angel beats : music of the girls, by the dead, for the monster   作:カリー屋すぱいしー

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Chapter.3_5

 トントントン

 

 ペタペタペタ

 

 足音の擬音としてどちらが正しいだろうか。

 

 男だから重量がある。サンダルのように引きずっているわけでもない。

 ちゃんとした革靴を履いていればもっと硬質な音がでるだろうけれど、安っぽいローファーにそれを求めてもしかたがない。

 

「ここは無難に前者か」

 

 なんて、無駄な思考をしてしまうのも辺りに人気がないからだろうか。

 文化祭の準備が始まっているから賑わっているものかと思ったが、どうやらそれは各教室や部室内でとどまっているらしい。こもった鈍い音しか聞こえない。

 活気は外へ漏れ出ることなく、笑い声は内側だけに響く。誰もいない校舎の階段というのは、やたらと音が響くものである。

 

 正直なところ、NPCたちの喧騒でこの気を紛らしてほしかった。

 こうも静かだと、自分の思考との会話に陥ってしまう。

 意味のない自問自答みたいなことを繰り返すなんて、気分が良いはずがない。

 

「……勢いで来てみたけれど、どうにも気がひけるな」

 

 やはり自信が無いのだろうか。それとも逃避したことへの罪悪感からか。

 どっちらにしろやるべきことは決まっているわけだから、今更どうかできるわけでもない。

 

「ま、とりあえずエサとか買ってきたし……」

 

 お土産を気休め程度の支えにしながら俺は一段一段上ってゆく。

 音は依然として止んだままだが、なんとなくまだいる予感が俺にはあった。

 おそらく、彼女は夕日が沈むまであそこにいるだろう。

 

「じゅーじゅーいっち、じゅーに、じゅーさ……おい、なんか一段余計な気が……」

 

 不吉な段数に不安を覚える。

 なんとかしてここまでやってきたというのに、幸先が悪い。

 

 そして、扉の前に立って確信する。

 まだいる、帰っていない。

 

 予感が当たった幸福への安堵と同時に逃げる言い訳がなくなったことの落胆が自分の中にあった。

 ここまで来てまだ逃げたいのか俺は……

 

 ええい、いつまでもヘタレ行為をしているわけにはいくまい。

 覚悟を決めてさっさと始末をつけよう。

 俺は屋上へとつなぐ扉を開いた。

 

 ●

 

 岩沢は手すりにより掛かるようにして立っていた。

 

 屋上に吹く風に乗って、彼女が口ずさむ歌が耳へと流れてくる。

 夕日に照らされたその表情は影により伺うことができないが、歌声からして少なくとも愉快な気分でないことだけは確かだろう。

 ゆっくりと近づくと、岩沢は俺に気がついて振り向いた。

 

「よう」

「リンゴ……ご無沙汰だね」

「あー、いや、すまないな。ろくに顔も見せずに……ほら」

「わっ」

 

 誤魔化すように、岩沢に向かって買ってきたペットボトルの水を放り投げる。

 それを彼女はたどたどしい手つきで受けとった。

 いつもなら軽くキャッチできるものなのだが……やはり心身ともにやつれてきている。

俺は袋から自分の分の缶コーヒーを取り出して、岩沢の横に立った。

 同じように手すりへと寄りかかりながら、缶コーヒーを開ける。

 

「さっき歌ってたの、Sad Machineか?」

「わかるのか?」

「曲名とかはわからんが聴き覚えがあって。確かそうだったんじゃないかと」

 

 そうか、と岩沢は少しうれしそうな表情で微笑んだ。

 しかし、すぐにその笑みは落ち疲れた顔つきで遠くをみつめる。

 

「この曲を聞いて、あたしは音楽を始めたんだ」

「へぇ」

「話したと思うけど、生きてる時は色々と嫌なことがあってね。この曲に出会って、音楽を知って、救われたんだ」

 

 眼下では校庭でNPCたちが文化祭の準備をしている。

 よく目を凝らすと天使の姿も伺える。周りにいるのは生徒会ということか。

 ゆりの言っていたキャンプファイアの準備だろうか。

 

「色々あるとさ、この歌をうたいたくなるんだ。歌えば、少しは救われるかなって」

「そうか」

「世の中そんなにうまくはいかないけど」

「……岩沢さん」

 

 物憂げにつぶやく彼女に、俺は覚悟を決めて言葉を放った。

 

「新曲できてないだろ」

「……」

「沈黙は肯定ってことでいいのか」

 

 岩沢は何も言わない代わりに、ゆっくりとペットボトルの水を一口飲んだ。

 そして夕焼けに背を向けて、ストンっとその場へ座り込んだ。

 

「……まぁ、そこにある譜面を見ればわかるけど」

 

 岩沢の周りに散らばる白紙の譜面を横目で確認しながら俺は言った。

 まっさらで1節すら書かれていない。殴り書きすら見当たらないところを見ると、完全に行き詰まっているのだろう。

 

「進捗を聞くまでもないな。ライヴまでには間に合いそうにもないか」

 

 岩沢は、ただただ黙っていた。

 そのやつれた姿が痛々しい。

 だけれども、残酷だろうと俺は言葉を突きたて続けなければならない。

 コレは俺が与えられた役割であり、それから逃げてきたツケだ。全うしなければならない。

 

「ゆりには俺から報告しておくよ」

 

 そう締めくくっても、岩沢は黙っていた。

 俺はその沈黙を返答と受け止めて、缶コーヒーを口に含んだ。

 

 話は終わった。

 結論から言えば、今回の作戦は実行断念ということだ。

 新曲はできない。だから代案を立てる必要が出てくるだろう。

 俺は連絡要員として、その事実を確認した。それだけだ。

 

 校庭で働くNPCたちの表情は祭りを前にした高揚感で満ち溢れている。

 天使の様子は正確には確認できないが、相変わらず透明な感情を持ち合わせているようで周りの雰囲気からは若干浮いているようだった。

 でも、そんなことはお構いなしにNPCたちは無邪気に笑い合い、天使へと話しかけていた。

 その空間は、この頭上の重苦しいものとは違い活発で眩しいものだ。

 

 話すべき本題はここから先にあるはずだ。

 しかし、どう切り出すべきか思いつかない。

 

 やけに甘ったるいカフェオレが口の中で広がるけれど、今の気分とは全く合わない。

 いい加減自販機で甘い糖分入りの缶コーヒーを買うのをやめればいいのに、なぜ俺はやめていないんだ。

 

「……見えなんだ」

 

 まずいコーヒーに渋い顔をしながら飲んでいると、岩沢が唐突に呟いた。

 俺は驚きを表に出さずに、その言葉の続きを聞くことにした。

 

「曲が、歩みが立ち止まらないんだ」

「それは……次々にアイディアが溢れて、まとまらないっていうのとは違うんだろうな」

 

 俺の言葉に肯定も否定もしなかったが、岩沢は更に身体をすぼめて話し続けた。

 

「思いついたフレーズがあったんだ。それを手繰り寄せて、そこまでの道のりとその先の情景を辿る。それが辿り着くべき道筋をなぞるようにして音で描いていく……簡単に言えばあたしの曲作りはそんな感じなんだ。とはいっても、ひさ子からしたらわりと唐突で即興なことが多いらしいけど」

 

 ひさ子の言いたいことはよく分かる。

 自分自身ではまるで理論派みたいなことを抜かしていやがるが、こいつの作曲スタイルは傍から見れば行き当たりばったりだ。

 けれども、それは他人から見てそうであって、岩沢の頭の中では曲のアルゴリズムがちゃんと成り立っているのかもしれない。

 天才の行動は常人からしたら奇行だが、天才にとっては順序に則った意味のある動作かもしれないのだ。

 あれだ、数学を芸術とか哲学だって言うあの感覚……違うか。

 

「でもこの曲を作り始めてから、いいやもうちょっと前からかな。手繰り寄せたフレーズの軌跡がわからなくなってきたんだ」

「……見えなくなったってのは、曲が思い浮かばなくなったのか?」

「いいや、そうじゃない。曲は思い浮かぶ、たくさん。でも、正しいものがどれか見えない」

「正しい?」

 

「その先のコードが思いつては弾いて、書いて、形にしていく。そうやって繰り返して曲ってものができてきた、でも、ここ最近はおかしいんだ。弾いたはずなのに、書き留めたはずなのに、形になったはずなのに……気づいたら同じことを繰り返している。さっき聴いたはずの部分が頭のなかでずっとリフレインし続けて、そこから逃げるように全く違う方向へ走ったはずなのに、気づいたら元に戻ってきている。どれだけやっても前に進めない。見えていた道筋が確かなものに思えない。目先にある光が偽物なんじゃないかって疑わしく思えて不安になる。それで、思ったんだ。このフレーズ自体が間違っていたんじゃないかって。そう考えたら、立ち止まることすらできなくなってしまった」

 

哭くように、岩沢は言葉をもらす。

 

「気休めに好きな曲を歌ってみたけど、やっぱりわからない。あたしは何のために歌っているんだろうか。この歌声はどこに届ければいい、この世界に来たのはどんな後悔があったからなんだ、死して尚歌いたいと願った根源はなに?何にを伝えたくて、何を訴えたくてあたしは叫んでいるのだろうか。この状況は絶望というやつなのか……なあリンゴ、あたしはどうなってしまったんだろうな」

 

 岩沢の悲痛な叫びは、消えるような声でありながらその爪痕をくっきりと残した。

 

 それは、彼女が初めて俺に吐いた弱音だ。

 

 この世界に来て最初に出会ってから、こいつは天然で不敵なやつだった。

 その彼女が、初めて俺に弱い自分をさらけ出した。

 しかも、自分が一番信頼し情熱をおいている音楽という分野で。

 それだけで、今の岩沢がどれほど辛い状態なのか察することができるだろう。

 たすけてやらなければならない。

 だから、俺は言い放ってやった。

 

 

「知るかボケ」

「……は?」

「テメーのスランプの原因を言われても俺に解決できるかよ。俺にとっちゃな、スランプっていうのは何も思いつかないことなんだよ、立ち止まってどうこうしたって足が動かなくて進まなくなっちまうような絶望なんだよ。お前のような変人的天才の悩みと同列に扱わないでくれ。こっちはかなり粗雑なんだ。いいか、月とスッポンどころじゃねえぞ、トリュフと豚の排泄物だ!」

「いや、そこまで言わなくても」

「それに何か励ましの言葉を貰いたいとかそういうのも期待するな。優しい言葉がスラスラ出せる器用さと同情できるほどの感性は生憎だが持ち合わせていねえ。そんなものがあったら現世はもう少し生きやすい世の中だっただろうよ」

「……」

 

 まくし立てるように言い放つ。

 言っていることは自分でもクソだと思うが嘘偽りはない、すべて本心からの言葉だ。後ろめたいことなんて何一つ無い。

 だからこそ、岩沢の憂いと非難に満ちた瞳は絶妙に心を抉ってくるので苦しい。

 だがしかし、ここで言い訳しては意味がない。俺は退かない。

 

「大体なんだ?何を伝えたい?知るかよ、テメーのしたいことだろ」

「んな!」

「立ち止まれないとかどんな贅沢だよ。歩めるだけマシだろ」

「だけどそれが」

「そんなもん絶望ですらねえよ!!」

「っ!?」

 

 つい大きな声を出してしまった。

 だけども、俺は止まらない。

 

「お前にわかるか?立ち止まって一歩も歩めなくなった奴の気持ちが、這ってでも進もうとした奴の焦燥が、進むべき眼前が唐突に真っ暗になって息ができなくなった奴の苦痛が」

 

 正確には、この感情は期待という言葉で着飾った、嫉妬だ。

 持つものが持たざるものへの憎悪だ。

 

「1節すら、1つのコードすら浮かばなくなって、進まなきゃならないと焦って転んで這い蹲ってのたうち回ってそれでも前へ出なきゃならないと地を掻いて見えない先を睨んで」

 

 コレはただの八つ当たりだと言ってもいい。

 

「……そうやってもがき苦しんでも、何もならないことを絶望っていうんだ」

 

 本当は彼女にかけるべき言葉はこんなものじゃない。

 もっと違う、伝えるものがあるはずだ。

 残念なことに俺はこんな言葉を選ぶことしかできなかった。自分が嫌になる。

 でも、それでも俺は伝えなければならないんだ。

 

「じゃあ……じゃあ、あたしはどうすればいいんだよ!」

 

 叫んだ。

 初めてだ、岩沢がこんなにも剥き出しになるのは。

 場違いながらも、嬉しさを感じていた。阿呆だな俺。

 

 だが、岩沢の感情を引っ張りだしてやったぞ。

 

「自分のやってきたことが正しいかどうかわからなくなって!確かめる方法も見つからなくて!それでも自分の中では音楽が鳴り止まないのに形にならない!これが絶望じゃないって言うなら何だ!あたしはどうすればいいんだ!この頭痛と吐き気が混ざり合ったような感情をどう処理すればいいんだ!どう表現すればいいんだ!違うっていうんなら見せてくれよ!教えてくれよ!あたしが目指さないといけない道標っていうのを示してくれよ!」

 

 岩沢は取り乱して叫んだ。

 溜め込んでいた、どこにも届かない悲鳴を吐き出すように。

 

 俯いているからわからないけれど、もしかすると泣いているのかもしれない。

 女の子を泣かせるとはなんとも最低な男だな、俺は。

 

 だから、さっさと終わりにしよう。

 

「俺から言えるのは、そうだな……やめちゃえば?」

「はあ!?」

 

 岩沢が顔を上げる。やっと目があった。

 やっぱり、少し眼が潤んでいる。

 

「お前のような天才の悩みなんか知るかよ。分かるのは、お前のその状態は凡才からしたら贅沢なものだってことぐらいだ。だから俺から言えることは、新曲なんぞ作らんでもいいんじゃないかってことだけだ」

「いや、意味がわからないんだけど。それに、それじゃ文化祭が」

「気にするな。俺がどうにかしておく」

 

 そう言い切って、俺は岩沢に横に座り込んだ。

 二つの影がながくのびる。

 

「どうにかするって言ったって……」

「実を言えば、こういう時のために代案は幾つか用意しといた。まあそれにちょいちょいオプションをつけりゃあ、なんとか誤魔化せるんじゃねーの?」

「誤魔化すって、そんなんでいいのか」

「大丈夫でしょ。それに、今の岩沢さん楽しそうじゃない」

「それはそうだけど……」

「だったらやめちまったほうがいい。てめえが楽しめない音で観客がノれるとでも思ってるのか?」

 

 岩沢は再び黙ってうつむいた。

 演奏者の気分というものは受け手に伝わりやすい。そもそも、客をノセるために自分の感情を音に乗せるなんて手法はよく使うこと。

 ましてや、彼女のように感覚で出来てしまう人間にとってはそれが当たり前だろう。

 自分が一番理解しているからこそ、突き刺さる思いがあるのかもしれない。

 

 本当は感情に乗り切った演奏は演奏として破綻するんだけれども、保ち続けていられるのはこいつが天才だからだろう。

 だからこそ、割り切った演奏というのが難しいのかもしれない。あぁ、これが天才の苦悩なのか。

 少しだけ理解が出来そうだと思えた。

 

「それにさ、今の岩沢さんは誰がどうみたってRockじゃない」

「……」

「楽しくない、やりたくもない、でもやらなきゃならない。それのどこに反骨精神(ロックンロール)があるんだよ」

 

 歌うことで抗うのがロックンロールだろう。

 歌うことを強制されている状態なんて、誰がどうみてもRockじゃない。それじゃあ家畜みたいなものだ。

 

「なら、無理に歌う必要はない。やりたいことをやるのがロックンローラーだろ」

「やりたいこと

「そういえば、初めて会ったときのこと覚えているか?」

「初めてって……確かここで」

「そうそう」

 

 岩沢と最初に出会ったのはこの屋上だ。

 ついでに初めて死後の世界で死を味わうという奇異な経験もした。

 邂逅の場で俺が彼女にかけた言葉を思い出す。

 

「あの時、岩沢さんは何でBalladを弾いていたんだ?」

「なんでって、それは……たまたまとしか」

「たまたま?本当は歌いたいんじゃないの」

 

 岩沢は黙ったまま遠くを見つめた。

 俺が初めて聴いた彼女の歌はRockではなかった。

 おそらく、それが本質なんだろう。彼女も薄々と勘付いていたのかもしれない。

 

「やりたいことをやれていないっていうことでは、これもスランプの一因なんだと思う」

 

 俺が想像して唯一思いつける原因がこれだけだ。もちろん、これがすべてではないだろうけれど。

 今の彼女はガルデモのため、もっと言えば戦線の陽動部隊としての役割を果たすため歌を作っている。

 そこに意思というものは存在しない。あるのは課せられた責任だ。

 彼女は今、自分の詩を紡いでいない。

 

「単純に歌いたいのか、それとも今作っている曲でやりたいのか。どっちかはわからないし、そもそも今回の件がBalladが関係しているかも怪しいけど」

「バラードか……」

 

 正直、Balladに固執しているわけではないと思う。

 だが少なくとも、今彼女がやりたいのはRockではない。

 だから、Balladが今の状態から抜け出すきっかけになればいいんじゃないだろうか。

 

「まあなんていうか、Balladじゃなくてもいいけど別のジャンルをやってみるっていうのはいいかもしれないな」

「そうかな」

「いっそバンド以外のことをしてみるとか。あれだあれ、リフレッシュとか別の視点を持つことで視野を広げてみるという名目のような」

 

 ぽっと湧いた思いつきを言って岩沢の表情をを横目で伺う。

 嫌がるかと思ったが、予想外にも岩沢は吹き出した。

 

「はは、なんだそれ。そうは言うけどリンゴ、あたしがギター以外のことを知っていると思ったのか?」

「いやさすがに何かあるだろ」

「悪いが思いつかないから例えをくれ。さん、はい」

「おおう、いきなりだな。ええとそうだな、音楽自体は文化系だからスポーツでもやってみるとか?」

「スポーツか。あり得意じゃないけど、身体を動かすってのはあまり考えてなかったな。オススメは?」

「オススメってそれはテメーで考えろ……と言いたいが、お前知らなそうだしなあ」

「わるいね」

「うーん、俺も観はするが好んで行う人間じゃなかったからなぁ。よく見ていたのはフットボールだが気軽にできるものじゃないし、すぐに出来るってーと少人数モノだからキャッチボールとかか?アレならその辺でもできそうだよな。あとはまあセッ○スとか」

「キャッチボールかぁ。やったことないなー」

 

 久しぶりのセクハラをガンスルーされましたけど、岩沢だからしょうがないね。

 わかりやすいぐらい直球にしたんだけどね。悲しいね。

 

「たしかに、ちょっとギターから意識を外してみるのは手かもしれないね」

「思いつきで言ってるから、真に受けすぎないでほしくもあるけれど」

「それは困るな、あたしは割りと世間知らずだからね」

「めんどくせぇ女だ」

 

 めんどくさいは初めて言われたな、と岩沢は笑った。

 その声からは落ち込んでいた先ほどよりも多少軽くなったように感じる。

 

 岩沢が立ち上がった。そのまま彼女は振り向いて、薄暮の終わりを眺める。

 俺は静かにその姿を眺めた。

 

 部活に勤しんでいたNPC達は既にグラウンドから姿を消している。

 校内からは文化祭の準備に明け暮れていた奴らもいなくなり、静寂があたりを包んでいた。

 

「……リンゴ、ありがとう」

 

 岩沢がつぶやいた。

 

「なにもしちゃいねーよ」

「色々言ってくれたじゃないか」

「何一つ解決してないだろ、そもそも俺は自分の仕事をしに来ただ」

 

「あたしのためを考えていてくれるだけで、それはもう救われたようなものなんだよ」

 

 すべてを見透かしたかのように、岩沢はそう言って微笑んだ。

 不覚にも、その表情をみた俺は言葉を返すことができなかった。

 

「というわけ、お言葉に甘えて今回はやめさせてもらうよ」

「……言っといてなんだが、いいんだな?」

 

 確かめるように岩沢に問う。

 

「今のあたしじゃ、それ以外の選択肢は思いつかないよ。今作曲が終えても、どうしたってライブには間に合わないだろうね」

「……わかった。ゆりには俺から言っておく」

「いや、それは申し訳ない」

「気にするな。お前はバンドに関して悩むのは、演ることだけでいいんだよ」

 

 そうか、すまない、と岩沢は申し訳無さそうに謝った。

 気にするな、と俺はカッコつけたように言ってやった。幸いにも、その姿がおかしかったのか岩沢は苦笑してくれた。

 

 

 結局、俺が与えた選択肢は逃避だった。

 彼女の痛みや悩みを理解することどころか同情することすら俺にはできない。

 けれども、そのことに苦しんでいるのならばそこから逃げてしまえば辛くはなくなるということだけはわかる。

 それが根本的な解決にはならないことは重々承知しているつもりではあるが、凡才な俺にはそれが今の状態では一番ましとしか思えなかった。

 解決ではなく現状維持。

 未来に託すなんてきれいな言葉で俺は問題をその場しのぎに先送りしただけなのだ。

 だからせめて、請け負えることはやりたかった。彼女にこれ以上責任を感じてほしくない。

 そうやってまた、キレイ事で自分の後悔を誤魔化した。

 

「そういえば、リンゴにここで救われたのは2回目になるのかな」

「2回め?今日よりも前に何かしてたか?」

「初めてあったときだよ」

 

 初めてあった時って、岩沢がギターを弾いていたのと死んだことしか無かった気がするんだが。

 救われたってなんだ?殺してストレス発散したとか?

 なんかひどいなそれ。鬼畜か。

 

「あの時、リンゴが言ってくれたことが嬉しかったんだ」

「言ったって……あぁ、あの感想みたいなやつか」

 

 たしか、岩沢に話しかけるために彼女のギターについて感想を述べていた。

 あの時は話を引き延ばそうと色々とわけのわからないことを言った覚えが……

 

「そうそう、やたらと詩的な表現しようとしていて面白かったよ」

「やめろ恥ずかしい」

 

 岩沢にからかわれながら、言った内容をだんだんと思い出す。

 あーあ、確かにこっ恥ずかしい表現をしていたような、思い出したくないぞこれ。

 

「なんだっけ、暗い道?とか、必死に胸の奥を打ち付けるとかなんとか」

「やめて!」

 

 本心だったとは言え、表現が些かクサすぎた。思い出すだけで恥ずかしくて死にたくなる。もう死んでるから無理だけど。

 

「でも悪くない詩だったよ?意外とそっちの才能もあるんじゃない?」

「詩じゃねえよ!」

 

 あんなものをさも作品のように言わないでください。

 

「まあ、なんていうかさ。“結局は一人”っていわれたとき何故か嬉しかったんだ。理解してくれたような気がしてね」

「そういえばそんな表現もしてたな」

 

 あの時の彼女の音は、とても力強く時はっきりとしていたのに、どこか足りない寂しさを持っていた。

 それがどうしてか孤独な雰囲気を纏っていたように思えたんだ。

 

「どうして嬉しかったんだろうね。心の奥底ではあたしも結局は自分だけだとでも思っているものなのかね」

「人はだれでも死後は一人だろ。深層でそのことを理解しているなんてのは無くないことだろうし、お前だけじゃなくて皆当たり前に持っていることだろうさ。まあ、奇っ怪なことになぜか俺らは一人じゃ無かったけど」

「……やっぱり、リンゴは優しいね」

「優しくねーだろ。どうみても突き放してる意見だろう」

「いいや、優しいよ」

 

 岩沢の主張に納得がいかず、子供のようにフンっと鼻を鳴らしてそっぽを向いてやった。

 優しいなんて言われたところで、恥ずかしいだけだ。

 その時、ふとあることを思いついた。

 

「そうだ。誰かのために、詩を歌ってみればいいんじゃないか?」

「誰かのため?」

「お前が作る曲ってのは、悪い言い方になっちゃうけど、自分のこと、自分のための詩が多い」

「そう、かな?」

 

 岩沢は首を傾げながら答えた。

 俺はそんな岩沢に伝わるように続けた。

 

「何かに抗って訴える曲、対象は大衆とか世論というような大きなモノを相手にしたのが多いと思う。だけど、誰かのため、どこかの誰かに届けたい詩ってのは無い気がする」

「誰かって、例えば」

「それを言われてもなぁ。例えば、特定の人に伝えたいメッセージを込めてとか、決まった相手じゃなくても何かしらの条件に当てはまる人々に対してとか……所謂あれだな、ラッパーの人たちがやたら身内とかにマジ感謝してるあれ。エミネムは誹謗中傷で溢れてるけど」

「そういうのでいいのかな」

「いいんじゃねえのべつに。相方の息子を励ますための詩を書いたやつだっているんだし、身近にいる、隣人のこととか」

「身近な人のことか、誰かいるかな」

「伝えたいだけじゃなくて、励ましたいとかそいつのことを詩ってやりたいとかでもいいと思う。なんか安いPOPSにありそうだが、そういうのも視野を広げるっていう意味でいいのかもな」

「誰かのためにねぇ……」

 

 遠くを見つめるように、岩沢は目を細めて思案する。

恋だ何だを歌えとまでは言わないけど、こいつには多少のキャッチーさも必要なのだろうか。

 

 岩沢の詩はとても魅力的だ。でもそこにはどうしようもない痛みが付き纏っている。

 訴えたい、響かせたい、哭きたい、爪痕を残したい。

 自分の中で渦巻く叫びを吐き出して、それをどうにかしてここに留めておきたい。

 そんな詩を孤独な曲にのせて歌うからか、彼女の曲の底には避けられない悲しみが流れているようにも感じた。

 だったら、とりあえず詩のほうで方向性と意識を変えてみれば、何かしたの変化が起きるかもしれない。

 

 

「……そうか、誰かのための詩か」

 

 

 岩沢はそうつぶやくと、置かれたギターへ飛びついた。

 その突飛つな行動に俺は目を丸くして硬直した。

 

「……っておいおいおい、いきなりどうした」

「分からない!でも、何かが繋がった気がするんだ!」

 

 そう叫んだ岩沢は、ピックを咥えて急いでペグを巻いて調律をし直す。

 あまりにも唐突な自体に俺はついていけないでいた。

 

「いやーあの、できたら簡単でいいので説明をしていただけるとありがたいのですが」

「出来るかはわからない、形が見えたわけではないけど、路は見えた気がする」

 

 答えないなっていない返事をした岩沢はそれ以上説明すること無くギターを弾き始めた。

 宵闇が迫る屋上で、アコースティックの音色が響き渡った。

 

「岩沢さ……」

 

 声をかけようと試みるも、それはできなかった。

 ギターを掻きむしるように弾く彼女の横顔をみて、これ以上声をかけるのを諦めた。

 そこにはもう、重苦しい影なんてものは一切なかった。おさまりきらないほどの歓喜に満ち溢れていた。

 いや、なんかもう歓喜どころか狂喜ってレベルにイッちゃてるんだが……やばくないか。

 

 だが、彼女が弾いているメロディーと走り書きをしている五線譜を見れば何となくは察する事ができる。

 ようするに、明け星とまではいかなくても、足元を照らす灯りを得ることができたのだろう。

 ……なんだか散々うだうだと悩んでいたことがこうも単純に解決しそうなのをみると、ちょっと腰が抜けそうだけれども

 

 

「本番に間に合うかどうかは、微妙なところだな」

 

 岩沢はしばらく動きそうにない。だが、さすがにいつまでもここにいるわけにはいかない。

 既に校舎内からNPCの生徒はいなくなったので、いずれは警備が廻る時間になるだろう。

 警備の巡回パターンを思い出しながら、一度見回りついでに自販機でも寄ってこようと思った。

 そう決意して、出口へと向かう。するとギターの音がやんだ。

 振り向くと、岩沢がこちらを向いて叫んだ。

 

「リンゴ!ありがとう」

 

 その笑顔に俺は照れくささを隠しながら、片手を挙げて返事をした。


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