黒い聖域   作:安岡久遠

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第六巻 決意の徒 蠢動(1)

 山尾茜と目加戸瑠津が心を通わせていた頃、森岡洋介は北海道の歓楽街である「すすきの」にいた。すすきのは東京新宿の歌舞伎町、福岡の中洲と共に日本三大歓楽街の一つである。

 実は、森岡は松江に出向いたのだが、話の成り行きで北の大地に足を踏み入れることになったのである。

 森岡が松江へ赴いたのは、相良浄光からの呼び出しに応じたものだった。

 相良は静岡大本山国真寺の御本尊の一件で、作野貫主の妄言を見抜いて森岡に協力した天真宗の若い僧侶である。また瑞真寺の御本尊にも疑念を抱き、策略を提案したのも彼だった。

 その瑞真寺に動きがあったとの報せを受けて、繁多の中、時間を割いての松江入りとなった。

 相良と落ち合う場所は松江城にほど近い、観寿庵(かんじゅあん)という老舗の蕎麦屋だった。昼食を共にしようというのである。

 松江が茶所であるのは世に知られている。松江藩第七代藩主松平治郷(はるさと)が「不昧(ふまい)」という号を持つ江戸時代の代表的茶人の一人であったため、良質の茶葉が栽培された。

 その茶葉に隠れているが、実は出雲の蕎麦も長野県の戸隠蕎麦、岩手のわんこ蕎麦とともに三大蕎麦に数えられるほど有名なのである。

 森岡は約束の時間より一時間も早く松江に到着したため、松江城周辺を散策して時間を潰した。彼は松江高校に通っていながら、この美しい城下町を観光したことが一度もなかった。文化祭に出展した映画のロケ撮影で名勝を数か所廻ったが、ゆっくりと観光する時間もその気もなかった。

 松江城北側の堀沿い、「塩見縄手(しおみなわて)」と呼ばれる約五百メートルの一角は江戸時代の侍町で、その端に小泉八雲ことラフカディオハーンの旧居が保存されている。

 森岡はその掘割沿いを歩いて観寿庵の暖簾を潜った。

「お忙しいのに、お呼び立てして申し訳ありません」

 僧衣を纏った相良は、その丸刈りの青々とした頭を小部屋に入って来た森岡に下げた。 

「いや、ちょうど良い松江見物になった」

 森岡は笑顔で応じると、

「松江高校は赤山に移ったのだな」

 と訊いた。

 赤山とは松江城にほど近い丘である。

 森岡が通った頃の松江高校は、松江城より南部にあった。

「五年前のことです。ご存じなかったのですか。森岡先輩ほどの資産家であれば高額寄付の依頼があったでしょうに」

 相良は呆れ顔で言った。

「ああ、そう言えば…」

 森岡は一千万円を寄付したことを思い出した。

 驚いた学校側から移転の記念式典に招待したいとの申し出を受けたが辞退した。

 五年前と言えばウイニットを立ち上げたばかりで時間に余裕がなく、案内状も碌に目を通していなかった。

「まずは蕎麦を食いながら話を聞いて下さい」

 運ばれて来た碗にそばつゆを落として森岡に手渡した。

「先輩はいったい何をしたのですか」

「何のことだ」

 森岡は、相良の言葉の意味をわかった上で惚けた。

「日本仏教会事務局から正式に瑞真寺の御本尊を出展するよう要請があったようです」

「そうか」

 森岡は平然として聞いた。禅宗系道臨宗の大本山太平寺の宗務総長は、疑義も抱かずに丹羽秀尊管長の命に従ったということになる。

「まさか、本当に道臨宗の上層部にも人脈をお持ちとは、呆れて物も言えません」

「なに、菩提寺が道臨宗なだけだ」

「お言葉を返すようですが、それは解せませんね」

 相良は穿った目で森岡を見た。

 相良の疑念は無理からぬことだった。彼は、森岡の故郷である浜浦が自坊のある浜田の村と大差ないと知っていた。

 したがって、そのような小さな村の末寺の住職と、道臨宗の上層部との間に交誼があるとは思えなかったのである。むろん、園方寺の先代住職道恵と当代の道仙が、共に権僧正という田舎の末寺の僧侶としては破格の僧位にあることを知る由もない。

「お前が納得しようとしまいと、それだけだ」

 森岡はその話に蓋をするように言い、

「本題に入れ」

 と急かした。

「やはり、思った通りのようです」

「瑞真寺の御本尊は不在なのだな」

 相良は、それには答えず、

「どうです、これからそれを確かめに北海道へ行きませんか」

「北海道だと? また突拍子もないことを……」

「あれ、森岡先輩でも驚かれることがあるのですね」

 相良は大仰に言ったが、そこにからかいはなかった。

「一度訊きたかったが、お前は俺を何だと思っているのだ」

「松江高校出身者切っての傑物ですが」

 森岡は呆れ顔になった。

「何を言っている。長い歴史と伝統を誇る我が校からは、竹山首相はじめ大政治家を何人も輩出しているのだぞ。いや政治家などと比べなくても、毎年多くの秀才を帝都大学に送り込んでいるし、現にウイニット(うち)の坂根好之の方が落ちこぼれだった俺よりずっと上だ」

 相良は、それは違う、と何度も顔の前で手を左右に振った。

「成績の上はそうでしょうね。でも、私が言いたいのは人間としての器の大きさです。もちろん、坂根先輩の秀才ぶりも伝説になっているほどですが、政治家は別として、私たち後輩の間では森岡先輩が一番の憧憬の的なのです」

 ふん、と森岡は鼻で笑った。

「こんな俺のどこに憧れるのだ」

「生き様です」

「生き様だと……一端の坊主みたいなことを言うな」

「むろん一端ではありませんが、これでも坊主の端くれです」

 相良は悪びれずに応じた。

「俺の何を知っているというのだ」

「先輩はご存じないようですけど、高校時代の先輩のことは、伝説として語り継がれていますよ」

「……」

 森岡は首を傾げた。

「映画ですよ、映画」

「映画って、あれか」

「先輩と目加戸家の御令嬢が共演されたあの映画、実は先輩が卒業されてから、文化祭では毎年特別に上映されているのです」

「誰がそんなことを」

「植島先輩ですよ」

「あいつがなぜ」

 植島というのは、文化祭に映画作品を出展しようと言い出した張本人で、脚本、撮影、監督の三役を熟した同級生である。現在は念願適って映画会社に就職していると承知していた。

「先輩たちの映画が好評だったのはご存知ですよね」

「まあな」

 事実、森岡らの制作した映画は絶大な好評を博した。初めは教室で上映していたが、あまりの反響に急遽、数倍広い柔剣道場に場所を移したほどだった。

「先輩たちが卒業された後、真似る後輩たちが続出したのです。夏休みになると彼らは一様に、植島先輩の許に出向いて指南を仰いだのですが、すると先輩は決まってあの映画を材料に手ほどきをされたのです」

「だからといって、あの映画だけで俺の何がわかる」

「わかりません。ですが、どのような人物なのか興味は湧きます」

「俺にか、目加戸さんではないのか」

 はあ、と相良は嘆息した。

「先輩は、他人のことは千里眼でもご自身のこととなるとからっきしですね。良いですか、あの映画での存在感は目加戸家のご令嬢の比ではありません。私のような門外漢が言うのもどうかとは思いますが、先輩は俳優になっても成功すると思います」

 相良の指摘は的を射ていた。神村のことになると、という条件付きながら、同様のことを坂根好之からも言われたことがあった。

 作品は悲恋物語だったので、坂根秀樹との恋愛真っ只中の目加戸瑠津より、不幸を絵に描いたような境遇にあった森岡の方が印象深かったのかもしれない。

「先輩には、まるでアイドルのようにファンクラブまで結成されたというではありませんか」

 確かに校内を歩いていると、目を輝かせながらひそひそ話をする女生徒の視線を感じるようになった。上級生になると、下級生の間にも広まったほどだという。

 後年行われた同窓会で、誰かがそのようなことを言ったので、なるほどと得心した記憶があった。

「そのうち、良くも悪くも名物教諭だった藤波先生との交誼や、なぜか用務員と親しくなり、昼休み時間は用務員室でくつろいでおられたこと、親友である坂根先輩のために悪名を轟かせていた上級生と直談判して、屈服させたというではありませんか」

 明日に希望が持てなかった森岡にしてみれば、ただ己の欲するままに淡々と生きていただけであったのだが、不良上級生だろうが名物教師だろうが、何者にも媚びない姿勢がクールに映っていたということらしい。反対に、森岡はどのような人物であろうと見下すこともなかった。

 ここで相良の語調が変わった。

「ああ、あの用務員ですがね。後でわかったことですが、とんでもない人物でしたよ」

「やはりそうだったか」

「気づいていましたか」

「お互いに詳しい身上は黙っていたが、用務員にしては『気』が違ったな」

 森岡は、幼少の頃より祖父洋吾郎の胡坐の上に座りながら、多くの要人と接していた。肌に感じる用務員の気は、彼らと同質かそれ以上だった記憶していた。

「誰だ」

「白仁田邦夫氏です」

「白仁田、どこかで聞いた名だな」

 森岡は遠い記憶を辿った。そして三十年もの昔の若い面影が浮かんだ。

「唐橋大蔵氏の秘書だった人だな」

「名前だけでわかりましたか」

「いや、幼い頃何度か会っている。当時は思い出せなかったが、名前を聞いて記憶が重なった。

――なるほど、俺が灘屋の身内と知って良くして下さったのか。

 詳しい身上は話していなかったが、名前から悟ったのだろうと思った。森岡は高校時代を想起し、何かと親身になってくれた厚情に心の中で手を合わせた。

 唐橋大蔵は政権与党の重鎮だった。

 森岡の祖父洋吾郎とは長年の盟友で、洋吾郎は島根半島界隈の票の取り纏めに尽力していた。だがトンネル工事の陳情に絡み、島根の首領である設楽幸右衛門基法の子飼いで、後に首相を務めた竹山中との板挟みに遭い、不本意ながら唐橋大蔵を引退に追い込む結果を招いていた。

 白仁田邦夫は唐橋大蔵の政策秘書として辣腕を振るっていた切れ者秘書だった人物で、唐橋に随行して灘屋も訪れていたのである。

「何度か会っているですと……さすがは島根半島界隈随一の旧家ですね」

「そんなことまで知っていたのか」

 はい、と相良は自慢げな笑みを浮かべた。

「しかし、大物政治家の秘書だった人物がどうして用務員などに」

「落ちぶれたのか、というのでしょう」

「いや、職業に貴賎は無いと思っているが、あまりに境遇が違い過ぎるだろう」

「唐橋大蔵氏が引退した後、しばらくは息子の大紀氏の秘書していたようですが、奥様が亡くなられたのを機に、余生は誰に気兼ねをすることもなく、ただのんびりと暮らしたいと思われたそうです」

 なるほど、と森岡が呟いた。

「おそらく、ずいぶんと世の中の裏を垣間見て来られただろうから、素性を隠して生きたいという気持ちもわからなくはないな」

「当時の校長とは同級生で帝都大学でも一緒だったらしいので、無理が通ったのでしょう」

 と、相良も同調すると、

「そして、何といっても極めつけは、ウイニットを起業し現在に至っている。納得して貰えましたか」

「世の中には物好きが多いというのはわかった」

 森岡は素っ気なく言った。

「もっとも、私のような天真宗に関わる者にとってみれば、そのようなことは些末ですがね」

「何が言いたい」

「御前様や神村上人とお付き合いのある、いやお二人が懐刀と頼りにされる先輩は、憧れの的というより雲上人だということです」

 そう言った相良は大きな溜息を吐いた。

「俺のことはもう良い。それより、ずいぶんと話が横に逸れた。お前とはいつもそうだ」

 森岡は自分で話を切り出しておきながら、悪態を吐いた。照れ隠しである。

「それで、北海道には何があるというのだ」

 責めを押し付けられた相良は不服な顔をしながらも、

「人間国宝の北大路無楽斉氏がおられます」

「人間国宝だと、わからんなあ」

「あれえ、これもまた珍しい。先輩にしては勘が鈍いなあ」

 相良は鬱憤を晴らすかの嘲笑した。

 普段であれば立腹する森岡だが、目の前の相良浄光が相手だと勘は鈍るし、調子も狂わされて怒る気にもならない。

――これもまた、一種の人徳なのだろう。案外、良い坊主になるかもしれない。

 などと思いながら、

「参った」

 と、森岡は軽く頭を下げて降参の意志を示した。

 相良は得意げな顔で、

「瑞真寺がこちらの期待通りに動き出した節があります」

 と小さく顎を引いた。

 森岡の脳が激しく作動した。もし相良の推量通りに、瑞真寺の御本尊が国真寺に移っていたと仮定すると、瑞真寺が長年開帳を拒んできたのは御本尊が不在だからということになる。それが日本仏教会事務局から出展の要請があった途端、北大路無楽斉という人間国宝の名が出た。

「その人間国宝は仏師なのだな」

 相良は答える代わりに不敵な笑みを返した。 

「御本尊の偽物を作るなど、半信半疑だったが……」

 森岡は何とも複雑な表情で言った。

「面白くなってきましたね、先輩」

 相良が目を輝かせた。

「瑞真寺が仏像製作を依頼した証拠はあるのか」

「それを確かめに北海道へ誘ったのです」

「北大路氏に会えるのだな」

「すでに面会のお願いはしてあります。返事はまだですが、とりあえず行ってみませんか」

 腕時計に目をやった森岡は、

「よし。ではこのまま大阪に引き返そう。夕方発の千歳空港行には間に合う」

 と、相良の提案を即座に受け入れた。

 森岡の本領は迅速果断なことである。大阪に戻ると言ったのは、最寄りの米子空港からも、同じ島根の出雲空港からも千歳空港への直行便が無かったからである。

「そうこなくては」

 傍らに置いていたボストンバッグをポンポンと叩いた相良は、端からそのつもりで準備していたのだと言った。

「統万、あれを」

 と、森岡が声を掛けた。

 足立統万はセカンドバッグから空の茶封筒を取り出して森岡に手渡した。

 森岡は内ポケットから財布を取り出すと、札束を一つ掴んで茶封筒に入れ、相良に差し出した。

「これは情報料だ」

「とんでもない。まだどうなるかわかりませんし、前回も過分に頂きました」

 相良は困惑顔で茶封筒を押し返す。

「邪魔にはならん、取って置け」 

「お金は要りません、その代り頼みがあるのですが」

 相良が恐縮そうに切り出した。

「ほう、お前にしては神妙だな。何だ」

「実は、来年の春に亡き祖父の十三回忌法要があるのですが」

 と言って相良がその先の言葉を躊躇った。

「どうした。本当にお前らしくないな」

「それが、父が申しますにはその法要の導師を御前様にお願いできないものかと」

「親父さんが御前様に、ってか」

「私が父に先輩と御前様の関係を話したものですから」

 相良は肩を窄めて森岡を見た。

 しばらく沈思していた森岡は、

「お前のお祖父さんは天山修行堂で荒行をされていたか」

 と訊ねた。

「一度だけですが、先代帝法上人様にご教示を賜ったと聞いています」

「法縁はあるということか」

 森岡は蕎麦を口に入れながら再度思案した。

「わかった。御前様には俺が頼んでみよう」

「有難うございます」

 相良は歓喜して頭を下げた。

「だが、物入りになるぞ」

「承知しています。交通費や宿泊費の他にお礼は五十万用意します」

 森岡が厳しい顔つきで相良を見た。

「甘いのにも程があるぞ」

「はあ」

 相良は思いも寄らない森岡の口調に動揺した。

「お前、天真宗の坊主にしちゃあ、御前様の値打ちを知らないようだな」

 森岡は先刻の仕返しとばかりに言った。

「では、いくら包めば良いのですか」

「まず、御前様ご本人には最低でも百万」

「まず?」

「お前なあ、御前様に導師をお願いするとして、脇導師は誰が務めるのだ」

「父では駄目ですか」

「失礼だが、親父さんの僧階は」

「権大僧都です」

 聞こえは良いが、天真宗で言えば上から六番目の僧階でしかない。ちなみに天真宗では、上から大僧正、権大僧正、僧正、権僧正、大僧都、権大僧都、僧都、権僧都……と続く。

「……だろう。権大僧正の脇導師を権大僧都が務められると思うか」

「ああ……」

 相良はようやく次第が呑み込めた。

「同じ権大僧正でも、御前様は影の法主とも呼ばれるほど別格なお方だぞ。少なくとも他に権大僧正を一人、僧正か権僧正を二人従えなければ格好が付かない」

「ではいくらになりますか」

 相良は恐る恐る訊いた。

「権大僧正に五十万、僧正あるいは権僧正に三十万ずつの、合計二百万ちょっとかな。諸経費を入れると三本にはなるな」

「三百万」

 相良は茫然となった。当初の目論見は、諸経費を入れて七十万円ほどであったから、実に四倍強である。

「相良、さっき前回分は過分だったと言ったな」

「は、はい」

「ならば」

 と、再び統万に目配せをした。

 統万はセカンドバッグから札束を一つ取り出して森岡に確認した。だが、微かに首を横に振ったのを見てもう一束掴んで森岡に渡した。三つではないことは、森岡の過分だったと言ったな、という言葉でわかっている。

「黙ってこれを受け取れ」

 森岡は、受け取った二百万円を茶封筒の上に乗せて相良に差し出した。

「しかし……」

「俺に遠慮はするな。ただし情報の裏を話して貰うぞ」

 有無を言わせぬ体で言った。

「わかりました」

「それとな、相良。お前、御前様に導師をお願いするもう一つの意味はわかっているだろうな」

「はあ?」

 相良は、いかにも間抜けな声を出した。

「それもわからないのか、呑気なものだな」

「何かありますか」

「天山修行堂で荒行を積むことになるぞ」

「私が? ま、まさか」

 相良にとっては青天の霹靂だった。

 相良は、島根県西部の浜田という街の末寺を継ぐ身である。その資格は、総本山か大本山または本山での所定の修行を済ませれば得ることができ、荒行は必要なかった。

「この話、親父さんが言い出したのだったな」

 はい、と肯いた相良の顔が歪んだ。

「あちゃあ、親父は端からそれも目的で」

 ふふふ……と森岡は同情とも激励とも付かぬ笑みを浮かべ、

「相良、まんまと嵌められたな。まあ、親心だと思って諦めろ」

 と引導を渡した。

 

 帰途の車中で、森岡は山尾茜に連絡して予定の変更を伝え、併せて旅行の準備を整えてウイニットに届けるよう依頼した。また大阪からは野島、住倉、坂根、南目を、東京からは中鉢も同道するように命じた。

 そしてもう一人、日本右翼の首魁宗光賢治から薫陶を任された子息賢一郎も呼び寄せた。この際、森岡の側近たちに紹介しようというのである。

 また都合の良いことに、翌日は土曜日だったので、英気を養わせようという狙いもあった。

 蒲生と足立は、帰阪の途中、スーパーに立ち寄って着替えの下着等を購入することとした。

「さて、相良。今回の情報元を明かして貰おうか」

 森岡が横に座る相良に訊いた。

 運転は蒲生亮太が受け持ち、足立統万は助手席に座っていた。

「自慢話にもなりませんが」

 と、相良は苦笑いをした。

「実は父が北大路先生と知り合いなのです」

 ほう、と森岡が相良を見た。

「御本尊でも彫って貰ったのか」 

「まさか」

 相良は、とんでもないという顔をした。

「宝浄寺(うち)のような貧乏寺に、人間国宝の作品を購える金などありませんよ」

 相良の寺坊宝浄寺(ほうじょうじ)は浜田市にあったが、市というのは名ばかりで、平成の大合併と言われた市町村合併によって浜田市に編入された、旧称でいえば字の付いた村落である。人口で比較すれば浜浦より小さかった。檀家の数は百軒ほどで、とてもではないが、祭祀儀礼による布施だけでは生活が成り立たなかった。

 そうした骨山といわれる貧しい寺院は、住職はともかく妻女や後を継ぐべき長男も別の仕事に就いて収入を確保するのが常である。

 その点、宝浄寺はいささか事情が違った。

 相良の父浄然(じょうねん)は仏師を兼ねていたのである。子供の頃より彫刻に魅了された浄然は、芸術家になる夢を抱いていたが、寺院の長男に生まれた宿世で断念した。

 ただ、彫刻を諦めきれない浄然は、手慰みで彫った仏像を檀家に無償で贈呈などしていたのだが、あるときそれが、とある仏具店の店主の目に留まり売り物にしようということになった。

「その際、本格的に研鑽を積む話になり、その店主の紹介で師と仰いだのが、後に人間国宝となった北大路先生だったというわけです」

「まさしく仏縁というやつだが、それで」

 森岡はその先を急かした。

「その北大路先生から父に釈迦立像についての相談があったのです」

「人間国宝が、か」

 森岡の口調には疑念が混じっていた。

 師が弟子に相談するとは……しかも師の方は人間国宝に認定されている達人なのだ。

「そりゃあ、仏像彫刻に関しては、父は北大路先生の足元にも及びませんが、こと栄真大聖人の釈迦立像に関してだけは別というわけです。何せ、父はその模写物しか彫っていませんからね」

 森岡の心中を察した相良が胸を張った。

 北大路無楽斉が、弟子である相良の父浄然に教えを請うたのは、瑞真寺執事長の葛城信之から製作依頼された前立仏が、宗祖栄真大聖人手ずからの釈迦立像の模写仏だからである。仏師ではなく、天真宗僧侶としての仏像製作の心構えを問うたのであった。

「なるほど、芸術の世界はそういうものか」

「このタイミングで御宗祖様の釈迦立像についてのお尋ねがあったのです。瑞真寺から注文があったに違いありません」

 だからこそ、それを確認するために北海道へ足を運ぼうと誘ったのだと言った。

「まさかとは思うが、北大路先生は瑞真寺の悪事をご存知ではないだろうな」

「当たり前です。先生はそのようなお方ではありません」

 相良は怒ったように言った。

「まあ、そうでなきゃあ人間国宝の域には到達できんだろうからな。だが、それにしても……」

「人の縁というのは不思議なものですね」

 相良が森岡の言葉を奪った。

「お前は運が良かったな」

「本当に」

 と、相良は真顔で頷いた。

「その仏具店の店主は結構顔が広くて、全国から注文が来るようになりました。そのお蔭で、私は一般サラリーマンになることなく、仏事に専念できるのです」

「浜田という小さな街の仏具店でも、そうそう見縊ったものではないということだな」

 島根県西部の日本海側にある浜田市は、人口が約六万人ほどの小さな街である。とても、全国に販売網を有しているとは思えなかった。

「いえ、そのお方は浜田ではなく大阪の人です」

「大阪だと」

 森岡の脳裡にある男の顔が浮かんだ。

「何か」

「まさかとは思うが、その店主というのは榊原壮太郎という名ではないだろうな」

 ええー、と相良が眼を剥いた。

「先輩は榊原さんをご存知なのですか」

「知っているも何も、俺の事業経営の師匠だ」

 森岡は榊原との出会いから、彼の会社を受け継ぐことまでを掻い摘んで話した。

「い、一兆円……」

 憧れの的だと言った相良もさすがにそこまでとは思いも寄らず、しばし口が利けなかった。

 

 車は中国自動車道の上月パーキングエリアに着いた。森岡らはそこで暫時休憩し、再び大阪へと車を走らせた。

 森岡が必ず上月パーキングエリアで休憩するのには理由があった。

 かつてこの地に有った上月城で戦国武将の尼子勝久が切腹し、一族は滅亡した。森岡は、自身の先祖は尼子の家臣だったと思っている。たとえ家臣でなくとも、自身の守護霊は灘屋の屋敷に祭ってある尼子の重臣である。故に森岡は、このパーキングエリアで城跡の方角に向かって両手を合わせることにしているのである。

「相良、話を仏像に戻すけどな。仮にお前の推測が当たったとして、偽物だと露見しないものなのか」

「そこですよ、先輩」

 相良が半身を森岡の方に向けた。

「二百六十年間も未開帳ですから、世間に本物を知る者はいないということです」

「写し絵なども残ってはいないのか」

「江戸時代の物があります」

「どの程度だ」

「さすがに写真というわけには行きませんが、かなり精密に描かれています」

 と言って、相良は鞄から天真宗本山総覧を取り出した。

「これです」

 相良がページを捲って指差した。

「なるほど、かなり精緻に描かれているが、専門家が見たら判別できるか」

「どうでしょうか。一口に開帳といっても、間近にまで顔を近付けることを許される場合もありますが、触れられないように一定の距離を置いたり、ガラスケースの中に陳列される場合もあります」

「当然、瑞真寺は一定の距離を置くよう条件を出すだろうな」

「尚且つガラスケースの中に入れるでしょう」

 と言った相良が得意げに顔突き出した。

「お前ならわかるのか」

「百パーセントとは断言できませんが、私は小さい頃から真贋を見抜く目を養っています。何しろ、物心が付いた頃から私の周りは御宗祖様が彫られた仏像の模写物だらけで、それこそ玩具も仏像でした」

「そこいらの学者や古美術商より上と言いたいのだな」

 相良は、はいという代わりに、にやりと笑った。 

「それは心強いことだな」

 感心顔で言った後、森岡はところで、と話を進めた。

「栄真大聖人が彫られた仏像は五体やったな」

「あくまでも確認されたものだけですけどね」

「それらはどこにあるのや」

「最古のものが瑞真寺、ああー、今は国真寺だと思いますが、残りの四体のうち二番目と三番目に古いものが法国寺に、四番目が東京目黒の澄福寺に、一番新しいものが本妙寺にそれぞれ保管されています」

「ほう。本妙寺にもあるのか」

 森岡は顔を綻ばせた。神村は、それだけ格式の高い寺院の貫主に就くことになるのだ。

「五体とも釈迦立像なのか」

「いえ、最初の三体は立像ですが、後の二体は座像です」

「じゃあ、法国寺には立像が二体、本妙寺には座像があるのだな」

「そうです」

「総本山に一体もないのはどうしてだ」

「総本山には大聖人の御真骨や多くの御真筆がありますからね。それに、仏像は御巡教の折に時間を見つけられては彫られたものを寄贈されたのです」

「それで京都に三体もあるのやな」

 森岡は得心したように言った。京の都は栄真が布教に最も力を入れた場所である。滞在期間も総本山に次いで長かった。

 はあ、と相良が思い出したように溜息を吐いた。

「どうしたんや」

「本当に天山修行堂で荒行をすることになるのでしょうか」

「なんや、坊主のくせにそないに嫌か」

「考えるだけでも、憂鬱になります」

 森岡はふっと笑った。

「心配するな。事前に御前様と飲食を共にする機会を設けてやる」

「本当ですか」

「御前様とて鬼ではない。親しくなれば、手心を加えるというわけにはいかないまでも、相応の配慮はして下さるだろう」

「先輩、よろしくお願いします」

 相良は縋るように森岡の手を取って頭を下げた。

 

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