゃん実はあの作戦会議にさして期待してなかったのよ」

「あん? じゃ、あんたはつまり」

「元から皆で働いてカネを出す。っていうプランを用意してた。あの茶番はまぁ、面白そうだったし。それにキョーコちゃんいじめると反応が面白いからな」

 

 風間は瓦礫を詰め込む手を休めず、また笑った。その人の悪さに、勇儀も呆れた笑いを浮かべるしかない。

 

「どりゃー!」

 

 気合の入りきったキョーコの掛け声が夜の街に鳴り響く。

 勇儀と風間の見ている先で瓦礫をみちみちに詰め込んだ麻袋が放物線を描いてダンプカーの荷台にシュートされるなり、周囲にどよめきが走った。

 

「本人も大分やる気出してくれてるみたいだし」

 

 次々と空を飛ぶ麻袋を見て、二人は改めて金の力というものを痛感させられる。「力みすぎるのも良くないけどな」と肩を竦めて、風間は白い歯を見せた。

 

「話がちょっくら脱線したが、要するに俺はゆっぴーの口からバイトの話が出たのが嬉しかったのさ。お前、キョーコちゃんのこと茶化してばっかだけど、それなりに真剣に考えてるんだな、ってさ」

「買いかぶりすぎだよ。ただの思い付きさね」

「そうかぁ?」

「そうだよ。それに、無くした記憶の手がかりなんだ。勝手に居なくなられても困るしねぇ」

「素直じゃないねぇ」

 

 勇儀は答えなかった。隣で風間がまた肩を竦めて見せる気配に少しだけ苛立ちを覚えながら、黙々と作業をこなした。キョーコほど切迫していないにしろ、生活費を自分で稼がなければいけないのは勇儀も一緒なのだ。

 

 ◆◆◆

 

「ちょっと休憩取ろうぜ」

 

 風間の声に勇儀が腕時計を見てみると四時間あまりが経っていた。知らないうちに作業に没頭していたらしい。丁度小型のショベルカーの近くに資材が積まれていたので、それに背中を預けるようにして座る。そしてお互い妙に小さな水筒を取り出すのだった。

 

「ゆっぴー、それ酒だろ」

「人のことが言えるのかい?」

「ちげえねえ」

 

 アルコール臭い息を吐いて、二人は工事現場を見渡した。

 現場の中も、外も、それそれはひどい有様だ。アスファルトはめくれ、電鉄のレールが浮いている。水道管か何かが破裂したのか、あちこち陥没した地面に水が溜まっていた。

 

「こないだのこと、誰かと話したか?」

 

 勇儀は頷いた。

 

「野球チームのガキんちょ共と話したけど、皆口を揃えて洪水洪水って言うばっかりさ。どう思うね」

「洪水でこうはならんだろ。それに、ここら一帯は過去十年以上、一度も冠水していない」

「死んだヤツだっているだろうに」

「ところがどっこい。あの翌日の新聞では死傷者ゼロときた」

 

 思わず勇儀は風間に疑いの目を向けていた。

 

「言っておくが、俺が新聞書いてるわけじゃあないぜ」

「そんなバカげたことがあるかい。あの黒いのが人を襲うの、風間っつぁんだって見てたんだろ?」

 

 それだけじゃない。奇怪に変形した暴走列車や、銀色のオオカミ。キョーコと萃香の戦いに割り込んだ巨大な鬼。そのすべてを二人は目にしてきたのだ。

 

「あぁ。お前のダイブも大したもんだったよ。だがあの黒い鬼はなんだったんだ。人を攫って、殺していたのか? それとも何か、もっとタチの悪いことをしていたのか?」

「結局、アレが何だったのかは闇の中ってことか」

「あれが始まりだったのか、それともあれっきりだったのかってこともな。確かなことはキョーコちゃんが力持ちになっちまったってことだけだ」

 

 と、休憩を終えて二人が腰を上げた時だった。

 二人の第六感が、なにか言いようの無い危機を告げていた。キョーコの悲鳴が聞こえたのはその直後だった。

 

「どりゃーーあ? あぁぁあああ、逃げてー!!」

 

 とっさに頭を下げた勇儀たちのすぐ上を、びゅんと音を立てて麻袋が通過する。

 間一髪だった。転がるようにして降り注ぐ資材と倒れこむ重機から逃れた二人が振り返ると、青い顔をしたキョーコが口元を押さえて立ち尽くしていた。

 

 ◆◆◆

 

 当然クビである。

 安全基準ガン無視の上損害まで出してくれたキョーコはあの後こってりしっかり絞られ、給料は当然パア。張り切りは無に帰す結果となった。

 

「そう気を落とすなって」

「トラウマになりそうです……」

 

 昼のK市と夜のK市は異なった表情を見せる。

 じりじりと町を焼いていた日が暮れるころには通りから学生や子供連れの姿が消え、酔漢や怪しげな客引きが多くなってくる。バイトを終えた風間が飲み物をキョーコに持っていってやると、彼女はコンクリート製のオブジェの台座に座り込み、頭を抱えていた。

 

「やぁ。待った?」

「ゆっぴー、そのツナギどうした」

「いやー、カントクに気に入られてね。明日も来いって言われたから、このまま帰ろうかなって」

 

 そこで頭上にどんより雨雲が立ち込めるキョーコに気付いた勇儀は、何気なく言い放った。

 

「あんた力だけが取り柄なのにねぇ」

「うう」

 

 深く、深く傷口を抉る一言であった。

 

「……力だけじゃないよ」

「じゃあ他に何があるのさ。あんた勉強もイマイチじゃん」

「ゆ、ゆっぴー、今はやめてやれ」

「……体育は成績いい……よかったし。小学校まではテスト全部満点だったし」

 

 いくらなんでも過去の栄光にすがり過ぎである。

 

「それに、み、皆が助かるって言ってたんだよ」

「あぁ? あんた本当に考えるってことをしないんだねぇ」

 

 ぐに。

 

「あ」

 

 それはそれは、無遠慮なわしづかみであった。

 脈絡無く勇儀にふん掴まれた己の乳房を、キョーコは唇をわななかせながら見下ろしていた。その顔が次第に赤くなっていく。風間にはキョーコの頭が、除々に沸騰してゆくヤカンに見えた。

 

「な、ななな、ななななぁ!?」

「ほぉらコレだよコレ。ここばっかりブクブク無駄に膨らませやがって。のーみそ行くはずの栄養までこっちに行っちまったんじゃないかい?」

「そそ、そこは関係ないじゃん。それに、ムネのことならゆーぎだって人のこと言えないんじゃないの?」

「あたしはこの通りたっぱがあるからねえ。それに走らないから邪魔にもならない。形だってあんたよりずっといいはずだ。な、風間っつぁん」

「男であるおっさんにそういうコメントを求めるお前はとても残酷だ」

 

 花も恥らう女子の乳を道端でしつこく揉みしだきながら勇儀は高らかに笑った。キョーコはといえば怒り心頭の爆発寸前である。

 

「これ、気にしてるんだからね……!」

「どうしてだい。乳がでかいならでかいなりに堂々としてりゃあいいんだよ。なぁ?」

「だから俺にそういう話題を振るな。頼むから」

「まぁまぁ、とにかく気にするなって。大は小を兼ねるというし」

「そんな適当なこと言われたって、気にするに決まってるじゃん!」

「牛女」

「うがー!」

 

 キョーコがまたまたよいこ三原則に抵触した瞬間、突風が閃光と共に吹き荒れた。なんだか分からないがキョーコが妙な清清しさを覚えていると、矢鱈に視線を感じる。勇儀や風間だけでなく、通りかかった誰もが怪訝な顔で彼女を見つめていた。

 

「え、何?」

「キョーコちゃん、下、下が」

 

 スカートの裾が何かに引っかかっていた。

 それをそっと除けてみると現れたのは金属の光沢。複雑な文様の施された柄頭である。もちろん柄頭があるからには柄があるワケで、柄があれば刃がなければおかしい。そして鋭利なカタナは、キョーコの足元のタイルにさっくりと突き立っているのである。

 

「あぁ。あのときのカタナ。まだあったんだ」

「い、一周回って冷静になってんじゃないよ。これ、どっから出したんだい!?」

 

 勇儀にがくがく揺さぶられてキョーコは我に返る。

 

「あわわ、そうだ。これ、ええと、そうだ」

 

 キョーコはとりあえず地面から引っこ抜いてみた。

 が、最悪手である。何がとりあえずか。それだけで問題が解決するはずがない。余計面倒になっただけだった。

 

「どうしよ、ゆーぎ、これ」

「お、落ち着きなったら!」

 

 抜き身のカタナを手にしたままキョーコが迫るので、切っ先を避けて勇儀は右往左往するしかない。当然彼女達の行く先々で悲鳴を上げながら群衆が割れる。当然だ。どう見ても錯乱した女子高生が刃物を振り回しているようにしか見えない。

 

「あ、やべぇ!」

 

 風間の声に二人が振り向いてみれば、早速騒ぎを聞きつけた警官がこちらに走ってくるではないか。顔を見合わせた三人は、誰からともなくその場から駆け出したのだった。

 

 ◆◆◆

 

 てんでバラバラの方向に駆け出した三人だったが、示し合わせたように人気のない神社の境内にて合流することとなった。三人は荒げた息を落ち着けつつ、しばらく何言で地面に寝かされたカタナを見下ろしていた。

 

「なんで俺ら、逃げたんだろうな……」

 

 どうしようもない雰囲気になりつつある中で風間が会話の口火を切った。が、あたりに漂うどうしようもなさに拍車がかかっただけだった。

 

「あのまま届け出たほうが良かったですよね」

「やましいこたぁ何もしてないんだ。まったく、とんだ災難だよ」

 

 その通りだが、勇儀にその台詞を言う資格があるかは疑わしい。

 眼帯隻腕の美女がツナギを着てのしのし歩いている上に、明らかに国籍不明なのである。身分証を求められただけで一発退場は逃れられまい。

 

「なんだいあんたら、その目は」

 

 おまけに本人にその自覚が無いのである。尚更タチが悪かった。

 

「ま。警察に預けるって手はこれでナシだな」

 

 勇儀がキョーコを小突いた。

 

「なんとかしな。あんたが出したんだから」

「なんとかって」

 

 先は無我夢中だったとはいえ、このカタナは勇儀と萃香の血に塗れている。そう考えると触ることすら忌まわしくなってくる。因縁のあるカタナの柄の上で手を泳がせるだけのキョーコを更に勇儀がせっついた。

 

「早くしなよ。また走らされるのは御免だからね」

「う、うるさいな。わかってるよ」

 

 観念して朱色の紐で巻かれた柄を握る。堅く結ばれた柄紐の感触。ずしりと刃の重みを感じる。が、

 

「戻らない?」

「戻らない」

 

 それだけだった。

 

「戻らないなら?」

「持って歩くしかないね」

「こっから下宿屋までは?」

「だいたい三十分くらい歩かなきゃ」

 

 途端に勇儀の拳がキョーコの頭に落ちた。

 

「使えないヤツだねぇ」

 

 このカタナ、どうやら神出であっても都合よく鬼没してくれるような代物ではないらしい。頭を抑えてキョーコが痛がっていると、

 

「仕方ねぇ。ゆっぴー、脱げ。今すぐ」

 

 と、混沌に混沌を注ぎ込むようなことを風間が口走るのである。

 

「あ、あれ……? コレなんの話でしたっけ……!?」

「いやヘンな意味は無いから。ツナギだよ、ツナギ。何かに包んで持ってくしかないだろ」

「なんであたしが」

「お前しか着替え持ってないんだよ。ホラ、あっちに便所あるから」

 

 「あーもう、ひとつ貸しだからね」と言って嫌々の渋々といった様子の勇儀が木立の奥の公衆便所へと駆けて行く。

 

「じゃ、おいちゃんもちょっくら用足し行ってきますかね」

 

 そんなことを言って風間までいなくなると、ついに境内にはキョーコだけになる。夜風が汗ばんだ肌に心地よかった。境内に植えられた巨大な楢の木のさざめきを聞いていると、自然「ほう」とため息が口をつく。

 

「なんか、疲れちゃったなー」

 

 ここ数日は本当に忙しかった。

 アンリとの再会から陸上部の不穏な状況を知ることになって。奨学金が止まった瞬間から作戦会議だバイトだ履歴書用意しろ、と。嵐のように時間が過ぎていった。

 

(インターハイ、か)

 

 考える暇も無かった分、こうしてポッカリ時間に穴が開いてしまうと、どうしてもそのことを考えてしまう。さっき走って分かったが、壊れた脚は未だに言うことを聞かない。それでもキョーコは夢を捨てる気にはならなかった。

 

「逃げないって言っちゃったからな」

 

 相手が何者であれ、宣言したのならそれは約束なのだ。

 キョーコが決意を新たにした時だった。

 

 ――――ずずず、ざざぁ。ずずず、ざざぁ。

 

 境内に入ってきたソレの姿を見た瞬間、キョーコは我知らず身構えていた。 

 燃えているように見えた。燻っているように見えた。砂利を蹴散らしながら境内を横断していくそれらの全身から、宵闇の中にも関わらず黒い煙が立ち昇っているように見えたのだ。

 

「誰」

 

 ――――ずずず、ざざぁ。ずずず、ざざぁ。

 

 影は答えない。

 だが、十分だった。それらが脚を止め、ぐにゃりと頭をもたげてキョーコを見る。人だった。見覚えがあった。

 

「キミたち、どうしたの……?」

 

 微かな光を放つ照明の下で、ようやく異形の正体が分かる。昼に話をしたキョーコの後輩達だ。ただ手を繋いでいただけで異形に見えたというのもおかしな話だが、もっともおかしいのは、彼女達の目だった。

 

 ――――ざ。

 

 真っ黒だった。むしろ真っ暗だったのだ。

 白目のない目は光を反射せず、しかしキョーコを確かに捕らえている。ぽっかりと空いた穴のような目。その深遠にいる、何かが、キョーコを。

 

 ――――ずず、ざ。ずずず、ざざぁ。

 

 一瞬、だったのか。

 それとも果て無しなく長い時間、深遠を見つめていたのか。

 二人組みが再びどこへともなく歩き出したとき、氷雨のように冷たい汗がキョーコの頬を伝っていた。

 

「悪ぃ、遅くなった」

 

 人数分の飲み物を抱えて戻ってきた風間は、すぐキョーコの異変に気付いたようだった。

 

「ありゃあ知り合いか?」

「……はい。部活の。陸上部の元後輩、のはずなんですが。その、様子が」

「様子がおかしい、か」

 

 ローファーを引きずるようにして歩いていく二人の背中は大分小さくなっていたが、遠目にも彼女達の異常は見て取れる。まるで昆虫かなにかが彼女達の皮を被っているように、その動きはが、ぎこちないのだ。

 

「昼に会ったときは、むしろ元気すぎるくらいだったんですが」

 

 キョーコはそう口にして、ひとつ心当たりがあることに気付く。

 

「旧校舎」

「うん?」

「旧校舎行くって言ってました。たしか、のじゃく様がなんとか言って」

「アマノジャク様、だろう?」

 

 いつからそこにいたのか。勇儀だった。彼女の汗のにおいがバッチリ染み付いたツナギをキョーコの頭に被せ、彼女はひとつ残った瞳で二人組みを睨んだ。

 

「ゆっぴー、知ってんの?」

「今時この界隈なら子供でも知ってる噂だよ。全知全能。空前絶後。願いを言ってみるがいい、(たちま)ち叶えて進ぜよう――ってヤツらしい」

「おいおい、いくらなんでもそりゃ」

「荒唐無稽と断じるのは簡単さ。だがね風間っつぁん。あたしたちゃ、そういったものをいくつ目にしてきたんだい」

 

 風間は口をつぐむ。確かに幽霊やお化けが今更なんだと言うのだろう。現に後ろでツナギに頭を突っ込んだままもごもご騒いでいるキョーコでさえ、荒唐無稽な力をその身に宿しているのだから。

 

「ついといで」

 

 勇儀がキョーコの手を引く。その拍子にばさりと落ちたツナギを手早くカタナに被せると、風間はタバコの箱を叩きながら様子を見守ることにした。

 

「ちょいと、あんたら」

 

 勇儀たちが立ちふさがると、あいかわらずギクシャクした動きで二人は足を止めた。黒い瞳は相変わらずどこを見ているのか分からない。さぁどうしたものか、と勇儀は考える。

 

「痛っ」

 

 強く締められた腕の感触に顔をしかめて勇儀はキョーコを見下ろす。

 心なしか顔が青かった。肩が震えている。明らかに彼女は二人に怯えていた。岩の詰まった袋を軽々投げ飛ばし、その気になれば軽く音の壁を破れるキョーコが。

 

「あんた」

 

 僅かに考えこんで、勇儀はキョーコの腕を振り払った。

 

「あ」

 

 支えを失ったように、キョーコはか細い声をあげた。彼女のすがる様な視線を感じながら、勇儀は片腕を振りかぶる。

 

「いいかいキョーコ」

 

 途端に奏でられた、鼓膜を突き破るような破裂音の二重奏。

 すぱぱ、と。居合いじみて隙のない見事な往復ビンタであった。

 いかに鬼の力を失おうが、隻腕であろうが、彼女は未だ剛体の持ち主である。加えて二メートル近い身長から繰り出された叩くというより叩き落すようなそれは、もはや愛のビンタなどではない。殺人的威力を兼ね揃えた愛の戦術爆撃であった。

 

「え――ええええぇぇぇ!?」

 

 あまりの衝撃に二人は正反対の方向に吹っ飛んだ。

 正反対の方向に吹き飛んだ一人は顔で砂利の上をスライディングし、もう一人は石灯籠に顔面から突っ込む。突然のバイオレンスな展開に付いていけないキョーコの悲鳴が、閑静な夜の神社に木霊した。

 

「ななな何やってるのー!?」

「あーいうのにはこーいうのが一番効くんだよ。見てな」

 

 地面に伸びた二人の首がよくない方向に曲がっている。

 

「見たよ」

 

 彼女達はぴくりとも動かない。

 

「あらま。おかしいねぇ」

「これ、もしかするともしかするんじゃない?」

「ほら勇儀姐さんも間違いくらいするんだよ」

「するんだよ、じゃなくてさ」

 

 いい加減死んでるんじゃないかと思えてきた頃だった。

 不意に彼女達の体から黒い煙がさっと立ち昇り、楢の木の頂上のあたりでさっと夜気に散って消えた。途端に彼女達は呻き、よろよろと体を起こすと、佇むキョーコと勇儀を見て目を丸くするのであった。

 

「いだだ……あれ、せんぱい」

「こんな所でどうしたんですかー?」

「こんな所って言うけど、ここ、どこだか分かる?」

 

 まだ寝惚けたような二人にキョーコが事情を説明するにつれ、二人は目を輝かせていった。そこに、ついさっきまで彼女達を支配していた不穏な影は無い。

 

「すごいすごい、記憶が無くなっちゃった!」

「私たち、本当にアマノジャク様に会えたんだ!」

「……どういうこと?」

 

 記憶を失うという不気味な体験をしたにも関わらず、彼女達は喜ぶばかり。釈然としない顔でキョーコが首をかしげると、興奮冷めやらぬ様子で二人は説明してくれた。

 

「アマノジャク様はなんでも願いを叶えてくれるんです。ただ」

「ただ、アマノジャク様に会った記憶は消えてしまう。自分が何の願いを叶えてもらったのかも忘れてしまう。だったね」

「はい。そうですけどーー?」

 

 話に割って入った勇儀の存在に彼女達は困惑したようだった。勇儀が何食わぬ顔のまま「キョーコの親戚でね」と嘯くと、一応彼女達は納得した。

 

「へー、キョーコせんぱいって親いたんですね」

「そりゃあ人の子だし、親くらい居てもおかしくはないさ」

「言われてみると、確かに似てますよねぇ」

 

 色々失礼なやり取りがあったが、顔じゃなくて胸のあたりを見ながら親戚認定されたのがキョーコには一番辛い。

 

「ところで、あの、なんか顔というか全身が痛いんですけど」

「せんぱい何か知りませんか?」

「わたし知らない」

 

 きっぱりとキョーコが言い放った。

 未だに少し夢見ごこちな様子の二人に気をつけて帰るように言って、暫らくすると勇儀が口を開いた。

 

「あんた今日一日で大分ウソ上手くなったね」

「あんまり……よくないけど。知らないほうが幸せなことってあるよね」

 

 勇儀と石灯籠と砂利によって二人の顔は大分怪物じみた風貌にリフォームされていた。家に帰って家族が悲鳴を上げるのが先か、鏡の前で自分が叫ぶか先か。とにかく二人がいつもの調子に戻ったようなので、キョーコは胸を撫で下ろす。

 

「で、どうだった?」

 

 暗闇からタバコの火がホタルのように漂ってくる。風間だ。

 

「ええと、つまりだよ」

 

 情報を整理するとT女学院の旧校舎には「アマノジャク様」という何者かが住みついている。お化けという話が一般的だが、出会った人間が記憶を失ってしまう以上、正体はわからない。会うことが出来れば願いを叶えてもらえるが、何の願いを叶えてもらったのかは忘れてしまう。

 

「めちゃくちゃ胡散臭くないかい」

「右に同じく」

「わたしも」

 

 そもそも、すべてを忘れてしまう、という時点でこの話は破綻しているのだ。

 多くの怪談話がそうであるように。語り部が最終的に無事でない限り、どんなに創り込まれた話も実体験から創作へと転落する。

 

「だけど旧校舎には確かに何かがいる」

「噂を広めたのは十中八九そいつだろうね」

 

 ふと視線を感じて、キョーコは何気なく空を見上げた。

 が、そこには誰も居ない。神社の屋根の上にきらりと光るものを見つけて目を凝らしてみると、ずらりと並んだ猫が声のひとつも上げずに、じっとキョーコたちを見つめているのであった。

 

 

 

 第7話『カラの財布と消えたクラスメート』 おわり

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。