黒い聖域   作:安岡久遠

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第六巻 決意の徒 覚醒(2)

 山尾茜から受け取った目加戸瑠津の報告書には重要な記載があった。枕木山には、良質の鉱物が埋蔵されている可能性が高いというのである。

 その鉱物とは金ではなく「水晶」だった。

 武田信玄が放った乱破からの文に、

『枕木山の中腹に、金にはあらねど、良質の(はり)あり』

 と記されているというのである。はりとは水晶のことである。

「ねえ、洋介さん。宍道湖での瑠津さんの言葉、あれ本心だったのよ」

「宍道湖での言葉……何のことや」

 森岡は惚けて言う。

「もう、聞こえていたくせに」

 茜は森岡の腕を抓った。

「あの頃の俺には未来への希望などなかった。その俺が目加戸家のお嬢様とどうこうなろうなどとは考えられるはずもない。しかも彼女は、親友で恩人でもある坂根秀樹の彼女だったのだからな」

「その言い方だと、洋介さんも瑠津さんのことが好きだったのね」

「そうかもしれんな」

「まるで他人事ね」

 茜の口調には棘があった。

 森岡は委細構わず、

「そう、人並みの恋愛など、生きる希望の無かった俺には他人事だった」

 と乾いた声で呟く。

「瑠津さんは今でも貴方を想っていらっしゃるわ」

 少し投げやりに言った茜に、森岡はふっ、と小さく息を吐いた。

「俺には、お前がいるんやで」

 咎めるような口調である。

「それとも瑠津さんに鞍替えしてもええのか」

「それは、嫌……」

 蚊の鳴くような声である。

「聞こえんな」

 森岡は手のひらを耳に当てた。

「それは、困るう……」

 茜は駄々っ子のように言った。そのふくれっ面に、森岡はクスッと笑った。

 

 調査を継続していた景山律堂からの報告で、大河内法悦の指摘が証明された。かつて枕木山には栄真大聖人の末弟栄相の草庵があり、彼の子孫が代々隠遁していたのだが、瑞真寺が建立された後に廃庵となり、今では総本山ですらも忘れられた存在になっているとの連絡があった。

 これで裏付けも強固なものになった。

 これらの情報を元に森岡は推量した。

 栄相の、いずれかの代の子孫が、枕木山には良質の水晶が埋蔵されていることを知ったのであろう。そして今日まで固く秘匿してきた。

 現門主の栄覚もまた秘匿しなければならなかった。誰かに疑念を抱かれてしまえば、宝を失いかねないからだ。枕木山は天真宗が所有する山であり、採掘の権限は宗務院に帰するものなのである。

 自身の野望実現に役立てたい栄覚は、法主になったあかつきに、宗務院に圧力を掛けて草庵跡を含む広範囲な一帯、あるいは山全体を買い取る気なのだ。むろん瑞真寺ではなく家門が所有する単立寺院に、である。

 元々、宗祖家縁の草庵地が絡んでいるのだ。立国会を絡めて瑞真寺の護山にでもすると説明すれば反対の声は小さいだろう。

 その後、瑞真寺の子院建立を名目に、水晶鉱脈を発見したように装う。良質の水晶は金魁に匹敵する価値がある。そうして得た潤沢な資金は、法主の座を宗祖家の世襲とする工作に使われる。

 法主にさえなってしまえば、土地の買収、水晶採掘の過程に関して問題視する声が上がっても撥ね付けることができる。

 洞窟のような痕跡は草庵跡を採掘したものなのだろう。

 五十年前と三年前の、二度の失踪事件は、伐採中に他の作業員の目から逃れてその洞窟に一旦身を隠し、深夜に山を降りれば良いのだ。子供騙しだが、古い史跡という威光が隠れ蓑になったと思われた。

 さすがに先代栄興門主は、密教奥義を伝承されたほどの人格者である。三十年前の伐採時に、そのような姑息な手段に訴えることはしなかったが、たまたま人身事故が起こってしまい、「お山の祟り」という畏怖の浸透に、一役買った形になってしまったのだろう。

 坂根好之らが枕木山を訪れたことを宗務院から知らされた栄覚門主は、坂根らの行動を監視していたに違いない。そして、一人で再度枕木山に入った坂根を拉致した。

 他方で栄覚門主が勅使河原公彦と一線を画していることも確認できた。水晶発掘は時の定まらない企てである。したがって、勅使川原の資金援助を受けた方が得策のはずである。

 だが、今のところ坂東明園や一色魁嶺に対して高額の賄賂を渡した形跡はない。というより、そもそも栄覚門主が水晶の件を勅使川原に秘匿していたからこそ、勅使河原は野津が所有する材木伐採権の奪取を図らなかったのだ。

 これらはあくまでも森岡の推量に過ぎなかったが、ともあれ瑞真寺の敵意が鮮明になった今、当寺の秘事と悪しき企みの尻尾を掴んだことは、森岡にとってこの上ない反撃材料の手掛かりになった。

 

 森岡洋介、弓削広大との鼎談を終え、総本山に戻った景山律堂だったが、すぐさま宗務院へ足を運び、森岡からの新たな依頼に着手というわけにはいかなかった。

 森岡から、先の岡崎家での密会が総本山宗務院から外に漏れている可能性を指摘されていたからである。

 宗務院内に敵、すなわち栄覚門主の手が伸びている可能性が浮上したからには、迂闊な行動は控えねばならなかった。

 景山は総務清堂と相談し、総務の特命で臨時の会計監査を行うと、宗務院に通達した。

 総本山の宗務院には主に二つの役目があった。

 一つは、総本山宗務の管理監督である。この役目の長官は宗務総長であり、現在は永井大幹が務めている。

 もう一つは、全国寺院から集約される事務報告の管理と監査である。総本山の宗務院も含めたこの役目の最高責任者は総務で、同じく藤井清堂が務めている。

 景山は、総務清堂の許可証を持って宗務院に乗り込んだ。

 宗務院は社務塔と呼ばれる建屋にあった。

 社務塔は東門を入った奥に位置している。東門の前には広大な駐車場があり、全国からの参拝客は東門の直前まで車で登って来ることができた。一方、正門から入山する場合は麓から徒歩ということになった。

 社務塔の入り口に社務所があり、参詣客等の受付事務はここで行われた。

 宗務院は社務所の奥にあった。宗務総長と二名の宗務次長には個室が与えられているが、その他の一般僧侶は大部屋で職務に当っていた。その数、およそ五十名である。その他、各子院で得度してまだ数年しか経たない学僧が一般雑務を交代で担当していた。

 景山は、周囲の目を気にしながら本山相心寺と無明寺の会計報告を調べた結果、二寺院ともに揮毫料の記載が森岡の報告より極端に少ないことがわかった。

 ほどなくして、伊能剛史の調査により無明寺の脱税行為が明白となった。伊能は帝都大学時代の友人である東京国税局の主任査察官を通じて、京都東税務署の署長に話を通してもらっていた。

 学閥、取り分け我が国最高学府である帝都大学閥は、この国のありとあらゆる分野、階層に根を伸ばしている。

 京都東税務署の署長としても、願ってもない申し出であった。

 脱税の摘発、特に税務上の聖域にある宗教法人の摘発は、昇進出世のための大きな得点となるからである。

 そのため、逆に強引な摘発を法廷に持ち込まれ、敗訴して左遷に憂き目に遭う署長もしばしばいた。

 森岡は十分な証拠を確保したが、すぐには糾弾行為に移らなかった。栄覚門主が相手となれば、首尾良く一色魁嶺の停職に成功しても、合議まで間を作ってしまうと、いかなる逆襲を受けるとも限らないからである。

 森岡は合議の日の三日前に、規律委員会が開催されるように逆算して行動することにした。

 その間に、景山は森岡が懸念を示した「瑞の坊」の縁起も調べようとしたが、これもまた、おいそれとはいかなかった。全国寺院の縁起資料は、総本山の文庫資料館に保管されているのだが、この管理も宗務院の支配下にあるため、同院の許可が必要なのである。景山は、再度総務清堂の協力を仰ぎ、あらためて華の坊の縁起を確認すると偽って文庫資料館に入った。

 

 総本山の護山である高尾山に建つ瑞真寺では、執事長の葛城信之が栄覚門主への注進に及んでいた。

「何やら華の坊の景山がいろいろと嗅ぎ回っているようです」

「総務の懐刀が何を調べているというのかな」

 柔らかな口調だが、眼つきは厳しい。

「一つは寺院の会計監査だそうで、もう一つが華の坊の縁起だそうです」

 ほう、と唸ったきり栄覚が沈思した。

「中原宗務次長からの報告じゃな」

「そうです」

「会計監査のう……」

「心当たりがございますか」

「景山が動くということは、当然森岡の指示であろうな」

「おそらくは」

 葛城が忌々しげに肯いた。

「となれば、本妙寺の貫主の座に久保上人を押している寺院の瑕疵を探しておるのだろう」

「傷を探していると」

 栄覚は苦い顔をする。

「情けなきことながら、坊主も修行より金勘定というのが当世であるからな。脛に傷を持つものもいるだろう」

「寝返りの脅迫のネタに使うと言われますので」

「それも手だが、あの男ならば嫌味をするかもしれないな」

 栄覚は東京ビッグサイトでの面談を想起して言った。

「嫌味、と仰いますと」

「ほれ、こちらが使った手だ」

「規律委員会ですか」

「目には目を歯には歯を、ということだろう」

 と言った栄覚が口の端を歪める。

「仏教徒が口にする例えではないがな」

 なるほど、と葛城は得心顔で頷く。

「では、縁起の方はどういうことでしょうか」

「華の坊というのは方便で、こちらのことを探っているのだよ」

「当寺院の縁起はすでに知っていると思われますが」

「だから、当寺そのものではなく、当寺と関わりのある寺院を、という意味だ」

「そういうことですか」

「これもまた森岡の指示なのだろうが、こちらの方は、奴の能力からすればようやくというところだな」

「とてもそうとは思えませんが」

 葛城にしてみれば、森岡の着眼点の鋭さに驚くばかりなのである。

「しかし、何のためでしょう」

「さしずめ、瑞の坊あたりかの」

 あっ、と葛城の顔が歪んだ。

「では、雲も……」

 いいや、と栄覚は首を横に振った。

「さすがの森岡も、まだそこまでは気づいていないようだ」

「さて」

 葛城は、なぜにという顔をした。

「あそこはほれ、呼び名が違うであろうが」

 ああー、と葛城が思い当った。

「『音読み』ではなく『訓読み』だからの。まあ、以前に名刺でも渡していれば視覚的に残っているかもしれないがな」

 いかにも然様でした、と葛城は唸った。

「どういたしましょうか」

「放っておけ」

 栄覚はつれなく言い放った。

「えっ」

 葛城が呆気に取られた。

 そもそも、数日前から栄覚門主の機嫌が良いことに疑念を抱いていた。

 森岡に枕木山の草庵跡を勘付かれたことで、御本尊の贋作作りにも神経質になっていたはずであった。

 葛城は語調を強めた。 

「下手をすると、神村上人が本妙寺の貫主になってしまいます」

「良い、良い」

 それでも栄覚は不敵に笑った。

 へっ、と葛城はそれこそ狐にでも化かされたような顔をした。

 それもそのはずである。栄覚門主にとって神村正遠は、野望の障害となる最大の仇敵であったはずである。だからこそ、まずは出鼻を挫くため、神村の本妙寺貫主就任阻止へ向けて様々な策を巡らしてきたのではなかったのか。

 それを、肝心要の合議間近になって、放って置けとはどういう意図なのか。

 疑念が張り付いた顔の葛城に、栄覚が問い掛けた。

「執事長、私にとって神村の脅威とは何だね」

「言うまでもなく、御門主様の法主就任への障害でございましょう」

「その通りだ。ならば、本妙寺の貫主など畏怖することもないであろう」

「しかし……」

 葛城には栄覚門主の謎掛けが解けなかった。

 神村は、まさにその本妙寺貫主の座を足掛かりに、法主の座へと駆け上がって来るかもしれないのである。

「今はわからずとも良い、執事長」

 栄覚は意味深い言葉を掛けると、

「そうだな、放って置いても痛くも痒くもないが、森岡に吠え面を掻かせるのも面白いな。いや、一度奴に挫折という苦みを味あわせてやろう」

 栄覚の眼が鈍く光った。

「執事長、近くへ」

 栄覚は近づいた葛城に、

「中原宗務次長に伝えたいことがある」

 と断ってから、一段と声を低めて何やら囁いた。

 

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