わたしはカミナリ   作:おぴゃん

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9『よいこの限界(上)』

 軽トラは流星となった。

 

「どわああああ」

 

 ハンドルを握る風間の悲鳴。

 無様なジャンプには無様な飛翔というおまけがついてきた。

 車体は空中できりもみに回転し、荷台にしがみついたキョーコの天地が何度も入れ替わった。そのうちどちらが空で、どちらが水面なのかも分からなくなりーーその境界を分かつものは赤い、赤い線だけになる。それはごうごうと燃え盛る橋。

 

「そういや昨日おっさんが言ってたねぇ。よいこには限界があるって」

 

 独り言のように萃香が呟いた。

 私の立つ場所が大地なのだと言うように、彼女が荷台から振り落とされることは決してない。重力を無視する千鳥足で、ひらりと舞ってみせる。

 

「誰かを助ければ誰かが傷くかもしれない。それでもあんたは行くんだね」

 

 口を開こうとしても、肺が激しくシェイクされるおかげで声がでない。だがキョーコの表情からすべてを読み取って、萃香は鬼歯を見せて笑った。

 

「にしし。おっけ」

 

 彼女はひょいよいとトラックの側面を歩いて、運転席を覗き込む。

 

「つーことだ風間あ、あんたも地獄の道連れだ。腹くくれぇ」

「ほほほ本当に死んじまう!」

「相変わらずダサいオッサンだねー」

 

 トラックは放物線を描く。大雨で増水した川の、何百という馬がいっせいに走るような音が迫ってくる。飛距離は圧倒的に足りない。これでは目的の橋まで届かない。

 

「俺が何をした」

「よく言うだろ、因果応報って」

 

 萃香は平時と変わらない仕草でひょいと瓢箪をあおった。

 

「あんた、普段の行いを見直してみたら? 結構イジワルとかするタイプでしょ」

「バカ言え! 神に誓ってそんなことは――」

 

 ◆◆◆

 

「はい、あーげーたー」

 

 風間はキョーコの目の前から万札をふっと取り上げた。いま正にそれを掴まんとしたキョーコの手が宙を切る。

 

「あっ! ……そ、そんなぁ」

 

 とたんに瞳から輝きを失ったキョーコは膝から崩れ落ち、暗雲立ち込める目つきで恨みがましく風間を見上げてくるのだった。

 

「いや、教科書に載っててもいいくらい古典的な意地悪じゃんかよ。そこまで落ち込まなくても」

 

 唸り声を上げてキョーコがゾンビのような動きで足元にすがってくる。あまりの必死さに振り払おうとするが、吸盤で吸い付いたように離れない彼女はどんよりした表情で見上げてくるだけだ。

 

「今月ピンチなんです。ホント、そういうの勘弁してください」

「やるよ。くれてやるとも。ただおっちゃんの頼みを聞いてくれ。な?」

 

 キョーコはまた唸った。

 

「……案内ですよね」

「そう。『勇儀さん』しばらくここに住むことになってさ。ここいらのことをサラっと教えてあげちゃってくれ」

 

 普段はどんなお願いも二つ返事で引き受けるよいこ筆頭が、このときばかりは明らかに悩んでいた。窓際で晩酌を決め込む勇儀をちらりと見て、彼女は眉を曇らせた。

 

「言いにくいんですけど……わたしじゃなくて風間さんの方がいいんじゃないですか。わたしはその、色々上手くいかないんじゃないかなって」

「第一印象でしくじったくらいなんだよ。むしろ挽回のチャンスだろ。しかもお小遣いまで貰えるんだぜ」

 

 キョーコと勇儀の間に何があったかなんて知る由も無い風間は、耳打ちで付け足す。

 

「つーか断れるのか?」

 

 キョーコは黙ってちゃぶ台の上にサイフをひっくり返した。茶色に変色したレシートと茶色の小銭が数枚。あとはホコリ。「おやまあ」と、風間のわざとらしい反応。どう考えても夏祭りを満喫できる額ではない。

 

「あー、店長からバイト代の前借りするって手もあるにはあるな?」

「……風間さんは、意地悪です」

 

 できるわけがない。

 

 キョーコの勤め先は脱兎珈琲という喫茶店であり、その店長とは親友の吾妻スバルであり。何を隠そう、彼女こそ「お祭り一緒に行こうね」と約束した相手であった。その相手に当日になって「お前と遊んでやるから金貸せや」と言うのは、よいこ悪い子以前に、人として残念すぎだ。

 

「行ってもいいんだけどさぁ」

 

 キョーコが頭を抱えていると、酒に焼けた声が水を差した。

 それまでスルメと日本酒を手に様子見に徹していた勇儀が薄笑いを浮かべていた。片手の指で瓶を支え、残りの指でイカゲソをつまむ。器用なものだ。

 

「遠慮すんなってば。祭りとか騒ぎとかゆっぴー大好きだろ?」

「いやあ、そうじゃなくて」

 

 勇儀のにやけ眼の先にはキョーコがいる。何を言われるか大体分かって、キョーコは無意識に身構えた。

 

「この嘘つき小娘に案内なんて勤まるのかね?」

「わっ……わたし、嘘ついてないって」

「どうだか」

 

 顔を真っ赤にして反論するキョーコと、それをツマミにして酒のペースを上げる勇儀。波乱の幕開けに、風間は顔を覆う。

 

「あのね。キミ達ね」

「記憶戻らないクセに人を嘘つき呼ばわりして。ちょっとは真面目に話を聞けないの!?」

「だからってあんたのイカれメルヘンに付き合えってのかい。お断りだね」

「勇儀は正真正銘の鬼なんだってば。なんか、えっと、どっか遠いところから来て、わたしを助けてくれたんだ!」

「あー、おっさんのねぇ、二人に仲良くなって欲しいっていう意図をだねぇ」

「ほらまた出たよオニぃ。だいいち、人様を鬼呼ばわりしやがって、この小娘の親はずいぶん失礼な教育をしてくれちゃったもんだ」

「っ、だって鬼なんだもん!」

「どこをどう見たらあたしが鬼なんかに見えるんだよ。ただの病人じゃあないか」

「鬼だ鬼だ鬼なんだ!」

 

 収拾つかなくなりかけた会話は唐突に断ち切られた。

 ちゃぶ台がガタリと大きな音を立てた。思わずぎょっとして口をつぐんだ二人の目の前にはきれいに並んだ万札が二枚。背を向けて座った風間が、ぼふう、と煙の塊を噴き上げた。

 

「ま。楽しんでこいや」

 

 風間が乱暴に灰皿でもみ消したタバコが末期の息のように火の粉を吹き上げる。着古したドテラの背中が、二人の目には黒山のように威圧的に映る。

 

「な、なんだいなんだい。行かないっては言ってないじゃあないか。なぁ?」

 

 その姿にただならぬものを感じた勇儀が、さすがに空気を読んだ。

 

「うっ、うん。あの、お金、ありがとうございます。おみやげ、買ってきますね。お酒に合いそうな」

 

 風間は、耳元の蚊を払うように手を振っただけだった。

 二人の足音がすごすご遠ざかっていき、するすると廊下を渡り、枠が歪んだ玄関扉がスライドするぎぎぎという音にかき消されるまで、風間は火を点けるでもなくタバコを咥えていた。

 

「あ。畜生」

 

 握りつぶしたタバコのパックが空であることに気づく。ドテラのポッケに予備はなし。部屋の備蓄もあらかた吸い尽くしていたような気がする。

 

「ミヨっちゃん、一本貸してくんない?」

 

 台所から褐色長身の美人がひょいと顔を出して、小鳥のように首をかしげた。

 

「タバコ。切らしちゃってさ」

 

 聞いた彼女は見るからに不機嫌そうに、鼻をつまんで眉間にしわを寄せて見せただけだった。

 

「って吸わないもんな。ジョーダンだよ。ちょっと買いに行ってくる」

 

 こんなことならキョーコちゃん達にタバコのおつかい頼めばよかったかな、なんてことを考えながら食堂を後にする。ビーチサンダルに足をつっかけたところで、風間は背後に影法師のようにたたずむミヨシを振り返った。

 

「……カサ?」

 

 ビニール傘を渡されて首をひねる彼の横を通り抜けて、ミヨシはさっさと表に出てしまう。

 

「知らんかったわ。こりゃあ降るぞ」

 

 後を追って寮の前の通りに出ると、夕日に輪郭線を染められた雨雲が着々とK市の上空に集結しつつあった。

 

「祭りの日に限ってよく雨なんだよな。あ。分からない? そう」

 

 風間は思い直したように踵を返し、寮の前のベンチにふんぞり返る。どうせなら最後の一本まで吸い尽くしてから出かけることにしたらしい。

 

「おっさん運動会とか苦手なガキでさ。そういうときはカラリと晴れるクセに」

 

 ミヨシはやはり、反応を返さない。風間も大した期待はしていなかった。

 その間、目の前でただただ空を見上げるミヨシは今何を考えているんだろうかとか、本当は何も考えていないんじゃなかろうか、などと考えつつ、彼女のジーンズに包まれた形のいい尻を眺める。舐めまわすように眺める。

 太鼓と喧騒が遠くから聞こえてきていた。いつか誰かが脱兎珈琲を訪れた折、「K市の裏通りに一歩踏み入れば、そこは魔境だ」とのたまったものだが、確かにそれは的を得た表現だったかもしれない。が。

 

「曇りが嫌いってワケじゃあないが、イヤな天気だ」

 

 だが、今日の裏通りにたちこめる静けさは別のものだ。

 風間は深々と吸ったケムリを吐き出す。それはすぐにK市の空気の中へ散ってしまうが、確実にK市の大気の中に紛れ込んでゆく。こんな胡乱(うろん)なものが、この町の中をどれだけ漂っているのだろうか。それが思いがけず形を成す瞬間が、いつか来るのだろうか。

 

「ここは妙な町だが、今日はことさら妙な感じがする」

 

 取り留めなく吐き出した言葉だったが、ミヨシは頷くことで彼に同意した。

 静かに頷いた彼女は踵を返して寮へと戻っていく。そのついでにベンチの傍らに立てかけてあった傘を掴むと、風間の頭をぽこ、と殴っていった。

 

「あ、やっぱバレてたか」

 

 シャツを伸ばして尻を隠すようにして戻っていく彼女を見送る風間の手元で、タバコはフィルターまで焼け落ちていた。

 

 ◆◆◆

 

「約束、あるんだろう?」

「うん。でもまだまだ時間あるからね。それまでは」

 

 勇儀は大きな体で掻き分けるようにして人ごみを歩く。キョーコは怪我人の彼女に歩調を合わせようとする。と、今度は勇儀の歩幅が大きすぎてキョーコが遅れをとる。ただでさえ人でごった返した通りをゆく二人のペースはちぐはぐだった。

 

「コレがバス停で、こっちが電鉄の駅です。間違えやすいんで。あとそこの角を曲がったところに交番があって、向かいのラーメン屋が激マズだから気をつけてって。あれ?」

 

 律儀に町案内をしはじめたキョーコだったが、さっそく勇儀とはぐれてしまったことに気づいた。とはいえあれだけの大女となると、見つけ出すのは難しいことではない。十数メートル離れた場所で、彼女は無数に吊られた提灯(ちょうちん)のひとつを手にしていた。

 

「きれいなものが好きなんだ」

 

 誰にともなく、といった呟きだった。

 

「こう派手で、キラキラしてて、賑やかなやつ」

 

 光るオモチャを振り回して足元を駆け抜けていく子供達を見守る眼差しは優しかった。無数の提灯と、軒を連ねたカラフルな屋台の垂れ幕が薄暮に滲んで。まるで、光の海の中にいるようだった。

 

「何か、思い出しました?」

 

 その光の海が、勇儀の目には理由も知れず恋しいものに映る。

 

「まぁ少なくとも、自分が鬼じゃなかったってことはね」

「むう」

 

 赤と白で塗り分けられた提灯。

 前後には『わらひ』の文字が踊り、祭りのマスコットキャラクターらしき絵が印刷されている。

 

「はは。ヘンなの」

 

 そのキャラクターについて端的に言えば、ゆるかった。全身を覆うもじゃもじゃした緑の束は髪の毛にも、もずくのようにも見えた。印刷の質が悪いのとごちゃごちゃとした付属物のおかげで、まるでマリモに角と耳を生やしたような怪生物にしか見えない。

 

「ワッピーだね」

「なんだいそれ」

「マスコットキャラクター。わらひ祭りだから、ワッピー」

「わらひ祭りねぇ」

 

 提灯を元の場所に戻して、勇儀はキョーコを追う。

 

「大きな祭りなんだよ。こんな田舎町で大騒ぎするのなんか、一年で今日くらいなんだから」

「有名かい?」

「うん。東北ナントカキサイって呼ばれてて。県外からも人来る感じかな」

「キサイ?」

「奇妙なお祭りって書いて、奇祭」

「ほーん。見たところそれほどオカシな祭りって感じもしないんだけどねぇ」

 

 昔は特別な神に祈りを捧げる厳粛な儀式を伴う祭事だったという。土で器を作っていた頃から続く儀式は長い歴史の間に形骸化して今の大騒ぎに落ち着いたーーというのがキョーコが居眠りの時間としている歴史の授業で奇跡的に覚えている情報であった。

 

「で、その特別な信仰の対象っていうのが」

「鬼だった?」

 

 丁度、車道を山車(だし)が通っていくところだった。

 巨大な山車を牽くのは皆厳めしい形相を貼り付けた鬼の面を被っていた。「まったく、ここに来てから鬼ばっかりだね」と勇儀は肩をすぼめる。

 

「そう。鬼が主役のお祭りなんだよ、これ――あぁ」

 

 いきなり話と歩みとを止めるなり勝手に納得して手をぽんと打ったキョーコに、勇儀は怪訝の眼差しを向ける。

 

「なんだい、急にさ」

「何日か前に変わった双子ちゃんに遭ったんだけど」

「なんだか話が見えないね」

 

 そこまで口にして、キョーコは苦虫を噛み潰したような表情で再び口ごもる。

 

「あのさ。具合でも悪いのかい」

 

 悪化したのは具合は具合でも懐具合であった。双子は大通りでゲリラライブを敢行。通りかかったキョーコには聴いてもいない歌に「善意のおひねり」を要求。そこに遠方から到着したばかりという転校生まで現れ、なし崩し的に食事に誘うと三人でキョーコのおサイフをバリバリ食い千切りはじめて――

 

「なんでもない。もう治ったから」

 

 キョーコが呻くようにして言った。

 幸いにも(情けないことに)双子の片割れから幾らか返してもらったが、それでもお大尽ごっこのツケは高すぎるくらい高くついた。その結果がこのザマである。祭りの最中で後の祭りにも程があることを考えていると、勇儀の方から話の穂を接いできた。

 

「で、そいつらがどうしたってんだい?」

「なんでも『鬼の王様』がどうこうって言ってたんだ。たしか」

「鬼の王サマねぇ」

「だからあの子達、この祭りが目当てで来たのかなー、なんて思ったりして」

「王サマがいたからには国があったのかねえ。鬼の」 

 

 キョーコはどんどん先に進んでいく。一方で勇儀はあれはなんぞこれはなんぞと足を止めてばかり。依然として二人の歩調が揃わない。

 

「あん?」

 

 とりわけ勇儀の目を惹いたのは、視界の端でぱっと弾けた銀の蝶の群れであった。

 何事かと顔を向けると、正に向かいの通りで見物人たちが散っていくところだ。一体どんな見世物やらーーと見守っていると、やがて人垣の中から小柄な影が見えてくる。

 

「キョーコ」

 

 足を止めて振り返るなり、キョーコも彼女達の存在に気づいたらしい。一度見たら忘れようの無い、派手な色彩の衣装に身を包んだ二人組。

 

「双子って、あんな感じのかい?」

 

 彼女達もこちらに気づいたらしい。ぱあっと表情を明るくしてこちらへ駆けてくる二人組を見つめつつ、奇妙なめぐり合わせの連続にキョーコは驚いていた。

 

「ウン。あんな感じの子たち」

 

 ◆◆◆

 

 オルガの様子を見れば、鬼同士の話が上手くいったかどうかは一目瞭然だった。

 

「お姉さん、あのホシグマって奴すごくムカつくんだけど!」

 

 声を荒らげるオルガは頭から蒸気を噴き出すんじゃないかと思うくらい顔が真っ赤だ。

 

「うーん、やっぱり難しかったかぁ」

「オルガちゃん、お姉さまがたこ焼き買ってくれましたけど」

「……食べる」

 

 腹を立てた分だけ減ったようで、マヤに「あーん」してもらうと、タコのような顔色のままでオルガは「熱い」とだけ呟いた。

 

「大物の気配がぷんぷん匂うくらいなのにさ。アンタも鬼だよって言ったらムキになるんだもん」

 

 しばらく勇儀はシャッターを下ろした店に寄りかかっていた。それが決して快い反応でないことは明らかだ。しばらくして彼女はこの騒ぎの中でも聞こえるほど大きなため息をついた。

 

「キョーコ、ちょっと話をしようか」

 

 長イスが丁度空いていた。先に腰掛けた勇儀がぽん、と座面を叩く。有無を言わせぬ様子に、おずおずとキョーコが隣に座ると、双子も二人を挟むように座った。

 

「な、なにかな……」

「子供使ってまで人をだまくらかすなんて、見下げ果てたヤツだね」

 

 やはり双子と話をさせるのは間違いだったらしいということにキョーコは気づいた。完全に逆効果だ。

 軽いめまいを感じながら、キョーコはこの場をどう乗り越えたらいいものかと考えをめぐらせた。

 

「ちょっと、ちょっと待って。頼むから」

 

 しかし誰よりも早く口を開いたのはマヤであった。

 

「お姉さまの言っていることは本当ですよ」

「だから、えーと」

「マヤ」

「ああそうだ。で、マヤちゃんとやら。正直なところ、あんたらキョーコの奴にいくらもらったんだい?」

「お姉さまが? お金を?」

 

 一瞬マヤから投げかけられた視線が痛い。何が言いたいかはよく分かった。金欠はキョーコの持病だ。

 

「いいえ。一銭たりとも。親切にはしてもらいましたが」

「じゃあ善意のお返しに嘘の片棒担いだってトコかい?」

「違います」

「嘘つきはドロボーの始まりだよ」

「ご心配なく。これでも真っ当に稼いでいますから」

 

 口論する二人が腰を上げた瞬間、キョーコとオルガは目配せした。「ま、こうなるよね」と金髪を短く切りそろえた少女は表情で語る。そんなにのんきに構えていていいのだろうか。

 

「じゃあ逆に聞きますけど。どうしてあなたはお姉さまの話を信じられないんですか」

「信じる根拠がないからさ。えー、と?」

「マヤ。マヤ・カミンスカです」

「何度も聞いて悪いね。じゃあ マヤちゃんは王様に会って何をしてもらうんだい?」

「それを知ってどうするんですか」

「知りたいだけさ」

「あなたに教える義理はありません」

「おやおやボロが出たぞ」

 

 鬼のこととなると何故これほど勇儀が頑なになるのか、キョーコには分からない。

 倍はあろうかという高みから見下ろされて一見怖気づく様子の無いマヤであるが、硬く握られた拳は真っ白になっていた。

 

「なんですか、ボロって」

「言わないんじゃなくて、言えないんじゃないかい?」

「あなたに言いたくない。だから言わないだけです」

「ははーん。ガキの遊びなんてそんなもんだよな。どした。今からくだらない理由でも考えてみるかい?」

 

 もういい。もうやめにしよう。二人とも熱くなりすぎだ。

 そんな言葉で話をさえぎるには、もう遅すぎた。

 

「ホントは鬼の王様がいるなんてこれっぽっちも信じちゃいないんだろ?」

「ッ!」

「勇儀さん」

 

 なんとなく勇儀がまずいことを言ったのだけはキョーコにも分かった。握り締められたマヤの拳が、みしりと音を立てたような気がしたからだ。

 だが加速のついたコースターが坂を下るように、一度勢いのついた勇儀はとまらない。

 

「鬼の王様も、鬼の国も、ぜーんぶ作り話なんだ。認めて楽になっちゃえよ」

「違うッ!!」

 

 空気が震えた。祭りの熱気がつかの間、しん、と静まり返った。

 その視線が地面に落ちたプラスチックのトレーと、驚きを隠せないキョーコと、何事かと足を止めた人々の表情とを何度か往復した後、彼女はうつむいたまま、もごもごと口を動かした。

 

「王様は……います。国だって、あったはずなんです」

 

 消え入りそうな声。

 

「そうじゃなきゃ」最後はほとんど自分に言い聞かせるようだった。「私達が馬鹿みたいじゃないですか」

「マヤちゃんったら」

 

 いたって自然にベンチから立ち上がったオルガがマヤの前に跪き、こぼれたゴミを拾っていく。

 

「ほらほら。笑いなよって。顔が怖い怖い」

 

 笑って。その言葉が、なぜかキョーコの胸の片隅を突く。

 

「……はい。ごめんね、オルガちゃん。それにお姉さま」

「マジになりすぎるのが玉に瑕なんだよねぇ」

 

 オルガがマヤの肩を抱いて体を揺するうち、彼女の表情も和らいでいった。

 

「ボクたち、ちょっと場所を変えて歌ってみようと思うんだけど……お姉さんたちはどうする?」

 

 勇儀はまだ何か言いたげだったが、あえて無視してキョーコは腕時計を確認する。四人ですったもんだしているうちに、スバルとの約束の刻限に差し掛かっていた。

 

「やば。わたしたちも行かなきゃ」

「じゃあ途中まで一緒に行こうよ」

「勇儀さんはもう少し後ろの方を歩いてもらっていいですか」

「んだとぉ」

 

 ◆◆◆

 

 それからは比較的平和だった。

 相変わらずマヤと勇儀の間に交わされる言葉には刺々しいものが含まれてはいたが。

 いつのまにか頭上厚く立ち込めた雲のせいもあって薄暮の日差しが遮られると、薄暗さの中に提灯が星のように輝く。

 

「祭りはここからって感じだねぇ」

「お酒、欲しくなってきますよね」

「あんた子供だろ」

 

 祭りの夜。もっとも夏の魔力が強くなる時間だ。

 どこか熱に浮かされたようになっているのは勇儀とマヤだけではない。この後スバルと合流した後のことを考えているうち、キョーコの足取りも自然と軽くなっていく。

 

「お姉さん、上機嫌だね」

 

 いつしか魔力に呑まれていた彼女はオルガにくい、と手を引かれた。

 

「これから友達と会うんだ。紹介したげるね」

「お姉さんのトモダチかぁ。ぜったいヘンな子でしょ」

「そんなことはないですよー?」

「じゃあとってもヘンな子?」

「ふふ。当たらずも遠からず、みたいな」

 

 なんだかんだで心を弾ませながら、キョーコはずっと頭の片隅の醒めた部分から(ささや)きかけてくる声を意識の外に追いやろうと必死になっていた。

 そのときだ。足元でぽつ、と雨粒が小さな染みを作ったのは。

 

「雨かぁ」

「本降りになると厄介だね」

「不吉なこと言わないでください」

「どっかで雨宿りしよっか」

 

 雑踏のあちらこちらで同じような会話が聞こえてくる。雨脚が強まるにつれ、ざわめきが大きくなる。耳元の囁き声も、例外ではなく。

 

『よーい、どん』

 

 聞き覚えのある声に、はっとした。

 鼻先で雨粒が弾けた。水の粒子がゆっくりゆっくりと、花弁のように開いていく。水の花が完全に開ききったとき、キョーコは。

 

(勇儀?)

 

 異様な静けさの中にいた。

 

(オルガちゃん? マヤちゃん?)

 

 皆、石像のように固まっていた。雑踏も、歩行者信号の点滅も、雨粒でさえ。完全に時間の流れの外に放り出されたキョーコの声は、音にならない。ただ、直前まで見ていた視界だけが数倍、数千倍も鮮明に網膜に焼き付いてくる。

 鼻先。水の花。その水の粒子のひとつひとつが輝いた。

 

(――――あ)

 

 奇妙な話だが、万華鏡のように映し出された輝きの正体を見た瞬間、キョーコの頭脳より先に身体がソレを理解した。理外の理に存在する、決してこの世にあり得べからざるモノを。

 

「逃げて!!」

 

 あれに触れられてはいけない。

 

 あれに関わってはいけない。

 

 あれに見つかってはいけない。

 

 だが、もう遅いのだ。

 すでに事は起こってしまったのだ。

 

 キョーコの叫びは雷鳴のように静寂をつんざいて、彼女の体をがんじがらめにしていた見えない鎖を粉々に引きちぎった。

 足が。もう走れない、と言われた足が力強く大地を踏みしめる。つま先は牙のように。かかとは翼のように。

 

「キョーコ!?」

 

 素っ頓狂な勇儀の声。三人を抱えるようにして雑踏に飛び込んでいた。

 わけもわからず巻き添えでなぎ倒された人々の罵声などお構いナシに、キョーコは今しがた自分達が立っていた場所に降り立ったモノを見る。忘れようにも、忘れられないきさらぎの怪異を。

 

「オオカミ……?」

 

 銀色の輝きを纏った大狗は、深々とタイルに突き立ったカタナを強引に引き抜く。すると瓦礫と破片があたりに飛び散って、それが低く唸って。

 

「うーーうわあああああぁ!!」

 

 ようやく、人々は恐怖という感情が自分にあるということを思い出した。まるで祭りという酔いの最中に冷や水をぶっ掛けられたように。

 蜘蛛の子のように散った人々の中から、さらに絶叫があがる。続いて獣のような咆哮。それからゆらゆら立ち上がってきたものは異様にひょろ長く、異様に胡乱で、いびつに人体を模倣した、影のような鬼たちだった。

 

『じゃ、がんばって』

 

 キョーコが耳元に感じていた気配が去っていった。

 祭りのさなかに巨獣が文字通り降って現れ、得体のしれない怪物たちが沸いて出て。既にあたりは恐怖の坩堝(るつぼ)と化していたが、それにトドメを刺す様に坂の上から顔を出したものがあった。

 

「今日って運休とやらなんじゃなかったかい?」

 

 とはいえ、勇儀も本気で言ったわけではないのだろう。

 第一にその車体は溶岩から引っ張り出してきたように赤熱し、燃え盛っていた。長大に連結された車両の窓からは巨大な手足の骨が何本も張り出し、まるでムカデのように電鉄のレールの上を滑りながらこちらへ降りてくる。

 

 ぎゃあああ、と誰かが叫び散らして。それから人々は我先にと裏通り目掛けて詰め掛けていく。影鬼たちはふらふらと歩んでは気まぐれに彼らを捕まえていった。悲鳴が一段大きくなる。

 

「ぐ、うふふ」

 

 その様子を見守っていた大狗が唸った。いや、笑ったのだ。しかも、女の声で。

 

「やっぱりこの町には何かあるんだね」

「えぇ。そうでなくては困ります」

 

 地獄から這い出てきたムカデが屋台の列を吹き飛ばしながら横をすり抜けていくと、キョーコたちのいる歩道にまでじりじりと熱が伝わってきた。オルガはそんなことに構う様子も無く勇儀を見上げて、

 

「そろそろ謝ってくれる?」

 

 と、薄笑いを浮かべる。

 

 目だけは笑っていなかった。

 

 

 

 

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