しっかり者の妹がたまにポカをやらかすと、人間味が感じられて好感度が上がる。
「海未の奴、ダンスの朝練行くからって張り切るのはいいんだけど、弁当忘れるなんて可愛いミスやらかすなぁ」
風呂敷に包まれた弁当を片手に、音ノ木坂学院の中庭を歩きながらそんなことを呟く園田空良こと僕。今日は授業がない所謂全休日の為、家でのんびりしていた僕が弁当配達に駆り出されているというわけだ。首からは入校許可証が下がっているため、合法的に女子高に侵入している。……普通の男子大学生なら大喜び間違いなしの展開かもしれないが、僕にとっては命の危険一歩手前と言っても過言ではない状況である。今も通りかかった学院生達が遠目から僕を指さしてひそひそ話しているところ。正直言って既に胃が痛い。
このままアテもなく放浪するのは精神的に辛いので、昼休み時刻であることを確認すると海未に電話をかける。
数回のコール音の後、愛する妹は応答した。
『はい、園田ですけど』
「弁当、中庭、助けて」
『届けてくれるよう頼んだ私も悪いのですが、校内に入る前に門のところで言えばよかったではないですか……』
「その考えは正直失念していた」
『はぁ……とにかく、中庭ですね? すぐに向かうので、そこで待っていてください。無理に動いて持病が発病しては洒落になりません』
「イェスマイシスター」
通話が終わる。立ったまま待つのもあれなので、近くの石垣に腰かけて海未の到着を待つことにした。幸い近くで昼食をとっている女性達はいない。校舎の中から僕を観察している方々は見受けられるが、我慢できない程ではない。
彼女がどこにいるのかは分からないが、そう時間はかからないだろう。愛用の携帯電話を弄りながら、なんとなく頭から離れないフレーズを口ずさむ。
「I say~♪」
最近海未が家でずっと練習している曲だ。なんでも、今度新入生歓迎会後にライブをやるようで、その時に歌う曲らしい。歌詞は彼女が作ったというのだから驚きだ。確かに幼い頃から小説や詩を書くのが趣味な絶賛黒歴史製造マシーンだった海未だけど、今回はそれがプラスの方向に転んでいる。海未に歌詞を任せた穂乃果ちゃんは才能があるのか、それとも冗談半分だったのか……。たぶん穂乃果ちゃんのことだから、何も考えていなかった可能性が高いけれど。
にしても、あの幼馴染三人娘の中で曲を作れる人はいなかった気がするのだが。ことりちゃんは衣装担当らしいし、穂乃果ちゃんは作曲とかできないし。いったい誰に頼んだのだろうか。音楽が得意な子に伝手があるという話は聞いたことないけど……というか、そんじょそこらの楽器が弾ける子が作れるレベルではないぞ、この曲。上手すぎる。
タイトルは『START:DASH!!』なんだとか。スクールアイドルとしての初ライブで歌う曲名としては完璧だろう。変に捻らないストレートなネーミングに好感が持てる。ふむ、さすがは我が愛しの妹。非の打ちどころが見つからない。
特にサビの部分を何度も口ずさむ。聞いているだけでも勇気づけられるような歌詞と、思わず身体を揺らしてしまう乗りやすいリズム。冗談抜きでいい歌だ。割といい線行っているじゃないだろうか。
「これを海未達が歌うのか……僕も持病がなかったら見に行きたかったなぁ」
「持病があろうがなかろうが、女子高の行事に空良くんが参加できる訳ないんだけどねぇ」
「保護者扱いだったらギリギリいけそうじゃない?」
「っ……!?」
不意に女性の声で話しかけられ身体が強張る。鼓動が速まり、嫌な汗が吹き出し始めるが……声の主を視認したところで、身体の変調は治まりを見せた。
僕に話かけてきたのは、二人の少女。
一人は明るい茶色のセミロングに、これまた太陽のように明るい笑顔を浮かべた絵に描いたような朗らかな子。そしてもう一人は、ベージュ色の髪を特徴的なサイドテールにした、可愛らしい女の子。静と動に分けたような対照的な二人が、ニコニコ笑顔で僕を左右から見上げていた。
高坂穂乃果に南ことり。二人とも、幼い頃からよく知っている幼馴染。僕の女性恐怖症から除外されている、貴重な女性陣。まぁ、彼女達とまともに会話できるようになるまで結構な時間がかかったのだが、それはここでは置いておこう。
声をかけてきた子たちが穂乃果ちゃん達だと判明し、胸を撫で下ろす。これが知らない女の子だったら、心臓麻痺で病院送りになっていたかもしれない。
「急に話しかけられると驚くからよしてくれよ」
「もう、相変わらず女性が苦手なんだね空良くんは」
「仕方ないよ穂乃果ちゃん。空良さんだって色々あるんだから」
「駄目だよことりちゃん。空良くんがいつまでもこんなままだと、将来海未ちゃんが困るんだから!」
「リアルな話はやめてくれ」
滅茶苦茶真面目な顔で僕の精神を抉ってくる穂乃果ちゃんを慌てて止める。この子何も考えていないくせに、人が気にしていることを的確に突き刺してくるのはどういう了見なのか。長い付き合いで多少慣れているはずの僕が胸を押さえる毒舌ぶり。天然とはげに恐ろしきかな。彼女の隣で申し訳なさそうに僕に頭を下げることりちゃんの苦労が窺える。
僕は僕で、この持病で海未に迷惑をかけている自覚は大いに持っているのでとても頭が痛い。これを無自覚に言っているというのだから、この子は将来大物になること間違い無しだ。それまでにことりちゃんの胃が悲鳴を上げないことを祈ろう。
何度か深呼吸の末に落ち着きを取り戻すと、石垣に置いていた弁当を渡す。
「はいこれ。海未に渡しておいて」
「自分で渡さないの?」
「誰が渡しても一緒だろ。それに、僕的には一刻も早くこの敷地内から出ないと、持病で全身から血を吹き出して死ぬ」
「それはもう持病というより感染症じゃ……」
「とにかく、任せたよ二人とも」
呆れ顔で律儀に突っ込みを入れてくれる穂乃果ちゃんと、傍らで苦笑を浮かべることりちゃんに弁当を預けると、そそくさと中庭から離れる大学二年生。海未が来る前に退散してしまうことについては帰宅後こってり絞られるだろうが、今はできるだけ迅速に音ノ木坂を脱出する必要がある。許してほしい。
二人して微妙な視線を向けてくる妹分達に別れを告げると、僕は足早に中庭を去るのだった。
☆
中庭を立ち去り、正門へと向かう。門から校舎の間には音楽棟なるものが存在し、音ノ木坂を代表する音楽系部活がそこで日々練習に取り組んでいるらしい。最近はそこまで目覚ましい活躍はないものの、こうした昼休みでさえも楽器の音が鳴りやまないのは凄いことだ。練習熱心な学生達で、関係ない僕も鼻が高い。
様々な種類の音楽が耳を打つ。ギター、バイオリン、フルート……いったい何人の生徒が弾いているのか分からない程のバリエーション。多少乱雑ながらも透き通った響きに鼓膜が歓声をあげる。女性は苦手だが、女性的な音楽は良い。
耳を傾けつつ、正門へと足を進める。ずっと聞いていたいものもあるが、この場で立ち止まって聞いているわけにもいかない。後ろ髪を引かれる思いで立ち去ろうとした僕だったが――――
『I say~♪』
どこかで聞いたことがある曲と歌詞に、思わず足を止めた。惹かれるように音の方を向くと、それは音楽棟一階のとある教室から流れてきているようだ。
透き通った歌声と、流れる様に綴られるピアノの旋律。そして何よりも、この歌は。音楽棟から流れてくるこの歌は、海未が新入生歓迎会後のライブで歌うと言っていた、あの曲ではないだろうか。
穂乃果ちゃんとも、ことりちゃんとも、ましてや海未とも違う歌声。この三人しか知らないはずの曲を歌う少女の声に、僕はどうしてか聞き惚れていた。誰が歌っているのか、どうしても確かめたくなった。
間違いなく女性の声。それなのに、教室へと向かう足が止まらない。鼓動が速まる。だけどそれも、いつもの発作とは違う感覚。
校舎を回り込むようにして、件の教室が見える窓へと走る。さすがに校内に入るのは憚られた為、窓から覗くことにした。幸いその部屋は一階だ。外から眺めることはできる。
校舎周辺には誰もいない。皆、教室の中にいるのだろう。見咎められることもなく、僕は真っ直ぐ声を追った。
――――そして、出会った。
窓の向こう。ピアノに向かい合い、口ずさみながら鍵盤を叩く赤毛の少女と。
その子はいつか、あのUTX学園で見かけた女の子だった。巨大ディスプレイに映し出されたA‐RISEを不機嫌そうに見上げていた、切れ長の瞳が特徴的な音ノ木坂の生徒。西野木真姫という名前だけを知っている、逆に言えばその程度しか知らない赤の他人。言葉を交わしたことなんて一度もないのに、どうしてか僕は彼女の存在に見惚れていた。女性に対して拒否反応を示すはずの僕の身体が、さすがに接触することはできないにしても、発作を起こすことなく彼女に向いていた。
先程まではさっさと校内から脱出しようとまで考えていたのに、今この瞬間だけは、身体が動くことを拒否していた。もっと彼女を見ていたい、彼女の歌を聞いていたいと心が叫んでいた。
永遠とも思ってしまう程の時間が過ぎていく。彼女の視界に僕は入っていない。それでも、ここから見ているだけで幸福を感じていた。今の僕を知らない人が見れば、ストーカーの一人にでも見えただろう。それくらいの熱意をもって、僕は窓を通して西木野さんを見つめていた。熱に浮かされるとはこのことを言うのだろう。手に持っていた音楽プレイヤーが足元に落ちたことにも、この時の僕はまったく気が付いていなかったのだから。彼女以外はどうでもいい。そう思ってしまう程に、僕の心はすっかり彼女に奪われていた。
曲が終わる。歌声が聞こえなくなる。それなのに、脳内では彼女の歌声が延々と繰り返されていた。脳裏に焼き付くとは良く言ったもので、西木野さんの声が心に刻まれるような感覚に襲われる。
曲が終わった以上、早くこの場から立ち去らなければ。頭では分かっているのに、身体が余韻に浸っている。心が感動の二文字に包まれていた。気を抜くと、その場で手を叩いてしまいそうな程に。
呆けたように立ち尽くす僕。しかし、幸運の女神はここに来て僕に試練を与えるようだった。
『そうだ、窓閉めなきゃ……』
「っっっ!?」
一度もこちらを向かなかった西木野さんが、あろうことかこのタイミングでこちらへと振り向く。完全に油断していた僕はその場から一歩も動くことができず、不幸にも最悪のタイミングで彼女と目を合わせることになった。
窓を閉めるべく立ち上がった西木野さんが、僕を視界に捉えた瞬間ぴたりと静止。かくいう僕も、全身に冷や汗をかいたまま完璧に硬直してしまっていた。両者見つめ合ったまま立ち尽くすとかいう見ようによってはロマンチックな光景ができているものの、そのうち男性の方は歌っている少女を覗き見ている変態チックな女性不振野郎だ。今通行人がポリスをコールした時、果たして事情聴取されるのはどちらかいや僕に決まっているだろう!?
「……誰?」
「ぁ……ぅ……」
困ったようにこちらを見る西木野さんに対し、女性からの視線を真正面から意識してしまった僕はマトモに声を出すこともできない。喉が一気に干上がり、呼吸もままならなくなってきた。心臓が警報を鳴らす。これは、いつもの、発作だ。
無意識に一歩後ずさっていた。顔は完全に青褪めていただろう。もしかしたら見ても分る程に震えていたかもしれない。
「あの……大丈夫、ですか?」
「ひっ!?」
「あ、ちょっ!?」
僕の姿を心配したらしい西木野さんが再び声をかけてくるが、もう限界だった。
咄嗟に踵を返して走り出す。脇目も振らず、一心不乱に校内から走り去る。挙動不審にも程があったのは重々承知しているが、これ以上の接触は命に関わる恐れがあった。
呆気にとられたように僕の方を見る西木野さんが視界に入ったものの、何か気の利いた一言を与えられる訳でもなく、無様にその場から逃げ去っていく園田空良こと僕なのであった。
☆
数時間後、園田家にて。
「どうしたのですか兄さん。そんな部屋の隅で膝を抱えて」
「海未……兄ちゃんはもう、お天道様の下を歩けないよ……」
「はい?」
晩御飯の為に僕を部屋まで呼びに来た妹に対して、異様なまでに意味不明な言葉を残す僕の姿がそこにはあった。
今回も読了ありがとうございます。
スクフェスのイベント、なんとか真姫ちゃん三枚取りと海未ちゃん二枚取りできたので一安心。