茜色の旋律   作:ふゆい

11 / 23
 第十一節です。


第十一節 暗闇

 夢を見ていた。

 高校二年生の時、僕の人生を左右する大事件が起こり、女性恐怖症を発症する少し前のこと。まだ僕が女性と普通に接することができていた最後の期間、僕はたまたま、怪我で入院していた友達のお見舞いの為に丘の上の病院まで足を運んでいた。

 思わず話し込んでしまい、気が付けば日も暮れ始めている。遅くなる前に帰ろうと病院近くの公園を通った時、僕の視界に一人の少女の姿が飛び込んできた。夕暮れで色彩まではよく覚えていないけれど、たぶん赤っぽい髪の女の子だったと思う。小学生か中学生か、どちらとも言えない幼さを残したその子は、夕陽をぼぉっと見つめたまま寂しくブランコを漕いでいたのだ。

 会った事もない女の子。だけど、どうしてもその子を放っておくことができなかった。年の近い妹がいたのも理由の一つだろうが、何かに悩んでいる様子の彼女を無視することはどうしても心が許さなかった。

 それから先のことは、いまいち覚えていない。その数日後に女性恐怖症を発症するきっかけとなった事件が起こったせいで、期間周辺の記憶が曖昧になっているから。女の子との会話もまともに覚えていない。記憶に残っているのは、驚いたような少女の顔と、呆れた様子で吹き出す姿。

 そして、その後に見せた満面の笑顔。

 

『的外れな事ばっかり言って、馬鹿みたい。……でも、おかげで気が晴れました。お兄ちゃん、ありがとう!』

 

 ぼんやりと浮かぶ彼女の表情。吊り上がった瞳と、幼いながらに整った顔立ち。

 ……そうだ、確か最後に名前を教えてもらったはずだ。何だったろう、彼女の名前は。あまり珍しい名前ではなかったからピンと来ない。でも、思い出さないといけない気がする。

 不器用で、強がりで、毒舌な……そんな可愛らしい彼女の名前は――――

 

 

 

 

 

                ☆

 

 

 

 

 

「ぁ――――!」

「目が覚めた? 随分うなされていたけれど」

「え、え……?」

「なによ、そんな鳩が撃ち殺されたような顔して」

「いや、それは死んでる……」

 

 どこか調子の違うツッコミを返しつつも、僕には今の状況を把握する必要があった。夢から覚めたと思ったら急に視界いっぱいに女の子の顔が広がっているとか混乱するに決まっている。しかも、その女性がよりにもよって……、

 

「ま、真姫ちゃん? ど、どうしてそんな近くに……ていうか、え、なんか頭の下に柔らかい感触が……」

「驚く前に、お礼を言ってほしいわね。貴女が快適に目を覚ませるように、真姫ちゃん特製膝枕で奉仕してあげていたんだから。本当なら、お金払ってもあり得ない待遇よ?」

「あ、ありがとう……ございます……?」

「ん、よろしい♪」

 

 僕の返事にご満悦な様子の真姫ちゃんは、満面の笑みを浮かべると母親が子供にするように僕の頭を撫で始めていた。大学二年生にもなって年下、それも高校一年生に辱めを受けている事実に羞恥心が爆発しかけるものの、疲れ切っているのか身体がうまく動かない。結果的にされるがままに髪を梳かれている僕である。は、恥ずかしい……でも、想いを寄せている少女にされているって考えると、素直に嫌がれない! むしろ嬉しい気持ちが湧いてくる!

 

「あぅ……ど、どうすればいいんだ僕は……」

「あー! 空良くん起きてるじゃーん! 膝枕は目を覚ますまでって約束だったのに、頭まで撫でてるなんて約束が違うよ真姫ちゃん!」

「なによ、細かいわね穂乃果は。恨むならじゃんけんで負けた自分を恨みなさい?」

「うぐぐぐ……! おにょれ真姫ちゃん……!」

「くっ……どうして、どうしてこうも運が絡む勝負事に勝てないのですか私は!」

「う、海未ちゃん……どうどう」

「いや、冷静にどういう状況なのこれ」

「いやぁ、空良さんほんとハーレムやねぇ。これだけ愛されていれば、男冥利に尽きるやん?」

「と、東條さん……」

「はろはろ~♪ のぞみんだよ~」

 

 何故か変な闘争心を燃やしまくって争っている海未、真姫ちゃん、穂乃果ちゃんの三人に本気で首を傾げている僕へと声をかけてきた、不思議な雰囲気を身にまとった女性。包容力というか、全体的に大人っぽい印象を抱かせる彼女――――東條希さんは、ひらひらと手を振ると行儀悪く部室の机に腰を下ろした。真姫ちゃんの膝に寝ている僕からはスカートの中身が絶妙に見えそうで見えない。顔を見ると口元が綻んでいたからたぶんわざとやっているのだろう。

 

「兄さん? まさかとは思いますが、希のスカートを覗いてはいませんよね?」

「するわけないでしょ。どこぞのアイドルオタクなハゲじゃあるまいし」

「おいコラそこの草食系男子」

「うるさいよ電球。……そ、そろそろ大丈夫だから、放してくれないかな真姫ちゃん」

「そう? 意外とこの体勢楽だったんだけど。まぁ、空良が大丈夫って言うなら仕方ないわね」

「はいはいはーい! じゃあ次は私が空良くんを膝枕しまーす!」

「穂乃果ちゃんステイ、アンドハウス」

「空良くんひどい! 私犬じゃないよ!」

 

 犬みたいなものでしょ、とは口が裂けても言わない。

 後頭部に残る真姫ちゃんの膝の感覚は名残惜しいが、いつまでも甘えておくわけにもいかない。というか、これ以上は僕の恐怖症と羞恥心的に限界だ。また気絶するのは御免被りたい。

 立ち上がり、周囲を見渡す。場所は変わらずアイドル研究部の部室だが、どうやらメンバーは全員揃っているらしい。相変わらず傍観者なことりちゃんと花陽ちゃん、東條さんに、何故か未だに小競り合いしている草太と星空さん。ぶすっとした顔で奥の方に座っているツインテールの小さい女性は、ここの部長である矢澤さんだ。そんでもって、理由は不明だがバチバチと視線で火花を飛び散らせている海未、真姫ちゃん、穂乃果ちゃんの三人。この子達に関しては何を争っているのか本当に謎だ。得意げに余裕な表情の真姫ちゃんへと突っかかる穂乃果ちゃん、その間で一人取り乱している海未という構図が出来上がっている。あまり触れても碌なことにならない気がするので、放っておくとしよう。

 最後に、この学校の生徒会長であり、先程僕の意識を闇に葬った張本人である絢瀬絵里さんであるが……、

 

「暗いの怖い……暗いの怖いよ……エリチカお家に帰りたい……」

 

 部室の隅で膝を抱え、完全に目の輝きを失った絶望の表情で何やら聞いてはならないであろう呟きを漏らしていた。僕が目を覚ますまでに彼女に何があったのか非常に気になるところではあるけれど、ふと海未、真姫ちゃんの方に視線をやった時に含みのある笑みを浮かべられたのでスルーしておくことにした。笑顔の裏に恐ろしいまでの迫力を感じた僕にそれ以上何か行動できると思ったら大間違いである。特に海未の裏笑顔の恐怖なんてこの十九年間で痛い程思い知っているのだから。

 というか改めて、僕と草太はどうしてアイドル研究部の部室に呼ばれたのだろう。色々ドタバタしていた聞きそびれていたが、未だに主旨を聞かされていない。草太も同じことを思っていたようで、僕達を連れてきた東條さんにその旨を質問していた。

 だが、答えは予想外にもあっけらかんとしていて、

 

「二人をここに招待した理由? 凛ちゃんと真姫ちゃんの面白い反応が見られるかなって思っただけで、特別な理由とかはないよ? それに、えりちの取り乱した姿も見られて、ウチは大満足やん」

「希……アンタまた突拍子もない理由で人様に迷惑をかけて……」

「そんなん言って真姫ちゃんだって空良さんが来るって話をしたら嬉しそうにしてたやんか。凛ちゃんも凛ちゃんで朝からワクワクしてたし――――」

「希ちゃぁ――――ん! ちょっとお口チャックするにゃぁ――――っ!」

「むぐ」

「え、えっと……? つまりどういうこと……」

「なんでもないから忘れて! 今すぐに!」

「は、はい」

 

 勝手に騒ぎ始めた三人に話を聞こうとするものの、真姫ちゃんに凄い剣幕で迫られた僕はそれ以上追及することはできなかった。隣にいた草太も星空さんに目一杯睨まれて茶化すことすらできないでいる。拘束から解放された東條さんは傍目からでも分かる程に悪戯っ子めいた顔で僕達を眺めていた。彼女はあれだ、このメンバー随一のトラブルメイカーだ。

 しかしながら、何も用事がないのなら少しでも早く音ノ木坂から脱出したいというのが僕の本音だったりする。今は草太がいるからなんとかなっているけれど、基本的に女子しかいない空間に長居するのは精神衛生上よろしくない。彼女達にも練習があるだろうし、なんとか隙を見つけて退散したいところではある。

 ちら、と草太の方を見やると、僕の考えを察してくれたらしく代表して彼女達に話を切り出してくれた。

 

「俺達も皆と話せて楽しかったが、そろそろお暇させてもらうわ。花ちゃん達は今から練習するんだろう? 俺達が残っていたら邪魔になるだろうしさ」

「えー! 空良くん達帰っちゃうのー? せっかくだし練習見て行きなよー!」

「俺的にはそうしてもいいし、µ’sの練習風景見られるなんてまたとない機会だからありがたいんだが、空良的にはそうもいかないだろうさ。さっきの絵里ちゃん事件で心身共に参っているっぽいし、帰らせてやってくれよ」

「確かに、兄さんの体調を考えるとそれが一番かもしれませんね……絵里は後でみっちりお説教しますから、任せてください」

「ひぃ~! た、助けてよにこー!」

「私を巻き添えにするな自業自得でしょアンタの!」

 

 完全にクールな印象が崩れ去っている絢瀬さん。今までずっと我関せずと黙っていた矢澤さんに泣きついているが、まったく相手にされていない。見た目と保護者関係とがすっかり真逆になっているようだ。

 草太の言葉に何かを考え始める東條さん。怪訝な視線を向けるが、何やら嫌な予感が止まらない。この少女、ぽわぽわした見た目とは裏腹に結構な曲者だと思われるのだ。厄介というか、読めないというか……ことりちゃんとは違った意味での規格外っぷりを感じてしまう。

 しばらくうんうん唸っていた東條さんはふと顔を上げると、僕と草太に向き直ってこんな事を言い出した。

 

「だったら、最後に一つだけお願い聞いてもらってもえぇかな? 我儘言って申し訳ないんやけど、これ聞いてくれたらもう引き止めへんから」

「お願い……? あんまり無茶なやつは無理だよ?」

「そんなこと言わへんよ。ただ、ちょっとお遣いを頼まれてほしいの」

「お遣いか。うん、それくらいなら全然オーケーだぜ」

「ホンマ? じゃあ……空良っちは真姫ちゃんと、草太っちは凛ちゃんとそれぞれ買い物に行ってきてなー!」

『……うん?』

 

 さらっと言われた内容に僕達四人が思わず首を傾げてしまったのは、致し方ない事だろう。

 

 

 

 

 

                ☆

 

 

 

 

 

 どうしてか、最近ずっともやもやした気持ちが晴れないでいた。

 

「なんで真姫ちゃんと空良くんとが二人きりじゃないといけないの? お遣いくらい、私が一緒でも大丈夫じゃん」

「そうは言いましても、希が勝手に言った事ですから……」

「納得いかないなぁ」

「あんまり騒ぐと二人に見つかるよ穂乃果ちゃん……」

 

 ことりちゃんに指摘されて思わず黙り込む。私達三人は今、買い物に出かけた空良くんと真姫ちゃんを物陰に隠れて尾行していた。探偵のような活動に普段の私だったら胸躍って楽しんでいたのかもしれないけれど、どうしてか妙な苛立ちを覚えている。

 多少の距離感ながらもそれなりに会話が弾んでいる様子の二人。空良くんと真姫ちゃんが仲良くなるのは良い事だし、私も以前に「仲を取り持ってあげる」とは宣言した。空良くんはたぶん真姫ちゃんのことが好きみたいだから、何も悪い事はない。

 ……だけど、どうしてだろう。仲良さげに話す二人を見ていると、胸の奥が締め付けられたようにズキズキと痛むのは。

 

「凛ちゃん達の方はどうなっているのかな?」

「あっちは花陽や希、にこに絵里が尾行していますから見つかると言う事はないでしょう。花陽がよっぽどポカをやらかさなければですけど」

「さ、さすがにそこまでドジじゃない……よね?」

「私に聞かないでくださいことり……」

 

 草太さんと凛ちゃんも、二人と同じように別ルートでお遣いを頼まれていた。私から見ても二人は仲睦まじく、すぐにでも付き合ってしまうのではと思ってしまう程。希ちゃんがちょっかいを出すのも頷けるような関係性。凛ちゃん達には悪いけれど、余計な世話を焼かせてもらった。一応花陽ちゃんの許可は取っているので、まぁそこまで問題はない……はずだ。

 同じ感覚で世話を焼かれた空良くん達ではあるけれど、どうしても思考が翳ってしまう。幼馴染の恋路を応援するのは当然のことだし、否定するつもりもない。二人が結ばれれば当然お祝いもする。今までお世話になってきた空良くんの為なら、どんなことでもできるつもりだから。

 でも、心のどこかで、こんな考えがずっと離れないでいる。

 

 ――――私の方がずっと一緒にいるし、仲も良いのに。

 ――――私の方が、ずっと空良くんのことを大好きなのに。

 

「どうしました穂乃果? 何か怖い顔をしていましたが」

「へっ? な、なんでもないよっ。あはは……」

「そうですか? それより、二人がスーパーに入っていきます。近づきましょう」

「う、うん」

 

 海未ちゃんの指示でさらに距離を詰めていく。そんな怖い顔をしていたのかと考えるとちょっと反省だ。いくらなんでも子供っぽすぎる思考回路に自己嫌悪。本当にどうしたのだろう。今までは、こんなことでいちいちイライラなんかしなかったのに。

 真姫ちゃんが空良くんと仲良くなればなるほど、空良くんと私との距離がどんどん離れていくような気がして。大好きな空良くんが、手の届かない遠いところに行ってしまうような気がして。彼の隣にいたのはいつも私だったのに、その場所を真姫ちゃんに取られてしまう。そんな独占欲がふつふつと湧いてくる。別に恋人でも何でもないのに、身勝手な気持ちが止まらない。

 私は空良くんのことが大好きだ。でもそれはあくまでも友達として、幼馴染としての好意である。……その、はずだ。

 そんな気持ちが湧いてきたのはいつの頃からだろうか。いつから私は、真姫ちゃんに対して嫉妬のような感情を抱き始めていたのだろうか。

 こんな、分不相応な気持ちを、いつから――――

 

『きゃっ』

『わわっ、大丈夫?』

『あ……えぇ、だ、大丈夫……』

「ななな……破廉恥ですよ兄さん!」

「う、海未ちゃん落ち着いて~!」

「何……?」

 

 急に聞こえた悲鳴と、慌てだした海未ちゃんの様子に反応して空良くん達の方へと視線を飛ばす。ちょうどお遣いを終えたらしい二人がスーパーから出てくるところだった。

 だが、二人の姿を見た私は一瞬思考が停止してしまう。

 

「なん、で……?」

 

 疑問が口を突いて出る。二人の光景に、頭が考えることを放棄していた。目の前のものが信じられないと、脳が理解を拒否していた。

 

 何故、空良くんが真姫ちゃんを抱きかかえているのだろう。

 

 原因はなんとなく分かる。スーパーから出る際につまずいた真姫ちゃんを空良くんが掴んで止めた。ただそれだけのことだろう。なんら不思議なことではなく、顔の距離が若干近いのもそういう体勢ならば仕方ない。別段、驚くことでもない。

 だけど、私には耐えられない光景だった。空良くんと真姫ちゃんが密着している姿に、何かが壊れるような音が聞こえた気がした。今まで気づかないでおこうとしていたものに、嫌が応にも気づかされた。そんな感覚に襲われる。

 

「ごめん二人とも……ちょっと気分が悪いから、先に家に帰るね……」

「ほ、穂乃果? 大丈夫ですか?」

「うん……ごめんね」

「穂乃果ちゃん、一人で帰れる? 着いていこうか?」

「大丈夫……ありがとう、ことりちゃん」

 

 それだけを言い残し、その場を離れる。胸が張り裂けそうな程に痛い。あれ以上空良くん達を見ていたら、頭がおかしくなっていたかもしれない。それくらい、今の私は身体に異常をきたしていた。大好きな空良くんが、今だけは憎たらしい程に愛しくて……大好きな真姫ちゃんが、今だけは純粋に憎かった。この十数年間で経験したことのない未知の感情。熱に浮かされたようにふらふらと歩く私は、相当変に見えたことだろう。

 でも、この瞬間理解したことがある。

 

「私……いつの間にか、空良くんに恋していたんだね……」

 

 「大好き」を通り越して、「愛して」いた。だから、愛する空良くんと仲を深めていく真姫ちゃんに嫉妬していたらしい。恋とは無縁だと思っていたこの私が、だ。

 気持ちが整理できない。とりあえず、帰って頭を冷やそう。どんな理由があるにせよ、大好きな後輩、メンバーにマイナスの感情を抱くなんてあってはいけない。たとえ、最愛の幼馴染を奪われる可能性がある相手だとしても。

 ――――その夜は、黒い何かに呑み込まれるような夢を見た。

 

 




 今回も読了ありがとうございます。
 ジメ2より穂乃果ちゃんの方がズブズブ嵌っていきそうなイメージ。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。