「嫌ならば断ってくれても構わないがどうする。」
僕は…。
詳しい説明を求める。
〉だが断る。
「済みませんが断らせていただきます。僕には他にやるべきことがあるので、できません。」
「そうか、大尉は余程野心家なのだな。聞かせてもらってもいいか。大尉のすべきこととは何か。」
心底驚いた、という風に此方を見つめてくる。自分が断れと言ったというのに、何を根拠に断られないと思ったのだろうか。心底、理解が出来ない。そもそも、素性の分からない室内でマント何か着けている人を万人が信じることができようか、いや無い。寧ろ誰も信じる筈がない。マントで仮面で通り名まで付いている人物に気を許したらいけない。何故、この人は既婚者なのだろうか。娘さんも美人だし―――ノエルには遠く足元にも及ばないが、全くもって全然。カルル君だって士官学校であったことがあるが将来はきっと持てると確信できる程に整った顔立ちをしていた―――まあ、ノエルは容姿だけで無く心の隅に至るまで全てが清らかで、まるで草原に咲く一輪の白百合の様に可憐で、儚げで、一点の曇りの無い純白さで以て僕の心さえ浄化してくれる。その心の例えを白百合とするのならば、否、白百合でさえも遠く及ばない程にノエルは美しく、かと言って幻想上の生き物の、ドラゴンやユニコーン、不死鳥の様に有り得もしない方法で神聖さを出している訳は無い。人間がおよそ可能な限界の極地まで届いてしまう程に愛らしい。
ここまで言っても分からない様な人は居ないとは思う。だが、飽くまで今までの言葉は僕の胸の内で呟いたのであって、時間的にはさほど経っていない。別に発しても構わないのだが、気分が乗らなかっただけである。
それに既婚者に対して言っていいことではないだろう。子供が二人もいて、夫婦の仲が冷め切っている事もないだろう。
大佐が夫婦円満の様子は恐ろしい程に思い描けないのは、この際些細な事だ。
「無論、惚れた女と契るためです。なので今から教員免許を取るために試験を受けてきます。」
「いや待て、言っていることが繋がっていない。話が飛躍し過ぎている。」
そう言って大佐は退出しようとする僕を引き止めた。仕方なく説明をするだけして直ぐに帰ることとしよう。
「好きな人と出来るだけ一緒に居たいと思うでしょう。そのためです。」
「別段今ではならない理由などないだろう。将来、自分の秘書として置いている方が総時間的に多くなると思うのだが、其処まで急く必要はないだろう。」
「大佐の様に囲んでいる人には分からないでしょうが、元々顔が見れないだけでも耐え難い苦痛だというのに何年も待てるわけがないでしょう。今度こそ失礼しますよ。」
しかし、回り込まれてしまった。いい加減にして欲しい。半年以内に教員職に就くために頑張らないといけないというのに、何故にこの手の上司は話が長いのだろうか。
「可笑しいだろう。私が囲んでいるなど甚だ間違いだ。」
「いや、囲んでいるでしょう。」
沈黙が降りる。もしかして気づいてすらいないというのだろうか。
「娘さん、大佐と同じ部署ですよね。」
「当たり前だ。私の子が同じ分野で秀でるていないはずがない。事実エイダには私が発見し得なかった事を見つけたからな。」
自分のことのように嬉しく語っている。初めの印象からは想像もつかない饒舌さであった。
「奥様は、何処に住まわせているのですか。」
「何かあった時のために此処の近くの家を買って今はそこで暮らしている。家族全員が一緒だ。カルルは士官学校で家に居ることは少ないがな。」
所々に話題転換をしているものの、選択を誤ったか。大佐の話は留まることを知らずに続いた。
「イグニスとは長年、本当に永い間共に居たからな。出来るだけ余計な負担をかけたくなかった事もあって、静養して貰っている。」
囲っているじゃないか。娘は自分の手が届く所に居て、奥さんも自分の職場の近くに置いている。
息子は士官学校で、その内同じ部署に就かせるのだろう。
「大佐は家族思いなのですね。勘違いをしてしまいました。囲んでいる事実は変わりありませんが過保護が行き過ぎた程度のことですね。では、今度こそ失礼します。」
「ああ、済まなかったな。夢の実現にくらいは応援してやる。それと囲んでなどない。」
どこまでが真意か、それとも痴呆が始まっているのか。兎に角、もう会うことは無いであろう人物の執務室を後にした。
約半年後。
念願叶って教職員として働くことが決定した訳なのだが、久々の母校というものも中々に感慨深いものである。勿論、その他の区画である寮や商業区、発着場。その全てが懐かしく思えた。身体的にも、精神的にも学生であった時の自分とはかけ離れたと思う。僕が教員になることをジンに話したときはなんというか素っ気ない事しか言わなかったけれどもそれなりに心配はしてくれたのだろう。
カイケイは忙しかった様で連絡がつかぬままに此方に来ざるを得なかったのだが、最後に会ったときは上司が優しい方でそれなりに楽をさせていただいている、なんて言っていた。ローゼンは未だに僕が統制機構から離れることに文句を言っていた。何でも普通に訓練がキツイだとか、上司がセクハラをしてくるだの、何だの。聞かされるたびに訴えればいいだろうというのだが、恩を仇で返すことは出来ないらしく、大抵可愛がられているらしい。
皆には黙っていたのだが、あの後にレリウス大佐とは仲が良くなって、大佐に、もしその気があるのなら復帰できるように手配をしよう、と言われていた。つい先日までは週に三回は飲み屋にお供させていただいていた。話をしていると面白く、根っからの科学者だとばかり思っていたが読み物や演劇にも明るかった。酔が回ることなどは殆んどなかったが、時折家族のことを語りだす事があって心を開く事が出来た。正常な判断がつかなくなっている時もあるので、その時に言っていることは相変わらず物騒だった。行き成り、「イグニスの腕にドリルは不要だったか…。」なんて言い出すことは常で、酷い時には、「凡ゆる状況の為と思い、使いもしないような実験器具なんて作るものではないな。超大型の丸型フラスコは兎も角として、大型のU字磁石などは今まで一度も使ったことがない。若気の至りというやつか…。」なんて言うことも多々ある。一体、技術開発部は何をしているのだろうか。
因みに先程も言っていたが、教職員になれることが決定してノエルに会うためここに居る訳だが、今代の生徒会にも入っているであろう後輩たちは僕が来ることは分かっている筈なのだ。ドッキリにもならないのが残念で仕方がない。後、数時間程で高等学校に着くわけだが、今ひとつ何を話しかけていいのか分からなくなってきた。やることは決まっているのだ。しかし、その過程というか、はっきりと第一声やらに言うことを考えるとノエルで頭の中が埋め尽くされて途端に頭が真っ白になってしまうのだ。
会う前からこんな調子では、いざ目前に来たときはどうなってしまうのだろう。既に頭から何時かの笑顔が離れずにいた。今に始まったことではない。卒業してから、統制機構に入ってから、文通で手紙が届くたびに、思いが強くなっていたのだ。
この気持ちがこの身に収まりきらないほどに膨れ上がっているのを感じる。精神論とはまた別のものであるが、今の心持ちならば如何なる事が起きようともどうとでも出来る自身がある。躰の芯の部分から噴き上げてくる激情にも似た衝動は、ただ今は胸の鼓動として息苦しくなるまでに肺の近くを叩いている。脈動する血液ですら感じ取れるまでに神経が研ぎ澄まされている。手を握るたびに筋肉が躍動し、足を一つ運ぶたびに僕の許容量を有に超えている何かが競り上がってくる。然れど内側から零さぬように必死に留める。
ここまで、この様に、僕はなっている。もう抑えられぬこと位、知っている。
もう、呼吸すら煩わしく感じた。
士官学校は、教員でなく生徒会が主体となって行事にしても、長期休暇にしても、全ての運営をしている。であるから、新しくここに来た者はまず生徒会に行かなければならない。特に僕は自らで生徒会の顧問になったのだから尚更だった。生徒の時にその職に就いていた人間は、その様な形を取ることで教員免許さえ持っていれば就職できるのだ。だが、生徒会に入っている様な人間は大体が優秀であるので、このような制度を取ったのは極めて少ないらしい。勿論普通の教科を受け持つこともあるが、基本的には生徒会の補助として活動する事となっている。寧ろ急な事で欠員が出来た時などに授業をする様な仕組みになっている。今までに生徒会顧問が居らず、僕の学生時代に急な教員の変更を言い渡された事が無いことから分かるが、生徒会のサポートに専念させて貰えるのだろう。
幾ら自分で言い訳や建前を繕った所で意味は無いので、目の前の扉を数回軽めにノックした。
「はい、どうぞ。」
中から聞こえるのは一種の伝統として受け継がれて来た事務的な返事だ。恐らくは忙しいがために気をかける余裕すら無いのだろう。
「明日から生徒会顧問として君たちと働くことになるギレル=リバースです。皆さん宜しく。」
ドアを開けて見渡せば、見知った顔が二人に知らない顔も二人程。全員が惚けた様な顔をして、その惚け方にも多少の違いが見られる。いち早く復活したナナヤが生徒会長席に座っているヤヨイに質問を投げかけていた。
「ツバキ、私は聞いてなかったな~。リバース先生が来るなんて、さ。リバースせ・ん・せ・い・が来るなんて、さ。皆知らなかったかな~。皆…ねえツバキ、ノエルにも言い忘れてたよね。」
そう言って詰め寄るナナヤ、明らかに失敗したという風に頭を抑えるヤヨイ、状態の把握ができずにいる恐らくは今年入ったであろう新人二人。
と、行き成り表情を凍らせたヤヨイが此方を向いて捲し立てるような口調で話しかけて来た。
「先生。取り敢えず図書室にノエルがいるので挨拶に行って来てください。今は人数が足りているのでどうぞ気にせずゆっくりしてきて下さい。」
どうにも可笑しい。らしくないというのか前に会ったときはもっと落ち着きのある人物だと思っていたが、どうしたというのだろうか。
「そうですよ!先生は図書室に行くべきです。今すぐにでも行って下さい。行くべきです。行って貰わないと困ります。」
ナナヤもか、気を使ってくれているのだろう。無下にするのはいけない。急ぎ、図書室にいるノエルのところまで急行するとしよう。
今度は声をかけずに、ノックもせずに、部屋に入った。僕らの時と変わらずに利用者は居らず閑散としていた。奥には蔵書整理をしているノエルが見えている。時間も授業が完全に終わっているであろう時間を選んで来ていた訳だが、窓からは夕日が差し込まれてた。
長い間働いていたのであろう。季節柄、過ごしやすいこともないので、案の定額には汗が滲んでいた。昔とは違い一人で仕事をさせていても問題はない様に見える。月日は着実に流れてしまうのだと改めて感じた。しかし、僕が入室したことくらいは気づいて欲しかったが、集中して仕事に励んでいるので気づかない。待っているのは味気が無いので声を掛けて手伝うことにした。
「手伝いは必要か。」
短く、そう告げるだけ。意識を此方に向けるためだけの言葉で、意味などない。勿論、手伝いをするのは当たり前だが、優先順位の問題だろう。
えっ、とだけ息をこぼしたかと思うと持っていた本を落としそうになったので、急ぎ手を握り本が落ぬように抑える。
「ギレル先輩。どうしてここに、夢かな。最近忙しいからな~。」
「冗談を言える余裕があるなら問題は無いな。実は此処の先生になることになった。いや、なろうとしたんだ。ノエルと少しでも一緒に居たいからな。」
一度手を下ろしてお互いに何も持たない状態にして、更に言葉続けた。
「それと、これからはギレル先輩とか先生とかで呼ばないでくれよ。これからは正式に結婚を前提とした関係になりたい。」
言い終わると、ノエルが僕に飛びついてきた。そっと抱き寄せる。手のひらだけで無く、腕や胸板から感触が伝わってくる。7触れる事で、華奢だと感じて、息遣い、体温が染み渡って来る。僕ではない人間の温もりが、僕には勿体無いくらいで、心底、幸せだと思う。
「嬉しい、ギレル。絶対に離さないですからね。」
「嗚呼、僕もだ。」
より力を込めて抱き寄せる。
「絶対、絶対。ギレルはノエルのものですからね。」
「嗚呼、絶対だ。」
ノエルの強く抱き返してきた。
「私、子供が好きだから、三人は欲しいです。男の子でも、女の子でも。どっちに似ますかね。ギレルに似るなら凛々しくなると思います。私似だと少し自信がないけど。どちらにしてもちゃんと育てて、きちんとした判断が出来る大人になって欲しいですね。あと、料理は交代でしましょうね。上手に作れない物もあるので、教えてくださいね。家はどうしましょうか。私の実家でもいいですし、新しく家を買うのもいいですね。その、私たちの愛の巣みたいな感じで、少し憧れます。金銭面は気にしなくていいですよ。今までお世話になった分いつか返したいと思っていたんですから。ギレルのためなら何だってしますよ。共働きでもいいですし、専業主婦でも、出来れば、その、子供たちに寂しい思いをさせたくないですから家に居たいですけど、まあ、もし共働きだとしても私たちの子供達なら分かってくれますよね。それに、どんなことが有っても絶対に乗れ超えます。ギレルが居てくれるだけで私の支えになってくれるんですから、今までも、これからもずっと、ずっと。例え世界が滅びてもずっと一緒にいましょうね。何が何でも話離しませんから、安心してください。有り得ない事ですけど、ギレルが逃げたとしても意味なんてないですからね。あ、でも勘違いしないで下さいね。別に信じてない訳では無くて、唯の意思表示なだけですから、気にしなくてもいいですよ。他の女の人と話していたってギレルの恋人は私しか居ないんですから。これからは、いつまでも、いつまでも一緒ですよ。」
「嗚呼、当たり前だ。」
互いにきつく抱き合う。離さない様に、固く。壊れぬ様に、優しく。
本当に、愛おしい。
Fin
一人を残し、誰も居ない執務室。
不意に口から溢れ落ちた言葉。
「家族、か。」
やがてこの事象も終焉を迎える。
ギャグルートというより、ifルートに近い物になってしまいました。
相違点は、ギレルの性格が少しばかり悪いことと、ノエルがヤンデレ気味なだけです。
最後の語りは、それなりに重要です。その内わかります。露骨にネタバレです。
感想お待ちしています。