ネムの駆けていく世界   作:社財怪剣

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英雄の領域

 カルネ村を見渡せる小さな丘の上、ネムとンフィーレア、そして漆黒の剣の面々が小さな墓石の前で祈りを捧げていた。三つ並んだ墓石の周りには彼らが集めた花が飾られ、風に吹かれて優雅に踊っていた。墓を作り祈ること、それは今はもう会えない人への別れの儀式。だから生きている者たちは現実を受け入れ、悲しい別れを乗り越えてこの先も進んでいくことができる。

 

「おやすみエンリ……」

 

 ンフィーレアの頬を涙が伝い、お別れの言葉が贈られる。その表情にはこの村を目指していたときの陰も迷いも消えていた。結局告白をすることはできなかったが、愛していたことは変わらない。だから振り返らず前を向いて自分の生を全うしようと誓うのだった。

 

 ふいに隣に立っている少女の顔を見ると何とも血色が悪く落ち込んだ表情が目に入る。アインズ・ウール・ゴウンの情報を口外すればネムを処分する。エンリの家に現れた悪魔にンフィーレアが警告されたのはそれだけだった。とても奇妙な話。ネムの話ではアインズ・ウール・ゴウンの存在を知った者は誰であろうと死ぬというものだった。これまでに起こった出来事からネムの話が全て真実だと確信できる。その話を聞いたンフィーレア自身が殺さずに解放された理由が分からなかった。

 そして情報を口外すると危機に陥るのはネムだという。ンフィーレアができるエンリへの手向けはネムが幸せに生きられるように見守ることぐらいだろう。それを人質に取る悪魔の狡猾さと残忍さから、悪魔がそうとう頭が切れるのが分かる。

 

「どうしたのネム? さっきはあんなに元気に暴れていたのに」

「ちょっとね。悲しい声が聞こえて、少し怖かったの」

「声ってどういうこと?」

「わたしが倒したゴブリンやオーガ達の悲鳴や叫び声……」

「……でもね、ネムのおかげで僕たちは誰も命を落とさずにいられるんだよ。だから……ありがとう」

「うん……」

 

 魔物となってしまったというネム、ンフィーレアには彼女の言葉の意味を理解することはできない。この先も人間には理解してもらえない悩みを抱えて生きていくのだろう。ンフィーレアにできるのはエンリの親友として変わらずにいてあげること。彼女の妹が幸せな人生を歩むことを願うのだった。

 

 

 

―――――――――――――――――――――――

 

 

 

 エ・ランテルに戻る馬車の中、会話の中心になっていたのは先ほどの戦闘だった。ネムは強さに関して漆黒の剣から称賛の言葉を受けながらも、戦うことの基本について何も知らないことを自覚する。会話をしながらもみんなそれぞれの武器や防具の手入れに勤しんでいる。かなり使い込んでいる物もあるのだろう。先ほどのモンスターとの戦い以前からの傷跡が防具の端々に見受けられる。

 

 アインズからもらった武器を汚れたままにしておくわけにはいかない。ネムも漆黒の剣を見習って刀剣についた血を拭き取り綺麗に磨いていった。勉強熱心に彼らの真似をするネムを見て、漆黒の剣の面々は武技や魔法やアイテム、パーティーの戦闘での役割などを丁寧に物事を教えてくれるのだった。

 

「そういえば、その刀っていう武器なのかな? とても珍しいよね。なんだかとても大きいし」

「これは大切な御方からもらった宝物なんだよ」

「刀……であるか。そういえば刀を使う達人の話を聞いたことがある。王都の御前試合で戦士長殿と互角に渡り合ったそうだ」

 

 ネムの持っている刀は大太刀と呼ばれるもので、刀身が1メートル以上あり刀の中でも大型に分類される。特殊効果は『劣化無効』『物理ダメージ10%向上』のみで、アインズからするとレベル30台までが使用するゴミ同然の武器である。

 だがそれはゲーム内のみの設定。この世界ではたとえ大人でも大太刀を片手で振り回すことなど普通はできない。よほどの強者か、あるいはネムのように異形種の高いステータス補正でカバーする必要がある。

 ギガントバジリスクの硬い皮膚と何度打ち合っても劣化しない刀身を眺めながら、ネムは尊敬する主の顔を思い出していた。

 

 エ・ランテルへと戻ったらどうするべきだろう。思い返せば街ではまだおやつを食べてまわっただけである。帰ったら依頼を探しに冒険者組合を訪れるのもいいかもしれない。

 

 馬車の道中は意外と暇なことが多く、漆黒の剣の面々からはたくさんのアドバイスを貰うことができた。本当にみんなには感謝しなければいけない。

 冒険者で最高位に位置するものはアダマンタイト級冒険者に選ばれた者たちだということだった。英雄とも言われるほど数々の実績と高い名声が必要とされ、この国にも数えるほどしかいないという。目指すならここしかない。しかし、その道のりはかなり遠い。ギルドでの仕事をたくさんこなして認めてもらうには長い年月が必要なようだ。一度、ナザリックに戻って主に報告したほうがいいのだろうか?

 

「ところでネムさん、よろしければ我々『漆黒の剣』と共に行動しませんか?」

「えっ、いいんですか?」

 

 ペテルの言葉に軽く胸を高鳴らせる。ネムにとっては願ってもない提案だった。冒険者としてこれからどうすればいいか曖昧な彼女にとって、これほど頼もしい人たちは他にいないだろう。

 

「わたしなんかが仲間になってもいいんでしょうか?」

「ああ、もちろんだ。君は確かに強いけれどまだ知らないことも多いようだし、アダマンタイトを目指すなら難しい大人のルールにも力になれるかもしれない」

 

 嬉しいけれど迷惑にならないだろうか。きょろきょろ周りを見渡すと漆黒の剣の面々が頷いて返してくれる。そこには微塵の否定もなく、優し気に微笑む彼らの姿があった。

 

「よ、よろこんで。みなさんよろしくお願いします!」

 

 

 

―――――――――――――――――――――――

 

 

 

 帰りは一晩の野営をして街に戻ると、時刻はすでに夕方。エ・ランテルに着くまでに二回ほどモンスターに遭遇したので少し遅くなってしまった。城塞都市に日が射して大きな城壁が作り出すオレンジ色と影のコントラストが夜の訪れを教えてくれる。繁華街の方からは美味しそうな匂いが漂い、仕事を終えた者たちが集まってきているようだ。

 馬車は通りを抜けてうっすらと植物の匂いが漂う区画に進んでいった。辿り着いたのは区画の中でも最も大きな家。店舗と工房が合わさったンフィーレアの自宅である。薬師であるンフィーレアは祖母のリイジー・バレアレと共に街でも有名な店を構えていた。特に有名なのは祖母の方だが、彼らの製作するポーションは精度が高いと冒険者の間ではかなりの評判だ。家の裏手に馬車を停めペテル、ルクルット、そしてダインが薬草の束を担いで保管庫の中へと運んでいく。

 

「最後までお手伝いいただきありがとうございます。薬草の採取は依頼に含まれていなかったのに」

「構いませんよ。時間も無かったので大量とはいきませんでしたけどね」

「皆さんのおかげで心に区切りをつけることができました。本当に感謝しています」

 

 出発前とは違い、吹っ切れた強い目の少年の言葉に漆黒の剣の面々は顔を見合わせながら微笑んだ。表情には依頼をこなした喜びよりも一人の人間を支えることができたという充実感に溢れている。ネムはそんな彼らを見て尊敬と憧れの念を抱く。それはただ単に冒険者として強さではなく人を思いやる心を持った者達だからなのだろう。

 

「よかったら中で母屋の方に冷やしたものがあるので、果実水でも飲んでいきませんか?」

「お、いいねえ。仕事後の一杯は格別だろうな」

 

 

 

 

 果実水を片手にワイワイと賑わっている母屋から少し離れた工房、薬品の匂いが充満した室内でンフィーレアは数日置き去りにされた調合途中のポーションを片付けていた。カルネ村の事件は接客中の王国の戦士たちから偶然耳にしたものだった。それを聞いて自分の仕事をほっぽり出して冒険者組合へと駆け込んでしまったため、祖母に悪いことをしてしまったと反省する。

 

「ンフィーお兄ちゃん。これはどんな道具なの?」

 

 勝手に工房へと侵入してきたネムがポーションを調合するための器具を興味津々に眺めていた。子供は珍しい物に引き寄せられるのか、工房内を探検しているようだった。追い出す気分にもなれないが、ンフィーレアは心中穏やかでいられない。薬品の調合というものは配合が難しく、ここにある物は繊細な道具が多い。フラスコも天秤も職人が神経をすり減らして作る逸品だった。質が良い物はポーションよりも高価となる。

 

「僕は薬師だからね。ここには薬を調合するための道具がたくさんあるんだよ。そうだ、ネムも一度ポーションを調合を体験してみるかい?」

「わぁ、やってみたい!」

 

 偶然にも放置していて売り物にならない作りかけの素材がある。ほぼ成分の抽出は済んでいるので、ネムには最後の仕上げをしてもらおうと考えた。

 

「ネム、そこのハンドルを回してみて」

 

 ポタ、ポタと装置の中で薬液が混ぜ合わされ、ポーションとなった滴が瓶へと落ちていく。一定量溜まったらそれで完成。しばらくして、青色の液体が瓶に満たされる。瓶を手に持ち、それをじーっと眺めるネムの表情は何か物足りなさげだった。

 

 後片付けをしていたンフィーレアが少し後ろを振り返ると、ネムが工房を歩き回りながら何かを瓶に混ぜていることに気が付いた。ここには様々な薬品があるのだから子供から目を離すのは少々危険だったかもしれない。毒薬や劇薬の配置を思い出しながらンフィーレアはネムの方へと駆け寄る。

 

「できた……」

 

 手に持っていた瓶がなにやら発光しているようで、ンフィーレアの顔から血の気が引いていく。まさか爆発かとンフィーレアが身構えるが光はそれ以上は大きくならず静かに消えていくようだった。

 

「ネ、ネム! 危ないから変なもの混ぜちゃ……」

 

 ンフィーレアは言いかけたまま、時間が止まったように固まっていた。ネムが満足気に持っていた瓶の中身、青色であったはずのポーションは――赤色に変化していた。

 

「あれ、お兄ちゃんどうしたの? まるで石像みたいだよ。わたしも前にバジーくんのいたずらで……」

「動かないで!!」

「はっ、はいぃっ!」

 

 ンフィーレアは別人のように鋭い目つきになり、筆を手に取ると用紙に次々と情報をメモしていく。日付時刻や現在の在庫の状況、そしてネムが歩いたであろう工房の位置を書き留めていく。長い前髪に隠された瞳の奥は熱く、研究者としての情熱が燃えているようだった。ぶつぶつと独りごちりながら没頭する研究者ンフィーレアにより、彼が正気に戻るまでネムはその場に放置されてしまうのだった。

 

 

 

―――――――――――――――――――――――

 

 

 

 仕事終わりの軽い談笑を済ませる頃には夕焼けも沈み、辺りには夜の色が広がっていた。母屋には魔法のランプが灯され、漆黒の剣の面々は冒険者の宿へ泊まるためンフィーレアの見送りを受けていた。

 

「それではンフィーレアさん、我々は宿へ戻るとします」

「皆さんにはお世話になりました、ポーションをご購入の際にはサービスさせてもらいますよ」

「ネムさんはどうなされますか?」

「わたしもみんなと宿に戻るよ。漆黒の剣の一員として明日からも頑張らなくちゃ」

「宿でおねしょすんなよ、嬢ちゃん」

「しないよ! もうそんな子供じゃないもん!」

 

 元気に騒ぐネムとルクルットを見てニニャは嬉しそうに微笑んだ。新しい仲間の誕生に皆、歓迎の雰囲気で迎えている。ネムの冒険者として始まりは素晴らしい仲間と共にスタートした。明日からもどんなに楽しい冒険が待ち構えているのだろうかと心躍らせる。

 

「某も楽しかったである。それではンフィーレア殿、息災で……??」

 

 先頭を歩いていたダインがンフィーレアの方を振り向きながら店の扉を少し開けた刹那の出来事だった。突然扉の外側から突き出された鋭い武器のようなものがダインの頭に深く突き刺さっていたのだ。

 

「えっ……?」

 

 そう気の抜けた声をあげたのは誰だっただろうか。部屋にいた全員が状況を理解できずその場で静止していた。ダインの瞳がぐるりと上を向いたかと思うと、扉の取っ手に手を掛けたまま彼の大きな体がずるずるとその場に崩れ落ちていく。

 

「はーい。こんばんはー。お帰りですか? お帰りは彼の世(あちら)でーす」

 

 突き刺さった刺突武器……スティレットを引き抜き、倒れたダインの体を踏みつけながら入ってきたのは金髪の女。不吉を感じさせる女がローブをなびかせながら、余裕の笑みで歩み寄る。目の前で起きたことは間違いない。ダインが死んだ。殺されたのだ……。

 

「みんなっ武器を取れ!」

 

 一番早く反応できたペテルの叫びに、一斉に荷物を投げ捨て武器を構える。それでも女が手をヒラヒラと揺らし隙だらけの動作で返す様子に、ペテルとルクルットは苦虫を噛み潰したような表情になる。相手には余程の自信があるということだ。

 

「くそっ! お前の目的は何だ!」

「目的? それはねー、ちょーっとそこにいる薬師の子を攫いに来ただけなの。あ、私の名前はクレマンティーヌ。短いあいだだけどよろしくねー」

 

 不気味な笑みを浮かべる女に自分では敵わないと悟ったペテルが自然と目を向けるのはネム。モンスターを薙ぎ払う圧倒的戦力を期待するが少女の武器を見て考えを改める。この狭い室内は1メートル以上はあろう大太刀を振るうには適さない。

 

「ニニャ、ネム! ンフィーレアさんを連れて下がるんだ!」

「ここは俺たちで食い止めっからよ! お前らは下がってな!」

 

 ペテルに続き大声を出すルクルット。勝てる気はしない。それでも時間稼ぎの壁になれば良いと虚勢を張り上げる。

 

「ダメです! わたしも戦います。今度こそ……みんなを守る力があるんだから!」

 

 二人に並び前に出るネムを見て、クレマンティーヌはプッと吹き出し笑いをこらえながらスティレットを引き抜く。

 

「もーう、泣かせる場面かと思ったら笑わせに来るなんて反則よ。そうでちゅねー、とぉーっても強そうでちゅねー。ひゃはは!」

「何を遊んでいるクレマンティーヌ! こやつらが去ってから攫えばいいものを、余計なことを……」

 

 後ろの扉、ンフィーレアとニニャが向かっていた通路側の扉が開き、ローブを纏った老人のような男、カジットが現れる。一見アンデッドのように白い肌の小男だが熟練した自信ある態度から、彼も強敵だと理解できる。

 

「ごめんねー、カジッちゃん。でも動死体(ゾンビ)が増えても困らないでしょ。目的はそこにいるんだしさぁー。少しくらい遊んでもいいじゃん」

 

 思わぬ挟撃にペテルの顔にも絶望が浮かぶ。リーダーとして行うべき指示を出せず、このままでは全滅は避けられない。ルクルットはそれを理解してか母屋側へ視線を向ける。

 

 この家の構造は母屋と複数の工房が連なったものとなっている。[店][母屋]―[通路]という基本構造に加えて通路からは複数の工房、そして裏口のある薬草保管庫へと繋がっている。太陽光に弱い薬物を保護するために窓は少なく、脱出できる場所は限られる。主な出入り口は店側か、通路を渡った先にある薬草保管庫の二つとなるだろう。店側をクレマンティーヌが遮り、母屋と通路を跨ぐ扉にカジットが現れた。

 

「ルクルットさん、後にいる二人の援護に行ってください」

「だが、嬢ちゃん!」

「ニニャさんのこと好きなんでしょ。見てればわかるよ。好きな人のこと……守ってあげて!」

 

 そう強い口調で諭すネムの手は震えていた。アインズに与えてもらった魔物の身体、使い魔としての強さに自信はあるはずだった。それでもこの人間とは戦ってはいけないと本能が拒否しているのだ。

 

「……すまねぇ。こっちは任せたぜネム」

 

 ルクルットは今のネムを子ども扱いなどできるはずはなかった。あれに少しでも食い下がれる可能性がある者は他にいない。それでも震える少女に託すしかない自分が情けなかった。だから……後ろの二人は死んでも守らなければならない。

 ルクルットが背後に駆け出すとネムはクレマンティーヌをじっと見つめる。何がそんなに愉快なのか、楽し気に顔を歪めて嘲う彼女の手にはスティレット。どのように攻撃するかは先ほど見た通りだろう。一見、当たり所が悪くなければそれほど強力な武器には思えない。

 

「うんじゃ、演劇も終わったようだしやりますかねー」

 

 クレマンティーヌが少し身を屈めたかと思うと次の瞬間、見えないほどに速い突きがペテルの額めがけて繰り出される。彼は反応できずに避ける動作すら行うことができない。これだけでクレマンティーヌの中では戦闘は終了していた。戦力外の子供を嬲り殺して、残りは後ろからスッと行ってドスッ。これで終わり。

 しかし、スティレットから伝わる手応えは硬い感触。ネムがとっさに差し出した刀の鞘が、ペテルの額と突きの接触を拒んだ。鞘に思い切り額をぶつけたペテルがよろめくも、何とか横へ飛び態勢を立て直す。

 

「おんやー、鞘くらいだったら簡単にブチ抜けるはずなんだけどなー。良い物もってんじゃねーかぁ! 糞ガキィ!」

 

 余裕を持った態度から一変して憤怒の様相、怒声を上げながら今度はネムの方へと疾風の突きを放つ。動きがまったく追えなかった。先ほどの鞘で攻撃を防いだのは咄嗟の勘による偶然。ネムが戦ったことのある相手でも素早いのは死の騎士(デス・ナイト)の斬撃か、ギガントバジリスクの尾撃だろうか。クレマンティーヌの刺突の速度はそれを遥かに上回っており、完全に人の領域を超えていた。――すなわち英雄の領域。

 

 ネムの眼前に迫るスティレット。極限まで鍛え上げ磨き抜かれた技術を前にネムはナザリックを出てから初めての恐怖を感じた。致命的な一撃に特化したスティレットによる刺突は急所に当たればそれでおしまい。そこに体力や防御力など意味はなく、一瞬で命が奪われる。

 

「い、いやだっ!」

 

<流水加速>

 死にたくない。神経と肉体速度の急激な上昇。すんでのところでネムは身を翻して突きを躱す。必殺の突きが放たれた後の硬直、ペテルもそれを見逃さなかった。

 隙を見せたクレマンティーヌに対しペテルは側面から剣を全力で振るい……絶好のタイミングで捉えた。しかし、ペテルの斬撃は空を斬る。クレマンティーヌはネコ科の動物のように跳ね上がり、店にあるカウンターの上に着地した。

 

「武技まで使うのかこの糞ガキがぁ! あーあ、めんどくさー」

 

 悪態をついたクレマンティーヌは準備運動のように手足を解きほぐすとカウンターから床へ飛び下り、突撃の姿勢を低く……より深く溜める。

 

「そんじゃ、いーきまーすよー」

 

<疾風走破>

 次に動いたときにはその速度がさらに上昇していた。爆風のように突き進むスティレットの突きを今度は躱すこともできない。ネムは衝突の直前に刀の側面で受けるが勢いを殺せず後方へ、生薬を保管する大きな百味箪笥の向こうへと吹き飛ばされる。

 

「ネムさん!」

「隙だらけだっつーの、雑魚が!」

 

 ネムが吹き飛ばされた方向を一瞬振り返ったペテルの横から、先ほどのお返しと言わんばかりにクレマンティーヌの刺突がペテルの側頭部を貫く。頭部からスティレットを生やした彼が最期に願ったのは大切な仲間のこと。一人でも逃げ延びることを祈りながら息絶えた。

 

「はい、一匹おしまーい。もう一匹は生きてますかー?」

 

 後方へ吹き飛ばされたネムはンフィーレアたちの背中が達が見える場所、クレマンティーヌからは百味箪笥が死角となり見えない場所まで転がっていた。衝撃で飛ばされた刀が壁に深く突き刺さり、なかなか引き抜くことができない。無意識にてこの原理を使いながら思い切り動かすと、壁の一部を破壊しながらもなんとか引き抜くことができた。壁に作られた僅かな穴隙から月明りが漏れている。子供や体格の小さな女性なら通り抜けることができるだろう。

 

 それを見たネムに黒い感情が込みあげる。今から壁をさらに大きく壊している時間は無い。目の前の穴に飛び込めば自分だけでも逃げられる……。あの人は強い。逃げないと殺される。

 命を一瞬で奪う即死の一撃を前にネムの勇気は折れかけていた。

 

「ルクルット!」

 

 背後から悲痛な声が聞こえる……。すぐ近くだった。あと少し、あと少しだけ……怖いことから逃げない!

 

 

 ルクルットは圧倒的に不利な状況を知る。敵の狙いは完全にンフィーレアだった。ルクルットが駆け付けたときには既にンフィーレアは敵に捕らえられ、通路の奥へと連れ去られていた。必死に魔法で応戦しようとするニニャに加勢し踏みとどまったが時間の問題だろう。

 扉の前に立つ男は魔法攻撃が主体。倒せずともニニャの支援魔法を受けて無理やり突破することも考えたが、扉の向こう側にはンフィーレアを捕らえたローブの男たちが待機している。

 

<――酸の投げ槍(アシッド・ジャベリン)>

 

 カジットによる攻撃魔法。槍状に形成された強酸の飛沫を四肢を犠牲に受け流し、ニニャを守る壁となってその身に受けるのはこれで何発目になるだろうか。すでにルクルットの左腕は酸により半分ほどが無くなり、溶け落ちた肉のあいだから骨が覗いている。

 ニニャによる魔法のサポートが無かったら一瞬で殺されていただろう。それほどにこの男は強い。だというのに実力をまだ隠し持っているようにも感じる。ぜぇぜぇという荒い息遣いに己の限界を悟る。出血が酷すぎる。意識が朦朧とし、立っていることすらままならない。

 

「こっちに抜け穴がある、早く来て!」

 

 背後から聞こえるネムの声。一瞬だけ見えたのは自分は通れそうにない小さな穴隙。ルクルットは霞んだ意識を辛うじて呼び戻し叫んだ。

 

「ニニャ! 後ろの穴へ飛び込め!」

「でもルクルットは……」

「いいから行け! 絶対に振り返るな!」

 

 ルクルットの必死の叫びにニニャは決意を固めて駆け出す。その姿を見たルクルットは満足そうに微笑んだ。表情筋を少し動かしただけで激痛が走る。顔も弾けた酸を浴びて酷いものだろう。ああ、顔には多少の自信があったのにもったいないなと心の中で自嘲気味に笑う。

 

「クッ、逃すものか!」

 

<負の光線(レイ・オブ・ネガティブエナジー)>

 

「やらせはしねえよ!」

 

 ルクルットは残った投げナイフを投擲しつつ、魔法が炸裂する範囲へと身を乗り出し四肢を広げた。――直撃。負のエネルギーがまともに当たっては防御魔法がかかっていようと、すでに瀕死のルクルットにとって致命傷。それでも彼は倒れない。

 カジットが不愉快そうに「追え!」と怒声を飛ばしているのが聞こえる。ニニャは無事にたどり着けただろうか。パーティーの誰もが女性だと気づいていた。子供にも見抜かれているのにバレないと思っているのだから可愛いものだ。俺、やっぱりあいつのこと気に入っていたんだな。彼女が姉に再会できると信じて……ルクルットの意識は闇の中へと沈んでいった。

 

 

 

 背後へ脱出を呼びかけて、ネムは大太刀を構える。クレマンティーヌとぺテルがいたのは店側の入り口近く。穴があるのはちょうど店と母屋のあいだくらいだ。

 きっと来る。ネムはそう予測して死角からクレマンティーヌが来るであろう方向に向けて大太刀で百味箪笥ごと斬りつける。思い切り振るった大太刀はまるでギロチンの刃の如く突き進む。そこへ抜け穴を知らせる声を聞いたクレマンティーヌが獣のように飛び込んできた。

 

「なっ!」

 

 箪笥を貫通し突然現れた大太刀の刃。このタイミングでの回避は普通の人間には不可能だ。驚愕の表情に染まったクレマンティーヌは必死に体を捻り進行方向を変える。

 

<流水加速>

 クレマンティーヌは武技を用いて大太刀を首の皮一枚のところで回避し、後方へ大きく後退した。大太刀を回避することに全神経を集中させたため、ネムの姿を捉えていなかった。前を見ると反対側から走ってきたニニャが箪笥の陰に潜り込もうとしている。

 抜け穴はそこか。まだ自分の速度なら間に合うだろうとクレマンティーヌは箪笥の陰へと疾走する。

 

<二光連斬>

 ニニャを追うクレマンティーヌへ向け、ペテルの剣を拾ったネムが横から斬りつける。足が止まればニニャは確実に脱出できるだろう。そして相手が二光連斬で怯んだ隙に続けてネムも逃げることができる……はずだった。

 

「――アホか、お前」

 

 最少の動作。ネムの放った二光連斬は空を斬り、剣を持った右腕がスティレットで串刺しにされ壁に叩きつけられる。手首を貫通されたネムは悲鳴を上げて剣を落としてしまう。壁から離れようとするが床に足が届かないので、動く度に腕に激痛が走る。

 

「てめぇみたいなガキが振り回した棒切れに当たるわけねえだろうが。フェイントも入れずに同じ角度の連撃だと? 戦士をなめてんのか?」

「……ひっ、こないで……」

 

 クレマンティーヌは一息ついて壁にぶら下がったネムに目を向ける。どう見ても普通の小娘だが先ほどの戦闘力はなんだったのか。思案するクレマンティーヌの中には一つ思い当たる節があった。

 ――神人。かつてクレマンティーヌが所属していた法国の部隊『漆黒聖典』の秘匿すべき切り札。それはなんとも殺し甲斐があるというものだ。クレマンティーヌは神人への嫉妬や怖れを目の前の子供に重ね合わせ、嗜虐心が高まるのを感じた。

 

 

「んー、そんなに怖がんないでよ。逃げたお友達はもうカジッちゃんの弟子どもに捕まって殺されるころだろうしさー」

 

 別のスティレットを抜き放ち、今度は左腕を串刺しにして虫ピンでも止めるかのようにネムを壁に固定する。両腕の燃えるような痛みに絶叫するネムを見てクレマンティーヌは心底楽しそうに笑う。

 

 拷問はまだ終わらない。どこに隠し持っていたのか、ローブの下から取り出したメイスを幾度もネムの足へと振り下ろす。メイスが叩きつけられるたびに叫び声が上がり、やがてその声も小さく弱々しくなっていった。

 四肢を破壊される恐怖を前にネムは残っていた勇気も消え失せ、クレマンティーヌに何度も命乞いをする。もうやめてください……。許してください……。殺さないでください……。それすらもクレマンティーヌの嗜虐心を煽り、逆に嬲られる結果となる。幾度となく振り下ろされたメイスによってネムの細い足は赤黒く染まり、おかしな方向へと折れ曲がっていた。

 

 もう痛みで身体が麻痺して微かな悲鳴と嗚咽以外何も出てこない。死にたくない……。まだ……アインズ様の役に立てていないのに……。

 

 

「何をしているクレマンティーヌ……。逃げたマジック・キャスターを追った者たちが戻らぬ。早々に引き揚げるぞ」

「んー、もう少し楽しみたかったんだけどー。仕方ないか」

 

 スティレットを引き抜くとネムの身体が力なく床へと落下する。カジットが壁際でボロ雑巾のような状態になっているネムを見て眉を顰めた。

 

「性格破綻者が」

動死体(ゾンビ)操ってるカジッちゃんに言われたくないんですけどー。……で、意外に苦戦したみたいじゃん」

 

 カジットのローブの肩口は赤く染まり、出血の跡が見受けられた。負の光線(レイ・オブ・ネガティブエナジー)を放った際にルクルットの投げナイフが命中していたのだ。

 

「……おぬしが遊んだ所為だ。既に弟子に治癒魔法をかけさせた。地下神殿へ戻るぞ……」

「ごめーん。それじゃ、勿体ないけどガキに止めを刺しますかー」

 

 床にはナメクジが這ったように血の跡が続いている。それはネムがまともに動かぬ腕と折れた足を引き摺りながら必死に店の出口を目指した跡だった。クレマンティーヌはあえてこれを放置していた。虫のように這いつくばり足掻くのを見下すのはなんとも心地が良い。

 

 ネムの背後にクレマンティーヌの足音が迫る。出口は目の前なのにすごく遠い。痛いはずなのにとても眠い……。

 

 ガチャリ……。

 

 ガチャリ……。

 

 

 あのときと何も変わらない。大切な人たちを助けることもできずに、手を伸ばして天に助けを乞うことしかできない。伸ばした先には何もない。既に血濡れの手を握ってくれる人はもういないのだから。

 

 でも……それでも手を伸ばした。

 

 

 轟音が鳴り響き、破壊された店の扉が木片となって店内に散らばっていく。カジットは何事かと振り返り、クレマンティーヌは突然吹き飛んだ扉に唖然としながらもその方向を凝視する。そこに見えるのは漆黒の鎧。全身鎧(フルプレート)に身を包んだ漆黒の戦士が何事も無かったかのように店内へとゆっくり歩み寄る。

 漆黒の戦士が立ち止まったのは全身血塗れで床を這いずるネムの前。ネムの手が戦士の鉄靴(ソールレット)に触れ、小さな血の手形が付着する。意識は消えかけ、目の前にいるのが誰かも分からないのにその名前を呼んだ。

 

「アインズ……さ……ま……」

 

 つかの間、ネムを眺めていた戦士がわなわなと体を震わせながらその手を優しく掴む。その漆黒の鎧が血で赤く染まることを気にする様子もなく、戦士は気絶したネムをその手に抱き……そして呟いた。

 

 

「――皆殺しだ」

 

 

 

 

 









【あとがき】

ここまで読んでいただきありがとうございます。

本編になかった漆黒の剣の戦いぶりを書ければいいなと思っていたのでこうなりました。
グロ表現や拷問シーンは軽めに抑えたのですけど大丈夫だろうか。
彼らから見たクレマンティーヌはそれは恐ろしい存在だと思います。

追記:誤字報告をしていただいた方々に感謝です!

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