楽しみな事が控えていると、時間の流れというものは得てして早く感じるものだ。
「ついに、ついにこの時が来てしまった……!」
最後の勉強会から二週間が経過した、八月最初の日曜日。周囲はすっかり夏休みムード一色で、数多くの学生達が各々の休日を満喫する姿がちらほらと。かくいう僕もしっかり期末考査を乗り切っているため、安心して夏季休暇を謳歌させてもらっている身だ。大学生は休みが多くて嬉しいね!
さてさて、現在僕は秋葉原駅の電気街口でとある少女と待ち合わせをしているところだ。女性恐怖症の僕らしからぬ状況ではあるが驚くことなかれ、今日は待ちに待った真姫ちゃんとの遊園地デートである。朝から緊張でご飯もマトモに喉を通らなかったのはここだけの話だ。見かねた海未が携帯食料を持たせてくれたけれど、果たして食べるかどうかは分からない。空腹よりも、プレッシャーに押し潰されそうだった。
時刻は朝の八時半。待ち合わせは40分だから少し早めに到着している。まさかこの僕が
そういえば今日も穂乃果ちゃんは用事があるとかで会えなかったなぁ。一番お世話になっているから、色々助言を貰いたかったのだけれど。せっかくオシャレしたのだし、彼女にも見てもらいたかった。言いたいお礼もたくさんあるし、今度折を見て高坂家に顔を出してみよう。体調を崩している可能性もある。お見舞いくらい行っても迷惑がられはしないはずだ。
思考をあっちこっちに飛ばしながら真姫ちゃんを待つ。傍から見れば視線を泳がせる不審者に見えたことだろう。現に先程から通りかかる人が怪訝な表情で僕の方をちらちら見ている。一人でさえこれなのだから、真姫ちゃんと合流してしまったら僕死んでしまうんじゃないだろうか。
「はぁ……幸せすぎて死ねる……」
「なに勝手に天に召されようとしてんのよ。今からでしょ」
「いや、そうなんだけど……ってうわぁ! 真姫ちゃん!」
「どうも。可愛い賢い真姫ちゃんよ」
いつの間にか背後に忍び寄っていたらしい真姫ちゃんが「してやったり」と言わんばかりの得意げな顔でニヤリと笑っていた件について。
相変わらずツリ目でジト目な真姫ちゃんに向き直ると、否応なしに視界に飛び込んでくるのは彼女の服装だ。
「…………」
「どうしたのジロジロ見て。この真姫ちゃんの可愛さに見惚れでもした?」
「……うん、めっちゃ可愛い」
「うぇぇ!? ちょっ、ななな、なに馬鹿なこと言ってんのよ急にびっくりするじゃない!」
「ご、ごめん……」
既に内心が口から零れ落ちている僕に顔を真っ赤にした真姫ちゃんが怒鳴っていたが、正直そんな余裕はなかった。目の前に現れた女神の美しさに目が焼け死ぬのではないかと本気で考える。ちょっと狼狽した態度のせいで無駄に魅力がアップしているのも相乗効果。
ファッション自体はありふれた、無難なものと言っていいだろう。黒のTシャツにショートデニム。腰には赤いチェックシャツを巻いた、そつない着こなしだ。だが、スタイルも顔もずば抜けている真姫ちゃんがそのコーディネートを行うと通常の十倍、いやそれ以上の魅力を放つ兵器になる。現に、少しでも油断すれば膝から崩れ落ちそうな程に、僕の身体は歓喜に震えていた。
無意識に放った賛辞に顔を赤らめて視線を逸らしている彼女の姿がどうしようもなく可愛らしくて、なかなか目を話すことができない。女性恐怖症のこの僕が、である。
「ちょ、ちょっと! いつまでも凝視しないでよ恥ずかしいじゃない」
「あ、ご、ごめん……」
「見ないで、とは言わないけど、場を弁えなさいね? そりゃあ私に見惚れるのは仕方ないとしても、人目もあるんだから」
「う、うん……」
「……聞いてるの?」
「き、聞いてます! はい! だからあんまり至近距離から顔を覗き込むのは勘弁してください! はい!」
どうしても視線が真姫ちゃんに向かってしまって空返事になっていたのを指摘されるが、鼻先にまで顔を近づけられると僕の心臓と汗腺がこの世の終わりを迎えてしまうのでご遠慮願いたい。しかも身長の関係でシャツの襟元から、その……中までは見えないけれど、下着というか胸元というか……とにかく、あまり直視してはまずいものが不可抗力で視界に飛び込んでくるため、本当に色々とヤバいのだ。うぅ、この無防備さは心臓に悪いよぉ。
「まったく。最初からこんな体たらくだなんて、先が思いやられるわ」
「僕も今日一日乗り越えられるか心配だよ……」
「何情けないこと言ってんの。この真姫ちゃんをエスコートするんだから、途中でグロッキーなんて許さないわよ」
「は、はいぃぃ」
真姫ちゃんと合流して数分で既に体力と羞恥心が限界な件について。大丈夫か僕。
思わず溜息をつく。せっかく真姫ちゃんとデートだというのに、今のところ情けない姿しか見せられていない。これで僕の事を好きになってもらうとか到底無理ではなかろうか。やっと最近会話できるようになり、多少は顔を見ても大丈夫になってきたというのに……世知辛いなぁ。
「……んっ」
「……はい?」
「んっ! んっ!」
自らの不甲斐なさに早くも心が折れそうになっていると、真姫ちゃんが唐突に右手を差し出してきて困惑してしまう。なんか頬は赤いし、いったいどうしたのだろう。目を合わせる訳でもなく、何度も手を向けてきているが――――
あ。も、もしかして……。
まさかな、そんなわけないよな、と半信半疑ながらも、おずおずと聞いてみる。
「えっと、それはもしや、いわゆる手を繋ぐとやらをご所望で……」
「いいい、いちいち言葉にする必要ないでしょこの朴念仁! 今日のアンタは私をエスコートする執事みたいなものなの! だ、だから、はぐれたりしないように手を繋ぐのは、紳士として当然でしょう!? それも分からないなんて、やっぱり空良はダメダメね!」
「あぅ……ご、ごめんなさい……」
「あ、謝らなくても……あぁもう! 調子狂うわねホント! いいからさっさと手を繋ぐ! レディの口から言わせてんじゃないわよ!」
「は、はいぃ!」
凄い剣幕で怒鳴られて否応なく咄嗟に真姫ちゃんの手を掴む。一瞬、「直接触れてしまうと僕の心臓と身体が耐え切れないのでは?」と不安になったが……実際に握ってみると、緊張で多少の発汗は見られたものの、過呼吸も眩暈もあまり起こりはしなかった。想像よりも冷静に、彼女の手の柔らかさを感じることができている。恐怖症の症状が、出ていない。
僕が異変なく手を握れたことに彼女も驚いているらしく、ポカンとした表情で目を丸くしていた。が、すぐにまたトマトのように顔を赤らめると、再びそっぽを向いてしまう。
「ふ、ふんっ。まずは上々の滑り出しね。恐怖症も緩和されているみたいだし? やっぱり、この私にかかればその程度の症状なんでもなかったということよ! 感謝しなさい、空良!」
「……ありがとう、真姫ちゃん」
「う……。な、なによ、やけに素直じゃない……」
いつも素直じゃないみたいな言い方はやめてほしいかな、というのは口に出さない。それよりも、僕の中で彼女が『例外』になりつつある事実に驚きと共に幸福感を覚えていた。なるほど、西木野真姫という存在は、ついにそこまで昇華してきたらしい。
握った手に思わず力を込めると、そのまま改札へと向かう。
「……よっし! それじゃあ今日はうんと楽しもうよ、真姫ちゃん!」
「わっ、急に走ると危ないわよ空良!」
「あははっ! 大丈夫大丈夫!」
もういつ以来に感じるか分からない高揚感に心が跳ねる。今ならば、空だって飛べる気がした。
慌てる真姫ちゃんの手を握った僕は言い知れない胸の高鳴りに酔い痴れながらも、彼女と共に目的の電車へと飛び乗っていく。
今回も読了ありがとうございました。