わたしはカミナリ   作:おぴゃん

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4『猫と双子と弁当と(下)』

「ねぇねぇ、キョーコ先輩ったらあ」

 

 寄りかかってきた後輩に差し出されたタッチパッドと飲み物を半ば心ここにあらずで受け取って、キョーコは液晶の上にタッチペンを彷徨わせた。

 

「もぉ。センパイ時間かけすぎですよぉ」

「う――ん。ゴメンねー」

 

 陸上部の後輩たちからのサプライズパーティ。

 授業が終わるなりアーケード街のカラオケに連行されて始まったそれはパーティーというにもささやか過ぎる宴だったが、かつての教え子たちが未だに自分を慕ってくれているという事実は嬉しかった。

 

「最近の曲、知らなくて」

 

 結局タッチパッドを隣の後輩にパスして、代わりに大盛りのポテトの山から一本をつまむ。

 

「キョーコ、何かあったのかい?」

 

 変わって流れ始めたのはヒットチャートの頂点の君臨するアイドルソングだ。

 多少の気取りを見せながらもアップテンポで煌びやかなミュージックラインを歌い上げる歯切れのよい彼女の歌声はよく似合っている。表現にこだわらないなら、上手い。

 

「キョーコ?」

 

 皆がノリノリで合いの手を入れる中でも、スバルの二度目の問いかけはキョーコの耳に届いた。

 

「あぁ、うん」

「ウンじゃなくて。なんか、元気ないぞ」

 

 嬉しいのに、楽しいのに、何故だろうか。

 この、小骨が喉に突き刺さったような違和感は。

 

「なんでもない」

「最近ここらでウワサになってる二人組、知ってる?」

「キョーコそういう時、絶対何かあるだろ」

「ウワサ?」

「そう。ストリートライブっつーの? 」

「ゼンゼンないよ。そういうのじゃ」

「それがすっごい上手いのなんのって。いろんなギョーカイ人が血眼で探してるって」

「ウソつくなよ。私とキョーコの仲だろ」

 

 歌い疲れていち段落ついた後輩たちの会話の間を縫うように、スバルの言葉が通ってくる。それに何もない何もないと返しつつ、キョーコのノドに引っかかった小骨はいつしか犬の大腿骨くらいのサイズに膨れ上がっていた。

 

「その。ここに来た時から、みんなに聞かなきゃって思ってたんだけど」

 

 疑念は、もっと大きく。

 まだ引き返せるぞと脳の一部が警告していたが、理性は否定した。彼女はよいこなのだ。

 

「――――今日って、ミーティングの日だったよね」

 

 言った。

 キョーコ以外の全員が示し合わせたように、同じタイミングで目を見あわせていた。

 

「センパイったら、また勘違いじゃないですか?」

「ううん。聞いた。今朝。部長から」

 

 空気が、ねっとり重くなった。

 

「あー、それは……ですね」

 

 全てを聞くまでもなく、後輩の言葉の歯切れの悪さからすべてを察する。

 さっきまで冷房は十分に効いていたというのに、キョーコの首筋は嫌な汗にじっとり濡れ始めている。

 

「いいよ。私が答える。なんか歌ってて」

「え、えええ、この状況でですか?」

「できるよね。副部長サマの命令なんだからさ」

 

 絞れば脂汗でバケツ一杯を満タンにできるような錯覚を覚えるキョーコに対して、ボイコットの主犯格は汗の一つもかいてはいない。

 近くの下級生にマイクを押し付けるようにして立ち上がると、依然として柔和に微笑んだまま、キョーコの前まで悠然と歩んできた。

 

「だって私、チヅルのこと、嫌いだからさ」

 

 そのたった一言で、キョーコは完全に言葉を無くした。

 

「言っていいことと悪いことがある。キョーコにひどい言葉を吐くあいつを、私は許せない。だから、ちょっとイジワルしてみただけさ」

「せ、センパイ。でも」

「キミたちだってフマンがあるからサボったんだろ、部活」

「……確かに、チヅルさんはイチイチ言い方にトゲがあるっつーか、いい感じはしないですけど」

「ま、ドクサイシャっぽいよねー」

「で、でも。チヅルちゃんが部長なんだよ。みんなが部長に逆らってたら、部活なんて――」

「キョーコ先輩が部長してたころが、一番楽しかったです」

 

 それまでマイクを握らされたままにうつむいていた後輩のもとに、全員が視線を注いだ。

 

「今は、ただただ走ってるだけです」

 

 パーティ用の部屋に据え付けられた大液晶から放たれる、アイドルソングのケバケバしい映像ときらびやかな音色はこの状況にミスマッチ極まりなく、かえって彼女の言葉の深刻さを強調しているようだった。

 

「あ、う」

 

 喉の奥に乾いた砂を詰め込まれたようだった。前部長として何か言ってやるべきなのか。いや、もう何も言う権利はないのか。

 

 

 ――――悪いのは、本当に私たちだけなんですか?――――

 

 

 視線だけで訴えかけてくる彼女たちを前にすると、誰が正しく、誰が間違っているのか分からなくなってしまう。もちろんチヅルのやり方に問題はあるのかもしれないが、彼女が問題そのものではないような気がする。

 

「あいつがキョーコを部活から追い出したんだ。そうだろ?」

「スバルちゃん」

「うん。なんだい?」

 

 結局ロクなことを言えないままに、キョーコはいたたまれない空気が充満するばかりとなった個室に背を向けていた。

 

「キョーコ?」

 

 きっと、親友はコレを悪いとも思っていないのだろう。前部長がチヅルから投げかけられる辛辣に心を痛めているだろうと考え、行動で報いてやった。ただそれだけのことなのだろう。

 

「――わたし、帰る。少し、気分、悪い」

 

 だから、喉元までせりあがった言葉を何とか飲み下して、一歩目を踏み出す。

 冷房代をケチっているのか、カラオケ屋の廊下に充満した夏の熱気がキョーコの背中にへばりついてくるようだった。

 

 ◆◆◆

 

「あ、おい、キョーコ!」

「あーあ、行っちゃいましたねー」

 

 弾丸じみた勢いで個室を飛び出していこうとするスバル。

 タイムを計測すればさぞかしいい数字を叩きだしてくれただろうが、賢明な後輩は彼女の肩に手を置いて止めることを選んだ。

 

「今はほっとしといた方がいいですってば。もっと嫌われちゃいますよー」

「嫌う……キョーコが……私を…………?」

「いいからスバルせんぱい、なんか気晴らしに歌いましょー」

「そっとしときなって。センパイ、きっとしばらくあんなだから」

 

 スバルは先ほどまでキョーコの前に立っていた時とは打って変わって、陸に打ち上げられたナマコのようにぐでりとテーブルにもたれた。

 

「嫌われた……キョーコに……何が良くなかったというんだ……」

 

 やがてごつごつとテーブルに頭をぶつけて懺悔のリズムを取り始めたスバルをよそに、後輩たちはさっさとテンション高く次の曲を入力し始めるのであった。

 

 ◆◆◆

 

 ――がっかりだよッ!――

 

 と、あの場でスバルに叩き付けてやったら、彼女はどんな顔をしただろうか。

 

「おい、キョーコ!」

 

 カラオケ屋の廊下に響いたスバルの声に振り返ることはせず、キョーコは受付の店員に愛想を返す習慣も忘れて湿った熱気が充満する大通りに出た。しばらく帰宅ラッシュでごった返す通りをイノシシのように直進し続けてから、自分の影法師が地面を滑る速さに、吹きこぼれかける心の熱量に気づいた。

 

「がっかり、だよ」

 

 小声で吐いた。

 煮えたぎる鉛のような言葉は、バスタブの排水溝に吸い込まれていく髪の毛のようにわずかなあがき見せて、キョーコの胸の中にとうとう納まった。

 少しだけ我に返ると、きっと自分がよいこらしくない顔をしているのだろうなと思った。こんなんじゃダメだとぴしぴしほっぺを叩いてみるのだが、効果のほどは怪しい。

 

「ダメだな。ダメダメだ、わたし」

 

 駅前広場まで歩くと、ベンチに腰を落ち着ける。

 

「チヅルちゃん、困ってるだろな」

 

 様子を見に行かなきゃ――と腰を数センチ浮かせて、やめる。

 決して来ない部員を一人で待ち続ける彼女のところへずけずけ入って行って「誰も来ないからお帰りよ」と叩き付けるのか。

 それはあの子のプライドを傷つけるだけだ。最悪手だ。

 

(戻って説教でもしてみる?)

 

 が、部長を辞めた今、何の力もない。慕われていても、騒げばただのうるさい部外者でしかないのだ。

 頭上では夏祭りに向けて飾り付けられた提灯たちが本番を待って夕風に揺れている。いい打開策でも思いついたら電球に光が点ったりするだろうか。なんて突拍子の無いユーモアに乾いた笑いを漏らすことも今は難しい。

 目頭を押さえて、キョーコは瞼を落としてみる。考える人のまねをするだけでアイディアが浮かべば苦労はないが、頭がちょっとだけよくなったような気はするのだ。

 

 当然、気がするだけなのだが。

 

 視覚を閉じ、動くことをやめると、雑踏が遠のいた。

 聞こえない音が聞こえてくる。自分の鼓動だとか、呼吸に合わせて肺腑が膨らんで、しぼんでを繰り返す音だとか。

 

 ここまでどっぷりと彼女が何かに集中するのは、珍しいことだった。

 

 やがて神経を走る信号の音すら遠のけば。

 キョーコの聴覚は完全な沈黙の中に放り出された。

 上下感覚すら失ってしばらく虚空を漂った彼女を抱きとめたのは、遠く黒雲が渦巻くような、ごごごという腹を底から浮かすような音だった。外界の音を遮断して、暗闇に呑まれたキョーコの意識の中で際限なく反響を繰り返す。

 

 ――何か、ひどく(おお)きなものが近づいてくる。

 

 と、感じた。

 

 ――何が?

 

 と、いう問いに答える語彙はキョーコの紙風船大の脳味噌にはふくまれていない。

 

 ただ、きっとこれは聞こえない音と同じものだ。

 だれもが聞こえているけれど、誰もが聞こえていなかったことにしているものだ。

 イケないものだと直感する。よいこの中には、決してあってはいけないものだと。

 

 よいこセンサーが危険信号を発し始めるが、キョーコの意識はすでに巨大な渦に巻き込まれる木の葉ように、自身の内側に広がる暗黒へと深く深く抗いがたく引き込まれていくのであった。

 

 ◆◆◆

 

 最初、雹でも降り出したかと思った。

 ようやく戻ってきた現実の体の感覚。首筋の汗とミカンの皮のような夕日が今夏であることを思い出させ、花火か爆竹かとも考えたが、ここは駅前広場。大交差点の近くにのっそり構えた交番がそれを許しはしないだろう。

 

「「ありがとうございましたー!」」

 

 顔を上げるなり、綺麗な二重奏がキョーコの耳朶を打った。

 音の出所を探して見つけたのは黒山の人だかり。見るからに熱気に浮かされた集団に万雷の拍手を浴びせかけられる二人が身に着けた衣装と、髪や光彩が纏う鮮やかな色彩は一瞬でキョーコの視線を釘付けにした。

 

「この炎天下の往来で足を止め、このマヤとオルガの他愛ない芸に拍手まで送ってくださり、K市の皆様には、まこと感謝の極みでございます」

 

 きれいにウェーブした濃い桃(マゼンタ)の髪を揺らして、マヤ、と名乗る少女は用意してあったであろう口上をつらつらと述べる。

 

「つきましては皆様のお優しさに、不肖カミンスカ姉妹、もう縋りたいところでございまして。よろしければ。えぇ、お気持ちで結構なのです!」

 

 すっ、と。

 マヤの後ろから歩み出てきたオルガが小首をかしげて屈託のない笑みを見せる。

 咲き誇るヒマワリのような髪を短く切った上に結っているせいで少年とも見紛う出で立ちであったが、姉妹、という言葉の表す通り、二人の顔の造詣は瓜二つであった。

 

「でもマヤ的には期待を隠せません」

「正直オルガ的にもワクワクが止まりません」

 

 そんな『カミンスカ姉妹』が可愛らしく微笑み合って取り出したのは花柄の風呂敷だ。その裾が広がり切る瞬間には、既に聴衆の手は懐に入っていた。

 

「「おひねりくださいな!!」」

 

 それが合図だった。

 

 ――――あぁ、お金が空から降ってくるなんて本当にあるんだ。

 

 夕日を受けてキラキラ輝く小銭の雨を見ながら、キョーコはのんきに考えていた。

 よく見れば小銭だけじゃない。カドに折られたお札だったり、お札そのもので小銭が包まれていたり。

 

「ありがとうございます! ありがとうございます!」

 

 パンッパンに膨れ上がった風呂敷を苦労して縛り上げるオルガを背後に、マヤはもう一度、四方に深々と頭を下げた。

 

「皆様のお気持ちで私たち、胸がいっぱいです!」

「というかフトコロが」

「こら」

 

 結局気が抜けたようにお金のシャワーを見続けていたが、キョーコにはオルガの呟きと、それを諫めるマヤの声が聞こえた――ような気がした。

 焼けたマンホールの上に置かれた氷のように、あれだけの聴衆がするすると解散していくに従い、キョーコは違和感を覚え始めていく。あまりに滞りがなさすぎるのだ。それこそ集団行動の演目でも見せられているように。むしろ、キョーコとしてはそちらに拍手を送りたいくらいに。まるでせき止めていた川の流れを解き放ってやったように、去っていく聴衆の動きにも表情にも、双子の「芸」に対する余韻も感動も残されてはいなかったからだ。

 

『最近ここらでウワサになってる二人組、知ってる?』

 

「あ」

 

『そう。ストリートライブっつーの?』

 

 何も浮世離れしたような二人組。

 その姿を凝視することしばらく。ようやくカラオケ屋での他愛のない会話に二人が繋がった。

 そしてキョーコの琥珀色の瞳とマゼンタの視線を交錯させた少女もまた、キョーコと同じ形に口を開けていたのであった。

 

「オルガちゃん」

「ん?」

 

 マヤに手招きされたオルガもキョーコを視線に収めると「はーん」といった顔で米袋ほどに膨れ上がった小銭袋を軽々背負いあげると、ステップでもふむような足取りで。

 うっかり両替所を襲った銀行強盗のように風呂敷をちゃりちゃり鳴らし、ステージに立つような風変わりな衣装に、殊更風変わりな髪と瞳。そんな二人に雑踏は無関心を決め込むばかり。

 

「お姉さま」「お姉さん」

 

 間違いなく面倒ゴトのタネである。

 最近よく巻き込まれるからよくわかる。

 

(逃げようかな)

 

 と迷っている間に二人はキョーコの前までやってきて屈託ない笑みを向けてくる。

 

「「お気持ち、まだですよね!?」」

 

 お気持ちを要求されたのは鳴無響子、生まれて初めての経験である。

 

「あー、えーっとね」

 

 というか優しめの恐喝であった。

 

「…………ぼおっとしてたから、聴いてなかった」

「「ええーッ!!?」」

 

 恐喝に屈していられるほどキョーコの財布の紐は緩くないのだ。その結果、姉妹はだいぶショックを受けたようだったが。

 

「そっか。残念です」

「次はちゃんと聴いてくださいね」

 

 意外や意外。二人はそれ以上食い下がろうとはせず、落胆のため息一つをキョーコへの置き土産にくるりんぱと踵を返しただけだった。

 

「仕方ない。次いこっか、マヤちゃん」

「うん。なるべく人が多いところに行きましょう」

「どこだろね」

「私たち、土地勘ありませんものねぇ」

 

 悪意はないと分かっているが、二人の会話を聞いているとなんだか申し訳なくなってくる。

 

「あのさ、二人とも」

 

 罪悪感で引き留めたわけではない。

 二人が振り返ると、キョーコはそれ以上の言葉を忘れてしまった。そのくらい、衝撃だった。そして、自分自身が彼女たちを呼び止めた理由を、キョーコは逆の順序で理解した。

 

「ん。なーに?」

「どうかしましたか?」

 

 夕日に型抜きされた二人のシルエットは重く、厚く。

 ビルの間を吹き抜けてきた夕風が吹きあげる二人の前髪は反り立つ巨大な角にも似て。

 まるで、星熊勇儀に初めて出会った時のような異様な存在感を、彼女たちの中にも感じ取った故に。

 

「おなか、減ってない?」

 

 何より、その笑顔の空虚さに。

 

 ◆◆◆

 

 カミンスカと姓を名乗る少女たちは姉妹というか、正確には双子であるらしかった。

 

「へんなヒトだよね、キョーコお姉さんってむぐぐ」

 

 マヤはオルガの言葉を遮って、彼女の口の周りを紙ナプキンでぬぐってやる。

 姉妹が夕食を馳走になった相手にこれ以上の無礼をぶちかますことを阻止したかったのか、それとも夕暮れを越して電飾の冴える宵闇の時間帯、ショーウィンドー状態の窓際席で、ソースまみれの口元を晒すんじゃねえよということなのか。

 

「ヘンというより、あまりお見掛けしないタイプのお方だと思います」

 

 それはオブラートに包んだ「ヘンな子」である。キョーコは苦笑するに反応を留めて、ポテトをかじる。バーガーはない。ポテト(S)だ。なぜ貧しきが富めるものに夕食を供しているのか。足元に無造作に突っ込まれた風呂敷の中身を考えればおかしな状況である。

 おまけに弁当を盗まれたキョーコは昼食抜き。

 気を抜けば暴れ出す腹の虫をジャージの上からぐっと抑え込んで、キョーコはポテトの塩気を可能な限り時間をかけて味わう。

 

「それ同じコトじゃんか」

「違います。断じて」

 

 オルガがマヤの思いやりを粉々にブチ砕く。

 キョーコが彼女たちを呼び止め、ファストフード店で夕食を奢ることになってから、かれこれ半時間ほどか。

 鏡写しの双子であるが、マヤは天真爛漫なオルガに比べてだいぶしっかりと「お姉さん」している。

 

「すいませーん!」

 

 そして、オルガも決してマヤに劣っているというワケではなく、

 

「オレンジジュースと」

「あ――じゃあ私も同じので」

「コーラね。オレンジとコーラで」

 

 空気を読みまくり、打たれる前に引っこんでしまう杭のようなマヤの意をしっかり汲んで代弁してやるのだった。

 

「ありがとうございます」

「いいっていいって。家族同士なんだしサ」

「違います。夕食をご馳走してくれるお姉さまに言ったのです」

 

 軽い晩餐はいつの間にか飲み放題食べ放題に変わっていた。キョーコは静かに肩を落とす。

 

(まぁ、いいんだけどサ)

 

 あの熱気の中で一瞬寒気を感じるような、虚ろな笑みは、もうない。

 

(安心したかな。ちょっと)

 

 彼女たちが何者であろうと、あんな顔をした子供たちを放っておくことなどよいこのしていいことじゃない。

 店内の照明がマヤの持った紙コップの中身の減りを映し出す。音ひとつ立てずに上品にコーラを吸い尽くすと、ちゅぱ、と微かに水音を立ててストローを離す。

 

「オルガちゃんのはオマケ」

 

 その口元をへの字に曲げて隣のオルガに見せた後、彼女はキョーコに向けて居住まいを正した。つられて、オルガも膝をそろえる。

 言うべきか言うまいか。彼女たちの鮮やかな虹彩は、逡巡の色ですらはっきりと陰りを落としてしまう。

 

 何か来るな、とキョーコも身構えた。

 

「「どうして?」」

 

 二度目の二重奏。だった。

 

「どうして。って?」

「私たちは見ての通りお金に困ったりはしてません」

「僕たちだけで生きていけないほど、弱くもない」

 

 どうして、と。それから二人はもう一度美しい二重奏を響かせた。

 

「お待たせしましたー」

 

 そこに丁度店員が持ってきたコーラとオレンジジュースが差し出され、双子は視線そのままに、ストローを咥える。営業スマイルで去っていく店員に、これほどまでのありがたみを感じたのは生まれて初めてかもしれない。

 

「そうだねぇ」

 

 キョーコには僅かな執行猶予が与えられた。

 あの空っぽな表情のこと、と答えるのは気が引けた。そう答えてもおそらく、正解の半分といったところだろう。

 もっと、根本的なことを聞かれている。答えを探すように指先を彷徨わせて、先の一本が最後のポテトであることに気づいた。

 

「二人が、他の人たちとは違っているように見えたから」

 

 最初の一歩の重みに、十三階段が軋みを上げた。

 

「違う?」「どこが?」

 

 鮮やかな色彩が、絵の具を流したように揺れる。

 雰囲気は剣呑ではない。彼女たちはただただ気になるから聞き返してくる。それだけだ。

 

「なんだか、最近二人みたいな子とよく会うんだ。だから、どうしても気になって」

「私たちみたいな?」「気になったって?」

 

 べつに、階段の果てに絞首刑が待っているわけではない。本当なら一段抜かしでガンガン処刑台をよじ登って『鬼なの?』と聞いてしまえば済む問題だ。それをあと一歩で押しとどめているのは、今朝の薄汚れた、名も知れぬ鬼とのやりとりである。

 

「あ、それ私のコーラですよ」

「少しくらいいいじゃんさぁ」

「オルガちゃんの少しは、少しじゃないじゃないですか!」

 

 きゅうくつなシートの上で押し合いへし合いする双子の姿は、あくまで年相応の少女たちとしてキョーコの目に映る。この双子はなんというか、キョーコにとって好ましかった。

 だからなるべく、何かの勘違いの末に敵対、なんて結末は願い下げたい。

 

 だが、それでも。だ。

 

「聞きたいことがあるの」

 

 キョーコは星熊勇儀を救いたい。今どこに彼女がいて、何をしているのか知りたい。彼女に至るための手がかりなら、どんな犠牲でも払う覚悟はある。

 

「キミたちは――キミたちも、鬼なの?」

 

 

 

 第二話『猫と双子と弁当と』 おわり

 

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