黒い聖域   作:安岡久遠

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第六巻 決意の徒 蠢動(2)

 森岡ら一行が札幌すすきのに着いたのは午後八時前だった。

 ここでもう一人、道案内役として土門隆三(どもんりゅうぞう)という五十歳手前の男性が加わった。

 土門はウイニット北海道支店の支店長である。

 森岡はウイニットの拡大戦略の一つとして、小規模のコンピューターソフトウェア製作会社を買収していた。

 主に、大阪と東京以外の地方都市で積極的に行った。

 その理由はいくつかあった。

 まず、同等規模の会社の買収だと対等合併の色が滲み出てしまい、組織の運営上支障が生じる懸念があった。大銀行同士が合併したのは良いが、出身派閥が出来てしまい、その結果、頭取を交代で選出するという愚行を犯しているのは周知の事実である。

 また、一度に多くの社員を中途採用すれば、組織内の意思疎通が図れなくなる。

 その点、十数名から三十名程度の会社を買収し、そのまま支店として傘下に入れれば、買収された側の社員の士気も落ちることはない。

 土門は「ダイヤシステム」という、従業員が二十五名規模の会社を経営していた。

 森岡が土門を知ったきっかけは、ウイニットが受注した仕事の外注先として使ったことだった。

 これは顧客の強い要望であった。顧客はコンピューター一式をすべて一新し、システム開発の発注先をウイニットに変更したのだが、その際前回のコンピューターシステム開発の一端を担ったダイヤシステムを外注として使って欲しい、とウイニットに要望したのである。

 言わずもがな、コンピューターシステム開発というのは、顧客と開発会社の共同作業である。信頼関係が醸成されなければ、良いシステムは生まれない。

 とはいえ、外注先の一社に過ぎなかったダイヤシステムが、それほど客先から信頼を勝ち取っていたとは意外だった。土門という社長が人物なのか、あるいは技術が優れているかということになった。

 森岡はそれを知りたいがために、自ら何度も北海道へ足を運んだ。しかも彼は、仕事の話は一切せず、夜な夜な土門を夜の街へと誘った。

 そして、土門個人の人となりも、会社全体の技術レベルの高さも気に入った。

 だが森岡は、仲間にならないかなどという直接的な勧誘はしない。

 それでは相手の力量を測れないからである。いかに人品骨柄に優れていても、洞察力が無ければ人の上に立つことができないのは自明の理である。

 森岡が大変に忙しい身だということは土門も知っているはずである。それを酒を飲むためだけに、わざわざ大阪から北海道へやって来る。

 はたして、土門隆三はその意図を見抜いた。

 四度目の訪道のとき、土門は森岡に宜しくお願いします、と頭を下げた。

 森岡はダイヤシステムの従業員をそのまま雇用し、土門を北海道支店長に任命した。現在の人員は五十名余と倍増している。

 

「さて、食事はどこにしますか」

 土門が訊いた。

「札幌は久しぶりですし、時間も時間なので例の炉端にしましょう」

 森岡は丁寧な言葉遣いをした。

 組織上は部下であるが、土門は十歳以上年長者で、まだ気心が充分に知れた間柄とまでは言えなかった。

「炉端? 社長、せっかく札幌にまで付き合わせておいて、炉端焼きはないでしょう」

「大丈夫だよ、南目君。炉端といっても、大衆チェーン店のような店ではないからね」

 露骨に不満をぶつけた南目を土門が笑顔で窘めた。 

 さすがに北海道一の歓楽街、すすきのである。南北は南四条の都通から南六条の間、東西は西二丁目から西六丁目の各通りは人の波でごった返していた。

 森岡が名指した「炉端焼き・どさん子」は南五条西四丁目、つまりすすきのエリアのど真ん中の交差点角に立つビルの二階に有った。店内の広さは六十坪ほどもあり、ほぼ中央に調理場を置き、周囲をぐるりとカウンター席にしている。他にテーブル席と個室部屋もあった。

「おお、確かに俺が通う炉端とは様子が全く違う」

 南目は目を丸くした。

「本来なら、調理人と対面できるカウンター席が良いのやが、こう大人数では話がし難い」

 森岡はそう言って、テーブル席を要望した。この「炉端焼き・どさんこ子」はカウンター席だけでも三十もあった。

 松江に集った森岡、蒲生、足立、相良の四人に、大阪から野島、住倉、坂根と南目の四人が、東京からは中鉢と宗光が加わり、さらに札幌で土門が合流し、総勢十一名に膨れ上がっていた。

 むろん九頭目弘毅以下、神栄会の組員は近くのテーブルに席を取っていた。

 まず最初に、森岡が皆に宗光賢一郎を紹介し、野島以下全員が順次自己紹介を返した後、乾杯となった。

「輝、まずは焼きタラバを食ってみろ」

「私も一度思う存分食ってみたかったのです。ですが、高いでしょう」

「いまさら、遠慮する柄か」

 森岡が嫌味を込めて笑う。

「坂根、統万、お前らは松葉は食い慣れているだろうが、タラバ蟹や毛蟹も美味いぞ」

「社長、灘屋と違って松葉蟹など滅多に口にしていません。せいぜい紅(べに)です」

 坂根が苦笑いをした。

 紅とは紅ズワイガニのことである。生だと松葉蟹と見分けは付かないが、茹でると鮮やかな赤みの掛かったオレンジ色になった。味もほとんど遜色はないのだが、値段は五分の一から十分の一と格安だった。境港は、その紅ズワイガニの水揚げ高が全国一位であった。

「何にしても蟹なんて私の口にはとてもとても」

 と首を横に振った野島に、

「せやな」

「そうですね」

「私も」

 住倉、中鉢、蒲生が同調した。

「賢一郎はどうだ。親っさんに随伴して旨いものを食っていたんじゃないか」

「いえ、たまに随伴していましたが、別の部屋を用意されていましたので、そのような贅沢は許されませんでした」

 森岡の問いに、宗光が首を横に振った。

「どうせ社長の奢りだ。この際、思いっきり食わせてもらいましょう」

 南目の張り切った声に、

「そうさせてもらおうか」 

 と皆が口々に呼応した。

 ひとしきり腹を満たした後だった。さて、と土門が姿勢を正した。

「社長、私はいつ大阪に向かえば良いので」

 森岡が満足げな顔を土門に向けた。

「来年の春頃には」

「承知しました」

 土門はあっさりと引き受けた。彼は、森岡が野島をはじめ彼の近しい者を全員札幌に集めた意図を見抜いていた。北海道支店を離れ、大阪本社に入れという催促だということを――。

「後任は土門さんの目に適った者を据えて下さい」

「良いのですか」

 驚きの目で土門が言う。

「北海道支店は貴方が興した会社です。できるだけ、貴方の考えを受け入れます」

「感謝します」

 土門は感激の顔で頭を下げた。

「社長、この後はどこに連れて行ってくれるんですか」

 二人のやり取りが終わるを見計らって南目が催促した。

「土門さん、リッチは大丈夫ですかね」

 森岡が大人数を懸念した。

「十一人ですからね。VIPルームが空いているか確認しましょう」

 土門はそう言って一旦店を出た。

「リッチだなんて、いかにも高そうな店ですね、先輩」

 相良浄光が弾んだ声で言った。

 彼にすれば、高級クラブなど森岡と一緒でなければ、まるっきり縁のない場所なのである。

 

 森岡が初めて北海道を訪れたのは八年前である。

 ウイニットを立ち上げる二年前、彼がシステム開発を担当していた大手空調機メーカーの工場の一つが苫小牧にあった。ブックメーカー事業と関わりを持つきっかけとなった杉浦透のいた会社の工場である。

 折角の北海道である。滞りなく出張業務を終えた森岡は、この際休暇を取ってもう二泊し、市内観光することにした。もちろん自費である。

 苫小牧から札幌に移った夜、森岡は初めて札幌のすすきの地に立った。

 さて、北新地や祇園を中心に夜の世界には慣れている森岡だったが、すすきのは初見であるから馴染みの店はない。

 ホテルで食事をした際に、寿司店の板長から二つ三つおすすめの店を聞いていたが、なんとなくしっくりこなかった森岡は、交差点の角にある案内所を訪ねた。

『歌が歌えて雰囲気の良い店、値段は問わない』

 というのが、森岡が出した条件だった。

 案内所の職員は上目遣いで森岡を見ると「リッチ」というクラブを推薦した。

 礼を言って出ようとした森岡の目の端に映った職員の薄笑いが気になったが、問い質すことなくリッチへと向かった。

 店のドアを開けて、森岡は職員の薄笑いの意味がわかった。

 リッチは、すすきのでも五本の指に入る最高級クラブだったのである。値段は問わないといった言葉に、職員は意地悪をしたのだとみられた。

 ご他聞に漏れず、リッチも会員制を謳っていたが、このときの森岡は大きめのセカンドバッグに一千万円を入れていた。カードもプラチナである。

 このときの豪遊ぶりが道産子たちの度肝を抜いた。

 首尾よく入店を認められた森岡は、まずロマネ・コンティを注文した。 

 一本百万円もする最高級のワインである。これには、さすがのママも驚いた。三十歳ぐらいの、しかもスーツ、時計、靴と、取り立てて高級な品は身に付けていない若者が涼しい顔で高級酒を求めたのである。

 案内所の職員が森岡を侮った理由も、まさに彼の身形だったのである。

 その後も森岡は、ママやホステスたちが繰り出す要望、つまり各種高級酒やつまみ、フルーツといった催促を全て了解した。ために、料金は七百万円ほどになったが、森岡は何事もなかったように現金で支払を済ませて帰った。

 この噂は、その夜のうちにすすきの一帯に広まり、たった一夜にして森岡の名はすすきのの夜に生きる者たちの胸に深く刻まれたのである。

 森岡が北新地のロンドで馬鹿騒ぎをした理由は、このときの体験が有ったからだった。

 

「これはこれは森岡様、よくいらしてくださいました」

 店に入るや否や、ママの佐伯知草が愛想を振り撒きながら近づいて来た。

「久しぶりやな、ママ」

「本当に。三年ぶりでしょうか」

「そないになるか」

 と、森岡は記憶を手繰るように言った。思い起こせば、初回の豪遊の後、土門と何度か遊びに来ていたが、近年はすっかり足が遠のいていた。

「今日は大人数やけどいけるか」

「もちろんです。土門様から連絡を頂戴し、VIPルームを用意致しました」

「そうか、すまんな」

「とんでもございません」

 VIPルームは二十人ほど座れる広さがあった。

 森岡らが席に着くと、ママと一緒にホステスたちが入って来た。中でも、森岡の横には東京銀座や大阪北新地の最高級クラブのホステスに勝るとも劣らない美形が座った。

「森岡様、綾音ちゃんと言って、当店のナンバー一ですのよ」

 とママが紹介した。

「森岡です」

 と丁寧に頭を下げた。

「綾音です。やっと、お会いすることができて嬉しいです」

「うん」

 森岡は首を傾げた。

「森岡様の豪遊ぶりは、何かにつけて話に上るものですから、どのようなお方かといろいろ思い描いていました」

「本人を見てがっかりしたやろ」

「とんでもありません。想像以上です」

「べんちゃらでも嬉しいな」

「お愛想ではありません」

 綾音が拗ねた口調で言いながら、森岡の太腿を抓った。

 綾音は二十六歳。北国生まれからか,雪のように白い肌とそれとは対照的な漆黒の黒髪を後ろで丸めていた。端正な顔立ちで、やや太く濃い眉が利発さを、話す折にできる笑窪が愛らしさを醸し出していた。

 とはいえ、すすきので五本の指に入る高級クラブでは、ただ美形というだけではナンバー一にはなれない。

「森岡様、飲み物は何になさいます」

 ママが恐縮そうな顔で会話に入って来た。

「ロマネ・コンティは何本ある」

「五本ございます」

「全部貰ってええか」

「もちろんでございます」

 ママは満面の笑みを浮かべて言った。

「その前に、ドンペリのゴールドで再会の乾杯といこうか」

 ええ……と相良は、森岡とママの会話を唖然として聞いていた。高級クラブで遊ぶだけでも夢のような話なのに、なんという豪遊ぶりだろうか。 

「この程度は驚くことでもないですよ。社長は一晩で二千万を使ったこともあるんですから」

 目を丸くしている相良に坂根が吹き込んだ。

「そう言えば、ウイニットは上場されるようですね」

「よう知ってんな」

 森岡は感心顔を綾音に向けた。

「だって、ウイニットというか、森岡様は有名ですもの」

 これは綾音の謙遜である。

 なるほど森岡の名は世間に知れ渡り始めていたが、それは業界紙などの分野に限られていて、一般紙や有名週刊誌には掲載されてはいなかった。つまり、いかに綾音が情報収集に努力しているかということである。

「上場いうても、新興市場やからな。大したことやない」

「ご謙遜ですこと。IT業界の寵児として今や時の人ですのに」

「これ以上、名が世間に知れるのは迷惑な話や。上場の準備なんかせんかったら良かったと思っている」

「でも、それでは数百億とも言われる大金が手に入らないではないですか」

 綾音は疑念の声で問い質す。

「まあ、それはそうやが」

 森岡が言葉を濁したとき、

「社長はな、上場なんかせんでも大金持ちなんや」

 三席離れたところから、南目がしたり顔で口を挟んできた。森岡の両脇はママの知草と綾音が座っていて、その両隣は護衛役の蒲生と足立が陣取っている。南目は足立の隣、坂根は蒲生の隣に座っていた。

「どういうことですか」

「それはな……」

 南目が綾音の方に身を乗り出したとき、

「輝、調子に乗るな」

 森岡の厳しい声が飛んだ。関係のない蒲生と足立までが思えわず身を固くしたほど場が凍り付いた。

「あ、すみません」

 南目が肩を窄めるようにして身体を元に戻した。 

「ごめんなさい。私が余計なことを聞いてしまったから」

 綾音の蒼白の顔で謝った。

「君は謝らんでええ。輝は俺の義弟やから、こんなことは日常茶飯事なんや」

「義弟?」

「そうや、あの男もな」

 森岡が坂根を指差したとき、支配人が強ばった顔つきで部屋に入って来て、何やらママに耳打ちした。

「津川社長がお呼びです」

 だが、森岡に漏れ聞こえていた。

「大切なお客様に付いていて身体が空かないと申し上げたの」

「何度も。ですが、いっこうに聞き入れて頂けません」

「困ったわね」

 ママの知草が思わず顔を歪める。

「俺なら構わんで」

 森岡が気遣いをみせたが、知草は却って困惑顔になった。

「いえ。他のお客様であれば、森岡様にお断りするのですが、津川社長の場合は 事情がありまして」

「事情って、ママを無理やり愛人にでもしようとしているのか」

 森岡はこの業界の裏に精通している。ママの口調で状況を察した。

「その通りです」

 知草はあっさりに認めた。

「きっぱりと断ったらええやろう」

「それが……」

 と彼女は口籠ってしまった。

「どうやら、単純な色事というわけではないようやな。どうや、俺に話してみんか。力になれるかもしれんで」

 いつもの森岡のお節介癖である。

「でも、お恥ずかしい話なので」

「じゃあ、向こうへ行ったらええがな。俺は綾音ちゃんが居ったらええで」

 森岡は突き放した言い方をした。彼一流の決断を促す手段である。

 知草は、暫し逡巡した後、

「お金を借りているのです」

「いくらや」

「二千万です」

「それで、今は」

「利息を含めて千五百万ほど……」

 残っていると、知草は言った。

 時代は、バブル崩壊後の不景気のどん底だった。不況を真面に受けるのは地方である。その中でも北海道は悲惨を極めていた。なにしろ、主な産業といえば農業、漁業、林業といった第一次産業の他は観光業が中心である。

 飲食業は不景気の影響を一番に受ける業種で、中でも札幌のすすきの、それも高級店であればあるほど壊滅的だった。

 資金繰りに窮した佐伯知草は、下心を承知しながらもやむなく津川から金を借りたということだった。彼女は、森岡より二、三歳年上の四十歳手前といったところだろうか。目を見張る美貌の持ち主ではないが、成熟した女性の色香を漂わせた男好きのする肉感をしていた。

「坂根、手元にいくらある」

 森岡が唐突に訊いた。

「千二百万ですが、ホテルに二千万預けてあります」

 坂根は、アタッシュケースを膝の上に置いて答えた。

「合わせて三千万も」

 綾音が驚きの眼で呟いた。それを他所に森岡が続ける。

「輝は」

「私は三百万です」

「蒲生と統万は」

「二百万です」

「私も同じです」

 蒲生と統万が答えた。

「俺が三百やから二千二百か。丁度やな」

「先輩、借金は千五百万ですから、余裕でしょう」

 森岡の意図を察した相良が怪訝そうに口を挟んだ。

「表の世界だとそうやが、裏だとそうはいかんのや」

 森岡はそう言うと、ママに視線を戻した。

「ところで、津川というのは何者かな」

 灰色紳士だろう、という口調で訊いた。

「表向きは建設会社の社長さんということですが、実態は北神(ほくしん)会の企業舎弟なのです」

 佐伯知草は顔を曇らせて言った。

「北神会というのは、どこの系列かわかるか」

 と訊きながら「神」が付いていることから、想像はしていた。

「神戸の神王組だと思います」

「そうか、それなら話は早い」

 やはり、と森岡が明るい口調で言った。

 はあ、とママの知草は呆れ顔になった。  

「何を言っているのですか。相手は日本最大の暴力団、神王組の傘下企業なのですよ」

 彼女の呆れ顔は不安なそれに変わっていた。

「まあ、俺に任せてくれるか」

 森岡はそう言うと、視線を支配人に向けた。 

「俺らが入った後、店にやって来た四人組がいるやろ」

「森岡様の口利きで入店を許されたお客様方ですね」

「そうや。その中に九頭目という人がいるから、ここに呼んできてもらえるかな」

「九頭目様ですね。承知致しました」

 すぐに支配人が九頭目を連れて戻ってきた。

「森岡さん、何か御用でしょうか」

 九頭目は両手をそれぞれの膝に置いて腰を屈めながら訊いた。

「店の客で、津川という北神会の企業舎弟がママを寄こせと煩いので、私の女だと言って黙らせて下さい」

 森岡は、坂根のアタッシュケースに集めた二千万を詰め込んだ。

「ママが借りた残金の元利一千五百万と手切れ金五百万の、合わせて二千万です。津川に渡して下さい」

 森岡はアタッシュケースを九頭目に渡すと、さらに二百万円をその上に置いた。

「これは仕事代です」

「いえ、若頭に叱られます」

 九頭目は二百万円を手に取り、森岡に差し出した。

「峰松さんには、前もって時折金を渡すと断ってあります。せっかくの北海道ですから皆さんで美味いものでも食べて下さい」

「しかし」

 尚も逡巡する九頭目に向かって森岡は、

「貴方ほどの漢(おとこ)に、男女のいざこざを収めてもらうのは心苦しいのですよ」

 と、森岡が苦笑いをした。

「そのようなことは、少しも頓着していません」

 九頭目はそう言うと、

「それに初めてではありませんから」

 と、野島を見た。

 野島も苦笑している。

「そうでした。あのときの礼もまだでしたね。まあ、長い付き合いになりそうですし、峰松さんに預けてある金に比べれば然したる額ではありませんよ」

 これ以上の遠慮は却って非礼になると思った九頭目は、

「そういうことでしたら、遠慮なく」

 とようやく二百万を内ポケットに入れた。

「受け取りはどうしましょうか」

「要りません。貴方が証人なのですよ。津川に反故にする度胸がありますか」

「まさしく」

 九頭目はにやりと笑うと、小さく頭を下げて部屋から出て行った。 

 数分後、九頭目が津川を連れて戻って来た。四十代前半の大柄な男である。ママと綾音が緊張に身を固くした。

 だが、津川は直立不動のまま、

「初めてお目に掛かります。津川と申します。九頭目さんからお聞きしまして、まさか知草ママが、若頭が頼りにされている森岡様の女性だと知りませんでした」

 と言って深々と腰を折った。

 そして頭を上げ、

「この金は受け取れません」

 と五百万円をテーブルの上に置いた。

 この若頭というのは、峰松重一ではなく六代目神王組若頭である寺島龍司のことである。

「いや、受け取って貰わんとけじめがつきませんのや」

 森岡は金を津川ではなく九頭目に手渡した。因果を含めよという意味である。

「借用書は後日ママの方へ送ってもらえますか」

「それは間違いなく」

 津川は低頭して言った。

 この様子をママと綾音は呆然と見ていた。彼女らだけでなく相良、土門も同様だった。野島、住倉、中鉢の三人は、神王組との詳細な関係を承知していなかったが、森岡であれば驚くことでもないと平然と構え、宗光賢一郎も父賢治と対等に渡り合う森岡であれば、さもありなんという顔をしていた。

「いったい、どういうことですの。あの津川社長が平身低頭で詫びるなんて」

「何でもあらへん」

 森岡はさらりと受け流した。

「何でもないことはないでしょう。かしら、って誰のことなのですか」

 佐伯知草にしても、まさか神王組の若頭に伝手があるとは思いも寄らないことである。

「神王組の幹部の中に、ちょっとした知り合いがいるだけや」

 と、森岡は煙に巻くと、

「さあ、せっかくのすすきのや。賑やかに行こうか」

 話に蓋をするように言った。

 

 それから二時間後、

「さて、俺は明日大事な用があるから、そろそろ失礼するわ」

 と、森岡は腰を上げようとした。

「もうお帰りですか。この後カラオケにでも連れて行って下さい」

「カラオケは皆と行ったらええ」

 森岡は、甘える仕種をした綾音にやんわりと断りを入れた。

「俺と蒲生と統万はホテルへ帰るが、皆はゆっくり飲んだらええで。賢一郎もな、せっかくやさかい皆と親睦を深めろ。それと、明日は自由行動とするが、夜は定山渓温泉で騒ぐから、夕方には集合するようにな」

 定山渓温泉は、札幌から車でおよそ四十五分ほどの場所にある。

「私はどうしたら良いですか、先輩」

 相良が名残惜しそうな顔で訊いた。

「好きにしたらええけど、二日酔いで明日の朝、起きれないということがないようにな」

 森岡はそう言い含めると、坂根にプラチナカードを渡してリッチを出た。

 

 同じ夜、大阪の南森町にある神栄会本部では、若頭補佐の窪塚の報告に、峰松重一が衝撃を受けていた。山尾茜と目加戸瑠津の目の前に現れた神王組本家と名乗った男たちの存在である。

 神王組本家というからには、当然のこと当代組長蜂矢司の命令ということになる。森岡の護衛役は神栄会が担っているが、蜂矢自ら乗り出したというのであろうか。彼の不安は、神王組の中核と自負している神栄会の、若頭の自分にさえ何も知らされていないということだった。

 峰松は親分の寺島龍司に報告に上がった。

「やはりな」

 寺島は冷静だった。

「といいますと、親父さんは知っていたのですか」

「六代目から相談は受けていた」  

 峰松は凝っと寺島を見つめ、暗にその先をと願った。

「蜂矢の親父は、ご自身の護衛部隊とは別に直属の部隊を創りたがっておられた。まあ、護衛部隊が盾だとすると矛の役目の遊軍をな」

「森岡はんを護衛するためですか」

「いや、森岡はんはうちが護っとるから、彼の近しい人ということになるな」

「それで、ロンドのママを」

 そうや、と寺島が肯いた。

「六代目はそれほど森岡はんにご執心なのですか」

「そういうことやろうな。せやからな、最近になって大阪にいるときは、密かに坂根と南目という部下にも人を付けてはる」

「……」

 峰松には返す言葉見つからなかった。

「鬼庭組のこともあったしな」

 寺島は坂根好之の拉致監禁事件を示唆した。

「六代目はご存じて」

 峰松は苦い顔をした。後日、彼は九頭目弘毅から森岡が鬼庭組と和解した報告を受けていた。

 いや、と寺島は首を横に振った。

 むろん、蜂矢は知る由もないが、そこは危機管理能力が働いたということだろう。

「それにな、新しい組織は色の付かない独立したものにしたいということやった」

「どういうことですか」

「これまで、何かあれば歴代親分は出身組を頼られた」

「気兼ねがありませんから」

 峰松は当然という顔をした。

「それでは依怙贔屓になると親父は考えられたんやな。せやから、本家に修行に入った者の中から、優秀な男たちで組織されたんやろう」

 なるほど、と峰松は肯いた。

「修行人数を多くしたのはそのためだったのですね」

 例年に比べ、十五名ほど多く修行極道を本家に招き入れていた。それに伴い、神栄会からは例年の二名ではなく四名を送り出していた。

「不足分のみ竜神組から選んでおられる」

 竜神組は蜂矢の出身母体である。

「公正無私の六代目らしい配慮ですね」

「だが、本来もっと厚遇されて良いはずの竜神組の不満はうちに向かって来るぞ」

「十分に気を配ります」

 峰松は神妙の面で言った。

「ところで、親父さん。本家の者には誰が連絡したのでしょうか」

「店のマスターに決まっているがな」

「店?」

「おそらく、森岡はんの馴染みの店には、因果を含めてあるということやろうな」

 寺島は祢玖樽の東出が連絡を取ったのだと示唆した。

「では、スナガの件は」

 峰松は、蜂矢六代目直属の組員が忽然と消えた謎を問うた。

「スナガも竜神組の息が掛かっとるからな。おそらくカラクリがあるのやろう」

「……」

「隠し部屋や」

「なるほど、六代目はさすがですね」

 と感心する峰松に、

「なるほど、やないがな。森岡はんを護衛するとなれば、神栄会(うち)もスナガのような基地を早急に数ヶ所作らなあかんぞ」

 珍しくも寺島が咎めた。

「気が付きませんで、すみません」

「まあ、ええわ。それより肝心の森岡はんは北海道らしいな」

「相変わらず、忙しい人ですわ」

「付いとるのは九頭目やな」

「そうです」

「あいつなら安心や。武道に通じ、頭も切れる」

 と納得顔で言った寺島が、急転厳しい目を峰松に向けた。

「この際や、はっきりと言っておく。森岡はんの護衛は蜂矢の親父の命令ではない」

「はい」

「したがって、表向きには何の功績にもならん」

「そのようなこと期待してはいません」

「それでええ。だが間違いなく親父の心証は良くなる。それがどういう意味かわかるな」

 峰松は黙って肯いた。

「逆に言えば、もし森岡はんになんぞのことがあれば、お前の先は無いということにもなる」

 寺島は、峰松の八代目の芽は無くなると示唆した。

「承知しています。しかし手を拱いていれば、同じ組から続けて組長を出さないという暗黙の不文律に従わざるを得ません。私としては一か八かの掛けでした」

「それはわっかとるつもりや。せやから、森岡はんの護衛を命じたんやからな」

「有難うごさいます。私の行く末を想っての親心だと感謝していました」

 うむ、と寺島は肯き、

「しっかり目配りせなあかんぞ」

 喝を入れるように言った。

「しかし、考えれば考えるほど六代目の森岡はんに対する思い入れは相当なものですね。それほどブックメーカー事業に期待されているのでしょうか」

「一度下手を打っているからな。相当な意気込みなのはわかるが……」

 寺島は、一旦言葉を切った。

「どうかされましたか」

「わしにはな、どうも違うような気がするのや」

「親父さんには何か他に心当たりがありますか」

「ひょっとしたらだが」

 寺島が再度躊躇した。

「ひょっとしたら、なんです」

「あくまでも俺の推量なのやが、森岡はんは親父と血の繋がりがあるのかしれん」

「血って、まさか、まさか父子ってことですか」

 峰松の声が裏返った。

 そうや、と寺島が肯いた。

「馬鹿な……」

 峰松は開いた口が塞がらない。

「可能性は無くはないんや」

「親父さん、いくらなんでもそんな突拍子もないこと」

 あるはずがない、と顔を左右に激しく振った。

 だが、寺島は真顔を崩さない。

「それが、有り得るんや」

「何かご存知なのですか」

 しばし間を置いた寺島が記憶を辿るように言い出した。

「蜂矢の親父が極道の道を選ばれたとき、三代目は二年の本家修行の後、他人の釜の飯を食えと外に出しはったことがあるんや」

「そのようなことが……それで、いったいどこへ」

「島根の石動(いするぎ)組や」

「あんな小さな組へ」

 峰松が思わず口を滑らした。

「お前、親父の前でその言葉は厳禁やぞ」

 寺島は厳しい声で叱責した。

 峰松は緊張の面で頷く。

「お前の言うように、石動組は組員わずか二十名ほどの弱小組織だが、先々代の組長は三代目の兄貴分だったお人や」

「本当ですか」 

 峰松は初めて聞く話だった。

「軍隊で一緒でな、階級は石動組長の方が上だったこともあって、ずいぶんと面倒をみて貰ったらしい。しかも、何といっても戦地やからな」

「生死の運命を共にした戦友ということですか」

「三代目が跡目を継ぎはってすぐに、まだ立ち上げてまもない石動組長を舎弟頭補佐に大抜擢されたのもそういう事情があったからや」

「それを伺って、石動組が神王組内で重用される理由がわかりました」

「それだけやないで。二人切りのときはな、三代目は石動組長を『兄貴』と呼び、石動組長は三代目を『政』と呼び捨てにしてはったらしい」

「ほんまですか」

「たまたま六代目が同席することがあってな、聞いてはったということや」

「そこまで……」

 峰松には言葉が無かった。

 三代目田原政道は伝説の大親分で、神王組組員にとっては神のような存在である。徳川幕府で言えば、神君と謳われた徳川家康のような不可侵の聖域なのだ。

「だからこそ、三代目は石動組に六代目の教育係を任せはったんや」

「確かに、森岡はんは島根出身ですけど、ただ同郷というだけでは無理がありませんか」

 峰松は懐疑的な口調で言った。

「まあ聞け。松江の石動組と境港の足立興業とは古くから親交があるんや」

「それは叔父貴から聞いています」

 峰松の言う叔父貴とは足立万亀男のことである。

「その足立興業の万吉さんと森岡はんの祖父の洋吾郎さんとは義理の兄弟やったというのは知っているな」

「それも、今年の盆に知りました」

「それならわかるだろうが」

「足立興業を介して石動組が灘屋と関わりを持っていたとしても不思議ではない、ということですか」

「当時の灘屋は、島根半島界隈一の分限者で権力者でもあったから、石動組がその恩恵に与っていたと考える方がむしろ自然やろ」

「お言葉を返すようですが、いくらなんでもそれだけでは」

 無理があるという顔を峰松は見せた。

「むろんや」

 寺島も峰松の疑念を認めた。

「わしも気になって仕方が無かったのでな、調べてみたんや」

 寺島が決まりの悪そうな顔をした。

 寺島は筋金入りの武闘派極道である。男女の仲を調べるなど、本来であれば沽券に係わることであった。

「実はな、足立の兄弟にそれとなく確かめたんやが、兄弟もわしと同じことを考えていたらしい」

 足立の兄弟というのも万亀男のことである。

 寺島はこの夏のお盆に、浜浦で森岡を急襲した暴漢を足立万亀男が神栄会へと連行して来たとき、飲食を共にしたのだと言った。

 

「兄弟、付かぬことを聞くようだが、ええか」

「なんですか、あらたまって」

「ちょっと、聞き難いことなのやが、六代目が若いとき、松江の石動組で修行してはったのは知ってるやろ」

「もちろんです。私もあちこちお供をして出掛けました」

「遊びにか」

 はい、と万亀男は肯いた。

「修行と言っても本家のそれとは違い、他人の釜の飯を食うことが目的だったらしく案外と自由だったようです」

 そうか、と寺島は思案顔で返事した。

「兄貴、それが何か」

「いやなあ、その……」

「どうしたんですか、兄貴らしくもない」

「そのとき、浜浦へは行かれなかったか」

「浜浦? 夏に海遊びで何度も行きましたよが、それが何か」

「灘屋へは行ったか」

 寺島は、万亀男の口元を注視した。

「もちろんですよ。私のお袋と洋吾郎さんとは腹違いの兄妹、つまり私にとっても伯父ですから船も出してもらいましたし、海遊びから帰ったときの風呂や飯も馳走になりました」

「うう……そうか」

「やはり今日は、何かおかしいですね」

 万亀男は怪訝そうに寺島を見た。

「いや、その折やが、六代目の様子はどうやった」

 寺島は相変わらず煮え切らない口調で訊いた。

「どうやったって、何がですか」

「その、なんだ、洋介はんのお袋さんを見初めたということはなかったか」

「あっ!」

 と、万亀男が凍り付いた。

「そういうことですか」

 万亀男は寺島の推量を悟った。

「もしかして、兄貴も洋介君が六代目の実子ではないかと疑っているのですね」

「俺もって、まさか兄弟もか」

 寺島が驚きの声で訊いた。

「はい」

「理由は何や」

「お盆に東京から不審な男たちが境港へ流れて来て、その対応に峰松が直々にやって来たとき、今兄貴が言われた夏を思い出し、その思いに駆られたのです」

「その夏に何かあったというのやな」

「そこまでは断言できませんが、六代目が洋介君のお袋さんに熱い想いを抱かれたのは事実です」

「横恋慕か」

 そうです、と万亀男は肯いた。

 

「しかもや、灘屋の洋吾郎さんは万吉さんに、うちの息子夫婦には子ができん。わしは孫を抱くこともできんかもしれんと嘆いていたということや」

「奥さんの方が子供の出来ん身体だったということはないのですか」

「それやったら、離婚して新しい嫁を迎えるやろ。何といっても灘屋やで。後継ぎがおらんかったら、相続で揉めることは必至や」

「なるほど。それはそうですね」

「それに、あるときから洋一さんの奥さん対する暴力が酷くなったということや」

「それはつまり、森岡はんの親父さんが六代目との不倫に勘付いたということですね」

「辻褄は合うやろ。挙句の果てに他の男と駆け落ち離婚や」

 峰松が、そこではたと気付いた。

「なるほど、六代目が親父に万亀男の叔父貴との兄弟盃を勧められたのも、ただ単に地方の名士と繋がりを持つというだけでなく、裏にそういう事情もあったからというのですね」

 寺島は黙って肯いた。

 神栄会は神王組きっての看板組織である。その組長が一地方都市の、それも極道の看板を掲げていない者と兄弟盃を交わすことなど異例中の異例であった。

 二年前、蜂矢司がそれでも盃事を勧めたのは、背後に森岡洋介の存在があったからではないか、と寺島は推量していたのである。

「なぜ六代目は、そんな回りくどい事をされたのでしょうか。いっそのこと名乗り出られれば良かったのではないですか」

「阿呆。森岡はんは歴とした堅気さんやぞ。しかも今をときめくIT企業の社長さんや。名乗ったりしたら、また森岡はんに迷惑が掛かるやないか」

 すんまへん、と峰松は肩を窄めた。

「それが運命の糸に手繰られるように巡りあったのですね」

「そう考えると、親父の森岡はんに対する厚遇が理解できるやろ」

「プラチナバッジですね」

 六代目の蜂矢は、初対面のときのときお守り代わりとして、神王組最高幹部の証しであるプラチナの徽章を森岡に送っていた。

「それに、ご自身の出生秘話まで口にされた」

「正直、六代目にあのような過去があったとは、私も驚きました」

「おそらくそれは、子としての父母への愛惜の念ではなく、父としてのそれだったとは考えられんか」

「それで初対面にも拘わらず『親父』と呼ばせはった……あれは任侠世界の親父ではなく、実父の情からだったということですね」

「あくまでも俺の推量に過ぎんが、もしそうだとすると、峰松、お前の任はいっそう重大だということになるぞ」

「はっ」

 峰松は緊張の面で頭を下げた。

「それとな。もう一つ言っておくことがある」

「何でしょうか」

「必要以上にブックメーカー事業に首を突っ込むのは控えろ」

「えっ」

「お前の気持ちはわかっているつもりだ。わしも同じ考えだからな」

「……」

「ただ可愛いというだけでお前を八代目にしたいとでも思っていたのか」

「では親父も」

「お前の後は九頭目を、と考えている。そして神王組の跡目は代々神栄会の世襲にするのだ」

「親父……」

「せやから、森岡はんの意に沿わぬことはするな」

「お言葉ですが、ブックメーカー事業は巨額の利を生みます。しのぎに疎かった神栄会(うち)にとっては起死回生の好機です。手を拱ねいていて良いのですか」

「だからこそ、だ」

「……」

「森岡はんの気性を考えれば裏目に出る。それにな、何もせんでも今の関係を保ってさえいれば彼は協力してくれるはずだ。そうは思わんか」

「親父さんの仰る通りです。これからは、さらに親身になって協力することに専念します」

 と言った峰松の口調が変わった。

「ですが……」

「なんだ」

「一つだけ気掛かりなことがあります」

 寺島が意味有りげな笑みを零した。

「六代目は、森岡はんを八代目にする気ではないか、というのやろう」

 峰松が目を丸くした。

「どうしておわかりに」

「それくらい読めんで七代目が狙えるか」

「はっ」

「心配せんでええ。それは絶対にない」

「しかし、あれだけの器量です。親父さんも初めて面会したとき、ええ極道になると言われました」

 霊園地買収の件で神栄会に拘束された際、極道者を前にしても微塵も委縮することのなかった森岡に、寺島も峰松も舌を巻いたものである。

「そうやった。俺が、もしや六代目と父子ではないかと疑った根拠は、あのときの印象が心の隅に残っていたからや」

「でしたら、六代目も同じように受け取られたはずです。そして、そのための布石としてブックメーカー事業を任せはったのではないでしょうか」

 寺島は片手を上げてひらひらと振った。

「その逆や、跡目を継がせる気がおありにならないから任せはったんや」

「……」

「もし六代目がその気なら、森岡はんが天涯孤独になったとき、引き取っておられたはずや。それが三代目と昵懇だった神村先生には預けられたと知って諦められたんやと思う」

 神戸灘洋上での面会のとき、森岡は自身の生い立ちを語っていた。

「それにだ。もし実子である森岡はんを八代目にするためにブックメーカー事業を任せてみろ。いかに六代目とて周囲が黙っておらん」

 寺島はそう言うと、

「お前のためにも、まずこのわしがお諌めする」

「親父さん……」

 自分のために意見するとの言葉に峰松は感激した。

「ですが六代目のことです、ブックメーカー事業をお任せになったのは、純粋に森岡はんが有能だからという理由だけではないでしょう」

 そうや、と寺島が目を細めた。

「六代目はな、森岡はんをキングメーカーにするおつもりだとわしは睨んでいる」

「キングメーカーですと」

 峰松が怪訝な声を上げた。

「昔、長らく政界を田上角蔵が支配していただろう。あれや」

「そ、そんな馬鹿な。いかに六代目の実子であろうと、極道者でもないものが神王組の人事を支配するのですか」

 峰松は怒りに任せて声を荒げた。

「まあ落ち着け、峰松」

 寺島が宥めた。

「キングメーカーというのは言い過ぎだが、森岡はんを味方に付けた者が優位に立つことは間違いない」

「それは私もそう思います」

 森岡の年齢から言えば、峰松から向こう四代に亘り影響を及ぼすことが考えられた。

「そういう意味では、キングメーカーというよりジョーカーというべきだな」

「それなら納得できます」

「森岡はんが六代目の実子でなくても、かつて想いを寄せた女性の息子さんや。子の無い親父にとっては、我が子同然に可愛いのかもしれん」

「同じく子の無かった三代目が六代目を可愛いがられたのと同様ですね」

 そうだ、と寺島は肯いた。

「せやからな。森岡はんの心証は六代目の心証やと思わねばならんぞ」

「心に深く留めておきます」

 峰松は神妙な顔つきで頭を下げた。

 

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