その少女は異形だった。
否、少女と呼ぶにはその姿は常軌を逸し過ぎていた。
陶器のような白い肌に、自らの来歴を示すかのように靡く漆黒の外套。
頭部には楕円状の甲殻が鎮座し、そこからは無数の白い触手が生え揃っている。
瞳は碧く、どこまでも吸い込まれそうになる魔性を宿していた。
――曰く、深海棲艦。
深き水底から突如として出現し、人類に仇を為し続けている仄暗き存在。
当初、その特徴は、戦闘艦艇を模したヒトガタの形状にこそあったが――。
最も恐るべきは、その強大な戦闘力と圧倒的な数によって成される断続的な侵攻。
瞬く間にありとあらゆる海を掌握した彼女らは、現在でもその版図を広げ続け、人類の生活を脅かし続けている。
だが、人類とてただ指を咥えて、彼女らに蹂躙されるがままではなかった。
深海棲艦が世界の海を闊歩するようになって以来、人類は自らの窮状を嘆くも、それに対抗し得る手段――艦娘と呼ばれる新たな兵器を生み出すことに成功した。
戦艦、空母、重巡洋艦、軽巡洋艦、駆逐艦、潜水艦――。
かつて、護国の勇士であった艦艇の魂を受け継ぎ、再び戦火渦巻く戦場へと駆り出される少女たち。
彼女らもまた、人間的でありながら、対する深海棲艦と異様なまでに似通った存在であった。
そして、今。
厳重なケージに捕らえられた空母型深海棲艦――戦略呼称ではヲ級といった――が、とある鎮守府の艦隊に引き渡されようとしていた。
彼女の四肢を縛る重い鎖。加えて、特殊な薬物の投与によって、その禍々しくも圧倒的な力を有する体は満足に動かすことが叶わない。
多大な犠牲を払って、ようやく手に入れた無傷の個体。
そも、こういった敵性個体を捕らえるというケースは、何も今回が初めてというわけではなかった。
敵と戦う以上、敵を知ることは何においても優先される。それは、人間が相手だろうと、異形の怪物が相手だろうと変わることはない。
だが、今回は――どうやら、また異なった趣による実験が開始されるようであった。
◇
真昼の外洋。空は高く、波は穏やか。
外部カメラから得た映像の感度は良好だった。
手元の時計に眼を落とす。会敵予想時刻まで、残り五分。
その僅かな時間を見計らって、今回の試験兵器の姿を盗み見た。
「……全く、上も面倒なことを押し付けてくれるものだ」
画面越しに見えるその姿は、本来であれば人類が戦うべきはずの存在――深海棲艦。
それも、強力な航空兵力を有し、開戦以来こちらに壊滅的な損害を与え続けてきた空母――ヲ級。
今でこそ、こちらに牙を向けることなく、物静かに手元の錫杖を握って水面に佇んでいるが――。
『――仕方ありませんよ、提督。それが、私達に与えられた任務なのですから』
ひとり愚痴ていると、モニターの小ウィンドウにひとりの艦娘の顔が映った。
「そうは言うがな、明石。はっきり言って、これは毒を以て毒を制するというレベルを超えている。何の因果で、鹵獲した敵を自軍戦力に組み込まねばならんのだ。それも、意志疎通などほぼ不可能ときているのだぞ?」
『そこは――まぁ、私にお任せ下さい。最低限のコミュニケーションは取れるよう、本部の方たちが頑張ってくれたようですから』
「フン、一体どのような手を使ったやら。考えるだにおぞましい」
『はは、それは私たち艦娘も似たようなものですけどね』
「……口が滑ったようだ。訂正する」
『いえいえ、構いませんよ。そういった扱いにも、私たちは慣れていますから。……それに、そういった感情を汲み取って頂けるだけでも、私たちにとっては充分です』
「……そうか」
それっきりを言うと、俺は自然と押し黙ってしまった。
(……何をやっているんだ、俺は。彼女らのモチベーション管理も、仕事の内だろうに)
今回の任務は、敵性個体――深海棲艦、空母ヲ級の試験運用。
今朝方、鎮守府近海において確認された、小規模な深海棲艦群を標的にその真価を測る。
それに伴い、我が艦隊麾下の工作艦――明石を随伴、外部カメラと観測器具による映像と諸々の数値の測定を一任した。
また、彼女らの護衛として、駆逐艦四隻――不知火、磯風、早霜、響を宛がい、万が一に備える。
(……フン。上から下された命令が絶対であることなど、とうに分かっている。だが、本来の任務を蔑ろにし、このような試験を実施することで、我々に何の利があるというのだ。一体、上の連中は何を考えている……?)
本来であれば、我々の艦隊は艦娘に必要なあらゆる兵装の試験を執り行う、海軍省外局、艦政本部隷下の艦隊であった。
――砲、機銃、魚雷、爆弾、爆雷、航空機、電探、ソナー。
彼女らが敵と戦うために必須の装備を試験し、その性能と信頼性を確かめ、第一線で活躍する艦娘に送り届ける。
深海棲艦との戦いが激化した今、強力な最新装備の開発と試験は急務であり、我が艦隊もその例に漏れることなく、日々の任務を消化していたはずであったのだが――。
(よもや、鹵獲した敵の試験運用とはな……)
それは想像だにしていなかった事態だった。
ましてや、デリケートな扱いを要求される敵性兵器の評価、その試験を、下っ端たる我が艦隊に預けられることになろうとは。
重大な任務を課せられたということは、ある意味、名誉ではあるが、兵器の試験運用を是とする我が艦隊にとっては少々厄介なことでもあった。
元来、試作兵器の類いは、故障や欠陥といったあらゆる負の問題が付いてまわる。
無論、それらを解消することが我らの任務ではあるが、望んでそのような事態を招くことを良しとはしない。
何より、危険が伴う。試作といえど、所詮は兵器。
不幸な事故によって、試作兵器のみならず、それを扱っていた生命までもが奪われることもある。
そういった事例を鑑みれば、今回の試験はその最たるものだろう。
(何せ、元は敵であったモノを扱うのだからな。……加えて、こいつはただの兵器ではない。艦娘と同様、微弱ながらも意志を持ち合わせている)
艦隊を預かる俺ですら、その扱いに辟易するとなれば。
彼女ら――艦娘が抱える心労は察して余りある。
とはいえ、彼女たちとてプロフェッショナル。
かつての敵と轡を並べるという状況に対する彼女らの意志はともかく、その実力と忠誠は折り紙付き。
また、艦娘の所在が軍属である以上、上官の命令は絶対である。
今回の試験に如何なる感情を抱いていようが、与えられた任務である以上、必要外のことは口答えできない。
それらを鑑みれば、むしろ、俺のように後方でモニターしているだけの存在よりは、実際に敵と肩を並べる彼女らの方が遥かに立派だった。
『――提督。間もなく、報告にあった敵艦隊と交戦に入ります。……本当に、不知火らは即応態勢で待機――で、宜しいのでしょうか?』
画面の小ウィンドウが開かれ、カメラ付きインカムを通して、艦隊旗艦である駆逐艦――不知火の端正な顔が表示された。
その表情に焦りはなく、常日頃と変わらない冷静さを湛えている。
「ああ、それで構わん。敵への攻撃は全て試験対象が行う。貴様らは万が一に備えていればいい」
『――提督、ひとつ聞きたいことがある』
モニターに別の小ウィンドウが開かれ、磯風の顔が表示された。
その表情は勇壮さに溢れているものの、どこか焦燥を含んでいるようにも見える。
「許可する」
『では、聞こう。今回の任務についてだが、どうあってもその意図を知る術はないのか?』
「ああ。残念だが、俺ですら本部の連中が考えている意図は知らん」
『そうか……。しかし、何を以て敵の力を測るというのだ。そんなこと、過去にも散々行われたことだろうに。それよりも、今は我々の装備の開発を優先して然るべきはずだ……!!』
憤慨する磯風を宥めるように、ふたつの小ウィンドウが開く。響と早霜だった。
『落ち着こう、磯風。気持ちは分かるけど、ここは冷静に徹すべきだ』
『響さんの仰るとおりですよ、磯風さん。焦っては何事も上手くいきません。ここは、つまらない任務と割り切って耐え忍びましょう』
『……響、早霜。分かってはいる、分かってはいるが……ッ』
磯風の言い分は理解できる。
だが、彼女に告げるべき言葉は既に決まっていた。
「磯風、悪いがこれも任務だ。……いずれは本来の試験に戻るだろうから、今は辛抱してくれ」
『――ッ、了解』
短い返答と共に、磯風の顔を映した小ウィンドウが消える。
彼女の疑念を晴らすことはできなかったが、その心情は察して余りあった。
否、彼女だけではない。不知火、早霜、響――。
明石を除いて、今回の試験に参加する戦闘艦艇ならば、誰もが皆、似たような感情を抱いたことだろう。
無論、それは敵と轡を並べることによって生じる、複雑な感情だけではない。
おそらく、彼女らは我々が本来行っていた艦娘のための兵装試験が、今回の試験によって道半ばにして頓挫してしまったことを悔いている。
元来、不知火にしろ、磯風にしろ、彼女らは第一線から引き抜かれてきた精鋭に他ならない。
上が下した異動命令にせよ、彼女たちにとって、共に戦ってきた戦友を前線に残し、ある意味後方ともいえるこの艦隊に編入させられたことは屈辱とも取れるだろう。
砲弾が飛び交う戦場で確かな戦果を築き上げてきた彼女らにとって、この艦隊は左遷先も同然。
しかし、命じられた異動である以上、個人の意志で前線に戻ることは叶わない。
ならば、せめて試作兵装の開発を急ぎ、前線で戦う仲間のために一刻も早く強力な兵器を造り上げ、送り届ける――。
それが、彼女らが胸に抱いた願い。このような後方にあっても、今もどこかで戦い続けている戦友を想う心遣い。
――だが、それすらも奪われようとしている。
上が下した意図も知れぬ命令によって。
(……分かっている。それでも、彼女らをまとめ、支え続けることが俺の役目であると)
彼女らの心情を理解できるからこそ、俺はここに居る。
所詮、この身も似たような境遇にあるのだから――。
『――提督。右十五度、艦影六、針路北西、距離一万、敵艦隊捕捉。偵察の報告にあった通り、構成される敵艦種は、軽巡二、駆逐四です。こちらは既に、各艦砲戦準備完了しています』
不知火からの通信にひとつ頷く。
「宜しい。……では、明石。後は任せる」
『了解です。さーて、腕が鳴りますね!!』
言うや否や、明石は眼を閉じ、精神を集中させた。
瞑想にも近いこの状態。だが、かの深海棲艦と意志の疎通を図るためには必要なことらしい。
本部の研究者曰く、艦娘と深海棲艦の性質は非常に似通っているという。
確かに、下位の深海棲艦こそ姿形は異形のままではあるが、上位の個体になればなるほど、彼女らはヒトガタに近付く。
艤装を纏い、砲を手に構えるその姿は、暗い色調の違いこそあれ、艦娘と瓜二つ。
なるほど、太古の昔、生命は海から生まれたという。
そうであれば、彼女らもまた、ある種起源を同じくする者同士ということか――。
『――ヲ級の意識に干渉開始。これより、攻撃の命令を下します』
明石の報告と同時、彼女が装備する特殊な装置が起動した。
これは、本部から貸与された思念増幅装置であり、鹵獲したヲ級の意識に対し、明石側から一定の信号を送って命令を下せるようにできている。
眉唾な話ではあったが、そもそも、この艦隊にヲ級が引き渡された際、彼女は驚くほどに大人しかった。
どのような手段を使ったかは知りたくもないが、本部の連中はこの化物を上手く手懐けたらしく、現在のヲ級の意識は、こちらが完全に掌握している。
催眠とも洗脳ともつかぬ状態。ともかく、一定の信号を送らない限り、この無抵抗の状態が維持されるようになっている。
――曰く、イルカはパルス音を用いて仲間とコミュニケーションを図るという。
同じく海を泳ぐ生物――というわけでもないが、本部の研究者に言わせれば、何やらそういった原理に似た方法を用いてヲ級の意識に働きかけるらしい。
結果、その信号を送る適任者として、工作艦である明石が選ばれた。無論、その選定には幾つかの理由があった。
ひとつに、彼女が艦娘の艤装を修理する役割上、無数の艦娘に触れる機会が多いということ。
そして、その都合上、あらゆる艦娘の艤装と構造に精通しているということ。
以上の二点から、同様の調整法でヲ級を制御することができるのではないか、という結論に至ったのである。
実際、その推測は成果を挙げ、以前陸上で行われた試験では、ある程度のヲ級の制御に成功した。
それに付随して、明石から奇妙な副産物とも取れる意見を聞く機会もあった。
明石曰く、見て触れて感じたところ、彼女らの構造は艦娘と然して変わるところがない――。
――ただ、その意識には、明確な負の感情が宿っている、と。
その負の感情が、先天的か後天的なモノであるかどうかまでは分からない。
だが、彼女らの意識を解析していけば、いずれはその原因が判明し、あわよくば互いに歩み寄る和平の道すら――。
(……まさかな)
不意に頭に浮かんだ絵空事を振り払い、任務に集中するよう努める。
(……そうだ。現に、ヤツらは世界の海という海を席巻し、人間に対して無差別に危害を加えている。それが、そのような存在と――)
『――提督!! 接近していた敵艦隊ですが、こちらと距離七千を維持した状態で、停止しました……!!』
「敵が、止まった……?」
不知火からの報告により、我に返る。
まさか、ヲ級の姿を見とめて、仲間意識から攻撃を中止したというのか。
過去の事例から、深海棲艦は決して友軍誤射を行わないと聞いていたとはいえ――。
『――提督、ヲ級の攻撃命令を中止しますか?』
状況を慮った明石からの通信が入る。
だが、我々がやるべきことなど初めから決まっている。
逆に、この静止した状況こそ、絶好にして恰好の標的となろう。
「いや、構わん。そのまま、攻撃命令を続行しろ」
『――了解です』
そうだ、これは試験という名目でありながら、前線で戦う艦娘らと何ら変わることはない。
ひとえに戦争。そのために我々は存在している。
命令こそが絶対。所詮、一艦隊の提督である今の俺に、大局を動かそうなどという理想は過ぎたものに他ならない。
それは、俺の下で付き従うこの艦隊の艦娘とて同じこと。
「……さぁ、その力を見せてみろ」
固い決意と共に、異形の空母を見詰める。
その深く碧い瞳は、一体何を見据えているのか。
意識上では敵として映っている、かつての味方の姿か。
まさか、この期に及んで意識の制御が解け、彼女が逃走を図るとは到底思えない。
とはいえ、今回の試験に当たって、俺は万全の舞台を整えた。
明石や不知火らにすら伏せてあるが、この試験の督戦のため、付近の海底には潜水艦四隻を潜ませてある。
万が一、試験対象であるヲ級が脱走などしようものならば、彼女らが放つ雷撃によって問答無用に処分することもできる。
それは、この試験を命令した上からの差し金であり、指示でもあった。
「……む」
直後、それまでは虚ろな様子を維持していたヲ級が顔を上げた。
続いて、その手に持した錫杖を掲げ、何かを呟いた――ように見えた。
「何をするつもりだ……?」
瞬間、仄暗い海中から黒い鏃のような物体が次々と波を割って飛び出した。
その数は、目算では捉えきれない。横目で見た測定器具の数値では、三十六。
「明石、今のヤツらは、海中のどこから出現したッ……!?」
『――わ、分かりません!! こちらでも観測していたのですが、ただ、何もない海中から突如出現したとしか……』
「……一体、何を手繰っているというのだ、こいつは」
不可解な現象の解明は後に回し、とにかく、今し方現れた黒い物体の確認に取り掛かる。
とはいえ、その正体は概ね把握していた。何のことはない、彼女らの――深海棲艦が使役する艦載機である。
外部カメラの映像を睨みつつ、手元の識別表を頼りに機種の判別を行う。
いずれも、かつて戦場で見たことのある機種――艦上爆撃機が十八機、そして、艦上攻撃機が十八機。
見た目は同じだが、その異形の腹に抱えている兵装が異なる。
所詮、彼女らとて、超常の存在ではあるものの、その使用する兵器は人類と規格を同一にしている。
そういう意味では、人類は比較的与しやすい相手を敵に回していると言えよう。
とはいえ、艦娘ではない通常戦力では、全く太刀打ちできないという有り様ではあったが。
『――試験対象が放った艦載機は、編隊を組み、南東に向け飛行中。狙いは、敵艦隊で間違いはないかと』
不知火の報告に頷き、外部カメラの映像を辿って、艦載機の行方を見据える。
漆黒の機影は、完璧なまでに統制された飛行で以て侵攻中。
その練度は、人類が有する空母搭載の艦載機と何ら劣るところはない。
(……不思議なものだな。まさか、彼女の側に立って、その挙動を目にすることになるとは)
視点が変われば見方も変わる。
普段であれば、水平線の向こうから跳梁してくるはずの敵艦載機。
それが今、試験中とはいえ味方側にある。
思えば、戦場で幾度も会敵こそすれ、敵艦載機が発艦する間際を直接目にしたことはない。
深海棲艦がどのような戦術を編み出し、どのような指揮を執っているのか。
少なからず、興味深くはあった。
『――艦載機、なおも侵攻中。間もなく、爆撃、雷撃態勢に入る模様』
不知火の報告を耳にしたと同時、総勢三十六機からなる編隊は十八機ずつ、綺麗に二隊にサッと別れ、一隊は高空へと上昇。
残る一隊は、海上に程近い低空へと高度を下げた。おそらく、こちらが魚雷を有する艦攻だろう。
『敵艦隊、依然として停止中』
『どうしたんだろう? 動揺しているのかな』
不知火の報告に響が疑問を呟いた。
それに続くように、磯風、早霜も口を開く。
『さてな。まぁ、元は味方であった者が敵と同じ艦隊に居るのだ。多少なりとも困惑はするだろう』
『こちらとしては興味深い見物なのですけどね、ふふ……』
確かに、普通に考えればそういった線が妥当だろう。
だが、外部映像を通して見る彼女ら深海棲艦の姿は、ヲ級に対し、何かを訴えかけているようにも思えた。
その間にも、速力を増したヲ級の編隊が敵艦隊へと接近する。
『――各編隊、共に、爆撃、雷撃コースへと入りました』
不知火の無情な報告が続く。
それでも、敵艦隊は一切動こうとしない。
至近に迫った艦載機に対空射撃を繰り出すわけでもなく、ただ佇んでいる。
――そして、その時は来た。
『艦攻、魚雷投下。続いて、艦爆、爆弾投下』
最大望遠された外部映像の海に、海中を進む航空魚雷の雷跡がうっすらと見えた。
同時に、急降下した艦爆の放った爆弾が、唸りを上げて敵艦隊直上から殺到する。
――瞬間、海が吼えた。
腹の底を震わせる、激しい振動。それに伴って打ち上げられる幾条もの水柱。
画面を通し、ビリビリと大気が呻くなか、赤い炎柱が上がるのが見えた。
魚雷、爆弾、共に命中。
数分と経たぬうちに、敵艦隊六隻全てが波間に消える。轟沈であった。
しかし、敵艦隊がほぼ停止状態にあったとはいえ、ヲ級が放った艦載機の練度には目を見張るものがあった。
艦攻、そして、艦爆による攻撃タイミングの完璧なまでの同調。
おそらく、一方の攻撃が標的から外れようとも、もう一方からの攻撃は避けられぬよう計算されていたに違いない。
「……見事な練度だな」
『――はい、提督。こちらの航空戦隊に比肩し得るだけの実力があるかと思われます』
不知火の評価にひとつ頷く。
「ああ。悔しいが、敵さんの力を認めざるを得んようだ。……一体、どのような技術を用いているのやら」
溜息交じりにそう呟くと、同じくそれまでを傍観していた磯風が所感を口にしていた。
『……やはり、艦載機は好かんな。味方であれば心強いが』
『航空支援のない作戦ほど恐ろしいものはないからね。……まぁ、贅沢は言えないかな』
頷く響。
実際、我々のような後方部隊には、海戦における最重要戦力たる空母を前線から引き抜き、試験のためだけにこちらへ回航させるだけの権限と余裕がない。
『空母は貴重品……。だから、重要な作戦へ優先的に回されてしまう。……ふふ、私たちのような裏方には縁のない話ね』
早霜が自嘲気味に笑ってみせた。
仕方のない話ではあるが、我々はこういった事情に慣れてしまっている。
(……とはいえ、この光景は如何なものか)
先程まで敵艦隊がいた海上には、渦と僅かな黒煙、そして、小さく砕け散った浮遊物のみが残っていた。
無理もない。あれだけの攻撃を受けて浮いていられる艦艇など高が知れている。
そう考えれば、ヲ級が指揮した艦載機による戦術は完璧なものだった。
だが、一方。その光景は、決して胸のすくようなものではなかったのも事実。
言うなれば、同族殺しと言ったところだろうか。まるで、親が子を殺しているかのような矛盾を孕んだ光景だった。
ましてや、その行為を我々が故意に促し、傍観者として記録する。
これを、外道の所業と言わずに何と言う。
幾ら敵戦力の研究という立派な建前を掲げようとも、そのような行為は凄惨極まる。
この状況をまともな精神で観察しようものならば、その背景にある惨たらしさに目を逸らしてしまうことだろう。
――だが、これは戦争だ。
そして、我々はそういった凄惨な状況に慣れ切っている。
如何に心中で想うところがあれ、表面上でそれを出すことは有り得ない。
『――提督、ヲ級の艦載機を帰投させます。宜しいですか?』
明石からの通信を受け取り、俺は頷いた。
「許可する。ご苦労だったな、明石」
『いえいえ、これが私の仕事ですから』
そう言って微笑む彼女は、実際喜々としていた。
おそらく、彼女も今回の試験で得られたデータを解析することが楽しみなのだろう。
技術屋としては、喉から手が出るほど貴重なデータに違いない。
(……さて、これで今回の試験項目は終了した。後は――)
その時だった。
『――提督、近海を哨戒中の偵察機より入電。我が艦隊より、右十五度、針路北西、距離一万五千付近にて、敵艦隊捕捉とのこと。構成される艦種は……戦艦二。高速で接近中です』
不知火が冷静に報告を読み上げた。
万全を期すため、陸上基地から偵察機を放っておいたことが吉と出たか。
「……戦艦が二隻。……なるほど、こいつらが本隊か」
おそらく、先程沈めた艦隊は、この二隻の指揮下にいたのだろう。
あの六隻は偵察、或いは斥候目的で駆り出されていた可能性が高い。
だが、戦力の分散など愚の骨頂だろうに。それに、水上機を飛ばすという手もあったはず。
ましてや、ここは仮にも人類が制海権を手にしている海域でもある。
その采配は、少々お粗末に過ぎたのではないか――。
「……いや、違うな」
脳裏にひとつの疑問が浮かぶ。
あの不自然な挙動。ヲ級の艦載機が迫るなか、微動だにしなかった敵艦隊。
彼女らの目的が、こちらとの戦闘行為ではなかったとしたら――?
その問いに、嫌な予感が沸き起こった。
「まさか、こちらのヲ級の回収にあったとでもいうのか……?」
確かに、そうであれば我々の艦隊に対して直接、必要以上に接近していた理由も頷ける。
彼女らは、敵に奪われたヲ級の回収を試みるべく、機関を停止してまで、何かを呼び掛けていた――?
『――提督ッ!! 目視にて敵戦艦捕捉。主砲、こちらを指向していますッ!! 目標は――』
差し迫った不知火の報告に、大方の見当は即座に付いた。
直後、敵戦艦が放ったと思しき初弾が、大気を切り裂いてヲ級の周囲に降り注ぐ。
響く轟音。外部映像のなかで、一段と高い水柱が立ち昇る。
「……やはり、見境なしか」
おそらく、彼女らは先程の敵艦隊とは異なり、理解している。
このヲ級が、既に敵の手に堕ちているということを。
そして、もはや同族の手による回収が不可能であるということも。
上位の深海棲艦であれば、おぼろげながらにも人語を話すという報告は聞いていた。
なるほど、それなりの知性があれば、例え同族であろうとも敵味方の区別は付くというわけか。
これではっきりとした。彼女らは自らの手でヲ級を沈めるつもりだ。
これ以上、敵に自軍の機密情報を漏らさせないために――。
「明石、至急ヲ級を戦域から退避させろ。自分も忘れるな」
『――は、はい……!!』
敵の目標さえ判明すれば話は早い。
まずは、緊急時の手筈に則り、非戦闘艦艇である明石と、試験対象であるヲ級を戦域より離脱させる。
試験において必要不可欠な存在である彼女らを敵前に晒すわけにはいかない。
幸い、敵戦艦からの砲撃はまだ始まったばかりである。距離もある故、避退は充分間に合う。
次いで、残った駆逐艦への指示だが――これに関しては概ね決まっていた。
不知火、磯風、早霜、響の小ウィンドウを開き、顔を見合わせる。
各艦、この状況に何ひとつ動じることなく、俺の指示を待っていた。
ひとつ咳払いをしてから、口を開く。
「さて、貴様らにひとつ、確認しておきたいことがある。現在、こちらに向かって敵戦艦二隻が接近中。無論、砲で劣るこちらが即時撤退を選択することも止む無しではある――が」
含みを持たせ言葉を切る。
だが、彼女らは俺が言わんとすることを既に理解しているようだった。
「わざわざ鎮守府近海まで御足労なさったお客さんを歓迎しないというのは、少々礼を失する。俺としては、ここで邀撃の構えを取り、奴らを返り討ちにしてこそ戦の本懐であると思うのだが……。何なら、陸に通達し、海上の予備戦力を増援としてここに招聘することもできるが――どうだ?」
僅かな静寂。
初めに口を開いたのは、艦隊旗艦たる不知火であった。
『――邀撃は我々だけで問題ありません。そのために、ここに居るのですから』
その答えに、磯風、響、早霜が続く。
『愚問だな。我らの力、舐めて貰っては困る』
『そうだね。血の気が多いのは、嫌いじゃない』
『ふふッ……。久しぶりの実戦、悪くないわね』
口々に返答するその声音は、相変わらず空恐ろしい。
言うなれば、駆逐艦らしからぬ気迫だった。
無論、他の艦隊に所属する容姿相応の愛らしい性格を持つ駆逐艦らと比較すれば、という前提ではあったが。
しかし、何もそれは否定的な要素というわけではない。
彼女らが持つ陰とも取れる一種の冷静さ。
直情的な行動を控え、一歩退いた視点から大局を見据えるその感性は、数多の死線を掻い潜ってきた者のみが持ち得る強さでもある。
常に死の恐怖に晒され、狂気と隣り合わせの戦場。
彼女らは、何かしらの方法でそれを克服してきた強さを持つ。
故に、例え表面上であれ、彼女らは冷静さを以て戦場に立つことができる。
それはつまり、如何なる状況でも、瞬時に平時と有事の意識を切り替えられるということ。
そして、その切り替えの遅れは即、死に繋がる。
彼女らは、それを心得ているが故に――。
「――宜しい。一息に呑み込み、殲滅しろ」
『――了解』
重なる四つの声。
そこには、一切の戸惑いも躊躇いもなかった。
(――良し)
何も、彼女らを徒に護ることだけが提督の役目ではない。
彼女らに相応の試練を与え、それを乗り越えられるだけの力を身に付けさせる。
それこそが、彼女らを戦場で生き永らえさせるための方法であり、彼女らの上に立つ提督が果たすべき責務。
例え非道と取られようと、彼女らが一日でも長く生きられるように。そして、この闘争を一日でも早く終わらせるために――。
それが叶うのであれば、俺はこの手が汚れることを厭いはしない。
その行いが誰からも批難され、誰ひとりとして理解されなくとも。
この身は既に、彼女らに尽くすと決めたのだから。
「各艦、縦列を組み、最大戦速にて突撃。不知火、磯風は右翼から。早霜、響は左翼から敵艦を包囲しろ。魚雷でケリを着ける」
号令を合図に、各艦は隊列を組み直し、増速を開始した。
どの道、敵艦から離れていようが近くにいようが、その射程距離から逃れることなど不可能。
口径、射程、威力。それら全てにおいて戦艦の砲に劣るこちらでは、まともな砲戦などできはしない。
ならば、反航状態を維持し、すれ違いざまのその土手っ腹に魚雷をぶち込むしか手はない。
貧弱な砲ならばいざ知らず、直撃した魚雷が引き起こすバブルパルスであれば、あの強固な戦艦の装甲ですら突き破り轟沈に至らしめる。
無論、彼我の距離が接近すればするほど、危険は増す。
だが、そこは駆逐艦の利点である快速性を活かして突破するしかない。
加えて、艦形が小型であることを利用し、的の小ささを盾に、相手の懐に飛び込んでしまえばこちらのもの。
杞憂はない。それを行えるだけの覚悟と練度がこちらの艦隊にはある。
「いいか、第一射だけは何としてでも避けろ。主砲の再装填までの時間を利用し、一挙に肉薄する。その間、こちらも主砲で応戦し、少しでも敵艦の照準を揺さぶってやれ」
各艦から了解の声が届く。
同時に、外部映像の接続先を駆逐艦四隻へと変更。
更に、上空の偵察機からもたらされる報告と照合し、海戦の成り行きを見定める。
敵戦艦二隻は依然として横並びの複縦陣で侵攻中。だが、こちらの動きに対し、僅かに虚を衝かれたのだろう。
高速で接近する四隻の駆逐艦への迎撃準備が完了しておらず、動きに少々の迷いがあった。
数で劣るとはいえ、よもや、軽装甲の駆逐艦が捨て身の覚悟で肉薄してくるとは思いもすまい。
その目論見が功を奏した結果だった。しかし、敵もその程度で怯むほど柔ではないらしい。
即座に主砲が旋回を開始し、二隊に別れた駆逐艦、その先頭を進む艦をそれぞれ指向し始めている。
『――敵艦との距離、一万を切りました』
「良し。各艦、主砲撃ち方始め……撃ェッ!!」
下した砲撃開始の合図とともに、敵戦艦二隻の主砲も一斉に火を噴いた。
大気を突き破り互いに交差する砲弾。敵が放った砲弾の狙いは――。
『――きゃッ……!?』
瞬間、早霜の悲鳴が響いた。激しい揺れと共に彼女から送られてくる外部映像が乱れる。
「――早霜ッ!!」
『ぶ、無事です……至近弾を少々。まだ、行けます……ッ』
モニター上で早霜のバイタルチェックを開始。
どうやら、至近弾の衝撃で機関を損傷したらしい。
これでは、速力に影響が出る。四隻による統制された艦隊運動も危うい。
だが、彼女の瞳に映る闘志は潰えていなかった。
『響さん、私に構わず前進してください……』
『……いいのかい?』
『これくらいの損傷、日常茶飯事です。必ず、追い付きますから……ッ』
『――了解。お言葉通り、手加減はしないよ』
『……ふふ、相変わらずドライなお人ね』
『それはお互い様さ』
そう告げると、響は速力が落ち始めた早霜を省みることなく更なる増速を開始した。
「早霜、無理はするな」
『……提督、ご配慮ありがとうございます。ですが、ここが正念場ですので――無理を押し通させて頂きます』
「……つまり」
『はい。後程、修理をきっちりお願いしますね』
含みのある笑みでそう言ったきり、早霜は現状で出し得る最大戦速で響の後を追った。
「……全く。不知火、そちらはどうだ」
『――こちらは平気です。至近弾こそありましたが、戦闘に支障はありません。磯風さんと共に突撃を敢行します』
「宜しい。……各艦、敵艦が次弾を装填するまでが勝負だ。副砲も機銃も構うな。少しでも距離を詰めろ」
四隻による了解の返答。ここまで接近すれば、もはや後には退けない。
必殺の魚雷をして、敵艦を沈める。選択肢はそれしかない。
「――全艦、魚雷戦用意。目標、敵戦艦。右翼、左翼、共に発射タイミングを同調させろ。決して逸るな。命令を待て」
左右から包み込むようにして、敵艦を右翼と左翼の縦列の中心に据える。
これで、敵艦の逃げ場はほぼ無くなった。左右に舵を切れない以上、敵艦は反航状態を維持したまま、直進して突き抜けるしか方法はない。
だが、それは無理な話だ。その状態こそ、我々が誘引した絶好の攻撃機会に他ならぬ故に。
『深度、速度、共に調定良し。……全艦、魚雷発射諸元、調定完了!!』
――彼我の距離、残り七千弱。不知火から魚雷戦準備完了の合図があった。
その間にも、敵艦より副砲、並びに機銃群から盛んに砲弾、銃弾が吐き出される。
これだけ距離が離れていれば、機銃こそ有効打にはなり得ないが、旋回、発砲速度に優れる副砲だけは執拗にこちらを狙っていた。
『――その程度で、不知火は沈まない』
『――まだだ。この磯風を沈めるには死力が足りんぞッ……!!』
負傷してなお馳せる左翼に負けじと、右翼の二隻が吼える。
立ち昇る水飛沫の合間を縫うようにして、四隻は降り注ぐ砲弾の雨の下を駆け抜けた。
迫る異形。漆黒の艦影を前に、各艦の発射管に装填された魚雷がその時を静かに待つ。
――相対距離五千。遂に、四隻の真横に、すれ違う敵艦の横っ腹が晒される。
「――魚雷発射……撃ェッ!!」
瞬間。圧縮空気によって撃ち出された魚雷が、波の狭間へとその身を躍らせた。
一旦、海中に沈み込み、再び浮き上がって駛走し始めた魚雷が目指す先は――。
(――
刹那、海上に大きな水柱が立ち昇った。
反航状態でのすれ違いざま、四隻から偏差で発射された魚雷が敵艦の左右より交差する形で襲い掛かった結果、そのほとんどが命中。
凄まじい断裂音と共に、敵艦は瞬く間に衝撃に突き上げられ、数分と経たぬうちに藻屑と消えた。
各艦が放った魚雷は四本。そのうち数本こそ外れはしたものの、合わせて十本近い魚雷を艦底に受ければひとたまりもない。
蒼穹に掻き消えゆく僅かな黒煙。そこには、無情の海が残るだけだった。
◇
「お疲れさまでした、提督」
試験任務終了後、鎮守府のドックにいの一番に帰投した明石から声が掛かった。
「ああ、そちらもご苦労だった。ヲ級の管理は問題ないか?」
「はい、それは厳重に。八号ドックに収容してあります。……ですが、もうその必要がないくらい落ち着いていますけどね」
自信ありげに語る明石。
つまるところ、彼女による精神干渉、そのコントロールがヲ級に対して上手く作用しているということだろう。
「それはそれとして……提督、今回出現した深海棲艦は一体何が目的だったんでしょう? 私、ずっと気掛かりだったのですが……」
明石の何気ない疑問に俺は思わず唸ってしまった。
大方の見当はついている上に、十中八九そうだろうという結論も出てはいるが――。
未だ確証を得ているわけではない。そう断ってから明石に話すことにした。
「……おそらく、こちらで捕らえたヲ級を処分しに来たのだろうよ。しかも、あわよくば取り返そうとすらしていたようだが」
「ああ、やっぱりそうなんですね……。でも、例えそうだとした場合、彼女たちはどうやってヲ級の位置を突き止めたのでしょうか?」
明石の指摘に俺はひとつ頷く。
その点は、俺も疑問に思っていたことであり、同時に認めたくない厄介な事実だった。
「あまり信じたくはないが……どうやら、彼女たちには独自の意思伝達機能、或いは感知機能が備わっていると見てもいい。あくまで、仮説に過ぎんが」
「それってつまり、あのヲ級がここに居る限り、今日みたいなことがまた起こるかもしれないってことですか?」
「……おそらくな」
認めたくはないが、可能性のひとつとして頭の隅に置いておく必要があった。無論、その対応策も。
人類の戦線こそ、開戦劈頭より拡大し、深海棲艦を押し返してはいるが、内地近海まで彼女らが進出してくることは現在でもままある。
だが、今回はその狙いがピンポイントに過ぎた。無闇やたらと広範囲に攻めるのではなく、たったひとりの同胞の元へと確実な針路を取り、接触を試みる。
これに何らかの意志が備わっていないなどと、偶然にも程がある。
「それに、懸案はまだある。今回の試験で見せたヲ級の艦載機だが……あれは結局、一体どこから発生したのかということだが」
「そうですねぇ。観測機器でも捉え切れませんでしたし。でも……」
「……何だ?」
小難しい表情を見せる明石。
何か思い当たる節でもあったのだろうか。
「いえ、こちらも仮説に過ぎませんけど……彼女たちの力の源には負の感情が備わっているという話を以前しましたよね? それと、何か関係があると思うんです」
「ほう」
「つまり、海に宿る意志……正確に言えば、海に散った過去の命が放つ負の想念を操っているのではないか、と思いまして」
「……それは、先の大戦に起因するものか」
「……はい。私も、全てを思い出せるわけではありませんが……おそらく」
「……そうか」
――先の大戦。明石が言うそれは、今より数十年も前に起きたひとつの戦争のことである。
世界を巻き込んだその大戦は、国を問わず、多くの命、多くの艦の損失を強いた。
決して歴史の闇に葬り去ることが出来ない厳然たる事実である一方、今も海に眠るそれらが、何らかの力によって呼び起こされ、彼女ら――深海棲艦を生み出しているとするならば。
「私も多くを知りません。ただ、確実に言えることは、私たち艦娘も含め、今、この世界の海では何か大きな力が働いている……。そして、理由もなく私たちと彼女たちは戦う運命にある。……ただ、それだけです」
どこか、寂しげに語る明石。
その感覚は実際に戦場に立つ艦娘ではない俺でも、何となくは理解していた。
「深海棲艦が操る力……負の想念と言えば、いわゆる呪い、怨念のようなものか」
「かもしれません。少なくとも、私はそう認識しています。そして、私たち艦娘はそれらの脅威から人類を護ることを定義付けられている。自然と……何だか、そんな気がするんです」
「フン、眉唾めいた話だな。……だが、信じるほかあるまい。事実、今まで俺たちはそうやって戦ってきたのだからな」
「……はい」
「どうした、まだ何か懸念でもあるのか?」
気難しい表情を崩さない明石に、そう問い掛ける。
「懸念というか……。実は今回、ヲ級の意識に干渉した時、ひとつ違和感があったんです」
「違和感?」
「ええ。いつもであれば、ただ命令のやりとりだけで済むんですけど、今回は妙な抵抗がありまして。それは別に私の命令に抵抗しているわけじゃなくて、私たちに何かを伝えようとしているような……そんな感じの違和感があったんです。かなり曖昧ですけど」
何かを伝えようとしている――。
これはまた、頭を抱えたくなるような案件だった。
ただでさえ、本来の任務とは異なる試験を実施しているのだ、これ以上は管轄外で済ませたいところではあった――が。
「……了解した。今回の件、明石の仮説と合わせて報告書を作成し、本部経由で軍令部に上申しておこう」
「……え、いいんですか?」
思ってもみなかったことだったのか、明石が眼を丸くしてみせた。
「ああ。あくまで仮説で、確たる証拠もない大雑把なものだが、報告しておいて損はないだろう」
「ありがとうございます……! そのレポート、是非私にも書かせてください。もっとしっかりとした文章に書き起こしますから!」
「……あ、ああ」
妙に興奮した調子で張り切る明石。
そのままの足で報告書を書きに行くつもりなのか、立ち話もそこそこに、そのままドックから出て行ってしまった。
(……まぁ、あのまま任せても問題ないだろう)
少し呆れた表情で明石を見送ってから、夕陽が差すドックへと視線を移した。
鎮守府の軍港、緩やかな波が揺蕩うその先に、四隻の艦影が次第に姿を表す。
不知火、磯風、響、早霜。
今日の立役者である小さな勇者たちが、負傷した早霜に肩を貸し、今まさに帰投するところであった。
「……後は、彼女らを労ってやらねばな」
己の信条を貫くためとはいえ、先程の戦闘では無茶な注文を押し付けたことに変わりはない。
命令を下す立場の人間はいつだって非情でなければならないが、それは戦場での話。
母港に帰り、戦闘態勢を解いてしまえば、後は彼女らの思うがままに任せるのが提督の務め。
少なくとも、俺がこの艦隊の提督でいられる間は、そうやってしか彼女らに恩を返せない。
「さて、今日はどんな我儘が飛び出すやら……」
帰投する四隻の艦娘を見詰め、俺は静かに、そして、自嘲気味にそう呟いた。