わたしはカミナリ   作:おぴゃん

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11『虚飾(下)』

 髑髏が歌う。炎が盛る。

 

「時間が無いのを忘れるなよ!」

 

 紫炎の帯はどこまでも伸び、今や稲光を纏って疾走するキョーコに食いつこうとしていた。

 

「旧校舎は燃えている。モタモタしてると学生共が全員焼け死ぬぞ!」

 

 その様はまさに蛇だ。あと一歩で追いつけないキョーコを足止めするように、墓石めいて地中から突きあげてくる書架を足場にしつつ、キョーコはひときわ高い書架の上から睥睨する正邪への攻撃のチャンスを伺った。

 狙いは髑髏。それが纏う異様な気配を目にして確信した。炎も虚飾の世界も、あれが作り上げたものだ。

 

「時間はかからないよ。初めにそう言った」

「同感だ。手下も聖域も、今失うわけにはいかない」

 

 青い光が天を引き裂く。

 キョーコがカタナを振るうたび、偽りの空を破いて稲妻が降り注いだ。しかし虚飾の炎にいくら雷を浴びせたところで、その火勢が衰える様子はない。

 

「そのカタナ、使いこなしてきたみたいだな」

「こんなの振り回してるだけだよ」

「謙遜はよくないぞ。それを使いこなせるのはどうやらお前だけなんだ」

 

 地面に降り立ったキョーコが、再び加速する。ドレスのように纏った三角雲をぶち破り、全身を音の世界に放り込む。その速さは階下で正邪のサッカーボールにされていた時とは段違いに速い。青いカタナの残光が、その後を追って地を這った。

 

「鬼の力を手に入れてどう思った?」

 

 打ち上がる書架の一つが、ついにキョーコを空高く放り投げた。

 彼女は、高速ゆえに急なコントロールが利かない。手足をばたつかせた彼女を大蛇が飲み込み、もろともに地面に叩き付ける。

 

「肉が裂けても、骨が折れても、じっとしていればすぐ治る。痛みが無ければ最高だが、便利なことに変わりはない」

 

 正邪の言葉を裏付けるように、雷神はダメージを感じさせない動きで走り出した。

 

「だが、おかしいよな?」

 

 ちらり、とキョーコは正邪の位置を確認する。もう少し。もう少しだけ速度を稼げば、宙に浮かぶ書架を蹴って、彼女に手が届く。

 

「おかしい? 何が?」

「伊吹萃香の怪我のことだ」

 

 正邪の言葉は、相手の心を揺さぶるための武器でしかない。

 そう分かっていても、キョーコは自分の足の動きが鈍るのを感じた。地面に真っ黒な靴底の焼け跡を残して鋭く切り返す。間一髪、すれ違いに傍を掠めていった大蛇が大爆発を起こした。

 爆風に背中をあおられるようにして、キョーコは再び力強く大地を蹴る。

 

「鬼の四天王ともあろうあいつが、いつまでかすり傷に包帯を巻いてるんだ?」

「だって、あんなに深く斬ったら……」

「妙と言えばお前の力もそうだ」

 

 正邪は、ずっとキョーコを観察していた。

 祭りの夜の一件を経て彼女の力は格段に強化されていった。それこそ日常生活に支障をきたすほどのスピードで。

 

「私のように信仰を集めたわけではない。まして、バイトに精を出したくらいで鬼が強くなるわけもない」

 

 聞くな聞くなと思う程、正邪の言葉は耳の奥深くに垂れ込んでくる。

 

「そのカタナは幻想を喰らうためのものなのさ」

「カタナが、喰らう?」

「もちろんすべては憶測だ。だが、事実お前は有り得ないほどの強さを手にしたはずだ」

「もしそれが本当なら、わたしは、萃香ちゃんを」

 

 完全に心の虚を突かれた瞬間、キョーコの足が大きくもつれた。間髪入れずに降り注いだ紫の焔が、彼女を火だるまにする。

 

「そう。お前は伊吹萃香の力を貪った」

 

『キョーコ、あけて』

 

 鉄球を投げれば電車の車体を貫通するほどの剛力を誇っていた彼女は、どうしてガラスの瓶に苦戦していたのだろう。

 

「心当たりがあるみたいだな」

「わたしの力は……萃香ちゃんのもの……?」

 

 火の玉となって地面を削りながら体制を立て直す。カタナを握る拳を固めてみれば、確かに今なら月でも砕いてやれそうな気がする。

 

「だったら」

 

 どうして彼女は口をつぐんだのか、とか。どうしてあの大狗はキョーコの力を狙うのか、とか。思う所は、たくさんあるが。とにかく今は。

 

「あの子が一緒にいてくれるって考えると、心強い。かな」

 

 地面に深々と足跡を刻んで、キョーコが跳躍する。標的を見失った大蛇が地を食んだ。

 

「そのドクロ、叩き落とす!」

「粋がるなよ泥棒猫!」

 

 足下から書架が打ち出される。その勢いすら利用して、キョーコは鳥のように舞い上がる。

 狙いはあくまで正邪の髑髏。改めて肝に銘じて、刃を構える。

 

 ――終わらせる!

 

「甘いんだよ。ここは私の聖域だと言ったはずだ!」

 

 カタナの切っ先が、不意にブレた。疾走の高揚感も、酸欠の恍惚も、瞬時に困惑と内臓の浮く感覚に取って代わる。

 落ちている。

 ここは虚飾の王国。全ては正邪の掌の上。足場にするはずのビルは煙のように消え去り、空中でコントロールを失ったキョーコに容赦なく紫炎が迫る。

 

「カタナは貰う。燃え尽きろ、キョーコ!」

「ごめんね。思い通りにはさせないよ!」

 

 視界に白い蝶がよぎった。

 

「おやおや。親切にしてやった筈なんだがな」

 

 しゃらら、と音を立てるのは、キョーコを守って立つ小鬼の背丈より巨大な剣。幅広の刀身が左右に開くにつれて、その本性が明らかになる。

 

「せんす?」

「はい。歌も踊りも得意ですから」

 

 あどけない顔でマヤが笑った。

 彼女は、目前に迫った炎蛇の横っ面を煽ぐように鉄扇を閃かせる。

 途端に炎蛇は標的を見失い、明後日の方向の地面を延々とほじくり始めた。

 

「ボクとしてはお姉さんの戦いっぷりを見ていたかったんだけどね」

 

 それまで苦も無く抱えていたキョーコをひょいと降ろすと、オルガは肩を竦めて見せる。

 

「心配性のマヤちゃんがどうしてもっていうから」

「オルガちゃんは薄情ですからね。もちろん私は違いますよ」

 

 マヤが携える鉄扇は二つ。その片方を無造作に放り渡されて、慌てて受け取ったオルガがよろける。

 

「べ、別にそんなことはないけど。マヤちゃんの言うこと信じちゃダメだからね、お姉さん」

 

 一曲舞い始めるような足運びで彼女たちが目の前に庇い立つと、どこからともなく紙吹雪のように無数の蝶が舞い飛んだ。

 

「鬼の喧嘩に鬼が出るか」

「あれ。アマノジャク様、意外そう」

「そりゃあそうだ。鬼というのは昔から身勝手で暴れん坊ばかりの一族。それが手を取り合って戦うとはな」

「別におかしなところはないですよ?」

「ボクたち、お姉さんが心配なだけだから」

 

 鬼人正邪といえば、数々のイレギュラーを力でねじ伏せ、大妖怪にすら舌を巻かせた即興役者。

 

「その心配が不思議なんだよ」

 

 にもかかわらず、双子の乱入に彼女は攻撃の手を休めるほど驚いたようだった。

 

「ところでお姉さま、今来たところで状況を掴み切れていないのですが」

「要するにあのドクロを奪っちゃえばいいのかな?」

「う、うん。そうみたい。だけど」

「じゃ、ボクたちが邪魔者を引き付けるよ」

「その隙にお姉さまは本命を叩いてください」

「そんなの」

 

 ダメだ、と言うことはできなかった。

 

「お姉さま、ようやく分かったみたいですね」

「ボクたちとってもガンコなんだよ」

 

 そして義理堅い。祭りの夜から彼女たちはそうだった。

 

「うん。ありがと」

 

 正直一人の戦いに限界が見えていた。炎ですら退ける彼女たちが加勢してくれるなら、これほどありがたいことは無い。

 だからこそ、負けることは許されない、と。キョーコは肝に銘じる。

 

「ふふ。なんか、おかしいな」

「どうしたの?」

「今日はよく、鬼に助けてもらうから」

 

 思い出し笑いするキョーコの前で、双子も顔を見合わせて笑い合う。

 

「当然じゃないか」

「お姉さまのお人よしパワーなら、どんな鬼でも骨抜きです」

「言ったなあ」

 

 黄色い笑い声を残して双子が駆けだす。キョーコがその後を追う。正邪めがけて一直線に走る彼女たちを阻むように、地中に身を潜めていた炎蛇が姿を現す。紫に輝く巨体がうねるたび、周囲の空気がぐつぐつと沸騰した。

 

「お姉さま、失礼します!」

 

 キョーコの背を蹴って、マヤが飛び上がる。大きな動きに釣られた大蛇が、鎌首をもたげた。

 

「マヤちゃん」

 

 そして彼女の小柄な姿はあっけなく大蛇の口の中へ。夕日の色を映した彼女の瞳が、煮えて爆ぜる様が確かに見えた。

 

「へいきです。さ、止まらないで!」

 

 しかし直後に聞こえた声は確かにマヤのもの。出所を確かめようと振り向いたキョーコの視線の先で、燃える尻尾にオルガが打たれる。

 

「あっ、ちゃあ。当たるか、今の」

 

 粉々になりながら、彼女は口だけで喋っていた。

 

「オルガちゃん、気を抜かないで」

「なっ、なんだよう。最初にやられたのはマヤちゃんじゃんか」

「あえてやられてみせたのです。そうすれば、お姉さまも安心して戦えるでしょう?」

「本当かなあ。意外と抜けたところあるからなあ」

 

 気が付けば、そこかしこから双子の声がする。

 どこか間の抜けたトーンで交わされるそれは、会話というより斉唱だった。

 

「なんだあ。お前ら」

 

 大蛇の吹きあげた炎の膜を吹っ切れば、白の地平をカラフルに染めるオルガとマヤ「たち」の姿。

 もう驚かないぞ、と思うたび鬼の所業に仰天するのはお約束であったが、今回もキョーコは肝をつぶすことになった。

 

「これは幻術ってやつか?」

「それは言えません。企業秘密というやつです」

「謎の多いアイドルって魅力的でしょ?」

 

 正邪が足場とする書架に、マヤの鉄扇が深々と斬り込む。

 

「いくら増えても本体を叩くだけだ。やれ!」

 

 ぐらり揺れながら正邪が髑髏を突き出すと、吹き出した炎がマヤを包む。悲鳴を上げて倒れる彼女を見下ろしていると、また足場に衝撃が走る。

 

「もう怒りました。泣いたってやめてあげませんよ」

 

 にこやかに、別のマヤが凶器を振るう。

 ドカドカと足場に打ち込まれていく鉄扇は、信じられないことにすべてが本物だ。どれひとつとして幻などではない。

 

「まさか、お前ら、この能力は」

「今だ、やっちゃえ!」

 

 乱れ飛ぶ蝶の群れの中に、正邪は何かを見たようだった。狼狽えた彼女が足場ごと大きく傾いた隙を見計らって、オルガが叫んだ。

 

「ああああぁッ!」

 

 群れた双子たちがざっと退く。

 

「くっ、まさか、ここまでだというのか?」

 

 その中にキョーコを見つけたときには、もはや押しも引きもできぬ距離。

 刃先とともに敗北を突きつけられた正邪は、顔を歪める。

 

「なーんちゃってなー!」

 

 がちり。

 

 キョーコに誰かの頭蓋骨を割った経験など当然あるはずもないが、もっと軽い手ごたえがするものとばかり思っていた。実際に響いた音は重く、鈍く。丸みの上を滑った刃先から激しく火花が散る。

 

「えっ」

「な、何だよコレ!?」

「お、おじぞうさま、でしょうか」

 

 書架の上に乗り上げた三人が見下ろす先には、あまりにこの世界には似つかわしくない物体が鎮座していた。

 

「冥土の土産に教えてやろう!」

 

 それは、優しい、優しい顔をしたお地蔵様であった。

 その額にはキョーコの会心の一撃のままに刃が叩きつけられているのだが、柔和な笑みは微塵もゆるがない。唖然とする三人の頭を、甲高い正邪の笑い声が殴りつけた。

 

「そいつは身代わり地蔵。私にとって致命的な一撃を肩代わりする便利なアイテムだ」

 

 一瞬とはいえピンチに陥ったアマノジャク様が取り出したのは、荒唐無稽なマジックアイテム。当然勝利を確信していた双子たちは、顔を真っ赤にして拳を振り上げる。

 

「なんだよそれ! 反則だろ!」

「有り得ません。やり直しを要求します!」

「くぁー、ぺっ! お前達だって数の暴力で押しに押しまくっていただろうが。おあいこだ!」

 

 キョーコは己を責める。完全に自分の手抜かりだ。

 かつて幻想郷を混乱の渦に叩き込んだアマノジャク。その手には無数の反則級アイテムが握られていた――前もって萃香からその話を聞いていたというのに。なぜ、この展開を想定しておけなかったのか。

 

「ばーか、ふざけんな! いい歳こいた鬼のくせして恥ずかしくないのかよ!」

「はん。こういう時だけ子供ぶりやがって。見かけだけで甘い顔するとでも思ったか!」

「あなただって見かけは子供じゃないですか!」

「私は好きでこのカッコしてるだけなの。背丈も頭も足りないガキとは違うんだ!」

 

 舌戦で言えば双子は正邪といい戦いを繰り広げていたが、実際はキョーコたちの大ピンチだ。

 

「さあ。足を止めてやったぞ」

 

 ずぶり。

 

 嫌な音を立てて足が地面に沈み込む。見れば、大地は一面が底なし沼と化していた。

 

延長試合(コンティニュー)はできないぞ。ここでお前たちはお終いだ。何か言い残すことはあるか?」

 

 粥のように温い地面に呑み込まれてあがくキョーコの手にはカタナ。それをむしり取って、正邪はしげしげ眺めた。

 

「せーちゃん……」

「よっと。こんな感じでいいのかな?」

 

 振り上げて、その意外な重みに正邪はよろめく。照れ笑いを浮かべる姿には愛嬌すらあったが、その視線はずっとキョーコの首筋に向いていた。

 

「生憎私はこいつを使いこなせない。だが、あのイヌでさえ勇儀を再起不能にしたんだ」

 

 ――あぁ、終わってしまう。

 

「なるべく苦しまないよう努力はするさ。だが、期待はするなよ?」

 

 キョーコはこれから起こることを考えて震える。自分の身を案じたのではない。

 自分のために体を張ってくれた双子。そして、宣言通り下克上に乗り出した正邪がどうなるか考えると、不甲斐なさで涙が出そうだった。

 

「笑えよキョーコ、最後くらい」

『あーあー』

 

 その刹那であった。

 

『あ、あー、あー。テス、テス。マイクテス』

 

 緊張のクライマックス。張りつめた空気をぶち壊しにしたのは、唐突に始まった校内放送。

 

「……へ?」

 

『よし、おほん……こんばんは。突然ですが生徒会です』

 

 名乗られるまでもない。キョーコにも正邪にも、その声には聞き覚えがある。

 

「え。チヅル、ちゃん?」

 

『クラブ活動中の皆さま、今日もお疲れ様です。夜間練習中は足元に気をつけてくださいね。水分をこまめに摂って怪我の予防に努めましょーう』

 

 その場の誰もが我を忘れ、よく響くチヅルの声に耳を傾けていた。

 

「なんだ……あいつ……アタマおかしくなっちゃったのか……?」

 

 ◆◆◆

 

『今日は学祭のお話をします。もうすでに、皆さんは規模縮小の噂を聞いているかもしれません』

 

 あれだけ激しい落雷も爆発も、今は静かなものだった。

 キョーコと正邪の戦いは終わりに近づいているようで、旧校舎は緩やかに焼け落ちていく。

 

「ゆっぴー、逆立ちしたってお前じゃサキの代わりにはなれん」

 

『非常に残念なことですが、これは真実です』

 

「……今更だね、そんなことは」

「だが俺はお前を買ってるんだ。ひょっとすると、お前は本当の意味であの子を幸せにできるのかもしれない」

 

『しかし安心してください。状況は変わりました』

 

「何だい。コロコロ話を変えてくれるじゃないか」

 

 鶯が鳴くような透き通ったチヅルの声。

 学園中のスピーカーによって増幅された彼女の声は、どこまでもどこまでも響いていく。もちろん、旧校舎の中も例外ではないだろう。

 

『思えば我が校は、ずっと過去に縛られてきました。他でもない私自身も』

 

「個人的には、だ。俺はサキの子育ては大失敗に終わったと考えてる」

「どうしてだい。キョーコは笑えるようになったんだろ。だったら――」

「映画も人生もエンターテイメントだぜ。笑って泣いて、初めて人だ。片方っきりの役者が舞台の上に立つ資格はない」

 

『過去に向き合うことと、過去に縛られることとは違う。私はこの勘違いで、大切な人たちを傷つけてきました』

 

 ふつり、ふつり、と。

 校舎に佇む人影は、糸が切れた人形のように倒れていく。その合間を窮屈そうに走り抜けていく消防車は、勇儀たちのことなど見えてもいないようだ。

 

『私たちはもっと自由にならなければいけない』

 

「だからこそ、ゆっぴー、このままあの子をたくさん怒らせてくれ。たくさん泣かせてやれ。それで初めてあの子は」

 

 風間の口元から赤い蛍が地面に落ちた。

 

「あの子は人間らしく生きていける。の、かもしれん」

 

 いつの間にかビールの缶は吸殻であふれていた。

 最後の一本を丹念に丹念に踏みつぶす風間の顔は、闇に紛れてよく見えない。まるで、黒い帳が下りたようだ。

 

「あんた、あたしを誰だと思ってるんだい。あんな面倒なヤツの保護者を、自分から買って出てやったんだぞ」

 

 その肩を、優しく勇儀が小突いた

 

「要するに、あの大根役者に演技指導してやりゃいいわけだ。他の誰でもない、あたしだけの悪の道の歩き方ってやつをさ」

「悪の道か。我知らず、大変なことを押し付けちまったかもな」

 

 黒幕の向こうから、くつくつという笑いが漏れる。次に顔を上げた風間は、すっかりいつもの調子を取り戻していた。

 

「にしてもあんた、マジメな事も言えたんだ」

「んだとお。俺はいつだってみんなのこと考えてるんだからな」

 

 馬鹿笑いしながら小突き合う勇儀と風間。

 それを静かに見守っていた萃香が、一番早く背後で響いた音に気付いた。

 

 どさり。

 

「あ、みっちゃんだ。やっほー」

 

 いつから、そしてどこから現れたのか。褐色の美人は両肩に背負ったソレを降ろし、頬にこびり付いた煤を拭う。

 

「あんた、いつの間に」

「ミヨっちゃんか。そっちはもういいのかい?」

 

 答えは不器用なピースサイン。

 その背後にはズラリと校庭一杯に彼女の仕事ぶりが並べられ、この瞬間も苦しげに咳き込んだり、呆然と空を見上げたりしていた。

 

『それでは、前置きも済んだところで本題に移りましょう』

 

「うわあ。これ全部みっちゃんがやったの?」

「こりゃおっさんも何かしないとなあ」

 

 驚きの声を上げる萃香の隣で風間はケータイを取り出した。

 房のようにぶら下がったストラップをかき分けながら、とある番号にコールする。その口元は、悪鬼もかくやという悪い笑みに彩られていた。

 

『我々は確かにピンチでした。ですが、数日前に颯爽と善意のスポンサーが現れたのです』

 

 ◆◆◆

 

『その名は鬼人正邪さん』

 

「ぜ……ぜんい……?」

 

 その言葉を聞いて、正邪がよろけた。

 

「すぽんさあ?」

 

 彼女は哀れなくらい動揺していた。感謝やポジティブな言葉だけで体調を崩すアマノジャクというものは、なかなか難儀な生を送っているに違いない。

 

『数日前、彼女は言いました。私が許可を出した瞬間から“旧校舎は旧校舎でなくなる”と』

 

「お前……まさか、今、アレをやるつもりなのか?」

 

 急に色を失った正邪の下で、キョーコは身じろぎする。

 

「やめろ。それだけはやめろ。これからって時に、お前はいくら水を差せば気が済むんだ!」

 

『私の考え過ぎかもしれませんが、正邪さんはあのメッセージを通して、古き伝統を捨て去れ、という激励をくださったのかもしれません』

 

「お前絶対そんなこと思ってないだろ! 生徒会長のクセに嘘八百を吹きやがって。それでいいのかよ!?」

「わたしも、負けられないや」

 

 キョーコは歯を食いしばる。力み過ぎてどこかが切れたのか、口の中に鉄の味が広がった。

 

「お、おい。妙なマネするなよ!」

 

 懸命に泥をかくキョーコの額に刃が突きつけられる。だが、言葉や脅しで引き下がる段階は、既に超えている。

 

「そそ、そうだ、学生共だ。私の号令一つで奴らに火の中を歩いてもらうことだって出来るんだからな!」

 

『古い学園は今日でお終いにしましょう』

 

 鬼気迫る正邪の背後で、電子音が奏でる「365日のマーチ」が流れ始める。激戦の中でキョーコのポケットから転げ落ちたケータイが、画面を光らせていた。

 

『私も、もう一度やり直してみようと思います。小さなことから、一歩一歩』

 

「――お。やっと繋がった」

 

 いつの間にか震えだした手で正邪が通話口に出れば、酒臭さを感じるくらいアルコールに焼けた声が鼓膜と脳を揺さぶってくる。

 

「だだ、誰だ、お前」

「そういうおたくは……あ、分かった。アマノジャク様だ? お噂はかねがね。俺、風間ってんだ」

「何の用だ。お前、キョーコの仲間か」

「いやあ、用って程のことでもないんだが。一つ、キョーコちゃんに伝言お願いできる?」

「伝言だと?」

 

 一瞥くれたキョーコは、首を捻っている。伝え聞くまでもない。この距離ではすべて筒抜けだ。

 

「旧校舎はもぬけの殻。気兼ねなくぶっ飛ばせ、と」

「なん――」

「じゃ、頼んだからね」

 

 一方的に通話の切れた電話を、呆然と見下ろす。

 待ち受けは、キョーコと、彼女の肩を抱くサキの姿。その屈託のない笑みが、腹立たしくて仕方ない。

 

「一体全体。どこで何を間違った?」

 

『何もかも、はじめから』

 

「お前一人を誘い出して、どうしようもないくらい有利な条件で戦っていたはずだ。それなのに、いつの間に私はお前のオトモダチ全員を相手にしていたんだ……?」

「そうだね。みんな、戦ってくれてる。こんなちっぽけな、わたしの意地のためなんかに」

 

 空気の焦げるにおいがする。

 見れば、キョーコの周囲で白い泥沼が沸騰を始めている。あぶくの間で青白い電撃が閃いた。

 

「わたしだけ、のんびりしてちゃダメだよね」

「やめろ。動くな。おあっ」

 

 それまで握りしめていたカタナが意思を持ったようにすっぽ抜けて、正邪はよろめいた。代わってそれを握るのは、泥から抜け出たキョーコの手だ。

 

『それでは長々お話ししましたが。最後に。アマノジャク様、これ、聞いてますよね』

 

「たのむ、後生だ。まだ、私の王国も、野望も、夢も。何も始まっていないんだ。これからなんだ!」

 

 放送と、尋常ではない正邪の慌てっぷり。ようやく、キョーコにもチヅルの目論見が見えてきた。

 聖域に玉座を構える、最強のアマノジャク様。その布陣に空いた、たった一つのほころびが。

 

「私にはここしか残されてないんだ!」

 

 そう、アマノジャク様は、

 

『こうしてスピーカー越しなのが残念です』

 

 あくまで旧校舎の中でのみ、

 

『色々、言ってやりたいことはありますが。あなたのおかげで私が大事なことを思い出したのもまた事実。最後はお礼で締めくくりたいと思います』

 

「やめろ、会長ォ!」

 

 無敵、だったのだ。

 

『本当に本当にありがとうございまし――たッ!』

 

 どすっ。

 

 重い音がスピーカーから発せられた直後、T女学院は完璧な静寂に包まれた。

 

 ◆◆◆

 

「ぜーったい許しませんからね、鬼人正邪」

 

 独り言を呟いただけで激しくむせる。緊張で口の中がカラカラだ。

 

「こんな汚いハンコ突かせるなんて。私の美意識が許さないんですから」

 

 放送卓の上にはしわくちゃの書類束。紙がひきつるほど豪快にぶちかまされた『大堀』の押印は、ほとんど真横になっていた。

 度の合わない眼鏡にはもうウンザリだ。目頭を揉みながら椅子に体を預けると、不思議なくらい座り心地が良い。

 

「あぁ……生徒会長でよかった」

 

 よく考えたら、クッション付きのオフィスチェアの購入に許可を出したのはチヅルだ。それが自分を労う日が来るとは。奇妙な巡り合わせに、彼女は思わず笑い、そしてまたひどくむせる。

 

「……二階堂さん。そして、キョーコ先輩」

 

 人心地ついて、この場にはいない二人の名を呼ぶ。

 

「あなた達は、何者ですか」

 

 もちろん返答はない。その答えが欲しいなら自分で求めなければいけないのだろう。

 気づけばドアの向こうは静かになっていた。

 対照的に騒がしくなり始めたのは、校庭だ。放送室からひょいと顔を出せば、校庭は真っ赤だ。赤いパトランプを乗せた車が渋滞を成している。

 その車体のカラーが赤だけならまだいいものの、白や白黒が混ざっているから頭が痛い。

 

「誰が、一部始終を説明できるんでしょうね……」

 

 この状況で誰に白羽の矢が立つなど、火を見るよりも明らかなのだが。

 

「……私か。そりゃ、そうだ」

 

 そろそろ独り相撲にも飽きてきて、チヅルは目を閉じる。どうせ今日は帰れまい。だったら自棄にもなろうというものだ。

 

 ◆◆◆

 

 噂が、信仰が、実態を伴った怪異を現出させるように。

 

 ”会長がハンコをついた瞬間、あの場所は旧校舎じゃなくなってしまう”という唯一絶対のルールもまた、言葉遊び以上の意味を持っていた。

 

 たった一つのハンコの音で、虚飾の聖域は陽炎のようにぐにゃりと揺らぎ始めた。

 

「あ。あぁ、あああ……!」

 

 正邪の纏っていた炎が消える。

 その手から髑髏が転げ落ちると、虚飾の王国は古びたレース細工のようにほつれ、消えはじめた。

 

「終わりだね」

「ばかな。私の王国が。下克上の野望が」

 

 書架が、地面が、崩れた本が。すべてが髑髏に覆いかぶさるように吸い込まれていく。吹き荒れる風は殴りつけるようだ。

 もはや飛ぶ力も残されていない正邪を抱きかかえてキョーコは耐えた。

 

「ばかな。こんな、こんなことが」

 

 キョーコの胸元で正邪が吐いた弱弱しい声も風鳴りにかき消され。

 ついに髑髏ですら自ら作り出した渦に吸い込まれていく。排水口から水が抜けるような音を残して渦が閉じると、辺りは一気に静かになった。

 

「すごいや。どうなってんだろ、これ」

 

 すべてが元通りだった。そこは真紅の宮殿ではなく、ただの荒れ果てた旧校舎の一室だ。

 

『さてさて雷の子よ。剣の時間だ』

 

「え。今、何か言った?」

「お姉さん、一体何してるのさ」

 

 急に耳に指を突っ込まれたようだった。

 双子の言葉は不鮮明になり、必死に訴えかける口元をどれだけ見つめても意味が脳に入ってこない。

 

「きこえないよ」

 

 傾げた首がぎこちない。何かが背中に張り付いているみたいだ。

 

『きみの憤怒で世界を壊せ。正しい地獄を作るんだ』

 

 穴の開いた天井から差し込む月光を、ひらめく刃が乱反射する。彼女たちの表所はすぐに恐怖にひきつった。

 

「ダメですよ、お姉さま。カタナを離して!」

「何だよ。ボクたちを騙したのかよ。アマノジャク様となかよしになるんじゃなかったのか――あっ!?」

 

 引き留める手を振り払うと、子鬼たちは静かになった。

 キョーコは刀を振りかぶる。背後から伸びてきた白い手が柄を握る手に添えられる。言いようのない快感が、キョーコの背骨を貫いた。

 

『鬼を斬るんだ』

「鬼は斬らなきゃ」

 

 素晴らしい感覚だった。この手に触れられていれば、どこまでも昇りつめていけそうな気がした。

 

「あぁ……なんだよ、おまえ……」

 

 キョーコは正邪の上に落ちた影を見つめる。

 大きく、黒く、その色はどこまでも濃い。恐ろしい悪鬼のものと思われたそれは、実は自分のものなのだ。それを知っても、今のキョーコの心は微塵も動きはしない。

 

「弱者なんかじゃ、ないじゃないか……」

 

 その、打ちひしがれた正邪の顔。キョーコはどこかで見たような気がしたのだが。

 

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