・夕立をうる(至言)
「んー……あっ、ぽい?」
いつものように近海の警備にあたって、いつものように工房のボスである工作艦「明石」が艦隊の最終的な点検を行っている。
夕立が真っ先にチェックされたのも、いつもの事だ。駆逐艦であるためあまり手間がかからない事、といって後にすると待っている間にそわそわと落ち着きがない事、点検が終わり艤装が済めば戦意に溢れ大人しくしているようになる事など、そうなる理由がいくつかあった。
だからその時、工房の隅で物陰から提督が姿を見せた時も、こてんと大きく首を横に倒して、どうしたのかしら、と思うに止まった。これが出撃前でなければ、あるいは掃除機と戦う子犬のようになっていただろう。
提督は目深に被った軍帽の下でにっこりと笑い、人差し指を立てて「しーっ」といってきた。
そのままこいこいと手招きされたので、とことこ歩いていく。
すぐそばに立つと、提督が嬉しそうな笑顔のままもう一度指を唇に当てたので、夕立も声は出さずに(てーとくさん?)と口をぱくぱくさせて聞き返した。
「これを。持っていきなさい……おっと。乱暴にするなよ。そうだ、いい子だ」
「ぽい?」
そういって、提督から手渡された包みは丁度、夕立の手のひらの上に収まるくらいの大きさで、まだほんのりと温かかった。
「間宮が握ってくれたんだ。戦闘糧食だ。具は何だったかな……五目だったか。大丈夫か、嫌いじゃないか?」
「ん! 好きっぽい!」
「そうか。よかった。頑張ってきなさい。よしよし、いい子だ。さっ、早く戻れ。みんなには内緒だからな」
「ん。しーってするっぽい!」
「ああ、そうだ。しー、だからな」
「んー! んんー!」
二人で顔を合わせて「しー!」と言い合った。
夕立はぴょんぴょんと跳ねて何度も頷いた。その度に、背中の装備の50口径12.7cm連装砲2基4門に1基門、40mm単装機銃2基、61cm4連装魚雷発射管2基8門、爆雷投射機などが、がしゃんとなった。
「提督さんのためなら、夕立、どんどん強くなれるっぽい!」
・大和さんは背がべらぼうに高い
「あ? 抱っこ? 俺がお前に?」
提督は胡乱げな目をしていた。
それを見た大和は、気持ちがしおしおとしぼんでいくのを感じた。どうしてこんな事を言い出したのかしらと、早くも後悔していた。
だって、提督が、何でもしてくれるって言ったのだ。冬イベで珍しく活躍したからって……。
だけどそれにしたって、限度というものがあったのだ。きっと。
暗黙の一線を、自分は考えなしに踏み越えてしまったのだ。そんなだから、世間知らずのお嬢様だと言われるのだ。後から着任した艦に先輩風も吹かせられず、いつまでたっても舐められっぱなしで、陰で御殿だとかホテルだとか言われるのだ。練度ばかり一丁前で、演習番長で、動かすたびに鎮守府が傾いて……。
大和はうつむいたまま、顔を上げられなかった。
背中に嫌な汗をびっちょりかいて、ただただ、この場から逃げ出したいと思っていた。
「いえ、あの……やっぱり、いいです。ご迷惑でしたら、ぜんぜん……」
「まあ、いいよ。ほら、こい」
「わ……私なんかが、こんな事言っても、全然、可笑しいですよね。提督よりもおっきくって、可愛くもなんともないのにこんな……へ、ヘンですもんね」
「否定はしないが」
「わ、私なんて全然、み、魅力ないですもんね。こんなうすらでっかくてただ立ってるだけで邪魔だとか言われて、ひ、被弾する時が一番大きさ生かしてるとか言われてて、気を付けてないと鳳翔さんのお店の暖簾に頭ぶつけちゃうし、み、みんなとお買い物に行っても私のサイズだけ全然ないし……。だいたい、提督は駆逐艦好きの口先だけのロリコン野郎だから、そもそも、大きくったって何とも……」
「は?」
「えっ?」
提督は胡乱げな目をしていた。
大きく腕を広げていて、まるで誰かを抱きしめようとしているみたいなポーズだ。
ちょっと疲れたように、腕が少し下がる。
「構わない。遠慮するな、ほらおいで」
「で、では……失礼を、します」
見かけばかり立派だが最近駆逐艦などが飛び込んでくるとよく軋む安物の提督の椅子に、膝を揃えてお尻からちょこんと腰掛けた。本人からすれば「ちょこん」というつもりだったが、少女らしい意識と動作とは裏腹に、大和という艦が、明石の工房でも低いところへ片っぱしからごつんごつんと頭をぶつけるせいで徐々に工房の縦の空間を高くとらせつつある張本人であるので、危うく椅子ごと二人ともひっくり返りかけた。がちがちに緊張していたし、気恥ずかしさからか碌に後ろも見ないまま尻を突き出したためだ。
提督は頭に手が届かない事に密かに戦慄していた。背中しか見えないが、とりあえずお腹の方を抱きしめる形になった。
「も、もっと、ぎゅってしてもらえませんか?」
「お、おう」
「あ……な、なんだかいいですね……。あったかくて、駆逐艦の子たちがやってもらう気持ちがわかる気がする……あの、もう少し包み込むような感じでお願いできますか?」
「もっとだな? ま、まあ任せろ」
「あ、ちょっと、それっぽいBGMをお願いできますか? Coldplayとかでお願いしますね」
「こいつ割りとずぶといな……」
駆逐艦たちが(時には空母や戦艦連中も!)出撃や遠征の終わりに、提督のきまぐれが向いた時、こうして構ってもらっているのは知っていたし、大和はそれがどこか羨ましかった。それらには物理的に大きな隔たりがあった。大和にはああまで無邪気に接する事などできなかったし、紅茶を致死量寸前まで飲む気にもなれなかった。
けれども、こうして提督と手を繋いで、目は合わさずともお互いの繋がりを感じて言葉を重ねていると、どこかひどく懐かしく思った。子供が母に可愛らしいわがままをつきつけているようだった。守られているという実感があった。
「もう……っ! いったい、どこをおさわりのつもりです……?」
「何もしてねーよ。そっちだそっち、そんなにうろちょろするなって。ほら、動くーなー」
「だ、だめですって……誰かきちゃいます……!」
「暴れるなよ……暴れるな……」
子犬同士のじゃれ合いのような時間は、提督がうんざり顔を隠さなくなるまでしばらく続いた。
部屋の扉がやや大げさに叩かれ、「しれーかん! ご在室かしら?」という鈴の転がすような声がした時には、大和はすっかり満足げで、心がぽかぽかと満たされた気分になって、上機嫌でそれに返事をした。
提督は痺れた脚を揉んでマッサージをしていた。
「失礼するわ……ご機嫌よう、大和さん。ふたりとも、忙しかったの?」
「おはようございます、暁さん。ふふ。いいえ、大丈夫ですよ」
「う? 大和さん、なにかいい事でもあったの?」
「そうでしょうか? ええ、そうかもしれませんね」
そういったやりとりののち(提督はこういった些事の前後にあまりこだわらない)、暁は凛々しい声で上官に挨拶をした。駆逐艦姉妹の長女たるにふさわしい姿だ。反対に提督はどこかのっそりとしていた。猫にでも出くわしたようだった。それを見て、暁はだめだめな提督の分まで頑張らないと!と思ったかは定かではないが、改めて胸を張った。
暁の報告はいつも通りだった。最後に提督の前にずずいっと出てきて、むふーと肩肘張るのもいっしょだ。いつも通りでないのは提督で、腰掛けたままぼうっとしていたが、大和に肘でつっつかれて「ああ」と立ち上がった。普段なら大和もこんな事はしない。
提督の可愛がり方はレディにふさわしいものではないわ、といつも暁は文句を言うが、そのわりに脇へ腕を差し込まれてもとくに目立った抵抗はしない。
普段なら抱きしめて頭でも撫でてそれで終わりだ。けれど提督は「んー?」と首を傾げて、大きく暁を抱え上げて、右に回して、左側を覗き込んで、二三度揺さぶるようにした。
そして提督は、暁をそっと床に下したあと、こっそりとつぶやくように、小声で、
「大和ってホントびびるぐらいでかいな……」
といってから、額の汗をぬぐった。