店の中に入ってきたのは極道者風の男二人だった。マスターの東出の様子から初見の男たちのようだ。
山尾茜と目加戸瑠津を目に留めた若い方の男が、
「兄貴、すげえ良い女が二人もいます」
と小躍りするように言った。
「さすがは、北新地だな。東北の田舎とは違うようだ」
そう言いつつ、兄貴と呼ばれた年嵩の男が、予約席の札が立てられた席に座ろうとした。茜の左隣の席である。
「お客様、そちらは予約席となっています」
マスターの東出がすかさず断りを入れた。
だが、
「予約席だと、関係ないわい」
年嵩の男が嘯いた。
「無茶を言わないで下さい」
「それなら、この席の客が来るまでにしようか」
年嵩の男は東出を見てにやりと笑うと、
「なあ、お姉ちゃんらも俺らがいた方が楽しいだろう」
茜と瑠津を舐めまわすように交互に見た。
その様子を見て、後方のテーブルに座っていた氷室が立ち上がろうとしたが、茜がだらりと下げた手を振ってさりげなく制した。無用のトラブルを避けようとしたのである。
「マスターブランデーや」
年嵩の男がそう注文して、茜に何やら話し掛けた。
さすがに最高級クラブのママである。茜は作り笑いを浮かべながら如才なく相手をした。
その間、僅かに二、三分も経っただろうか、扉が開いて一閃の風が入り込んだかと思うと、音もなく四人の男が入って来た。
そして、中でも大柄な二人の男が年嵩の男と若い男の身体をそれぞれ後ろから羽交い絞めにして、ふうっと宙に浮かせた。
年嵩の男は、何事が起ったかと、首を大きく振って後方を確認しようとした。
「な、何をするんじゃ。俺は仙台の陣内組の者だぞ」
事態を把握した年嵩の男が精一杯粋がった。だが、四人の男は無言のまま、粛々と二人を外に運び出した。
店に残された茜らは、あまりの手際の良さに茫然としていた。
特に、神栄会から派遣された三浦の驚きは尋常ではなかった。彼は陣内組と名乗った男たちが、茜と瑠津に目を付けた瞬間、携帯電話を操作し、仲間に緊急連絡を取った。一般会社のオフィスを装った神栄会の事務所が北新地の外れのビルの中にある。森岡の影護衛を任されている神栄会の組員が駆け付けるはずであった。
ところが、今の四人は見たこともない男たちだったのである。
三浦は氷室に目顔で了解を取り、店の外へ出た。
すると、祢玖樽が入居してる商業ビルと隣接するビルの間に、先刻連れ出された男たちがいた。彼らを五人の屈強な男が取り囲んでいた。どうやら頭分が下で待ち受けていたようだ。
耳を欹てた三浦に、その頭分と思しき男の声が微かに伝って来た。
「わしらは神王組本家の者や」
三浦は腰を抜かさんばかりに驚愕した。
というのも、そもそも神王組というのは、大阪の神栄会や京都の一神会のように構成員がいる実体のある組ではない。傘下組織の集合体の呼称なのである。事実、神戸竜神組組長だった蜂矢司は、その座を若頭に譲り、ほとんど身一つで本家に入っている。
つまり神王組本家とは、三代目の田原政道大親分以来、普段の住居となし、今また六代目蜂矢司が住まいする家、または蜂矢本人を指すことになる。江戸時代で言えば、徳川幕府あるいは将軍家は存在しても、江戸に徳川藩が無いのと同じである。八代将軍吉宗も紀州藩藩主の座を譲って江戸城に入来している。
それを神王組本家と言ったということは、蜂矢の直属の部隊ということなる。これまた徳川幕府で言えば直参旗本ということだ。
だが三浦は、神王組本家に直属部隊があることなど耳にしていなかった。承知しているのは、身の回りの世話をする付き人と護衛役も担う修行極道の存在だけである。彼らは、全国の神王組傘下組織から選び抜かれた極道世界のエリートたちだが、彼らの本分は組長である蜂矢の護衛であって、蜂矢または六代目姉が命じた用事以外の理由で、本家から外出することは許されていないのである。
つまりは、今眼下で陣内組の二人の相手をしているのは謎の部隊ということになった。
三浦が大きな息を吐いたとき、神栄会の組員が非常階段を駆け上がって来た。
「何事や」
事情を問うたのは、かつて森岡を拘束した若頭補佐の窪塚である。そのとき同行していた二人の大男が付き従っていた。
「先ほど、神王組本家を名乗る男たちが現れ、仙台の陣内組と思われる男たち二人を連れ出しました」
三浦はそう言って、眼下を指差した。
彼らは話が付いたようで、北新地の永楽町通りを西、つまり四ツ橋側に歩き出していた。そして、ふっと姿が消えた。窪塚らが姿が消えたと思われた場所に行ってみると、そこは高級すき焼き店スナガの勝手口だった。
窪塚らは急いで表玄関から中に入って見たが、それらしき連中はいなかった。顔見知りの支配人を問い質したが、知らないと首を横に振るばかりだった。
七人の男たちが、目の前で忽然を姿を暗ましたのである。神栄会の極道たちは何やら手妻を見たような心持ちになっていた。
祢玖樽に戻った三浦に、氷室が茜と瑠津は場所を変えることになったと告げた。
話の腰を折られたことで瑠津が言い出した。
それならばと、茜は自宅マンションに誘った。
茜は都島の高層マンションに住んでいる。三十二階建ての二十八階で、広さは百二十平方メートル、間取りは五LDKである。
室内を見渡した瑠津が、
「さすがに北新地の最高級クラブのママだけのことはあるわね」
と感嘆した。その声に皮肉の色などなかった。
「瑠津さんだってその気になれば、いつでもこれ以上のお家にお住みになれるでしょう」
茜はコーヒーをテーブルの上に置いた。
彼女は、藤波芳隆から目加戸瑠津が観世流茶道の家元を継ぐ身であると聞いていた。
瑠津はそれには答えず、
「そうだわ。うっかりしていたけど、私が長居してはお邪魔じゃないの」
と遠慮深げに訊いた。森岡が訪ねて来るのでは、との懸念である。
「心配いりませんわ」
茜が何とも言えない表になる。
「洋介さんは、今夜と明晩は北海道泊まりです」
「あら、また遠いところへ…、ということは、もしかしてまた野暮用なのかしら」
「彼にとってはウイニットの方が片手間のようで」
嫌味口調の瑠津に、茜も軽い皮肉で返した。
「なんでも、せっかくの北海道なので、皆も呼んで慰労しているみたいですよ」
「向こうも羽目を外しているというわけね」
はい、と頷いた茜が目を輝かせた。
「どうです。瑠津さんさえ良ければ、私たちも飲み明かしませんか」
「迷惑じゃないの」
「明日は土曜日ですから、私はお休みなので何も問題はありません」
ロンド自体は開店しているが、差配は全てちいママが仕切り、収支もまた彼女の責任となった。土曜の営業は、いずれ独立するちいママの学習の場でもあったのである。
「じゃあ、二人で彼の悪口でも言い合いましょうか」
「向こうでくしゃみをするほどに」
茜の無邪気な誘いに、瑠津が屈託のない笑顔を返すほど二人はすっかり打ち溶けていた。
森岡の悪口を言って共鳴しあったり、今後は姉妹の付き合いをしようと誓い合うまでに親しくなっていった。
そうした中、茜がキッチンから新しい氷を入れたボールを手に戻ってきたときだった。
突如、瑠津が意を決したように茜を見た。
「森岡君が精神の病に罹っていたことは知っているわね」
はい、と茜も神妙に答えた。
「原因も」
「本人から聞きました」
「どのように」
茜は、瑠津の意味深い声の響きに戸惑いながら、
「お母様の失踪に、お祖父様、お父様の死が重なったことが原因だということでした」
黙って肯いた瑠津だったが、その眼はまだ他にあると訴えていた。
茜も覚悟を決めたように口を開いた。
「八歳のとき、釣りに出掛けた磯で、海に落ちて溺れている幼馴染を見殺しにしたことも彼を苦しめていたようです」
だが、瑠津は意外な言葉で応じた。
「それだけ」
「えっ、他に何かあるのですか」
茜は驚きの声で訊いた。
瑠津は茜の反応に、一瞬戸惑う仕種をした。
「何かあるのでしたら教えて下さい」
「実は、森岡君の心を蝕んだ本当の原因は他に有ったの」
「……」
茜は息を呑んで次の言葉を待った。
「彼はね。自分はお父様の子ではないのではないかと疑っていたの」
「ま、まさか」
茜にはあまりに予想外の告白だった。
「洋介さんは養子ということですか」
「落ち着いて、茜さん。私はお父様の子では、と言ったはずよ」
「ああ、そうでした。ではお母様の連れ子ですか」
ううん、と瑠津は首を横に振った。それがどういう意味か茜にもわかった。彼女は、森岡の母の失踪が駆け落ちだったことを知っていた。もしかして、その男性との間にできた不義の子ではないかと想像した。
だが、茜の想像を根底から覆す衝撃の言葉が瑠津の口から漏れた。
「森岡君は、本当の父親はお祖父様ではないか、と悩んでいたの」
「……」
茜は絶句した。
瑠津は近親相姦だと示唆したのである。義父と嫁であるから血の繋がりこそないが、不道徳の極みであることに違いはない。
それでも茜は気を取り直して訊ねた。
「何か証拠のようなものがあるのですか」
「決定的なものは何もないらしいわ」
瑠津はそう言った後、
「でも、状況証拠は有り余るほどあると彼は言ったわ」
「状況証拠……」
「まず、顔がそっくりなの」
いえ、と茜は即座に否定した。今夏の盂蘭盆に帰省した折、茜は森岡家の仏壇に回向していた。その際、仏壇の上の鴨居に掛けてあった洋吾郎の遺影を見ていた。
「森岡君のお祖父様は、丸顔で目がギョロとされていたはずです」
「それは晩年のお顔でしょう。子供の頃の写真は生き写しだそうよ」
しばらく押し黙った茜は、
「でも、隔世遺伝ということだって考えられます」
そうね、と瑠津は肯いた。
「これも隔世遺伝ということで片付けられそうだけど、性格も瓜二つらしいわ」
実直、潔癖、不義不正が大嫌い、私利私欲がなく他人の世話を焼くといった点が共通している言った。
「それはお父様に代わってお祖父様に育てられたからでしょう」
「まさにそこなのよ」
瑠津は我が意を得たりという顔をした。
「森岡君はお父様と遊んだ、というよりお父様に可愛がられた記憶があまりないらしいの。反してお祖父様の可愛がりようは尋常ではなかった」
「待望の初孫、しかも嫡男誕生というのを超えているということですか」
「そういうこと」
「お父様は、それを疑っていらしたというのですね」
「だから、お母様への暴力が酷かったのではないか、と彼は言っていたわ」
「でもそれは」
「不漁の捌け口じゃあなかったのか、というのでしょう」
瑠津が茜の言葉を奪った。
はい、と茜は肯いた。
「そうじゃないらしいの。お父様の暴力はあるときを境にして突然始まったらしいの」
「……」
瑠津は戸惑いを見せる茜を他所に話を続けた。
「元はといえば、お父様がお母様に一目惚れをされて求婚なさったの。ですから、当然お母様を慈しみなされたそうよ。それが、突然……」
「お祖父様との関係への疑いがきっかけですか」
と言った茜が、
「あっ、そう言えば……」
「何か思い当ることでもあるの」
「灘屋の菩提寺の先代御住職様が仰っていたのですが」
茜は、同じく浜浦へ帰省した際に道恵から聞いた洋介の行方不明事件の顛末を話した。
「なるほど、お祖父様は蒼白となられたのに、お父様は平然をしていらしたのね」.
「洋介さんの推量が正しければ、お二人の反応の違いも理解できます」
茜は嘆息すると、
「しかし、なぜお祖父様とお母様は……」
と口走った。
瑠津は茜の疑問がわかっていた。
「お祖父様が無理強いされたということではないらしいわ」
「まさか、愛し合っておられた」
茜の声が震えていた。
「そういうことでもないらしいの」
えっ、と首を傾げた茜に、
「森岡君が生まれたのは結婚してから七年後、そしてその後は一人として生まれていない」
と、瑠津は謎を掛けた。
「それは偶然とも考えられるでしょう。お母様のお身体の具合だって……」
「お母様は、郵便配達をして一日に十キロ以上もお歩きになるほど健康な方だったの。森岡君が生まれたことでもわかるように、生殖機能に問題があったとは考え難いわ」
「言われてみれば、お母様は再婚されてすぐにお子様をお産みになっておられます」
茜は自らの考えを否定した。お盆に、浜崎屋の佐々木利二らの懇願を思い出したのだ。
「そうですの。では、ますますお父様の方に原因があったということになるわね」
「不能ということですか」
茜が気まずそうに訊いた。
「いえ。そうであれば、結婚する前にわかるでしょう」
「そうですね。となると」
「無精子病だったかもしれないと森岡君は言っていたわ」
「お祖父様はそれを知っておられた」
「最初はご存知なくても、なかなかお子さんが出来ないので、お父様が子供の頃におたふく風邪を患っていらっしゃったことを思い出されたのではないかということらしいわ」
現実には子供の頃におたふく風邪に罹っても無精子症になることはない。
大人になって病に罹り、睾丸が腫れた場合が少々問題なのだが、それとて必ず男性不妊になるというわけではない。
だが、昭和三十年代の島根の片田舎においては、そのような風聞が実しやかに流布されていたのである。
「でも、それが理由で」
茜は懐疑的な眼差しで訊いた。
現代人である彼女にすれば、相愛の他は売春か強姦以外に男女が性交に及ぶとは思えなかった。
瑠津は噛み砕くように説いた。
「茜さん、当時の灘屋は、それはそれは相当な権勢家だったのよ。その旧家のお嫁さんに子供ができないということが、どれほど不都合なことだったか。むろん、お父様に原因があるのだけれど、灘屋の総領に子供を作る能力がないことなど、世間に憚れることだったのね」
名家に生まれ育った瑠津には容易に理解できることだった。
「お母様に明確な原因があれば、おそらく離縁して新しい奥様を迎えられたのでしょうけど、もし離縁して、再婚されたお母様が子供を生んでしまわれたら、それこそお父様に原因があったと知らしめることになるでしょう」
「それでお祖父様とお母様が相談し、苦渋の決断をされたということですか」
と言った茜が、そうかと呟いた。
「洋介さんを連れて行かなかったお母様の心情が初めてわかった気がします」
「そうね。森岡君が傍にいれば、ずっとご自分の不義を後悔して生きることになるわね」
と言って瑠津が茜を見つめた。
「彼は、俺は生まれてはいけなかった悪魔の子かもしれない、と苦しんでいたの」
「悪魔って、そんな……」
茜は言葉を継ぐことができなかった。
「確かに、悪魔だなんて思い込みが激し過ぎるけど、実は彼には思い当る節があったらしいの」
「……」
「彼は、幼い頃不思議と人の心が読めたらしいの」
「霊感ですか」
「そうかもしれないわね。彼はお祖父様の胡坐の上に座って来客を見ていると、不思議と本心なのか嘘を言っているのかがわかったと言っていたわ。お祖父様はたいそう可愛がられたようだけど、親戚や村人の中には気味悪がって近づかない者もいたらしいの」
「そんなことが……でも、彼なら有り得ることかも」
「何か聞いているの」
「彼のお祖母様と曾祖母様も霊力がお有りになったらしいのです」
「なるほど、血筋ということね」
「しかも灘屋は、先の真言宗金剛峰寺の座主であられた堀部真快大阿闍梨様とは先祖が同じとか」
「本当なの」
瑠津は信じられないという顔をした。
はい、と茜は洋一の遺言書の内容を明かした。
「そうだとしたら、ますます彼に霊力があっても何の不思議もないのに、それを不義の末に生まれた悪の産物に結び付けてしまったのね」
「悲しい不幸が続きましたから、悪い方、悪い方へと考えてしまったのでしょう」
「でも、中学へ上がった頃からその力は消えたらしいの」
「霊感自体は今も消えているようですが、彼の洞察力と推理力はその名残りなのでしょう」
そうかもしれないわね、と瑠津は肯いた。
「もう一度言いますが、あくまでも森岡君の推量ですよ」
瑠津は念を押した。
茜は黙って軽く顎を引いた。
「ただ、そう考えるとすべての辻褄が合うと彼は言っていたわ」
「確かめることはできなかったのですか」
「お父様がお亡くなりになったのは、彼が十一歳のときよ。少年の彼は何も疑ってはいなかった。彼が疑念を持ったのは中学を卒業する頃だったということよ」
茜は、そうだという顔をした。
「お祖母様は? お祖母様なら、何かご存知ではなかったのではないしょうか」
ううん、瑠津は虚しい目をして首を振った。
「森岡君にそのような酷いことはできないわ。もし、お祖母様が何もご存知なかったら、唯一の肉親であるお祖母様まで苦しめることになるのよ」
「そうですね」
茜も力なく肯くと、
「彼が疑念を抱いたきっかけは何だったのですか」
と話題を戻した。
「一つは、お祖父様とお母様の不義の噂が村中に広がって、彼の耳に入ったらしいの」
「まあ……」
茜は顔を歪めた。
「幸いにも、まだ幼かったから、そのときは意味もよくわからず、すぐに忘れてしまったらしいけど、中学卒業を間近にしたある日、衝撃的な言葉を耳にしたらしいの」
「どのような」
茜はごくりと唾を呑んだ。
「卒業式の直前、坂根君のお家で同窓会が開かれたのね。そのとき彼は、酔い潰れて青色吐息だったらしいけど、誰か大人の男性の『彼が灘屋の総領さんか。さすがに若き日の洋吾郎さんに生き写しだの』という侮蔑の響きを伴った声を聞いたそうなの。軽い急性アルコール中毒症のせいで意識が朦朧とする中、そのときは夢か現かわからなかったらしいけどね。ともかく、その一言がお祖父様とお母様の醜聞を思い出させるきっかけとなってしまい、ついには己の出生に疑念を抱いたということなの」
「そして発散できないわだかまりが、彼の内面を少しずつ蝕んでいったのですね」
「そういうことになるわね」
「神村先生には、そのどん底から救って頂いた恩義があるということですか」
茜は誰に言うのでもなく呟いた。
「私はお目に掛かったことがないけれど、大変に偉いお坊さんらしいわね」
「それはもう」
と言った茜が、
「浜浦で言った言葉はそういう意味が込められていたのね」
「どういうことかしら」
「彼は故郷の浜浦に帰省したとき、お母様のご兄弟の前で、この世には血の繋がりより大切なものがあると断言したのです」
「そう、彼がそんなことを言ったの」
瑠津は森岡の心情を汲みながら、
「親子は一世、夫婦は二世、主従は三世という諺があるでしょう」
「絆の強さ、深さを現したものですね」
「これには続きがあってね。師弟は七世というの」
「つまり永遠ということですね」
瑠津が肯くを見て、
「洋介さんを見ていると納得します。とてものこと私の入る隙間がありません」
茜は苦笑いをした。そして、ふいに寂しげな目で瑠津を見つめた。
瑠津には茜の心情が手に取るようにわかった。
「心配なさらないで、茜さん。彼が打ち明けないのは、貴女を深く愛しているからなのよ。愛する女性に、自分は不義の末に生まれた子供だとは言えないでしょう」
茜は小さく頷いた。そして鳥取での夜、自身が的屋稼業の子供であること、輪姦された過去があることを告白しても、微塵も動揺しなかった理由がわかった気がした。
――彼はきっと『自分の身体にはもっと汚い血が流れている』と思っていたのだわ。
茜はそう確信した。
「それに、私に話したのは私たちが『友人以上恋人未満』だったからだと思うの」
「……それはどういう意味でしょう」
「私にとって、森岡君は単なる友人の枠を超えて何でも相談できる相手になって行ったのね。それこそ坂根君との関係も相談したわ。そのときは、ただ話し易いとしか思わなかったけれど、今になって思えば、彼はとても広くて深く、何でも包み込んでくれる心の持ち主だったのね。だから、ほとんど私の方が一方的に喋っていたのだけれど、あるとき彼がポツリと心の澱を吐き出すように悩みを打ち明けてくれたの。彼が悩みを打ち明けたのはそれが最初で最後だったけど、彼にとっても私が友人以上の存在なっていたのだと思うの。でも、私はともかく彼の方は私を愛していたわけではなかった」
「……」
茜の心は乱れた。
心から愛する人だからこそ告白できない、との瑠津の言葉に頷いたものの、唯一打ち明けられた女性を前にしているのだ。
むろん、過去の二人の関係には嫉妬のしようもないし、瑠津が嫌がらせを言ったのでもないことはわかっている。わかってはいるが、そこは女心である。瑠津は否定したが、思春期の森岡が深く想いを抱いていたかもしれない彼女を目の前にすると、やり場のない感情が込み上げて来るのである。
瑠津がいきなり茜の手を取った。
「茜さん。なぜ、このような話をしたかというとね、今は神村先生がいらっしゃるので大丈夫だけれど、もし先生の身に何かあれば、そのとき心の支えになれるのは、茜さん、貴女しかいないからなの」
その吐き出すような物言いに、瑠津の心の中には今もなお森岡が住み続けているのだと、と茜は思い知らされた。