茜色の旋律   作:ふゆい

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 第二十一節です。


第二十一節 放射熱

 華々しいイメージが先行するスクールアイドルと言えど、鍛錬を欠かしてはいけない。

 

「というわけで、これが本日の練習メニューです!」

『…………』

 

 いつになく目を爛々と輝かせながら興奮気味に言い渡す海未。手で指し示しているのは、彼女が今回の為に作成したらしいスケジュール。円グラフのような形で書かれたソレには、『遠泳』や『ランニング』といった特訓内容が書き込まれている。ただ少し気になるのは、それぞれの練習内容に『10km』だの『20セット』だの書かれてあるのは何なのだろうか。冷静に考えて、高校生女子のメニューではない。

 ドヤ顔キメている我が妹とは反対に、絶望の表情を隠そうともしないメンバー達。それもそうだろう。無類の特訓ジャンキーであるウチの妹が自信満々に作ったメニューは、どう考えてもクリアできる難易度ではないのだから。これこなせる女子高生はそれこそスクールアイドルよりも運動部で大いに活躍してほしいところではある。

 

「ちょっ……待って待って海未ちゃん! 海は? 海の予定はどこにあるの!?」

「はい? 海未は私ですが……」

「そういう古典的なボケはいらないよ! ちがっ……海水浴の予定は、Where!?」

「あぁっ、なるほどですね。そういうことでしたらちゃんと組み込んでありますよ」

 

 代表して穂乃果ちゃんが食って掛かると、ようやく言いたいことを理解したらしい海未はニッコリ笑顔を浮かべる。いくら海未とは言えど花の女子高生。さすがに息抜きの一つくらいは用意するくらいの余裕はあったらしい。余計な諍いを回避することができて一安心……。

 

「ほらっ! 遠泳10kmで泳げますから!」

『ひぃっ!』

「ちょっと落ち着こうかこの脳内マッスル思考妹」

 

 さすがに見かねた為に海未を止めに入る。スクールアイドルには決して有り得ない絶望の表情を浮かべた八人を目にしてしまっては、傍観者気取りの僕も気が退ける。現在草太は別荘内で昼ご飯の準備をしてもらっているため、彼女を止められるのは必然的に僕しかいなかった。まぁ、立場的には僕の役目になったのだろうけど。

 僕に肩を引かれ、心底不思議そうに首を傾げる海未。所作だけは本当に可愛い。

 

「なに妹の仕草に萌えてるのよバカ空良」

「ご、誤解を招く発言は控えてほしいな!」

 

 呆れた顔で睨んでくる真姫ちゃんから目を逸らす。兄としての威厳が崩れてしまうので、そういうことはあまり言わないでほしい僕である。

 

「……コホン。海未、さすがにその練習メニューはやりすぎだと思うんだけど」

「む。私が三日三晩練りに練ったメニューにケチをつけるのですか、兄さん」

「そういう訳じゃないんだけどさ。今回の合宿を楽しみにするあまり夜も眠れず、遠足前の子供みたいにわくわくしながらメニュー作ったりダンスの練習していたのは僕も知っているけれど……」

「うわっ、うわぁあああああ!! 口をっ、口を噤んでください兄さん! そんな恥ずかしい……いえ、そんな出まかせは許しませんよ!」

「え? でも滅茶苦茶笑顔でぬいぐるみ抱き締めながら合宿について独り言漏らしてた海未の動画がここに……」

「盗撮じゃないですか! えぇい、こんなものぉーっ!」

「僕のケータイ――――――――ッ!」

 

 羞恥心か見栄か、正体不明の癇癪によって宝物である『海未フォルダ』が詰まった携帯電話を真っ二つにへし折るµ’s運動部担当園田海未。別に折り畳み式だとかそういうことは一切ないのだが、ものの見事に真ん中からポッキリいかれてしまっている。真姫ちゃんのツンデレ可愛いメールも保護してあったのに、なんてことするんだこの妹はッッッ!

 

「うぅ、酷い……」

「妹の痴態盗撮して悦んでた変態が何を今更……」

「違いますにこさん。これは盗撮ではありません」

「はぁ?」

「観察です」

「逮捕」

『ラジャー』

 

 どこから取り出したのか、三年生トリオによって僕の腕にかけられる銀色の手錠。ガチャリという重苦しい効果音と鈍い輝きを放つボディがなんともマジモンな感じを醸している。

 

「……って、え? マジモン?」

「さぁ? ウチはことりちゃんから借りただけだから」

「ことりちゃん……まさか前科が……?」

「ち、違うよっ! それは前にお店に来てくれた警察官の人が、お近づきの印にって……」

『何やってんだ警察官!』

 

 明かされる衝撃の事実にその場にいる全員に衝撃が走る。ていうか! そういうのって勝手に譲渡しちゃダメでしょ! 色々と問題がある気がする! いくらことりちゃんが可愛い上にメイド姿が超絶女神だからって、もう少し頑張れ公務員!

 

「か、可愛いだなんて、照れるな~」

「海未」

「海未ちゃん」

「ウミアッパー!」

「顎ぉっ!?」

 

 僕の言葉に顔を赤らめながら照れることりちゃんに癒されていると、唐突に襲い掛かる三人娘の魔の手。僕の顎を真下から突き上げる様に拳を振り抜いた海未の目はまさに鬼神のソレ。けしかけた穂乃果ちゃんと真姫ちゃんも相当にアレな目をしていらっしゃる。

 

「なに? なんなの? 空良くんはそんなに夜空に輝くお星様になりたいの?」

「待つんだ穂乃果ちゃん。今のは世間一般に見ての評価だし、客観的に見てもことりちゃんは可愛いってことは否定できない事実なんだよ」

「女性恐怖症のくせにどうしてこう口から湯水のように口説き文句が湧き出てくるのかしらねぇ……」

「こ、ことりちゃんは幼馴染だし、これは口説き文句と言うよりも『すごーい!』とか『素晴らしい!』とかと似た感じのニュアンスと言うか……」

「もうゴチャゴチャ考えるの面倒くさいんで、とりあえずもう一発殴ってもいいですか?」

「DVだ! 妹から直々にDV宣言されてる! だ、誰か助けてー!」

「凄い……こんな修羅場は漫画くらいでしか読んだことないにゃ……」

「ある意味創作より命の危機に瀕しているけどね……」

「冷静に状況解説していないで助けてくれないかなぁ!」

 

 完全に観客決め込んでいる花陽ちゃんと凛ちゃんに助けを求めるも、ヘタクソな口笛と共に目を逸らされてしまい死亡確定。両手を手錠で拘束されているために逃げ出すことも敵わない僕は、ここでようやく自らの死期を悟った。田舎の海に沈められる……。

 

「さぁ~て、練習の前に軽く汗を流そうかなぁ~?」

「箒を振り回しながら言う台詞じゃないよね」

「兄さんと組手ですか。中学生以来なので楽しみです」

「両手が使えない相手をサンドバックにするのはよくないと思うよ」

「べ、別にアンタの為を思ってやるわけじゃないんだからね!」

「典型的なツンデレ台詞に乗じてペットボトルに小石詰め込むのやめようね真姫ちゃん」

「ハラショー……これが日本の『アダウチ』ってやつなのね」

「違うわよ」

 

 何やら間違った知識を溜め込み始めた絵里さんにツッコミ入れるにこさんだが、その前にこちらの三人娘を止めてほしいところだ。両手が使えず上手く立ち上がれないので、ずりずりと尻もちをついたまま後ずさりしていく。

 ……が、無情にも肩を掴む三人の柔らかな手。華奢な身体つきのどこにそんな筋力が眠っているのか、身動き一つ取れない程に拘束される。

 あ、これ死んだわ。

 

「はーい、じゃあ私達はとりあえず軽くランニングから始めるわよー」

「最初からいなかったかのように! に、にこさん助けて! 何でもしますから!」

「じゃあそのまま引きずられて行きなさい」

「鬼! 悪魔! 関東平野!」

「ぬぁんですってぇ! 誰の胸が標高低いだゴルァ!」

「にこちゃんの胸は平野と言うより盆地だにゃ」

「よぉーっし星空今すぐ私とタイマンな」

「お、落ち着いてよ二人とも~!」

「あ、あはは……」

 

 完全に僕の存在を無視することにしたらしい部長が凛ちゃんと闘争を開始していたけれど、僕の現状に変わりはない。各々の凶器を握った三人がじりじりと距離を詰めてくる。

 照り付ける夏の日差し。身体中に浮かぶ汗。しかしながら、この汗は決して暑さから来るものではないのだろう。むしろ、心身共に冷え切っているのだから。

 

「短い人生だった……」

 

 天高く広がる青空に、大学生の悲鳴が吸い込まれていった。

 

 

 

 

 

                ☆

 

 

 

 

 

 それなりに身体を動かして満足したらしい彼女達は練習に戻っていった。

 

「……で、穂乃果ちゃんは練習しなくていいの?」

「少し休憩。無理して動くのもあまりよくないしね」

「それは分かるけど、僕と背中合わせに座っているこの状況はいったいどういう意味合いが……」

「好きな人と密着して座りたいっていうのは、思春期女子として当然の欲求じゃない?」

「……逞しくなったね、穂乃果ちゃん」

「空良くん鈍いから、どんどんアピールしていかないとね」

 

 「にひひっ」と悪戯っぽく笑う穂乃果ちゃん。背中をくっつけて座っているために彼女の表情を窺うことはできないが、「してやったり」顔をしているだろうことは想像できた。とはいえ、実際にはっきり言われるとなかなかにクるものがある。元々は僕が悪いのだけれど、彼女への罪悪感や自分の最低っぷりを再確認してしまう。

 日陰で休んでいる僕達だけど、真夏の空気に包まれている為さすがに暑い。いくら拭っても止まらない汗がどんどん滲み出てくる。それは穂乃果ちゃんも変わらないようで、時折うなじや胸元をタオルで拭きながら深い息を漏らしていた。何故拭いた部位まで分かるのかと言うと、いちいち彼女が拭く場所を口に出しているからだ。変に色っぽい声色で言うのは本当にやめてほしい。

 

「はぁぁ……汗が溜まって蒸れるなぁ……」

「……」

「そういえばまだ下着外してなかったや。練習中に汗疹ができるのも嫌だし、今の内に取っておこうかな?」

「…………」

「空良くんはどう思う? つけてた方が……好き?」

「……穂乃果ちゃん、わざとやってるでしょ」

「あ、分かっちゃった? いや~、やっぱりこういうあざといのは慣れないね。ことりちゃんとか花陽ちゃんの専門分野だよ」

「と、年頃の女の子がそういうこと軽々しくやるのはあまり褒められたものじゃないけど」

「ふぅ~ん……」

「……なにさ」

 

 僕の指摘に含みのある声を漏らす穂乃果ちゃん。あまりに彼女らしくない反応に少々戸惑ってしまう。常に反射的に大袈裟なリアクションを取りがちだった彼女が見せた落ち着いた様子。これが何を意味するのか、まったく見当がつかないために不安が募る。

 それ以上返答もできずに固まっていると、不意に穂乃果ちゃんが僕から背中を離す。練習に戻るのかな、と思ったのも束の間。再び距離を埋める気配がしたかと思うと――

 

 背後から抱き締めるかのように、僕の首に両腕が回された。

 

「ほ、穂乃果、ちゃん……!?」

「……」

 

 穂乃果ちゃんは無言のまま、僕の肩に顎を置く。上半身を密着させるような体勢。背中に当たる柔らかな感触の正体は何なのか、なんてわざわざ予想するまでもない。首元に彼女の吐息がかかり、心臓がけたたましく動き始める。遠くから聞こえるµ’sメンバーの掛け声と蝉の鳴き声。陽炎に揺らぐ風景とじれったい放射熱のせいで、今この瞬間、この空間だけがまったくの別世界になってしまったような錯覚を覚えた。はっきりと知覚できるのは、二人分の鼓動と、穂乃果ちゃんの呼吸。

 完全に思考が停止した僕の耳に口を寄せて、まるで内緒話をするような距離で彼女は言う。

 

 

「もしかして私の事……意識、しちゃった?」

 

 

 ねっとりと、妖艶と、官能的に。

 いつまでも子供だと、妹だと思っていた彼女から放たれた大人の言葉。密着した肉体から彼女の火照りが伝わる。ほぼゼロ距離にまで近づいている幼馴染の顔。背中に擦りつけられる彼女の胸部は、僕が知っている彼女の身体ではなく、すでに立派な大人の女性としての肉感的な魅力を放っていて。何故今の今まで彼女の成長に気が付くことができなかったのか、自分自身で驚きを覚える程で。

 時間にして数分。それでも僕には数時間が過ぎたようにも思われた。汗を拭うこともできず、顎から垂れた水滴が回された腕に落ちていく。今すぐに穂乃果ちゃんを振り払うこともできただろうけど、この場においてその行動が最適とは思えなかった。

 

『穂乃果ちゃーん! そろそろ練習戻れそう~?』

「……うんっ、もう大丈夫だから、すぐに行くよ!」

 

 空気を引き裂くように飛んできた、ことりちゃんの甲高い声。先程まで僕達を包み込んでいた官能的な雰囲気が雲散霧消し、いつも通りの柔らかな彼女が戻ってくる。彼女と向き合うとは言ったものの、予想の斜め上すぎる展開に何もできなかった。このままじゃいけない。次はなんとか、ちゃんと反応できるようにしないと……。

 

「じゃあ行こっか、空良くん」

「う、うん……」

 

 回されていた腕が外され、穂乃果ちゃんが僕から離れる。やっと真っ直ぐ見れた顔は、わずかに紅潮していた。羞恥心からか、それとも……。それ以上を口に出すのは憚られて、そのまま黙りこくってしまう。

 改めて全身を見やると、僕の記憶にある高坂穂乃果とは違う人物がそこには立っていた。すっかり魅力的な大人の女性として成長している事実が、僕にとってはとんでもなく衝撃的なものに思えてしまう。

 

「穂乃果ちゃん、その……」

「空良くん」

「……?」

 

 なにか一声かけないと、と口を開くも、彼女の呼びかけに遮られる。首を傾げるや否や、彼女は両の手を真っ直ぐ伸ばして僕の頬を掴み――

 

 

「好きだよ、空良くん」

 

 

 完全に無抵抗だった僕を弄ぶかのように、唇を重ねた。

 柔らかい、なんて馬鹿みたいな感想を浮かべていた僕ではあったけど、唇をこじ開けて舌を侵入させようとする彼女の意図に気が付くと慌てて身体から引き離す。もう何が起こっているのか理解できない。なんだ、目の前に立っているのは、本当に誰なんだ!?

 茫然自失、まさにそう形容するに相応しい状態の僕を見上げる彼女の顔は、あまりにも妖艶な……淫魔なんてものがいたらこんな顔をするんだろうなと考えてしまう程に、艶やかな魅力を放っていて。

 僕の唾液を舐めとるかのように舌なめずりをすると、そのまま何も言わずメンバーの元へと戻っていく穂乃果ちゃん。一人取り残された僕は誰にも声をかけられぬまま、間抜けな蝉の鳴き声に打たれ続けていた。

 




 今回も読了ありがとうございます。
 
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