西木野家が所有する別荘には、観光地顔負けの温泉が備え付けてあるらしい。
「練習も終わったし、ご飯の前にお風呂に入りましょうか。いえ、決して温泉に入りたいわけじゃないわよ? 物珍しいとか、そういう訳では絶対にないんだから」
「絵里ちゃん……それはいくら何でも苦しいにゃ……」
「んなっ……!? 何よその目は! あーもー! いいからさっさと入りなさーい!」
最近外国人キャラが著しい絵里さんだが、それよりもポンコツ扱いが酷くなっている気がする。超有能生徒会長キャラはどこへ行ってしまったのか、と先程希さんに聞いてはみたのだが、「あれはあれでえりちらしいやん」とのこと。第一印象なんてまったく役に立たないらしい。
それはそれとして、僕も何気に温泉は楽しみだ。周囲を山と海に囲まれたリゾートならではの大自然溢れる景色も見てみたいし。……それに、色々と頭の中を整理したくもある。
「温泉かー。いやぁ、去年の野郎旅行以来だな空良。あの時はなんとか女子風呂を覗けないか悪戦苦闘したワケだが……」
『なんて?』
「冗談だ。冗談だからメンバーの過半数が殺意丸出しで俺達を睨み付けるのはやめてくれ」
「なんでそんなに自分から命を捨てるようなジョーク言うのか理解に苦しむんだけど……」
「場の空気を和ませるのはイケメンの仕事ってな」
「冗談の質を考えろって言ってるんだよ水晶玉が」
男子超少数のグループでぶっこむ冗談としては今世紀最大に笑えない。
「まぁまさかウチらの入浴を覗くとも思えんし、気にすることないやろ」
「えー? でもぉ、超銀河級アイドルであるにこにーの裸体は究極に男の子を惹きつけちゃうしー?」
『身体に凹凸ができてから言ってくれ』
「そこの野郎共。ドルオタ舐めてると大怪我するぞアァン?」
「にこちゃん……とてもファンの皆には見せられない顔に……」
いつも通り弄られまくっているにこさんは一旦放っておくとして、このまま駄弁りまくっているのもなんとなく勿体ない。花陽ちゃんと凛ちゃんに詰め寄られているハゲを置き去りにして、一足先に暖簾を潜ろうとする。というか、どうしてここは別荘なのに温泉が二か所あるのだろう。いや、性別で区分けできるから問題はないのだけれど。西木野家の不思議がまた一段と深まってしまう。
溜息つきつつ中に入ろうとするが、そんな僕にしれっと声をかける少女がいた。
穂乃果ちゃんだ。
「別に私は、空良くんになら覗かれてもいいんだけどナァ……」
「……年頃の女の子がそんなこと言うもんじゃありません」
「空良くんも、顔を真っ赤にしながら言う台詞じゃないけどね」
「僕をからかうのもいい加減に――」
「本気だとしたら、どうする?」
「っ……」
皆と話す時とは明らかに違う声色。困惑する僕に近づくと、あからさまに身体を密着させてくる。彼女の好意に気付いているとはいえ……いや、気付いているからこそ、彼女の言動をうまくたしなめることができない。必要な事だとは分かっているのだけれど、彼女の気持ちを思うと言葉が出てこない。
幼馴染としての穂乃果ちゃんと女性としての穂乃果ちゃんが内心入り混じり、完全に行動不能となりかける僕。だが、そんな僕にも救いの手が差し伸べられる。
「やめなさい穂乃果。兄さんが困っているでしょう」
「海未……!」
「……ちぇー、海未ちゃんに止められちゃったら仕方ないや。私もお風呂入ろーっと」
僕から穂乃果ちゃんを引き剥がすように現れたのは、我が最愛の妹。海未は穂乃果ちゃんの首根っこを掴むと、そのまま女湯の方へ誘導する。それにしても、穂乃果ちゃんにしては珍しく素直に言う事を聞いていたが、何かあったのだろうか。
「大丈夫ですか兄さん」
「う、うん。助かったよ海未……」
「ここに来て穂乃果の様子がおかしいとは思っていましたが、やはり
「穂乃果ちゃんに限ってそんなこと……」
「その自分勝手な思い込みが穂乃果を追い込んだのだと、まだ気づきませんか?」
斬、と。
あまりにも無慈悲な言葉が真正面から僕を斬り付ける。頭では既に理解はしていたはずなのに、実際に他人から指摘されると重りとなって圧し掛かる。分かっている。分かってはいる。ただ、心が追いつかない。
僕の様子を見てか、少し申し訳なさそうに頭を下げる海未。
「すみません、兄さん。言い過ぎたかもしれませんが、分かってほしいのです。私は兄さんにも、穂乃果にも傷ついてほしくない。我儘なのは重々承知ではありますけれど、貴方の妹として、そして穂乃果の幼馴染として、被害を最小限に抑えたいのです」
「……うぅん、海未が謝ることはないよ。だって、海未は僕や穂乃果ちゃんのことを考えて行動してくれているんでしょ? だったら、何も悪くない。むしろ、僕が感謝しないといけないよね。ありがとう、海未」
顔を伏せる海未を慰める様に、ポンと頭を撫でてやる。昔から、彼女はこうすると喜んでくれた。本人は恥ずかしがって否定はするが、甘えん坊の海未らしいとは思う。現に、今も顔を真っ赤に染めてはいるものの、にへらとだらしなく緩み切った表情を浮かべている。
「……そういうところがずるいのですよ、兄さんは」
「どこがどうずるいのさ……」
「なっ、なんでもありませんっ。私もお風呂に入ってきますから、兄さんも早く済ませてくださいっ」
「あ、うん。それもそうだね」
ぶんぶんと首を振って女湯へと走り去っていく海未を見送り、僕も脱衣場へと向かう。草太はいつの間にか先に入っていたようで、銭湯染みた籠の中に服が入れられていた。どこからどこまでも別荘っぽくないレイアウトに頭が痛くなるものの、細かい個所を気にしていてはキリがないので僕も草太の元へと向かう。
露天になっているらしく、扉を開けた先には開放感あふれる大自然の景色。湯船もいち家庭のものとは到底思えない程に立派で、おそらくはµ’sメンバー全員で浸かっても問題ない程の広さだ。西木野家はこの別荘をパーティ会場にでも使う気なのだろうか。
「おー、やっと来たかラノベ主人公くん」
「どつくぞハゲ」
「そんだけ悪口言えるなら少しは気分も戻ったみたいだな」
「お陰様でね……」
ニシシと腹立たしい笑みを浮かべる悪友に罵倒を返しながら湯船にイン。少し熱めの温泉が全身に染み渡る。今日一日で溜まりに溜まった疲労が一気に解消されるようだ。
「あぁぁぁぁ……生き返るぅぅぅ……」
「呑気かよ」
「ようやく一息つけた人間の前でよりにもよってそれか」
「他人事だからな。正直な話、お前さんの悩みなんて最初っからどうでもいい」
「高校時代からの同級生に向ける言葉だとはとても思えないね……」
いっそ清々しいくらいに突き放されているが、不思議と嫌な気持ちはしない。僕と草太は昔からこんな感じに雑な付き合いをしてきたからだ。馬鹿みたいな事で喧嘩して、馬鹿みたいな事でいがみ合って。海未からは「なんで二人が親友なのかまるで分かりません」と真顔で言われたこともあるけれど、僕からしてみれば、いつもべったりくっついているのが親友の定義という訳ではないと思う。
ちら、と隣で髪の毛の代わりにタオルを頭に乗せたイケメンに視線を向ける。
「なんだよチラチラ見て。俺は男に言い寄られる趣味はないぞ」
「僕だって別に草太の裸には興味ないよ」
「へぇそうかい。そんなノンケの空良にひとつ、俺からのありがたいお言葉だ」
「なにさ」
「お前がどんだけ馬鹿しでかそうが、俺はどんな時だってお前に悪口ぶつけてやるよ」
「……なんだよそれ。バッカみたい」
お互いに目を合わせることはせず、同時に大きく息を吐く。そして、次の瞬間には顔を見合わせて笑っていた。温泉の効果もあってか、想像以上に心が落ち着いた。
……僕と草太がいつまでも親友やっていられるのは、「こいつだけは離れない」という絶対的な確信があるからだと思う。
どれだけ最低なことをしても、どれだけ友人達から軽蔑されても、草太だけはいつまでも変わらずにいつも通りの悪口を言ってくれる。まったく変わらない関係性でいてくれる。それがどれだけ希少で、どれだけ有り難いものであるか。過去に裏切りという形で大切な人を失った僕にとって、彼のスタンスは相当に貴重だ。そして同時に、こいつが親友でよかったと切に思う。
本人に言ったら調子乗るから絶対言わないけど。
「まぁしかし、なんだ。女難の相が出ているとはいえ、お前も大概苦労するよな」
「半分以上自分のせいだから何とも言えないんだけど、そろそろ決着付けなきゃとは思うよね……」
「変に相手に気ぃ遣うのはお前の悪いところだから、決める時はちゃんとバッサリ決めた方がお互いに被害少ないことは分かっとけよ。お人好しも行き過ぎればただの嫌な奴だからな」
「……分かってるよ。さすがに、今回ばかりは周囲に甘えてばかりもいられない。僕は僕なりに、頑張ってケリをつけるつもりだから」
「そーかい。にしても、ハイポテンシャルブラコン妹にツンデレお嬢様、そんでもってヤンデレ入った後輩幼馴染ときた。そんじょそこらのギャルゲー顔負けのラインナップだなこりゃ」
「滅茶苦茶楽しんでいる気がするのは、もしかしたら僕の気のせいじゃないね?」
「当然。さっきも言っただろ? 俺はお前の悩みなんてどうでもいいってな」
「凛ちゃんに蹴られて死ねばいいのに」
「そっちこそ真姫ちゃんにメンタル殺されても知らねぇぞ」
それは結構日常的に起こっているから罵倒にもなっていないよ、草太。
あまりにもいつも通り過ぎて馬鹿らしくなってきた僕らはそのまま景色を楽しみながら温泉を堪能する。人気が全くない大自然の息吹を全身に浴びていると、ふと柵の向こうから聞き覚えのある声が届いてきた。誰のものか、なんてわざわざ予想するまでもない。そもそも、この近くに僕達以外の人間はあの9人しか存在しないのだから。
「それにしても、やっぱり花陽ちゃんのおっぱいは大きいやんなぁ」
「も、もー! やめてよ希ちゃぁ~ん!」
一瞬草太の身体が強張る。やけにはっきりと聞こえた声に視線を向けると、柵で隔たれた向こう側から聞こえてくるらしい。そういえば脱衣所の入口も隣り合っていたっけか。さっきまで二人して黙っていたから、女湯の声が妙に響いているらしい。
変な空気に包まれた僕達は、何故か一言も発さずに女子勢の声に耳をそば立ててしまう。
「そう言ってる希も相変わらず凄いわね……服の上からでも相当だったけれど、生で見ると迫力が……」
「う、ウチのはえぇやん。それよりも……ほらっ、真姫ちゃんも! 発展途上とは思っていたけど、結構よさげちゃう?」
「ちょっ、希!? やめっ……やめなさいよー!」
「!?!?!?!?!?!?」
「落ち着け空良。せめて日本語を話せ」
唐突に聞こえてきた真姫ちゃんの成長期実況に全僕が阿鼻叫喚。なんだ、柵の向こうでいったい何が起こっているんだ!?
混乱する僕と焦燥する草太を他所に、µ’sの会話は一際盛り上がりを増していく。
「穂乃果もまだまだこれからって感じだけど、実際どうなの?」
「えへへー。実は空良くんに見せる時の為に、食生活と運動、体操は欠かしてないのさっ」
「は、破廉恥ですよ穂乃果ッッッ」
「わ、私だって、穂乃果に負けないくらい……ゴニョゴニョ」
「あっれ~? 真姫ちゃん顔真っ赤にしてどうしたのぉ~?」
「に、にこちゃんうるさいっ! な、なんでもないわよっ!」
「あばばばばばば」
「そ、空良ぁーっ! しっかりしろ、傷は浅いぞ空良ぁーっ!」
あまりにも心臓に悪い会話と長風呂によるのぼせで意識が遠のいていく。草太が慌てて僕を抱えて脱衣所へと運ぼうとしているが、なんかもう色々と限界だった。女性恐怖症とはまったく関係のない事情で意識を失うのはいつぶりだろう、とか割かしどうでもいいことを考えつつ、闇の底へと沈んでいく。
こちらの騒ぎに気が付いたらしい真姫ちゃん達から心配と不安の声が聞こえるものの、詳細まで聞き取ることはできない。格好的に助けに来てもらうわけにもいかないし、むしろ来られても困る。ただでさえ弱い僕の心臓が破裂しかねない。
晩御飯までに目が覚めればいいなぁなど脳裏に浮かべながら、大自然をバックに僕は意識を手放した。
今回も読了ありがとうございます。
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