人生に理不尽は付き物とは、誰が言った台詞だっただろうか。
「兄さん。こちらの子が、以前からお話ししていた西木野真姫です。実際に面と向かって接するのは初めてですよね?」
「う、海未……? 待って、兄ちゃん状況がまったく掴めないんだけど……」
「それは今から説明しますから、とりあえず紹介を聞いてください」
海未先輩が私の名前を呼びながら、目の前の冴えない風体の大学生に紹介を始めていた。どうやら、この人は先輩のお兄さんであるらしく、以前音ノ木坂で遭遇した時も、先輩に弁当を届けていたのだとか。妹想いの良いお兄さんじゃない、と感心する。
――――と、ここまでは別にいいのだ。問題は、どうして私が園田道場まで連れてこられているのか。そして、少し離れた物陰から興味津々に覗きを敢行している野次馬四人組をどうやって始末するか、の二つに尽きる。お兄さんもなにやらテンパった様子であたふたと慌てふためいているけれど、かくいう私も正直どうすればいいのか分からないでいた。海未先輩は何を思って私をここに連れてきたのだろう。
もちろん、ここに至るまでの経緯というのは存在する。ニヤニヤしながら「ファイトだにゃ!」とか無責任かつ意味不明なエールを送ってくる凛の粛清方法を考えながら、つい数十分前のファストフード店の会話を思い返すとしよう。
☆
きっかけは、海未先輩の一言だった。
「真姫。その音楽プレイヤーは貴女が拾ったのですから、真姫が直接兄さんに渡してください」
「……は?」
ポテトを抓んでいた手が止まる。私の隙を見て食料の強奪を目論んでいた穂乃果先輩と凛を眼光で射貫いて行動不能にしつつ、なんか急によくわからないことを言い出した海未先輩に向き直る。
「いや、だってそれ先輩のお兄さんのものなんでしょう? だったら、先輩が直接渡せば全部解決するじゃないですか」
「そうはいきません。こういうのは張本人達が直接関わってこそ真の解決と言えるのです。私を介して終結させるのは道理が通りません」
「前にお兄さんが私の手帳拾った時には、先輩が渡したじゃない……」
「あれは例外です。兄さんから能動的に女性に関わるだなんて不可能に決まっているでしょう」
「なんかすっごい理不尽な言いがかりつけられている気がするわ……」
どうして前回は良くて今回は駄目なのか、正直理解に苦しむ。話を聞く限りだと、そのお兄さんとやらはとある事情から女性恐怖症で、女性と関わることが難しいとかいう事だけど……でも、それならむしろ私が関わらない方がいいんじゃないだろうか。
思った通りに告げると、先輩はやや申し訳なさそうに眉根を下げる。
「無理を言っているのは承知しています。ですが、これは良い機会だと思うのです。兄さんの女性恐怖症を治療するための第一歩。せっかく私や穂乃果、ことりといった身内ではなく、まったく関係のない他人の女性と関わる機会ができたのです。これを生かさない道理はありません」
「いや、でもそれ私にはまったく関係のない話だし……」
「お願いします、真姫。勿論ただでとは言いません。私にできることならば可能な限り行います。だから、兄さんの為にも……!」
「う、うぇぇ」
テーブルが焦げるんじゃないかってくらいの勢いで頭を擦りつけて頼み込んでくる海未先輩に混乱してしまう。そ、そんなに必死にお願いされちゃうと、なんか私が悪者みたいな感じになっちゃうじゃない。
まるで我が事のように全力で頭を下げる先輩。そのお兄さんとやらのことが相当好きなのだろう。妹からここまで愛されて、随分贅沢なお兄さんね。あの我が強い海未先輩ががノータイムでお願いしてくるなんて、今まで見たことがない。
あまり気は乗らないけれど、ここは私の根気負けかな……。
「か、顔を上げてください先輩。分かりました、分かりましたから」
「と、ということは聞いてくれるのですね!」
「え、えぇ……正直、私が行ってどうこうなるとは思えないけれど」
「ありがとうございます、真姫!」
「ひゃっ」
完全に根負けした私が承諾を伝えると、先輩は弾かれた様に顔を上げて私の両手を掴んでぶんぶん振り回してくる。クールで冷静な印象を受ける先輩だが、意外と感受性豊かで熱い性格なのかもしれない。肉親とはいえ、他人の為にここまで一生懸命になるのはそうそう簡単な事ではない。
そして、そこまで想ってもらえるお兄さんとやらがどんな人なのか、少し気になってきたというのも事実だ。実際に以前学生手帳を拾ってもらっているわけだし、お礼を言うついでに見てみるのもいいかもしれない。海未先輩がここまで親身になれるのだか、相当に良い人なのだろう。男性というものにあまり慣れてはいない私だけれど、まぁどうにかなるでしょう。
☆
そんなこんなで、現在に至る訳ではあるのだが。
「だ、駄目だって海未……話せるとか話せないとかじゃないんだ。そもそも向かい合えない……」
「気持ちは分かりますし怖いのも重々承知ですが、相手はお礼を言いに来ているのですからここは礼儀を重んじないと……それに、兄さんの落とし物も拾ってくれているのですよ? お礼の一つくらいちゃんと言ってください」
「うぅぅ」
壁の方に向いてしまったきり動こうとしないお兄さんを海未先輩がなんとか連れ出そうとしているものの、効果があるようには思えない。女性恐怖症だとは聞いていたものの、私が想像していたよりも遥かに重度の症状であるようだ。せいぜい女性が苦手くらいのものだと思っていたのだが、まさかコミュニケーションを取ることすら難しい程だったとは。
完全に置いてけぼりにされている私は正直どうすればいいのだろう。まだ会話の一つもできていない以上、勝手に帰るわけにもいかない。かといって、このまま待機して会話ができるとも思えない。
「これどうすればいいのよ私……」
「ほらほら真姫ちゃん! 自分からどんどん話しかけないと!」
「無理言いますね穂乃果先輩。ていうか、そこで野次馬している暇があるなら仲介の一つでもやってくださいよ」
「えー、なんでそんなめんどくさいこと」
「穂乃果先輩?」
「わ、わかったよー。クッションするからそんなに怒らないで真姫ちゃーん」
完全に野次馬根性丸出しだったµ’sのリーダーを力いっぱい睨み付け、舞台の上に引き摺り上げる。さっきから面白がってニヤニヤしているのが少々気に食わなかったのだ。先輩はお兄さんとは幼馴染であるらしいし、会話の手助けくらいにはなるだろう。
「ま、真姫ちゃん怖いにゃー」
「り、凛ちゃん! あんまり余計なこと言うとまた睨まれちゃうよ!」
相変わらず一言多い凛は後で一発殴っておくことにしよう。
溜息をつきつつ、改めて園田空良さんの方を見やる。未だに壁に貼り付いているが、観念したのか横向きではあるけれども視線はこちらを向いていた。顔を真っ青にして全身震えているのがとても痛々しい。本当に、女性が怖いのだろう。
……正直に言って、見た目は普通だ。やや中性的ではあるけれども、平凡という印象が強い。海未先輩がはきはきしていることもあって、相対的になよなよして見える。草食系男子、という表現が似合うだろうか。普段がどうなのかは不明だが、相当気が弱いように思えた。女性恐怖症とはいえ、海未先輩の尻に敷かれている感が凄い。
「ほらほら空良くぅーん! せっかく真姫ちゃんがわざわざ来てくれたんだから、勇気出して一歩踏み出そうよー!」
「お、女の子とどう接すればいいかなんて分かんないよ! そ、それに、僕なんかと話したい稀有な女性なんかいないって!」
「うーん、恐怖症以前に卑屈すぎるよー……」
穂乃果先輩が頑張って会話を始めようとはしてくれるものの、いまいち効果は見られない。本人的にはやむを得ないと言ったところなのだろうが、ここまでウジウジされると逆にイラッとしてきた。なんだろう、放っておけないというか、この人の根性を叩き直したいというか……とにかく、段々と腹が立ってきた。
いつまでも動かないお兄さんに苛立ちを覚えた私はいきなり立ち上がると、おそらくむすっとした表情のまま彼の元に歩いていく。
「えっ? あっ……えぇっ!?」
「ま、真姫? どうしたのですかそんな怖い顔で……」
「……園田空良さん、って言いましたよね?」
「ひゃ、ひゃい……」
「ま、真姫ちゃん?」
唐突に動き出した私を心配そうに見つめる先輩二人。物陰に隠れている残り三人も様子を見守るように口を噤んでいる。私に見下ろされている空良さんに至っては、ライオンを目の前にした草食獣のように涙目でぷるぷる震えている始末だ。その女々しい姿にまた一つ怒りのボルテージが溜まる。自分でもどうしてここまで苛立っているか分からないくらい腹を立てていた。なんというか、気に入らない。
「女性恐怖症っていうのがどういうものか私には分かりませんし、大変なんだろうな、とは思います。その様子だと、今までも相当苦労してきたっていうのもなんとなくだけど察せます」
「…………」
「何が原因だとか、そういうのも私は知りません。そして、こういうことを部外者の私が言うのもお門違いだってことも分かってはいます。でも、これだけは言わせてください」
空気が静まる。変な緊張感が場を包んでいた。自分でもなんでこんなことを言っているのか分からない。でも、言わなくてはいけないと思った。たとえこの人に嫌われようとも、初対面だとしても、私は彼に言わなければならないと思った。
心の中で海未先輩に頭を下げつつも、目の前で怯えたように私を見る空良さんを睨み付けると、内心の苛立ちを隠すこともせず、真っ直ぐ言い放つ。
「海未先輩がそこまで気遣ってくれているのに一歩も踏み出そうとしない空良さんは、相当格好悪いですよ」
「真姫!」
「……すみません、私帰りますね」
我ながら失礼なことを言っている自覚はあった。初対面の相手にこんなことを言われて怒らない方がどうかしている。海未先輩が顔を真っ赤にして怒鳴ったのも当然だ。実の兄を悪く言われて怒らない訳がない。
気まずいなんてものじゃなかった。自分でもどうしてあんなことを言ってしまったのか未だに分からない。話したこともない人を相手に何故あそこまで苛立ったのかさえも不明だった。
ただ、どうしてか、この男性の情けない姿だけは見たくないと思ったのだ。
鞄を取り、足早に部屋を出る。その際にことり先輩や凛、花陽が不安げな顔で私を見ていたが、苦笑交じりに微笑みかけるとそのまま部屋を後にした。海未先輩には明日謝ろう、と決心しつつ園田家を出る。取り返しのつかないことをした自覚はあったが、今更どうしようもなかった。願わくば、海未先輩に嫌われないことを祈るしかない。
物凄くもやもやした気持ちを胸に抱えながら家に帰る。何故だか分からないが、あのどこまでも情けない男性の姿が脳裏から離れることはなかった。
今回も読了ありがとうございます。
初期のナルシストギャル系真姫ちゃん可愛すぎひん?