ラブライブ!サンシャイン!!アンソロジー『夏――通り過ぎて』   作:鍵のすけ

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なんだかんだで、皆勤賞です。
初めましての方は初めまして。ちゃん丸と申します。

またまたご縁がありまして、今回この企画に参加させていただきました。

3回目となりますので前書きもこのくらいで(笑)それではごゆるりとご覧くださいませ。


あおいろはーと 【ちゃん丸】

 夏。この内浦にも例年と変わらない夏がやってきた。照りつける太陽に、それを反射する青い海。うん、なんとも美しい。が、暑い。

 

 どこからともなく、風鈴の音が聞こえる。チリーン...チリーン...と波の音と相まって、まさに夏を感じさせる。現代ではこれもまた、田舎特有のものになってしまったのかもしれない。

 太陽がこれでもかと輝いている青空を見上げる。眩しくて目が半開きになりながらも、綺麗な澄んだ青空に、どこか心躍る。

 

「果南。おっぱいを見せてくれ」

「どうしてそうなるの」

 

 いや、なんかオシャレな前置きすればイケる気がして。

 

 果南のダイビングショップでぐだりながらそう提案してみるも、彼女は聞く耳持たず。盛大なため息が僕の耳をキンと刺激する。暑さのせいかな、うんきっとそうだ。

 

「夏だから」

「こちとら一年中言われてるんだけど?」

「季節に関係なく、果南のおっぱいを見たいんだ」

「通報するね」

「おーけー待ってくれ」

 

 呆れながらスマホを取り出す果南の手を掴んで制止する。ダイビングスーツ姿の彼女もまたエロい。身体のラインがくっきりと。たまらない。僕のピュアなハートを強烈に刺激する。あんなことやこんなことをやってほしい。

 

 僕とこの松浦果南はよくある幼馴染ってやつ。小さい頃からずっと一緒にいる。年は僕のほうがひとつ下だけどね。

 そんな彼女はものすごくスタイルがいい。ボン・キュッ・ボン。あぁなんという美しい響き。まさにそんな感じ(どんな感じ)。

 よくこんな感じだから周りからは「付き合ってるのか」なんて聞かれたりもするけど、実際のところそういうわけではない。彼女は僕のことを弟みたいに思ってるみたいだし。正直チャンスは無いと自分でも考えたりする。

 

「私たち、恋人でもないんだよ?幼馴染ってだけでよくそんなことが言えるね」

「だったら恋人になればいいの?」

「なれると思う?」

 

 果南はジト目で僕に視線を送ってくる。冷ややかな視線を送られることに慣れてしまったのもあって、最近は少しだけ快感を覚えてしまう自分がなんとも言えない。助けてカミサマ。

 

「果南にその気があれば」

「君はいいの?」

「何が?」

「私と恋人になること」

「いいけど」

「ふーん」

「なんだよ」

 

 呆れた表情を変えることなく、果南は僕に背を向ける。

 

「『ハグしよっ』なんて言ってるくせにさ」

「それとこれとは別なの!」

 

 即答でそう答えた果南は、そそくさと海に潜りに行った。ザバーンと海に沈む音が聞こえる。これもまた僕にとっては見慣れた光景だった。それでも、もう少しぐらい話してくれてもよかったのにさ。

 

 ...でもこのまま帰るのもなんかあれだな。

 そう思った僕は果南の家、つまりダイビングショップに足を向け、水中から顔を出した彼女に向かってこう叫ぶ。

 

「僕も泳ぐ!」

 

 水中だと何が起こるかわからない。しれっと彼女の側に近づけば、彼女のおっぱいはもちろん、大事なところに触れることができる可能性が高まる。

 狙って触ることは百歩譲って、強いて、強いて言うならあれだ、痴漢。それこそ僕は通報されて人生終了。そうならないためにもだな、事故を装うのだ。れっきとした合法。

 

 僕はダイビングスーツを手にとって、果南のおじいちゃんに一言。おじいちゃんもわかっているようで、更衣室へと促す。更衣室がひとつしかないのはほんとどうかと思うが。

 

 戸の閉められた更衣室のドアノブに手をかける。

 

 はぁ...果南のおっぱい綺麗だろうなぁ...。もうため息すら零れる。ため息とともに僕の性欲が溢れ出しそうになる。触れたら止まらないかもデュフフフ。

 って気持ち悪いな自分。でも揉みたい。

 

「果南のおっぱい〜。おっぱい揉みたいなぁ〜...ぁ?」

 

 何も考えず、小声でそんなことを歌いながら(・・・・・)ドアを開けると、そこには。

 

「...え?」

「あ、あれ...?」

 

 全裸で、いまからダイビングスーツを着ようとしていたひとりの美少女がいた。髪の長い、少しだけ釣り目のその彼女。この子はそう、いままさに、

 

「きゃぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」

 

 僕の人生を終わらそうとした。

 

 

 

 

「通報します!通報します!!絶対通報します!!!」

「ちょっと待ってこれこそほんとに事故だからでもその蔑んだ目も好き!」

 

 いま僕は両手を後ろで縛られて、広がる海をバックに果南と全裸少女(・・・・)にゴミを見るような目で見られてる状況。うん、悪くない。

 

「こいついまこの状況楽しんでるね。リコ、通報して」

「嘘です嘘です!!やめて!」

 

 ふざけてる場合ではないようだ。彼女たちは本気で僕の人生を潰しに来てる。真面目に彼女たちの声に耳を傾けよう...。

 

「はぁ...梨子が更衣室に居るってこと、言ってなかった?」

「初耳だ!そもそも更衣室のドアの鍵開いてたじゃないか!」

「そ、それは...まさか人が来るとは思ってなかったんです!」

「ほう、それは果南の家のダイビングショップが廃れてるって言いたいんだな!確かに人が入ってるの見たことないし物が売れてるところなんてここ何年も見てな––––」

 

 瞬間、空気を切り裂く音が僕の顔に吹き付ける。

 動けなかった。なぜか恐怖を感じてしまったから。僕の顔の横には、なぜかあるはずのない果南の足が飛んできていた。

 

「それ以上、言ったら、本気で潰すからねっ。ふふ」

「へ、へい...あは、あははははは...」

 

 生きてて良かったと、心から思えた。

 

 そんな僕たちを苦笑いを浮かべながら見ていたリコちゃんと呼ばれた全裸少女。呆れてるのか、はたまた果南の凶暴性に引いているのか、あるいはどちらもか。まぁいい。

 

「とりあえず悪かった。故意じゃないことは事実だから」

「はぁ...もういいです。『故意じゃない』って言われても、そういう風には思えないんです。あなたは」

「どうしてさ?僕そんなサイコ野郎に見える?」

「見た目ではなくて、よくあなたの話を聞いてるから」

 

 どういうことだ?僕の話を聞いてる。まさか僕が果南のおっぱいを見たすぎる奴として変な噂が流れてるんじゃないのか。

 

「その通りです」

「心の声読んだの!?すっごいね君」

「そんな顔をしてたんです。わかりやす過ぎますよ」

 

 リコちゃんはクスクスと頬を緩ませる。

 なんだ、いい笑顔じゃん。裸を見ておきながら、そんなことを思ってしまった。

 

「というか、果南と君はどんな関係なの?」

「私と果南ちゃんは、同じスクールアイドルのメンバーなんです」

「あぁ確か果南が言ってた。なるほど、べっぴんさんだもんね、君」

 

 『そんなことない』と謙遜するも、その顔はまんざらでもないようだ。やはり褒められると嬉しいものなのだろうか。まあ僕だって嬉しいし、そんなものか。

 

「私は桜内梨子。浦の星女学院の2年生です」

「高校2年ってことは同い年か。よろしく」

「そうなんだ。こちらこそ」

「てかもう怒ってないの?」

「もう気にしてない。なんだろ、不思議だな」

 

 そう言うと梨子ちゃんは、僕の後ろに回って手をギュッと縛ってある紐を解こうと手を伸ばす。

 

「なんか悪いね。気を遣わせて」

「そういうのじゃないんだ。なんか、あなたになら見られても仕方ないっていうか、別にいいかなって」

「どうしてさ。僕がおっぱいクソ野郎だって知ってるんじゃないの?」

「知ってるけど、それでもいいの」

 

 よくわかんないなこの子。まず思ったのがそんなこと。でもまあ怒ってはないみたいで良かった。

 僕の両手を強く縛っていた紐が緩まってきた。解放される感覚を覚えて少しだけフワッとなる。

 

「でも正直、女の子の裸見たの初めてだったからなぁ」

「や、やめてよ恥ずかしいから...」

「やっぱりおっぱい大きい方が好きだな」

 

 僕からしたら何気ない一言。

 でもそんな何気ない言葉に、梨子ちゃんの紐を解こうとする手がピタリと止まる。

 

「そ、それはどういう意味...かな?」

「え?そのままの意味だよ」

「私の身体では興奮しなかった、と?」

「え!?い、いやぁそういうわけじゃ...」

 

 すると、さっきまで緩まっていた僕の両手首が紐を握っている彼女の殺意たるもので変に震える。

 デリカシーなさすぎたとは思ったが、時すでに遅し。少しでも回答を間違えれば、僕は彼女に命を刈り取られるに違いない。

 

 なんと言うべきか、彼女の笑顔が怖い。

 早く言えこの野郎と言わんばかりの視線。笑っているが、笑っていない。よくわからない表情だ。

 

「興奮というかびっくりしちゃったからそういう風で視線で見れなかっただけで...」

「だったら、落ち着いた状況かつ、今から脱ぐとわかった状態で見れば、興奮するの?」

「ま、まぁ...」

 

 なんか話が変な方向に進んでいる気がするが、ここで逆らうのも怖い。彼女の話に合わせて僕も返答する。

 ちらりと目をそらすと、果南が呆れた表情で僕らを見ている。いや見てるなら止めてくれという話。

 

 照りつける日差しが暑い。

 暑すぎて、暑すぎて、

 

「だったら今から私、脱ぎます」

 

 彼女の言ってることがわけわからなくなってくる。

 

 ...って、え?いま、なんと?

 脱ぎます。ぬぎます。ヌギマス。え、え?

 

「え?え?」

「だから、脱ぐの。ここで」

「なんで!?話ぶっ飛びすぎじゃない!?」

「く、悔しいの!は、初めて男の人に裸を見られたのに...興奮してないなんて...」

 

 いやいやいやいやいや。論点ズレすぎてて笑うんだが。ていうかなんだよ、『興奮しなかったのが悔しい』って。とてもそんなことを思うような子には見えないから、なおさらギャップとやらを感じてしまう。

 

 梨子ちゃんは僕の後ろから回り込んで、目の前に立つ。表情を見ても、決して冗談ではないことが伝わってくる。だからこそ、変な恐怖心を煽ってくるんだ。

 

「ちょ、ちょっとほんとに脱ぐ気?」

「ええ。何か問題でも?」

「問題ありまくりだ!」

「そう?普段から果南ちゃんに『おっぱい見せて』なんて言ってるのに、私の裸は見たくないんだ、そうなんだ」

「いや、君は初対面でしょ...」

 

 何を言ってるんだこの子は...。見た感じすごい真面目な凜とした女の子。でも話してることはただの服を脱ぎたい淫乱少女。

 

 どうすればいいかわからず、僕は後ろで眺めている果南に助けを求める。

 

「か、果南!止めてくれ!」

「うーん。梨子は変なところ頑固だから止まらないよ」

「理由になってないから!」

 

 頑固だから梨子ちゃんが公然わいせつで捕まってもいいのか。フォローしてるんだか、見放してるんだか。

 

 ともかくここで脱がれるといろいろとまずいことになる。僕は少し緩まった両手を結んでいる紐を自力で解く。思いのほか緩まっていたため、あっさりと解くことが出来た。

 僕は立ち上がり、梨子ちゃんの両肩をガッチリと掴む。まさかそんなことをされると思っていなかったのか、彼女は少しびっくりした表情を見せるとともに、少しだけ震えているようだった。

 

「いいか梨子ちゃん。そういうのは好きな男の前だけにしな。君はそんなことをしちゃいけない子なんだ」

「私には『おっぱい見せろ』とか言ってくるくせによく言うわね」

 

 果南が何か言ってくるが無視して梨子ちゃんを見つめる。少しだけ震えていたその華奢な身体は、すっかり落ち着いて地に足着いたようにも感じられた。

 

「...あなたは実は優しいひと?」

「優しくなんかない。ただ、」

「ただ?」

「君は汚れちゃいけない気がする」

「私は汚れていいのね」

「さっきからうるさいぞ果南」

 

 果南が嫌味を言ってくるが、適当に返して目の前の梨子ちゃんに視線を送る。

 さっきはいろいろあってよく見てなかったが、この子はかなりの美人さんだ。それこそ、本当のアイドルのように。

 

 そんな彼女は、クスクスと笑って肩の力が抜ける。それを察した僕は両手を下ろす。

 照りつける日差しを受け、腕が汗ばんでいた。彼女の服が濡れなかっただろうかと変に気遣う自分がいる。

 

「ありがとう。君のおかげで、少し落ち着いた」

「いや僕は何も」

「してくれたの。ふふっ」

 

 梨子ちゃんはくるりと、僕に背を向けて果南の横を通り過ぎる。

 かと思えば、すぐに立ち止まってまた振り返る。

 

「君とは仲良くなれそうだな」

「そ、そりゃどうも」

「ふふ。またね」

 

 僕と果南に軽くお辞儀をしてそそくさと立ち去る彼女を、僕たちは黙って眺める。

 彼女の姿が見えなくなってもお互いに口を開かず、しばしの沈黙。先に口を開いたのは果南だった。

 

「でも意外だな」

「なにが?」

「梨子が『脱ぐ!』って言った時、君が止めたこと」

「そりゃ止めるよ...」

 

 さすがにそこまで性欲が爆発することはない。果南にはおっぱい見せてと言い続けてるから、そう思ってしまうのも無理はないかもしれないが。

 

「どうして?」

「そりゃあ...」

「...」

 

 僕の返答を待っている果南の表情は、いつもみたく呆れてなんかなくて。

 

 なぜか、少し寂しげだった。

 

「...いややっぱいい」

「...そう」

 

 どうしてそんな顔をするのだろう。いつもみたいに呆れておくれよ。

 そう思う自分が居る。それだけ果南に対して心を許しているし、信頼している。

 

 だからこそ、何も言えなかった。

 

「...梨子に気に入られたみたいね、君」

「うそだろ。事故とは言え、彼女の裸見ちゃったのに」

「でも彼女、まんざらでもなさそうだったじゃん」

 

 果南は空気を読んでか、そんなことを言ってくる。少しだけ、日差しが強くなった気がした。いや、たぶん気のせい。素直に答えられなかった罪悪感が、そう感じさせたのかもしれない。

 

「まんざらでもって...果南の気のせいじゃないか」

「梨子は初対面の人に対してあんなこと言わないよ。“普通”ならね」

 

 普通という部分を強調しているあたり、『君は違う』と改めて言いたいのだろう。彼女の視線、言葉がそれを物語っている。

 

 僕は先ほどまで落とされかけていた海を見つめながら、再び腰掛ける。地面は日差しをよく浴びており、かなり熱い。だけど、不思議と平気だった。

 

「...よっと」

「熱いぞ。大丈夫か?」

「平気」

 

 果南も僕の隣に腰掛ける。熱い地面に座らせるのもなぜか申し訳なく感じたが、彼女が大丈夫というのなら大丈夫なのだろう。

 

 お互いに海を眺める。ゆっくりな波の音。綺麗な青色のその海は、僕の心の中を優しく落ち着かせてくれる。

 

「君は...」

「どうした?」

「...ううん。なんでもない」

 

 彼女は悩み、言葉を飲み込む。深く聞くべきだろうか。

 でもさっき僕も彼女に同じことをした。でも彼女は何も言わなかった。だからここで僕だけ問うのもアンフェアだろう。

 

 彼女の言葉を聞き流し、僕は立ち上がる。

 

「帰るの?」

「うん。帰って課題でもする」

「そう」

 

 少し寂しげな声と表情。正直なところ、そういうところを知っているから僕より年が一つ上だとは思えない。

 

 だからこそ。

 

「また明日。明日こそおっぱい見せてくれよ」

「ばーか。見せるわけないでしょ」

 

 君のそばに居たかったりする。

 

「...また来てね」

「...もちろん」

 

 

 

 

「また会ったね」

「また君か...梨子ちゃん」

 

 あの全裸事件から数日後。というよりここ最近、やたらと梨子ちゃんに会う気がする。というか会いに来てる気がするんだよな、梨子ちゃんが。

 

 僕は学校が終わると、果南のダイビングショップに来てぐだって帰ることが日課になっている。彼女が居ても居なくてもそれは変わらない。最近ではスクールアイドル活動で居ないことの方が多い。

 

「君と仲良くなりたくて」

「もう裸見せた仲でしょ」

「もうっ!あれは事故だから違うの!」

 

 プンスカと拗ねた表情を見せる梨子ちゃん。

 果南と一緒に来たみたいだけど、果南はどこに行ったのだろう。

 

「果南ちゃんなら、少し用があるからって家を出たみたいだよ」

「どうしてそんなことを?」

「彼女のこと、探してたでしょ?」

 

 案外この子は人のことをよく見てる。少しだけ侮っていた。

 僕が海を眺めていると、彼女も僕の隣に立って海を眺める。冷静に考えれば、美少女が隣に立っているのだ。なかなか体験できないことじゃないか。この間の裸といい...。

 

「綺麗だよね、ここの海」

 

 決してやましいことを考えていたわけではないが、話しかけられるタイミング的に、体が少しビクッと反応してしまう。

 もうっ...と彼女は少し呆れながらも、それ以上は何も言ってこなかったため、僕は彼女の言葉に返答する。

 

「そうかな」

「ええ。すごく綺麗」

「僕は普通だと思うけどな。こんな田舎だし」

「田舎だからこそ綺麗なの」

 

 田舎だからこそ...か。

 でもまあ田舎といえば自然が唯一の取り柄みたいなところはある。この内浦だって例外じゃない。実際のところ、梨子ちゃんだけじゃなく海が綺麗だと言ってくる人は多いのだから。

 

「潜ってみると、それがよくわかる」

「へぇ」

「海の音も、すごく綺麗なんだ」

 

 海の音。正直なところ、よくわからない。僕だって潜ったことは何度もある。それでも、そんなこと意識したことなかった。海の音なんて。

 

 不思議な子だな。やっぱり。

 

 瞬間。

 

 吹き付ける潮風とともに、波の音が僕たちを包み込む。

 これが海の音なのだろうか、いやこんな単純なものではないはず。

 そんなこと僕にはわからないけど、今までとは違った感触を覚えたのは事実なわけで。

 

「そしたら私、泳ぐから」

「うん」

 

 梨子ちゃんはなぜか少し残念そうにしながら、果南のダイビングショップに姿を消した。

 僕は再び海を眺める。波の流れも、落ち着いているように見えた。僕の気のせいかもしれないけど。

 

 桜内梨子。

 

 ある意味運命的な出会いを果たした彼女は、いったいどんな人なのだろう。

 

「まだ居たのね」

「果南」

 

 タイミングとは不思議なものだ。

 梨子ちゃんのことを考えている時に、果南から話しかけられるなんてさ。なんというか、切り替え的なものが上手く出来ない。

 

「何してたの?」

「特に何も。海を見てただけ」

「ふーん」

 

 果南は僕の隣に立って、同じように海を見つめる。

 

「...梨子と、何話してたの?」

「他愛もない話」

「例えば?」

「梨子ちゃん、海の音が好きなんだってさ」

 

 果南は、海の音か。と一言つぶやいて、クスッと微笑む。クシャッとあどけなさすら感じるその笑顔は、見てるだけで安心出来る。

 

「よくわかんないんだけどさ」

「梨子らしい」

 

 僕なんかよりも、彼女と一緒にいる時間が長い果南はそんなことを口にする。

 彼女らしい...ね。不思議な子だ。やっぱり。

 

「あのさ」

「ん」

「梨子のこと、どう思ってる?」

 

 神妙な面持ちで何を言い出すかと思えば。梨子ちゃんのこと、なんて言われても出会って間もないわけだし...。

 

「いやどうにもこうにも...まだよくわかんないよ。強いて言うなら、不思議な子だなとは思う」

「不思議な子、ねぇ。まあ変なところで頑固というか、ちょっと変わっているっていうか」

「それでもいい子だとは思うよ。可愛いし」

「君は可愛ければすべていいんでしょ」

「んなわけない」

 

 幼馴染の果南にそんなことを言われたらいよいよ本気で僕は面食いなのではないかと疑いたくなるが、気にしないふりをして視線を海から空へと移す。最近は雨雲を見ていない。それぐらい晴れの日が続いてる。

 

 思えば、ずっと一緒だった。物心ついた時から、ずっと。

 

「おっぱい見せてくれない?」

「懲りないわねほんとに...。はぁ...」

 

 まあいつもは本気で見たいと思うけど、今だけは少しだけからかいたかった。

 どうしてだろう、なんか、なんとなく。

 呆れた表情を浮かべる果南。何度となく見たその表情にも、少し慣れみたいなものも見える。なんか慣れてきたらいけない気がするんだこういうことって。言い方変えないといけないかなぁ...。

 

 そんなことを話していると、ダイビングショップから梨子ちゃんがトコトコと歩いてきた。だけどダイビングスーツではなく、なぜか学校指定の水着を着ていた。

 

 学校指定の水着もいいな...。それを着てきたということは、今日は普通に泳ぐつもりなのだろう。海水浴場というわけではないが、泳げないこともない。

 

「あっ、果南ちゃん戻ってきてたんだ」

「うん。今さっきね。泳ぐの?」

「いい天気だから。あ、そうだ。ふたりも一緒に泳がない?」

 

 そう言うと梨子ちゃんは、僕たちに手を差し伸べる。確かにいい天気だし、暑い中ずっと立ちっぱなしでいたのもあって、額には汗が滲んでいる。潜る気分ではないが、泳ぐのなら別にいいかなと思った僕は、彼女の提案に乗る。

 

「じゃあご一緒させてもらおうかな」

「私もせっかくだから」

「お!ふふっ。先に行ってるね」

「おっけー」

 

 誘いに乗ってくれたのが嬉しかったのか、梨子ちゃんは少しスキップ気味に海へと走って行った。そんなに嬉しいことなのだろうか。ほんと不思議な子だな。

 

「着替えないと。果南の家に僕の水着置いてたよね」

「そうね。私の家、あなたの私物が無駄に多いから」

「悪い悪い。ちょっと取ってくる」

「確か洗濯機の近くにあなたの私物まとめてた気がするから、その辺り見てきて」

「なんで洗濯機の近くなんだよ...」

 

 そんなに汚らわしいものなのか、僕の私物は。

 でも実際、彼女の家の近くで遊ぶことも多いし、拠点というわけではないけど、ちょっとしたものを置かせてもらうだけでかなり有難かった。

 

 その間に私も着替えると言う果南を尻目に、僕は彼女の家にお邪魔する。おじいちゃんにももちろん事情を説明してね。

 

 洗濯機があるのは確かあのあたり。ある程度目星がついている僕は、迷うことなくそこへ歩を進める。

 それからすぐに、僕は洗濯機を見つけることができた。果南曰く、このあたりに僕の私物がまとめられているらしい。僕は辺りを見渡す。

 

 すると洗濯カゴの隣にある袋に目がいく。あぁなるほどこれか。私物と言っても、下着の着替え1着と水着だけだし、これぐらいの大きさの袋に入ってても不思議じゃない。

 

 僕はその袋を手に取って、紐を緩める。この場でチャチャっと着替えてしまおうと思った僕は、戸を閉め中から水着を取り出す。ふたつの丸みを持った、まるでそう、芸術品ような、光輝くブラジャー。僕はそれを...

 

 ...ってあれ?あれ?あれれ?

 

「こ、これって...」

 

 水着は水着でも、女性用水着を置いていた記憶はないぞ。んなことはわかってる。

 ひとりでぼけてツッコむぐらいには今テンパっている。いま僕が手にしているものは、オトコ用の水着ではなく、女の人専用機、ビキニ!

 

 ...って冷静に考えたらやばい構図じゃないかこれ。

 

 ふと沸き返った頭を冷やす。いまの状況は、果南の家で他人の僕が女性ものの水着を手に取っている。...てこれよく見たら下着じゃないか...!!なおさらやばくないか、これ。

 客観的にだ。女の子の家で、男が女性の下着を持っている段階でアウト。

 

 てなわけで、何事もなかったかのように僕は下着を袋の中に戻す。

 ...その前に。

 

「これって...果南のやつか?」

 

 変に戻すのをためらう僕は、ピンク色のブラジャーを眺めながらそんなことつぶやく。

 確かにこの家には女の子は果南しかいない。だから必然的に彼女のものになるはずだが。

 

「にしてはなんか小さい気が...」

 

 果南のバストは大きい部類、ていうか大きい。その彼女が着けるにしては、どう考えても胸が収まりきれないはずだ。

 まさかハミ乳趣味が...?いやいやいや果南に限ってそれはないだろう...。それにハミ乳趣味ってなんなんだよ...。こんなこと思いつく自分にイラついてしまうというか、呆れてしまう。

 

「...あ」

 

 そういえばここに来る前、梨子ちゃんが着替えるために来てたことを思い出した。でもなんで彼女の下着がここにあるんだ?更衣室というか、着替えられる場所は店の中にあるし、わざわざ果南の家に持って上がる理由はないはずだ。

 

 じゃあ誰の...?

 ふと視線をブラジャーに落とす。もう平然と持つことが出来てる自分が情けないというか、ただの性欲魔人というか。

 

「匂いとか嗅いだらマズいよな」

 

 うんマズいね。わかってても口に出したくなったんだ。そもそも誰のものかわからないし。

 梨子ちゃんの裸を見てしまったのは事故だし、本当に見る気なんてサラサラ無かったから、最悪の事態は避けることが出来たけど、今回は別。もろに自分の意思で下着の匂いを嗅ぐなんて下着泥棒と同類もしくはそれ以上。

 

 だから僕はブラジャーを袋の中に戻す。

 

 ...どうした僕の右手よ。なぜ動こうとしない。貴様の持っているものは僕の理性という壁をぶち壊す恐ろしい兵器なんだ。だからそれを...

 

 くっ...!や、やめろ!勝手に動くな...!ぼ、僕の顔に近づけるでない...!ぐっ、と、止まらない...!!

 僕は勝手に顔へと近づく右手を必死に制止する。傍から見れば何してんだと思われるかもしれないが。

 

 そんな時だった。やはり、タイミングとは不思議なもので。

 

「...なにしてんの」

「あっ」

 

 右手との戦闘を繰り広げている僕に話しかけてきたのは、果南だった。その表情は、ゴミを見るように蔑んでいて、冷ややか極まりないものだ。

 

 死んだな。

 

 言い訳できないこの状況。どうあがいても無駄だこれは。結局、僕の右手にあるブラジャーはもう少しで鼻がくっついてしまう、端的に言えば、犯罪者ということだ。

 

「こ、こ、これは、だな、そ、その」

「うん、わかる。わかるからそのまま黙ってて」

 

 すると果南は脱衣所の戸を閉めて、1歩、また1歩と近づいてくる。鉄拳どころじゃ済まされないことを僕はしてしまったんだ。どんな罰でも受ける覚悟を決め、彼女と向き合う。ブラジャーを持ったまま。

 

「...これでなにしてたの?」

「え、えっと何と言いますか...」

 

 まさかのそういうスタイルね、果南も中々えぐいことをしてくるな...。僕が言えたことじゃないけど。

 ここでおふざけは許されないはずだ。僕は、素直に彼女の問いかけに答える。そんな彼女は、怒っているというか、どこか神妙な表情だった。それが逆に怖い。

 

「自分の水着を探してたらたまたま手に取ったのが...えっと、何と言いますか」

「下着でしょ」

「はいそうです」

 

 冷淡な声で『なに恥ずかしがってんだ』と言わんばかりのトーンで言葉を突き付けてくる果南の迫力に、少しだけ後ずさりしてしまう。やっぱり怒っているのだろうか。いや普通に考えたら、怒らない方がおかしい。

 

「ほんと悪かった!!この通りだから!」

 

 僕は素直に彼女に謝る。このブラジャーが果南のものかは未だに定かではないが、今の僕には謝るという選択肢しか残っていなかった。

 両手を合わせて彼女に向き合う。チラリと彼女の顔を見てみると、ジトっとした視線。湿りに湿った視線だった。嫌悪感丸出しの。

 

 すると果南はひとつ大きなため息をついて、口を開く。

 

「それ、私のじゃないから」

「や、やっぱり?」

「やっぱりって何よ」

「あ、いやナンデモナイ」

「...ほんと君、スケベだよね」

 

 すみませんとしか言えないです、はい。思わず返した言葉が『やっぱり?』ってほんとただのエロ野郎で自分でも情けなさすら覚える。

 苦笑いを浮かべる僕に、果南は続ける。

 

「その下着、千歌のだから」

「ええっ!まじかよ...」

「君と同じで私の家に置いてるの。よかったわね、千歌の下着の匂い嗅げて」

「なんで拗ねてるんだよ...」

 

 もう一人の幼馴染、高海千歌。彼女の下着だったとは...。でも大きさ的には彼女のバストにピッタリ...ってダメだダメだ。今度こそ果南に締められる。

 今度千歌に謝らないとな...。はぁ...絶対騒ぐよな~...。

 

 ひとりで落ち込んでいると、呆れた表情で果南が話しかけてくる。

 

「はぁ。このことは千歌には黙っておくから」

「ま、まじで?」

「な、なに」

「いや...果南がそうやって見過ごしてくれるなんて思ってなかったから」

 

 すると彼女は少し照れた表情を見せる。まさかそんなことを言われると思っていなかったのだろうか。なんとも素直な反応で、微笑ましかった。

 時折見せる、そんな女の子の表情。これは、僕だけが知っている果南の魅力なのかもしれない。

 

「...なんなの。ほんとに.....」

「え?なにが?」

「なんでもない!早く着替えて。梨子待ってるから」

 

 なにが言いたいのか。普段サバサバしてる彼女らしくない。思ったことをハッキリと言うのに。もちろん、空気は読んでね。

 こうして見ると、ここ最近彼女の様子がおかしい。なんか言いたいことを言っていないというか、隠し事してる気がしないでもない。

 

 ダイビングスーツを着ている果南は僕の視線に気づいたのか、すごく怪奇な視線で見てくる。

 

「なにその目は」

「いや果南さ、何か隠してないか?」

「隠す...?」

 

 僕の言葉に、果南はこれまた微妙な反応を示す。

 ダイビングスーツを着て、向き合う彼女のスタイルの良さに思わずにやけてしまいそうになる。

 

 それだけ彼女はスタイルがいいのだ。こんな田舎にはもったいないぐらいに。

 

「なんか最近、変に落ち着きがないっていうか」

「...ばか」

「なんでだよ」

 

 くるりと僕に背を向けて、彼女は立ち去ってしまった。

 いったいなんなのか。果南は何を思って、何を感じて、僕の前から立ち去ったのか。

 

 それがわかるのには、もう少し時間がかかる気がした。なんとなく。

 

 

『あのさ』

「ん」

『これから、なんだけど』

 

 下着事件の翌日。僕は家で課題と向き合っていると、果南から電話がかかってきた。

 彼女からの電話なんて珍しく、僕も昨日の彼女の態度が気になっていた。課題をやる手を止め、携帯電話に手を伸ばす。

 

 電話の声を聞く限り、いつもと変わらない果南だ。

 

「これから?」

『うん。暇?』

「まあ、特には予定ないよ」

『そう』

 

 今日は学校も休みということもあって、ずっと部屋にこもって課題なり、ゲームなりしてた僕にとって、遊びの誘いは素直にありがたかった。外に出るきっかけが出来る。

 

『だったら、私の家で勉強でもしない?』

 

 前言撤回。なぜわざわざ果南の家まで行かないといけないのか。それなら自分の家でいいし、現に今やってる。そのために外に出る必要なんてない。

 

「いやそれなら自分の家で––––」

『断ったら千歌に言うから』

「...だったら最初から来いと言えよ.....」

 

 どうやら僕に拒否権というものは存在していなかったようだ。でも、これで千歌にバラされるのはもっと困る。

 しぶしぶ彼女の誘いに乗り、ささっと準備をして僕は家を出る。まだまだ昼、太陽が照りつけてものすごく暑い。

 

 家から果南の家まで、そんなに遠くない。だけどこの暑さの中だ。近くても遠く感じてしまう。

 これも全て夏のせいだ。全く。

 

 吹き出す汗を拭いながら、果南の家にたどり着く。昨日ぶりにお邪魔する彼女の家。でも、昨日とは全然違った感覚だった。

 

「よっ。よく来たね」

「呼んだの誰ですかね」

「さあ?」

 

 玄関、というか店の中でおじいちゃんと話していると、果南が店の奥から顔を出した。Tシャツに短パンといった、いかにも部屋着姿。

 

 ふふっと微笑みながら、果南は自分の部屋へと案内する。僕もその後ろについて歩く。彼女の髪の甘い香りが心を刺激する。

 果南の部屋で2人っきりになるのは今日が初めてのことじゃないが、変な気を起こさないか心配になったりする。おっぱい見せろと言ってるくせに、何を言ってんだと思われても仕方ないが。

 

「相変わらずシンプルな部屋だな」

「まあ、部屋にいることってそんな多くないから」

「確かにね」

 

 日頃から海に潜ったりしてる果南のことだ。部屋でじっとしているのは勉強するときぐらいだろう。

 

 僕と果南は簡素な部屋に置かれたテーブルを挟んで、向かい合って座る。さっきまでやっていた課題をテーブルに広げ、ペンを持つ。

 

 すると。

 

「そうだ。私クッキー作ったんだけど、食べる?」

「クッキー?いまそんなにお腹空いてないからまた今度–––」

「食べる?」

「食べますはい」

 

 果南は机の上にあらかじめ置いてあったお盆を持ってくると、どうぞ、と差し出す。食べないとどうなっても知らないからな、的な笑顔を見せる彼女の迫力に押され、大して空腹でもないのにクッキーを口に運ぶ。

 

「...美味いなこれ」

「ほんと?よかった〜」

 

 これが意外と美味しく、僕は一口、また一口とクッキーに手を伸ばす。果南の意外な才能、ここにありといったところか。

 

 食べながら僕は課題に向き合うと、果南もそれに乗じて自分の勉強を始める。

 果南は受験生。今年、浦の星女学院を卒業する。

 

 内浦を出て行っちゃうのかな、果南は。

 ふと、そんな不安(・・)が頭をよぎる。

 

「果南は、卒業したら大学いくの?」

「ううん。家業を継ぐつもり」

「ふーん。そんな気はしてたけどね」

 

 なんてなこと言ったけど、心の底ではすごく安心した自分がいた。ここに来れば、彼女がいる。それだけで、僕は嬉しかった。

 

 昔からの知り合いが、居なくなるのは辛いから。

 いまここにいることが、すごく幸せなことなんだろう。そう思うと、少しだけ心がキリッとする。

 

「どうしたの?」

「なにが?」

「いま、何か考えてなかった?」

 

 表情に出ていたのだろうか。果南は僕の微かな変化を見逃さなかった。たまたまかもしれない。それでも、すごくドキッとした。

 フワッと体が浮く感覚。海の中で、波に揺られながら果てしない海中を眺めるあの感覚に似ていた。

 

「ありがとう」

「どうしたの」

「なんとなく、言いたくなっただけだから」

 

 クスクスと果南は微笑む。お礼を言われた理由はピンと来ていないようだが、それでも嬉しそうだった。

 僕も、なんでお礼を言ったのかわからない。それこそなんとなく、言いたくなったから。

 

「君はさ...」

 

 微笑みの余韻に浸りながら、果南が僕に問いかける。

 

「ううん。君にとって、私はなんなの?」

 

 僕にとっての松浦果南。

 それは、いったいなんだろう。

 

 幼馴染?恋人?

 

 改めて問われると、明確な答えが自分の中で定まっていないことに気づく。こんなに近いのに、誰よりも近いのに。

 悩む僕に、果南はまたクスクスと笑う。呆れているような笑いかと思ったけど、そうでもないらしい。素直に面白がっているようだった。

 

「なんてね。そんな真面目に考えないでよ」

「からかったな...」

「さあ?」

 

 果南は思いっきり背伸びする。彼女のバストが強調され、ドキッと胸が高鳴る。

 彼女は一呼吸おいてから、口を開く。

 

「言いたくなった時、教えて」

 

 そう言う彼女の瞳の奥には、確かな意志が感じられた。いつまでも待つ。答えを教えてくれるまで、と。

 どんなに遅くなっても、答えを言わないといけないな。言わされてるわけでもなくて、言いたいと思えた。きっとそれは、相手が果南だからなんだと思う。

 

「わかった」

「うん」

 

 少し安心したように、果南は小さく頷く。優しい声色の彼女は、僕が昔から知っている姿と変わらなかった。いつもいつも、僕のことを見てくれてて。

 優しいお姉ちゃん。そういう表現が1番しっくりくる。でも、なぜか言えなかった。

 

「...あのさ」

 

 果南は続ける。

 

「...見たいの?」

「なにを」

「...むね」

「..........え」

 

 時が止まった。シーンと、ふたりの間に訪れる沈黙。扇風機の風の音が部屋に響く。

 果南は、顔を真っ赤にしている。それもそうだ、こんなことを言うようなキャラでもない。かなりの覚悟を決めて話したのではないか。

 

「え、って見たくないの?」

「い、いやそういうわけじゃ...どうして急に」

「い、いいの。見せてあげるから...」

「ちょ、ちょっと!」

 

 シャツのボタンをひとつずつ、丁寧に外していく果南。鎖骨が顔を覗かせてる。もちろん、その下には水色の下着が。

 ごくり、と固唾を飲む。喉仏が動くのがわかる。見ちゃいけないと思っても、彼女から視線を外すことが出来なかった。

 

「か、果南...」

「恥ずかしいんだから...。...脱ぐね」

「ちょっとまって!」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 シャツのボタンを外し終わった果南は、シャツごと脱ごうと肩に手をかける。彼女は恥ずかしがって顔が赤くなっていたが、ただ恥ずかしいだけではなく、少しだけ興奮しているようにも見えた。

 僕は彼女の手を掴んで、脱ぐのを止めさせる。

 

「どうして...?」

「こっちのセリフ。どうして急に見せるなんて言ってきた」

「いつも言ってるじゃない...」

「それは...」

 

 果南の言葉は、ある意味ごもっともと言えばごもっともだった。普段から僕が言い続けてることに、彼女が応えようとしてくれている。

 普通なら喜ぶべきところ、なのかもしれない。でも喜べなかった。どうしてか、理由も探す気になれなくて。

 

「見たいのは見たいけど...」

「だから脱ぐよ」

「ちょっと待てって...!」

 

 果南の手に力が入る。本気で脱ごうとしているようだ。僕もそれに合わせて制止する力を強める。

 決して力に自信があるわけではないけど、果南には負けない自信はあった。

 

「力入れないでよ...」

「ダメだから、果南」

「あの言葉は嘘だったの...?」

「嘘なんかじゃ...」

 

 嘘なんかじゃない。でも、これだけ否定的だと果南がそう思ってしまうのも無理はない。

 だからと言って、このまま彼女を脱がせるつもりもない。

 

 どうして、僕はこんなに止めるのだろう。

 あれだけ見たいと心から思っていたことなのに。

 

 怖気づいた?心の準備?たぶん、そのどちらもある。でもそれだけじゃない気がした。むしろそれ以外の感情が、正解なのではないか。

 

「どうしてよ...どうしてよ!」

「か、果南...」

 

 何よりも驚いたのは、果南が涙声になりながら声を荒げたこと。こんな表情を見せたことがなかったからか、背筋がピンと伸びる感覚を覚えた。

 それにここまで意地になる果南を見たのも初めてだった。どうすればいいかわからず、僕はふと立ち上がろうとする。

 

「待ってよ...」

「帰ったりしないから大丈夫」

「...でも」

「ひ、引っ張るなって...!う、うわっ!」

 

 立ち上がった僕につられるように立ち上がった果南は、僕の服の裾をぎゅっと掴んで引っ張る。

 帰る気なんてさらさら無かったが、そういうことをしてもらえるとなんとも嬉しい気持ちになる。

 

 そうのんきに考えていたのもつかの間。思いの外強い力で引っ張られたのもあって、体の力を抜いてた僕はうっかり倒れそうになる。

 と、気づいたときには僕はもうすでに、彼女に覆いかぶさっていた。

 

「あ...」

 

 驚きの表情を浮かべる果南に、僕はなんて声をかければいいかわからない。体が石のように固まる。

 一方の果南も口をあんぐりと少しパクパクさせている。話そうにも驚いて言葉が出てこないようだ。

 

 そこで僕は気づいた。左手からの感触が柔らかいことに。

 

「あっ...あっ...!!」

「ご、ごめん!!」

 

 僕の左手が、果南の胸をがっしりと掴んでいた。

 いままで感じたことのない柔らかさと、果南の胸を揉んでいるこの状況に、心臓がこれでもかと鼓動を早める。

 

 離さないといけない。そう思うのは心だけで、体が言うことを聞かなかった。

 僕の中の理性が音を立てて崩れていく。このまま、彼女をめちゃくちゃにするのもいいのではないか。男のとして最低の考えが芽生えてくる。

 

「ひゃん...!!」

 

 少しだけ左手に力を入れると、果南が甘い声をあげる。それがいつもの彼女の声ではなく、喘ぎに似たようなものあるいは、喘ぎ声であることは明らかだった。

 シャツははだけ、ほぼ下着姿の果南は目がトロンとまるで酔っているかのような甘い表情をしていた。

 

 ごくり、と固唾を飲む。いま、彼女を襲おうと思えばどうだってできる。

 スタイリッシュで締まった体の果南、力もそこそこあると思うけど、それでも僕の方がまだ力はある。

 

「ちょ、ちょっと...!」

 

 果南が何か言っている。でもいまの僕に彼女の言葉は入ってこなかった。

 それだけ彼女の体に夢中になっていた。恥じらう果南は、僕を退かすこともせず、かといって露(あらわ)になった下着を手で隠すこともしなかった。

 

 つまり、襲ってもいいと。そう認識するほかなかった。

 

 でも。

 

「...ごめん果南」

「えっ...」

 

 少しだけ涙目の果南が震えているのも同時にわかった。

 

 彼女の上からどけ、僕は荷物をまとめる。

 果南も起き上がり、シャツを纏って僕に不思議そうな視線を送る。

 

「どうしたの...?」

「悪かった。僕には出来ないよ」

「...興味、ない?」

「そんなんじゃない」

 

 まさか、果南は覚悟していたとでも言うのか。でも彼女の言葉を聞く限り、そういうことになる。考えすぎかもしれないと思ったが、彼女の表情を見ても寂しそうな表情。

 

 もし、そうだとしたらなおさら出来ない。

 

「果南だからこそ、出来ないんだ」

「...」

 

 君だからこそ、出来ない。それは紛れもない僕の本心だった。でも、果南は腑に落ちていないようで。

 うつむき、言葉を探している。いつもの彼女らしくない行動が多く、どうしたものかと心配にすらなる。

 

「...悪い。今日は帰るな」

 

 もっと優しい言葉をかけられないのか。自分に嫌気がさす。カバンを手に持って、部屋を出ようとすると。

 

「待って」

「...」

「...ごめん、なさい」

 

 呼び止める彼女に、僕は振り向かずに立ち止まる。

 背中越しに聞こえる彼女の声は、震えていた。

 悪いことをしたと思っているのか、心の底から申し訳なさそうな声だった。

 

「いや...」

 

 何も言えなかった。僕から言いだしといて、彼女にこんな思いをさせてしまったと考えると僕は。

 そのまま果南の家を出る。彼女も、何も言わなかった。

 

 わずかだけど、さっきよりも日が沈んでいる。それでもまだまだ暑い。照りつける太陽であることには変わらない。

 

 来る時も憂鬱に近い感情だったが、いまもそれとは違った憂鬱さ。早く帰って眠りたい。

 

 そう思った時。ふと、僕は視線を海辺に送る。

 すると見覚えのある顔がひとり、砂浜で海を眺めていた。

 

「...なにしてるの?」

「君から話しかけてくるの、初めてだね」

 

 海風に吹かれる髪を手でとくのは梨子ちゃんだった。砂浜にひとり立って海を眺めている彼女に、僕は思わず話しかけてしまった。彼女の言う通り、梨子ちゃんに僕から話しかけたのはこれが初めてだと思う。

 

 ここ最近、よく彼女に会う。不思議なものだ。

 

「何かあった?」

「えっ?」

「何かあったから、話しかけたんじゃない?」

「...」

 

 僕の方を見て、クスッと微笑む。決して馬鹿にしていない優しい笑顔だった。

 

 やっぱり、彼女は鋭い。いや僕が何も考えてないだけかもしれないが、それでも会って間もない僕の表情、声色などを察してそう言えるのはやっぱり鋭い人だからだと思う。

 

 そう言う梨子ちゃんは、再び視線を海に戻す。こんなにも暑いのに、彼女の周りだけはどこか冷んやりとした空気が流れてそうな、そういう不思議な雰囲気。

 

 不思議な子というのが、第一印象でもあったから。

 

「海の音、聞いてるの?」

「ふふっ。ここじゃ波の音しか聞こえないから」

「やっぱり違うものなんだ」

「うん。全然違うよ」

 

 ふたり、波の音を聞きながら話す。僕にはピンとこないが、やはり違うものらしい。そこまで言われると興味が出てくるのもまた不思議な話。

 

 すると梨子ちゃんが僕に問いかけてくる。

 

「果南と何かあったんだ」

「なんで果南の名前が出てくるんだ」

「違うの?」

 

 梨子ちゃんはわかりきった表情で、僕に問いかけてくる。どこか自信満々なその表情は、僕の否定しようという感情をかき消してしまう。

 

 波の音が、煩い。

 

「...正解。君はほんと鋭いな」

「君がわかりやすいの」

「はは」

 

 ふたり、もう一度海を眺める。

 梨子ちゃんは、それ以上何も言ってこなかった。もっと聞かれるかもと思っていた僕は、少し肩透かしをくらった気分になる。

 

 何分ぐらいそうしていただろう。そんなに長くはない。それでも、僕には長く感じた。それだけ海に見入っていた、というわけでもなく。

 

 ただ、果南のことが頭から離れなかったんだ。

 

「...君は何を考えてるの?」

「えっ?何を?」

 

 僕の問いかけに、梨子ちゃんは不思議そうな顔をする。こちらを見る彼女に、僕も向き合う。

 

「うん。深い意味はないけど、気になったから」

「...そっか」

 

 梨子ちゃんは少し考えて、僕に言葉を放つ。

 

「君の行方を考えてた」

「行方...?」

「そう。何の行方か、もうわかってるんじゃない?」

 

 行方。僕のこれからの行方。

 

 そんなもの、普通の人なら考えるわけがない。それを考えてくれる、ということ。

 普段ならここまで頭が回らないけど、なぜかいまは、いまだけは、彼女の言葉の奥底に眠る意味がわかった気がした。

 

 きっと、つまりは–––––。

 

「梨子ちゃん。君は–––」

「何も言わないで。お願い」

 

 くるりと、僕に背を向ける彼女。

 僕は彼女の裸を見てしまった。それがずっと昔のことのよう。

 そんなことをしても、梨子ちゃんは、

 

 僕のことを好きでいてくれたんだ。

 

 でも僕は、僕は。

 

「じゃあね。また、明日」

 

 僕の前から立ち去る梨子ちゃんは、顔を見せないようにしていた。

 でもちらりと見せたその顔には、涙がつたっていた。

 

 言ったわけではない。それでも、彼女は察したんだと思う。いやずっと前から、もしかしたら、僕たちが出会う前から、ずっと。

 

 でもそれは、僕に気づかせてくれた。

 

 僕は走る。来た道を、もう一度戻る。

 夏の陽射しなんて、気にせずに。吹き出す汗をぬぐいながら、海辺を駆ける。

 

「果南!」

「ど、どうしたの?忘れ物...?」

 

 家の前で梨子ちゃんと同じように、海を眺めていた果南に、僕は息切れしながら叫ぶ。

 

「はぁ...はぁ...さっきの、答え...なんだけど」

「...」

 

 いきなり本題に入る。僕がそうやるということは、早く、早く、言いたくて、伝えたくて。

 僕の言葉を聞いた彼女は、ハッとなって言葉を飲み込む。困惑する彼女を気にしつつ。僕は口を開く。

 

 その答えはすごく単純で、すごく分かりやすくて。

 どうしていままで気付かなかったのだろうと、自分を責めたくなってしまうぐらいな。

 でもこれから、まだ、これから。

 

 僕の夏は、まだこれから。

 

 たとえ、どんな答えが待っていても。

 たとえ、ひどいやつと思われても。

 たとえ、この関係が終わってしまおうとも。

 

 

「君は僕の好きな人なんだ」




ありがとうございました!

上手くラッキースケベ出来てましたか?(笑)
私自身、あまり書いたことのないジャンルだったので王道中の王道しか書けませんでしたが、書いてて楽しかったです。

3回の企画を立案してくださいました鍵のすけさん、この場を借りてお礼申し上げます。そしてお疲れさまでした。

では、この辺で。皆さまとまたお会いできる日を楽しみにしてます。
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