同日未明。
俺は黒曜ランドに来ていた。戦う事を決めてからなんと数時間での決行だった。
巧遅は拙速に如かず。諺にもなるこの言葉は語らずとも至言である。
罠に計略、いいじゃないか。卑怯姑息、何とでも言うがいい。俺の
ジャリと、土を踏み歩く。
廃墟となったここが不良ではなくマフィアの溜まり場になっているとはまさか誰も思うまい。現時点では、超常の力、総てを知る直感を持つ俺だから知り得たにすぎない。故に裏返せば、六道骸もこの奇襲を予期できる筈がないのだ。
「──って訳で初めましてだな、六道骸くん?」
骸の元へ直行した俺は、そう声をかける。
残りのその他諸々は放置して来た。全員が全員、骸の様な傑物ではない。盤上に黒のキングは二駒も存在する事は稀であり、想像通りに残りの人員が骸の
「ええ初めまして沢田綱吉。……クフフ、まさかこんなに早く来客が来るとは思いませんでしたよ」
チェックをかけられても尚、微塵も動揺せずに答えられた。ならば骸にとってこの程度は詰み足り得ないのだろう。
「悪りぃな、チェスではいきなりキングを取りに行くタイプなんだ」
「なるほど、それはまだルークに守りを固めさせていなかった私の落ち度でしょう。────ですが、そう易々と取られるキングだとでも?」
そして貴方もまた王であるのなら、敵陣に特攻するのは悪手ですよ?
その言葉を引き金となった。
吐き気を催す強烈な悪臭が鼻腔を殴る。発生源を探せば地面が急速に腐敗し、大口を開ける。
俺は反射的に跳び安全圏へ移ろうとするが、着地したそばから足場が消失、天井の梁を掴むことで何とか難を逃れた。
「……これがお得意な幻術ってヤツか」
「クフフ、地獄の果てより手に入れた力、お気に召しましたか?
そしてさようなら。術中に嵌ると言う事は五感を掌握されたという事。その意味をとくと教えて差し上げましょう!」
「なッ────!?」
掴んでいた梁が異形の怪物に変化する。
ただしそれは決して知らない生物ではなかった。暗紫色の不可測に蠢く躰。一点を無機質に見つめる硝子のような瞳孔。 八本の
俺は腕を這いずりまわる触手から逃れようと、梁を手放した。
宙に放り出され眼下の奈落へと自然落下する。
「クフフフ。……さあ、チェックメイトです」
骸の声が頭上から響く。
そうだな、確かにチェックメイトだ。ここら辺で
急に消失した地面に驚き回避行動をとった。
おぞましい化け物から逃れようとした。
そんな当たり前の行動をして、より悪い方向に作用した。そんな事がどうしようもなく────
「────安心する」
俺は真実、人間だった。
俺の人生には驚きも恐怖も存在する。それだけが知りたかったのだ。
闘争の中にこそ人間の真価が発揮される。然り、内より出でる感情がどれほど矮小であろうとも存在が確認できるだけで十分だ。
目を瞑る。
視界が闇に閉ざされ、足の裏には何の感触を感じず、それでも俺は何処にも落ちないだろう。
骸と会った時から何一つ変化していない、草臥れた床の上に立っていると直感しているのだから。
「一つ言い忘れたんだけどよ。俺って五感を奪われても平気なんだわ」
「もしや第六感ですか。噂には聞いていましたがまさか本当だとは……!」
「そういう事。今も俺は奈落に落ち続ける幻覚を見てはいるが、それを現実だとは微塵も思っていない」
「……つまり貴方は私の天敵であると」
「敗北を認めるなら今のうちだぜ?」
ゆっくりと、目を開いた。
そこにはただの廃墟が当然の如く存在している。無駄だと悟った骸が自ずから幻覚を解いたのだろう。事実、超直感が幻覚に囚われていない事を、裏付けるかのように教えてくれる。
「クフ、クフフ、何を馬鹿な事を!
得意とする幻覚が効かないのは予想外でしたが、ならば貴方にも効果のある手段を取ればいい話です」
そう言って骸は手に持っていた三叉槍を構える。
しっかりと手入れされた槍は鈍光を放ち、その構えが見た目だけのモノでなく経験に裏打ちされたモノだと感じさせられた。
「そんな吠えんなよ、犬っころ」
煽る。
「ってか幻術主体だった野郎が肉弾戦主体でやってきた俺に勝てるとでも思ってんのか? ホントにそうなら頭がめでた過ぎて腹痛くなるぜ」
煽りに煽る。
今まで理性で戦ってきた奴をキレさせて悪いことはない。キレれば動きが、攻撃が単調になるからだ。
俺はユニに無傷で帰ると約束した。だからせいぜい激昂しろや。
「ッ──この、マフィア風情がァ!
技術の差がなんだと言うのですか! 文字通り私と貴方では存在の位階が違うと教えなければいけないようですねェ!」
そうだ、存在の位階が違う。
これはリボーンと同じ所まで、俺の位階を押し上げる前哨戦なんだよ。だから、だからお前は練習台になってくれ。
そう心の中で独白し、二人は動き出した。
「クフフフ、どうした沢田綱吉! 貴方の力はそんなモノですか!?」
後半戦が
大した事ない時間ではあるが、こと戦闘中に於いての十分は永劫にも思えるほど長い。
「──こっから本気出すんだよ。テメェは黙って殴られてろ!」
俺は宣言通りに無傷で、骸のみが攻撃を受けている、だと言うのに押されているのは俺という異常な状況だった。
理由は明白。いくら殴ろうともダメージが全く通らないのだ、まるでコンクリ製の壁を殴ったかのように。
硬い。固い。とにかく堅い。殴りつけた拳からは血が滲み、このままでは腕が拉げそうだ。
「っ────と、危ねぇ」
三叉の槍は次第に鋭さを増す。骸が俺の動きに慣れてきたのだろう。余裕綽々と避けられていたのも最初の数分、遂に傷を負う、とまではいかずとも頬を掠めるまでに至る。
「どうです追い詰められる気分は?」
「最高だな。このまま死に瀕すれば俺も死ぬ気になれるかもしれないし、よッ!」
不意を見て殴る。狙い通り急所にヒット。けれどもグワンと、鈍い音を響かせるのみだった。
あーあ、ダメだ。このままでは確実にダメだ。一体全体どうしたものか。位階を上げる方法は分かってる、死ぬ気モードとやらに成ればいいんだろう。だけど死ぬ気になる方法が全くわからない。
「クフ、無様ですね。あれだけ挑発しておいてその体たらくとは」
紛うことなき事実だ。俺は何も言い返せない。
「……はぁ。沢田綱吉、貴方には感謝をしましょう。貴方のお陰で私の課題点が見えた。せめてもの慈悲です、幸せな光景の中で逝くといい」
幸せな、記憶……?
眼前の景色が消失し、視界は俺の家の中に跳んだ。
「さあ輪廻の輪へと囚われろ。そして巡りなさい」
骸が三叉槍を振り上げるのを直感した。でもそんな事はどうでもいいんだ。
幸せな景色。
幸せな記憶。
俺が最も幸福である瞬間。それが
どこかでカチリと歯車が噛み合う音がした。
「クフフ、地獄の果てから私の復讐を見届けなさい」
復讐か、マフィアへの復讐。
少なくとも、俺の周りは皆殺しになるなぁと、そこまで考えて額から火が灯った。
「あ────ァァあああああ゙あ゙!!」
熱い。
熱い、熱い熱いアツいアツい、アツい!
物理的な熱量すら伴って大空が噴き出した。噴出する灼熱の炎に総身を焼かれる。俺の身体だけでは飽き足らず炎はリノリウムの床を舐め回し融解させていく。
「何ッ────!?」
骸の焦る声がどこか遠くから聞こえる。それ以外にも、炎の猛る音、燃え尽きた建物が崩落する音、近隣の動物が尾を巻いて逃げ出す音。延長されて鋭敏に研ぎ澄まされた聴覚が、音という音を捕まえて離さない。
視覚だってそうだ。より細かくより鮮明に、今なら百メートル先を通りすぎる小鳥だって正確に模写できる。
「────、収まれッ!」
俺は骸に向けて、炎を振り払うように、無造作に腕を振った。たったそれだけで赤熱の焔は骸を呑み込もうと襲いかかる。
骸は炎を消そうと、足掻くがその総てが無駄だった。自慢の幻術も、三叉の槍も、目に刻まれた数字も、悉く赤橙に調律される。
そして、そこまで認識して、俺の意識は連続性を消失した。
気を失ってから一体何分が経っただろうか。少なくとも陽は昇り学生は登校する時間だと伺える。
「う────は、ぁッ、げほッ、」
肺の中からナニカを絞り出すように咳き込む。
ふと顔を上げるとそこには辛うじて絶命だけは免れた骸が横たわっているだけだった。彼には熱意があった。少なくとも非道を潰さんとしていた。だけどその結果がこれだ。世の常は無情、何もかもが酷く無意味で虚しい。
「……へぇ、よくやったじゃねぇか。だが酷い有様だ。制御がまるでなってねぇ」
パチパチと乾いた拍手が木霊する。小さな黒い影が
虚ろな空間から伸びた鎖が骸を連れ去るのを、俺は目を伏して見送る。
面識無い他人同士で、私欲の為に行われた諍いは、黒曜ランド全焼という形で幕を閉じた。